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『 月齢、0 』


 新月の夜は、星の光が瞬くばかりで、海や船にはそこら中、安易に闇が発生する。
 海の上での闇というのは
 街や
 林、
 部屋に
 ぼんやりと沈んでいる闇とは、根本的に違う。
 何かを吸い取ろうとする意識を持った何かが纏う、形のない強制。
 ついふらふらと近付いたが最後
 取り付かれて
 死ぬまで憑かれてしまうのさBABY。
 気を付けな。狂気の象徴は、姿を見せない時こそ恐ろしいものさ。
 気をつけな
 気を付けな
 おれのように、取り付かれてからじゃ遅すぎるんだぜHONEY…


 ビビちゃんが甲板のビーチパラソルの下で長っパナと話している。
 長ッパナのホラ話はそれなりに面白いけど、そのホラ話があろう事かそれなりに現実化しているのが考え物だな。
 おれは今日の献立を書いていたメモを床に置いて目を閉じた。
 航路は順調、天気は最高。こんな気楽な午後なのに、おれは少し疲れている。
 原因は昨夜の事。
 ……ついに負けちまった……(本当は負けたくて負けたんだがね)
 酒の勢いを借りてやっちまったというのがもっと情けねェ……
 この船で一番やっちゃマズいこと、それは「この船の動力源であり同時に精巧な指針」を狂わすこと。(狂わされたのは実はこっち)
 ふと、右手を上げる。
 まだ彼女のぬくもりが残っているような気がして、その手で無性に自分の頬を叩きたくなった。自分の胸の下でつぶれる彼女の吐息が弾んでいて…それがとても残酷な気がした。
 それでも自分でそうしたかったんだと思う。(と思うことで責任から逃げないポーズ)
 やってるときは興奮してそれどころじゃねぇけど、終わって安全な場所に帰れば世界全てが壊れたような気分になる。
 まるで万引きみてぇだ。(警官に追い掛けられた夢でもいい)
 おれはポケットを探り煙草を取り出し、火を付けて一服。胸の奥に白い煙を誘導して、痛いくらいに沈静する頭の奥をじっと見つめている。
 すると何かにじっと見つめ返されて、その視線に恐怖し、目を逸らそうとするが、それさえも恐ろしい、だから見つめ続ける。
 二の腕が少し痛む。
 きっと爪の痕が付いてる。3本くらい。
 彼女は何も言わなかった。
 嫌だとも、好きだとも
 …だからおれは調子に乗って、何度も、何度も、そうした。
 薄く日に焼けた肌に闇と鉛の色の影が落ちていて、その影を掴もうとして、しかし指は彼女の胸に触れた。
 ……本当は嫌だと言ったらもっと酷いことをするつもりだった。
 声がルフィに聞こえるくらい
 自分の呼吸と、彼女の喘ぎ声が、奴の睡眠を邪魔するくらい
 奴の呼吸が無意識に止まっちまうくらい。
 不意に目を開けると、おれの顔を覗いているゾロが居た。
 「おい、ルフィがのど渇いたんだとよ」
 面倒くさそうに、そう一言だけ言ってふいと蜜柑の木の方へ足を向けた。……また寝るつもりらしい。
 …一日の三分の二は寝てるんじゃねぇのか、あのでけぇネコ…
 おれは気にも留めずにまた瞼を閉じる。
 意識的にそうすると、目の前に、本当に嬉しそうな顔でおれだけに笑いかける彼女が現れる。
 闇の中から明るい色の洋服を身に纏ったにっこり笑うナミさんが。
 彼女は笑っておれにキスをする。
 ルフィの前でも関係ないね。ゾロでもウソップでも、チョッパーさえアウト・オブ・眼中。………ビビちゃんは…少し目を逸らしてでもする。
 ……………………………………そんな彼女はどこにも居ないと知っている。
 「ナミさーん」
 小さく呟いて、その名前の裏に芽吹く自分の嗜虐心が、真っ黒の色をしているのが見えた。
 昨夜抱いた彼女の身体のあらゆる所から、あいつの匂いがした。
 胸クソが最高にむかついて
 口の中が一瞬でカラカラになって
 目の前が真っ暗、頭の中が真っ白になりそうだった。

