宝島”
コック×ミカン
そこに背負われていたのは彼ではなかった。
金髪…と称するよりは亜麻色といった方が的確な髪は黒と黄土色のまだらになり、肌の色は緑と紫が所々に斑(はん)を成していた。
「な、なにこれ…っ」
「ししし、おれ達が昨日船に戻らなかった理由の一つだ」
振り向かずに、銀の王冠を被った少年は言った。
「これが?」
「ここの蛭の毒は特別製らしいんだ。
この林に入る前に町で調べたんだが、体の中の免疫が毒素と戦ってこんな模様が出るんだと。粘膜から吸収するとサンジみたいに昏睡症状になる。」
ウソップは自分の左腕にある絆創膏をはがしてナミに見せた。そこにはいまだに血の跡が生々しく残る傷があった。
「おれも噛まれちまってよ、まぁおれは最初からこいつが居るって事を知ってたから血清を買ってたんだけどよ。」
絆創膏を張りなおして、鞄から出した手のひらほどの大きさの鏡をナミに向けた。滴のしたたる鏡にはサンジと同じ様な模様のナミが映っている。
「やぁ!なにこれぇ!!」
「ひゃははは、似合ってるぜ。
そんなに心配すんな、さっき血清打っただろ?数時間もすれば模様も薄くなってくるさ。
…サンジは分からんが。」
鏡を鞄にしまい、ウソップは付せんをしてある少し古びた医学書を取り出してナミに見せた。
「読めるか?ここ、書いてるだろ?『この“キューゲッチュウ”の毒は、古くから外用麻酔薬の原料として重宝され』ってさ。つまりこりゃ注射器での作用しか書かれてねぇんだよ。
内服したサンジがどうなるかは正直おれにはわからん。最悪…」
そこまで言って本を閉じたウソップの表情が、彼らしくもなく硬くなってしまったのを見て、ナミは自分の体の中から全ての力が一気に抜けるのを感じた。
「お、おいっ!」
自分のせいだ、自分がこんな軽装で木々の茂る場所に入ったせいだ。
ナミはウソップの身体からずり落ち、へたり込んでしまった。ウソップは呆然とそれを見ている。
「と、とにかく船に帰ろうぜ。話はそれからだ。
…まったくルフィのやつ、ちっとは待ってくれてもいいのに…大体あいつ方向分かってんのか?
さぁ立ってくれよナミ」
ナミはウソップの問いかけにもうなだれたまま返事をしなかった。
ウソップは諦めたようにナミを強引に立たせると、背負うようにしてルフィの後を追った。
*************
「ひゃひゃひゃひゃ、お前ら、なんだそりゃあ!」
ゾロは二人を見るなり大声で笑った。この剣士にしては珍しく大声で腹を抱えて笑っている。
「…ったく…
おいゾロ、笑ってないでソファ二つここに持ってきてくれよ。二人を寝かすんだ。ルフィはタオルと水。」
ウソップはぐったりとしているサンジと、あれからすぐ気を失ってしまったナミを甲板に寝かせた。鞄の中から銀色の小さなケースを取り出す。
銀色のケースからは注射器と、アルコール綿が綺麗に整列していた。
「煮沸してるヒマもねぇ。」
また彼は鞄をごそごそとやり、マッチを取り出して注射針をあぶった。少し冷まして、アルコール綿で綺麗に全体を拭く。
すると小走りでルフィがタオルを数枚と手桶に水を入れて持ってきた。
「何だ、また注射か?」
ルフィは物珍しそうにウソップの手さばきを見ている。
「さっきのは血清、こりゃペニシリンだ。破傷風なんぞになって死なれちゃたまんねぇからな。」
二人に注射を施した後、少ししてソファを担いだゾロが甲板に上がってきた。
「なんだ、お前医者の真似事もできんのか?」
「注射ぐらい慣れりゃルフィにだって出来る。これは母ちゃんが病気だったから身に付いただけさ」
