白黒飛行



『 天国に一番近い地獄 』


 「キッド!」
 甲高いパティの声が雪山に響く。
 「パティよせ!お前まで落ちる!」
 リズは渓谷に落ちていった小さな主人に祈るように叫び声を上げた。
 「キッドォォ!ソウル確保した!マカは頼んだぞおおおお!!」
 リズはコートをはためかせながら、まだキッドキッドと喚くパティを宥め、雪の積もる斜面を気絶したままの魔鎌を使って器用に登ってゆく。
 「お、おねーちゃんてさ!いっつもそーだよね!う、うっ、うっ……キッドくんスグ見捨てちゃうの!」
 キャラメル色のコートをバサバサ音の鳴るままにほったらかしのパティがぐずり上げる。
 「パティ、コートの前留めな。風邪引くよ。……面倒臭い、銃になんなよ。連れてってやっから」
 「いらないよォ!それよりなんで? ねぇ、キッドくん怪我してたよ!」
 冷静なリズの素振りは尚の事昂ぶったままのパティに通常の判断を許さず、パティに感情のまま噛み付き続けよと命令する。
 「……のなぁ、パティ。キッドはアレでも死神なの。そう簡単に死なないってば」
 「だって!キッドくんあたしを庇って撃たれたんだよ!マカだってソウル掴めないくらい弱ってたし!見てみなよソウルの柄!血だらけじゃん!死んじゃうよォ!」
 げへごほと吃音で聞き取りにくいパティの癇癪を聞き流しながら、リズはそれについての意見は言わない。
 「いいから銃になんな、パティ。お前だって疲れてんだから」
 「お、お、お姉ちゃんだって!撃たれてたじゃん!知ってるよ!脇腹!」
 「大したこと無いよ、このコート上等だからね。さ、変化しな。そろそろ怒るよ」
 静かにリズが低く通る声でそう言ったのを最後に、パティは無言で銀色の銃に姿を変える。
 手の中に収まった妹を一瞥し、リズはズボンのポケットに安全装置も激鉄もない不思議な銃を押し込んだ。
 随分簡単な任務だったのだ。廃墟の町を塒にしてる殺人鬼の退治なんて。魂感知に優れているキッドとマカの二人が居ればあっという間に片付く、そういういつもと変わらぬ普通の校外授業。
 「まったく、殺人鬼の集団なんてフツー考えつかないよなぁ、ソウル」
 リズは少し前に起こったことを思い出す。キッド組とマカ組の二手に分かれて殺人鬼の探索。一番最初に撃たれたのはマカの左手。廃墟に蠢く魂と瘴気に中てられたのか、いつものマカらしくも無く後手後手に回った挙句にソウルと共に捕まってしまったらしい事を察したキッドが、トンプソン姉妹を囮にしてマカ奪還を図ったのだが、敵の数が尋常じゃなかった。
 まさか全てが殺人鬼なワケでもなかろうが、3人が怯むのに十分な数の人間と魂が一斉に小さな死神に襲い掛かったのだ。だが、キッドとてたかが人間に後れを取るほどのんびりしている訳はない。手の使えないマカを取り返し、ソウルを振り回して八面六臂の大活躍。だが波長の合わない武器を使うという事は、武器・職人共々負担が大きい。尚且つ相手の大多数は普通の人間。まさか殺してしまうわけにもいかず、困り果てていたそこにパティを連射しまくって集中力の落ちたリズが脇腹に一発鉛玉を貰ってしまう。こうなれば5人の連携は最早ボロボロで、必死に撤退を試みたのだが。
 逃げた先が悪かった。猛吹雪と雪山特有の無個性な風景に酔ってしまったのか、崖に追い詰められてしまったのだ。起死回生を込めたマカがソウルを掲げて立ち上がった次の瞬間、銃声が轟いてマカの赤いコートが純白の雪山に舞った。
 ソウルの悲鳴、マカの悲鳴、キッドの叫び声、姉妹の叫び声。
 転がるように斜面を滑り落ちてゆくマカが、崖の岩肌にソウルを突き立てて体の安定を求めようとした事だけが誰にもわかった。だがマカがそこに留まる事はない。最早マカに自重を支えるだけの体力が無かったのだ。空気の抜けたゴム鞠のように跳ねては滑り落ちてゆく赤いコートの少女。
 その消え去りそうな淡い赤を漆黒の疾風が追いかけてゆく。
 『リズ!パティ!父上に緊急救助の連絡を!』
 リズは小さな主人の最後に叫びの意図する事を瞬時に悟った。恐らくポケットに差しているパティにも分かっただろう。
 つまりキッドはこう言ったのだ。
 ――――――状況の説得不可能につき抹殺部隊の派遣を要請せよ、と。
 元々死武専の特殊任務を任される事の多かった自分達のチームが主としている仕事と言うのは、暗殺だとか掃討作戦だとか、そういうものだ。闇から闇へ、魂を刈り取る仕事。
 だが先発隊を買って出たキッドの意図を誰より良く知るリズは胸が痛い。
 「……なァソウル、生きてくのってぇのは、ほんとヤんなっちゃうなァ……」
 リズは思う。やっと普通の友達が出来てあの子が笑うようになったのに、どうして神様はこんな事ばかりあの小さな死神に背負わすのだろう。あの子は人の死を望んだ事などないというのに。
 「――――――誰か助けてやってくれよ、あの子を……!」
 涙を食いしばる姉の赤い鼻を、ポケットに収まっているパティだけが知っている。