 彼女が抵抗しないから。

 あいつに抱かれた後、おれに無理矢理抱かれても嫌がらねぇのか。
 あいつにキスした唇で、おれの名前を呟きながら喘ぐのか。
 なんで
 なんで
 なんで……
 そんなにおれは可哀想かよ!そんなに同情しなきゃ死にそうか?そんなに……いじめて何が楽しいんだよ……
 彼女の首筋はいい匂いがした。
 ミカンのいい匂い。
 その首筋に舌を這わせると、彼女の身体が引きつってこわばるのを知ってる。一番感じるんだ、ナミさんはここが。
 それから耳元で囁く。ここがいいんだろって。声は小さくて掠れるような声がいい。耳たぶを力を込めずに噛むと、いい声で鳴くんだこれが。
 思い出しただけでイきそうだぜ。
 あんないい女滅多に居ないね。
 強くて弱くてしなやかで脆くて、おまけにイイ身体。いい匂い。イイ性格。イイ度胸。
 あんなワル女滅多に居ないね。
 ……こうやって酷いことを思い出しながらおれは煙草を吸う。最近一番お気に入りの暇つぶし。
 本当は、いろいろ知ってる。
 自分が寂しい原因とか、彼女がおれに同情する理由とか、あいつが彼女を抱かないわけとか、ゾロが全部知ってる事とか、ウソップとビビちゃんの会話の中身とか。あと…チョッパーがおれとルフィに向ける視線の意味とか。
 カルーが一声鳴いた。
 ウソップがこちらを見ておれを呼んだ。
 「昼だってよ、メシ作るの手伝うぜサンジ」
 おれはにっこり笑って、ウソップとビビちゃんにメニューは何がいいかと尋ねた。
 「10分で作ってやるよ」



        つづく

 







改訂(2:18 01/05/01)


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『 月齢、1.5 』


 「漠然とした不安」に駆られて自殺した文豪が居たっけな。
 ……そいつの名前なんておれにはどうだっていいことなんだ。
 でもそいつが死ぬしかねェって思った気持ちは解る。抜け道が見えてても、そこをくぐる自分が想像できねぇんだ。抜け道を効果的に利用できない自分の不器用さに呆れ疲れて、死にたくなるんだよ。
 抜け道を抜ける自分が惨めだとかそんな自意識過剰ですらなくて、ただ……疲れる……
 手に入れたいと思うはずなのに、それは正攻法なんかじゃとても太刀打ちできなくて、だからといって搦め手でどうこうも出来ない。もういっそのこと壊したくなるけど、壊すことすらも出来ずに、ただ汚い手で弄くって汚す。
 そういえばそんな歌があったような…
 どんな曲だったっけ?……まぁいいか、どうだって。


