洗濯ものを干す為にベランダに出た椿ちゃんが、洗い立てで湿った俺の服を見ながら「サイズ変わってるなぁ」とかぼやきつつ自分と肩口を合わせている。 そりゃそうだ、そろそろお前の身長抜こうかって窺ってるところだぜ。 気分を良くして、うたた寝を続けた。 学生寮という訳ではないけれど、俺達の住んでるアパートは学生が多いので夕方ごろから洗濯物を干す部屋が多い。紅い光に照らされ、靡くタオルやシャツが暖かい色の窓を彩っているのを見るのは、なんだか少しくすぐったいような。 パンパンと布をはたいて伸ばす音。 カタカタ鳴る竿とハンガーと洗濯ばさみ。 片目で見る椿はオレンジ色で、ちょっと眩しそうな顔をしている。 ……うん。 何を確認したのか自分でも良く解らないけれど、俺は一つ頷いて目を閉じた。 「ねぇブラックスター、今から買い物行くけど晩御飯は何が食べたい?」 サッシがカラカラ音を立てて閉まる。 微かな足音。 「……あれ、寝ちゃってる」 だめよ、こんな所で寝たら風邪をひくわ。肩を揺すられても目を開けない。開けるのが面倒臭いし、返事をするのが億劫なくらいイイ気分なんだ、今。邪魔すんない。 しばらくは俺に構っていたけれど、飽きたのか何処かへ行った。 夕日の差し込む部屋はしんとしてて、少し肌寒くて、ほんのり暖かい。 瞼の向こうが赤い色。 寝た振りのつもりが、だんだんホントに眠たくなってきた。 ……まずいなぁ……一応、今日、宿題、する、つもり、あった、んだ……けど…… 俺は背が大きくなって、大威張りで街を闊歩する夢を見た。 椿の頭を肘置きにするくらい大きくて、デスサイズも博士も死神の旦那も目じゃないくらい大きくて、大層いい気分だった。 こんだけ大きければもう誰もが俺を認めざるを得まい。 なぁそうだろう、と後ろを振り返ったら、小さな小さな椿が俺に何かを話しかけている。 俺が「声が小さくて聞こえねぇ」と言ったら、椿はさらに大きな声で何かを言っているらしかったけれど、やっぱりおれには聞こえない。 「なんだよ、わかんねぇよ」 イライラして椿の方に身体を向けたら、俺は足で小さな小さな椿を踏み潰しちまって―――――――― 心臓がドキドキ煩い。変な寝汗をかいてて、顔が苦虫を噛み潰したように歪んでいるのが解る。 ミフネとやりやってもう何ヶ月経つのか。 それでもちょっと気を抜くとこの手の夢を見る。 人を殺す夢を。 魂を潰す夢を。 シャツの胸元をぎゅっと握っていつの間にか身体に掛かってたタオルケットを押し退けた。 「……椿」 もうすっかり夕焼けは鳴りを潜めていて、20秒に一回シンクを叩く水滴と時計の秒針の音だけが部屋に響いている。 部屋中をとぼとぼタオルケットを引きずったまま歩いて、鴨居に掛けてあった椿の服を見つけ、そこに額をぶつけた。いつものふわっとした感触を期待しながら。 誰かを甘やかして誰かに甘やかされてないと不安なキッドや、誰かの手を引いて誰かに手を引かれてないと堪らなくなるソウルを笑えない。まったく、我ながらガキッぽくてヤになるぜ。 「側にいてくれ」 椿の服に顔を突っ込んだまま、口が勝手に呟いた。 |
洗濯ものを干す為にベランダに出た。墜ちてゆく夕日が目に刺さる。洗い立てで湿ったブラックスターの服を見ながら「サイズ変わってるなぁ」とぼやいた。 基本的に共有する日用品などは私が購入するけれど、服だの肌着だのは各自で調達する。ブラックスターは死武専から給付金と奨学金を受け取っていて、一応それで生活全般を賄っているので……あまり自由になるお金がない。服なんか一着買ったら一ヶ月は貯金する余裕もないはずだ。 なんとなく違和感があり、自分と肩口を合わせてみる。 