うさぎ と 一人目の王様
〜 Buggy & Coffin 〜
1
とある金曜日の午前中、俺は面倒臭いことこの上ないが死武専に出向いていた。
給料以上の仕事はしない主義だが、死神様の保全とバックアップを受け持つ立場上やむを得ないことも多々ある。
「……これでバックレでもしててみろ、ぶん殴ってやる……」
ドアを力任せに開ける。ばん、と派手な音がした。
「おいおい、いい大人がモノに八当たんなよ」
広い教室にポツンと目つきの悪い銀髪の子供が席に着いていた。しかも一等前に。
こいつの名前はソウル=イーター。(多分本名じゃない。……いくらなんでもこんな冗談みたいな名前があるもんか)俺の娘の相棒で、近頃魔女を倒して魂を食い、晴れて武器最高峰の称号である“デスサイズ”になったガキ。性格はひねくれてて皮肉屋。口癖はCoolという、まーどこにでも居そうな頭の悪いボンクラ……だった。
「おぉ。珍しい、サボリの常習犯がちゃんと居るとは」
教卓に資料と教本の束を放り投げ、パイプ椅子に腰を下ろす。教壇と一番前の机は随分と離れている。
「これから毎週金曜日にデスサイズの心得ってのをお前に教えにゃならん事になった。……ったく、こんなの梓かマリー辺りにやらせりゃいいものを……」
ぶつくさ言いながらファイルBOXを少し真正面とはずれた方向に放り投げてやったが、こいつは難なくそれを掴み取りやがった。……ちっ、真面目に実技授業受けてやがるたぁ可愛くない。
「航空技術教本? なんだってこんなもん……」
クリアファイルの一番上に挟んであったレジュメに書かれている“次回までに用意すべきテキスト・リスト”の天辺の文字をさっそく読んだか、ソウルが眉を寄せて唸る。
「マカの魂はかなり特殊でな、もしかすると空飛んじゃうかも知れねぇって話だ。ふっ……うちのお姫様の天使っぷりったらハンパねぇよ……! ああ……マカ……!」
「……天使、ねぇ……」
はっ、と鼻で笑う奴の顔が呆れ以外の何かで緩んでいるのが気に食わない。実に忌々しい。
「つか鎌系武器の特殊能力は魂の精密操作だからな、職人に合わせて様々な知識・技術・経験が要る。伊達に死神のマストアイテムじゃねーんだよ。デスサイズになったからには俺の特別授業以外にもアホみたいにカリキュラム増えるから覚悟しとけ」
脅すように言ってやったのに。
「ふーん」
ガキは顔色一つ変えずまだリストを目で追っていた。
「……面倒くさいと思ってンだろ?」
俺は面倒くさかった。職人の倍以上も勉強時間が増える不条理にイライラした。
「別に。必要ならするだけだ」
「それは職人の為に?」
それでもなんとかやりこなしたのは、偏に“あいつ”を世界最高の職人にしたかったから。……才能と努力の塊であるシュタインに、なんとか勝たせてやりたかったから。
だけど目の前のガキは事もなげにいう。興味もなさそうな顔で。
「自分の為にさ」
――――――正解再生機なんか、楽しいかねぇ?
