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第一回 『ツナミ』


 津波ってのをしってるかい?どっかのルナミ好きのお得意さんじゃなくてさ。
 海に出てる分には大して怖くねぇが、港は根こそぎ引きずり込まれる恐ろしい波のことだ。
 実は最近おれはアレに悩まされてる。
 ま、ホンモノじゃねぇけど。……本物の方が随分楽だよ、全く。

 ビビちゃんが甲板のビーチパラソルの下で長っパナと話している。
 長ッパナの話は面白いけど、おれに対しては説教臭くなるのが考え物だな。
 おれは今日の献立を書いていたメモを床に置いて目を閉じた。
 航路は順調、天気は最高。こんな気楽な午後なのに、おれは少し疲れている。
 原因は昨夜の事。
 酒の勢い借りて
 ついにやっちまった。
 この船で一番しちゃまずいことを。
 ふと、右手を上げる。
 まだ彼女のぬくもりが残っているような気がして、その手で無性に自分の頬を叩きたくなった。
 自分の胸の下でつぶれる彼女の吐息が弾んでいて……それがとても残酷な気がした。
 それでも自分でそうしたかったんだと思う。
 やってるときは興奮してそれどころじゃねぇけど、終わって安全な場所に帰れば世界全てが壊れたような気分になる。
 まるで万引きみてぇだ。
 おれはポケットを探り煙草を取り出し、火を付けて一服。
 胸の奥に白い煙を誘導して、痛いくらいに沈静する頭の奥をじっと見つめている。
 二の腕が少し痛む。
 きっと爪の痕が付いてる。3本くらい。
 彼女は何も言わなかった。
 嫌だとすら。
 だからおれは調子に乗って、何度も、何度も、そうした。
 本当は嫌だと言ったらもっと酷いことをするつもりだった。…声がルフィに聞こえるくらい。
 不意に目を開けると、おれの顔を覗いているゾロが居た。
 「おい、ルフィがのど渇いたってよ」
 面倒くさそうに、そう一言だけ言ってふいと蜜柑の木の方へ足を向けた。
 また寝るつもりらしい。
 …一日の三分の二は寝てるんじゃねぇのか、あのでけぇネコは…
 おれは気にも留めずにまた瞼を閉じる。
 そうすると目の前に、本当に嬉しそうな顔でおれだけに笑いかける彼女が現れるんだ。
 彼女は笑っておれにキスをする。
 ルフィの前でも関係ないね。ゾロでもウソップでもアウトオブ眼中。
 ………ビビちゃんは…少し目を逸らしてでもする。
 ……………………………………そんな彼女はどこにも居ないと知っている。
 「ナミさーん」
 小さく呟いて、その名前の裏に芽吹く自分の嗜虐心が、真っ黒の色をしているのが見えた。
 昨夜抱いた彼女の身体のあらゆる所から、あいつの匂いがした。
 胸がむかついて、口の中が一瞬でカラカラになった。目の前が真っ暗になりそうだった。彼女が抵抗しないから。
 あいつに抱かれた後、おれに無理矢理抱かれても嫌がらねぇのか?
 なんで
 なんで
 なんで……
 そんなにおれは可哀想かよ!そんなに同情しなきゃ死にそうか?そんなに……いじめて何が楽しいんだよ……
 彼女の首筋はいい匂いがした。
 ミカンのいい匂い。
 その首筋に舌を這わせると、彼女の身体が引きつってこわばるのを知ってる。一番感じるんだ、ナミさんはここが。
 それから耳元で囁く。ここがいいんだろって。声は小さくて掠れるような声がいい。耳たぶを力を込めずに噛むと、いい声で鳴くんだこれが。
 思い出しただけでいきそうだぜ。
 あんないい女滅多に居ないね。
 ……こうやって酷いことを思い出しながらおれは煙草を吸う。最近一番お気に入りの暇つぶし。
 本当は、いろいろ知ってる。
 自分が寂しい原因とか、彼女がおれに同情する理由とか、あいつが彼女を抱かないわけとか、ゾロが全部知ってる事とか、ウソップとビビちゃんの会話の中身とか。
 カルーが一声鳴いた。
 ウソップがこちらを見ておれを呼んだ。
 「昼だってよ、メシ作るの手伝うぜサンジ」
 おれはにっこり笑って、ウソップとビビちゃんにメニューは何がいいかと尋ねた。
 「10分で作ってやるよ」


