Stuck On You

 僕の肩に爪が食い込んでいる。
 手にも。
 長い爪、長いまつげ、長い髪。きれいな肌、いい匂い。汗の雫が服に落ちる。
 心臓が痛い。理一さんのバイクのエンジン音に似たものが全身を揺らす。相変わらず瞼の奥に陰る白いスパークはいつか読んだ本の一節を思い出させる。つまり『あの眼差しは彼の目を貫いて喉を通り、心臓のまんまんなかを突いたのだ』。
 無茶苦茶で出鱈目な8月1日まで、僕がじっくり見た事があるのは先輩の後ろ姿と横顔だけだった。部室で静かに髪を梳く背格好を見てああ女の人ってきれいだな、と思ったあの日から。
 どんな気持ちでまなざしてたか、貴女はきっと知らないんだ。
 緊張して歯がガチガチと鳴る。姿を見るだけで体温が一気に上がる。泣きたくなるような日だってあった。
 『ちゃんと幸せにしてくれるかい?』
 初めて会った彼女は僕の目を見据えてそう尋ねた。先輩と同じ色の瞳で。
 僕は上手く答えられず、ついに改めて言い直せぬまま彼女と二度と会えなくなった。
 もし、あの時世界が終っていたら。
 もし、あの時僕の何かが欠けていたら。
 もし、あの時どこかの歯車が噛み合っていなかったら。
 僕はこうして先輩とキスをする事もなかったし、大好きと言ってもらえなかったし、告白だって……
 急に全身の毛穴が開いたみたいにゾッと身体が冷えて、ザワザワと正体不明の感覚が肌を這う。
 「なななな夏希せんぱい!」
 唇が離れると同時に名前を呼んだ。ぬるぬる光る生命の色をした唇。後れ毛なんか首筋に張りついちゃってて、とっても、その、なんというか。……エッチです。
 「んもう、その、センパイっていうの、ムードない」
 不満と書かれた顔でさえ僕の魂とかそういうものが容赦なく揺さぶられて堪らない。さっきまで触っただけでビクビク震えて人の肩を力いっぱい握り潰してたあの人が、精一杯いつもっぽく振る舞おうとしているこの人が、取るに足らぬ何でもない僕みたいな奴にこんな視線を向けるなんて。
 ……いや違う、僕は知っている。先輩が向けてるのは「僕みたいな奴」じゃなく、誰でもない「僕」だってことを。
 ああ、ああ、もう、嬉し過ぎてくらくらする!この喜びをどう伝えればいいのか解らなくて胸が張り裂けそう!
 「す、すいません!でも、もうが、が、まん、できなくて!」
 しまった噛んだ。なんだい、変なイントネーション。みっともない、だらしのない。頭の隅っこのいつもの僕が頭を抱えて蹲っているのが見えた気がする。汗がしとしとと服の襟に染みてゆく。のどぼとけに絡みながらゆっくりと伝い落ちていく気持ち悪さ。火照る顔を背け、下唇を噛んでただ耐えた。ああ、もう、情けない!
 「なにをがまんしてるの?」
 白くまろやかな指が自分の真っ赤な指に絡んで、ぴくりとも動かない。その途端、畳に何かが降った。ぽたぽたと音を立てて。
 それが彼女の汗だと気付くより先に、はっと顔を上げる。
 赤い顔。
 指を絡めただけで、僕と同じくらいに。
 これでも僕は年頃の男なので肌を露わにしている女性が掲載されている碌でもない本だって読む。その碌でもない本から得た知識によるとこうだ。【とりあえず肌が火照ってれば気持ちよくなってると思ってOK】。間違って二冊買ったからと、あの「今年の夏こそ!初体験Q&A大特集号」を押し付けられて財布を出し渋ったけれど、今なら言える。ありがとう佐久間!
 「せ、いやっ!な、夏希さ、ん。をっ!」
 「や、やだ、落ち着いてよ」
 「なつきさん!」
 「はっはい!」  「ナツキサン!をっ!その!そのっ……!」
 おかしいな、こんなに汗でドロドロ、変な唾が止まらないのに喉がガラガラでうまく言葉が出なくて、焦る。早く言わなくちゃ、上手く言わなくちゃと急けば急くほど頭の中がバラバラになって……!
 「健二くん、去年の8月1日って何曜日?」
 突如先輩が顔を覗き込んだので、僕は咄嗟にツェラーの公式を頭に思い描く。
 「えっ……2009年の8月1日だから……」
 「遅いっ土曜!」
 「あっ……はい。土曜日、です」
 一瞬先輩も数学好きなんですか、と訊ねようとして、自分がどれだけ正体を失くすほど興奮しているか知った。
 「……どう? 数学のこと考えたらちょっとは冷静になれた?」
 汗で濡れ鼠みたいになってる紅い頬の先輩が大おばあちゃんの誕生日は覚えてるのよ、と意地悪っぽく笑って。
 僕の世界が消えた。
 畳も、そこに散らばる汗も、先輩の白いワンピースも、自分の着てる少々くたびれたシャツも。何もかもが全部闇だか光だかの彼方にぶっ飛んで消えた。
 守ろう。この人を守ろう。世界中の何からでも誰からでも。守ってあげたくなるとかじゃない、守らなければならないと頭よりもっと深くが命じる。そうせよと僕を突き動かす。
