天国で見る地獄の風景

 すんげぇリアルな夢を見た。
 俺はなぜか花嫁衣装を着ていて、隣にマカが白いタキシードを着て立っている。
 頭が混乱したままの俺は長い長いバージンロードを手を引かれながら歩いていて、ライスシャワーを満面の笑みでぶつけてくるブラックスターだのマカの親父だのの間をどんどんすり抜けていく。
 長いスカートが足にまとわりついてひどく歩きにくい。
 てゆうかなんでマカが俺を引っ張ってんだよ。
 俺は必死にマカに止まれとか待てとかどうなってるのか説明しろとか喚くんだけど、振り返りもしないで勇ましいマーチに合わせるように腿を高くあげて幼稚園児の行進よろしく進んでいく。
 足元はぬかるんだように覚束ないし、ヴェールは花の匂いがキツ過ぎてくらくらする。
 体がうまく動かない。びしびし絶え間なく降り注ぐライスシャワー。
 いい加減にしろと暴れることさえできないまま、ついに突き当りまで来た。
 俺は情けない事に荒い息をつき、変な汗でびっしょりになっている。
 「おい!なんだよ!どういうことだよ!」
 ようやくマカの腕を振り払って引きずっていたヴェールを絨毯に叩きつけて大声をあげた。
 「これでもう誰もあんたを馬鹿にしないよ」
 やっと聞こえた声にハッと顔を上げたら、白いヴェールを頂いた頭を少し傾げたマカが笑う。
 「そんじゃ、元気でね」
 俺の着ているドレスとそっくりの花嫁衣装のマカが白いタキシードの誰かに腕を絡ませて、すたすた足取りも軽くどこかへ行ってしまった。
 俺は間抜けな恰好のまま、訳もわからずずーっと突っ立ってる。
 振り返ったら、見知った顔の連中がいつもの格好で拍手をしながら俺に生米をビシビシ投げていた。
 良かったね、オメデトウ、羨ましいぞこの野郎。
 美辞麗句と称賛にさんざめくいつもの面子がそれはそれは楽しそうで、俺はなんだか泣けてくる。
 ……と、覚えているのはそんなとこだ。
 変な悲鳴を上げて飛び起きると汗でぐっしょり濡れた胸元が、みっともないほど高鳴ってる心臓の鼓動に合わせて踊ってて。
 「…………なんだそりゃ」
 笑ってるみたいな泣いてるみたいな変な声が出た。



 16:52 2009/06/15 目的達成したらコンビを続けるには理由が必要になるねぇ。どうするソウルくん。






恋って滑稽なものだよ

 「思い出なんかにするな、か」
 仕事の手が止まってふっと意識が遠のき、あっという間に50億年の過去から立ち戻ってきた僕の口がそんな言葉を引っ張りだした。
 冷めたコーヒーをすする。モニターにはグラフと数字の羅列、リアルタイム・ウインド。
 ずいぶん傲慢だったのだなと10歳のあの頃を思う。
 人を好きになる事なんて自分にはないのだと信じていた。事象のすべてを理解できれば何の問題もないのだと疑わなかった。何もかもすべてうまくゆく世界があるのだと夢を見ていた。
 「……何様だよ」
 電子の世界の王になる事を望んでいたわけではないし、電子の世界を解き明かす使命を感じたなんて殊勝なことを口に出来るほどの厚顔無恥は持ち合わせていない。もちろん電子の世界に逃げ込みたかった過去を否定するほど逆上せ上がっているつもりもない。
 でも僕は今ここに居る。
 あの日々を経て、ここに居る。
 その全てが混じり合って曖昧な中間色のまま、ここに居る。
 空になったコーヒーカップを机の上に置いて背もたれを思い切り反らした。今日は随分根を詰めたから、明日の午後にある定例会議に資料は間に合うだろう。
 「自尊心が強いくせに開き直りもできなくて、そのくせいつも涼しい顔で気取ってる……全くヤなガキだったな、我ながら」
 寒々とした蛍光灯の光に向かい、僕は言う。
 あの頃の自分を内側に秘める自分自身に向かって。
 人を好きになるなんて初めてで、どうしていいのか分からなかった。この胸に渦巻いていたものをどうやって君の気に入るように外に押し出したらいいのかばかり考えていた。
 自分ばかりが好きで、大事なあの子を傷つけたことも分からないまま。
 本当に本当に大好きだったのに。
 デスクトップの時計を見る。04:21。なんて時間だ。子供と妻の睡眠を邪魔しないように、またこっそり家に忍び込まなくては。
 「お望みどおり忘れてないようですよ」
 全くひどい呪いだ。あれが最初の、血が沸き立つ思い出。どうにもならない苦難の第一歩。
 体や脳が休息を欲する時は、何故か間抜けで手痛い初恋を思い出す。
 僕はその最初の戦いで困り果てた時、布団をかぶって寝るという選択をしたからか。



