浸潤
=9=
「あ……あたしかい!?あたしはあんただよ、嫉妬もクソも…」
「おれには自分の頭の中を言葉にすることができねぇ。だからおれよりおれを解ってる気がするお前がうらやましくて狂いそうだ。」
「……本っ当あんたワガママだねぇ。何もかも手に入れなきゃ気がすまないかい?」
「だから海賊王なんか目指してんのさ」
「…ふーん……長い旅路だね、船長」
「そうさ、目に映る全てに嫉妬してるんだぜ、身がもたねぇよ」
「……あんたはバカな奴さ、みーんな持ってるくせに。バカだよ、ほんと」
「バカだから誰彼構わず手ぇ引っ張って連れてけるんだ」
「…………ひとさらいだねまるで。手を引っ張られた方はたまったもんじゃないよ」
「違う。…みんなさらわれたかったんだ。ゾロもウソップもサンジもナミもチョッパーもロビンも……おれも」
引いていた糸の先の魚が、糸を切って逃げ出した。おれの針を飲み込みながらあいつはこの地獄の海の中悠々と渡っていくんだ。
それでも海面に出来る夕日の光の道が綺麗で、まるでその太陽への道を渡って行けそうな気がした。
どこまでも沈まず、あの明日昇る太陽まで、ずっと。
「あたしをどうする気だい?ルフィ」
「あぁ?どうするって、なにが」
「あたし殺されちゃうのかい?お前はナミにずっとここに居て欲しいんだろ?じゃああたしは邪魔だろ?
それにこんな海の上で、しかもここはグランドラインだ。子供を産むなんて正気の沙汰じゃない。ナミまで引きずられて死んじまうよ」
「…………さぁな。おれお前が好きだよ。好きになったよ。
だからナミ殺させたくねぇしお前を殺す気もねぇさ。それに、ほんとのお前にも会いたいしな。おれじゃないお前に」
「ほんとのあたしは黒髪だったりしてね、それよか緑だったりして、アハハハ」
「なっなんだよそれ!」
「だってナミが言ったろ?親父はサンジじゃないかもしれないって」
「〜〜〜〜〜っ〜〜!」
「ナミもかわいそうな女だよ、なかなか出来ない体でやっと出来たのがこんな時だなんて」
「…………しかねぇよおれに惚れたんだ、そのくらい覚悟できてるさ」
「…けっ、なんてぇ自意識過剰だい!女としてその発言にゃ我慢できないね!」
「お前、おれのくせに生意気なやつだな」
「あんただってあたしのくせに生意気だよっ!」
ぷはははと二人で笑った。
それが、最後。
=10=
朝起きると船がばたばたと騒がしかった。のろのろ起き出して側を走っていたウソップを捕まえて尋ねた。
「どうしたんだ朝っぱらから」
「サンジとナ――――――いや、なんでもない」
「言い掛けてやめるな気持ち悪ィ」
おれが眉間にしわを寄せてそう言った途端、今度はウソップが苦虫を噛み潰したような顔をして言った。
「……二人が居ねぇんだよ」
「は?」
脳みそが一瞬停止しそうになる。言葉は聞こえたが意味が理解できなかった。
「小船がねぇ。身重でどこ行ったんだかあのバカ共」
「…………またどっかの島じゃねぇか、ほら前あっただろ。あの二人つくづく丘が好きだな」
無理矢理にそんなことを口に出したけど、自分でもその思いつきの適当さ加減に閉口した。
「ログポーズは置いてあるからそう遠くへ行ったんじゃないはずだ。ナミの海図を調べたら近くに有人島があるらしいからそこへ行く。ルフィ、お前は寝てろ」
「なんで」
「外は嵐なんだ。海水被ったらお前動けなくなるだろうが!ロビンとチョッパーの分しか海水防護服作ってねーんだよ!」
ウソップは厳しい口調のまま、表情はいつものようにおどけていた。多分一番混乱しているのはこのお人よしの自称キャプテンだろう。自分には無理だとわかっていてもクルーを把握し、まとめずにはおれないのだから、もしかしたら本当におれよりもこいつの方が船長職に向いているかもしれない。