『白と黒、時々赤』

 マカが目を覚ましたのは痛みに拠ってだった。ハッキリしない視界をむりやりこじ開けて、気丈にも身体を起す。
 「やめておけ、折角キッチリカッチリ縫合した跡がシンメトリーでなくなってしまう」
 ぼんやりと暗闇に佇むそれが、よく見知った死神だと悟り、マカは大きくため息をついた。
 「ここどこ? どうなったの?」
 緊張を解き、胸を撫で下ろしたマカにキッドが答える。
 「マカが落ちた谷底の横穴で待機中だ。熊の寝床か何かだろうな」
 「く、熊!!」
 「……仮にそうだとしても空家さ」
 真っ青になったマカが起き上がり小法師のように飛び起きる様をくすくす笑いながらキッドが宥めた。
 「もうちょっと、こっちは怪我人なんですからね!」
 ぷうっと膨れっ面をマカがして、それを見たキッドがまた笑う。
 「右肩の弾は掠っただけのようだし、左手の応急処置はした。打撲も見たところは大したことないし……さすが一つ星職人の最優等生、と言った所かな」
 キッドの足元には死武専で支給されている固形燃料のほかに、どこから持ってきたのか小枝や薪がどっさりと小山を作っている。赤々と燃える炎に照らされているキッドはどう見ても普通の少年にしか見えない。
 「受身はね、すんごい研究したの。……ほら、純粋に力勝負だと私、弱いじゃん。でもダメージさえ最小にすれば勝てると思ってさ」
 マカが両腕をファイティングポーズにして、その腕に広がる青痣に顔を顰めた。
 「嫁の貰い手がなくなるぞ」
 「あらそれって差別だわ。いーのよ、私は自立して一人で生きるのよーだ」
 びーっと舌を出してマカがつむじを曲げる。その仕草に裏打ちされた気の強い彼女の過去に思いを馳せ、キッドは溜息をついた。
 「……ソウルが泣くな」
 全くもって不憫だ。男として信用されてないどころか、男として認識すらされてない。地味だが気のいい友達の憐れに胸の中で十字を切るキッド。もちろん死神がそういう事をするのは皮肉でしかない訳だが。
 「いいの、泣かせとけば。あいつすぐ私に頼る癖があるからさ、しっかりして貰わなきゃ」
 キッドの言葉を受けて、マカはあっけらかんと言い放つ。
 「……まるでママだ」
 「差別その2ー。女だからって舐めてんじゃねぇ、噛み付いちまうぞバーカ!」
 呆れたキッドに畳み掛けるが如く、またマカがキッドに向かって怖い顔をした。それにしても年頃の女の子にしては、彼女は少し口調が乱暴すぎやしないだろうか?
 「……そうか、そうだな。女だからって、好きに生きて悪いことなんかないな」
 「そうよ!キッドくんだってそーでしょ。死神だからって言われたらヤでしょ? それと同じ!」
 降参するようにキッドが彼女を肯定し、マカは彼の事例に当てはめてもう一度確かめるように主張した。
 「そうだな、それは済まない事をした。心から詫びる」
 キッドは軽々しく貴方と自分とは同じだというマカの言葉に少し驚いたが、それが気遣いでもましてや差別でもなんでもなく、彼女の考え方なのだという事を改めて知り、嬉しく思う。
 「――――――ねぇキッドくん」
 少し間が空いて、マカが爆ぜる小枝の音の隙間を縫うように少年を呼んだ。
 「なんだ」
 「この傷の手当、してくれたんでしょ」
 「素人技ですまんがな。どうした、痛むか」
 「……ううん、随分手馴れてるなと思って」
 手に巻かれた包帯は小指と薬指に枝を挟んできっちり固定されている。ズキズキと小さく痛みはするが、恐らくそれは縫合の為だろう。
 「――――――こういう任務に怪我は付き物だからな。パティの右腕の裏の縫合痕知ってるか? あれ、おれがやったんだ。人にやった縫合第一号」
 キッドの口から出た“任務”という言葉にマカは少し動揺した。そうだ、私にとっては校外実習だけれども、彼にとってこれは死神様から賜った任務なのだ。
 「自慢されたから知ってる。見事にシンメトリーだったしね。綺麗だったから一瞬タトゥかと思った」
 マカは動揺を上手く隠すように笑い、パティの朗らかな笑顔を頭に思い描いた。みんな色々ある。彼だけじゃなく、それは自分にさえ。
 「……パティもリズも、すぐおれを庇おうとする。何度言ってもダメなんだ、おれは死神だから多少の事じゃ参らないって何度説明しても、変化を解いておれの盾になろうとする……
 ほら、見てみろ。さっきお前を庇って20数メートル下の岩に叩きつけられた時、足の骨が折れたんだ。でももう治ってる。……そういう身体なんだ、多分半分に千切れたって時間をかければ元に戻るだろう」
 キッドがそう言って破れたズボンをずらして見せた。確かに彼が言うようにズボンには赤黒い血がべったりと張り付いていたが、その磁器を思わせるような白い肌には傷一つ無い。
 「ぎゃ!」
 「……すまん、やはり気持ち悪いな」
 両手を目の前で交差させるようにして視線を遮るマカの格好に、苦虫を噛み潰したような表情のキッドが、慌ててズボンを引き上げる。
 「違う!女の子の前で下着を見せるな!!」
 「――――――こ、これは失礼……」
 「キッドくんて本当なんつーかズレてるよね!」
 デリカシーが無い!とプリプリ怒るマカに、骨がズボンを突き破るような大怪我が縫合しただけで3・4時間の後に完治する奇妙奇怪に恐れおののくよりも、下着を露出させることに重点を置くお前も大概ズレてるぞと思ったが、キッドは何も言わなかった。