 12:15 2009/07/14 光子郎はん30歳前後の話。平凡で幸せな毎日に浸かりながら余裕の傲慢。やな奴。






勇気は彼女がもっている

 「偶にはスカート穿けば?」
 ソフトジーンズに洗い晒しのカットソーを引っ掛けてマカが玄関に居たので、寝起きの俺は口に歯ブラシ突っこんだまま腹を掻き掻き、つい口をはさんだ。
 「学校行く時さんざん穿いてるんだから休みくらいズボン穿かせろ!」
 「短いヤツじゃなくて、普通のロンスカとかひざ丈とか」
 「……朝っぱらから小姑の説教は聞きたくないんですけど」
 スニーカーを靴箱から下して一刻も早くここから脱出せねばとばかりに爪先を突っ込むマカ。
 「いーじゃん。俺マカのふともも好きよ」
 「変態」
 にへっと笑う俺をしれっと冷たい目で一瞥し、彼女はドアを押しあけ外に飛び出した。
 「飯はー?」
 「朝ごはんはテーブル!昼と夜はセルフ!」
 「今日はお前の当番だろおい!」
 閉まった鉄のドアに怒鳴っても返事はない。あいつホントずるいのな。
 しかめっ面で歯磨きを再開して顔を洗う。時計を見たらもう10時前だった。ちと寝過ぎたか。
 テーブルの上にはしなびた目玉焼きとサラダ、それから固まってるベーコンとトースト。
 「スープの袋くらい出しとけっつーの」
 お湯を沸かしてスープの粉に注ぎ、ずるずると啜った。
 窓の外はいい天気で、なかなかに心地の良い風がカーテンを揺らしている。今日は特に用事も思いつかないし、ぶらりと街を散策するか、ギターでも持って公園行くか、ビデオ借りてきてカウチポテトかと逡巡して、どれも面倒くさいなぁとフォークを目玉焼きにつきたてた。
 「パティと屋台巡りでもするかな」
 口に出してみた。ここにマカが居たら大層怒ったであろうことを。
 「椿と映画でも見に行こうか」
 口に出してみた。ここにマカが居たら大層臍を曲げたであろうことを。
 「リズと買い物に行くのもいいな」
 口に出してみた。ここにマカが居たら大層お冠になったであろうことを。
 「それともマカを攫ってエロいことをしようか」
 口に出してみた。ここにマカが居たら決して許してもらえないであろうことを。
 ぐりぐりフォークを押し付けていたぐちゃぐちゃの白と黄色のなれの果てを引っ張り、ケチャップかけて口に運んだ。半熟の目玉焼きを作らせたらあいつ天才だね。
 「なーブレア、マカってどこ行ったんだ?」
 ソファの上で丸くなる猫に声をかけたら、デェ〜ト、と妙な発音で挑発された。
 ちょっ。俺がスカート穿けって言ったくらいで怒る女がデートだとよ。



 10:04 2009/07/28 ソウルはマカに男が出来ても結局何もできなさそうな所が萌えポインツ。






戻れないなら進もうぜ



※ナミはウソップと共に小さな島で降りる。因みにワンピースはゲットした後の話
 サンジとゾロも次の島で降りる。サンジとナミのごたごたは片が付いてます
サンジはルフィに譲った模様(ナミが幸せなら何でもいいと悟った)
ナミはサンジから独立し、ルフィからも手を離して生きてゆく覚悟を決めた様子

……というのを踏まえて読んでください。どっちにしても読んでもアレなだけですが。



 「ナミさんが降りるなら俺も降りよっかな」
 「港で別れたほうが絵になるんじゃない?」
 「……着いてっちゃダメ?」
 「オールブルーに寄り道する暇はないからね」
 「――――――寂しくなるな」
 「この海は繋がってるわ。いつか会える日が今から楽しみ」
 「もしこの先ナミさんにどうしようもない日が来たらバラティエまでコールを。きっと飛んでゆくから」
 「あら、バラティエにはベッドの中にまで伝電虫がいるの?」
 「……火に掛けっぱなしのスープだって捨て置いて飛んでいくよ。君の為なら」
 「そう、期待しないで待ってるわ」

 「馬鹿か!止めろよルフィ!ナミさんはな、おまえに、お前に止められてがってんだよ!解れ!いい加減解れよこのクソゴム!」
 「いいじゃねぇか、海は広い。いつか会う事もあるだろ。
 道はいくらでもある。自分の信じる道を往けばいい、だって俺達は海賊なんだから」
 「本気で言ってんのか、お前の道にナミさんが居なくてもいいなんて!さぁ叫べ今なら間に合う大声で呼び止めろ、ハリーハリーハリー!」
 「ナァーミー!」
 ちょっと間をおいて振り返るナミ。
 「結婚しよう!世界で一番幸せにしてやる!」
 無言のナミ。
 少し笑って後ろ向きに手を振る。
 「自分の幸福は自分で決める!自分の道は自分で決めたいもの!忘れたの?アタシは航海士よ!いつかまた海で会いましょう王様!」

 ゾロ「泣いてんのか海賊王」
 ルフィ「まさか」
 サンジ「フラれた時くらい泣けよ可愛げのねぇ」
 ルフィ「涙は逢えた時の為に取っとく」
 ゾロ「……意外にロマンチストなんだな」