「……わかった。寝てる」
「頼むぞ、ただでさえ人手が足りねんだから大人しくしててくれ」
そのまますれ違ってウソップは甲板へ、おれが男部屋へ向かおうとしたその背中を呼ばれた。
「ルフィ」
「……なんだ」
「今お前がもし子供の事でサンジを殺したいほど恨んで妬んでいるとしたら、いけない事だ。
それはとてもいけないことだ。
やめるなんて出来なくても、どうかその気持ちだけは外に出さないでくれ。」
投げつけるようにウソップが言ってドアの向こうに消えた。そのドアに向かわず、背中で言葉を返す。
「“憾んで”ねぇし、妬んでもねぇよ。
感謝してるくらいだ」
=11=
夢を見た。
マキが出てきた。
マキは何かを言おうとしておれに話し掛けているけど、おれにはマキが何を言っているのかわからなくて、何度も訊き返した。
それでもやっぱりマキが何を言っているのかは解らなくて、イライラした。
「なんだよ、聞こえねぇ」
服の裾を持って必死に何かを伝えようとしていることは解る。でも口の側に耳を近づけても、口の動きを見ても、何を言っているのか解らない。
「まいったなぁ、字でも覚えてりゃ良かった」
次第にマキが泣きそうな顔になってきて、それでも何かを叫んでいるかのように口を大きく動かしながら訴えている。
「どうしたんだよ、声が出ないのか?おれの言ってることは解るか?わかったらおれを手を叩け」
どうやらおれの言葉も分からないらしい。何を言ってもとんちんかんな反応ばかりが返ってくる。そのうちにマキが泣き出したが泣き声はやっぱり聞こえない。
おれは仕方なくマキの手に、おれが見よう見まねで書ける文字を書いた。
“地には平和を”
“地には平和を”
“地には平和を”
何度もそれをなぞる。何度も、何度も。
次第にマキが泣き止んできて、何かを頷いて両手を広げた。抱き上げろというらしい。
おれが軽いマキの体を抱き上げると、マキは幾度もおれにほお擦りしながらまた泣き出した。おれといえばどうしていいのやら解らずに自分の半分くらいの小さな女の子を抱っこしているしかない。
「なんなんだお前は」
おれの背中にマキの小さな指が滑る。何かを書いているらしい。おれは文字が読めないのでなんと書いているかは分からなかったが、おそらく「地には平和を」と書いているのだろうと思った。
決して捨てられないナミの好きな言葉。毎日サンジが丁寧に研ぐチャチな安物の言葉。
“地には平和を”
“地には平和を”
“地には平和を”
なんどもそれをおれの背中になぞるマキの細い身体を抱きしめて、なにやら切なくなった。よくは解らないが、何かが失われるときに感じる悲しさによく似ているような気がした。
「なんだよ、なんか背中が悲しいからやめろよ」
それでもマキは解らないらしく、何度も何度も“地には平和を”“地には平和を”となぞり続けた。
おれはしっかりマキを抱きしめたまま動けなかった。
=12=
「見つかったんだって?二人」
「……よぉ。」
ゾロがおれの問いに答えもせずに挨拶だけをする。
「どこにいたんだ」
「病院。ナミが身体壊したんだと」
「…なんだ?」
「身体壊したっつっても、元気だから心配すんな。
バカコックが連れてったんだとよ、チョッパーに診られるのが嫌とかナミが駄々こねたから」
「……………風邪か?」
「……いや。」
「なんだよ、病気か?怪我か?」
「………ウソップに最初に話し掛けりゃよかったのに、なんで俺なんだ…
あのな、落ち着いて聞けよ。
産婦人科。わかるか?子供持ったかぁちゃん用の病院。そこに行った。」
