STRAP
『 月齢、24 』
「なんにも解っちゃいねェ癖に物分かりのいいフリしやがって!!そんなにナミ追い詰めて何がおもしれェってんだよ!!いい加減にしやがれクソ野郎!!ナミはそんなに強くねぇんだって何べん言われたら解んだ!!テメェと同じくれェ弱ェえんだよ!!
『もういい』だと!?フザケんのも大概にしやがれ!!
ナミがどんな気持ちでテメェと喋ってんのか想像もつかねェのか!!ルフィやゾロやビビがどんな気持ちでココに座ってんのか考えもつかねぇのか!!」
ひどくおれを怒鳴りつけて、ウソップがおれに殴りかかろうとした。
ソレを隣で座っていたゾロが片手で制して、無理矢理に引き戻している。
「放せゾロ!!おれはこいつを殴らなくちゃならねェんだ!!
殴れないナミに代わって!!ここにいる全員に代わって!!」
「…やめとけ、返り討ちに遭うのがオチだ」
「うるせぇ!!ここで殴らなきゃ何処で殴るんだよこの馬鹿を!!!」
「黙れ」
その声が聞こえると、顔を真っ赤にして怒鳴っていたウソップと、それを淡々と止めていたゾロがぴたりと動くのをやめ、空気が一気に張りつめた。
「すこし、うるさい」
ルフィがやっと口を開いた。ムギワラボウシで顔を隠し、椅子の背もたれにだらりと寄りかかった船長がひどく低い声で言った。
「……わ…悪ィ……」
固い声でそう言ったウソップが、ゆっくりと腰を下ろした。ゾロがちらりとナミさんを盗み見た。……ナミさんはぼんやりとした表情のまま、微動だにしない。
「サンジがそれでいいのなら、おれも別にいい。
……けどナミはどうする?サンジのこと、好きなんだろう?」
相変わらずだらしのない格好で椅子の背に寄りかかっているルフィが、どうでも良さそうに聞いた。本当に、どうでも良さそうに。
「……これはわたし達の問題…ってな範疇を既に越えてるのよね。
みんなに迷惑掛けて心配させて……っとに、情けなさのあまり涙も出ないわよ…
サンジがわたしに近付きたくないってならそれで構わないけど、もし同情だとか親切だとか、そういう下らないもんから出た答えだったら……サンジ、あんたを殺すわよ」
ぼんやりぼんやりと、ナミさんが口を動かしてそう言った。
おれは女神の格好をした死神に『同情ダイキライなんだ?おれと同じだな』とだけ、言った。
「……解った。じゃあ、わたしもそれでいい。
これから個人的にサンジを部屋に入れたりしないわ。仲良しこよしのクルーに戻る、でいいのよね?」
ナミさんがおれを見ている。その目が何も言っていないのを見て、この目が好きだったんだというのを思い出した。この目を、どうにかしておれだけのものにしようと…
……叶ったじゃねぇか、なぁサンジ……
「ああ、それでいい。」
そう言ってしまってから、怒鳴りつけて叱ってくれたウソップにありがとう、と心の中で何度か感謝した。
ウソップはおれの目どころか方向も、見ちゃいなかったが。
「何であんな馬鹿なこと言ったんだ?」
「……るせぇ…テメェにゃ……」
「関係ある。おれはここのクルーだからな」
「…………うぜぇ。土足で踏み込んでくるな、クソ剣士」
仕事をしている最中に、ゾロが声を掛けてくる。人が玉ねぎを賽の目に切ってる最中に、クソクダラネェ質問をおれの背中に投げかけやがる。
「土足はお互い様だろ?人ののんびりした退屈の日々を踏み荒らしやがって」
「うるせえな、忘れたよ。ワスレタ。
今な、ノウミソの中の消去ヘッドがくるくる回ってぜーんぶ消してってる最中なんだよ」
頭の上で指をくるくる動かして、円を何度か描いた。もちろん後ろを向きながら。
「……忘れられんのか」
「…………ワスレタっつってんだろ」
「そんなに簡単なものだったのかよ」
「…んなこたぁ、ワスレタね。」
「ふざけんな、真面目に答えろ!
あんだけ執着してた女の事をハイそうですかと諦められんのかよテメェに!」
ガタンと、椅子が倒れる音がする。派手に。
「うるせえ!好きでもどうでも仕方ねぇ事だってあんだよ!好きだからどう仕様もねぇ事だってあんだろ!