『ただ、夢と憧れのみ』

 「あ、おねーちゃん!起きたよ!ソウル起きた!」
 「じゃあこれ先に飲めよ。アタシはまた入れるから」
 耳に付く姉妹のかしましい声にソウルは少し眉をゆがめる。全身が痛い。そして何よりも身体がビックリするほど冷えていた。
 「……どうしたんだっけ、俺……」
 「あー、起きるな。頭打ってんだからお前」
 リズに制され、パティの手でゆっくり柔らかい枕に再び埋もれさせられる。もちろんこの場合の枕というのは、パティの膝枕を指すわけだが、ソウルがソレに気付くのはもうしばらく後だ。
 「あたま?」
 「そーだよ。お前マカが撃たれたとき変化解いて庇ったろ。ギリギリ武器状態の時に当たったから良かったような物の……ああゆうことすんなよな、マジで死ぬぞ」
 眉をひそめてまるで教師のような口調でリズが説教をする。
 「……ヘッ、丸腰同然のキッド庇う為に囮になって撃たれたお姉ちゃんには敵わんさ」
 だが、彼女の主人のように素直な性格でないソウルはすぐに反論した。
 「ギヒヒ、またメンドクサイ弟が増えちまったなァ?」
 怖い顔を作りながらリズの渡すステンレスのマグカップを受け取り、ソウルはそこに立つ湯気にほうと胸を撫で下ろす。
 「で、結局どうなったの?」
 「あのままさ。キッドとマカは谷底。崖の頂上には殺人鬼がウロウロ。下敷きに丁度いい岩があったから穴掘ってそこで休憩中って状況」
 ぴしっと真っ直ぐ人差し指を立ててリズが足元を指差した。なるほど、地面は同じ色の岩がずっと続いている。
 「……掘るったって……道具は」
 「気絶してたソウルくん」
 リズがイタズラっぽくニィーっと笑って穴の側面に鍬を振り下ろすジェスチャをした。
 「……ヒデェ……あんまりだ……」
 「うそうそ!半分ぐらいはパティの乱射で土エグッたんだよ。パティそーゆーの得意だから」
 「で、どーやってその土を谷底に捨てたんですかねぇ」
 「アハハハハハハハ……ま、まぁ、ほら、緊急時だし?」
 こくりこくりとソウルの頭をひざに乗せたまま焚き火の前で舟をこぐパティの手からマグカップをとり、リズが口をつける。
 「悪いけどソウルのバッグ漁らせてもらったぜ。ったく、一泊二日の校外授業がとんだ旅行になっちまったなぁ」
 「校外授業こういうアクシデント多いからな。二日分の固形燃料と食料だけは欠かさねぇんだよ」
 ソウルは何だか褒められたようなむず痒い気持ちになって少し体の位置をずらし直した。
 「んでも、何でバッグ二つ持ってんの? まさかうちらの分まで用意してくれたんじゃねぇよな?」
 それぞれ二つずつの装備しか入っていなかったバッグの中身。リズはそれを疑問に思っていた。
 「片方はマカの分。あいつ面倒臭がって持ってかなかったんだ」
 「はは……スゲェなお前。おかんかよ」
 「それ、マカにも言われた」
 笑わせるつもりでした指摘にソウルが大袈裟に落ち込むので、リズは力なく笑って違う話題を探しふと出口附近に吹き込んでいる雪を見つける。
 「しかし猛吹雪だなぁ……一応L字には掘ったけど、もうちょい掘るかね?」
 「いや、あんまし動くと碌なことがない。体力回復が先決だ」
 「天気予報では明日の朝まで晴天っつう話だったんだけどな」
 「とかく山の天気は、って奴だろ。……それより何の装備も持たずに怪我して落ちてったマカとキッドが気になる」
 話題の変更に成功したことに気を良くし、リズはにやりと笑ってソウルをからかい始めた。キッドやパティの前では姉っぽく振る舞ってはいるが、実際リズは然程慎重でも良識家でもない。どちらかというとお調子者でへこたれ屋なのだ。