……………まさか…
血の気が引く。目の前が歪む。クラクラする。
「ナミの子供はダメだった」
「……ダメ?……ダメって…なんだよ?」
「生まれない。妊娠初期の大切な時期に船にいたろ?だから子供が安定してなくて、生まれないんだ。」
「……生ま……生まれない?なんだそれ、なんなんだよそれ!なん」
「落ち着け!ルフィ!落ち着いて聞け!」
がっしりと両肩をあのごつい手で掴まれて揺さぶられる。おれは半ばパニックになっているんだ、そんなことして正気に返るもんか。自分の冷静な頭のどこかがゾロを嘲った。
「なんだよそれ!なんで!なんで!」
「みっともねぇ!落ち着けよ海賊王!」
おれの身体がぎくりとする。ゾロはおれの一番嫌なところを知っている。掴まれたら一番嫌なところを。
「このままハラん中にいても育たねーんだ。それ以上に母体、つまりナミの身体が壊れるんだ。
妊娠中毒とは違うらしいんだが、なんかその兆候があって医者が……勧めたんだと」
「……子供、殺すことをか」
「殺すんじゃねぇ、母親を、ナミを助けたんだ」
「ふざけんなよ、なんだよそれ」
「……人間の形をしてなかった。可哀想じゃねぇ、これが一番良かったんだ」
「なんで!生まれるのは!そいつの意思だろうがよ!」
「生きていけない奴を生むほうがどんだけヒデェんだよ!お前はガキだ!俺はサンジはいい選択をしたと思ってる!」
「……サンジ?サンジだと?」
「………………そうだ。
サンジが決めた。ナミは昏睡状態だったんだ。だからナミを助ける為に、サンジが決めたんだ」
頭がついていかない。体中が震える。ついに頭の中の冷静なはずのおれも震え出した。
「もしお前がサンジを殴るんなら俺はお前を斬る。
俺はもともとあのバカコックは好きじゃねぇし、ナミだって最近はムカついてた。でもお前があの二人に手ェ出すんなら俺は容赦しねぇからな」
バラバラにしてやる、と目が言っている。
「……墓は……墓はどこだ」
「…………ない。
正確に言うと赤ん坊はナミの身体に吸収されるらしい。吸収を促進させる薬をサンジがナミに飲ませた。
あいつらはクスリを飲んでいた。その後遺症かもしれん。あいつらにはこの先マトモな子供が出来ない。
そういうクスリをやってたあいつらの罰だ。
これが罰だ。……だからもう、いい。」
ゾロがおれを掴んでいた手からゆっくり力を抜き、おれを放した。
「罰はいい、罰なんてどうでもいい。マキは、マキは、じゃあもう生まれないのか」
「……?マキ?誰だそれ」
「マキはサンジとナミの子供で、だから……あの二人に子供が出来ないってんなら、もう、二度と、絶対に、マキには会えねぇじゃねぇか」
「…おい……ルフィちょっと待て、お前なに言ってんだ?」
「あんだよそれ、なんだ、こんなのありかよ、まだ会ってもねぇ」
フラフラおぼつかない足取りを進めて階段を登る。背後でゾロの怒声が飛んでるけど、それがどうした。吸い込まれるようにみかんの木の下にある土にしゃがみ、掘り返す。手で、ゆっくりと、土をどける。爪の間に土が食い込む。
赤く汚れた小瓶をポケットから取り出して、中にある薬ごと埋めた。
何度も土を掛け、その土を硬くなるまで何度も手で押し込めるようにした。
涙は出なかった。寂しくはあったが、不思議と悲しくはなかった。
それが嫌で無理に泣こうとする自分が
嫌だった。
=13=
サンジとナミが帰ってきてもう二十日が経った。二人ともすっかりとは言わないがだいぶ忘れてしまったようで、いつものように喧嘩したり喋ったり機嫌よくしている。きっともう隠れてまた子作りゴッコだってやってるんだろう。