 22:00 2009/07/31 コレがうちのハッピーエンド。どうよ見事な軟着陸でしょ?……ただ、ここに行くまでがどうにもこうにもねぇ……もう10年かぁ……






遊星とシチュー

 マカは背が低い。
 うちのキッチンはちょうど俺が包丁を持つといい具合の高さなので、マカが台所に立ってるのを見てると、なんだか小学生のお手伝いみてぇなの。
 足をちょっと開いて、腰を入れようとしてるんだけど重心が低くて脇が開いちまってる。薄暗い水場にひたひたと水滴が満ちる音。蛇口はきちんと閉めろよな。
 キャベツでも切ってるのか、たどたどしい包丁の音色が聞こえてくるのがくすぐったい。
 ツマラナイわけでもないし無表情でもない。かといって真剣ってんでもない顔でマカが野菜を切っている。まつ毛が半分降りていて、どこにも力が入っていない、そんな顔。
 ああそうか。
 今マカは一人なのだ。
 ソファに寝そべって雑誌を読んでる俺を無視して、マカは今たった一人でいるんだ。
 ふっとそんな事を思った。
 学校から帰ってきてすぐに夕飯を作り始めたもんだから、いつものチェックのミニスカートから伸びる足に靴下とスリッパ。膝小僧には手拭きタオルがぶら下がっていて……生活を感じるぜ。
 ガチャガチャ鍋を引張り出す音。水道が震えている。冷蔵庫のモーターハミング、香辛料の棚が軋んでいるのは爪先立ちして覗き込んでるからだな。
 「ねぇ、ブロッコリー入れる派?」
 視線をこちらに向けようともせずに二つ括りの女の子がそう訊いた。
 一房が目尻のところに掛かっていて、coolでchicな魔鎌ともあろう者が頬に血が差す。
 「下茹でして後から入れる派」
 隠し包丁を入れると早く茹で上がるぞ、と要らぬ節介を焼くのを寸でのところで止しておく。この間、カレーの人参の面取りをしてないと言っただけで厄介なことになったのを思い出したから。
 マカはそれにふうんと言っただけでまた一人の世界へぶっ飛んでいった。
 俺は安心し、雑誌からちょっとだけ目を出して視姦を再開する。
 マカの白っぽい髪が揺れて、少しとがってる紅みの差した唇付近から聞こえる鼻歌。
 ホロストの「ジュピター」か。
 ……じゃあ俺はさながら「メティス」かね。



 17:13 2009/09/03 マカさんが好き過ぎて生きてるのが辛い魔鎌。自分が“木星”だと気付かぬ程。あと「ホ“ロ”スト」じゃなくて「ホ“ル”スト」が正しい表記ですが、敢えて修正しません。自戒の為に。






歌のタイトルみたいだ

 「お嬢さん、風邪を引きますよ」
 暖かい部屋は灯油の匂いがして、ちんちんと鉄網の焼け爆ぜる音だけで静かだ。
 ダウンジャケットをぽいと椅子の背に投げ掛け、電気の通わぬ炬燵の側に座る。
 電気炬燵がいかれたので、古い灯油ストーブを引張り出したこの冬は随分と気温が低く、ラムは寒さに決して弱くないにもかかわらず授業が終わると文字通り飛んでこの部屋に帰る。
 そして灯油を汲んで、ストーブに火を入れるのだ。
 どーもこの手順が好きらしい。
 ……静電気で家を燃さにゃいいが……
 押し入れから綿入れ袢纏を引張り出して、カーペットと床の間に寝転んだまま動かないラムに掛ける。
 不思議な色の長い髪が茶の床と明るい灰色のカーペットに広がって、丸い頭に続いていた。
 ツンと上向きのバストに忍び込んでいる一房の髪が悩ましい。肋骨の形が解る脇のあたりの線とか、ペタンと無駄のない腹回りとか、普段ブーツで隠れてるすらっとした膝下とか、丸い尻だとか。
 そんなのを見てる。
 ずっと見てる。
 「女ってのは不思議な形しとるのー」
 まるで宇宙人だ。
 ……いや、ほんとに宇宙人なんだが。
 膝に肩ひじをついて、背を丸めながら幸せそうにアルカイックスマイルを浮かべるインベーダーの女の子をぼんやり見てる自分が、なんだか自分ではない様な。
 自分の手を見る。ごつごつと骨ばってて、何の色気もない。……爪が伸びとる。
 彼女の手を見る。白くて細くて、ちょっと握れば簡単に折れてしまうんじゃないのか。
 「……細工物じゃ」
 何故か悔し紛れのような口調がこぼれて、それに反応したのかラムが長いまつげを上げた。
 「ん、ダーリン……なにしてるっちゃ?」
 “寝てるキミを見てた”だなんて、それじゃあまるで……



 15:03 2009/09/04 ダーリンは静かにしてるラムをじーっと見てるのが好きそう。なんとなく。






アンコールはいかが?

 目の前にぱちぱちと火花が散る。白いノイズが眼球に直接翳るように。
 自分の唇とは違う感覚と温度。味なんて分らないけれど熱いような温いような。クラクラしてどこからが自分でどこまでが先輩だか、すごく曖昧で。
 でもすごく心地よかった。
 それが快感だった。
 相変わらず頭がフラフラするけど、自分を支えてる腕の力が限界を超えたって倒れたくない。
 耳が痛くなるほどセミの声。
 薄暗い縁側、ひんやりした板の間とサンダルの下にある石の冷たさ。
 汗が落ちる。背中が滝のようだ。気持ち悪い。握ってる先輩の手がぬるぬるしててちょっとエッチだと思った。……変態みたいなこと考えちゃったな。
 息が上手く出来なくて、時々はぁはぁ荒く息継ぎ。それもちょっとエッチな感じ。
 背筋がゾクゾクしながら蕩けてて、もう何がなにやら正直ワケが分らない。
 のに、のに、のに……
 一時も離したくなくて、噛み付くみたいに必死に唇をくっつけてる。
 がっついてみっともないって思われてるかも。
 こんなに長くキスするなんておかしい奴だって軽蔑されるかな。
 もしかしたら先輩はもうすっかりウンザリしてて、嫌々付き合ってる?
 だんだん自分の頭の中が冷静になってきて、どんどん怖くなってきて、僕はそろそろと身体を離した。
 上気した先輩の潤んだ瞳が……なんというか、切なくて、可愛くて……もう、僕、どうかなってしまいそう。
 唇にぬるぬるした先輩の唾液が幾筋も舫い縄をかけている。……掛け続けている。
 「……ん……、もう、終わり?」
 とろとろにねばっこい視線で、先輩がそんなことを言うので。
 先輩も結構エッチだなと一安心した。