        つづく

 



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第二回 『ツナミU』


 「漠然とした不安」に駆られて自殺した文豪が居たっけな、そいつの名前なんておれにはどうだっていいことなんだ。
 でもそいつが死ぬしかねェって思った気持ちは解る。抜け道が見えてても、そこをくぐる自分が想像できねぇんだ。抜け道を効果的に利用できない自分の不器用さに呆れ疲れて、死にたくなるんだよ。
 そういえばそんな曲があったっけな。
 どんな曲だったっけ?……まぁいいや、どうだって。

 カルーにドリンクを作ってやる。特製のサンジ印は最高の味と栄養。多少のことじゃ腹も減らねぇ。
 カルーはそれを器用にクチバシを使ってストローで飲む。……いや、ストローは邪魔じゃねぇのか?
 「ハァイ、サンジ。」
 “いつもの”声の主は普通の顔をしておれに話しかけた。
 相変わらず動じない女性(ヒト)だ。三分の一でいいからその勇気をおれに下さいよ。
 「はぁい、ナミさん」
 おれは出来るだけ普通のフリをして笑う。……ああ、いびつな笑い顔。
 「カルーはご機嫌?」
 微笑んで、カルガモの顔を覗く。でっかいお化けカルガモはナミさんの顔を見て心地よさそうに頷いた。……おいおい、ご主人様に向ける態度と全然違うんじゃねぇか?
 …………………………………………………………………………
 ……カルガモにまでヤキモチ焼いてどうするよ、おれ!……あー…ヤな性格ー……
 「ナミさんは昼飯食べました?ビビちゃんのご希望により本日のメニューは海鮮パスタですが。」
 話題と気分を変えようとあがく自分の姿が酷く滑稽で笑ってしまう。
 きっとナミさんも心の中で笑ってるだろなー。
 「食べた食べた。ちょーっと味、濃かったかな」
 「ははは、ジジィより厳しいっすね」
 「ふっふーん。伊達にサンジの料理、三度三度食べてないのよーだ。」
 おれは言葉を選んで、選んで、慎重に話す。
 まるで面接だ。
 おれを嫌わないで貰うために、おれを気に入って貰えるように、おれを必要だと思わせるために、慎重な話術をおれは学んだ。
 自分が泥を被らないようにする事がおれの一番神経を使う、おれの一番大切なこと。
 今までそうしてきたし、これからも変わらない。
 おれがおれで居るためにおれは「そうしなければならない」んだよ、ナミさんがおれを突き放し続ける限りは。
 「一番気を付けてるんですけどね、レディ方へのお食事には」
 「……気分で味覚だって変わるわよ」
 素っ気なくそう言って海へ視線を走らせた。
 「キブン、ですか」
 「そ、キブン。」
 潮風に揺れるオレンジ色の髪。水面を見つける透き通った瞳。カモメの声にうっとりとする可愛らしい耳。
 それを おれは ずっと 見てた
 彼女は おれの 視線を 避ける ように 髪を 掻き上げる
 その仕草が ひどく 挑発的で 胸がムカムカする
 ふと背後に人の気配を感じ、あわてて振り向いた。
 麦わら帽子を被った細っこい少年が立っていた。
 少年は何も言わずに、おれに目配せをした。
 おれは反応せずに元の方を向いて、彼女を見る。
 少年の手が彼女の肩を叩いた。彼女が方の方を振り向く。何も居ない。
 「ルフィ、もうちょっとヒネリなさい。」
 彼女は真後ろで驚かそうと待ちかまえていた少年の長く伸びた腕を手早く結んだ。
 「あてててててててて」
 「ったく、人がせっかく微睡んでるっつーのに。
 この船じゃ気の休まる暇もないわ、全く」
 はぁとため息を付いた彼女に、おれは一言。
 「そこがいいんでしょ?」
 彼女は視線をおれの目にやって言う。
 「時と場合によるわ」
 声が笑っていた。目が笑っていた。顔が笑っていた。雰囲気が笑っていた。
 ……ただ瞳の奥の光だけが、揺らめいた。
 おれはそれに気付いて、精一杯笑った。
 ルフィが、おれ達の間に流れる空気を関知できないほど。
 麦藁帽子の少年は、相変わらず笑っている。
 何を考えているのか、他人に知られないようにするために……なぁんてのは深読みしすぎかなァ。

