白黒飛行



『言葉が僕らを不自由にする』


 爆ぜる木片の音を聞きながら、マカは三度めの欠伸を噛み殺す。
 「今どれくらいかなぁ」
 「さぁな。作戦開始が6時キッカリだった。もう真夜中と仮定すればあれから6時間経ってる筈だ」
 いつもの行儀良さからすれば珍しく、キッドが胡坐をかいて丸めた背を少し伸ばしながら時計は持たない主義なので詳しい時間は解らん、と答えた。
 「お互い結構失血してるし……持つかなぁ、明け方まで」
 マカがゆっくり頭を振ってしぱしぱと二・三度まばたきをした。たかが瞬きに意識を確かにしなければならないことが彼女の体力を物語っている。
 「おれはともかく、マカが心配だな。もう寝ろ、火の番はおれがするから」
 「いーよ、コートまで貸してもらってるのに」
 「……何度も言わせるな、おれは死神なんだ。大したことじゃない」
 パチンと一際大きく木片が弾けた。その音に少しマカは怯み、少し呼吸を整えてから言う。
 「あら、死神だからって独りぼっちじゃ寂しいでしょう? 話し相手くらいなれるわ」
 「……勝手にしろ」
 「えーえー、勝手にするわよぅだ」
 べぇ、と舌を出したマカが珍しく子供っぽい仕草をするので、キッドは少し驚いた。彼女のパートナーが喧しいほどにクールクールと唱えることが、ある意味で彼女本来の姿を失わせているのだろうかと考える。ただし、それが善悪や可不可で断じれる種類の物かどうかキッドには解らない。
 「吹雪もひどくなってきた、無駄な体力を使う馬鹿がナンバーワンとは呆れ果てるな」
 無駄な思考を振り切るためにキッドは少し嫌味っぽい言葉を選んで雰囲気を律する。この癖をリズが嫌がる意味を何度か説明されたが、改める気にはなれなかった。何故ならば彼は攻撃するか避ける事でしか他人との距離の取り方を知らなかったから。
 「人の厚意を無碍にするよーな奴が息子だなんて死神様もご不幸ね」
 ムッとしたマカが言葉尻に噛みつくように返す。
 「父上は関係ないだろう!父上は!」
 「そっちこそガリ勉ナメんな!」
 二人しばし眉と鼻頭を顰めて睨み合っていたが、どちらともなくフッと力を抜いてそっぽを向いた。
 「……変わった奴だ」
 「お互い様よ」
 風の音、火の音、互いの呼吸と、それから夜の音。
 二人は黙って揺らめく焚き火を見つめている。赤色の彼女、赤色の彼、そして真っ暗闇と底冷えする気温。
 「なぁマカ」
 再び口火を切ったのはキッドだった。マカはその素直さに、二人きりだと妙に頑固なパートナーならこのくらいの小競り合いでも意地を張って一時間は黙ってんのになと思いながら応える。
 「なに?」
 「ソウルの傷はどうだ?」
 思わずマカがきょとんとする。まさか思考が漏れでもしたのかと退廃的な考えさえ頭をよぎった。
 「……傷? ああ、胸のアレか。もう完治してるよ、そんなん」
 パタパタと手を振りながら何をいまさら、とマカが笑った。
 「じゃなくて、どう思ってる? 自分の為に武器が傷付くのを、おれは快く思っていない」
 その笑い顔を気にも留めず、キッドが低く揺れない声でもう一度訊ねた。まるで秘密を告白するかのように。
 「……まぁね。武器の授業って一度だけ見学した事あるの。職人よりずっとシビアなこと言われてるんだね。アレ聞いてさ、なんかもっと強くなんなきゃって思った。
 職人って基本普通の人間じゃん、刺されれば死ぬし、ちょっと小突かれりゃ脳震盪起こす。弱い者だから守って、守って、己が身に変えても守り抜けってさ、まるで宗教みたいに言い聞かすんだよ。……あれさ、何とかなんないの。まるで武器なら死んでもいいみたいに聞こえちゃう」
 キッドの立場上、口外すべきではない心情の吐露にマカは少なからず心を打たれた。お互い優等生である自分を誇らしく思っていると公言している人間なので、他人に本心や弱みを見せづらいことを解っていたから。
 だからマカはキッドの真摯に応えるべく、死武専の優等生が口に出すべきではないシステムに苦言を呈した。普段、特に学校内では憚られる話題を。