おれはと言えば相変わらず船底のいっちばん隅っこでぐったりしている。もちろんこんなのただのポーズで、またそれをあの二人が知っているのが気にくわねぇから意地になって二十日もこのままだ。ロビンが一度だけここに来て「何ふてくされてるの、これをあなたが望んだんでしょう?」と、なにやら意味深な笑い顔で言ったがおれはそれを無視し、ぼんやりと二階の底を見ていた。
おれは一応男だけど、サンジが解らない。
男なんかセックスしたいだけで女の機嫌取る。サンジはその代表格みてぇなやつ。現に子供が出来たなんて言われたって、嘘でも喜んだりさえしなかった。なんだよその独りよがりの絶望、キモチ悪ィ。ちっとも他人のことなんて(それはマキも含む)考えちゃいない。あいつの世界には突き詰めると自分しかいないんだろうな。だからキモチワルイ。なんかあったら誰か頼るクセが付いてるんだ、そんで誰も頼れなくなったら自虐する。パターンだよな。バカくせ。
セックスってそんなに楽しいかァ?機嫌とって、気ぃ使って、挙句殺されかけてまでしたいもんか。価値観の相違ってすげえ。そりゃチンコあんなけやぁらかいとこに入れたら気持ち良さそうなのは解るけど。
「おれもセックスしたら世界が変わるかなぁ?」
誰にも聞こえないくらいに小さな声で一人呟いてみる。何も変わらないだろうとは思ったけど、一応まだ童貞なので断言はできない。
「…ばかくせぇ、おれがナミとヤったところでマキはもう生まれてこねぇよ」
ふっと思いもかけない言葉が自分の口から出たので驚いた。
生まれたりしない女を思ってようやく泣いた。
一筋涙が流れてそれからもうそれ以上出なかったので、うっかりアクビをしたかななんて頭のどっかが考えた。
「マキを殺すんならあいつらも死ねばいい」
口に出した言葉の無責任さに気が紛れないものかと思ったがその企みは失敗し、よけい馬鹿馬鹿しくなっただけだった。
「おれがマキを育てるから生んでくれよ」
ナミの体の中でドロドロ溶けていくマキがおれに向かって『オカアサン』と言う。お前のオカアサンはお前を殺す薬を飲んだよ。お前のオトウサンはお前を殺したよ。おれが薄ら笑いを浮かべながらそんなことを言ったが、マキは溝の潰れたレコードのように同じセリフを繰り返すだけ。
「なんで生めないんなら作るんだバカ共め」
=14=
それからまた数日経って、でも何も変わらなかったある日おれは意外な格好をしているナミを見つけた。
「なにしてんだ」
「遺品の整理」
「遺品?」
「人が死んだらその人の持ち物のことを遺品てぇのよ、それの整理」
「……へぇ」
ナミが手を真っ黒にしながらみかん畑に穴を掘る。じきにおれの埋めたあの瓶に行き着くだろう。おれはそれを眺めていることに
「生みもしなかったやつの持ち物なんかあるはずねぇだろ」
真っ黒になった真っ白の手をつかみ上げる。咄嗟に。出た言葉は最低だと思う。意識するより早く出たからこそ、最低だ。
「大体土なんか掘って一体何を漁るつもりだお前」
おれのつかみ上げた手の痛みなどまるで無視するかのようにナミがもう片方の手で黙々と土を掘り返し続ける。
「無駄なことしてんなよ、おれのハニーはおれ達の声なんか聞こえちゃねぇさ」
みかんの木の陰に立て掛けてあった折り畳み椅子に、いつの間にかどっかりと座って煙草をふかしている男がそう言って煙を吹き出した。
「だって仕方ねぇだろ?子供産んじゃったらハニーが死ぬんだ。おれは親父の前にハニーのダーリンなんだ、だからハニーが一番さ。わかるか?ベイビー」
「……ヘェ珍しい、ちゃんと起きてんだ?お前」
「こりゃ心外。おれはいつもバッチリお目々パッチリなんだよ」
「クスリ飲んでねぇ上に鬱でもねぇサンジなんていつぶりだ?