 これは一体何だろう。単なる情動だろうか。勢いとノリだろうか、流れだろうか。なんとか残った理性にやっと引っ掛かった小指の力を振り絞って僕は必死でしがみ付く。この性欲でも思慕でも憧憬でもない、強力で抗い難い初めての衝動の正体を僕は心から知りたいと思う。
 「ナツキ」
 うわ、呼び捨てにしちゃったよコイツ。急過ぎだろ。ナニソレ。頭の中の僕のアバターがラブマシーンに乗っ取られたあの性根の悪そうな顔でシシシと嘲う。……うるさい!だまれ!!
 「ひゃいっ」
 目ん玉をきょときょとさせている先輩がおかしな声で返事をしたのが最後。
 ベタベタする服の引っ掛かりを無視して。冷たく滴る汗でぬめる彼女の髪ごと頭を掴んでがっちり固定して。畳の上にぺたんと座っている彼女の側に立て膝で起き上がって。
 取り返しがつかなくなるキスをした。
 肌が熱い。心臓がうるさい。汗が煩わしい。頭はズキズキするし、下半身はもっとズキズキするし、目から謎の涙は出るし。まるっきり見っともなくて情けなくて恥ずかしくて最悪なまま、大好きなこの人に。
 栄さん、栄さん。もしも天国から見ていらしたら、少し目を閉じていてください。どうかお願いします。小磯健二、一生のお願いです。
 クチュクチュした振動が鼓膜に響く。さっきまで五月蠅かった蝉の声が聞こえなくなって「ちゅぱ、ぬちゃ」って音だけが大きく聞こえていた。くすぐったい。こそばゆい。先輩の額に髪が張り付いている。パックの卵みたいに並んだ玉の汗が思い出したように滴り落ち、僕の指の間を通ってゆく。
 どこまでも沈んで行けそうなほど柔らかくて、日なたのコンクリートみたいに熱い先輩の舌がおずおず蠢いている。息が詰まる。てゆーか息をしてる暇すら惜しい。でも息をしなくちゃ死んでしまうし、さりとて唇を離すなんて出来やしない。だって、先輩が、夏希先輩がっ!僕の口を吸ってるんだぞ!!
 目を閉じても世界が歪む。赤や白や黒や灰色、緑とか紫とかピンクとか茶色の細かい色とりどりのドットが砂嵐みたいにザーザー音を立てて荒れ狂っている。オズの大混乱の時みたいに。
 蕩けそう。馬鹿になりそう。もう死んでもいい。そんな事を思い始めたころ、やっと自分の手の甲にカリカリと先輩の抵抗を感じた。それでも僕は躊躇いがちにそっと唇を半開きにしてほぼ零距離で口を動かす。
 「ど、どうしました?」
 「……も……だ、め……」
 短いやり取りが終わった瞬間、先輩が僕の手の中からするりと抜け落ちた。待って、と掴む前に。
 どうしよう。やっぱり嫌だったんだ。当たり前だよな、こんなの、急に……
 最高潮の高揚から突き飛ばされて真っ逆さまに奈落へ落ちる。蜘蛛の糸が切れて地獄へ逆戻りしたカンダタの気分。フェルマーの書き込み入りの『算術』原本を見て「この定理に関して、私は真に驚くべき証明を見つけたが、この余白はそれを書くには狭すぎる」と書かれていたのを発見した息子の気分。
 暗澹たる絶望のまま、畳の上にうつ伏せる先輩に怖々目をやると、どう見ても不自然な恰好だ。
 「あの、せ、先輩? 夏希先輩?」
 ちょんちょん、と肩に触れ、返答がないのでそっと起き上らせてみた。目を回している。
 「な、なんで?」
 慌てふためいて部屋を見回すに、柱に掛かっていた室温計が目に入った。
 セ氏38度。
 「ねねねね熱中症だあぁぁぁ!!」
 悲鳴を上げたら通常とは違う方向へドンと開いた襖を踏み付けるようにして万助さんが飛び込んできた。
 「佳主馬!風呂に水を張ってこい!万作は氷だ!急げ!」
 どたばたと襖で仕切られただけの狭い四畳半の布団部屋が開け放たれて真夏の日差しと風が差し込む。
 「え? え? えっ!?」
 「お前さんも来い!体を冷やさんと馬鹿になっちまうぞ!」
 「えっ!? ちょっ……!?」
 先輩を抱えた万助さんが僕の左手首を引っ掴んでどたどた廊下を爆走した。グラングランする視界が頭を引っ切り無しに打ちのめしている。
 「そおれ!」
 掛け声とともに、いつの間にか僕の足を掴んでいた理一さんが楽しそうにブン投げた。
 どっぽんと水しぶきが上がった音がして、皆が大笑いしている。な、なんだ? 何が起こってるんだ?
 目をぱちくりさせている先輩が僕の隣で同じように頭の上をはてなマークだらけにしている。
 「何事よぉ、このくそ忙しい時に!」
 騒ぎを聞きつけたのか理香さんがやってきて、風呂場の戸口で僕たちの有様を一瞥した。
 「熱中症の治療」
 理一さんがクックックと笑いながら漏らした一言で全てを察しでもしたのだろうか。手に持っていた何かの箱でトントンと肩を叩いて、この真昼間っから閉め切って何やってたやら、と呆れ顔。
 「な、何事なの?」
 「わ、わかりません」
 顔を見合せてぽたぽた雫の垂れるお互いを見ていたら、夏希先輩の白のワンピースがくっきり透けて肌に張り付いているのに気がついた。慌てて目を逸らそうとしているのに、おかしいな、体が動かない。
 「お兄さん、鼻血!」
 僕が覚えているのは佳主馬くんの悲鳴だけ。
 あとは知らない。

