マカは平日、朝の5時半に目を覚ましてランニングに出かける。 俺は玄関のドアが申し訳なさげに鳴るのをベッドの中で聞いている。 まぶたは大抵開けないで、そのまま二度寝を決め込む。時々ブレアが面倒くさそうに俺のベッドに入ってくるので冬は掛け布団の襟元を上げてやる。 「またかよ、よくやるねあいつも」 寝ぼけ半分の無意識で愚痴みたいにそんなことを言った。 するってぇと、冷たい黒い毛がフワフワもこもこと俺の足元とか腕の下とかに潜り込んで来て一息ついてからこう言うのだ。 「ホントホント、雪が降ってるのにランニングなんて正気じゃないにゃ」 眉が寄る。 一気に寄る。 俺だって勿論トレーニングしないわけじゃない。ただ俺は夜型なので朝はしっかり寝たい派なのだ。断じてサボっているわけではない。 「……………………」 布団を出る。迷惑そうにブレアが布団がめくれ上がってないところに移動した。 窓を見ると、なるほど白いものがちらついていて、窓の下の玄関を見るとトレーニング・ウエアが今まさに外に出たところだった。 窓を開けて止せと言うかどうか逡巡して、結局俺は言うのをやめた。 パジャマ代わりの裏起毛ジャージの上からスタジャンを引っ掛けて玄関を出ようとした。 すると部屋の方からフラフラと四角いポーチのようなものが飛んできて俺の頭にぶつかる。 「合羽〜……持って行きにゃさ〜い……」 眠たそうな猫の声が消え入り、俺は返事もなくレインコートをポケットに突っ込んで足早に玄関を後にした。 眠たい目をこすりながら、走る、走る、走る。 寝ぼけた顔にぴたぴた張り付く雪の粉が鬱陶しい。 俺は何をやっているのだろう。 ああもう 面倒くさい。 ねむいし。 寒いし。 ……何か腹が立ってきた。 あのアホが好きで雪の中走ってるんだ、風邪引こうがなんだろうがそいつは自己責任って奴じゃぁありませんか? イライラしながら闇雲に走っていると、目の前に馬鹿が現れた。 上半身裸の。 「よぉ、ソウル。お前が朝走るなんて珍しいな、雪が降るぞ」 「……もう降ってる」 半目で返すと 「だから、お前の仕業だろ?」 上機嫌のブラックスターが空を親指で差し、かんらかんら笑う。 コイツはスタイルがいい訳ではない。背が特に高くもなければ、手足が長いという事もない。同年齢の身体的に恵まれた連中と比べれば、俺やキッドと同じく“やや背格好が小さいクラス”に属すると思う。 だが。 「寒くねーの……ソレ」 「全然!」 筋骨隆々のブラックスターが腕をポパイみたく上げた。……ちっ、いい筋肉しやがって。 「ソウルもそんな重苦しいの着てねーで脱げ脱げ。動きやすいぞ!」 ボディ・ビルダーのようにゴテゴテと膨れ上がっているわけではないのに、威圧感。俺とそう身長が変わらないのに、圧迫感。 隣に並ぶだけで圧倒される確かで目に見える彼の根拠、証明、存在。 「……俺はマカにレインコート渡さなきゃいけねーの」 「なんで?」 「お前と違ってウチのご主人様は風邪を引くんだよ」 「ウワ、小者めんどくせ。」 ブラックスターは顔をくしゃっと歪めてそれだけ言い、んじゃまた学校でな、と片手を上げて階段を3段飛ばしで駆け上がって姿を消した。 俺はその後姿というか、背筋の見事なしなり具合をしばらく見て、なんとなく興が殺がれたのでぽくぽく歩いてアパートに帰った。 きっとあいつは普通に笑って、俺のことなどすっかり忘れて、前のことだけ考えて、全力ですらなく走っていったんだろうな、とかしょうもない事を考えながら。 風呂が沸かしてあったので(マカが帰ってきたら入るつもりで沸かしたのだろう)しばらく浸かって二度寝を決め込むことにした。 バスタオルでがしがし身体を拭きながら、ふと姿見に身体を映す。 「……実家に居た頃より随分筋肉ついたと思うんだけどなー……」 何しろ実家じゃ、やれ自転車は家風に合わないだの、スポーツは指を挫くだのと煩くて鍛えるチャンスもなかったものだから入学したての頃は死武専の入り口階段を上るだけで毎日地獄を見たのだが、今じゃ息も上がらないってんだから頑張ったはずだ。 ……ハズなんだけど。 「アレ見るとやっぱ桁が違うな」 背筋を鏡に映してみる。……なんとなめらかな。 腕を上げてみる。……力こぶ、作れば見えるけどね。 鏡に背を向けて振り返る。……肩の筋肉が絶望的にねーんだな、俺。 「くそー、もうちょっとトレーニング増やすか?」 「……………………なに……?」 「……………………………………いや……お風呂……はいりたいんですけど……」 「……ドウゾ。」 「ドウモ。」 マカと入れ替わりに脱衣所のドアを閉め、俺は両手で顔を覆いながら自室に飛び込んで布団被ってわけの分からない悲鳴を思う存分上げて不貞寝した。 勿論その日は遅刻しましたが、何か? |