 ナミさんの吐息を思い出す。
 首筋に掛かる規則的な吐息。……たまに弾むんだ。
 風呂場、女部屋、男部屋、ミカンの木の中、武器庫、キッチン、甲板……
 ありとあらゆる場所で
 彼女の吐息を聞いた。
 泣きそうな、切なそうな、怒っているような、叱っているような、喜んでいるような、楽しんでいるような、世界が潰れそうな、この世が生まれたような……
 そういう、声がする。
 あの唇から、そういう声を上げる。
 昨日も。
 今日も。
 たぶん明日も。
 その度に、ヤツの匂いがおれの身体に刻み込まれる。
 まるで恋のような感覚。
 激しい恋のような憎悪感。
 だれか
 誰か
 誰か……
 おれを助けて
 おれを助けてくれ!


        つづく



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第三回 『ツナミV』


 浜の全てを引きずり込む波。
 おれの全てを引きずり込むナミ。
 彼女は津波によく似ている。
 引きずり込み終わったら
 何事もなかったかのようにいつも通りの静かな海に戻る。ほんの少しだけ、荒れ狂ったような表情を見せるだけ。
 本当に荒れちゃいねぇんだ、大抵。

 ゾロが珍しく夕食の片づけなんか手伝っている。
 …まァたなんか言うぞ、このゲーハーはよぅ……
 「明日は嵐か」
 呟く声も聞こえない振りをする。……長ェな、こりゃ。
 おれは無心で対応することにした。いくら何でもこいつに助けられるのだけは御免被るしー。サスガにそこまで堕ちたくねェしー。一応おれにもプライドあるしー。
 ヘラヘラ笑いながら皿を洗う。にこにこしながら心を空っぽにする。
 嫌いだけど得意なんだ、こーゆーの。
 ゾロは特に口を開こうともせずに黙々と食器を流しに運び、テーブルを拭いて、洗った食器を拭いて、船が揺れても皿が落ちねぇように出来てる専用の出し入れしにくい食器棚に直す。
 ゾロが喋るまでおれも下手に喋らない方が得策だと思った。
 やぶ蛇だけはやっちゃいけねェ。……いらねぇことまでブツブツ言われちゃタマンネェからな。
 少しして、ゾロは疲れたようにテーブルのテメェの席に腰掛けた。
 煙草吸わねぇ奴なんで、律儀にもくわえていた煙草を消すおれ。
 話の最中に灰を落とす仕草が嫌いなんだとよ。
 蛇口を締めて
 手を拭いて
 振り向く
 ゾロは眠ったように目を閉じていた。
 「また寝んのかテメェはっ!寝過ぎだ三年寝太郎!!」
 おれのツッコミもどこ吹く風。
 しんどそうに閉じられた目は開かない。
 拍子抜けしたおれは放ったらかしでキッチンを出ようとした。
 低い声が響いた。
 「バカコック、航海士イジメんのやめな」
 その言葉に貫かれたおれは殴られたように奴の方向を向く。
 「いい加減にしねぇとキャプテン切れるぞ」
 「……まだイケるさ。船長殿は解って放ってる」
 うるせぇな、そんなこたぁ解ってやってンだーーよ。
 「おれが許さねぇって言ったら満足か?」