 枕元にうちわを持って髪を上げた夏希先輩がいる夢を見て、僕は手を伸ばした。
 あの時みたいに力いっぱいじゃなくて、優しくなぞるように指が僕の指に絡む。
 「ぼ、僕、翔太にぃみたいに車持ってないし、理一さんみたいにサイドカーも持ってないけど」
 どうしてこんなことを言い出したのか自分でもよく解らない。ぼんやりフワフワしててあまりにいい夢心地だったから怖いものなしだったんだろう。
 「でも、一緒にどこか行ってくれますか、と、東京に帰ったら」
 手を握る。それだけで勇気がわいた。1+1が10にも1000にもなる瞬間を僕は知っている。
 「楽しみにしてる、びっくりする程ボロい自転車でどこでも連れてって」
 そんな声が聞こえたから、僕は満足してもう一度瞼を下した。
 ああいい夢だ。
 とってもいい夢だ。
 ねえ栄さん、あなたもきっとこんな気持ちで瞼を閉じたんですね。



 10:46 2009/09/17 第71弾サマーウォーズ。もう秋だけど。性衝動を一生懸命抑えようとしてる高校生って可愛いよね。そして努力空しく敗れ去って(陣内一族全員にいらんことしてたのがバレて)大後悔にのたうつ男17歳こそ至高だよね。