久しぶりな、サンジ。覚えてるかおれルフィ。お前をあの船から引きずり出した人さらい。よろしく」
おれはサンジの方に向かって手を差し出し、握手を求める格好をしてやった。
「…覚えてるぜ、人殺し」
「同業者のよしみで名前呼んでくれよ」
構わねぇよ、サンジがそう言って足を組みなおした。その間もナミは何かに取り憑かれたように片手で土をほじくり返している。おれがナミの手を離すと、手の形が赤くくっきりと形付いていた。
「お前のハニーは一体どうしちまったんだ?これじゃ単なる立派な気狂いだぜ」
おれはわざと修飾語を重ねて皮肉臭くあごで“ダーリンのハニー”を指す。
「さぁね、おれァ知らね。ただお前がなんかそこに埋めたろ?きっとそれを掘り起こしたいんだ。
お前が嘘を付いてる、みんなが…このおれも含む…自分に嘘を付いてるなんて思い込んでんだ。でもきっと狂っちゃいないと思うね。この会話だってちゃんと理解してるよ。なんたってナミさんは頭がいいからな」
「……嘘?」
「赤ん坊がもう居ないってフェイク。
きっと誰かが取り上げて隠してるなんて思ってるんだ。おれなんか毎日ハダカにされんだ。隠してないか探すために。
……おや悪かったなルフィ、こんなこと言っちゃショックでかいか?」
「……………………ナミ、居ねぇよんなとこに」
目線をまるで捨てるように投げかけてナミに言う。
「子供なんか捜してないわ、遺品の整理よ邪魔しないで」
おれを視線ごと振り払うように黙々と白い手は土を掘り返している。おれはその手が気に入らず、数歩足を進めてナミに向き直り近づいた。
「おいおいハニーに乱暴とあっちゃこのおれが黙ってねぇぜ」
椅子から立ち上がりこそしなかったが、サンジはふっと座り方を変えていつでも飛びかかれる体勢を作った。
「……なんで子供なんか作った?」
「欲しかったんだ。ナミさんとおれの子供が。」
サンジに問い掛けたでない質問の答えをいけしゃあしゃあと言い放つその顔には影こそあるが、なににも酔ってない“サンジ”の顔だった。
「きっと大きくなったらパパと結婚するのなんていうかわいらしい女の子だった。おれには分かってた。将来はナミさんと見間違うよう美人になってた筈だ」
「ああそうだな」
「でも仕方ねぇさ、おれは誰よりもナミさんが一番なんだよ。守るためなら悪魔にでも鬼にでもなんにでもなる。なってみせる。
いいか、母親だけが強いなんて思ってんなよ、父親も実感薄くたって襲い掛かるぜ」
サンジが牙を剥いた。自分の為でも追い詰められてでもなく守るために。自分でない他人を守る為に。ナミを守る為に。
ぼんやり良かったなんて安心したどこかが崩れた。
ネクタイに掴み掛かって言葉をぶちまけた。
「なんで人一人殺さなきゃいけなかったんだ!お前真人間に戻すためにマキが生まれて死んだのか!ざけんなザケンナざけんなぁぁぁぁ!!あいつは、マキはお前らなんかよりよっぽど人間だった、生まれる前から死ぬこと怖がってた!生まれた後で自分たちの進む道におびえてるお前らなんかより、よっぽど!よっぽど!オトナだった!なんでお前らが生きてあいつが死ななきゃなんねぇんだ!マキ殺したんだったらもっと生きろ!じゃなきゃお前らが死ね死ね死ね死ね死ね死ねッ!!ちゃんと生きろよ!生きてる奴を見ろ!死んだ奴も会えない奴もお前らの足枷になる全部の全部、捨てていけ!全部だ!全部捨てろ!もうお前らの帰る場所はねぇ!どこにもねえ!だから走れよ!!全力で息が詰まって死ぬまで走れ!もう二度と止まるな!止まったら殺す、今度はおれがお前らを殺す!いいな!」
