この作品を、親愛なる塩素画伯に贈る
暗い空
『 クロナ と 死神 』
「クロナ・ゴーゴン」
「ははははい!」
「きみを見込んで頼みがあるんだけどォ〜……聞いてくれちゃったりしなぁい?」
校長室、つまり死神の部屋に僕が呼ばれたのは土曜日の午後1時半。午前の授業は終了して、死武専は食堂に少し人が残ってるくらいで殆ど人が居ない。マカコンビとブラックスターコンビはタッグを組んで課外授業に出かけたので、月曜日まで机に向かう以外特にする事がないという日だった。
「きみ、確かかなり高速で移動できたよねぇ?」
背の高い死神が虚ろな仮面の穴の奥から僕を見下ろしてそんなことを尋ねたので、静かに頷く。
「ぶっちゃけここからノースカロライナまで行って帰ってくるのに何時間くらい掛かる?」
「の、ノースカロライナって……大西洋に面してる州の、ですか?」
「うん。アパラチアの山奥なんだけどー」
「な、何もせずに行って帰るだけなら……丸3日もあれば……」
「3日かぁ……3日、ねぇ……」
死神がぐんにょりと身体を横に曲げて渋い声を絞り出した。
「ラグナロクは魂を……その、お返しした後……かなり弱くなっちゃったから、多分僕の体重を長時間支えるのは難しいと思うんです。それにあのあたりは気温も低くて行動限界が……」
僕はかなり仕方なく、という風に自分の能力を制限した張本人に理由を説明する。別に嫌味でも知ったかぶりでもない。ただちょっとこの間の抜けた質問の意図を計りかねていた。
「……じゃあ帰りの体力を全然考えないで、行きだけに全力出してだと?」
「24時間は絶対に掛かります。飛びっぱなしで相当無理をして、ですけど」
「……うーん……なんとか10時間以内でつけない?」
「旅客機で行けば4〜5時間ですよ。僕は翼で飛ぶタイプなんで……ジェット機みたいに飛べるような推進力があれば別ですけど……あ、キッドならもしかして……」
ふと彼の息子のボード捌きが頭を過ぎり、名を出した。
「うん、いや――――――そのキッドを迎えに行かなきゃなんなくてさ」
死神はまたぐにゃりと、今度は反対側に身体を曲げて言う。
「……はい?」
「お使い行ったノースカロライナでなんかチンタラしてるらしくてさー。連絡が取れないんだよ。で、探しに行こうにも人手がちょっと足りなくてねぇ。頼まれてくれちゃったりしなァい?」
身体を曲げたまま、大きな角張った白い両手をすり合わせながらの懇願に、僕は当然面食らう。
「で、でも僕……そんなに早く飛べないし……それに……僕がし、死武専を出ていいんですか?」
「ダメだよ」
「へっ?」
なにを言ってるんだこの人は。……人じゃないけど。
「でも、きみが“こっそり行って誰にも見つからず帰ってくれば”出てないのと同じだよねぇ?」
仮面が更にまた微妙な角度で曲がって、ものすごい事を言い出した。おいおいおいおい規律と秩序はどうしたよ死武専の校長様!
「……え、ええー……?」
僕はもう死神の意図を推し量る事は無理だと諦めて、ただただ話を聞くことにした。策を弄するのは僕の分野じゃないし、もちろんメデューサ様みたくにこちらに意図があるワケじゃないから、舌戦をする必要も無い。
「もしくは“こっそり行って何食わぬ顔でキッドと帰ってくれば”言い訳は立つんだなーこれが。……うん、この際時間の方は不問にしちゃおう。月曜の授業出てないのはワタシが上手く誤魔化すから〜」
「で、でも、その……ト、トンプソン姉妹がよく思わないと思います。僕は部外者だし……」
何故だか僕はややこしい事になる、と咄嗟に思って断ろうとした。僕に良くしてくれる姉妹を口実に出すのは心苦しかったけれど、他に言い訳が思いつかなかった。もちろん彼女達が僕のことを不審に思っているなんて露ほども思ってもいない。念のため。
「うん、リズとパティが付いてってりゃワタシも心配しないんだけどサ。別件で出てるんだよ」
絶句。
他に接ぐ言葉が無い。
「ノースカロライナまで一切人目につかず行ける機動力、キッドを連れて帰れる親密性、不測の事態に対する柔軟度、コレを総合してきみが一番の適任かなーって。あ、あと口が堅いことね」
「口が堅い、ですか」
「そ。仮にも死神の息子が命令を無視してるなんてほかに漏れたらえらい事でしょ」
「う、うじゅぅ……」
これは困った。逃げ場所がない。ここまで情報を公開しているのならば、断れば何らかの制限が加えられるであろうし、何よりだんだん死神様が本当に困っているような気がしてきた。更に付け加えるのならば、武器も持たずに見知らぬ土地に派遣されたキッドが心配になってくる。
「内輪揉めに巻き込んじゃって御免してネ〜?」
駄目押しに死神様の声が本当にすまなさそうに萎みながら薄れていって、消える。
……さすが世界を牛耳る死武専の校長だなぁ、と僕はボンヤリする頭で思った。こちらに選択の余地を与えつつ、逃がす気なんてサラサラない。子供一人唆す為に、僕の気性まで考慮に入れて言葉を選んでいる。実に見事な話の導き方。
「でも僕、に、逃げるかもしれませんよ」
最後の悪あがきを無茶振りでしてみようと思ったのは、どこまでこの死神がレールを敷いているのかが単純に好奇心で知りたかっただけ。
「……えー。逃げちゃうわけぇ?」
まるで友達に時間だから家に帰ると言われた子供みたいな声を上げて死神様がブーイングをした。……ホントにこの人“あの”キッドの父親なのか?