「……男の子ねぇ……」 コンビ組んだ当初は私確か、彼の服は小さくて着れなかったハズなのに、どうだ。ブカブカとは言わなくとも、丈に余裕まであるじゃないか。 洗濯物を干しながら、きっともうあの余所行きのスーツは着れないのだろうなぁと思った。 だらしない黒いスーツ姿を思い出して可笑しくなる。 ネクタイの締め方も知らなくて、みっともない格好。あの時はそういえばどううまく付き合おうか、お互い距離を取り合っててヘンに他人行儀で……彼は何もかも全部自分でしようとしてたし、私も怖くて手を出さなかった。 誰も教えてくれる人がいなかったのだ、と気付いたのはずいぶん後になってから。 生きる術以外、彼は何も知らない。 唯一の趣味と言える釣りだって、最初は空腹を紛らわせるためだったそうだ。 「ねぇブラックスター、今から買い物行くけど晩御飯は何が食べたい?」 サッシを閉めながら尋ねても返事がない。 おかしいな、さっきまで腹筋してたような気がしたんだけど。 「……あれ、寝ちゃってる」 だめよ、こんな所で寝たら風邪をひくわ。肩を揺すっても目を開けない。……珍しい、トレーニング中に寝るなんて。 立ち上がって窓の外を見ると、夕焼けが少しづつ街の影に消えてゆく。 ……しょうがない、なにか適当に買い物してこよう。 隣の部屋からタオルケットを持ってきて、眠ったブラックスターに掛けてから部屋を出た。 お財布一つ持って、ふらふら歩く。ウィンドウ・ショッピングなんて洒落たものじゃないけれど、いろいろ見て回るのは好き。街を歩く人たち一人一人に家があって、家族がいて、一緒にご飯を食べる人がいるのだと想像すると、なんだか胸が暖かくなる。 例えここが死神の統べる街だとしても、生きるに違う事はないのだ。 魂を食う者も、命を奪う者も、生きている。 『ここまで ありがとう』 善くも悪くもなく、生きて死んで、繰り返し、繰り返し、続いてゆく。 桜の花びらのように散った彼も、いつか必ず私を置いてゆく彼も、繋がっている。 「…………うん」 何を確認したのか自分でも良く解らないけれど、私は一つ頷いて目を閉じた。 散歩をし過ぎたのか、適当に済ませる筈だった買い物にずいぶん時間が掛かってしまったので、早足でアパートに戻る。両手の買い物袋ががさごそ音を立てて踊った。随分日が落ちるのが早くなってきちゃって、もう月が輝いている始末。 アパートを見上げると、いろんなカーテンを透かした光が窓々から洩れていて、訳もなくほっとしたのも束の間。自分の部屋の窓が真っ暗なのを見つけ、眉を顰めた。 「……まだ寝てるのかしら?」 あんな恰好のままで居たら風邪を引かせちゃう、とさらに足を速めようとして、アパートの玄関のコンクリート階段に人影を見つけた。 「――――――――ん」 一言に満たない声を上げ、人影が私に手を差し伸べる。 月の光を背に受けた“暗黒の世界の神様”の表情はサッパリ解らなかったけれど。 「ただいま」 言って買い物袋を渡した。 |
珍しくブラックスターが釣りに誘ってくれたので、ついて行くことにした。 彼が行き先も言わずにふらっと出て行ってふらっと帰って来るのは、釣りに行っている時だ。そういうときの彼は大抵ションボリしてたり無口だったりするので、私は特に何も口出しをしない。 なので、唯一の趣味らしい釣りに誘われたのは単純に嬉しい。 「でも釣りって、この辺に川なんかあったかしら?」 「デスシティから国道に出る道あんだろ。アレをずーっと辿ってくとダムがあってさぁ。俺様が7歳の時に見っけたんだぜ!」 「……こ、国道って……まさか93号線!?」 ぞわっと背中が総毛立った。この子の無茶苦茶な体力や身体能力の理由の一端を垣間見ただけで。 