 「……武器は基本的に武器形態になってさえいれば致命傷になりにくい。だから土壇場で職人を見捨てる武器が出ないように、ああいう教育をしてるんだそうだ。おれだって何度も掛け合ったよ。
 だからおれが死武専を任された時、変えてやるんだ。武器も、職人も、平等に尊く大切な命だと」
 いつの間にかそっぽを向いていた二人が互いの目を見据え、意見をたたかわせている。小さな諍いよりも優先してしかるべきものを取り違えないからこそ、二人は優等生と呼ばれるのだろう。“会話するときは相手の目を見て”というマナーさえ美しい。
 「……うん、それは、楽しみ、だね」
 厳しかった顔を緩ませ、マカは毅然と言い切るキッドの強さを好ましく思う。さすが次期死神だと内心拍手さえ送っていた。
 「そう言えばリズもパティもおれを庇うな。死武専で教育を受けた訳じゃないのに……」
 ポロリと出た彼のパートナー姉妹の名。
 「……それは、エート、そのぅ……」
 マカは言いよどむ。その理由を薄々知ってはいるが、己の口から出す訳にもいかない。何せ厳しい緘口令が敷かれているのだ。よしんばそんな物がなかろうと、マカは色恋沙汰を異性相手の話題と出来るほど明朗な性質でもないのだが。
 「なんだ? 理由を知っているのか?」
 キッドがマカの挙動不審に突っ込みを入れる。こうなれば何も知らぬ存ぜぬと言ったところでキッドが承知しない事は誰の目にも明らかだった。
 「だ、だってそうじゃん!逆の立場だってみ? キッドくんだって二人を身を呈して庇うでしょ? それと同じ!魂の波長が合うくらい気が合う友達を助けたいと思うのは誰しも一緒じゃん!?」
 こうなってはもう力技で押し切るしかないと、マカは怒涛の勢いで持論を捲くし立てる。人は後ろめたいと饒舌になるものだ。
 「いや、しかし、おれは死神で……」
 「そんなの関係ない!目の前で傷付く友達を守りたいって気持ちに打算なんてないの!」
 「そ、そうか」
 「そうよ!そうなのよ!わかる? 友情よ!親愛よ!自己犠牲の心なの!」
 「わ、わかったから落ち着けマカ、傷が開く」
 はー、はー、と息を切らせながら大熱弁を揮うマカをキッドがどうどうと宥める。どうやら彼女の逆鱗に触れたようだとキッドは首を竦めた。学業成績や職人としての能力は高い二人だが、人の心の機微……特に色恋に関する……には特別に疎いようだった。



『この世の全ては愛か、嘘』

 火を見ている。ずっと揺れる火を見ている。
 「んじゃ、アタシちょっと寝かせてもらうわ」
 赤々と燃える炎が闇を揺らす様を見ている。
 「あいよー」
 少年は瞬きにさえ疲れたような顔で、それでも目を逸らさず少し小さくなった焚き火を見ていた。
 「吹雪止みそうだったらすぐ起こせよ。あと火ィ気をつけてな」
 「りょーかい!オヤスミー」
 リズが壁にもたれてあっという間に寝息が聞こえる。若い女にあるまじき特技だが、トンプソン姉妹は安全な場所で背中が守られていると、どこぞの天才的な射撃能力を持っている小学生みたいなスピードで夢の中に行ける。拳銃使いというのは皆ああなのだろうか? とソウルは思った。
 「ソウルも寝なよ、火の番しといてやっから。いつ動くか分かんないんだから休める時に休んどかないと後キツイよ?」
 焚き火にぽいぽいと固形燃料のブロックを投げ込みながらパティがバッグから干し肉を引張り出して串に刺した。簡易カトラリーセットまで携帯しているソウルの用意周到さに呆れ果てながら。
 「なぁパティ」
 「あん?」
 程よく温まり焦げ目のついた干し肉をしがみつつ、パティがステンレスのコップに雪を詰め込んで粉末スープの袋の端をつまんで振っているのをぼんやり見ていたソウルが声を上げた。
 パティは随分黙りこくっていたソウルが眠ったのだと思っていたので、慌てて咥えていた干し肉を口の中に隠す。
 「お前らって、死武専入る前、どういう任務してたの」
 唐突にソウルが低い声で言った。