 「…なんのことやら…」
 何でオマエはそんなに顔に似合わずお優しいのかねぇ。…理解に苦しむぜ、この極悪たれ目剣士は。
 「そんなに他人から拒絶されてぇのかよ」
 「……………………。」
 おれはね、ナミさんが嫌だと言ったら止めるつもりだったんだぜ。何もかもをスッパリとな。
 でも彼女が耐えるんだよ。
 耐えていればいつかおれが彼女に飽きるだろうと思って。
 じっと無視してればいつかおれが彼女を諦めるだろうと思って。
 ……そういう、優しさなんだ。
 拒絶されて破れる恋より、自分で諦めて完結させる恋の方が辛くないと信じている彼女の。
 その優しさに甘えることしか出来ねぇ。
 臆病者なんでな。
 「オマエはちょっとやり過ぎた。
 ナミが壊れたらどうする。この船間違いなく瞬時に沈むぞ」
 「…………………………」
 「オマエにはオマエのやり方があるだろうし、ソレについておれが何を言う権利もないのも解ってるつもりだよ。
 でも敢えて言う。……仲間としてだ。
 もうちょっと優しくしてやれや、テメェに」
 その台詞におれは思わず吹きそうになったね。
 ……うっかり奴の顔見てなくて良かった。マジヅラでこんなこと言われてた日にゃ、おれ腹抱えて即大爆笑っす!!ギャハハハ!!
 「わ、判ってンだよ!とっくの昔にそんなこたァ!」
 震える肩をどうにか押しとどめようとしても、薄く震えちまう。止めようがない。つられて声も震える。
 ああ、早くどっか行ってくれ、頼む!!懇願しちまうよ!!
 あーーッ笑いてェ笑いてェ笑いてェ笑いてェ笑いてェ笑いてェ!!!!!
 飛び跳ね回って笑いてェ!!思う存分大爆笑してぇぇぇええええええ!!!
 「……何とかしろよ、その性格の悪さ」
 呆れた低い小さな声で、ゾロはいつもの半分閉じた目になったろう。
 ああもうどうでもいいから大声で笑わせてくれぇぇぇ!!
 「ぶっ」
 「…………ぶ?」
 ゾロがおれの手のひらから漏れた音を反復するように返した。
 「ブハハハハッハハハはははは!!!
 ひゃははははははあはっはははははあははははは!!!」
 おれはついに吹き出してしまった。あーもーどうにでもなれ!!何でもいいや!!ぎゃははは!!
 「………………………………」
 目に涙を溜めて盛大に笑い転げるおれを、顔をほんのり赤くしながらゾロは黙って見ていた。
 「イヒャヒャヒャヒャハハハハハハー!!」
 「オメェな……」
 「なはははははははははは、イヒヒヒヒヒイヒヒヒヒヒイヒヒヒ!!!」
 「……もォいい……」
 殊更疲れたようにゾロは後ろ手にドアノブを回し、部屋から出ていった。
 「がはははははははは!ぎゃはははははは!!」
 おれは涙を溜めて笑い続けた。
 ずっと、ずっと、長い間笑い続けた。
 腹筋が痛くなって声が掠れて顎が疲れても笑い続けた。
 みんなこうやって笑い飛ばせれば楽なのにと、頭の隅が囁いた。
 それでもおれは笑い続けた。
 だって本当に面白かったんだぜ。