 カルーにドリンクを作ってやった。いつもは入れない砂糖を少しだけ入れて。
 砂糖はあんまり入れると甘みの有り難みが薄れると、どっかのパティシェ(菓子職人)が言ってた。全く同感だ。
 カルーはそれを器用にクチバシを使ってストローで飲む。……いや、ストローは邪魔じゃねぇの?
 「ハァイ、サンジ。」
 “いつもの”声の主は普通の顔をして、甲板でカルガモと向かい合って昼真っから黄昏るおれに話しかけた。
 相変わらずちっとも動じない顔をしている。……ああ三分の一でいいからその勇気をおれにチョウダイ。
 「HI!ナミさん」
 おれは出来るだけ普通のフリをして笑う。……ああ、いびつな笑い顔。
 「カルーもご機嫌?」
 微笑んで、カルガモの顔を覗く。でっかいツラの超カルガモは、ナミさんの顔を見て心地よさそうに頷いた。……おいおい、ご主人様に向ける態度とチト違うんじゃねぇか?
 ……………………………………………………………………って……
 ……カルガモにまでヤキモチ焼いてどうするよ、おれ!……あー…もー……
 (重傷だこりゃ。たったの一回だけなのに)
 おれは口の中で独りブツブツと言葉の溜め息を付いて、無理ににっこりと笑った。
 「ナミさんはもう昼飯食べたかい?
 ビビちゃんのご希望により本日のランチメニューは海鮮パスタなんだがね。」
 話題と気分を変えようとあがく自分の姿が酷く滑稽で笑ってしまう。
 きっとナミさんも心の中で笑ってるだろなアハハハ……ハァ。
 「食べた食べた。今日のはちょーっと味、濃かったかな」
 おれの努力を知ってか知らずか、彼女の視線は奇妙な弧を描いて海に投げられた。
 「うぇ、ジジィより厳しー」
 手すりにもたれかかって、おれは彼女とは反対側の海に視線を投げ捨てる。
 「ふっふーん。伊達にサンジの料理、三度三度食べてないのよーだ」
 「…おれの料理中毒者はさすがに舌が肥えてやがんな」
 おれは言葉を選んで、選んで、慎重に話す。
 まるで面接だ。
 おれを嫌わないで貰うために、おれを気に入って貰えるように、おれを必要だと思わせるために、慎重な話術を磨いた。
 自分が泥を被らないようにする事がおれの一番神経を使う、おれの一番大切なこと。
 おれは弱いから、泥が掛かっただけで死んでしまうかも知れないだろう?
 ……今までそうしてきたし、これからも変わらない。
 おれがおれで居るために「サンジはそうしなければならない」んだよ。…最悪でも、ナミさんがおれを突き放し続ける限りはね。
 「一番気を付けてんだけどな、レディ方へのお食事は」
 煙草に火が付いていないし、何より煙草を持っていない。ああこんなにキツイ緊張に曝されると、ひどくおれのトランキライザーの煙が恋しい。
 「……気分で味覚だって変わるわよ」
 素っ気なくそう言って海へ視線を走らせた。おれはそれとなく彼女の視線を追って、身体を反転させる。
 「キブン、か」
 「そ、キブン。」
 潮風に揺れるオレンジ色の髪。水面を見つめる透き通った瞳。カモメの声にうっとりとする可愛らしい耳。
 それを おれは ずっと 見てた
 (そうしていると精神安定剤が要らないんだ)
 彼女は おれの 視線を 避ける ように 髪を 掻き上げる
 (彼女の香りがふわりと霧散する)
 その仕草が ひどく 挑発的で 胸がムカムカする
 (その仕草に敵意と拒絶と妖艶なシグナルを勝手に感じて)
 ふと背後に人の気配を感じ、あわてて振り向いた。
 麦わら帽子を被った細っこい少年が立っていた。
 少年は何も言わずに、おれに目配せをした。
 おれは反応せずに元の方を向いて、彼女を見る。
 少年の手が彼女の肩を叩いた。彼女が方の方を振り向く。何も居ない。
 「ルフィ、あんたはもうちょっと戦術ってものを習った方がいいわ」
 彼女は真後ろで驚かそうと待ちかまえていた少年の長く伸びた腕を手早く結んだ。
 「あてててててててて」
 見ているこっちが痛くなりそうなほどキュウキュウに縛り上げられた腕を、少年は急いでほどこうと四苦八苦している。
 「ったく、人がせっかく微睡んでるってーのに。
 この船じゃ気の休まる暇もないわ」
 はぁとため息を付いた彼女に、おれは一言。
 「そこがいいんでしょ?」
 彼女は視線をおれの目にやって言う。
 「時と場合によるわ」
 声が笑っていた。目が笑っていた。顔が笑っていた。雰囲気が笑っていた。
 ……ただ瞳の奥の光だけが、揺らめいた。
 おれはそれに気付いて、精一杯笑った。
 ルフィが、おれ達の間に流れる空気を関知できないほど。
 麦藁帽子の少年は、やっと解けた腕を元に戻して相変わらず笑っていた。
 何を考えているのか、他人に知られないようにするために……なぁんてのは深読みしすぎかなァ。


 ナミさんの吐息を思い出す。
 首筋に掛かる規則的な吐息。……たまに弾むんだ。
 泣きそうな、切なそうな、怒っているような、叱っているような、喜んでいるような、楽しんでいるような、世界が潰れそうな、この世が生まれたような……
 そういう、声がする。
 あの唇から、そういう声を上げる。
 本当に、イヤラシイ声を上げる。それは挑発。おれの中に居るはずの男を引き出そうとしてんだ。……んなことしたって無駄だよ。おれの中には「男」なんて居ねェ。居るのは料理のクソ上手ェ「腰抜け」だけさ。
 それでも、本当にイヤラシイ行為は続くだろね。
 昨日したから。
 今日もするから。
 たぶん明日もヤるな。
 その度に、ヤツの匂いがおれの身体に刻み込まれる。
 まるで恋のような感覚。
 激しい恋のような憎悪。
 だれか
 誰か
 誰か……
 おれを助けて
 おれを助けてくれ!



