宵の貴婦人・明けの明星「時間よ止まれ」
サンジとナミの大冒険
「甘かった…」
四角く区切られ、丁寧に鉄格子まではまっている小さな天井窓から空を見上げて、ナミはため息を付いた。
空にはきらきらと星が嫌味なほど美しく輝いている。
「いくら何でも甘かった…」
後ろ手に縄で縛られ、長袖でなかったらきっと擦れて赤い跡が付いているだろう。そのくらいきつく縛られてナミは地下倉庫の様なところに転がされている。虫の音も聞こえない。星明かりだけの暗く狭い物置。
足も丁寧に縛られていて、立つこともままならない。やっと身をよじって座ることだけは出来る。
「さて、どうやって逃げますかね」
荷物は全部取り上げられた。縄を切れそうな物はない。ガラスのような物も見あたらない。かと言って自力で切れそうなやわい縄じゃない。
「…ううん、うううん!」
「うっさいわね、捨ててっちゃうわよバカ」
後ろ手に縛られている上に縄の結び目さえどんなものだか解らないのだから、縄を解くこともできない。
「……あんたね、この非常時に人の足の上で何やってんの」
灰色のズボン越しに、人の頭の重さを感じながらナミは静かに言った。
「うううんううぐぐうぐぐぐん」
不明瞭なうなり声だけが薄暗い部屋に響く。ナミは諦めたように、そのうなり声の近くまで体を這いずらせて寄った。
金色の髪が頬に触れる。
「だいたいサンジがさっさと捕まるから悪いのよ!わかってんの?」
とても幸せそうな顔をして目をハートマークにしているサンジは、猿ぐつわを噛まされてだいぶんみっともない格好をしていた。おまけに猿ぐつわの結び目が喉元にあって、声を出す度に締まるようになっている。
「ったくもー!……見張りも居ないみたいだし、ほら、顔こっちやんなさいよ。それ外したげるから」
サンジは一瞬何を言われたのかが解らなかった。外すったって、ナミさん手も足も縛られてるのに……
そこまで考えて、サンジは目を見開いた。そして次の瞬間からだ中の力が一気に抜けた。
……ク、くくクチで!?猿ぐつわクチで外すの!?おれのを?ナミさんが!?前にあるのに!?
「…怒るわよ。」
その声と共に、目を閉じてドキドキしながら待っているサンジの顔面には、ナミの唇の代わりに、縄で縛られた不自由な靴底がめり込んだ。
「しくしくしくしく…」
「ええい泣くな鬱陶しい!!」
蹴られた拍子に猿ぐつわの結び目が喉元から後ろの方に回ってしまい、サンジは千載一遇の大接近のチャンスを逃した。本気で残念そうな顔をしていじけている。
「…足を縛られてなお器用な突っ込みにフォーリンラブゥ」
それでもめげないサンジにナミはため息を付いた。
「いーからこの縄取ってよ。」
サンジの縄はサンジが捕まったときに暴れた為にきつく縛られていて、歯で噛み切るなんて芸当は出来そうにもない。
「サンジが変に暴れるからそんなにきつく縛られるのよ」
「さすがナミさん、おとなしく捕まったのはそういう計算の上で?」
「……うっさいわね、黙って縄解きなさいよ」
ナミはぷりぷりしてたまに手の甲に触れる掠めるようなサンジのキスをおとなしく受けていた。
サンジを見捨てて逃げようとして一発で気絶させられたのは、どうやら一生黙っている気らしい。
++++++++++
「あーしんどかった。」
ナミは髪をせっせと調整するサンジを後目に背伸びをする。ナミがやっと立てるほどの天井の低さだ。サンジはとてもではないが体を伸ばす事なんて出来ない。
「どうも倉庫みたいねー、ここ」
キョロキョロと見回しては一つため息を付いてその場に座り込んだ。
「…のようで。
しかも出入り口らしき物はあの天井の穴だけ。こりゃまた難儀なとこに閉じこめられたなぁ」
ったく勘弁してよねーと、ナミはきらきらと輝く四角く限定された星を仰いだ。空の加減を見る限り、捕まってそんなに時間は経っていないようだった。
「難儀でも出なきゃしょうがないでしょうが」
ナミは背中を丸めて自分のスーツのほこりを払っているサンジの背中を小突いた。
「まぁね」
「……気楽ねー、あんた」
全く動じていない風に見える男は、今度はなにやらごそごそとやり始めた。暗い上にちょうどサンジの体のせいで死角になっていて、ナミにはサンジが何をやっているのか解らない。
「ナミさんこそ」
ナミは外に出られる可能性を全て試してみた後で、もうすっかり諦めるより他に仕様がなかったのだ。とてもではないが煙突状の窓を登ることは出来ないし、もし仮に登り切れたとしても、あの頑丈そうな鉄格子を破れる方法なんてのは考えつかない。それにこの場所がどんな所かも解らないのだ。迂闊に外に出るよりは大人しく捕まっている方が安全なこともある。ナミはそれを良く知っていた。
「あたしもう諦めた。
この状態じゃ朝になって誰か助けに来てくれるのを祈るしかないもの。運が良ければ助かるし、悪けりゃ助からないって、それだけの事よ」
面倒臭そうにバサバサの藁の上に寝そべる。
「ナミさんらしくねェなー。諦め早いんじゃねェの?」
背中越しに、サンジはナミにそう言った。
「…バカの考え休むに似たり、愚者の落ち着き眠るがごとしって諺知ってる?」
「……今この場面に適さないことだけ、ね。」
サンジはそう言いながら振り向いて、楔のような錆びて元が何だか解らない金属片を何本かナミに見せた。
「…どうしたのそれ。」
「いやね、この部屋っつーか倉庫さぁ、どっかで見たことあるなと思ったらさ、アレだよ、ほら、冬の間牛の餌の藁を溜めておく…」
サンジが何を言わんとしているのかを悟ったナミは、急に表情を明るくした。
「あっ!……サイロ!?