「い、いえ、でもそういう可能性だってあるでしょう?」
「逃げたら誰がキッド迎えに行くのー。キッド向こうでピンチかもよ?」
「い、いや、だからそれは……」
この重要な場面でまさか情に訴えかけてくるとは思わなかったので、僕はすっかり調子を狂わされてやっぱり言葉が続かない。……こういう時は懲罰とか犯罪者認定とかそういう恐怖を質草に交渉するモンでしょ普通!
「死にかけてるかもー。一人で泣いてるかもー」
「……い、いきます……行けばいいんでしょ行けば……」
畳み掛ける言葉に僕はついに首を縦に振った。ここで断れるような性格じゃないと彼はきちんと見抜いている。聖職者としてはイカガナモノカとは思うが、教育技術としては称賛されるのかもしれない。
「ホントー?た〜すかっちゃうなぁ!ホントは親のワタシが行くべきなんだけどねー。ほら、ワタシここから動けないもんだからさ〜」
「………………。」
止めの一言に、僕は何だか全身の力がガクンと減ったような気すらした。
「じゃ、頼んだね。この地図に最後の通信ポイント印付けといたからヨロシク〜」
僕は地図と旅費の入った小さな鞄を力なく受け取り、校長室を後にしようとした。
「あ、クロナ!ちょいまち〜」
急に名前を呼ばれて振り向くと、手に淡い水色から淡い黄色にグラデーションしてゆくマフラーと白い耳当てを持った死神様が立っていて、僕の首に優しくマフラーをかけて結んだ。
「冬山は寒いからねェ、風邪を引かないように暖かくして行くんだよ」
耳当てと耳の間に噛んだ髪を不器用に引っ張りながらマントの下から子供用のコートを引っ張り出し、キッドので悪いけれど、と僕の肩にかけようとするので慌てて両手で制した。
「ありがとう死神様。でも、他のを着ちゃうと羽が出せないんです。……それにこの服は見た目よりとっても暖かくて、ラグナロクが調整してくれるから……だから……お気持ちだけ頂きます。マフラーと耳当て、お借りしますね」
それだけ言って深く頭を下げ、校長室を飛び出した。
何故だろうか、何故だろうか。
嬉しくて、哀しくて、胸がグラグラした。
居ても立ってもいられなくて、何度も袖で目尻を拭う。悔しい、悔しい。でも一体何が。
長い廊下を抜けてテラスまで登り、周りに誰も居ない事をよく確認してラグナロクの翼を大いに広げ、飛び立った。自己新の速さと強さで羽を動かす。弾丸のように真っ直ぐ東へ飛び出した僕は、しばらく無言でただただ必死にデスシティから離れる事だけを考えた。
白く流れる雲。
暖かく乾いた空気。
青い空にはばたく鳥。
それが全て煩わしくて。
「ほんとお前はマヌケだな。こりゃ能力限界の測量目的かもしれないぜ? 或いは信用度を試す人間性テストかもしれない。もしかしたら俺たちを始末する為の罠かも。体力を消耗させといて後ろからブッサーってよ!」
数十分だろうか、ずいぶん時間が経った頃にラグナロクがいつもの調子でチャチャを入れてくる。
「…………だったらちょっと悲しいね」
僕は一拍以上間を置いて、出来るだけ前を向いたまま声を出した。沈んだ言葉にしたくなかったから。
「〜〜〜〜あァーっ!今お前を殺したって死武専になんのメリットもねぇ!あのタヌキ死神はお前を殺すより生かして使う方がよっぽど有益だってちゃーんと知ってやがる!」
……ラグナロクが僕のホワイトナイトを買って出るなんて出来の悪いシャレみたいなことをするとは、よっぽど情けない声を出したかな?
「……死神様みたいなお父さんが欲しかったな、僕」
唐突に僕はそんなことを言った。
思いつきに似た突飛な台詞に、自分自身が一番驚く。
「アーホ!お前自分の母親をなんだと思ってんだ!?」
「単なる空想じゃないかぁ……」
呆れしかないような声でラグナロクが僕を罵り、僕は自分がそれを待っていることに気付いた。
「バカクセェ〜。頭おかしいんじゃねーの」
いつもなら千に万に言葉を重ねて僕を罵倒する筈の彼の勢いは何故か揮わず、期待していた力強い否定は齎されない。
僕はそれが残念なような、肩透かしのような、物足りないような、悲しいような気持ちがして、胸がストンと落ち込んでゆく。おかしいな、おかしいな、こんなこと、僕は真剣に思ってなかったはずなのに。
「誰かにマフラーをかけて貰える日が来るなんて、思ってもなかった」
こんなこと、僕の本心じゃない。こんなことが言いたいんじゃないのに。
「――――――クロナ、波長が乱れてるぞ」
ラグナロクは僕を愛してはくれない。なぜならば彼は僕で、僕は彼で。
「メデューサ様が僕を愛してくれたのなら――――――」
僕は彼ではなく、彼は僕じゃないからだ。
『鬼神にだってなったかもしれない』
結局、最後のみっともない呟きは口から出たのかどうなのか、よく分からない。
「上昇気流を捕まえる。黙って飛ぶ事に集中しろ」
ただ、ラグナロクが素っ気無くそう言ったのが聞こえたので、僕は深呼吸して目を閉じる。
つづく
|