 「……キッドはついで、だろ?」
 「馬鹿言うな、キッドだって万能じゃねぇんだぞ」
 眉をひそめてムっとリズを睨み付けたソウルが見たのは、そんなリズの顔。
 「またまたぁー。ホントは二人っきりにすんのが腹立たしいくせにぃ」
 ほほほ、と指先で口の動きを隠しながらも、半目と指先に隠れないつり上がった口角がまるっきり上品さを欠いている。
 「……あのな、今はそういう場合じゃないだろ!マカ結構血ぃ出してたし、おれとの共鳴でキッドの体力だって相当削れてる筈なんだから」
 「そぉるくん」
 「あんだよ!」
 やけくそになってソウルが怒鳴り返すも、効果なし。年の昂という奴だろうか。
 「顔、赤いですよ?」
 「ほっとけえ!」
 ともすれば暴れ出すか拗ねて不貞寝し始めそうな寸前で、リズはすっとソウルの勢いを逸らした。キッドと付き合っているとこの手のチェンジアップは投げ慣れているようだ。
 「ま、冗談さておき、死神様に報告はしたからさ、そのうち救助がくるよ」
 急に真面目な話を振られて、怒りの置き場をどこにやればいいのかと調子を狂わされたソウルが不機嫌な声のまま穴の外で今も吹き荒ぶ雪嵐に意識を持って行った。
 「この吹雪で二人が参っちまうんじゃないか?」
 「マカの失血が深刻ならね。大丈夫、キッドちゃーんと医療キット持ってってるから」
 「体力回復はどうするんだよ?」
 「……そりゃあ、雪山のお約束だろう」
 「お約束?」
 「お肌とお肌で温めあわなくっチャ!」
 リズが白髪の少年に覆い被さったかと思うと、防寒ジャケットに隠された豊満なおっぱいを顔に乗っける。
 「――――――脳天気だなぁ」
 くぐもった呆れ声でソウルが冷静なままぼんやりしていることに少々プライドを刺激され、リズが不満たっぷりにブー垂れた。
 「なんだよぅ、取り乱せよぅ。つまんないじゃん〜」
 「そう何度も弄られて堪るか!」
 乱暴にリズの腕を解いて軽く突き放したソウルの顔が丸っきり平気のへいちゃらで、リズはさらにちょっぴりプライドが傷ついたが、あまり深追いしても仕方ないとまた話題を変える。
 「ま、誕生日にあげた両開きのジッポ気に入ってくれてるみたいだからさ、多分持ってるよ」
 「……ふうん、あれ、リズのプレゼントなのか」
 「パティと一緒に買ったんだ。……知ってんの?」
 「ああ。お気に入りらしいぜ。自慢されたことある」
 えへへ。照れた素振りでリズが後ろ頭を掻く。その仕草がちょっぴり可愛いなとソウルは頬を赤くした。どうもこの少年は直接的でキッチュなアピールよりも間接的でローテクなpublic relationsの方がグッとくるらしい。
 「シンメトリーのジッポなんかなくてさ。随分探した甲斐があるってモンだね」
 「でも子供のプレゼントにジッポってどーなのさお姉ちゃん」
 少し照れたことを隠そうとしてか、滅多に良識など翳さないソウルがお行儀のいい突っ込みを入れてみたが。
 「お前だって持ってるじゃん。ポッケの中で蓋の開け閉めすんの癖だろ」
 「う……」
 「お前らの年頃のオモチャってのは、ちょっと危険な香りがするくらいが丁度いいのさ」
 サラリとかわされて背中に軽めの一発を貰い、おまけに頭まで撫でられたような気分。何よりソウルが一番癪に障ったのは、軽くあしらわれたというのに腹が立つどころか締まりなく緩んでしまう自分の頬だった。



つづく

 

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