        つづく







改訂(3:39 01/05/01)


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『 月齢、3 』


 ゾロが珍しく夕食の片づけなんか手伝っている。
 意外だが、このたれ目剣士は不器用なわけではない。まぁ、器用なわけでもねェけど。
 皿なんか拭いちゃったりなんかして(いつもなら「ほっとけば勝手に乾く」とか言いやがるくせに)、別段何でもないように無関心を装っている。
 …まァたなんか言うぞ、このマリモ頭はよぅ……
 「明日は嵐か」
 呟く声も聞こえない振りをする。……こりゃ長ェな……
 おれは無心で対応することにした。いくら何でもこいつに助けられるのだけは御免被るしー。サスガにそこまで堕ちたくねェしー。一応おれにもプライドあるしー。
 ヘラヘラ笑いながら皿を洗う。にこにこしながら心を空っぽにする。
 嫌いだけど得意なんだ、こーゆーの。
 ゾロは特に口を開こうともせずに、黙々と食器を流しに運び、テーブルを拭いて、洗った食器を拭いて、船が揺れても皿が落ちねぇように出来てる専用の出し入れしにくい食器棚に直す。
 ゾロが喋るまでおれも下手に喋らない方が得策だと思った。
 やぶ蛇だけはやっちゃいけねェ。……いらねぇことまでブツブツ言われちゃタマンネェからな。
 少しして、ゾロは疲れたようにテーブルのテメェの席に腰掛けた。
 こいつは煙草吸わねぇ奴なんで、律儀にもくわえていた煙草を消すおれ。
 話の最中に灰を落とす仕草が嫌いなんだとよ。
 蛇口を締めて
 手を拭いて
 振り向く
 ゾロは眠ったように目を閉じていた。
 「また寝んのかテメェはっ!寝過ぎだ三年寝太郎!!」
 おれのツッコミもどこ吹く風。
 しんどそうに閉じられた目は開かない。
 拍子抜けしたおれは、ヤツを放ったらかしでキッチンを出ようとした。
 するとそれを待っていたかのように低い声が響く。
 「航海士イジメは楽しいかよ?」
 その言葉に貫かれたおれは、殴られたように奴の方向を向く。
 「……んだと?」
 「ナミをいじめて楽しいかと訊いたんだ」
 ゾロは夕食の献立を聞くような口調でそう言った。何でもない日常に当てはめられた単語がひどく浮いている。
 「いくらルフィが鈍いっつっても、気付かなきゃおかしいよな。あれだけ派手に宣伝してんだからよ」
 「……ああ?何のことだクソ剣士」
 「ついに記憶力までニコチンに侵されたかボケコック。」
 淡々と繰り返されるいつものやり取りさえ宙に浮いている。二人とも、スタンプのような紋切り問答などどうでもいいのに、いつもの会話スケールに納めようと無意識に言葉を選んでいる。
 それは当事者にしてみれば、とてつもなくマヌケだ。
 例えれば、そうだな…ホラあれだ、滑るって解っててクソくだらねェギャグとかカマさにゃならん状態。あんなのに似ている。
 「……まだイケる。船長殿は解って放ってらっしゃるんデスヨ。」
 うるせぇな、そんなこたぁテメェにゃ関係ねーだろ?
 おれは無言でぼんやりとゾロのツラをぼけーっと見ている。……見ていると言うよりは“視界に入れている”と言う方が的確な視線で。
 「そんなに他人から拒絶されてぇのかよ」
 「………えっぇっぇ…おれァマゾヒストかよ?」
 いつも通りの軽口を叩いて、ひょいと視線を逸らす。ゾロの目は何も語らずに、おれのありもしない答えを無駄に探している。
 …おれはね、ナミさんが嫌だと言ったら止めるつもりだったんだぜ。何もかもをスッパリと。
 でも彼女が耐えるんだよ。
 耐えていればいつかおれが自分に飽きるだろうと思って。