 ……次の日、うるさかったってナミさんに殴られた。
 ビビちゃんに怒られた。
 あと、長ッパナにマジヅラで心配された。


        つづく



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第四回 『セイレーン』


 人魚だぁね。昔から人魚は船を惑わす歌をうたうと言われている……アレ?嵐を呼ぶ歌だっけ?
 まぁ船乗りとしてはあんまり敵対したくない相手。
 で、大抵スタイル抜群の女性なんだわな。基本的に。
 ……この船に乗ってるけど。ひとり。

 船がぐーっと揺れる。船そのものが軋むような音を立てて、窓には空だけが映る。
 ぼんやりとした視界が次第に生き返る。
 「感謝してるわ」
 耳に付いた昨日の言葉。機能の言葉。帰納の言葉。
 今日の前の日、俺の行動による作用の、全部の結論。
 ありがとう。ありがとう。ありがとう。 ありがとう。ありがとう。ありがとう。
 ありがとう。ありがとう。ありがとう。 ありがとう。ありがとう。ありがとう。
 耳に付いて離れない。
 テンポが、声が、音程が、発音が、イントネーションが、意味が、理由が。
 おれを切り刻む。
 まるでキャベツの千切りのように細かく丁寧に美しく。決して主役じゃない千切りのキャベツみたいに。
 ため息も出ず、俺は呆然と空気の底にうずくまりながら水の天井に浮かんでいる。
 彼女は俺に無理矢理抱かれ、おれは彼女に感謝された。
 その感謝が彼女お得意の皮肉だったら、俺は嬉しそうに笑ったのかも知れない。
 でも知ってる。本心だ、あれは。
 本当に彼女は俺に感謝をしていた。おれが他の誰でもなく彼女を欲望のはけ口にしたこと、彼女が他の誰でもなく俺を欲望のゴミ捨て場として選んだ呵責。
 うねる風とはしゃぐ波が引くように、彼女は歌をやめた。
 すっかり天気は回復し、最高のコウカイが始まる。
 航海。
 後悔。
 狡獪な叩解。(※狡獪…ずる賢いこと ※叩解…紙の原料の繊維を機械的に押し潰したり切断すること)
 ……困るのは、そんなに思い悩んで悔いてるっつうのに、一向にやめたいと思わないことだ。
 船底が水を押しのける感触がする。
 背筋がゾクゾクする。
 彼女が傷ついているのが手に取るように分かる。自分の体中から血が滲むのが感覚的に判る。
 涙がせり上がってくる。
 嬉しくて
 「最低だね、どうも」
 声が出る。ガサガサのひどい声。聞き取りもままならない吃音のような声がする。
 どうして嫌だと言わないんだ?いえばそこで終わるのに。
 おれの手が止まるのに。おれの時間を止められるのに。
 彼女は優しいから。
 おれにだけ。
 「……おれだけ違う…おれにだけ違うんだ……」
 それが、おれを狂わせる。…いや、正常にするのかな?
 おれがされた酷いこと、それはあのゴムの匂いのする肌。
 サラサラした髪の一本一本にあいつの唾液がこびりついているような絶望感。
 おれがされた酷いこと、それは麦藁帽子の影を追う目線。
 決して見つめたりはせず、それとなく自然に視線が偶然そっちを向いている。
 おれがされた酷いこと、それはカラダを抱かせる無神経。
 キライならば頬を叩けるし、嫌なら泣いて大声でやめてと叫べるはずなのに。
 おれがされた酷いこと、それは彼女が演じ通す「彼女」。