「馬鹿だな、そこでマカの為にだって言えねぇからキラわれんだよおめーわ」
「言い過ぎて嫌われてるお前がゆーな」
2
「お前、変わったよな」
教卓に突っ伏して、窓の外を見ながら黒鉛が白紙に薄く削られてゆく音を聞いているのに飽き、俺はそんな事を言った。
「……あぁ?」
「最近は随分真面目に学科の勉強してるらしいじゃねぇか。順位表見たぜ」
一瞬止まった鉛筆だかシャープペンシルだかは、またカサカサと音を立て始める。……ったく、本当に可愛げのない。
「ようやく何の為に勉強すんのか目標が定まってね。教科書ってのは結構有益な事書いてあるって理解したら面白くなってきた」
俺が“あいつ”に出されて三日三晩頭を悩ませたのと同じレジュメを、ソウルがいとも簡単にさらさら解いてゆく音。ああくそ、腹立つ。
「そりゃ結構。うちの元かみさんが頑張って史料編纂した甲斐があるってもんだ」
娘の勉強好きは確実に“あいつ”の影響だな。うん。まぁ子供生んで体調崩して4年くらいずっと教科書改訂の仕事してたから、マカの原風景として刷り込まれたんだろ……
「……おまえんとこの一家はホントどーなってんだ、死神の奴隷か何かかよ」
「――――そーかもな。マカもちっこい時キッドに異様に懐いてたし」
お。音止まった。ギャハハハ、やっぱお前もマカにゃ弱ェんだな。ザマミロ。今顔を上げてお前の方を向いたら、鉛筆の音がまた始まるのかねェ?
俺は意地の悪い実験をしてやろうかとも思ったが……やめた。
「心配すんな、マカはさっぱり覚えてねぇよ。……キッドはちょっと覚えてるみたいだけど」
「――――――――ああ、それで」
なぁソウルよ、お前は今何を考えてんだ?
デスサイズになったお前は、今何を考えてる?
未来の予想か? 心配ごとか? 不安の種か? それとも――――
「うちのお姫様は一般人にゃ難易度たけーと思うぞ? お前はナリも性格も悪かないし、スキルだって才能だって努力量だって一般生徒内じゃハッキリ言って群を抜いてる。俺がおめーくらいの年恰好の頃にゃデスサイズなんざ夢のまた夢だったさ」
そう、夢だった。
“あいつ”を最強の職人にするなんて言って、皆に笑われた。
あんな体力もない女にデスサイズなんか作れるもんかと。大体お前なんか鼻にも掛けられてねェじゃんなんつって笑った奴を殴ってやろーかと何度思ったことか。手段選んでるプライドもかなぐり捨ててシュタインの武器になる誘いを受けた。……そいつがシュタインの耳に入って報復実験されたりしたケド。
自分がこんな必死になるなんて思ってもなかった。
……大体俺はラク〜でテキト〜なダラダラ〜っとした生活が欲しかったんだよ。頑張るとか性にあってねェんだ、全然。努力なんか世界で一番嫌いな単語だぜ。
「……何が言いてェ」
「無謀をカッコいいなんて思ってたらそのうち死ぬぞってこった」
「そりゃ自分の娘に言え。こっちはあの無鉄砲を引き戻すので精一杯なんだからよ」
「俺もフツーのその辺転がってる武器だったよ。十把一絡げのしょーもない、向上心のかけらもないクズだった。何人も職人変えちゃ、全部人のせいにして、粋がって、逃げて、ごまかして……ああもう格好悪さったらなかった」
3
「そいつを変えてくれたのが元かみさんだよ。あいつの為にいっしょーけんめー自分を変えようとして……いや、助かりたかったのかもな。ホントは意気地がなかった自分を、どーにかしたかったのかも知れん。その言い訳に」
「おいやめろ」
クリアな声だったから、逆に俺が驚いた。
今までみたいな片手間の声ではなく、まるで耳元で怒鳴られてるみたいにハッキリとした台詞。毅然と言う形容詞すら似つかわしいその声の主に慌てて目をやると。
『…………お前もそうだろ? マカの光り輝く波長に助けて欲しかったんだろ? 解るぜ、なんたってお前は俺なんだから!』
いつの間にかおれと同じように机に突っ伏しているソウルの顔はこちらを見ていた。
但し、燃えるような赤い目はなにも映しちゃいなかったが。
ぞわぁ、と背筋が寒くなる。
……やべぇ……、これ、狂気――――――――!