 じっと無視してれば、いつかおれが自分を諦めるだろうと思って。
 ……そういう、優しさなんだ。
 拒絶されて破れる恋より、自分で諦めて完結させる恋の方が辛くないと信じている彼女の。
 そしておれはその優しさに甘えて溺れている。『本当』は、これが罠なんじゃないかな、なんて妄想と一緒に。
 これはだから、恋なんかじゃねーんだ。ただの臆病者のオナニーさ。
 ……わかってるんだぜ。
 ……わかってる筈なんだぜ。
 でもコントロールできねーんだ。
 まるで、『本当』の、恋のように。
 「マゾヒスト?ナルシストの間違いじゃねぇのか。
 ナルシストで納得いかないならエロトマニアだ。お前は哀れな変態だ、気違いだ、病人だ。
 わかるかこのクソ野郎、わかったらその汚ねェツラぁこっち向けんじゃねェよ」
 急に鬼のような表情になって、ゾロは強い調子でおれを罵り始めた。
 ……わっかり易いヤツ……。
 …オマエは顔に似合わずお優しいですねェ………理解に苦しむぜ、この黒手ぬぐいオヤジ。
 「………………テメェはちょっとやり過ぎだ。あの魔女は意外に壊れ易いんだぜ」
 「…………………………」
 おれはちょっと意外だった。なんだこいつ、結構まわり見てんじゃねぇかよ…クソ。
 もしかしてアーロン戦前のノジコお姉さまの話も聞いてたんじゃねェのか?
 「オマエにはオマエのやり方があるだろうし、ソレについておれが何を言う権利もないのも解ってるつもりだ。
 でも敢えて言う。…仲間としてな。
 もうちょっと優しくしてやれや、テメェに」
 その台詞におれは思わず吹きそうになったね。
 ……うっかり奴の顔見てなくて良かった。マジヅラでこんなこと言われてた日にゃ、おれ腹抱えて即大爆笑っす!!ギャハハハ!!
 「わ、判ってンだよ!とっくの昔にンなこたァ!」
 震える肩をどうにか押しとどめようとしても、薄く震えちまう。止めようがない。つられて声も震える。
 ああ早くどっか行ってくれ頼む!!懇願しちまうよ!!
 あーーッ笑いてェ笑いてェ笑いてェ笑いてェ笑いてェ笑いてェ!!!!!
 飛び跳ね回って笑いてェ!!思う存分大爆笑してぇぇぇええええええ!!!
 「……わかってんなら何とかしろよ、その性格の悪さ」
 呆れた低い小さな声で、ゾロはいつもの半分閉じた目になったろう。
 ああもうどうでもいいから大声で笑わせてくれぇぇぇ!!
 「ぶっ」
 「…………ぶ?」
 ゾロがおれの手のひらから漏れた音を反復するように返した。
 「ブハハハハッハハハはははは!!!
 ひゃははははははあはっはははははあははははは!!!」
 おれはついに吹き出してしまった。あーもーどうにでもなれ!!何でもいいや!!ぎゃははは!!
 「………………………………」
 目に涙を溜めて盛大に笑い転げるおれを、顔をほんのり赤くしながらゾロは黙って見ていた。
 「イヒャヒャヒャヒャハハハハハハー!!」
 「オメェな……」
 「なはははははははははは、イヒヒヒヒヒイヒヒヒヒヒイヒヒヒ!!!」
 「……もォいい……」
 殊更疲れたようにゾロは後ろ手にドアノブを回し、部屋から出ていった。
 「がははははははははははははは!
 ぎゃははははははははははははは!!」
 おれは涙を溜めて笑い続けた。
 ずっと、ずっと、長い間笑い続けた。
 腹筋が痛くなって声が掠れて顎が疲れても笑い続けた。
 みんなこうやって笑い飛ばせれば楽なのにと、頭の隅が囁いた。
 それでもおれは笑い続けた。
 だって本当に面白かったんだぜ。
 ……明日にでもゾロの野郎に訂正させるか。「おれは愛されてるとも愛してるとも、確信なんかしてねぇし、そんな信念なんか持てねぇよ」ってな。