「ダムって、フーバーダムのことよね? とても思いつきで行けるような距離じゃないわ!」 「うーん……昔は三日くらいかけたけど、今は朝出て夕方まで釣りして夜には帰ってこれるな」 こりゃ、行き帰りで40キロはありそうだ。フルマラソンじゃあるまいし! 「一応聞くけど、自転車とかでよね?」 「はっはっは! 砂地で自転車なんか転がしてたらスリップだらけでとても前進まんて」 心配すんな、疲れたら武器に変身して寝てれば担いでいってやるから。そう言って小さな布鞄を肩にかけた。 「……釣り竿は?」 「そんな上等なもん、持ってるわけねぇじゃん」 釣り針と糸さえありゃ現地で作れるし、無駄に荷物持つのは趣味じゃねぇからさ。まぁ万事俺様に任せておけばいいんだよ! かんらかんらと笑うブラックスターが、はっと何かに気付いたように私を見る。 「……な、なに?」 「いや、結構日差しきついし砂埃で喉やられるから、マフラー要るなと思って」 「毛糸のマフラーじゃ……だめよねぇ?」 そうか、ブラックスターが服の襟を立てて口元を覆っているのや、穴の開いた紐をいつも腕や首に巻いてるのはちゃんと意味があったのだなぁと感心した。 「ネバダでそんなモン巻いてた日にゃ蒸し焼きだぜ」 珍しく嫌そうな顔の彼がしばし思案して、膝を叩く。 「よっしゃ、今から雑貨屋までひとっ走りして椿に似合いそうなの見繕ってくる」 「エッ、そんな……悪いわ!」 「もちろんタダじゃないぞ。椿は大急ぎで弁当を作るよーに。なーに、おかずは向こうに大量にあるからな、昨日の残りをおにぎりにするだけでいい!」 電光石火の按配で玄関からふっと姿を消したのをよく確認することもなく、私は死武専から支給されている防寒用のマントと断熱ショールを一枚づつと、調味料を小型のウエストバッグに詰めてからおにぎりの製作に取り掛かることにした。 「……自分の物は釣り竿も買わないのに……」 その気なく勝手に口から言葉がこぼれて、泣けた。 …………補習で泣かしたろ、そのお詫び。 ―――――― あ、おい、な、泣くなってば! なあおい! |
こんこんフライパンが遠くで鳴っている。 今日は7時に目が覚めたけど、朝食当番じゃないのを思い出して二度寝した。ぬくぬくのベッドでまどろみながらぼーっとする30分はまさに至高のひと時と言えよう。 今日は校外実習もないし、確か体育の授業も、武器訓練もない貴重な水曜日。ああ、このままいっそ寝過ごしてしまいたい。 かんかん。甲高い音が聞こえた。ドアの前まで来たな。 いつもならこのあたりで起きるんだけれども、今日はなんだかそんな気になれないのでまだぼやーっとしたまま動かない。 昨日もいつもどおりに寝たんだから、いつも通りに起きれそうなもんだ。身体がだるい訳でなし、気分が優れないわけでなし、もちろんマカと喧嘩した訳でもないんだから。 かんかんかんかん! 耳に響くくらい強く大きな調子になった鉄の団扇太鼓が苛立たしいリズムを刻む。 ……あー、うっせえうっせぇ。 だんだん意地になってきて、耳を塞ぎつつ布団の中に潜り込んだ。朝っぱらからイラッとさせんじゃねぇよ。 起きない自分が悪いのは解ってたハズが、俺はマカのしつこさに怒りの矛先を向けた。逆の立場ならきっと同じことをしただろうに。 しばらく布団に包まったままじーっとしていたら、不愉快な金属音が聞こえなくなった。 ほっと一安心。 よーやく諦めたか。 ……よし。今日はもうメンドくせぇから休む! 自主休校! 勝手に自分でそう決めて、もぞもぞ布団から頭を出し、安らかな顔でもう一度眠ろうと片目を薄く開いて毛布の加減を定めようとしたら、何故か暗い。 目の前が暗い。 