宵の貴婦人・明けの明星「慣性の法則」
サンジとナミの大冒険
その日サンジはいつもの調子でタバコを吹かしていた。
ふらふらしながら、時にはにこにこしてジャガイモの皮をむいていた。
そこから少し離れてビビが洗濯をしていた。ビビは女王様らしからぬ手つきで、器用に船員の服やタオルを干している。サンジは機嫌良さそうにそれを見ている。
もっと遠くではウソップが鼻歌を歌いながら船の修理をしている。トレードマークのバンダナが無いなと思っていると、ちょうどビビがウソップのバンダナを洗濯ひもに引っかけたところだった。
「あら、そんなことしなくたっていいのに。だいたいそれはルフィの仕事のはずよ」
船室からひょっこり顔を出したナミは、せっせと洗濯物を広げては干しているビビを見て意外な顔をした。
「何かしてると落ち着くから譲ってもらったの」
ビビは洗濯かごを一瞥したナミにそう言った。ナミはそのビビの様子を見てふっと笑った。
「…あのねビビ、うちの船長は何にもしないのよ。せめて割り当てた仕事くらいさせなきゃどうするの。」
「ふふ、船長なんてのはいざという時だけ役に立てばいいのよ」
気楽に言うビビに、あきれたようにため息一つ付いてナミは「そりゃそうだけどさ」と呟いた。
「そういやゾロは?…ねぇサンジ、ゾロ知らない?」
「さぁ。何かご用で?」
「水を汲み上げないともう無いのよ。そろそろタンクの掃除もしなくちゃいけないし…仕事はいろいろあるってのに…ったく、連中はこの船誰が管理してると思ってんのかしら?」
ナミはぷちぷち文句を垂れながら、ゾロ見つけたら汲み上げるように言っといてちょうだいと言って姿を消した。
「はー、不機嫌なナミさんもステキだ…」
サンジは今までのにこにこ顔を更ににこにこさせてジャガイモの皮むきを再開した。
その様子を見ていたビビは、微笑みながら空を見上げて、どうか自分の国の人間全てがこんな安らかな気持ちであるようにと、半ばやけくそで祈った。
どうにもならない事実の、せめてもの復讐に。
++++++++++
「さぁてと、行きますか」
かちゃかちゃと音のするナップザックを背負い、走りやすそうなブーツと同じ系統の色でまとめられた灰色の服装のナミは、キョロキョロしながらそっと船を下りた。
「最近ルフィがガードが甘いの、わたしのこといい奴だとでも思ってんじゃないの?」
意地の悪そうな笑い顔をして、船を振り返りながらつぶやく。
「この島の地理と獲物の目星付けて休むことにしたんだもんねー。ウィスキーピークで見つけた地図、まさか本物だとは思わなかったわ」
ズタズタの羊皮紙を懐から取り出して、ずいぶん擦れて読みにくくなっている地図の文字を確かめる。
『緊急用資金貯蔵地図』
満足そうに微笑み、ナミは大事そうにその地図をしまった。
「泥棒さん、おれも一緒にイイとこ連れてってくれませんかね」
「ひっ!」
急に降ってきた声に、おそるおそる振り向くと、船の縁で気怠そうに煙草を吹かしている男が居た。
「さ、サンジ…お早いのね…」
後ずさりしながら、視線の端では走る方向を品定めしているナミは、船を下りるときに縄ばしごを切ってこなかったことを後悔した。
「どこ行く気?」
「これはその、アレよ、美容のために、ジョギングよ」
「美容ね……」
呆れ顔のサンジは言いながら煙草の煙で輪っかを作った。
「そ、そう。美容。」
「おれは夜は寝た方がお肌にはいいって聞いたことがあるが……違いましたっけ?」
広がっていく煙草の輪っかに、小さな輪っかを作ってその中に通した。ふわふわと漂う煙草の煙が、まるで気の利いたインテリアのようだ。
「最近は、そうとも言うみたいねっ」
「どこ行くんです」
呆れ顔のままで、サンジはナミに聞いた。大体は見当が付いているから白々しい芝居はよせとでも言わんばかりに。
「…さいならっ!」
