暗い空



『 クロナ 』


 ひゅうひゅう風が鳴いている。
 一面銀世界で、きっと本来は原っぱなんだろう。
 遠くに木々がまばらにあって、寒い。
 空には大きな雲が重く広がっているから、太陽の姿が見えない。
 ただ光だけが雲の向こう側から広がって見えた。
 「……ずいぶん何にもねーとこだな」
 ラグナロクがぽつりとそう言った後は風の鳴く音だけ。
 灰色の雲は今にも氷のつぶてを吹き出しそうで、死神様が貸してくれたマフラーが靡いた。
 ふと下を見ると影が白銀の地面に落ちていて、その薄い自分を証明するものの形に怯える。
 やせっぽちの人間の形に、大きなこうもりに似た羽。
 まるで悪魔だな。
 一人ごちて僕は羽をしまう。
 「ラグナロク、休んでていいよ。あとは僕が歩いて探すから」
 それだけ言って足を上げた。
 踏みしめる白は新雪で無いらしく、幾分歩きやすかった。
 ギュッギュと鳴る靴の下の感触が少し気持ち悪い。
 生き物を踏んでいるような。
 ……たまらない。
 顔を上げて死神様に渡された鞄から地図を出した。間違いなくこのポイントが最後の通信場所として記されている。
 キッドはこんな何も無い場所で一体何をしていたのだろう。
 ふとそんなことを思って回りを見回してみた。
 やはり、何も見当たらない。
 山里ですらない、この辺境の地に何を思って降り立ったのだろう。
 口から吐く真っ白な息が風にさらわれて、キラキラ光っている。
 もう数時間もすれば日が暮れるだろう。そうなっては自分自身が遭難する可能性がある。ミイラ取りがなんとやら、なんて洒落にもならない。本格的な探索は明日しよう。
 明日またこの場所に来る為に血でマークをして、手近をぐるりと見て回るだけにすることにした。
 サクサク鳴る足跡をじっと見つめながら、僕は歩く。
 薄い太陽。
 悲鳴のような風の音。
 冷たく凍える自分の身体。
 それでも僕は生きていて、それでも僕は歩いている。
 たった一人だけれども。
 雪の上に影が一つ。
 白い草原にさらさら風が粉雪を舞わせる。
 踏む明るい灰色。
 これは人だ。
 僕が殺してきた、人だ。
 事も無げに、感情もなく、ただ従う為だけに、殺めてきた人だ。
 血を流し、悲鳴をあげ、懇願した、人だ。
 僕はその人たちの亡骸を踏みしめて歩いている。
 生きて、寒い思いが出来るこの身体で。
 辛いと感じられる、この魂で。
 涙の流せる、この心で。
 僕は歩くのをやめちゃいけない。考えをとめちゃいけない。懺悔を終わらせちゃいけない。
 マカが優しくしてくれるんだ。
 ソウルが許してくれたんだ。
 空洞の僕を、弱虫な僕が、取り返しが付かない僕に、ここに居ていいって、言ってくれた。
 居なさい、じゃなくて。
 僕はその意味を考えなくちゃいけない。
 たった一人で、考えなくちゃいけない。
 償う意味を。生きる理由を。罰の重さを。
 「おいクロナ、これ以上暗くなったら飛べなくなるぞ」
 不意にラグナロクが声を上げたので、僕は翼を広げて舞い上がる。雪が降り出していた。
 「ラグナロク、さっきの街まで戻ろう。明日もう一度探索して、死神様の指示を仰がなきゃ」
 くるりと輪を描いて、もと来た方面に進路を取った。
 白銀の世界が俯瞰図になる。
 僕はじっと目を凝らし、雪原を見た。
 何故そんなことをしたのか自分でも良く解らない。
 自分の足跡を見ようとしたのだったか。
 真っ白のシーツのような世界の片隅に、ぽつんと黒いしみがあった。
 動物か何かかと焦点を合わせ、吹き荒ぶ雪の隙間に神経を集中させる。
 何かがはためいている。
 黒い布だろうか。
 旗のようにも、農業用の道具にも見える。
 「……ねえラグナロク、アレなんだと思う」
 「ゴミ袋かなんかだろ。おい、吹雪いてきた、飛べなくなる。早く帰るぞ」
 「ちょっと確かめたいんだけど」
 「冗談だろあんな遠いの!二・三キロ先だぜ!」
 「でも気になるんだ」
 「帰れなくなるぞ!」
 「お願いちょっとだけ!」
 荒野。
 雪の広野。
 そこにぽつんと黒いしみ。
 僕は羽を強引に動かす。ラグナロクが根負けしたのか手伝ってくれた。
 雪が顔にかかる。
 そうだ、こんなに雪が降っているのにあのしみだけはクッキリ浮き出て白の世界に馴染まない。
 「キッド!」
 「キッド!」
 「キッド!」
 僕は三度名前を呼んだ。
 黒いシミは動かない。