模範受刑者

 なあに、大したことじゃない。よくあることだ。起こりうることだ。ちっとも珍しい事じゃない。
 「ちょっと、ドア閉めてよ」
 窓に掛ったクリーム色のカーテンが揺れている。風に靡くというほどではない速度で。
 屈んだ彼女の背に、襟足寸前に、赤い跡。
 「おまえそれ」
 そこまで口に出して彼は己が何を言うつもりなのかと戦慄した。眉が自然に寄り、頬を顰めている。苛立っているのかも知れなかった。
 彼女はそれを意にも介さずただ淡々と洋服を着替えている。制服をハンガーにかけ、ほこりを払う。長目のシャツに袖を通してスカートを穿く。学校指定の白い靴下はそのままに。
 「心配しなくても明日には消えるわ」
 明日は確か体育の授業はプールだった。泳げない彼女はどうせ一日中バスタオルのマントを被って日陰の女王として君臨しているのが常なのだが。
 彼はさまざまに思い巡る自分の頭の中の空隙をどのような感情で満たせばよいのかを考えあぐねた。怒りでも悲しみでもまして喜びでもないザワザワとしたぬめる黒い物が全身を刺している気分だったから。いつもの6畳の部屋に置かれているベッドがなぜだか急に目障りなものに思えてくる。
 「着替えを覗きに来たの」
 勉強机に向かい、何の感情も持たず、彼女は通学鞄からレジュメとペンケースを取り出してシャープペンシルを数度ノックする。いつも帰ってすぐにそうするように。
 「もうお父さんからお説教されたんだからいいじゃない」
 かすみに頼まれて持ってきた温め直された夕食の乗った盆を棚の天盤にそっと置いて、彼は時計を見る。午後10時前。
 「学校帰り、良牙と歩いてたろ」
 低い声でともすれば脅しているかのように彼が言った。
 「それがどうかした」
 だが彼女はそれに動揺はおろか興味すらなさそうに、尋ねようという意思すらなく言葉を返す。
 「今まで一緒にいたのか?」
 「だったらどうなの」
 彼の言葉尻に噛むように淡々とした声がする。それはまるで文章を読み上げるためだけに特化した抑揚のないアプリケーションのようだ。
 「お父さんに黙っててくれてありがとうって感謝すればいいの? 後をつけて来なかったことを褒めればいいの? まさか今更許婚がどうのこうのと言い出すんじゃないわよね」
 少し珍しい形の椅子が軋みながらゆっくりと主人を乗せて回転する。
 「私とあんたの関係はビジネスでしょう。あんたが最初にそう割り切ったの。自分の人生に私を混ぜないって、あんたが最初にそう決めたのよ」
 「な、なんだよそりゃ!おれがいつお前を」
 「じゃあ今ここで抱ける? さっきまで他の男に抱かれてた私を」
 まるで魔王のように、デスクライトを後光のごとく背に受けた彼女は静かに言い放った。その表情には曇りもなく、彼女を神と仰ぐあの男なら聖母とでも呼びそうな迫力である。
 正体不明の威圧感に彼は圧倒され、ショックと委縮と『ザワザワとしたぬめる黒い物』に全身を刺されるばかりだった。薄く震えさえ覚える彼は自分の口が縫われてしまったかのような錯覚さえ覚えている。
 「無理よね。だって乱馬は素直で優しくて自分だけ大切にしてくれる天道あかねが好きなんだものね」
 でもそんなの居ないわ。冷たい温度で彼女は吐き捨てるように言った。
 「今ここで抱いてくれるなら」
 私とあんたの関係はビジネスだってのを撤回してもいいよ。彼に挑戦する彼女の瞳は昏く濁っていた。まるで夜の闇のように。
 彼女はその位置を動かず、彼もまた自分の立ち位置を変えず、ただ静かな六畳の間を共有していた。それ以外の行動を禁じられた囚人にも似た勤勉さで。
 彼は永遠にも似た重苦しい雰囲気に呑まれながら、ただ呆然と女ってのはタフだな、という感想を持った。



 17:37 2009/09/18 第72弾らんま半分。ハートフルボッコ乱馬。あかねがこういうジャンプの仕方をした場合、乱馬はやっぱ天道家出てくんかね。でもあいつ腰抜けだから「出ていく=状況説明しなけりゃなんない=あかねが窮地に立つ」からとか言ってずるずる居そう。嫉妬深い小学生以上のスタンスをあかねに持てない乱馬じゃ、日常が続く限りは瞬発力で良牙に絶対勝てないとおでは思う。






