STRAP
第十五回 『白い月を数えて』


 ルフィのワガママを否定するのならゴーイングメリー号を降りてはいけない。
 ルフィのワガママはおれ達の自分勝手と同じだから。
 船を下りるという事は、嫌がるおれ達をあの船に縛り付けておきたがっているルフィのバカな願い事を組み立てている材料の一部。おれ達が嫌がることも、ヤツの計画の中に組み込まれている。(計算なんかしているとは到底思えないがね)
 あいつのワガママを本当にブチ壊したいのなら、あの船に自分の意志で戻って戦うしかない。戦って、馬鹿な願い事が、叶うはずもないテメェだけの都合のいい妄想だって事を叩き込まにゃならん。
 ルフィとナミさん
 ………………あと、おれ自身に。
 それぞれの自分勝手な欲望との戦い。全員が勝たなければ意味がない、ややこしくて苦しい悪夢との対決。一人でも負けたらアッという間に逆戻り。……そして、それを知っているのは多分おれだけ。分が悪くて泣けて来ちまう。
 ……あーあ、変なところで意地を張るこの性格何とかならねぇかなぁ。

∵∴∵∴∵‡∴∵∴∵∴

 「よお、遅かったじゃねぇか」
 ゾロが日除けにしていた新聞紙をちょいと上げて、必死で縄ばしごを手繰るおれの方をちらりと見た。
 「……てっきりもうずっと先に進んでるかと思ってたのに、んな所で何ウロウロやってんだよ」
 「昼寝」
 新聞紙がまたガサガサ音を立ててゾロの顔を覆った。甲板にいつも出ているナミさんのデッキチェアが、無骨な男の体重で軽く軋んでいる。
 「お前か?船の縁から縄ばしご垂らしてたの。
 手間かけさせたな、すまん。」
 おれはいつも通りに何事にも無関心を装う船員に向かって、多少シャクだが感謝の意を表明した。
 「…知らん…
 お前らが『買い物』に行く時に下ろしたままにしてたんじゃねぇのか」
 日差しがジリジリと水面を灼いている。ギラギラ光る波が甲板にいる三人の肌に水の紋を何度も浮き立たせた。揺らめく“光の影”がザワザワと体中を這い上がる。
 「……………………
 …ああ?…………そうだったかな…なんだ、謝ってソンした」
 出来るだけ声をいからせて無機質な喧嘩腰にする。素っ気なく、腹立たしげな嘲笑。
 「おまえ達が帰って来たら
 全速力で次の島に行くんだと
 これから冬島に入るから
 コートとか、買いに行かなきゃならねェだろう?
 下見に行って、どうだったよ」
 ……下見だと?何がコートだ、ヘンに気ィ回しやがって。ナメんなチクショウ。全員とっくに知ってンだよ、馬鹿が。
 勝手に馬鹿なことやってズタズタになっても、おれには帰る場所がある。下手クソな気遣いが気色悪くて最近緩くなった涙腺が充電を始めても、多分ここがおれの帰る場所だ。
 「ああ、ナミさんが選んだデザインはみんな最高だった。
 なぁナミさん、ゾロのコートなんか大爆笑だよなァ。クマの耳が付いてんだ、ぜ……」
 小舟から甲板に上がってきてから、一言も言葉を発しなかったナミさんは、唇を食いしばって必死に涙をこらえていた。
 おれはしばらく呆然として、自分の口から煙草が落ちるのも気付かなかった。
 「なんで怒らないの?
 怒ってよ、ちゃんと叱ってよ
 お前の身勝手にはもううんざりだって、殴ってよ」
 ところどころ汚れた白いノースリーブのワンピースが震えながらそう言った。それを黙って聞いていた新聞紙は、ゆっくりとあくびをしながら本当にめんどくさそうに言った。
 「……また今度な。いま昼寝で忙しいんだ
 なぁウソップ、お前もそんな暇ねぇよなぁ」
 スローモーな口調でゾロは新聞を上げて見張り台に声を掛けた。
 「ああ、そんな暇ないね。最初たった四人でこの船動かせてたのが嘘みたいにこの二日間忙しかったんだ。ビビなんか疲れてまだ部屋で寝てるよ。
 やっぱりコックと航海士が抜けるのはキツイ。次からはおれ達が買い物に行くからな」
 のんびりとした声が降ってくる。多分本でも読みながら、ぼんやりと言葉を発しているに違いない。
 「ルフィ……は?」
 おれは出来るだけ平静を装って見張り台に向かって聞いた。少し声が引きつっているのがなんとも情けない。
 「さぁどこに居るやら。……キッチンじゃねぇの?」