「……イエス、サー」
サンジだけがそう低く短く唸った。
ナミは氷のよな目でぎろりとおれを見据え、浅く頷いた。
=15=
食堂に珍しく誰も居なかったのでここぞとばかりに何か食ってやろうかと思ったが、なんだかそれも面倒くさい気がしてゾロの安酒にレモンを絞って熱い湯を注いでたっぷりとハチミツを落として飲んでいたらフラリとロビンがやってきた。
「まぁ船長さんご機嫌よう。身体の調子はもういいのかしら?」
落ち着いたいつもの調子でおれに話し掛ける。目の奥に何かを潜ませた陰謀者の声で。
「ハナっからどこも悪かねぇ」
「じゃあ今までも無気力さは単なるセンチメンタル?」
「うるせぇよ」
おれはくいっとカップの中身を飲み干す。もう味などわからない。ただぼんやり頬が紅潮している感覚だけが酒を飲んでいることを思い出させる。
「あらダメよ人さらい。どう、人が死ぬことは?今まで殺した全てに祈りでも捧げる気になった?」
にや付いているのでなくかといって見下したでもない平坦な言葉。瞳はじっとおれを見据えていることだろう。あさっての方向を向いているおれにはわからないが。
「お前がここにくるまでに踏みつけ殺したイキモノと同じだ」
おれ達は同族じゃねぇか、なにをそんなにやっかんで突っかかってんだ?
「……フフ、生きてく事はそういうこと。ただあなたはそれが平気って顔をしてるから。
もっと歪み引きつった顔を持ってたっていいはずよ。なのにあなたはいつでもその顔。何故?その余裕が気に食わないわ。」
「へぇ余裕、余裕に見えるのかこの顔が。傑作だなゲラゲラゲラゲラ
ウソップはすぐ見抜いたぞ、ゾロだってじきに解ったのに。アハハハハハ」
「何のこと?」
眉を顰めているところを見ると本当にわかってなかったのか、アハハハハこりゃ大笑いだ。
「余裕なんかじゃねぇ、おれはこの顔以外持っちゃいねぇんだよ、ねえんだ最初っからこの身体のどこにも。
マキが死んでも泣きもできねぇ。一ヶ月経ってようやく出たってたった一粒だ。
サンジやナミより壊れてんだ。潰れてんだ、ここんところが」
親指で心臓を二度突く。
「あの二人はここだ。ここが壊れてる」
人差し指で頭の上にぐるぐる渦巻きを書く。
「そんでロビン、お前はここが壊れてる」
人差し指を両方口に突っ込んで、びろんと引っ張り笑い顔を作る。
「もっと笑え。おれに嫉妬なんてくだらねぇ。そんなヒマがあるのならもっと楽しいこと考えてな、生きてる時間は短いんだぜ」
=16=
「あんたは子供だからわかんないかも知んないけど、わたしやサンジだって戦ってるのよ。
誰が自分の赤ちゃん殺したいなんて思うの?誰が赤ちゃんの死なんて望むの?」
夕食の後、ナミが人払いをしておれと話をしたいと言い出した。おれが逃げるわけにもいかずにしぶしぶとテーブルについた途端にそんなことを言い出した。おいおい、お前は初っ端から用意万端エンジン全開かもしんねぇけどいきなりそんな爆弾投げつけてんなよな。おれはもう本当に仕方なくなって嫌々ながら切り出した。回りくどく言葉遊びをするのは趣味じゃないからもうさっさと結論から……いや、ナミばかりに質問させておくのも癪だしこっちからも質問してやるか。
「お前おれの事が好きなんだろう?何でサンジと寝る?」
少しは怯むかと思ったが、ナミは少しも表情を歪めずに「あんたがわたしの事好きじゃないからよ」と言った。
「好きだよ」
「好きじゃないわ」
「だからサンジで代用するのか?」