 パティはそれに少し眉を顰め、姉の方を窺う。すやすやと寝息が聞こえて、何故かほっとした。
 「はー? 何急にマジモード入ってんだお前」
 面倒なことを訊くんじゃないと内心ムッとしたが、それはソウルが持っているであろう自分のキャラクターにそぐわないとでも思ったのか、素っ頓狂な声を上げてゲラゲラと笑って透かした。
 「言える範囲でいいよ。キッドは何をやってたんだ?」
 だがソウルはパティの業とらしい笑い声には乗らず、もう一度同じ調子で訊ねた。
 彼女はああ本当にガキは面倒なことに頭を突っ込むのが好きだなと舌打ちし、いつものやり方で煙に巻こうとまた突飛なセリフを口に出そうとして、やめた。
 ソウルがじっとこちらを窺っていたから。
 基本的にパティは嘘をつくのが下手だ。キッドにまでお前はすぐ顔に出るな、と言われてからというもの、努めて笑うようにしている。嘘をつくのは下手でも、紛らわしたり逸らしたりかわしたりするのは得意な方だったので。
 「……あのな、あたしたちって基本的に今でも死神様の直轄部隊なの。守秘義務っつうのがあってねェ……言えるワケねーだろバカが!」
 「じゃあ聞き方変えるよ。今回の任務って、殺人鬼の魂の回収じゃないだろ」
 「…………言えないね」
 「あの廃墟はどう見たって大勢の人間を養っていける立地条件じゃない。なのにあの人数だ。マカが言ってたぞ、皆普通の人間ばっかりだって」
 「しらね。あたしバカだからわかんね」
 パティはアホの癖に妙な頭の回転披露してんじゃねーよと頭の中で罵りながら、フンと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。表情から何かを伺い知られるのが恐ろしかったのだろう。
 「数人はいたよ、悪人っぽいのがな。でもリスト入りするレベルのじゃない。……子供も居た。あいつら一体なんだ?」
 固形燃料が燃える独特の匂いと、燃料を包んでいた油紙から染み出した蝋の焦げる匂いが……いつもなら気にも留めないそんな匂いが……ひどく鼻につく。轟々と聞こえている雪嵐の猛威さえようやく思い出したかのように二人の耳に届いた。
 パティは逡巡する。どの道このバカに例え何であろうとも喋る権限は自分にないし、その気もない。だからと言って上手く逸らす自信も気力もすでになかった。ではどうすればいいのか。では何が正解なのか。
 ソウルの疑問は死武専生ならば誰しも一度は持つものだ。そして死武専のシステムの中に居る限り、あっという間に押し流されてしまう。
 『自分のしていることは正義と呼べるものなのか?』
 『一体誰が何の根拠で悪人と認定しているのか?』
 『神でもない只の子供が人を殺して許されるのか?』
 パティは死武専に入る前に殺人を犯したことがある。正当防衛であったとは言え、人を殺したことは事実だ。一度目は訳の分らぬまま、二度目は恐怖に巻かれ、三度目はまたかと引き金を引いた。人の命が軽いものだとは思わなかったが、重いものだとも思えなかった。それでなくてもストリートでは飢えや寒さや暴力で死ぬ人間は多かったから。
 「ソウル、世の中には知らなくていいことって多いぜ? ちょいと首を突っ込んで済む世界ばっかじゃない。目を閉じて耳を塞いでな、お子様はまだ知らなくていいんだよ」
 ゆっくり呼吸を吐き、吸い、彼女は出来る限りの静かな声を出してそう言った。パティらしくもなく諭すような神妙さを乗せて。
 「俺はキッドと共鳴したんだ!わかってんだよ!」
 武者震いに似た惧れに揺さぶられ、ソウルが精一杯魂を荒げて叫んだ。いつもならばパートナーに何ビビってんのよ、と蹴りを入れられそうな声で。
 それが、恐怖と畏まりと失望の入り混じった魂の振動という名の感情が、パティにも伝わったのだろう。観念したように彼女は深い深いため息を吐きながら唸ってしまった。
 「――――――だからあたし達以外と共鳴しちゃダメだってあれほど言ったのに」