おれが好きでもあっちが迷惑してんだよ、おれが望むようにあっちが望んでねぇんだよ!その溝のせいでどっちも傷付くんだよ!だからやめたんじゃねぇか!
何もわかってねェのにずかずか踏み込んで来るんじゃねぇ!!」
グラグラ沸騰している鍋に向かって、おれが声を荒げて叫んだ。しばらく湯の沸騰する音だけが部屋に響く。ぐらぐらぐらぐら。
足音がする。
底の厚いブーツ独特の足音。
「こっち向け」
その声についおれは反応してしまう。
バシッ!
思い切り頬をはたかれた。ゾロの表情を見る前に。
「て、てめぇのような…く、クソは、マジでハラ立つ。
何だソレ、被害者意識丸出しじゃねぇかよ。自分がカワイソウで仕方ねぇってか?
テメェの話にはナミの気持ちがまるっきり抜け落ちてやがる。あいつはな、そりゃあ気だての優しい女じゃねぇし性格だって根性だって悪い。でもテメェみたいに魂まで腐っちゃねぇ。
テメェは聞いてねぇだろうけど、あの後ナミがみんなの前でなんつったと思う?
『サンジを傷付けたのはわたしだから、どうかサンジを責めないで』って、ウソップにも、ルフィにも、ビビにも、おれにも、チョッパーにも……全員に頭下げたんだぞ!あのナミが!」
全く明後日の方向を向いているおれにはゾロの表情は分からない。……明後日の方向を『向かされた』と言った方がいいか………ともかく、ゾロがふうふうと短く息を切っておれを怒鳴っている。
「それでもオマエはまだ言葉を欲しがってんのか!これ以上ねぇくらいの“言葉”もらっても、まだ足りてねぇのかよ!」
ゾロが吐き捨てるようにそんなことを言った。
…テメェの言う…その“言葉”とやらが絡みついてさ、一個一個がすげぇ重さになっててさ、まるで鎖みたいにおれをがんじがらめにするくせに…まるで宙にフワフワ浮いてるみたく、全然実感ねぇんだ。何一つ確かじゃねえんだ…目に見えたり、手に掴めたりしねぇんだ……
おれは口の中でそうブツブツ言う。自分に説明するみたいに、小さな囁き声で。
「ナミはな、自分の得になること以外は指一本動かしゃしねぇような女だぞ。その女が!オメェの為に!クソ高ェプライド捨てて!このおれにまで!頭下げたんだよ!
これがどういうことかテメェにだってワカルだろうがよ!!なぁ!オイ!」
胸ぐらを掴まれ、無理矢理に引っ張られる。もの凄い腕の力は、ともすればおれを絞め殺さんばかりの勢いだ。
「……わかんねぇ。全然わかんねぇよ、センセー説明してくれよ。
ナミさんは何でおれをそこまでイジメるんだ?おれ何か悪いことでもしたのか?
おれのこと好きじゃねぇくせに、なんでおれのこと抱くんだ?ルフィの方が好きなくせに、何でおれの隣りで寝息立ててるんだ?……おれのこと嫌いな癖になんでそんなに優しくす」
バシッ!
もう一度頬を殴られる。今度は拳だ。頭だけが慣性の法則に従って持って行かれる。
「……もう一度言ってみろ、もう一度そんなことを言ってみろ……
おれはお前を殺すからな」
それは至って冷静でまともな狂気。自然に日常の中に溶け込んでしまえる発狂。
ゾロが自分の鼓動で息を詰まらせながら、本物の、人殺しの目をして言った。殺す、と。
「ああ殺してくれ、自分じゃ死ねそうにもねぇんだ。手間が省けて助かる。是非殺してくれ。さぁ、さっさとやれよ。早くしねぇと、テメェの怒鳴り声を聞きつけた連中が来ちまうじゃねぇか」
おれはぼんやりした目でそう言った。ゾロの顔がひどく歪んだ。目の前の、景色が、ゾロごと。
「…………!」
最後に、ゾロが何かおれに叫んで、後は闇。
後は闇。
それから先は、多分、もうない。
何もない。
まるでおれ自身みたいに。
何も、ない。
つづく |