 誰にも秘密のまま自分だけで解決しようとするのはとても可哀想なおれの為。
 おれがされた酷いこと、それは殺さず生かさずの親切さ。
 一気に決着を付けさせないように、時が無事解決するのを待ってる臆病な愛。
 使用法の違う親愛。
 愛してる。愛してる。誰よりも。
 だからこんなにあなたが憎い。
 「…もっと酷い事してやる…」
 薄く笑んで一人だけで座っていた男部屋を後にする。セイレーンが耳を塞ぐぐらいヒドイ歌をうたってやる。
 呟きもせず、胸の内に広がる黒い煙を消そうとするかのように、煙草の煙を思い切り吸いながら。

 「ちょうど良かった、みかんの木の剪定(註:木の形を美しく保つために枝の一部を切ること)手伝ってくんない?」
 きょとんとするおれに、ナミさんはにっこり笑いながら枝切りばさみを手渡す。
 「……手伝う、んですよね?」
 「ん!そう。私は指示。サンジは枝を切って乾かして燃料用に倉庫で保存。」
 無敵の笑顔。おれはもうメロメロ。おれの嫌な空気をこんなに綺麗に一切浄化してしまう。…一種の才能だね、こりゃ…
 ナミさんは得意の自信満々で最高の表情。おれは自然に笑いがこみ上げてくる。
 ああなんて幸せな気持ち。
 安心する。
 不安が溶け消えて、迷いが小さく思える。黒い月の囁きが明るい太陽の光にかき消される。
 嬉しくてたまらない。
 ナミさんの笑顔は伝染する。幸せの放射線。
 「終わったらウソップに返しておいてね。」
 右の色の悪い葉の枝を切ってとの指示を仰いで、おれは慎重に枝を落とす。
 「…何でも持ってるな、あいつ」
 取っ手が赤色のペンキでカラフルに縁塗りされている枝切りばさみは、ザクザクとみかんの枝を切り落とした。
 「ホントはゾロにやらせようと思ったんだけどねー、嫌なんだって。」
 「意味もなく刀を出すのは、でしょ?」
 おれはナミさんの言葉を受けて、煙草を吹かしながらミカンの木の枝を切る。
 「あはは、サンジにもそう言ったんだ」
 「コックの包丁と同じですよ。命ですから」
 灰が風に打たれて音もなく砕けた。白い灰が空中に舞って…消える。
 「…へぇ、よく解ってるのね。」
 のんきな声が背後でする。
 「ウソップの誇り。ビビちゃんの国。ナミさんの、みかんですね」
 「……ルフィの麦藁は?」
 挑発するようなゆっくりとした口調。何でもないようでいて、とても冷たい魔女の呪文。
 「………………………………」
 ほら、呪文を掛けられた者は石になってしまった。
 「…まだ逃げられそう?」
 太陽の光の下で彼女の演じる魔女は酷く手厳しい。彼女の真意がどこにあるのか、おれにはまだ見つけられそうもない。
 闇の中の彼女は自己犠牲的。光の中のナミさんは偽悪的。どちらも無理なくこなす彼女はひび割れそうな声を上げるセイレーン。船を誘い、船乗りを惑わす魔性の生き物。
 可哀想に、可哀想に、可哀想に、可哀想に、可哀想に
 可哀想に、可哀想に、可哀想に、可哀想に、可哀想に……
 おれの思考が急に止まる。
 手が伸びて、まるでみかんをもぎ取るような手つきでナミさんの手を引っ張る。
 「あ、ちょっ…なにすんの!」
 おれはみかんの木に隠れ、彼女を抱きしめた。
 「もっ…こら!何やってんの、おこる……」
 そこで彼女はやっと気付く。
 独特の足音に。
 「よおナミ、何やってんだ?」