ふたりぼっち

 俺は何故だか時々パティが泣いてる場所に出くわす。
 お気に入りの場所が、たまたまパティの泣き場所だったってだけなんだろうけど。
 子供みたいに目を擦りながらわんわんと声を上げて泣き喚いている。
 俺はそれをボンヤリ見ている。
 風の加減で泣き喚いている内容が聞こえることがある。
 クロナを呪って、キッドを恋しがる、そういう内容。
 でもあいつは一度だってキッドにそれと気取らせることはないし、クロナに気を使わせるような顔さえ見せない。いつも気楽に笑っていて、誰にも(きっとリズにさえ)その慟哭を聞かせたことはないのだろう。
 「女って強いなァ」
 俺は一度あんなふうに泣いちまったら、もう二度と普通の顔が出来ないと思う。いつもの顔なんて忘れてしまうような気がする。だから俺は必死で涙を食いしばるよ。死んだって泣いてなんかやるもんか。
 風が吹いてる。
 今日の泣き言は、どうもブラックスターと何かあったらしい。何度かあの筋肉馬鹿、という単語が聞こえたから。……ああ、もう。何でこの世は何から何まで上手くいかねぇの。本当にもう、嫌になってくる。
 パティは決して泣いたりしない。泣き言も言わない。そういう強い奴だって信じてたかったよ、弱音なんて吐かなくていつもゲラゲラ笑ってて何考えてるんだか謎のバカキャラで居て欲しかったよ。
 それがマカみたいに、一人で堪えて一人で泣いてるなんて。
 そんなのほんとに、辛いじゃねえか。
 リズが辛いじゃねえか。
 キッドが辛いじゃねえか。
 ブラックスターが辛いじゃねぇか。
 そして無関係なはずの俺さえ居心地が悪い。
 「……もし、お嬢さん。お邪魔でなければ、その、なんだ。力になりますがね」
 ヒッと小さく悲鳴を上げて、蹲るパティが迷子になって途方に暮れてる子供みたいな顔で俺を見た。涙でぐじゅぐじゅの顔はひでーブサイクっぷりで、百年の恋も冷めそうだぜ。
 「何でテメェがここに居ンだよくそったれァァァあァァ!!」
 狂気か、羞恥か、混乱か。殺す気満々の顔でパティが凄まじいダッシュでこっちにぶっ飛んできやがる。俺は生存本能が働いたかして咄嗟に左手を鎌に変化させて防御の体勢で耐えた。体術の授業、真面目にやってて助かったぜ……命が。
 「……てっ!待てパティ!そっちが後から来たんじゃねえか!」
 「うるせぇ!聞いたな!失せろ!忘れろ!滅び去れェ!」
 おお、ものすげえパンチのラッシュ。背骨に響く凄まじい振動が俺を何故だか冷静にしてしまった。一応こっちは男なもんだから、こいつの身体能力が並じゃないのを考慮しても……やっぱパンチが軽い。
 ばちん、とひときわ大きな音をさせてパンチを弾く。パティの体の芯を半分もっていく形で重心を狂わせた。正攻法じゃ敵わなくても小手先と魂の波長を読むのは俺の方が得意なはず。
 ぐらっと傾いだパティの身体、肩から背にかけて辺りを胸に落とし込んでまだ勢いを失わない腕を両方がっちり掴んで交差させる。警察がよく使う護身術を真似てみました。
 「よーし、落ち着けパティ、どうどう!な!落ち着け!頼むから出会い頭に殺そうとすんのナシ!」
 ぜーはーぜーはーと、思いっきり乱れた呼吸で涙や涎を啜る音。あーキタネー女。
 「離せ!ちくしょう!殺してやる!」
 ギャアギャア喚いてるパティを地面に無理やり座らせるように押さえ込む。気分はまるで猛獣使い。俺はどっちかっつーと頭脳労働者だからこーゆーの苦手なんだけど。
 それからどのくらいかなぁ、確実に次の時間の授業は始まってそうな雰囲気だけど、結構しばらくそうしてた。暴れてたパティもうううとかクソとか畜生とか、なんかぶつぶつ言いつつずいぶん静かになって、変に漲ってる身体の力が抜けていて、俺に体重を預けさえしていた。
 甘い香水の匂い。汗と涙と涎の匂い。ああ、コレが女の匂いですか。
 顎の下できらきら太陽を反射している金髪が眩しくていー匂い。日向の猫みたいな。
 「おい」
 「なんだよ」
 「ここ、ソウルの泣き場所なの?」
 「……キッドが入学する前からな」
 「そか。そりゃ、悪かった」
 「いーよ、別に」
 「誰にも言わないでくれる?」
 「お前が俺の泣き場所バラさなきゃ」
 「……じゃあ、これも、皆に黙ってて……!」
 震える声がそれで最後。
 後は俺のシャツにしがみ付いたまま顔も上げず喋っていたパティが崩れるように泣いた。
 悲鳴で魂が割れてしまうんじゃないかというほど。
 俺はその泣き声を聞きながら、何故だかマカを思い出していた。髪は短いし、身長もデカイし、おっぱいなんか異次元みたいなサイズ差なのに、自分の胸で泣いてるのが意地っ張りで気が強くて努力家でちょっぴし優等生から外れてる、相棒のような気がしていた。
 マカは多分俺の胸でなんか一生泣かないだろうけどさ。
 風が吹いてる。
 日が照ってて、暖かい。
 俺は猫をそうするように金色の髪をずっと撫で、頬を何かが伝っていたことを知った。



 21:22 2009/10/10 さっこ先生がおでに「ソウパテを書くべき!」ってついったで言うから。我ながら自分のフットワークが怖い。パティは同属(★)の前でも上位(キッド・リズ)の前でも他者(マカ・椿)の前でも泣けないけど、無関係(であり自分の理解できない他者を許容出来る)ソウルの前でならば泣くかもしれない、という妄想。でも結局二人は理解しあうことも近付き合うこともしない。何故なら無関係じゃなきゃお互い泣いたり出来ないから。この話をベースにしたさっこ先生の『檸檬』設定の話も考え付いたけど……どうしよう、コレ……