ここってサイロの中なの!?」
ナミは、そこら中が朽ち果てている煉瓦を見回して、何度か外から見たことのある酪農設備を思い浮かべた。
「藁がやたらあるし、この煙突みたいな部屋も理由が付く。それにこの島って確か…」
ぽんと膝を打って、ナミはあることを思い出した。
「酪農が盛んだったわね、そう言や」
…つうことは、私が塔だと思っていたのは実は…ここ?
「昔ジジイに連れられて牛の仕入れに来たことがあって、そのときサイロの説明を聞いたような覚えがあるんだよ。確か牧草を集めるときに馬の鉄蹄とか釘とか、建築用の楔とか巻き込んじまうからどうしても牧草の中にかなり混じっちまうって。ここのサイロは上手い具合に煉瓦だし、これを隙間に打ち込めば上に登れるんじゃ……
……どうしたナミさん?」
「なんでもない…ちょっと頭痛が…」
ううう、なんとゆう初歩的且つ情けないミス……このあたしがこんなつまらないことで……馬鹿じゃない?あたし馬鹿じゃない?っていうかむしろ直球バカ?サンジにも負けてる?
しばらく頭を抱えていたナミの後ろで、サンジは苦笑いをしている。ナミに少しも頼りにされていなかったのが多少悔しかったらしい。
「ナミさんもしかしておれの事バカだと思ってねぇか?」
「違うの?」
即答するナミに、サンジはしばらく白目をむいていた。
++++++++++
しばらくして、煙突状の窓に登ったサンジが自由落下してきた。
『バザン!』
「よっ、10.0!」
少し離れた場所でサンジが落ちてくるのを見ていたナミは、サンジが首尾良く青錆びだらけの格子を持っていたのを誉めた。
嬉しそうににこにこしているサンジは、裸足のまま丁寧にお辞儀をした。
「ね、折れたでしょ?」
「いやー拍子抜けするな、ここまで簡単だと」
サンジは自分の持っている格子が、ナミの言った通りに格子の間と間に布を通してしっかり結び、輪っかになった布に楔を格子と水平に置き、それを単純にぐるぐる回すだけで格子は鈍い音を立ててポキンと折れてしまった。
「良かったわね、格子が鉄じゃなくて青銅で。鉄なら出られなかったわよ、さすがに」
ナミはそう言いながら、サンジが噛まされていた猿ぐつわの布を出して「早く手を拭いて。青錆は猛毒なんだから手を口に入れるんじゃないわよ」と言った。
「まぁもちろん緑青にはそんなに毒素はないらしいけど用心に越したことはないわ……ん、どうしたの、サンジ」
サンジは自分の手を丁寧に拭くナミを見て、もうしばらく出られない振りをしておくべきだったかなぁと、間の抜けたことを考えた。ナミを独り占めできるのが嬉しくて仕方ないらしい。
「…ナミさん、おれちょっと足くじいちゃったかも」
「うそ付けこの野郎」
ドキドキしながらナミの肩に手を回しかけたサンジは、ナミのパンチをそれはキレイに食らった。
「し、しどいっ」
「どーしてあんたはそう気楽なの?まだお宝にお目に掛かってさえないのよ。
さっさとお宝を救出して船に帰らなきゃ、船長殿に見つかっちゃうでしょ」
ったくもう、先に登るわよ!…そう言ってナミはサンジの体をするするっと登って、さっさと煙突窓を上がっていった。
その様子を多少はらはらしながら見て、しばらくして自分たちを縛り付けていた縄が下りてきた。
「見張りも居ないみたい。とっとと上がってきなさいよ」
ナミはそう言って星空を背にしてサンジを叱咤した。
そのナミを見て、サンジは「参ったねこりゃ」と呟いた。
こんな時でも一番最初に出るのはキャプテンの話題かね。
……あーあ…おれって報われない人。
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