 「じゃあ、ほんとに、魔女を信仰する狂信者の総本山の拠点壊滅って……!」
 嘘が吐けないなんて、お互い様だよキッドくん。パティの独り言がぼそぼそ砕ける。
 「なんで、そんな、地域信仰だろ? 魔女信仰なんてさ、人間にどうこうできるようなモンじゃないのに……!」
 パティの呟きが聞こえているのかいないのか、ソウルは熱っぽく、それでいて何かに脅えたままの口調でいくつもいくつも質問を続ける。自分でも恐ろしい事を口に出している自覚があるのだ。
 「人間にだって魔女を隠したり協力したりは出来る。もっと言えば人間の世界に魔女の行動原理が入り込んだんじゃ、人間の世界がむちゃくちゃになるでしょ? キッドくんだって出来れば穏便にしたかったよ。首謀者と悪人の魂刈り取って、警告だけで済ませたかったに決まってるんだ。
 でもあいつらはキッドくんの姿見ただけで撃って来た。マカなんかフツーの女の子にしか見えないのに、鎌持ってるってだけで的にされた。……人間ってそーゆーもんなんだよ」
 人間なんて、と言ってしまってから、パティは自分の殺した人間の顔をはっきりとは覚えていないことを思い出した。一人目は確か薬の売人で、次は強姦魔、最後はよく覚えていないが多分こちらに銃を向けられたのだったと思う。
 人は人を簡単に殺す。それがいいとか悪いとかはない。そういうもんなのだ。互いに否定し合い、この世界は成り立っている。
 「でも、だって、そんな……何も知らない子供だって居るんだぞ!」
 ソウルは名家と呼べる場所で生まれ育った。人の生き死にについて深く考えるチャンスもなく、死武専にやってきた。そしてパートナーは滅法才厚い学年トップの最優秀生で、最初の魂を刈り取る時でさえ、これは正義で自分は褒められるべき事をしているのだと信じて疑わず、自分の能力に酔ってさえ居た。
 だが何時の頃からか彼自身も知らぬうちに生まれた疑念が、今殻を破り外に出たのだろう。
 『人を殺す権利などこの世に存在するのか?』
 自分の中で何度も「死神様が存在するのだから」「神様は間違わないはずだから」と、呪文のように唱え続ける度に、何故死神にならば、人を超越した存在にならば絶対性が在ると言えるのかと頭の隅が疼いた。
 人間は神の駒でしかないというのか、と。
 「……そういう子は、死武専に引き取られると思う。親がどうなるかは、死神様の胸先三寸だね。あたし達が考えるような事じゃない」
 ブラックスターのように、と胸の中でパティが付け加えた。明るくて強引で努力マニアな友達の顔を思い描き、俺の過去を知ってるのは死武専の教師共の他には椿とマカとお前だけだ、と笑ったことを思い出した。
 パティが重く沈んで黙り込んだソウルに声をかけると、少年はびくっと震えてこちらを向いた。恐怖の根拠が明確化し、これから起こる惨劇が目の前に広がったのかも知れない。
 「この地域から40人も50人も急に消えてみろ、大騒ぎになるぞ!」
 「死武専の痕跡は一切残さない。プロなんだよ、こっちは」
 「じゃあ、じゃあ……お前らの罪悪感って、どうするんだよ……!」
 そして自分の感じているこの恐怖は一体何のために存在するのだ、神の使いの善行に恐怖など必要ないはずじゃないか。ソウルはそれを口に出すことはせず、ただ薄く唇を噛んで瞼を閉じる。
 「それこそ愚問。死武専はそんな甘い組織じゃないのさ」
 いつの間にやら湯になったステンレスのマグカップの中身に粉スープを開けて、パティが干し肉を刺していた串でぐるぐるとかき混ぜた。コンソメの良い匂いが漂って、ソウルは何故か背筋が寒くなる。
 「……お前ら三人、いっつもこんなことしてんのか……!」
 「まぁね。ふつうはアンタらなんか絶対連れてかないんだけど……キッドくん調子に乗っちゃったから。マカにいい格好見せたかったんだしょ。ホント、バカな子だにー。人間と死神の寿命がどれだけ違うか自分が一番良く知ってるくせにサ」
 スープを啜る音が響いて、少し静かになった。吹雪が少し治まってきているらしかった。
 「……やっぱ、そうなのか」