ベビードール

 キッドとクロナの結婚式当日。
 あたしはコレオプシス・ランケオラタ(椿ちゃんは大金鶏菊つってたかな)みてーなド派手な色のドレスを(おねーちゃんに無理やり)着(せられ)ていて、その明らかに花嫁より目立つ風体をダシに会場から逃げ出してチャペルの入り口に居た。
 煙草を吹かす。
 ピースの短さがちょうどいい。何本も何本も吸っては捨てて踏み潰した。
 おねーちゃんが煙草を吸うのは嫌だった。格好いいだろう、なんて言って自分を捨てた男と同じ銘柄の煙草を吸うお姉ちゃんが女々しくて嫌だった。ある日キッド君が何とはなしにお姉ちゃんに煙草を禁じて、それをお姉ちゃんが素直に聞いたのを見て……あたしはキッド君を信じてもいいかなと思ったんだっけ。
 あれからいったい何年経ったか、今度はあたしが煙草を吸うようになった。多分キッドがクロナを好きになったと知った日から。
 金魚みたいなひらひらのスカート。踵の高い靴。髪も結い上げて、化粧もしてる。少女趣味な甘い匂いの香水はやめた。今はスパイシー系。指を広げると、金色の爪がきらきら光っていた。
 「お嫁に行きます、お嫁に行きます、貴方の色に染まりますのよ」
 黒い血の女が真っ白なドレスに包まれて、身体の中に呪われた魔剣を封じたまま、クロナは死神の妻になるそうだ。きっとドレスはあの子達と同じ運命の黒に染まるだろう。きっと花嫁の投げるブーケは自分の血と同じ漆黒をしているんだろう。……それでもいいと、花婿はあのタキシードを着たんだろう。
 あたしのドレスはお姉ちゃんが選んだ。コレオプシス・ランケオラタの花言葉は「いつも明るく」「きらびやか」。あたしはキッド君の色に染まれるほど素直じゃないもんねぇ。……そういう、問題じゃないか。
 4本目のピースを踏んで潰した。チャペルの入り口は地下鉄の椅子の下みたいな有様になっている。
 5本目に火を点けようとした時、辺りを馬鹿でかいエンジン音が揺らがした。
 なんだなんだと辺りを見回したら銀色のチョッパーバイクがブリックロードを爆走中。……ああ、もう来ないと思って忘れ去ってたぜ。
 白いタンクトップで結婚式に来るなよ、ここは下町の風呂屋じゃねーんだぞ。
 「よう」
 フルフェイスのヘルメットの下から現れたのは一年以上ぶりの見飽きた顔。ああ、変わらないねぇ、その騒がしい魂の色は。
 「もうゴチソーなんか残ってねーよ」
 「がはは!椿ちゃんが取ってくれてるって!」
 笑ってヘルメットを指先でバスケットボールみたく回しながら、あたしの足先から頭のてっぺんまでじろじろ見てる。
 「……すげーなお前、ヒマワリみてーだぞ全身」
 ムカッとして好きで着てんじゃねーよ!と怒鳴ろうとした瞬間、本日の主役の片割れであるところの新郎サマの声がした。
 「ブラックスター!」
 はっと振り返ると栗色のロングヘアーが風に靡きながら白いタキシードに従えられて走っていた。……おいおい、主役が劇の最中にこんな端っこに来ててどーすんだよ!
 「この度はご結婚オメデトウございやす、死神様」
 キッド君に向かって恭しく一礼したブラックスターが、顔をちらりとこちらに向けてニィと笑っている。
 「……え、あ、ああ……」
 思い切り歯切れの悪いキッド君の返事に、お姉ちゃんが場を取り繕うように声を上げた。ああそうだね、こういうのってあたしたちの役目だもんね。で、今日がきっと最後なんだ。これからそういうフォローは、嫁がやるんだよ、お姉ちゃん。
 「つーか来てたんなら立ち話してないでこっち来いよ。皆いるしさ」
 上手に笑って、無邪気に振舞う。お姉ちゃんはこういうのが本当に上手い。時々あたしも本心じゃないかなと錯覚してしまうほど。
 「いや」
 いつもなら喜んで料理の方に向かうブラックスターがあたしの肩を引き寄せた。