        つづく

 



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第五回 『サルベージ:マイナス』


 海底に沈んでいるお宝を引き上げることをそう言う。専門用語だね。

 「よおナミ、何やってんだ?みかん取るのか?」
 おれは木々の間に深く入り込んで、ちょうどルフィからは見えない位置にいる。ナミさんは上半身だけをルフィの方に向け、その上半身だけがルフィの位置から見えるように立っていた。
 「な、何って……」
 そう何かを言いかけた彼女の身体をちょいと引き寄せた。ガサガサと顔を残してみかんの木に彼女の身体が埋まる。
 「…ち…ちょっ……」
 おれは彼女の身体を抱きしめる。優しく、優しく、ルフィに気付かれないよう。
 後ろ手を手早く外したネクタイで結び、使えないようにしてやる。
 …でもおれは優しいからきつくは締めないように…
 …でもおれは臆病だから無理すれば外れるように…
 「なにやってんだ、ナミ。取れないなら取ってやろうか?
 どれ取るんだ、あの上の方の奴か」
 『取ってもらえよ』
 囁く声は挑発的。自分の体の中にある何かがおれにそう囁かせる。……多分、あんまりいいもんじゃないだろうな、これ。
 「じゃ、じゃあ…その右手の方の…色の付いてる奴触ってみて」
 おれはふと思いついて右の胸を触った。彼女の身体が一瞬こわばった。
 「…怒るわよ…」
 『このカッコウでか?』
 こそこそと、まるで秘密の約束を交わすようにおれ達は囁き合う。彼女の息が熱い。
 「これかー?まだ固いぞ」
 ルフィは気楽な声でおれ達に背を向けながらみかんを選んでいる。
 「じ……じゃあ、もっと向こうっ側にあるやつ…は?」
 途切れ途切れの声は、いつもの彼女の吐息とはまた違っていて、ずいぶんと艶が増している。
 おれはもっともっとそんなこえがききたくなった。
 オレハモットモットソンナコエガキキタクナッタ。
 するりと腿に手を這わせる。優しく、優しく、くすぐったいくらいのゆっくりとしたスピードで、緩慢に指を動かす。タイトのスカートの生地がカサカサとささやかな音を上げた。
 「あっ!」
 おれはスカートの中に手を入れ、彼女の太股の組立式棍棒のベルトを外した。ガチャっと物騒な音がする。
 「お、どうした?…このみかんは違うのか?」
 のんびりした気楽な表情のルフィは、手のひらの中にある美味そうなみかんをじっと見ている。
 「柔らかいぞ」
 「そっ……そう。こっここからじゃ、固そうに、見えったのよ……」
 必至に押し殺しても弾む息が、闇の中で触れる彼女の肌よりも魅力的で目が眩んだ。
 目の前のこのシチュエーションに。
 「い、いい加減にしてっ!いくらあいつが鈍感でも気付くわ、こんなこと!」
 声を抑えて、怒りと屈辱感・恍惚と快感でシッチャカメッチャカになった顔を彼女はこちらに向ける。
 『おれは構わんよ。見つかっても』
 そう平然と囁くおれを強く睨んで、彼女はきつく唇を噛む。
 『それに……こんなにしてるのに止めてもいいのかい?』
 左手を彼女の鼻先に差し出す。太陽光線できらきらと輝く左手を。
 「こんなことして…タダで済むと思ってんの!?」
 『ホラ、前向いてねぇとルフィがヘンに思うぜ』
 背中をトンと押し、彼女の顔をみかんの木の茂みの外に押し出す。
 彼女の全身がぎくりと大きく震えた。
 「……さっきから何やってんだ、ナミ」
 「なっ!何でもないわよっ!こっち来てないでみかん取りなさいよっ!」
 「だから、どれ取るんだよ。聞いてんのに返事もしねェでそこで何やってんだ?」
 不思議そうにみかんの茂みを覗こうとするルフィの顔をがっしりと掴み、ナミさんは「覗くなッ」と言った。
 おれの位置からはルフィの顔はよく見える。でもルフィはまさかここにおれが居るとは夢にも思っていないようで、完全に視線があさっての方向を向いていた。
 ………これはまるで…………
 …まるでおれ達そのものじゃねェか。
 おれは自虐的に笑い、なおも彼女の内部に滑り込んでいる中指をゆっくり動かす。
 それでも中を覗こうとするルフィの顔をしっかりと抱きかかえ、彼女はなんとか奴の気を逸らそうとする。
 「ねっ!ねえルフィ、ウソップがどこにいるか知らない?知ってたら呼んできてよ」
 「……甲板に居るじゃねェか。そこ。……呼ぶのか?」
 「じゃ、じゃあゾロは?」
 「風呂だろ。」
 「び、ビビは?」
 「ナミが見張り頼んだんだろ。見張り台に居るじゃねェか、ここから見える」
 きょとんとするルフィは、不自然なナミさんの様子に流石に気が付いたようだった。
 「……顔、赤ェぞナミ。
 声もヘンだし。」
 「そんなことないから、お願い、一人にしてて」
 耐えに耐え抜いている小さな声。引きつりと細かな嗚咽が交互に入り交じっている、切ない吐息が懇願している。肌全体が汗ばんでいて、しっとりと上気していた。
 「…一人ったって、お前誰か呼ぶんじゃねェのか?」
 「お、お願いだから…は、話しかけないでッ!あっ…ち…行って……!」
 おれは殊更ゆっくり指を動かし、身体全体を彼女にもたれ掛けるようにして体重を少しだけ預ける。自分の張りつめた欲望が、柔らかでいい香りのする肌に数枚布を隔てて突き刺さるようにして存在する。…それを思うだけで、体中の神経が腐り落ちているんじゃないかと心配になる程ドロドロに溶けて歪んでいく。
 そして彼女は身動きがとれず
 ルフィの目の前で
 おれに抱かれている。
 声を上げることも出来ず
 息を乱すことも出来ず
 ただおれの思うがまま。
 ルフィは何も知らず
 いつも通りに話しかけ
 彼女の心を絶望感で満たしている。
 いつも通りの、安心を与える顔で。
 おれはそのノホホンとしたバカ面を枝と葉の間から垣間見て、そのバカ面にむけて必至になって微笑む彼女のスリットに、思い切り残酷な剣を突き立てた。
 ナミさんの大きな瞳が見開かれ、真珠のような涙が数滴、飛び散ったビジョンが脳裏を一瞬過ぎった。
 「…ひ…!!」


        つづく

 