ウソップはサンジを引っぱるようにして、ゾロはナミをソファに抱え上げて寝かせた。二人とも顔色の悪いまま眠っている。
「部屋に連れてった方がいいんじゃねぇのか?ここじゃ身体も冷えるしよ」
ゾロは毛布をナミに掛けてやりながら空を見上げた。渦を巻くようにして霧が降ってくる。
「いや、出来れば日に当てた方がいいんだ。よくは知らんが日光の中に含まれるなんたらって光線が放射線治療みたいな事をやってくれるんだと」
ウソップはかじり読みした医学書の毒素の項の一編をそらんじた。ゾロはボーっとしながら、聞いているんだかいないんだかよく分からない微妙な表情で突っ立っていた。
「日ったって…この天気だぜ?」
「部屋にいるよりはマシだろ、まぁサンジの傷の手当が終わったら二人とも部屋に運んでやってくれよ。」
そう言って、ウソップはルフィにサンジの傷の具合を聞いた。
「骨折れてない。元気だ。」
あっさりと言って毛布を掛けなおしたルフィにウソップは突っ込む。
「アバウトな診断下すんじゃねぇ!よくわかんねぇ風土病が航海じゃ一番怖いんだ、ちっこい傷でも全部見付けておれに知らせろ。
お前だってコックが居なくなりゃ飯時ツマンネェだろうが。」
言いながらウソップはナミの首のナフキンを外し、傷に消毒薬をかけた。
「でもおれは男を裸にする趣味はねぇんだ。気色ワリイもん」
きっぱりと言い切るルフィ。
「バカヤロー、誰が全部脱がせって言ったよ!傷のありそうな所だけでいいんだ!」
薬を塗って包帯を丁寧に巻く。顔色の不気味さも手伝って、包帯をしたナミはすさまじく痛々しい。
「ウソップ、腕のココと頭の後ろから血が出てたぞ。」
ルフィが自分の頭の後ろを指差してウソップに言った。
「アタマぁ?おいおい、打ち所悪かったらシャレんなんねぇぞ」
タオルを絞り、サンジのズボンの裾から流れる血を拭きながら、ウソップはルフィの指差した場所を見た。確かに血は出ているが、幸いもう止まっているらしく固まっていた。
「内出血してねぇだけマシか…あ、顔拭いてやってくれ。」
*************
サンジは規則正しく息をしながら眠っている。肌にはまだまだらが残っていて、包帯とガーゼだらけになりながらも、天性の受け身で致命傷になりそうな傷は受けていなかった。
「ほぉ、それで一昨日は帰ってこなかったのか」
ゾロは強めの酒をあおりながら、ウソップの作ったつまみをかじっていた。
「まぁ高そうなモンは特に無かったんだけどよ。あ、ルフィの王冠があったか。ありゃ年代は新しそうだが細工には多少目を見張るモンがある。そこそこ値打ちの品だな」
「あいつは売る気なさそうだけど……どうせあれもナミの宝箱行きさ」
ゾロは、さっきから彼にしては珍しく食事に手を付けずに物珍しそうな顔で王冠を眺めているルフィを横目に言った。
「王冠には興味はねぇ、おれが気になるのはこっちの方よ」
ウソップは自分の側に置いていた黒い背表紙の日記帳を広げてゾロに見せた。
「こいつは航海日誌みたいだが、所々に絵が書いてある。字は見たことのねぇ文字だが…一番最後のページ見てみな」
ゾロは言われるままに日記の最後のページを開いた。
「多分ここの島だ。所々に印がしてあるだろ?」
大きく見開きでこの島の見取り図のような物が描かれてあった。
「これと見比べてみ、全く同じもんだ。字は違うがな。」
ウソップは自分の持っていた紙切れをゾロに向かって広げる。
「……こりゃ一昨日お前等が出てく前に見てた奴じゃねぇか」
ゾロが言うと、ウソップはこくりと頷いてみせた。
「とある筋から手に入れたんだがよ、お前らに会う前から持ってたんだぜ」
「?」
眉間にしわを寄せ、ゾロはウソップを見た。