 「ちょっとこいつ拾いに来ただけだから」
 目が点。
 全員そんな顔でキョットーンとしたまま言葉もない時間が数秒流れる。
 「もうお前こいつ要らねえんだろ? だから貰ってこーと思って」
 思いっきり眉を顰めてヘルメットを被り直そうとするブラックスターの顔を見た。悪戯しますよ、と80フォントぐらいのでかい字で書いてあった。
 だめだ、笑える。なんだそりゃ、なんだそりゃ。意味わかんねえ。趣味の悪いドッキリかよ、お前なりの嫌がらせかよ、それとも最後の恩返しか?
 いろんなモンが押し寄せてきてもうほんとに吹き出しそうになった。
 がははは!バカめ!馬鹿め!おおばかめ!
 「おら、行くぞ」
 アホが肩を掴んで引っ張るから、その力を利用してくるんと半回転してヘルメットを剥ぎ取り、流れるような仕草でブラックスターのタンクトップを引っ張って、唇に噛み付いてやった。
 『わ、わ、わぁぁあぁぁぁ!?』
 謎の悲鳴。多分お姉ちゃん。そいから、キッド君。
 まあそんなものは置いといて、視線をバイクに走らせる。よし、鍵付いてる。メットは……いいや。後はこいつをバイクから降ろせば……
 石みたいに固まってるブラックスターを引っ剥がすのは思いの他カンタンだったから、そのままエンジンを掛けてアクセルを開いた。
 身体が浮く。風が生まれる。イヤリングがチャキチャキうるせぇ。
 「ギャハハハハハハハ!いっただきィ!!」
 唇が真っ赤なブラックスターと、顔面蒼白のお姉ちゃん、呆然と佇むキッド君がどんどん小さくなる。
 エーゲの海風は乾いてて、日差しと、それから、ええと、なんだっけ。
 流れる町並みはすぐに途切れて、後は草原と海岸線。アクセルは上々、免許取りたてでいーバイク買ってんじゃねえよ放浪者が!いろんなことを思いながらタンクに入ってるガソリンが揺れているのを聞いていた。
 ああ、もう、愉しいなぁ。
 あれから皆どんな話をするんだろう。
 置いてきたブラックスターは何を言われるんだろう。
 考えれば考えるほどもう可笑しくて可笑しくて仕方がない。事故りそうになってきたのでバイクを止めて草原に転がってゲラゲラゲラゲラ腹を抱えて笑った。涙が出てくる。呼吸が苦しい。ああ、死んじゃう、死んじゃう。
 草っ原で呼吸を整えつつ、大の字になって空を見上げる。
 風が吹いてる。いい海風。素敵な日曜日。皆が幸せになる最高の結婚式。
 「お嫁に行きます、お嫁に行きます、貴方の色に染まりますのよ」
 指を開いて金色の爪を見た。
 大好きなあなたの瞳と同じ色の爪が10本。花嫁さんと同じ色の爪が10本。
 うっとり見てたら遠くから聞き慣れたバイクのエンジン音がした。
 おいおい、このハレの日になんつーモン乗りつけてンだよこのメンバーは。
 頭の上でエンジン音が切れて、顔に影がかかった。
 「……気が済んだら帰るぞ」
 そんなことを言いつつ、白ネクタイの男はあたしの隣に腰を下ろす。
 「キッド君、これ、塗ってくれたの」
 「――――――――うん」
 「お姉ちゃんが買ってもらったマニキュア」
 「うん」
 「あたしには、甘い匂いの香水、買ってくれたの」
 「うん」
 「ねえソウル」
 「なんだよ」
 「あん時みたいに、黙っててくれる?」
 「……お前が俺の泣き場所を言い触らさなければ、な」
 イヤリングは片方どっかに行ってた。ピンヒールでバイクなんか乗ったからエナメルがぼろぼろ。金魚のドレスはドレープがめためたになってて、綺麗に結い上げてもらった髪はズタズタに乱れてるし、お化粧は最早見る影も無いだろうから、今世界で一番ブサイクなんだろうなと思った。
 でも、そんなブサイクが必死で声を殺しながら泣いてるのを面倒臭そうに背中を擦りながらよしよししてくれるデスサイズ一番乗りが、ありがたい。