低い“誰かの声”といつものソウルの声が交互にソウルの口から垂れ流れている。傍から見りゃコントか大道芸以外の何物でもない。ソウルの口から黒い血さえ吐き出ていなければ。
「……黒血の代替周期か……ちっ、男の介抱なんか俺にさせんじゃねぇよ!」
慌てて掃除用具入れからバケツと雑巾をありったけ引張り出し、黒血の伝ったプリントごとソウルの頭をバケツに突っ込む。……シュタインが言うには接触感染はしないって話だが、薄気味悪いことに変わりはない。
「15分だっけ? ……くっそ、シュタインの野郎は……まだ会議か……」
時計を睨みつけながら、ガキのとろとろと吐き出す粘り気のある液体が雑巾に吸い込まれてゆくのをじりじり待っていた。白い髪の陰から流れ出る黒い血。その奇異は殊更に際立っている。
「おい、てめぇ、小鬼だろ!? やめろ! デスサイズまで取り込みやがって!」
『ケケケケケ。なんだこんな駄目親父、庇う価値もねぇだろ?』
「うるせぇな、そんなンでも武器の頂点やってんだよそのオッサンは! あの鬼みてーにつえー博士の膨大な魂の波長を完璧にコントロールできんだぞ? 俺なんか、手のひらサイズのマカの魂にいっつもブン回されてるってのに……!」
大道芸は続いている。ごぽごぽと口から血を吐き出しながら。
『そーだな、このおっさんはすげーよ。おまけにあのマカの父親で、お前はその身変わりに過ぎん。なぁスペアくん』
「……るっせぇなぁ……!」
『デスサイズになれば肩を並べられると思ったか? マカの親父に張り合えるとでも思ったのか? ……甘ェ、甘ぇよソウル。デスバックスのキャラメルソフトクリームよか甘ェ! お前なんかすぐ捨てられる、この親父がマカの母親にポイッとやられたみてーにな!』
「うるっせぇえぇぇぇえぇぇ!!」
――――――ホントうるせぇなこのクソガキ。このまま殴って気絶さしちまおーか。
ムカムカしながらソウルの首根っこを持ってる腕に力を込めようかとしたけれど、おれはまたやめた。
低い“誰かの声”が唸ったから。
『浮気しなけりゃいい? 勉強すれば大丈夫? そうやってご機嫌伺いしてりゃ安心か? お前、マカの何を知ってるかよ? マカが何を不安がってるのか知ろうともしないくせに!』
4
…………………………。
あー。
あー。
あー。
お前もかブルータス。
……お前もそこんトコで躓いちゃってんのか、後輩君よォ。
「……いや、お前はよくやってるよ。ホントよくやってる。偉いよ、お前」
頭をポンポン撫でて、背を伸ばした。
「世の中上手くいかねー事ばっかでホント、やんなっちまうよなぁ〜……」
すうっと目を閉じて魂を共鳴させてみる。こいつの意識がないのなら精神くらい覗けるハズという算段の元。黒血が感染する恐れがあるとは言われたが……ま、こっちに引き戻す位イケんだろ。
瞼を閉じたまま“ゆっくりと頭の中の目を開く”。
そこは薄暗い小さな部屋で、大きなグランドピアノとピアノ・チェアがあり、その奥にビロード張りの椅子が置いてあったのだろう。
置いてあったのだろう、というのは、今は椅子の形をしていないから。
ストライプ柄のスーツに身を包んだソウルと、俺の形をした何者かが争った跡。
バン、と大きな風船が割れるような音を立てて、“デスサイズの形をした何者か”が真っ二つに裂けた。息が切れている。片手にいつものツートンカラー。デスサイズの輝きではなく、鈍く囁く赤と鉄。
「うるせぇな、知ってる……俺が信用できねェとか、そんなもん、知ってらァ」
ばくばくと嫌な鼓動の高鳴りがこちらにまで聞こえるようだ。
痛々しい。
「……あいつは俺をデスサイズにするってぇ約束守った。今度は俺の番だ。命なんざいくらでもくれてやる。他に欲しいものなんかねェ……!」
『嘘をつけよ、エロガキ。お前マカが欲しいくせに――――――』
ずだん、と下らないことを尚も喋る“デスサイズの顔”の片割れをソウルは踏み潰した。