「……代用じゃない。サンジの事を好きになろうとしたの」
「失敗だろ?全然、失敗じゃねぇか。
おれの気を引きたくてサンジとセックスするんだろ?」
「…………もしそう思ってるならどうして」
“バカが馬鹿馬鹿しい言葉を吐きながらバカらしく”唇を震わした。
「いい気になってんなよ。お前は神様気取りか?なんでも自分の思うとおりになんなきゃ気にくわねぇってか?」
なんで自分の望むように自分の望みが叶うと思うんだろ、お前が一番良く知ってるだろうに、何にもしなきゃどうにもならない現実ってのを。
「寂しいのがいけないのよ。
寂しくなけりゃアンタもサンジも要らないんだもの。ゾロもウソップもね。
誰かに構われたくて必死なの。でも構ってくれるのはアンタじゃなきゃダメなの。だから狂うのよ」
ついに、やっと、本心吐き出しやがったかタヌキ女め。
自分自身がバカなのをおれは良く知っているから、理詰めなことも説明も言い訳すらしなかった。それを頭のよろしいサンジとナミは利用しようなんて思ったのか、何とか誤魔化し騙し隠し通そうと躍起になってるうちについに自分達が何やってんだかわかんなくなりやがった。自滅しやがった。……ほんとは自滅したかったのか?最初に何がしたかったんだよお前らは。
「寂しけりゃなにやってもいいのか」
もしただ自滅したかったのだというなら好きに滅びろよ。
「寂しいからなんだってするのよ」
手伝ってやるからさ。
「なら寂しくないように何か探せよ、おれじゃなくて」
さあ死ね。
=17=
最近おれは文字を習っている。ウソップに無理をいい、簡単な読み書きを教えてもらっている。
ウソップが持っている小説の文字をなぞりながら、ひとつづつ文字を読み上げていき、一つの行を読み終わったらその行をそっくりそのまま書き写すということを暇さえあればやっていた。
しばらく気味の悪いものでも見るように遠巻きにしていた連中も、しばらくすると慣れたのか時々添削など頼んでもないのにやってくれた。
「だいぶ覚えた?」
「さぁ、わからん」
「テストしてあげるわ、雲って書いてごらん」
おれはわけも解らずむっとしたが大人しく言われたとおりにノートの端に書いた。
「書けるじゃない、じゃあ空」
そんなことをやっていると一人、もう一人と人間が増えていった。
「お前の好きな言葉書いてみろよ」
白鳥や 悲しからずや 空の蒼 海の青にも 染まず漂う
「おお、難しい言葉知ってんのな、じゃあ好きな食い物」
にく
「……予想通りだな。嫌いなものは」
溺れること
「おれたちの場合切実だよなァ」
「あら質問会?わたしも聞いていいかしら。あなたの好きな人は?」
今まで会った人
「フフ…つまんないの……じゃあ一番は?」
ペンを持つ手が軋んだのが嗜虐欲を刺激でもしたのか、そいつは薄く笑った。
おしえない
「……上手な答えね」
おれは船中の連中が集まってきたのを確認して、おもむろに別のページを開けて鉛筆を削りなおし、仰々しく書き出した。
いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ
鉛筆を止めたあとも誰も何も言わなかった。
おれは満足してノートを閉じ、鉛筆を置いた。
地には平和を
人には愛を
死んだ者には花束を
船は海に
雲は空に
始まりと終わりの道
この地獄をゆく
この天国をゆく
おわり。
9:41 2004/01/22
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