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第六回 『ソラガとベタラ』


 何でもない子供時代の空想。空が飛べたら、空が飛べたら、空が飛べたら……

 おれはそのノホホンとしたバカヅラにむけて思い切り残酷な剣を突き立てた。
 ナミさんの大きな瞳が見開かれ、真珠のような涙が数滴、飛び散ったビジョンが脳裏を一瞬過ぎった。
 「…ひ…!!」
 小さく鳴く声を不審に思ってか、剣に突き刺されて死んだはずの男は彼女に聞いた。
 ……平気なバカヅラを下げて。
 「??……どうした?」
 ルフィは彼女の顔を不思議そうに見ただろう。
 両手の動きを封じ込めていたおれのネクタイを振り払って、彼女はルフィの顔をしっかりと固定している。
 おれのネクタイがからみついたままの両腕で。
 そして体の中にはおれを封じ込めている。
 「あ…ああ、なんでも……ない、わ……」
 途切れ途切れ、彼女はフツウの声を出す。『フツウ』の声、『フツウ』の表情、『フツウ』の彼女。
 「ねぇルフィ、わたしのこと、好き?」
 ひくつく彼女の秘部にからめ取られているおれの身体が震える。彼女に封印されたおれが恐怖に固まる。驚きで硬直する。
 「んん、なに言ってんだナミ」
 「いいから答えて……わたしにとって、とても大事なことなの」
 目線をずらすと、自分のズボンがかなり水分を吸っていることにやっと気付いた。そして、その水分の匂いにも。
 『……こ、これ……気付かれ……』
 はっと自分の口に手をやる。自分の息の音が気付かれたのかも知れない、自分の動きが音を出していたのかも知れない、“自分の思考が外に流れ出したのかも知れない”。
 ガクガクと膝が震え出す。
 涙が滲む。
 恐ろしくて、恐ろしくて、怖くて、怖くて、嫌で、嫌で…
 そこから逃げ出したい衝動でいっぱいになる。
 「…嫌い?」
 また眉が跳ね上がる。
 今度はその声に驚いて。おれが一度も聞いたことのない声。拗ねたような、本当の声。十八歳の女の子の声。『娼婦という女』以外の声。
 ナミさんの、本当のコエ。
 ああ、ああ、なんて透き通っていて美しい。君の声があれば、世界中のどんな楽器も要らない。
 「好きに決まってるだろ」
 彼女を引き戻した声。
 彼女を地獄から救った声。
 彼女を深い池に突き落とした声。
 コイの居る深い池。決して這い上がれないような池。水が心地よく、池から上がろうという気さえ吸い取ってしまうような池。
 その池の名前は「幸福」。
 その池の名前は「安心」。
 その池の名前は「信頼」。
 おれの庭にはそんな大層な池はない。真っ暗で、絡み付くようなヘドロが潜む、深い深い水たまり。
 その水たまりには、名前がない。
 「好きだ、すきだ」
 何度かそうルフィは言って、震える彼女の手を優しくさすった。
 おれには出来そうもない、優しい動きで。
 「……そ、う……」
 床に、何かが落ちる微かな音を聞いた。
 パタっぱたはたはたっ
 「アンタは優しいわね、ルフィ」
 その言葉に、ルフィは不思議そうな顔をして、それでも手はゆっくりと彼女の頬をさすっていた。
 泣いている子供を、慰めるかのように。

 おれはルフィが去っていってから、みかん畑で彼女を犯した。
 何度も何度も、頬や手にキスをした。
 自分の吐息で彼女が窒息するんじゃないだろうかと思うほど、息を切らせて涙も乾かぬ彼女を犯した。
 彼女は、いつもより濡れていた。
 胸が随分張っていて、汗が飛び散っていた。頬が紅くなって、おれに何度もキスをした。
 声を上げずに、腰を振った。
 おれは、多分四回ほど彼女の中で果てた。ズボンは白い液体でドロドロになり、彼女のスカートは行為が終わる頃にはもう半分ほど乾いているところもあるくらいだった。
 首筋にはキスマーク。
 背中には爪の痕。
 腕にはみかんの木の擦り後。
 服は精液とシトラスの匂い。
 髪はみかんの葉と唾液の味。
 「ニンシンするね、わたし」
 みかんの木々の間から見える空を仰いで、彼女は言った。
 「あれだけやれば絶対に赤ちゃん出来ちゃう。」
 目を伏せがちにして彼女は言った。笑いながら。
 赤ちゃんが出来てもいいの、この赤ちゃんが幸せになればそれでいいの。
 すごいわよね、わたし、赤ちゃん作れる身体なのよ。このおなかにサンジの赤ちゃんが入ってるのよ。
 腹部を……おれの精子が根こそぎそそぎ込まれたお腹を撫でながら、彼女はそう言う。
 素敵だと思わない?ここに誰かが居るかも知れないのよ。
 「ヘンね、してる最中、そんなこと考えもしなかったのに」
 おれは彼女の唇にキスをして、笑いながら言った。
 「じゃあ、結婚する?」
 彼女も笑いながら答えた。
 「…冗談よ…」
 空が飛べたら教会までひとっ飛びなのになぁ…そう、さも残念そうに呟くので、おれは精一杯だった。


        つづく

 




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