「うるせぇ黙れ。こちとら欲しい物が手に入らねぇ空腹感なんざ、いなし続けて15年だ馬鹿野郎」
息が切れて
おかしな汗をかいている
弱々しい子供。
……泣きたいだろうに、と同情心を何とか握り潰す。
そうだソウル、それでこそだ。
泣き事なんか口にするな。弱音なんか腹の外に出すな。不安がった顔なんか人に見せるな。
それでやっと――――――――男の子だぜ。
5
「る―――ウル―――……ソウル!」
「……っ!」
「おい、返事しろ。個人教授中に寝んなクソボケ。千切りにすんぞテメー」
頭をガシガシ乱暴に掴んで揺すり起こした。もちろん黒血の付いたバケツだの雑巾だのプリントだのは既に教卓の裏に隠匿済み。後でどっかで燃やしてこねーとなー……
「……はぁ、はぁ……わ、わり……さ、最近まともに寝てなくてよ……ほら、昇級試験あんだろ……マカの勉強に付き合っててさ、チョイ寝不足なんだ」
胸元や首元を抑えつつ、掻き毟るようなしぐさをしながらソウルがヘラヘラと笑った。
「――――――――そうかい。じゃあこのコマ終わったら保健室行け。デスサイズ様に二時間の睡眠を指示されたっつえばシュタインでも寝かせてくれる。昼まで寝てろ」
「……な、何だよ急に?」
「次の授業は死人の重量マラソンだぞ。そんなふらついた足元でバラスト背負って7キロ走るつもりか。死にたくないなら寝てろボケ」
「……なぁ、おっさん」
「――――デスサイズ様と呼べ」
「デスサイズになったら、やっぱなる前となんか変わったりすんの?」
出来るだけ顔を合わせずに、そう尋ねるガキ。
あんなものを見る前の俺ならば一笑に付しただろう質問に、俺はしばし思案して。
「ああ、背が高くなる。精神の許容量が上がると成長ホルモンがバクバク出るらしーぞ」
答えてやったら、うっそマジかよ! と子供らしく嬉しそうな顔で笑った。
「ソウル」
「……あん?」
チャイムの音に紛れて聞こえなければそれでいいと思っていた呼びかけに、律儀にソウルがこちらを向く。
「マカにはもうきっと助けに来てくれるパパは必要ない。これからは共に戦うパートナーが必要になる。……そしてあの子はそれを望むだろう」
俺は悔しさからか、憐れみからか、よく解らない感情でソウルを見ない。
廊下の窓にうっすらと映る白い髪と白い制服のガキに喋る。
「泣かせたら承知しねェ。賽の目だ、忘れるな」
「――――――――娘を買い被り過ぎだな、もっと冷静な目でみろ」
「……クソガキ」
ああ本当にちっとも可愛げがねェ。
軽く捻ってやろーか。
いらっとした俺の表情が見えないはずのガキが、少し間を開けて続ける。
「あの甘ったれが家族捨てる訳がねー。机の上の一等いい場所に置いてあるアルバムにゃおっさんの写真が目白押しなんだよ」
俺は黙ったまま、身動きもしない。
してやる義理もないし。
「あんたは黙って親馬鹿満点で武器最強に君臨してデスサイズの金看板磨いてりゃいいんだ。そいつ“も”いつか奪いに行ってやるぜ」
ヒヒヒ、と顔を歪ませてガキはその場を後にする。
背中で最強の男が忍び笑いをしているような気配と立ち去る靴音をワザとさせたので、単純くんはにやりと口角を上げてでもいるのだろうなと可笑しくなった。
『シュタインか? 俺だ。ソウルが発作出してる。そっち行かすから寝かせてくれ。ああ、俺は吐いた黒血デスルーム持ってくから。……なんだよ、ご機嫌かって……ああ? 楽しいわけねぇだろ、朝っぱらからクソガキと一時間だぞ。ソレよりあいつ何とかしてやれねェの? 月に二回だろアレ。そのうち頭おかしくなんぞ』
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17:54 2010/09/19
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