 ……次の日、うるさかったってナミさんに殴られた。
 ビビちゃんに怒られた。
 あと、長ッパナにマジヅラで心配された。



        つづく







註:エロトマニア…「異常に強い性欲」の意。現実には相手と接触が少ないか、全く無いにも関わらず妄想的な信念や確信を抱く人々のことを指す。
19:28 01/05/02


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『 月齢、4.5 』


 気温…17度
 「狂気の塊か、ありゃ」
 風速…3
 「……見る人間が、だろ」
 湿度…64%
 「…鏡か」
 気圧…降下の気配なし
 「闇夜に浮かぶ金色の鏡ねぇ……詩的だなオイ」
 進行方向…北北西
 「オメェにゃ負けるよ」
 「なんでだよ」
 「恋はいつもハリケーンなんて脳味噌が煮立ちそうなセンスだぜ。おれにゃマネできねぇ」
 「何だとこの長っパナが!」
 「人の身体的特徴を責めんじゃねェよ巻き眉!」
 ぶちぶちコソコソ言い合いながら、二人仲良く腐食防止ペンキを壁板に塗っている。
 時刻…午後二十六時。つまり午前二時。
 おれは肌色。
 やつは茶色。
 聞くところによると、この船はウソップの知り合いの女性がプレゼントしてくれたらしい。……それを聞いて、ウソップがこの船の船大工を文句言いながらでもかって出ている理由が何となくわかった。
 「よおウソップ、そのカヤさんって人は美人かい?」
 「……ああ?あんだって?」
 「この船をくれたカヤさんって女性は美人かよ?」
 煙草の煙が船尾の方向にいるウソップの頭上を足早に流れていく。
 「カヤの話誰に聞いたんだ?」
 「ルフィ」
 おれは刷毛を動かす手を休めて、まだ開けていないペンキ缶の上に腰を下ろす。シガレットケースを開けた。まだ四本残っている。
 「ったくあいつは……ラブコックには言うなっつったのに」
 「んだよ、水くせぇじゃねぇかよ兄弟。」
 「誰が兄弟だ誰が」
 「で、美人なんだろ?」
 「……美人っつうより、おれは病弱なイメェジしかねぇな」
 「…病気か?」
 「心のな」
 ウソップはおれの方を向くでなく、刷毛の手を止めるでなく、つまらなさそうな顔でちんたらペンキを塗っている。
 「父親も母親も居なくてね。ずいぶん長い間ふさぎ込んでた女だよ。
 おれにとっちゃ妹みたいなもんさ。
 家族が居なくてサミシーのはよく知ってるからな、ちょくちょく武勇伝を聞かせに行ってた」
 何度か刷毛をペンキ缶に突っ込んで、丁寧に木目に沿って赤やら緑やら色の付いた手を動かしている。
 「結局あいつを救ったのはルフィだったけどな」
 ぼんやりと眠そうな目。
 多分しっかり起きていたら、こんな話はしないはずだ。
 こいつは結構頭がいい。自分の本当のことはあまり話さないし、言葉の使い方をよく知っている。効果的な言葉の言い回しも、的確な自分の表現スキルも持っている。
 「……お前もルフィに負けたのか。」
 「ナミだって負かしたぜ、あいつ」
 「罪な男だよウチの糞センチョー殿は」
 手の中で弄んでいるシガレットケースがかさかさカラカラと鳴く。潮の音と水の音と、夜の音がする。
 月の光の降る音がする。針金のように細い月の光が、サラサラと音を立てて降りてくる。
 降りてきた金色の光線はこの船を清める。
 この先の航海の無事を願うように。
 降りてきた金色の光粒はウソップを清める。
 夢と現実を知るお人好しの少年の未来を祝福するために。
 降りてきた金色の月光はおれの体を清める。
 …これはただの順番。
 ぼんやりと自分の手が光っている。もう少し月が太っていればこんな話はしないのに。
 「ナミさんはルフィのこと憎んでるぜ」
 「…………ああ…」
 「だからこそそれ以上に愛してる。」
 「………そうか。」
 まだウソップは手を止めない。もう刷毛はペンキを含んでいなくて、刷毛と壁の擦れる音が微かに聞こえるような気がする。ウソップは手を止めずにペンキを塗っている。壁板ではない、どこかに。
 「サンジは……サンジは愛してねぇのか?」
 鞄から小瓶と筆を取り出して、小瓶に筆を突っ込んで小瓶の中の液体をかき混ぜている。かちゃかちゃという音。粘質の全くない液体の混ざる音。
 小瓶から引き抜かれた筆は、暗い色に染まっているように見えた。
 「誰を?」
 「今の話の流れ上ナミ以外にいるか?」
 「…愛って何だよ。」
 「………………さぁ」
 ウソップの筆は休まることなく壁に何か描いている。いや、書いているのかね?
 「おれにもよーわからんよ。」
 そう言って強く煙を吐き出した。大きく白い塊が出来た。すぐ空中にかき消える小さな雲。
 それをちらりと見たウソップは「そーゆーもんか?」と言った。
 おれは「そーゆーもんじゃねぇの?」と言った。
 「理解できないうちが花。レンアイなんて理解しちまえば下らないもんよ」
 「…負け犬の遠吠えに聞こえるのは気のせいか」
 「……カワイクねーなこの負け犬は」
 「オメーのことだ!」
 「お前もだろ?」
 そういうとちょっとだけ怯んだあと、ウソップはにやりと笑って「まぁな」と呟いた。
 空の細い金スプーンが
 珍しいウソップの話を連れてきた。
 闇に浮かぶ金色の糸が
 ペンキ塗りの仕事を少し遅らせた。

 明日もまたペンキ塗りの続きやんなきゃなァ。



        つづく

 







1:28 01/05/03


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