 「返事して!お願い!生きてるんでしょ!」
 自分でもおかしな声のかけ方だな、と思った。死神が凍えて死んだりするものか。
 風は強くなり、雪は重さを増している。
 もう半分以上飛んでいるのに、近づけば近づくほど見えなくなる有様だ。
 ごうごうと唸り声を上げる風は僕の身体を、ラグナロクの羽を弄んで、キリキリ舞いさせた。
 「おいバカなことをするな!返事ねぇってことはありゃゴミだ!帰るぞ!」
 「でも、でも……!」
 「死神にそんな義理ねぇだろ!」
 「でも……!待ってるかもしれないじゃないか!誰かが来るのを!」
 僕は半分意地になって地面に降り、雪をこいで真っ黒のシミに向かった。
 息が上がる。雪ってこんなに重いのか。ひどい寒さに目が回りそう。
 霞む黒に向かって、僕は歩く。
 足を引きずり、両手を雪に沈めながら。
 「はぁはぁ、はぁ、はぁ……!」
 ようやくそれにたどり着いた頃、吹雪が少し弱まって雪がやんでいた。
 目の前にあるのは
 棒に絡まった、布だった。
 「……ホラ見てみろ馬鹿が。ゴミじゃねぇか!」
 「はぁ、はぁ、はぁ……」
 「お前ほんとアホだな!暗くて方向もわかんねぇ!悠長な自殺かこれ!」
 「はぁ、はぁ、はぁ……こ、これ、見覚えある」
 「あん?」
 「これ、キッドだ。キッドのコートだよ。死神様の着てるのと同じ生地だもの」
 振り返って擦れる声で叫んだ。
 「キィィィッドォォォォー!どこー!迎えに来たよぉぉぉぉ!」
 はぁ、はぁ、はぁ。息が切れる。心臓がばくばく鳴ってる。さっきより早く。
 「キーーーッドーーーー!」
 雪がやんで、でも風は吹いてて、太陽はもう沈んでしまっているのか、灰色の世界。
 水墨画のような薄墨の世界。ほんの少し、雪がちらついている。
 僕は何故、こんなにも必死なのだろう。
 ラグナロクが言うように、こんな危険を冒す意味なんてちっともありはしないはず。
 それが理解できるのに。
 「キッドー!キッドー!」
 風がいよいよ強く吹き始める。女の悲鳴のような虎落笛がそこここで鳴っていて、まるで地獄絵図。粉雪が舞い上がっては叩きつけられ、頬も指も冷たく痺れて氷みたく動かない。
 僕は金切り声を上げてフラフラ歩き出した。
 何故?
 そんなことは解らない。
 でも、僕はこうしなくちゃいけないんだという気がする。
 僕が踏みつけ、蹴散らしてきた雪の中に、まだ助かる誰かが居るのなら。
 「キッドー!」
 それで何かが変わるなんて思ってないけれど、でもせめて、でも少なくとも、僕に意味があるのら。
 「呼んだか?」
 背筋がゾッとして慌てて僕は振り向く。
 そこには薄いジャケットのポッケに両手を突っ込んだ全身真っ黒の死神が立っていた。
 「っ!」
 僕はそのケロッとした顔を見たとたん、その場に崩れ落ちてしまう。
 「ぎゃああああ!出たああああ!」
 「……顔を見て悲鳴とは随分な挨拶ではないか?」
 眉を顰め、端正な造形が歪む。鼻は赤くなってさえおらず、血色の良いかんばせは何の遜色も無い。
 「お、お、おばけ……じゃない……」
 「失礼な奴だな、死神に向かってお化けとは何事だ」
 かすれ声のまま腕をつかまれて、ひょいと立ち上がらされ、足元の雪を払われる。
 「……み、見つけた……ほらラグナロク!ね!ほら!居たでしょ!いた!僕見つけたよ!」
 「あーあー。解った解った。お前は偉いよハイハイ」
 「やったー!見つけたあ!!見つけたよ死神さまーっ!」
 僕はもう何だか嬉しくなりすぎて、天を仰いで万歳三唱しかねない勢いではしゃぎ回る脳味噌を、凍えて自由にならない身体がようやく抑えているといった調子だった。
 「……お前たちが何故ここに居るのかとか、このテンションの上がり方は何事なのかとか、まあ色々聞きたいことはあるが、とりあえず宿に行こう。ここは冷える」
 ぶるる、と身体を縮こまらせて、死神は歓喜の声を上げる僕にではなく肩に乗っているラグナロクに声をかける。
 「随分方向めちゃくちゃに飛んだからなぁ。この暗さで街までいけるかどうか」
 「……お前たち宿は?」
 「川辺りんとこにあった街に帰って取る」
 「この丘を越えたところに村あるが、そこじゃいかんのか?」
 肩越しにキッドが親指で彼の足跡の消えかかった丘の上を指した。



つづく

 

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