 23:22 2009/09/04 サマーウォーズでござい。出ると思ったでしょゲラゲラ。健二君の次のセリフはもちろん「お願いしまァす」です。うるせぇよ。






融解する境界に後悔

 もうだめだ、と少年はドアを押し開けながら思った。どうにも引けない所まで来ている自覚がやっとリアルな形になったらしく、背にどっと汗をかいている。
 フラフラとした足取りで部屋の隅にあるベッドに倒れ込み、ドアを閉めぬままにシーツの中に頭からもぐり唸った。ああもうだめだ、終わった、死ぬ、破滅だ、クソッタレ!
 語調は激しいが全く意気のない棒読みのセリフが布団の中で繰り返され、少年がじたばたと悶える。

 少年は今日、少女に伺いを立てた。なんでもない、どうということもない、日常的な誘いをした。
 少女は怪訝な顔をして何故かと必然性と理由を少年に問う。少年はそれに正直に答えられず、目を泳がしてつまらなさそうな表情を咄嗟に作り(彼はそういう事が得意な方だった)、流暢に寒いからと言った。
 少女はそのセリフに呆れ顔で手袋を貸そうかと言ってくれたが、少年はぶっきら棒にお前の小さな手袋なんか入るかよ、と憎まれ口を叩いた。
 「なによ、お風呂でろくでもないことしてたくせに」
 フン、と鼻を鳴らして少女はへそを曲げた時にいつもそうするように口を尖らせ、言う。
 「アンタあたしの手袋好きだもんねぇ、変態」
 フーガを歌うように付け加えた彼女は少年からわざとらしく距離を取って離れる。
 「頼むからブレアにだけはバレないようにやってよ。殺されたくなけりゃパパにもね」
 二つ括りの後ろ頭が高潔な素振りで遠ざかる。
 少年は恥ずかしさと、情けなさと、挫かれた自尊心と、自覚できない謎の感情が、一斉に身を守る術もない自分に襲い掛かってきたような心境だった。もしも彼に恥知らずで傲慢な負け犬の素質がまだ残っていたのならば怒り狂い、或いは彼女に反論かもしくは復讐などという反応をしたのかもしれなかった。
 だが、もはや少年は例え何からであろうと逃げることを良しとはしない。
 勝ち誇ったように前を歩く少女にそれでも多少の羞恥を持って、彼は言った。
 「待てこら」
 ふっと少女の足が止まり、もったいぶるかのようにゆっくりと振り向く。
 「訂正しろ」
 「なにを? 間違ったこと何か言った? 全部事実じゃない。あれからもちょくちょくやってんの知らないとでも思ってんの?」
 少女がかなりムッとした表情で一歩足を踏み出した。だが少年はそれに怯んだりせずにいつも通りジャンパーのポケットに手を突っ込んだまま、猫背で半開きの目のままやり返す。
 「俺は手袋なんか好きじゃねえよ」
 ぎょっとした顔で少女が青褪める。
 「お前の手袋じゃなきゃイミねーんだよ」
 少年は少女の態度に眉間辺りを歪ませたが、それでも確信的に足を進めた。
 「お前、その手袋ずっと使ってるよな。そんな気持ち悪いもんずっと知らない振りして着けてんのに、手を繋ぐのは嫌なんだ? それってどういう意味? どういう心境なのか聞きてぇ」
 少年が少女に触れられる距離まで来た時、少女は咄嗟に右手を振り上げて少年を打とうとした。何故彼女がそのような行動に出たのか少年には解らなかったが、そのような行動に出るであろうことは少年には解っていた。
 細い手首をジャストタイミングで掴み、少年はもう一度少女に問う。
 「ほら、たったこんだけの事だぜ。いつもやってる事だろ」
 ぶるぶると震える少女の手をそっと離して、うなだれる彼女から距離を取る少年は自分の腹の底からわきあがる謎の感情を必死に堪えながら、出来る限り静かな声を搾り出した。
 「押し倒されるとか思ってんの?しねぇっつってんじゃん、なに、そこまで信用ないの俺」
 絶望的だ、と少年は思った。ああなんと重厚な敗北感よ。
 「何でそんなこと言うのよ!武器と職人の間にそんなモン持ち込むなよ!同居してんのに!明日も一緒に学校行かなきゃなんないのに!逃げらんない場所でそんなモンぶつけ合ったってどうしようもないじゃん!馬鹿!最悪!どうすんのよ!これからこんなクソ重たい荷物引きずりながら!どーやってデスサイズになんだよ!ボケ!アホ!白髪!」
 少女のヒステリーが爆発する。聞くに堪えない暴言悪口侮蔑が見る見る間に積み上げられてゆく。
 少年はそれをぼんやり眺めながら、少女が息継ぎするその瞬間を狙って言葉を差し挟んだ。
 「逃げるなよ。お前言ってくれたじゃねーか、一緒に戦ってやるってさ。
 俺も戦ってやるよ。お前と一緒に戦ってやるからさ、頼むから、俺が男でお前が女で、そんで俺がお前を、その、なんだ。好きなことから目ェ逸らすなよ。
 お前が他の男が好きとか言うなら、俺はそれでいいからさ。……だからせめて引導はお前の手で」
 「無理!無理無理無理!あたしが男の人ダメなのアンタが一番良く知ってるくせに!絶対そういうこと言わないって約束じゃん!何急にそんな、もう、何の冗談よ!」
 「こんなシャレにもなんない冗談言うわけねえだろ。俺はお前の親父じゃねーんだよ」
 「パパのこと話題に出さない約束じゃん!!」
 「うるせぇ。逃げんな」
 「もーやだ!やだ!やだ!!」
 「マカ!」
 少年がパニックになった少女の名を呼んで頭を抱える腕を掴んだ瞬間、少女は悲鳴を上げた。
 「男の人なんか嫌い!どうせ捨てるくせに都合のいいことばっか!あたしは一生誰も好きになんかならないのよ!!もうほっといて!」
 大声を上げた少女が泣き崩れるのを、これ以上を知らないという程の怒りと無力に少年は立ち尽くす筈だった。
 いつもの彼ならば。
 だが少年は何を思ったか、涙で曇ったグリーンの瞳に唇をつけた。
 塩っぽい水を啜り、舐め取り、飲み込んだ少年が、あっけに取られて目をぱちくりとさせる唖然とした少女に向かい、言った。
 「クールな男は浮気なんかしねーんだよ!信じろ!」
 圧倒的な気合と
 勢いと
 貫禄さえ感じさせるそのセリフに
 少女はただ放心状態のまま
 「はい」
 と一言呟いた。