 静かにソウルが切り出した。破綻しかけた頭の中にさらに大きな雪崩がやって来たような気分で。
 「そーなんですよ川崎さん」
 パティが古いワイドショー・レポーターの口真似で軽く答える。ソウルの行き詰った目先を変える為に大きな爆弾を放り込むことに罪悪感はあったが、他に彼を揺さぶる術を思いつかなかった。
 「クソ!」
 顔を顰め、吐き捨てるようにソウルの荒々しい舌打ちにも似たセリフ。パティは少なからず自分のボケに突っ込みが入ることを期待していたが、どうも本気でマカにすっかりヤラれているらしいソウルはそんな気も回らないようだ。
 「――――――譲ってくれるの? アホの死神に」
 「知るか!俺のじゃねぇよ!」
 小首を傾げてパティが訊ねたが、ソウルはその珍しく優しげな笑顔を気に掛ける余裕もない。
 「……辛いねぇ、ぼくちゃん」
 「うっせぇ、だまれ」
 身を縮めるようにして下を向いてしまったソウルの肩を抱き、パティは自慢のおっぱいを精一杯くっつけて何度も何度も白髪頭を撫でた。
 「お姉ちゃんが慰めてあげよっか?」
 「うるせぇ、触んな!」
 「おお、よしよし〜」
 心なしかしんなりとしてしまった白いツンツン髪に頬ずりしながら、そんなこと言わずに慰めさせてよとパティは自分でも気付かぬほど小さな声で呟く。



『これが夢ならすべてが夢だ』

 うつら、うつらとマカが舟を漕ぎ始めた。その度にはっと目を覚ましてかぶりを振っている。
 「マカ、火の番だか、交代なら文句は無いだろう? レディファーストだ、3時間ほど経ったら起こすから」
 キッドが手にした枝で焚き火を無為にかき混ぜた。ヒチヒチと白い灰を携えた炭が燃える音が心地よい。
 「いいいい、いい、まあ大丈ブ」
 「呂律がおかしいぞ。いいから寝てろというのに。薪もそれなりにある。心配ない」
 マカが目を覚ました頃は小山のように堆く積み上げられていた小枝は、半分以上がすっかり灰になって消えていた。キッドはそもそもアウトドア派ではないので、薪の選別の仕方を間違えているのだ。サバイバル知識が豊富なブラックスターやトンプソン姉妹であれば、枝を拾う暇があれば立ち枯れた老木でも引きずってきただろうに。
 「れも、れも、キッドくんだって足折れて、血が」
 マカが着ているのはトレードマークの黒コートを散々ソウルに言い聞かされて渋々赤いダッフルに変え、リズに押し付けられた断熱ショールとそれでもまだ駄目だとパティのスキーウエアを無理やり着せられているだけで、足はタイツ一枚穿いているだけでいつものチェック柄のミニスカートという有様なのだ。失血が多く、唯でさえ体力のないマカにとって、容赦なく体温を奪う気温はじっとしているだけでも生気を蝕んでゆく天敵であった。
 「甘く見るなよ人間如きが。おれは神だぞ、黙って言う事をきけ!」
 キッドは自分の身分や特異性を振り翳すことを嫌う。父の権威や死神というブランドを口にすることさえ躊躇うほどに。魂を統括する父親を尊敬しているし、自分が将来就くであろう死神の仕事を疎んじたことなどない彼であったが、特別扱いをされることはあまり好きでなかった。
 特別というレッテルは彼を孤独にし、彼を見る者の目を曇らせたから。
 「……か、神様がそーゆーなら、まあ、寝てあげない事もない」
 仲間内でそんなことは口にせずとも周知であった為、キッドが己を神であるとを強調したのを機にマカはそろそろ痺れを切らしていると引き際を見極めた。
 実際自分の体力が限界であったのも事実だ、ここは大人しくお言葉に甘えよう。
 「まったく、世話を焼かせる」
 溜息をついたキッドにスヌスヌと近づくマカ。何事かと身構えるキッド。
 「そん代わり、膝、貸してね」
 ニッコリ笑ったマカがぼろぼろになったキッドのズボンの破れた部分に手を掛ける。
 「……な、な、なんで!」
 あまりの展開にキッドは思わず悲鳴を上げ、大きく身を引く。
 「寒いもん。ソウルは貸してくれるよ?」