∵∴∵∴∵‡∴∵∴∵∴

 キッチンのドアを開けると、椅子にだらしなく腰掛けて窓の桟に頬杖をつき、ぼんやりと窓の外を見ながら麦藁帽子の端を弄っている少年がいた。
 ぼさぼさの髪が、心なしかしんなりと元気が無い。目が少しだけ虚ろで、良く見ると目の下にはうっすらくまがある。いつもの闇雲にハイテンションの印象しかないおれは、冗談や大げさ抜きで一瞬誰なのか疑ってしまった。
 「る、フィ……だよな」
 声が間抜けなほど棒読み口調だった。表情も無理矢理フツウを装ったから、驚きとか軽い嫌悪とか多少の優越感とかかなりの同情とか、丸ごと全部ミックスされて外に出ちまってるだろうな、絶対。
 「……おれはさ」
 憔悴した弱々しく掠れた声。人が三日ほど寝てないと、大抵こんな顔と声になるのをおれは知ってる。
 「怖いものはねぇ
 怖いこともねぇ
 ねぇんだ。何も、怖くねぇ
 怖くねぇはずなのに
 今の今まで怖かった。
 おまえら二人、どっちかでも帰ってこなかったらどうしようって
 そればっか考えてた
 寝られなかった
 こんなの初めてだ」
 もちろんおれもナミさんも見ずに、窓の外に呆然と目をやりながら寝不足の目と声でそう訴える。窓の外はジリジリと太陽光線が甲板を灼いていた。
 ルフィが麦わらを弄るカサカサという乾いた音が妙に耳につく。身じろぎしないナミさんは無言のまま。身じろぎできないおれも無言のまま。ルフィの視線は全く動かずに、虚ろな眼球はおれたちに見えない何かを追っているようだ。
 「ここに、帰って来てもよかったの?」
 急にナミさんの声がした。その声が震えているようで、掠れているようで、揺れているようで、おれはずいぶん罪悪感を感じる。もし手が彼女に触れていたら、大きく震えて引きつってしまっていたのだろうか。
 「ほかに帰るとこなんかねぇだろ、ナミ」
 お前はここに居るんだ。おれは離さねぇぞ、村にだって帰さねぇ。
 ぶつぶつ囁くように口篭もりながら、視線を動かすことなくルフィは呟いていた。
 「あるわよ。
 サンジの腕は寝心地がいいの。わたしが眠るまでサンジはずっとそばに居てくれるのよ。
 いつの間にか居なくなっちゃう誰かさんとは違って、わたしに優しくしてくれる
 わたし、多分ルフィよりサンジの方が好きな」
 「うるせぇな、それ以上言うとぶっ殺すぞ」
 イラついて刺々しいわけでも、いきり立って激しいわけでもない淡々とした声が、ボソボソと砕ける。
 「殺しなさいよ。死んであげるわよ、あんたのために。」
 ナミさんの声がする。意外でも何でもない声がする。部屋の空気がのろのろと旋回して、暑い。
 「おれだって死んでやるよ、お前の為に死んでもかまわねぇ。」
 自分の声がする。背中を汗が数筋流れていく。頭が熱気でクラクラする。中は冷えたままなのに。
 「でもお前は死ねねぇよな。おれ達の為に死ねねぇだろ?
 お前はその麦藁帽子の持ち主に会いに行くんだろ?だから死ねねぇよなぁ?」
 おれの手に入らないものを持っているくせに、何て贅沢な野郎なんだ。ああ糞、いっその事その麦藁帽子をかまどに入れてサクッと燃やしちまうか。
 「うるせぇ、ぶっ殺すぞ」
 「殺してみろよ意気地なし」
 言葉の端々に相手への呪いのような羨望が混じっている。
 こいつの目の前に立つとつい二日前まで感じてた不憫な気持ちが一気に掻き消えるような気がするぜ。
 おれたちは常に距離をおいてないといけねぇのかな、ルフィ。
 「あんた達のどちらか一人でも死んだら、わたし、死んでやるからね」
 何かが軋むような音に似た言葉が、部屋に走った。
 おれはたまらなくなって(逃げ出したくて)自分のセリフだけで耳の中をいっぱいにしようとする。
 「……いいかルフィ、おれはこれからもナミさんを抱き続ける。お前がどうしようがもう知らん
 もうお前はどうでもいい。
 おれにはナミさんだけしかねぇんだから」
 長く口をつぐんでから、重々しくルフィが一言だけ言う。
 「…………男は、言ったことには責任持てよ」
 「…っ…………見てろよ、クソ野郎」
 おれは苦々しくそれだけ吐き捨てて、ルフィを睨み付けていた。
 ナミさんはもういいでしょう、この話は終わり。わたし疲れた。お風呂入ってゆっくり寝たい、と早口でおれを急かす。
 おれもその提案には大賛成だった。なにより二日間小船を漕ぎ通しだったので体中が笑っている。さっさと眠りたかった。
 「世の中そんなにショッキングには出来てないのよ」
 キッチンのドアが閉まる直前、ナミさんの声が背中でした。その言葉が誰に向けられたものなのかおれには分からない。
 ただナミさんはおれの手を握り、はやく部屋までつれてってちょうだいと囁いた。
 ……女部屋にはビビちゃんが居るらしいんだけどなぁ……