ごまかすのは無理と踏んで、ナミは全速力で茂みの中に消えた。ちょっとでも気を抜いたら追いつかれてしまう。せめてサンジが縄ばしごを降りきるまでの時間に何とか距離を稼いでおかなければ。
『どざん!』
後ろの方で何か重い物が高いところから砂地に落ちたような音がした。ナミは気になったが振り返る余裕など無かったのでそのまま走った。
少しして、ようやく息が続かなくなってナミは足を止めた。はーはーと息を付き、木に背中を預けて大きなため息をつく。
「っ……ハぁー、ハァー…こんな時間まで起きてんじゃないわよ、サンジの奴…!」
「明日の仕込みが終わって…もう寝るところだったんですがねェ」
引きつった全身をゆっくりと隣に顔を向けると、息一つ切らずに平然とした顔のサンジが新しい煙草に火を付けていた。
「ッ!!ぎゃあ!」
「……ギャッてのはひどいなァ。これでも心配して来たんだぜー」
軽い言葉を吐きながら、いつもの調子でサンジは煙草を吹かしている。
「ど、どうして……船からだいぶ離れたはずなのに!!」
足の感覚が麻痺するくらい走った。今でも心臓が壊れんばかりに脈打っているというのに、目の前の男は自慢の金髪を振り乱してさえいない。
「…最近おれってあんまし活躍してないからさぁ、弱いみてぇに見えるだろうけどさァ、割とスゲェでしょ?」
船から直接浜に降りたんだ。流石にちょっと足痺れたけどね。そう言ってサンジは黒いズボンについている砂を払った。
「ば、化け物……」
「うそぉ、ヒーローだろォ?」
++++++++++
ナミは諦めてサンジの腕に手を回した。何度もしつこく言うので、イヤだというのに面倒臭くなったのだ。
「うひゃあ、おれはこのまま死んでも悔いはねぇ!」
「じゃあとっとと土に還れ」
「……つれねぇなぁナミさん」
港を出てすぐの歓楽街は、昼間来たときとは全く様子が違っていて、人間ではなく「男と女」が集まっていた。時々歓声が上がり、物欲しそうな視線を絡めてくる男共が行き交っている。視線をもう少し下にずらすと、きつい目線を突き刺してくる化粧をした派手な女達が、ナミのとなりにいる長身の男のうわさ話をしていた。
「ったく、こんな歓楽街なんか素通りするつもりだったのに。行きたいなら一人で行きゃいいでしょ。」
ことさら鬱陶しそうな小声で文句を言うナミは、自分の服装があまりに隣の男と合わないことが気に入らない。
『もうちょっといい服来てくれば良かった…じゃない!何しに来たと思ってんのよッ!』
キッと音がするくらいサンジを睨んで、ナミはふくれっ面をした。
「ナミさんと町を歩けるなんて光栄だねぇ」
にこにこしながらサンジは答えでも返事でもないことを言った。
「…ったりまえでしょ!あたしは高いのよっ」
「出来ることならナミさんの全てを買い取ってしまいたい」
「海賊王にでもならなきゃ買えないわよ。」
「……………………なるほど。」
そんな風にちぐはぐな会話が少し続いて、アッという間に歓楽街の端っこに着いた。
背中ではきらきらと輝く町がサンジの後ろ髪を引っ張っていた。引き返してもう三周くらいしたい…
「……なにやってんの、離してよ」
ナミは自分の腕にしがみついているサンジに、ことさら不思議そうに訊ねる。
「も、もちょっとこのまま…」
「殴るわよ。」
言うか言わないかのところで、ナミはサンジの頭を殴った。
「バカ言ってないで、さっさと行くのよ。この先の二本ある塔で可哀想なお宝がわたしの救出を待ってるんだから」
さっさと歩いて行くナミの後ろを、サンジはあわてて追った。
この人は解ってるのかねぇ、自分が訳も分からないような場所に行くことの危険さとか、そんな所に行くのを心の底から嫌がってる奴が居ることとかさー。
心の中でブツブツと言いながら、サンジはずっと遠くにうっすらと見える二本連なる高い塔を目指す少女を追った。
| |