 ああもうだめだ、終わった、死ぬ、破滅だ、クソッタレ!少年がもう一度同じセリフを唱えた。
 明日からどんな顔して居りゃいいんだよ!少年が阿鼻叫喚地獄をのた打ち回りながら、もうほんとに勘弁してください!と奈落の底の色をした空に浮かぶ三日月に哀願するのだった。



 05:04 2009/09/13 ハルカさんとのお題交換企画第一弾。融解、境界、後悔ときたらソウルしか思い浮かばねぇおでの発想力の無さに絶望。“かみさまはしらない”のif後日談。当時マカの理解は「色恋に疎い」だったが今じゃ「色恋に恐怖」にまで病状進んじゃってこの有様でGOZAI!






それのかわりにこれを

 椿のパートナーであるブラックスターは天涯孤独の孤児であった。彼は幼いながら己の境遇を理解し「それと違うもの」「これと別のもの」「どれでもないもの」に成ることを人生の目標と定め、状況が許す限り最大限の努力と負荷を良しとして生きてきた。同居を決めた時、彼が部屋に持ち込んだのはたったひとつのスポーツバッグに納まる程度の衣服と数枚のCDだけ。彼は何事においても全て自分でこなさなければならないことを齢13にしてよく知っていた。
 プラックスターのパートナーである椿は一族の宗家という身の上であった。彼女は幼いながら己の境遇を理解し「それと同じもの」「これと似たもの」「どれでもあるもの」に成ることことこそが良いことだと信じ、だが信じ切れず、迷いの中で一つの道を見出し歩き始めた。同居初日、彼女は実によく喋る自分の職人に多少面食らう。天気や学校やTVのこと、作った料理やこの先の展望、自分がどれほどの力量でいかほどに優れているかを捲くし立てるように喋り続けた。椿はその耳触りともいえる多岐に亘る自慢と、雑多で取るに足らぬ意見や主張を根気よく聞き、朗々とした口上の邪魔にならぬよう静かに頷き続けた。
 「なあ、椿ちゃん」
 「はい」
 椿は柔和で慈愛に満ちたと称するに相応しい目と、濁らず張り詰めずよく通った声で毅然とした返事をする。これは彼女がそういう教育を受けてきたからでもあるし、彼女の性分とも言えた。
 「嫌なことあったらヘンな気ィ使わねぇではっきり言えよ?」
 「例えば?」
 「……一緒に暮らすのが嫌になったりしたときとか」
 その時、ブラックスターなりに椿が自分に合わせていることについて多少負い目があったのかも知れない。
 「嫌にならなければ言わないわ」
 椿の返事に彼らしくもなくほっとした表情を見せ、そうかと一言返したブラックスターを彼女は少し笑って見ていた。他の人が言うほど、この子は自己中心的でも独善的でもないと、自分の目の確かさを証明されたようで嬉しかったのだろうか。
 そんな風に始まった二人の生活はともかく、学校での成績はひどいものだった。
 学科のみで言えば椿の成績は上位に位置していたが、ことパートナーと組んで行う校外実習においては散々の体で、未だに魂獲得数がゼロなのはパートナーを持たない生徒を除けばブラックスター・椿コンビ以外にほぼなかった。ほぼ、というのは失敗や違反などで魂を没収されるコンビが極瞬間的に発生するためだ。
 その代り魂以外の獲得物、例えば魔法の掛ったレアアイテムだの、珍しい遺跡だの、死武専の未チェック悪人だの、魔女の軌跡だのを見つける機会が多く、特例で退学処置は免れているらしい。
 彼らの友人曰く「ブラックスターの興味ポイントは魂集めとちょっとズレている」のだそうだ。
 だが彼らの本分といえばやはり魂を集めて最強の武器デスサイズを作ること。いつまで経っても魂ゼロ個というのは名門出の沽券にも係わりかねない。見るに見かねた教員が2人に話を持ちかけたのはそんな時だった。
 「君たちに一つテーマを出そう。お互いいつもと違う行動をしてみなさい、椿が意見を主張してブラックスターがフォローを担当する。慣れない視点から見れば得るものもあるはずだよ」
 そう言って手渡された実習カードのタイトルを見て、2人は眉をひそめた。
 『迷える兄弟を更生せよ。受注条件:家庭に不和のない職人・兄弟のいる武器のコンビ』
 死武専は教育機関とはいえかなり特殊な場所である。故に直接的表現、忌憚のない物言い、差別表記は一切規制されていない。一番適切で一番本質を捉えた一番鋭い言葉で端的に伝えることを貴ぶためだ。
 「兄が槍で弟が職人というコンビで、周辺の町を荒らしまわっている。子供とはいえもう数人殺しているようだ。怪我せんようにな」
 教員はそう言って事務所には私が登録作業をしておくから今日の午後の便で現地に向かいなさいと席を立った。
 「……椿ちゃんって、兄弟居たのか」
 「え、ええ。兄が、一人」
 「ふぅん」