あんまり瞼を開けすぎてしまうと朝日が目に入って脳みそが起きてしまうので、俺はゆ〜っくりともう片目もうっすらとだけ開けて、辺りを窺った。 まだカーテンは閉めたままのはずだから薄暗いのは道理だが、そういうレベルの暗さじゃない。 鬱陶しいの半分、疑問半分でまだボーっとした目の焦点を上手く合わせようと瞼をうっすら開けたり閉めたりしていたら、息が苦しいのにやっと気付く。 「……ん……」 しかめっ面で片目をしぶしぶ開けたら、深い緑色の何かが見えた。 「………………?」 「起きろー」 ちょう至近距離で間延びした……何とも表現しにくいが、敢えて言うならくすぐったくもおっかない低音の……マカの声が聞こえた。唇に滑る生暖かい温度と共に。 「………………………………………………ぅおァ!!」 脳に情報が錯乱したまま届けられ、俺は飛び退るように顔を背ける。 「おお、姫様! 私の愛でお目覚めですか!」 またフライパンを叩く音がして、緑色の大きな瞳がいたずらっぽく笑う。 「おっ……まっ……!?」 ばくばく踊り狂った心臓が変な伴奏で俺の全身を飛び起こす。嫌な汗と歪んだ顔、ぶるぶる震える唇が上手に動かなくて怖ろしい! てか! くち! くち! くちぃぃぃ!! 真っ赤になって片手でぬるつく唇を覆ってたら、マカが大笑いで部屋から出てった。 「眠り姫さま、ターナー王子のキスでお目覚めよブレア!」 俺は枕に顔を突っ込んで猛烈にジタバタした。 「休むーッ!! 学校休むーッ!!」 |
生ぬるい風が吹いていて、俺は屋上から玄関前の広場を見ている。 今日はクラスの誰かの葬式なのだそうだ。誰かは知らないし、興味がない。 死武専は学校だけど、死んでしまう奴は割といる。校外実習や魔女探索は言うに及ばず、一般人に迫害を受けたり、馬鹿に誘拐されたり、動物に襲われたり、妖怪だの魔物だのに殺されたり……まあいろいろだ。 俺は死武専では古株で、今年新任の教師がまだ生徒だった時どんなイタズラしてたかなんてつまらん事も知っている。だから喪章を巻かない年なんかない。特に職人ってのはよく死ぬ。眩暈がするほど毎年死んだ。 それでも毎年死武専に入学してくる奴は後を絶たない。 死武専卒業生はものすごい社会的地位を持った死神という絶大なバックがつくからだ。 「ブラックスター」 振り返るといつもとは違う真っ黒の服を着た死神の息子がいつもと同じように背筋をぴんと伸ばし、直立不動で立っていた。 「大物が民衆のド真ん中に立ってたら皆ひれ伏して交通の妨げになる」 言いながらも立つ素振りも見せない俺に業を煮やしたのか、キッドが靴音高く俺の側に来る。 このキッドという野郎、実は結構裏表がある。女連中が居ると簡単にへこたれたりする癖に、俺やソウルの前では襟一つ崩さない。あいつの病気は甘ったれだとソウルが口を滑らした事があるが、それについて俺は意見を持ってない。 普通じゃないのは良くも悪くもお互い様だからな。 死神にもいろいろあるんだろう、多分。 「……焦らさねば価値が保てんか? ずいぶん器が小さいスターだ」 ――――――――見え透いた挑発すんなよ、今更。 黒い服の人間がぞろぞろと講堂の中に入ってゆくのをぼんやり見ていると、くすんだ長い金髪をモウニング・ベールで覆った女が、異国の珍妙な衣装と同じ色の髪の女を呼んでいるのが見えた。 黒い髪の女は首を横に振ったのだろう。金の髪の女は小さく手を振って講堂の中に入ってゆく列に混じって消えた。 「なぁキッド」 「……なんだ」 「今日の式が終わったら管理すんのか、お前が……その、魂を」 「そうなるだろう」 生ぬるい風が砂粒を巻き上げる。目を開けていられない。 