 00:34 2009/10/11 ……ってなストーリー。いつかさっこ先生に殺されんじゃねーかナ……ネタパクリもいい加減にしろっつーかね。甘い匂いの香水、つってイブサンローランしか思いつかないおでマジ語群ねぇ!おでの理想の20年後はこんな感じ。「えっ鳩のクライブは?」とか言う子、先生嫌いです。






アイワナビー

 「つまんないこと聞いていいか?」
 「答えられる範囲でならば」
 午後の授業が終わって、リズとマカとクロナがクレープ屋に繰り出すというので(パティはキム達とどっかに行った)俺とキッドはそれに付き合っている。甘味がさほど好きでないキッドをダシにして逃げようかと思ったんだが、キッドが珍しく構わないと答えちゃったもんだから。
 女がクレープを選びに行っている間、男は飲み物と席の確保。花の金曜日(古い表現!)なので店は何所も彼処も賑わっていて5人分の席を取るのに苦労した。
 ブラックコーヒーに浮かぶ氷をシャラシャラ鳴らしながら、何やら小難しい文庫本を開いているキッドが素っ気なく答えたので、オレは安っぽいプラスチック椅子に座り直す。
 「クロナとセックスすンの楽しい?」
 ぶごっと盛大にキッドが吹いた。
 そこらじゅうコーヒーの匂いで塞がるのに、どこも濡れてない。さすが本物のセレブ、緊急時でもお行儀良くて大したもんだ。
 「な、なん、なにをっ!!?」
 ごほげへぐひと謎のしゃっくりを立て続けに三回したキッドが目を白黒させてオレを見た。
 「楽しくない?」
 オレはそれが居心地悪くて目を逸らす。だからキッドがどんな顔して喋っているのかはわからない。
 「……最初は嫌だった。クロナの弱みに付け込んでるようでな。ラグナロクに強要されて、なんてのは体のいい言い訳でしかないと」
 キッドは文庫本を閉じない。でも文字を目で追っているようにも見えなかった。オレが目を逸らすまでもなく俺達の視線がカチ合うことはない。
 「じゃあ、今は?」
 「永遠に続けばいいと思っている」
 「おー。スゲェ、言い切ったよコイツ」
 口角を持ち上げ皮肉っぽく言い捨てて、昼休みジャッキーに何か頼み込んでいたパティを思い出した。ホント、人生ってのは上手くいかない。
 「ソウルこそマカと仲良くしているのか?」
 テーブルに頬杖ついてウーロン茶を飲む。なんだか口の中が渇いている。
 「友達以上保証人未満には」
 「相変わらずか」
 そう、相変わらず。
 相変わらずマカはオレを魔鎌・ソウル=イーターとして良くしてくれてる。それ以上でも以下でもなく、優等生がテキスト通り表彰されそうなぐらい尊重してくれている。
 「……自分でもイマイチ良くわかんねぇのな。信頼されてる今が心地いし、何かあったら飛んでいく自分は嫌いじゃないし、そんな性欲強い方でもないし」
 指折りながら謎の根拠を数えるオレをキッドが俺を鼻で笑う。……いやホントに淡白な方だってオレ。オックスくんとかキリクとか、結構なもんですよ? ……あと、お前に比べてそっち方面は真面目だし。
 「でもあのささやかな胸に顔突っ込んで、手首で脈計りながらアッとかイヤッとか言わせたら楽しそうだなとは思うワケよ……でもソレって限りなく男女の関係に近いもんだろ。そこんとこのニュアンスが上手いこと伝わらなくてさぁ……」
 俺はマカとセックスしたいんじゃないんだ、と呟いて終わる。独り言を。
 「ソウルはマカとどうなりたいんだ? おれは何のアドバイスをすれば納得してもらえる?」
 「……オレが知りたい……」
 力尽きたオレに幾ばくか呼吸を整えてキッドが言った。
 「お前たちの関係は武器と職人だ。それ以上でも以下でもない。マカはお前をデスサイズにしてスキルアップする為にお前と同居しているだけだし、お前はデスサイズになるためにマカの能力を合法的かつ通念を逸脱しない方法で利用しているに過ぎん。言わば共生関係だ。……相互関係と言い換えようか?」
 冷たく素っ気無く、教科書を諳んじるかのように言うのはお前なりの優しさなんでしょうよ。
 「…………そーね、反論の余地全くねーわ……」
 「反論せんか」
 ムッとしたのか呆れたのか、顔を見ないオレには判断がつかないほどの短いセリフ。
 「だって事実だろ」
 ああこの感じ、実家に居た頃もこうやって窘められた覚えがある。……クソのような懐かしさだけれど。
 「本当にそう思っているなら死武専でも歴代の速度で魂が100も200も集まるか戯け」
 少し怒っているのか、キッドが文庫本を閉じた音が聞こえた。
 「俺達は最高のコンビだ、絆の強さで他の誰にも負ける気がしない。……でもそーじゃねーんだヨ……そーじゃ、そーじゃネーのヨ……」
 うだうだと同じ場所をぐるぐる回るワンワンワーン。自分の尻尾を追い回すその心は“楽しいから”“他にする事がないから”“そうしてないと居られないから”。
 「くっつき虫」
 キッドがテーブルにくたばる犬に向かって一声かけた。
 「……おお、犬から昇格したよ。足が二本増えたぜヤッター」
 頭の中で喋ってた幻想と、現実に声を出してた行動が上手く分離せずに重なったままで認識してしまった。簡単に言うとゲーム脳って奴か?
 「昆虫ではなく動物の毛や衣服にとり付いて分布域を広げるオナモミという植物の種子の俗称だ。お前には足があるのにその選択肢を最初から排しているのが滑稽でな。答えなど最初から出ている」
 オレはゆるりゆるりと顔を上げると、呆れたのだか感情の出し方を忘れたのだかというような声で口が勝手に呟いた。
 「……答え、ねぇ」
 「押しの強い鷹が攫って行くのを指を咥えて見ていられるほど呑気なのなら、そもそも思い煩う事もあるまい」
 キッドは相変わらずオレの目を見たりはしない、という気遣いを維持したままそっぽを向いている。
 「――――――――狼になりたい」
 「あの赤頭巾は狼の腹を自力で破って出てきそ―だな」
 そう言ってキッドがやっと笑った。



 15:41 2009/10/08 改訂15:26 2009/10/22 だらだらソウルとキッド。肉食系女子と草食系男子ってこんな感じでいいのかしら。知るか馬鹿。ソウルとキッドが恋の話をするハナシとか面白いんじゃね!? と思って書いたらこんな有様に。ソウルの味方を増やしてまで鎌野郎を地獄に突き落とす算段をする俺はサタンの化身か何かか。
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送