「その紙が日誌の翻訳だとしたら、どうやっても腑に落ちねぇ点が多すぎる。
それが何を示しているのかはその日誌が解読できなけりゃ全然わからん。」
…ナミが起きたら聞くかなと、ウソップは最後のハムを頬張った。
「いや、そうのんびりもしてられんらしい。明日にこの霧が晴れてその隙に出航しねぇと後一週間はこの霧、晴れないらしいぜ。」
紙切れを日誌に挟み、ゾロはウソップに返した。
「明日ァ?おいおいえらい急だな。」
傍らにあったミルクを一気に飲んでしまってから、ウソップは声を荒げた。凝り性の彼は謎を解けないままこの島を出るのに気が進まないのは当然かも知れない。
「だいたいこの島に寄るのは二日だけって最初から決めてたじゃねぇか」
「…それにしたって、ナミが治らないと船の方向決めらんねぇぞ」
ふっと急に顔を上げたルフィは、思い出したかのように女部屋との緊急用扉を見た。
「霧に捕まらねェようにしてりゃ問題ねぇさ。なにも無理に進む必要ねぇんだから。」
ゾロはまた一口、酒を飲んだ。
「ナミ見てくる」
「お、おいルフィ!勝手に入ったらナミに怒られんぞ!」
王冠を持ったまま、ひょいと男部屋を出ていってしまったルフィをゾロは一応注意したが、ルフィは帰ってこなかった。
*************
「よぉ、元気か?」
ルフィは倉庫にある収納庫みたいな床にあるドアを数回叩き、ゆっくりと引き上げて聞いた。
ナミはソファの上でぐったりとしているが、若干顔色が良くなっていた。
「なんだ、寝てんのか?」
彼はナミの顔を覗き込み、規則正しく寝息を立てている様子をじっと見ていた。
「……………………。」
ルフィはナミのソファの前にある机に腰掛け、つまらなさそうに王冠をかぶりなおした。
少しして、ナミがうわごとのように何かを言った。
「……ベル…メー………」
何かを思い出しているのだろう、ナミの目からすうっと涙がこぼれた。
それを見たルフィは、吸い込まれるようにナミに近付き、涙ごと彼女にキスをした。彼女はぴくっと震えたが、起きはしなかった。ルフィはナミの手を握り、掠れた声で呟いた。
「お前を泣かしたら風車のおっさんに殺されるんだぞ、おれ」
ナミの手は冷たく、張りや艶を失っていた。その手をゆっくりと揉みほぐすようにしながら、ルフィは眠り続けるナミに言った。
「…おれさ……サンジに負けるつもりねぇんだ」
「ほぉ、勝つつもりか」
ルフィは気配を感じて階段の方を振り返った。そこには煙草を吹かしたサンジが立っていた。
「ドアくらい閉めた方がいいぜ、良からぬ事を企んでんならな」
だるそうなサンジはゆっくりとルフィに近付いた。ルフィはそれを見てナミを手を毛布の中へ戻した。
「ヨカラヌコトってなんだ」
「…寝込みのレディにキスするな…ってことよ」
「キス?何だそりゃ」
「オメェが今やっただろ!?ナミさんのほっぺたに、ちゅってよ」
サンジは叫びそうになるのをグッと堪えて小さな声を絞り出した。
「ありゃ涙を飲んだんだ。」
「んなモン軽々しく飲むな!!松笛かテメェは!」
一向に悪びれる様子のないルフィにサンジはいよいよ腹が立ったが、寝込むナミの部屋で掴み合いの喧嘩をするわけにもいかず、フゥーッと強く煙草を煙を吐きだした。
「…いいかルフィ、正々堂々と行こうぜ。抜け駆けは禁止だ。当然独り占めも許されねぇ」
サンジは数回煙草の灰を持ってきた灰皿に落とすと、灰皿を階段に置いた。
「サンジだってナミの首筋にキスしたんだろ?おあいこじゃねぇか。
それより体はもういいのか」
ひくっと、サンジの肩が震えた。
「あ、あれはお前っ毒を吸い出し…って、何でそんなことオメェが知ってんだ!?」