人もまばらになった玄関前の広場に、黒い和服の女が一人立っている。 髪は長く、珍しく結っていないものだから、風に吹かれて流れていた。 「―――――散り散りに砕けない限りは」 一層強く生ぬるい砂埃を含んだ風が吹いてキッドのうめき声が聞こえた瞬間、女が何故だかふとこちらを見るような気がして目を凝らした。薄目を開けて顰め面をしながらも。 その予感は結局外れて、女は瞼を強く閉じて髪を押えながら唇を真一文字に結び、風が過ぎるのを待っていた。 「……なら俺の魂は椿の隣に置いてくれ」 袂と袖が風に靡き、長い髪がまた一層大きくうねる。 ……馬鹿な女だ。勝手にどこぞかへ行った俺など待たないで、さっさと建物の中に入っていれば埃も被らずに済んだろうに。 「寂しがるといけないからな」 礼服を少々整えてポケットに手を突っ込み、肩でドアを開けると悲鳴のような音が甲高く響いた。 その音に混じって低く唸るような声が聞こえたような気がしたけれど、多分生ぬるくて乾いた砂粒の混じった風の音だろうと思う。 |
俺は時々マカと寝る。 なんでそーなったのか、実はあんまりよく覚えてない。 理由は記憶してるような気がする。発端もなんとなく忘れてはいない。 だけどこれは愛情とか恋慕とかじゃないと思うし、やけくそでも傷の舐め合いでも、まして復讐や企みでは決してない、はずだ。多分。 名前がつけられない。 でも俺は時々マカと寝る。 気持ちはいい。うんごめん、嘘をついた。気持ちはものすごくいい。 今のところ世界で一番気持ちいい事はこれだと思う。 そんだけ。 他は特に感想が無い。 マカが嫌いなわけないけどやっぱね、なんか違うのな。そのなんかが何かは説明できないけど。 誰かに取られたりしたら怒ったり悲しかったり辛かったり苦しかったりするだろう。 間違いなく魂に穴が開く。 そんでめでたく使い物にならなくなるさ、多分。 それは俺らが互いに支え合ってやっと生きてるから。 示し合わせたわけでもなく、それが一番楽で機能的だったから自然にそうなった。 マカは俺がそうして欲しいように俺を頼るようになった。 俺はマカがそう望むようにマカの意思に従い続ける。 こんなことが続く筈は無いと互いに知りながら。 「………………。」 最中、口はほとんど利かない。声も極力上げない。息を乱すのさえ押さえている。 もちろんエロDVDの女優みたいに喘がせたり、えっちいことを言われたり……その、まぁ、なんだ……す、スキ!とか。そーゆー甘ったる〜いことを望んでないわけじゃない。 望んで無くないけど、それは叶えられたりしないことを俺は一番良く知ってるし、マカにそうされたりするのが怖いというのもある。 パートナーと寝る奴はそう少なくない。だけど恋人同士になった連中は確実に成績が落ちる。集中力がどうこうでなく、共鳴率が大なり小なり下がるのだ。理屈は良く解らないけれど、魂がくっ付きすぎて互いに変質してしまうんじゃないかと俺は睨んでいる。ホラよく言うじゃん、恋をしたら人は変わるってさ。ただでさえ打撃力の少ないマカがこの上共鳴率まで落としてしまったら、熾烈を極める今後の戦火の中で自分の身さえ守れないだろう。それは俺たち二人の死を意味する。 ――――――いや、こんなの言い訳だ。 くだらないこの言葉を聞きたくないばっかりに俺は黙ってマカを抱く。 言いたい言葉を飲み込みながら。 それはちっとも楽しくない。 まるで精子を捨ててるみたいだ、とかなんとか頭の中で小鬼が言った。 |