 もちろんそんな物を許すマカではないし、腰抜けを逃がさず捕まえるのはマカにとって朝飯前の日常だったから、哀れな迷える黒子羊はあっさり進行方向を防がれてしまった。
 「そ、そりゃそうだろうよ!ソウルお前の……」
 心臓が止まるかと思った。言ってはいけない台詞が唇の裏まで出掛かっていたから。
 「ブ、武器だもの」
 なんとか上手く空気を繋ぎ合わせて見栄えのするセリフに成型した少年の苦心など、少女には蟻の足踏みにも足りない。
 「じゃあ、今だけキッドくんが私の武器ね。職人が凍死しないようにキリキリ温めンのよ」
 キッドの膝に温かいマカの身体の重さが加わった。寒さで痺れていた肌がビリビリ熱を持って騒ぎ出している。
 「……ほらぁ、やっぱ、キッドくんの身体も冷たくなってる、じゃ、ら、い、よ……」
 すう、と寝息が聞こえる。よほど体力の消耗が激しかったのだろう。マカがあっという間に意識を失って、ただ一人残るのは顔の赤いキッドだけ。
 「ソウル、お前よくこんなこと好きな女にされて我慢してるな」
 傷だらけのマカの足に自分のコートを掛け直す。そこら中に穴の開いている紺のタイツ。肌と赤い血のコントラスト、タイツの濃い色と白い太ももの明るさ。……目の毒だとキッドは独りごちた。
 「…………寝ていれば文句なしで美少女なのだがな」
 ベージュの髪はサラサラで、ごわごわの手袋の上でもツルンと逃げる。ぱたりと落ちたマカの腕を、上半身ごと自分の身体の上に引っ張り上げた。抱き合う力の通わないマカの身体は軽い。
 「服に血が付くかな」
 一瞬、キッドはそう思ったが、とろんとした目はそれ以上持ち上がることは無かった。

 それからどれだけ時間が経過しただろう。
 すう、すう。
 耳元で聞こえる寝息がなんだかいつもと違うような気がして、マカは瞼を持ち上げる。
 「……ソウル……じゃない……………………。
 髪黒い……………誰だこれ……………椿ちゃん……にしては……短い……」
 ぎょ!っとマカは自分が組み敷いている人間が誰だか悟った瞬間、飛び退こうとした。が、腕がガッチリ固まっているのか、それは叶わなかった。
 「ギャー!ちょちょちょと!ちょっとキッドくん!何やってんだテメー!」
 泡食ったマカがキッドの耳元で騒ぎ立てる。キッドは完全に熟睡でもしているのか、反応すらしない。
 「離せ!こら!もう!ちょっと!エッチ!ばか!んもー!キッドくんったら!」
 ぜぇぜぇ息を切らしながらマカがジタバタ暴れるのを諦めた。肩と手に力が入らない以上、この腕を解くのは至難の業と理解したのだろう。
 「し、死武専の男の子ってなんでこう女の子触るのに抵抗が無いの!?」
 八つ当たりもいいとこの叫び声を最後に、マカは全身の力を抜く。死神の少年の身体はぽかぽかと暖かく、まるで布団の中のような居心地の良さだ。冷たい岩肌に向かう自分の顔が何故か熱い、とマカは思った。
 もぞもぞと身体を動かし、ズキズキと痛むはずの両腕を折りたたんでキッドの胸に添わせる。すると不思議な事に痛みが小さくなるのだ。
 「……すげーな神様……地面冷たくないのかな」
 眠るキッドはコートをマカに被せて、自分は薄手の防寒服だけという雪山にあるまじき格好で極寒の地面で幸せそうにすいよすいよと寝息を立てている。
 「あ、薪……消えちゃう……」
 それを思ったとき、マカの意識は再び柔らかく温かな漆黒へ還った。

 そしてそれからまた幾ばくかの時間が経過して。
 すう、すう。
 耳元で聞こえる寝息がなんだかいつもと違うような気がして、キッドは瞼を持ち上げる。
 「……パティ、苦しい……また潜り込んだのか……いい加減リズに仕置きさ…れ………」
 そこまで言って、キッドははっと思い出した。
 ここは死刑台屋敷の自分の部屋ではないし、いくらパティが傍若無人でも、普段自分のベッドにまでもぐりこんでくるほどファニーじゃないことに。
 「ッ!!!」
 一気に目が覚めた。心臓がバクバクと高鳴る。じゃあ、この、力一杯抱きしめてるのは……!