        つづく

 



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第十六回 『オブ・ラ・ディ オブ・ラ・ダ』


 女部屋には誰も居なかった。
 ビビちゃんはどこかに行ってしまったらしい。
 ナミさんは女部屋の天井扉の鍵を閉めて、白いワンピースの胸元を引き裂いた。
 「セックスしよう」
 おれの脳味噌はもう何も考えられなくなっている。
 考えたら、爆発しそう。少しでも使ったら、無くなりそう。
 ネクタイを外して、ジャケットを脱ぐ。シャツをその辺に放り投げてベルトを抜いた。
 「ああ、いいぜ
 淫乱なその身体にいくらでもぶち込んでやるよ」
 床にそのまま彼女を押し倒して、少し埃だっている空気を吸いながら首筋にキスをした。
 舌で細い首をなぞって、片手で彼女の胸を揉みながら片手でスカートをたくし上げる。
 若い茂みを掻き分けて、ヌルヌルする水分を指が探り当てた。
 彼女の顔が歪む。
 目からは涙。
 唇からは引きつり声。
 眉は下がって頬は真っ赤だった。
 「どうして、どうしてうまく行かないの?」
 だれかたすけてよ
 ここはもうやなの
 おねがいだから
 だれかたすけて
 呟く声を聞かないふり。聞こえないふり。
 「ナミさんとセックスしてると、無闇でデタラメな勇気が沸いてくるような気がするんだ」
 柔らかくもないテメェのくちびるが彼女の首筋を這っている。
 それでもナミさんの表情は変わらない。
 ああ、これがおれに出来る最高の親切なのに。
 声になる前の呼吸とため息になった後の空気が、濁った水槽のような船の窓ガラスを曇らせた。
 ナミさんは涙を溜めたまま、おれの親切を気遣って、泣くのを止めた。
 ほら、おれは泣き顔も見せて貰えない。おれはいつまで経ってもナミさんの中に入れてもらえないんだ。
 「サンジは、セックス、好き?」
 ああ好きだよ、ナミさんの次の次に。
 「わたしの次は何?」
 ナミさんの幸せな顔さ。
 「じゃあいつまでもセックスしてなくちゃいけないわね」
 ナミさんはセックス好きか?
 「好き。考え事が全部すっきり解決するみたいに、どうでも良くなるから。
 抱かれているのは快感だわ。思い付きで伸ばした指がサンジの肌に行き着いたら安心する」
 それは身に余る光栄です。
 言ってしまって、彼女の頬に流れている涙を見た。濡れている肌がひどく悲しいと思う。悲しい形をしている。
 こえがきこえる。
 「でも男は嫌い。いつも肝心なときにいないから。私を一人にする」
 つぶやくこえ。
 「おれのこと好き?」
 といかけるこえ。
 「好きよ。」
 ささやくこえ。
 「おれだって男じゃねぇか」
 はなす、こえ。
 「…サンジは…わたしのこと一人にしないもの」
 たちきる、こえ。

 おれはナミさんとセックスすると、決まって自己嫌悪に陥る。キッチンで後ろから襲ったときも、甲板で不意に押し倒された夜も、目の前にルフィが居るみかんの木に隠れた強姦も、おれは一生忘れない。忘れられない。
 だからおれに抱かれているナミさんが可愛く艶っぽい声を出す度に、泣きそうになる。
 ……ははは、ルフィに抱かれているナミさんの身体が弓なりに反るのを見たら、おれは幸せになるのかな?
 自分の手にすっぽり収まっているナミさんを見るのは辛い。
 それが彼女の幸せだとしても、多分辛いままだと思う。どうしてだろう、宝物が手に入った悦びにむせぶはずなのに、今自分の体中から警笛が聞こえる。「気を付けろ!キケンだ危険だ!」

 「ここにずっと居るつもりか?いつまでもルフィの影を想って泣くのかよ
 おれはナミさんの身体を何度も抱いたけれど、ナミさんの心を抱いたことは一度もねぇ。
 ……でも、おれはそれでいいんだ。
 それがいいんだ」
   怖くないだろ、おれがついてる。何があってもおれはあなたを守るから、だから帰りましょう。
 「帰るって、何処へ?」
 もう船に帰ってきたじゃない、ほかに、どこに帰るの?
 帰りましょう
 帰りましょう
 はやく
 はやく
 帰らなければ
 「だから、どこへかえるの?」

 はやく、帰らなければ。

 何処へ帰るの?

 「ナミが泣かないでいい場所へ」

 「……そこはサンジが泣かなきゃなんない場所なの。
 そんなところには行きたくない。
 …………帰りたくない…」



 「…ドロボウはウソツキの成れの果てって、ホントだな」



おしまい

 




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