何故ビッチなのか? 決まってる、セェェックスすると気持ちいいからだ。 頭の中がスーッとして憂さが晴れる。身体がビーンと弾かれりゃ、自分に張り付いたくだらない事がゼェェンブ落ちてくんだ。相性の合う奴とばっちりハマッた時なんてサイコーだぜ、眩暈がして蕩けて砕けそうになる。 簡単になるんだ、自分も、世界も、バラバラに散ってく。 そいつは実にCOOLでSMART。 他の何もかもどーでも良くなる。 マジになるのがアホらしくなるぜ。 セェェックスしてれば天下泰平、息抜きにバックレースでトリガーハッピーキメてりゃ万事ラブアンドピースってやつだよ。 そうだろ? それ以外に取り合うなんて馬鹿げてる。 馬鹿げてるさ。 馬鹿げてるだろ、馬鹿げてる、馬鹿げてるんだ。 そいつは解ってる。 三流映画みたいに、少女漫画みたいに、お約束みたいに、ラブロマンスだとよ。 好きにしてきて、好きにやってきて、それでこの様か。 あきれて物も言えない、陳腐で使い古されたアリガチなどん臭い話。 馬鹿で冴えないトロギーク・ボーイが前髪上げたらイケメンでしたってかぁぁぁぁ! 取って付けたふざけたシチュエーション! なんだそりゃ、くだらない、しょうもない! 地団駄踏んで頭掻き毟って叫んだまま失禁しそう! アホか! アホか! アホか! ああああああああああああああああ! 何度も聞いてきた説得力の無い右から左に流れてくだけの無意味な台詞。 「パンティは僕が守る!」 るせぇ、朝の挨拶みたいに簡単に唱えやがって。有り難味がねぇんだよ。 ああああああああああああああああ! 「僕が結婚したいのは彼女だ!」 ボケが、天使は子供作れねぇのもしらねぇのか。 ……そういえば、そんなこと何も知らないんだっけか? いや、言ったっけ? そもそもあいつがアタシの何を知ってるよ? アタシがあいつの何を…… ――――――なーンつって考え出したりしたらヤバイ。 やばいやばい。 逃げろー! これはアレだー! 例のナニだー! イワユル一つの、天使が堕落する唯一の条件、そのショーコ。 「愛してくれるのは嬉しいが それに答える自信は無い そんな自分を気付かされるから 愛して貰わなくて結構だ」 天使で無くなるなんてそいつはいけない。 それだけは駄目だ、それをやめたらただのくだらない女になってしまう。 あんただってそんなの嫌だろ? そこまでで目が覚めた。 「……私なんかよりよっぽど面倒くさい女ね、パンティ」 隣にはハンドルにもたれて半笑いの妹。 アタシは大きく息を吸い、吐きながら応えた。 「ああそうとも、セックス以外はみ〜んな面倒くさい……!」 バックミラーに映るそばかすだらけの赤毛のバカは極力見ない方針で。 |
なんで俺がこんなことを。 ぶつくさ言いながら大が私の爪にマニキュアを塗る。 色を落とす。 赤い色。 なぜこの色を選んだのか、この子には解るまい。 言いながら、笑いながら、この子の身体の中に納まる。 暖かい。 濡れた爪が蛍光灯に反射して光っていた。 匂いがする。 何の匂い? 自分の部屋の匂い。 さっき淹れたコーヒーの香り。 マニキュアの刺激臭。 シャンプーと石鹸の風。 ……それから。 「ちょ、ストップストップ! はみ出してるってば!」 「あー、うっせーうっせー……人にやらしといて文句言うな」 「何それ!? アンタがやりたそうにしてたからやらしてあげてんじゃない!!」 「はぁ!? 俺がいつやりたいっつったんだよ!!」 ああ、ぞくぞくする。 そんなこと言いながら放さないんだから、まったくいい性格してるわよ。 首筋を長い髪が滑る。 ぬるい匂い。 胸が泡立つわ。 「……ほれ、出来た」 「わっふぅ〜ん、さんきゅー」 うふうふ笑って両手に咲いた小さなバラの花びらを翳して喜んでいたら、後ろから再び拘束された。 「……ふっふっふ、愚か者が。自分から手錠をはめやがって……」 ふっふっふ、愚か者め。 罠に落ちたことも知らないでいい気なもんだわ! |