 そろっと眼球を下に向ける。そこにあるのは彼の大好きなシンメトリーの二つ括り。
 血の気が失せる、というのはこういう事を言うのだろうな。混乱するキッドの頭の隅っこで冷静な誰かがそんなこと言った。
 ゆっくりと固まった腕から力を抜いて、細い腰を持ち上げる。意識の無い人間の重さは説得力があったけれど、キッドはせめてややこしい場所に触れないようにとそればかりを考えていた。ようやくマカの身体を自分の隣りに横たえて一息付いた時、どっと汗が出た。死神と言えど新陳代謝は普通の人間とさほど変わらないようだ。
 「そ、ソウルにぶっ殺されるところだった」
 白髪で目つきの悪いヒネクレ屋が瞼の裏で舌打ちをしたような気がする。キッドはどうしょうも無いほど高ぶる胸の鼓動を押さえ込むのに必死だ。
 「な、なんでこう、死武専の女と言うのはどいつもこいつも危機感が無いんだ!」
 父上の教育は間違っている!と八つ当たりに近い悲鳴を上げたキッドがちらりと視線を走らせる。マカは幸せそうな顔でこちらの気苦労も知らずに夢の住人だ。
 ほう、とため息をついて、キッドはようやく足元の薪から細い煙が立っているのに気付いた。
 「……む、随分眠っていたらしい」
 ポケットからライターを取り出し、薪に火を点そうとして、その手が止まった。
 「…………ジッポの鏡面は使えないかな」
 キッドは死神である。本来であるならば鏡通信など使う事無く父親とコンタクトを取る事など造作も無い。だが、狭い横穴で身を屈めたままでは魔方陣を呼び出す為の印すら結べない。かといってこの猛吹雪の中では立っていられるかどうかも怪しいものだ。
 「42、42、564、と」
 ジッポの鏡面がぼよん、ぼよんと輝き歪んで……それだけだった。
 「……やはりダメか……」
 これからは緊急医療キットだけじゃなく、キッチリカッチリ鏡も携帯しよう、という思いを胸にキッドはジッポで薪に火をつけた。
 「――――――鏡……」
 ふと顔を上げる。キッドはリズの言葉を思い出していた。女の子というものは身だしなみを、例え地獄の底だろうと整えずには居られないのだ!という、テスト前の言い訳を。
 そうだ、マカだって女の子だ。きっとリズと同じようにコンパクトを持っているはず。よしんば任務に必要ないものを携帯しない優等生だとしても、緊急連絡用の鏡は持っているのではなかろうか。
 キッドはある種の確信を持ち、マカの体にかけてある自分のコートを剥ぎ取った。
 横たわる赤いコートを着た小さな女の子。所々に血が付いている。足には無数の傷跡。だから雪山にスカートはやめろとあれほどソウルが言っていたのに。
 ため息一つ付いて、マカのコートに手を掛ける。ダッフルコート。かじかんでいる訳でもないのに、キッドの指が上手く動かない。じれったくてイライラする。
 コートの前合わせが解けた。その下の断熱ショールの結び目も解いて、防寒服のチャックを開ける。嫌に耳に付く金属の擦れる音。じじじじじじじ。
 ようやくパティのスキーウェアの胸元が開いて、桃色の厚手のトレーナーが現れた。確かいつも彼女はここの胸ポケットから小物を出す。キッドは妙な事を覚えている自分に苦笑したが、まあそれはともかく鏡だ、と手を突っ込んで、息が止まった。
 グリーンの大きくキュートな瞳がパッチリと開いて彼に訊ねたから。
 「……キッドくん、この所業は一体?」
 数千、数万、数億の言い訳が頭の中を過ぎると言う滅多にない体験を満喫しているキッドは当然出す言葉などない。脂汗をだらだら流しながら空気の潰れる音を喉の奥から搾り出すだけだ。
 「マカチョップ? それとも魔女狩り? 大サービスで金的ってぇのもありますわよぅ?」
 おほほほほほほ。マカの顔がどんどんにこやかになってゆく。
 キッドは薄れゆく意識の中で、やっぱりすげぇなソウルと、どーでもいい事を考えていた。



つづく

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送