 ブラックスターは普段、彼女を椿ちゃんと呼ぶ。特に二人で居る時は必ずそう呼ぶ。それは彼なりの親愛の情だったのかも知れないし、彼の素こそがそんな性分なのかも知れない。椿がそれを違和感に感じない程度の時間は経っていたが、家族の話をブラックスターにしたことはなかった。
 「兄が武器で弟が職人って、俺らみたいだな」
 「えっ?」
 「いや、年齢的に」
 実習地に向かう列車内でブラックスターは幾度となくそんなことを椿に話しかけた。自分の家庭の話を訊かれない為なのか、口数が無くなってぼんやりと物思いに耽る椿を気にした為なのか。それはおそらく本人にも解らない。
 椿が教官から渡された、たった数枚のレジュメにはターゲットの兄弟の境遇が書かれている。両親を事故で亡くし、住んでいた村を追われて悪事に手を染めたらしい。死武専にマークされたのはドラッグストアを襲撃した際、誤って殺人を犯してしまい、死体隠蔽のために店主の魂を食べた為。魔武器で殺された場合、魂を食べられた死体は腐敗する前に崩壊し、痕跡が残らないことを知っていたようだ。
 椿はこの兄弟に、おそらくレジュメが何百枚あっても足りぬようなひどい毎日があっただろうと想像した。そして自分がこの二人の身体を貫き、魂を飲み込む瞬間も。
 「んで、どうする。今日は椿が作戦考えるんだろ」
 「……直前に襲撃のあった街で聞き込みをして、今日動くようならすぐに討伐に向かいましょう」
 だたんがたんと揺れる列車のシートに視線を落とし、椿は小さく深呼吸をしながら言う。ブラックスターはそれに何か気の利いた軽口でも叩こうと思ったが、なにも思いつかなかったのでやめた。
 街での聞き込みは簡単で、毎日のようにストアを襲撃したり、名のある強面に勝負を仕掛けたりする兄弟の足取りはすぐに掴めた。死武専の名は強力で、街の協力も取り付けられており、二人はすぐに兄弟と対峙することとなる。
 「うぉー。鈍感の俺でも処置なしって解るほど魂喰ってんなー」
 「まずは話を聞きましょう」
 「話って何を? 快楽殺人者に情状酌量しよってのか」
 「……問答無用で殺すのは嫌だわ」
 「――――――――椿ちゃんが自己主張すんのなら仰せのままに」
 技術のみで言えばブラックスターの成績はトップに位置していた。体術においては敵なしの状態で、武器がなくともある程度の体格の大人でも組み敷くことは可能だった。それが何故パートナーと組んで行う校外実習において発揮されないのかと彼を知る者は皆首をひねる。もちろん基礎体力も技術も幼い兄弟をとっ捕まえることなど朝飯前だ。いくら魂で武器が強化されていようとも、それを扱う職人が素人ではブラックスターの敵ではない。
 「魂の共鳴の仕方も知らんで俺様に向かってくる勇気だけは褒めてやるよ」
 気絶した弟を抱え込み、片腕を武器変化させた兄にブラックスターは見栄を切る。
 「逃げてもいいんだぜ小物。すぐとっ捕まえるけどな」
 「どこの世界に弟を見捨てる兄貴がいるか!」
 叫んで突進してくる兄に身がまえたブラックスターの身体がひきつった。魂の波長がずれた時の痛みが全身を駆け巡り、行動がワンテンポ遅れてしまう。手に持った鎖鎌の鎖から火花が散り、煩わしい金属音が響いている。
 「椿!動揺するな!」
 「は、はいっ!」
 椿の返事がブラックスターに聞こえた瞬間に強引に弟の身体が引っ張られ、脇をすり抜ける兄が思いきり彼の背を蹴り弟を奪い去って街に消えた。
 「……追うか?」
 いつもならばそんな事を尋ねもせず、彼は猛スピードで兄弟を追撃しただろう。
 「ここで見逃したって、どうせ死武専は別の職人と武器を送り込んであいつらを殺すぞ」
 だがブラックスターには解っていたのだ。椿の魂の振動がそれを強烈に拒んでいることを。
 「そんなの優しさじゃねえよ」
 だがブラックスターには解っていたのだ。椿の魂の振動がそれをきちんと理解していることを。
 「……また今月も魂獲得ランキング、ビリだな」
 椿が変身を解き、眉尻を思い切り下げたすまなさそうな顔で肩を落としているのを一瞥したブラックスターはため息をひとつついて右手を差し出した。
 「手ェつないで帰ろうぜ」
 ブラックスターは暗殺術を心得ている。故に利き手はどんなに信用していようとも誰にも預けないように注意深く心掛けていたが、彼女にならばこの命綱を預けてもよいと思った。
 「ねぇブラックスター。今からあまり愉快ではない話をするけれど、聞いてもらえるかしら」
 椿は自分の家系が気が遠くなるほど長く続いていることを嫌というほど知っている。故に死武専でも家庭の話は避けていたが、彼にならばこの誰にも言えなかった重石を打ち明けてもよいと思った。
 「おう、任せとけ」
 ブラックスターには家族がない。
 椿には兄弟を粛清する義務がある。
 だがお互いにお互いは多分ずっと居てくれるのだろうと、二人はその日初めてそれぞれに確信していた。