花言葉:「希望」「ただ一つの恋」「成功を待つ」(枝)「厳格」 飛行機に生まれて初めて乗った。 ものすごいスピードで世界を置いてゆく感覚。 身体の力がどこにも入ってないのに空を飛んでいる不思議。 よそを向いてるのに真っ直ぐ飛んでゆくのがなんだか面白い。 「最初は酔うかも知れんから、窓の外を見ていろ。……顔を隠す手間も省けるし」 彼がそう言ったので、僕は窓の外の煙った世界を見る。 空港には大勢の人がいて、そういうのが苦手な僕ら二人はずっと黙ってた。 キッドは帽子を買った。 僕はショールを頭から被る。ちなみにコレはラグナロク製。 どこへ行くの、とは訊ねなかった。 聞いても仕方ないけれど、パスポートは一体どうしたのとは聞くべきだったかもな。 「飛んで行けばいいのに。お金もったいないし、乗ってる時に抑えられたら逃げ場所がないよ。飛行機って窓開かないんでしょ」 僕の言葉に彼は少しだけ笑って、金の事は心配いらないし、まだ抜け出したことが発覚してないだろうから緊急配備がされてるとは考えにくい。下手に飛んで魂の波長の軌跡を残すよりはずっとバレ難かろうと言った。 早朝の今日最初の便はガラガラで、キャビンアテンダントの仕事も少なそうだ。 「ご旅行ですか?」 「……ええ、観光です」 僕は出来るだけ落ち着き払い上手に微笑んで毛布を受け取る。 良い旅をと言葉を残し去ってゆく乗務員の後ろ姿にほっと溜息。 天候不順で出発が30分以上遅れ、退屈で眠っているのか腕組をしたまま返事をしないキッドにブランケットを掛けた時、この飛行機の行き先を告げるアナウンスが聞こえ、僕は初めて自分がどこへ行くのかを知った。 「……そうだね。良い旅になればいいな」 |
風邪を引いた。 日ごろの不摂生が祟ったんじゃないだろうか。 とにかく部屋に入るなと言い捨てて引き篭もったままだ。 部屋に響くのは柱時計の錘が左右に規則正しく揺れる音ばかり。……いや、雨戸をがたがた鳴らす霙混じりの風もあったか。それに時々遠くで咳き込む声。思い出したように便所へヨロヨロ這い擦る足音。 ゆるい吹雪が物干し台や物干し竿を舐める時に出る風切り音は不景気で、ガタガタうるさいのはスノコの上に置きっぱなしのバケツか何かが動いているのかと、無駄に想像が膨らんで煩わしい事この上ない。 ふすまの向こうでまた咳き込む声が聞こえた。 「こん、こん、こん」 掠れる様に弱々しく 背を目一杯に折り曲げて 布団に顔を押し付けて 出来る限り小さく絞った口から ようやく許されたように 「こん、こん、こん」 おじやを5回ほど掬って程なく床に吐いた。嘔吐物には口にした卵の黄身やら葱の緑やらがぽつぽつ浮いてて、少しすりつぶした生姜の匂いが残っていた。 俺が新聞紙や古い雑巾で丸ごと包むようにゴミ袋に全てを押し込んで口を結わえ終えた頃には、また胸を患いそうな咳が聞こえはじめていた。 それから後は薬を飲みなおして静かにしている。 時間にして一時前かな、さっき柱時計が鳴った様な気もするし。 静かなものだ。 この部屋で夜中まで起きてることなんて滅多にないけどな、無意味だから。 「……どうだ、調子は」 なんとなく言ってみた。訊いたつもりもなく。 すると咳が二度返って来た。 ウチにはアルマイト製の亀の子湯たんぽというものが何故かあって……いや、何故かなんてことはないな。椿の私物以外であるはずがない。 部屋にある健康器具とかスポーツ用具などは死武専の公用物なので、自分の物など服が数着とCDが数えるほど、後はエロDVDと雑誌の懸賞で当てたポータブルDVDプレイヤー以外には、釣り用の道具が片手に納まる程度。