私は朝5時半に目を覚ます。というか、だいたい6時間寝ると勝手に起きる。 睡眠は意識して行動すると割とコントロールしやすい、と教えてくれたのは誰だったか。 出来る限り煩くしないように気をつけて顔を洗い、トレーニング・ウエアに着替えて慎重に玄関のドアを閉めて鍵をかける。毎日の事とは言え……いや毎日の事だからこそ、細かな不満は回避すべき。うん。 「……水道の水がやたら冷たいと思ったら」 アパートのレター・ボックスのあるエントランスで思わずチャックをあごの下まで上げた。 暖かい闇の残る玄関側とは違い、薄明るい外の世界にはチラチラと白い粒が降り落ちている。 「…………ううう……こ、こんくらいは走ってるうちに止むかな……っていうか、やんで!」 ランニング・シューズの底が鳴った。 走るのは好き。 何も考えなくていいし、汗をかくとすっきりする。焦れったく思う時には身体を動かして脳みその違う部分を刺激してやれば違うアイデアが出るかもしれない。 ブラックスターが教室で渋い顔をしている時は、大抵次の授業までに走り込みをしている。 あいつは根が単純なワケじゃない。 椿ちゃんがブラックスターと根気良く付き合っているという人はたくさん居るけれど、私は二人は似たもの同士なんじゃないカナーと思ったりする。……考えても仕方の無い限界をずっと探しているトコとか。 私は考えても仕方の無いことはさっさと切り上げて、手近に目標を設定し直しちゃうからなぁ。 走る、走る、走る。 洗いたてのちょっと突っ張った顔に雪が触れる。上気しているのか、心地がいい。 息が弾む。心臓が勢い良く推進している。レンガ造りの塀が次々現れては後ろへ流れていく。 もう手足の先は悴まない。 ただ、真っ直ぐ前だけ見て、駆けている自分は、好きだ。 家でじっとひざを抱えてるなんてのはやっぱり性に合わない。 本を読むのだって、冒険だもの。悩みも憂いもない全身全力で挑みながら読みたいじゃない? 走る、走る、走る。 曇天の隙間から太陽の光が見える。 きっとこの雪は積もらないだろう。あっという間に消えてしまうだろう。 走れ、走れ、走れ。 言えなかった言葉、出来なかったこと、足りなかった力。わだかまって私の足を重くするのなら、大いに来い。やってみろ、止めてみろ、この足を。 戦ってやる、叩きのめしてやる。この魂で走って、走って、走って、追い越してやる。後ろに過ぎ去らしてやる。 『おうよ』 頭の中のどこかで、ソウル独特の皮肉っぽいのに嫌味の無いあの引き笑いみたいな声が聞こえた気がしたから。 「…………フッ!」 思わず笑っちゃった。 私の頭の中でまで合いの手入れなくていいのよ、パートナーさん。 「よぉ、オハヨ」 「おはよう、ブラックスター」 いつも一休みする噴水の前で休憩しようと腰掛けた後ろから、いつもの声が聞こえたので振り返りながら返事をした。 「よくやるわね……雪なんだから今日はシャツくらい着なさいよぉ……」 タオルを首からかけただけのいつものトレーニング・ルックの友達は、息も切らせず体から蒸気を上げている。 「うるさいなぁ、小物コンビは」 呆れ顔でブラックスターが私を見下ろすように首のタオルに両手をかけて立ち止まった。 「……コンビ?」 「おう、7番街の階段の下でソウルに遇ったぞ。スタジャン着て髪ぼさぼさだった。寝ぼけてんのか、ありゃ」 なんか声もボンヤリしてたしなー。ブラックスターがケラケタ笑ってそんなことを言う。 ……んん? ソウルって確かトレーニング昨日の夜やってたんじゃなかったっけ? なんでこんな朝早くに出歩いてんの? つか、出るとき寝てたはずなんだけど?? 眉を顰めて口を尖らせていると、ブラックスターがこっちを見て不思議そうな顔をした。 「なんかお前に合羽がどうとか言ってたけど」 「……カッパぁ?」 「俺と違って風邪を引くご主人様を追っかけたとか何とか……よーわからん」 「……出る時、起こしちゃったのかな? しかしまたなんでわざわざ……」 「知らん」 まぁそーだろーな……。 あっけらかんと言い切るブラックスターの肩を見ると、さっきまで上がってた蒸気が消えている。あ、まずい、立ち話してたら風邪を引かせちゃうわ! 「ブラックスター、体冷えちゃう。今日は適当に切り上げて家帰ってお風呂浸かりなさいよ」 「おー。お前も風邪引くなよ〜」 クルリ私に背を向けて無駄なく筋肉のついた『THE・男!』といった風体のブラックスターが軽快に走ってゆく。 「……ついこの間まで私より背が低かったんじゃなかったっけ、あいつ……」 なんとなく力を入れてこぶしを握り、二の腕を摩ってみる。 ……虚しくなったのですぐやめた。 「いやいや、私の勝負するトコじゃないから。……強さは筋肉量じゃないもん……!」 気を取り直し、彼の走っていた方向とは別の道をわざと選んで、ジョギングを再開することにする。 家に帰ってシューズを脱ぐと、ボディ・ソープの匂いが温かい湿気に雑じって漂っている。……あれ、お風呂開けっ放しだったっけな? と脱衣所のドアを開けたら、パジャマのズボンだけのソウルが鏡の前でえらいこと熱心にポーズを決めていた。 ……さては、ブラックスターの身体見て羨ましくなったな、コイツ…… ヘンな所でシンクロするのやめて欲しい…… 「くそー、もうちょっとトレーニング増やすか?」 ソウルが呟いたのが聞こえて、思わず絶句した。 まさかバスタオルに額を当てた音に反応したのか、ソウルが鏡越しにこっちに気付く。 「……………………………………いや……お風呂……はいりたいんですけど……」 「……ドウゾ。」 「ドウモ。」 短くそれだけ言って脱衣所のドアが閉まった瞬間、素早い足音が遠ざかった。 ……なんて期待を裏切らないアホの子なの……! 泣いていいのか呆れていいのか分からず、取りあえず笑っておくことにする。 「ままならないわねェ……!」 |
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