 12:19 2009/09/28 ハルカさんとのお題交換企画第二弾。★椿がガッチリ和解したエピソードって、多分こういうトピックスめいた事件じゃなくて、もっと日常の何でもない事の方がらしいんじゃないかなーと思ったんだけど、何でもない事を書けるほどおでに筆力はないのでほんと生きてて御免なさい。運命の代わりに選択を。気に食わないものを意志の力でひん曲げるタイプのキャラクターとして★は正しく少年漫画の主人公だよな。因みに魂喰ったら死体が消える云々は川井設定なので気をつけろ。






せめてこの灯が消えるまで

 ぶん、と大振りな拳が頬の間近まで飛んでいって、大きな音が鳴った。
 ボション、ボション、と川の流れの中に何かが落ちる音が二回。
 自分の掌に納まっている拳は意外に小さく、意外に芯のある鋭いパンチで無性に嬉しくなってる。
 「お前のコブシなんか二度も貰うかよ」
 「ハイご苦労さん!」
 左手の拳を軸にしてパティの身体がぐるんと回転して足が飛んで来た。
 「バカテメェふざけんな!」
 「どっちが!」
 慌てて後方に上半身をそらしたのが悪かった。まさかあんな咄嗟の大技がブラフだとは思わねぇだろフツー。でもそいつは綺麗な弧を描いて俺の股間をバッチリ捕らえていやがって。
 「隙アリ!」
 右手の裏拳が華麗に決まって俺は無言のうちに崩れ落ちる。
 「〜〜〜〜〜〜〜〜っっっっ!!!」
 脂汗と頭痛が、例の場所に重くのしかかる鈍痛に同期するようにクズズク跳ね踊って止まらない。
 「乙女の唇の代償がこんなもんで済むんだから有難く思いな」
 途切れ途切れに聞こえるパティの声が相変わらずの脳天気さではなく、ちょっと潤んでいるような気がして全身を支配する痛みに逆らい、必死で首を伸ばす。
 「お前なんだよ、泣くなよ、悪かったよ」
 綺麗な金の糸で飾られたみたいな髪が揺れている。
 「泣くか!このすっとこどっこい!ワケのわかんねえことしやがって!」
 袖口でそんなに拭うなよ、傷付くだろバカ。
 「だってしょーがねーじゃん、したかったんだから」
 「……椿にやってろ!」
 なおも蹲って動けない俺に蹴りをぶち込む容赦のない女が無体なことを言う。
 「うるせぇ!俺はお前にしたかったんだよ!!」
 後ろめたさや疾しさを感じるのは気のいいドロボウか小心者の嘘つきだけだ。
 俺は善良でも正直でもないから気が咎めることも差すこともないし、ソウルやオックス君みたいに愛だの恋だのに喜んで絡むほど暇でも孤独でもないから、簡単な事だと思ってた。
 事の起こりはこうだ。
 とある日曜日(つまり前々から約束してたパティと渓流釣りに行く日)、待ち合わせ場所に現れたそいつはいつもの派手なキャップを逆さまに被って、ダブついたオーバーオールに長袖のTシャツ、安全靴とお揃いの迷彩柄のクーラーボックス&ロッドケースという出で立ちに、大変おむずがりの顔を張り付けてやって来た。
 早朝からそんな不機嫌マックスなツラで現れたので、どうせまたキッドかリズと何かあったのだろうと思って、秘蔵の椿おにぎり(たらこ)をひとつ取り出して分けてやった。
 列車の中では腹を満たしてそれなりに気を持ち直したらしく、駅に置いてあったパンフレットを見ながら今度は海釣り旅行もいいねぇ等とのんきなことを言ってたのだが、目的地について川を遡っている時に、黒髪の優男(全然キッドに似てない)と薄い紫色の短髪の女の子(言われるまでクロナっぽいとは思わなかった程度の似方)が仲睦まじく近場のキャンプ場で朝食を分け合ってるのを見つけてからとゆーもの、一言も喋りやしねぇもんだからさ。
 糸を垂らしながらぼんやり心ここに在らずのパティにキスをした。
 で、冒頭に至る。
 「はっ!童貞の精液クセェ同情なんざイラねぇよ!」
 「るせぇヤリマン!誰が好き好んでオメーみてぇなスベタに同情するか!」
 「胸糞悪い善意なんざ押し付けてんな!」
 「暗殺者に向かって博愛精神夢見てんじゃねーぞボケ!」
 怒鳴ったら、パティは遂に地面に膝をついて蹲った。薄い灰色の岩の上に丸い黒が数個現れる。
 「……竿流れたから取ってくる。逃げんなよ、ボックス二個持つのは御免だからな」
 川の流れは結構速く、俺にしては上等のカーボンロッドは細かい傷だらけになっていて、毎日の手入れを眺めてる椿にどう言い訳したものかとションボリだぜ。まだ新品だったのに。
 さらにしばらく川に沿って下ってゆくと、パティの竿を見つけた。おれのより二つぐらい上のグレードで、釣り具の事を何も知らないキッドとリズが渓流用のリールと釣り糸のすげーいい奴を誕生日にくれたらしく、何でもすぐパクってくるパティが珍しく死神様のお使いと学校で怪しげなアルバイトをして貯めて買ったことを俺は知ってる。