この部屋に来て増えたものは何処でも買える安い既製品ばかり、代わりなどいくらでも利く。 椿の湯たんぽは所々凹んで擦り切れて色が変わっている。湯を入れる口にする栓には錆がついていて、帯を思わせるような古臭い織り布が結わえられている輪には、子供のおもちゃらしき透明のプラスチック片がいくつか並んで付いていた。 持ち物一つにしても中務の歴史が存在している。椿を作った人々の連なりが彼女を守っているよう。 それを思う時、何故か不安に近くて遠い物を覚えた。胸元辺りがゆらゆらゆれた。潰して壊して砕きたいという欲求に駆られる。 勿論そんなこと死んでもしたくない。 軟弱な屁のようなくだらんものが揺さぶりをかけてきたところで微動だにする俺様じゃないぜ。 「大丈夫」 短く捻り出されたしわがれ声がふすまの向こうから聞こえた。 暗い天井はいつもと同じ模様。 ただ隣を向いても誰も居ないだけ。 また咳き込む。 鼻をかむ音。 湯たんぽの中の湯がチョポチャポかすかに鳴っているので、椿がまた身体を動かしているのが解った。 俺は毛布と掛け布団を二つ折りにして担ぎ、足でふすまを開けた。 薄暗い部屋で身体を丸めて咳を押し殺している椿が布団の隙間から見えた。 「こんな玄関側の寒い部屋で寝るから咳が止まらねぇんだよ」 布団を布団の上に掛けてマントのように身体に毛布を巻いて、彼女に背を向け冷え冷えとした床の上でしんと黙っているストーブに火を入れた。 「畳の上で吐いたらひどいことになるもの」 ぼわぼわ、青い火と赤い火が踊って、薄暗い部屋に影が不気味に現れる。 何か言おうと思った。 でも何を言えばいいか解らない。 どうしてやればいいのかも分からない。 そっとして置いてやる方がいいのかもとも考える。 「何か欲しい物はあるか」 何を言えば言いのか判らないから、毛布に包まって焼ける鉄板を見ていた。オレンジ色に輝くちりちり囁く鉄板。そいつはちょっとホッとする風景だ。 咳を殺して唸っている椿の声が二度、三度聞こえた後は堪らなくなった。 もっと器用な性格に生まれたかったぜ、ちくしょう。 俺は黙って座っている。 椿は何も言わない。 部屋の空気はストーブに炙られて少し膨らんだような気がする。 ああ寒い寒い。凍えそうだ。 「俺は遠慮しないし、俺に遠慮なんか要らねぇ」 柔らかく灯油の匂いが立ち上って水蒸気の出来る振動に満たされた薄ら寒い板の間に、魂の波長。 「――――――咳が迷惑でないなら」 それ以上は聞こえなかった。 ボン、と小さな破裂音に似たものと一緒にストーブから炎が消えたから。 指先がじんわりと温かい。 冷たく固まった右手の指のそこだけが。 板の間に手を突くと氷のような床の冷たさにも境目がいくつかあった。 最初は温度、次は毛布のざらつき、それから敷布団の触感、その先に冷たく長い髪の毛。 重たい布団の扉が閉じられて、後はもう汗と嘔吐物と灯油の猛烈に気化する臭いばかり。 「………………」 この暗闇ではろくに何も見えないのに、何故だか俺は目を閉じ、彼女に背を向けた。 拙い言葉で何もかも壊してしまいそうで怖ろしかったか? どこぞの莫迦やイカれた阿呆みたく背負わせたくなかったか? それともただ単に合点がいかなくて動く理由も見出せなかったか? 頭の中で拍動する苛立ちにあわせて、体中に散らばってゆく心臓を眺めるでなく眺めていた。 それだけ思って、後はもう考えるのをやめてしまおう。 背中に押し付けられてる椿の額とか、無視してしまおう。 バカやアホと同じ狂気に飲み込まれそーだ。 |
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||