「ウソップがナミの首の傷を見たときに言ってた。きすまーくってのが付いてたんだと。なんかえっちなもんだって言ってたぞ」
いししし、と笑いながら意地の悪そうな表情をして、ルフィはサンジに詰め寄った。
「やーいエロコック」
サンジまであと数十センチというところで、ルフィはすいっとよけて、階段を上がっていった。丁寧にドアまで閉める。
「抜け駆け禁止はサンジが言い出したんだぞ」
捨て台詞を吐いて、ルフィは倉庫から出ていったらしかった。
「…ちっ」
乱暴に煙草を灰皿に押し付け、麗しの姫君に視線をやった。
ナミは昏々と眠っていて、少しも起きる気配を見せなかった。
サンジは最初はしっかりとした足どりで、後半はフラフラと吸い寄せられるように、ナミの居るソファに近付いた。
「心配してくれました?おれのこと」
囁くように、サンジはナミを見つめながら言った。
「早く良くなって下さいね」
サンジの視線の先にいるナミは、彼に向かって薄く微笑んだような気がした。
サンジはそれを見て、一度出入口の方を見て、耳を澄まし……
それからゆっくりとナミの顔に自分の顔を近付けた。
冷たい霧の匂いと、シャンプーの匂いと、みかんの微かな香りが鼻をくすぐる。
サンジはそのナミの匂いにクラクラと来て、うわのそらで彼女の唇を奪おうとした。自分の鼓動だけがうるさく鳴っている。
ナミの唇が微かに動いた。
と。
「サンジー、抜け駆け禁止だろー」
「『寝てる間にチュー』ってラブコメの基本だよなぁ」
「ベタだから燃えるんだろ?」
男部屋と女部屋をつないでいる非常用出入口が急に開いて、ルフィ・ゾロ・ウソップの順番で三人が急に顔を出した。三人ともが意地の悪そうな笑いを浮かべている。
「おっ…お、まっ!」
慌てて顔を離して、飛びすさるようにサンジは無粋な連中に抗議する。
「いししししし、さっきのお返しだ」
言うルフィに、手元にあった灰皿を思いっきり投げた。ルフィはよける間もなく顔面で灰皿を受けてしまう。
がんっ
「……飛び道具は反則なんじゃねぇのか?」
ゾロは呆れ顔で、倒れゆくルフィを助けもせずそう言った。
「やかましい!とっとと失せろ出歯亀剣士っ」
「ひゃはは、コエーコエー」
にやっと笑って、ウソップは扉を閉めた。向こう側でルフィが何か叫んでいたが、扉が閉められると途切れ途切れにしか聞こえなくなった。
「ったく、ここの連中はエチケットちゅうもんを…」
ぶちぶちと文句を言って、サンジはまたナミを見た。さっきの続きをする気にもならない。
サンジはさっきナミの唇がある名前を形作っていた事を知っていた。
「……はぁ、おれの何処がいけねぇんだろうな」
ルフィだってよと、サンジは吐き捨てるように言った。
「まぁいいさ、今はまだそれで」
サンジはお姫様の手を取るように、うやうやしくナミの手を取り、手の甲にキスをした。
「そのうちおれの魅力のトリコにさせてみせるっ」
何かに誓うように言い、サンジは使いものにならなくなったシガーケースをわざと忘れてナミの部屋の階段を上がった。
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いやぁ、やっぱ消極的じゃいけねぇな
恋するのがおっくうになったらオヤジ街道まっしぐらだぜ
落ち込むのはおれの性に合わねぇし
明るくいこうぜ、気楽によ
縛り付けられるのは気に食わねぇから
抱きしめられるに変更しようか
はっはっは、詩人だねぇ、おれも
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