 それまで海釣り一本だったパティが渓流釣りも嗜むようになった転機の竿は、急流にもみくちゃにされて糸がリールに絡まりまくり、リールのハンドル部分のプラスチックにでかい亀裂が走っていた。竿に至ってはトップ部分がどこかへ行ってしまってて、修理しようと思えば半分以上別物になってしまいそうな有様だった。
 俺は一瞬見つからなかったといってこいつを藪の中にでもブン投げようかとも思ったけど、思い直して冷たい川水から拾い上げて担いだ。
 元居た場所にのこのこ戻ってみると、10分前と同じ格好のパティがクーラーボックスに座ってぼんやり何処ともない所を見ていた。
 「ほれ。ロッド折れてたぞ」
 「イラネ。捨てといて」
 「ねーちゃんとキッドがくれたんだろ」
 「それ部品取り換えできねーヤツ。糸もスゲー絡まってンし、リール割れてんじゃん」
 「糸は解けばいいし、リールはパテで埋めればまだ使える。ロッドはまたバイトして買え」
 「……いいよ、もう、めんどい」
 膝に額を擦るようにして下を向くパティの声が低く擦れていて、全然らしくない。
 「なに拗ねてんだよテメー」
 「うっさいなぁ、高い竿折ってブルー入ってンだから静かに落ち込ませろよ」
 「そーじゃねーだろ、朝から気分悪ィんだよ。話せ、何があったんだよ家で」
 本当は薄々見当がついている。キッドがクロナにお熱なことも、リズが死神様といい仲になっちまってることも、俺はこいつの表情を見て見当が付いていたし、予感もしていたから。
 「喋れない」
 「なんで」
 「泣きそうだから」
 「なに、心許したらすぐ懐いちゃうタイプ? ビッチまで惚れさせるとは俺様も罪な男だぜ!」
 変な方向の雰囲気が蔓延しそうな空気を感じ取って、オハコの定型ボケを一挟み。
 「……おい馬鹿」
 「なんだよ馬鹿」
 「なんだってキスなんかしたんだ」
 「さぁな、ムラっときたんだろ」
 正しくはイラっと来たんだが、何故だかそう伝えるのを俺は躊躇って別の表現を探して、結局丁度いい形容が見つからず、自分の感情を紛らわしてしまった。
 「………………おめーとはもうちょっと友達でいたかったよ」
 ロッドをケースに仕舞い、クーラーボックスを担ぎ上げてパティはさっき降りてきた土手へ上る階段に向かい、痺れるような低温の低音でそんな事を言い捨てた。
 「おい、人をレイプ犯扱いして去んな」
 「てめーこそヤリマンとスベタっての訂正しろ。あたしがヤりたくてヤッたのはキッドだけだ」
 確かな足取りで、やけくそでも何でもなくパティは歩く。元来た道を。
 俺はその後ろ姿を見ながら、こんな同情はきっとこいつに何の意味もないんだろうなと思いつつ、言わずに居れなかった。我ながらはた迷惑な奴だぜ。
 「じゃあ俺とヤれ。お前童貞好きなんだろ、やるよ俺の童貞」
 「……人の話聞けよノータリン」
 憂鬱そうにやっとこっちを振り向いたパティは、奈落の底のような色の昏い目を俺に向ける。
 「頼むから意地張らせてよ、あたしあんたが思ってるほど強くないんだから」
 怒鳴られるか罵られるか誹られると思っていたのに。
 いつも虚勢だらけで腹黒で何を考えてるか分からないほど笑ってる女の子は、小さく弱音を吐いた。
 「じゃあお前の泣き場所ってどこだ!? おまえずっとそんなんでいいのかよ!」
 泣き場所になってやろうなんて殊勝なことは思ってなかったし、マジでパティが泣きたいとも正直思ってなかった。でも何かやらずに居られなかったという、単なるおれの自己満足だって解っていた。
 「クロナからキッド取り上げるの躊躇ったり死神様からお姉ちゃん取り上げるの迷ってる女に、椿からお前取り上げろってのは酷じゃね?」
 ため息みたいなセリフを言い終わった諦め顔のパティは、疲れたサラリーマンみたいな足取りになって階段をテクテク上がって行った。
 ああそうか、俺は馬鹿なんだなとしみじみ噛みしめながら、心なしか色のくすんだ金髪が河原の木の梢に消えるまでずっと見ていた。消えてから見た物は拳を掴んだ右手にまだうっすら残る赤い痕。
 俺はその右手で拳を作り、自分の頬を殴った。
 おお流石俺様、いいパンチ。
 そのまま河原に引っくり返って太陽が真上に来るまで川のせせらぎを聞いてたとある日曜日の話。



 10:04 2009/10/01 ハルカさんとのお題交換企画第三弾。『★がいろいろ溜めこんでるパティをよしよししてあげる話。身体で』がやっと書けたのコーコロー。結局★から見える所はよしよし失敗っぽいけど、パティさんからすれば誰かが溜めこんでる事気付いてくれて知っててくれて、そんだけでもう充分みたいな。素敵な問題児の7日前、せめてこの手のひらの灯火が消えるまでは懺悔していよう。
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