君想い慕う姫見上げる男

                サンジ

                 ほんの数時間前にお天道様がギラギラ光ってた見張り台の、潮が穏やかで特別に静かな夜はひどく寂しい。ゆらゆら揺れる名も無き星屑は手が届きそうに近くて、切ない。
                 世界にたった自分しか居ないんじゃないかという想像は、安っぽいセンチメンタルを十分満足させてくれるのでおれは気に入っている。煙草の煙さえわずらわしいほど真に迫って胸が詰まる。
                 もう何度も何度もこうやって自分は一人なんだ、一人なんだと想像しても絶望してもタフに息を吹き返す理由はたった一つ。
                 ああ愛しい恋人よ。
                 ああ恋しい他人よ。
                 埋めても足りぬこの胸の空白よ。
                 「この胸にはぽっかりと君と同じ形に穴が開いていて、誰の言葉を埋めても虚しいものさ。ただ君をこの胸に抱ければそれで事足りる。どうかこの哀れな囚われの忠犬めを君の庭に放してはくれまいか」
                 この胸にかき抱けば事足りると信じていた。力いっぱい抱きしめれば繋がれた戒めから逃げ出せるのだとしか考えられなかった。遠い昔誰かに読み聞かせられた物語は、全てそこでこれが幸せなんだと言い聞かせるように終わってしまったから。
                 「灰かぶり姫は男も身分も手に入れて満足したのか?眠り姫はイバラを掻き分けて助けに来た騎士に疑問なく全てを許したのか?白雪姫は毒リンゴを食べさせた魔女に恨みも抱かず花嫁になれたのか?
                 それとも女は全ての呪いと引き換えに幸せになれる生き物なのか?」
                 本当の幸せなんてクソクラエ。
                 ただ自分が物心付いた時からひっそりまとわり付いているこの飢えと渇きを癒したいだけなんだ。
                 振り払っても捨て去っても、気付けば息を吹き返しいつもの素知らぬ顔でそこにある絶望感。
                 これがもし仮に完全に癒された時、おれは……
                 おれは……
                 どうなるのだろう?
                 この執着に決着がついて、虚ろな日々が終わり、一体なにが始まるというのか。
                 別に何も始まらないだろう。
                 ただ終るだけ。
                 終わりってのはそういうもの。次に続くものは“終わり”なんかじゃないのさ。
                 或いはこうも考えられる、何も終らず、何も始まらず、もう既に終わりは過ぎ去ったのだと。
                 何も変わらない
                 この幸福な地獄が
                 リールを順繰りに廻って
                 擦り切れながらリプレイされる。
                 このテープかリールにある時突然限界が来て、ブチッと切れるその日まで。
                 『あたしはきっと何度でもあなたを捨てるわ』
                 『でもその数だけ絶対に拾いに行く』
                 『だからあたしを赦して』
                 泣きながらすすり上げる最愛の女にそんな絶望の台詞を聞かされるおれ。
                 ああ殴りたいなぁ。
                 ああ殺してぇなぁ。
                 ああ泣きてぇなぁ。
                 ぼんやりぼんやりタバコの煙を巻き上げる。遠い海の向こうに輝く光る月の影は歪み躍っていて、なんだか愉快な思い出が脳に蘇って来るような錯覚に囚われた。
                 ルフィの体から、おれのシャンプーの香りがした。いつもはシャンプーなんかしねぇくせに、全身丸ごと石鹸で洗っちまうくせに、よりにもよってなんで通気口に隠してあるおれのなんか。
                 他人の体から立ち上る自分のにおい。
                 おれと風呂に入った人間にしかわからない隠し場所にあるシャンプーの匂い。
                 不思議な感覚がして、熱を持ったその芳香の元が癪に障ってたまらなかった。
                 「お、ルフィ珍しくいーにおいさせてどうした」
                 「石鹸なかったんだ、でもそのまま上がったらナミ怒るだろ?」
                 ハンモックの向こう側ではしゃぐたわいない会話に、おれは何度そりゃ一緒に入ってたら怒られるだろうなぁ、という言葉を飲み込んだかわからない。
                 悲しくて寂しくて腹立たしい、倫理に基づいた嫌悪感さえ成立しているのに、おれは何も言わなかった。
                 何も言えなかったわけじゃないと、みっともない言い訳を忘れないように。
                 おれは一人なんだ。
                 おれは一人なんだ。
                 だから何も悲しむことはないのだ。
                 だから何も残念がることはないのだ。
                 寄る辺なく漂う根無し草にはなにもないのだ。
                 だから
                 だから
                 だから……
                 おれは静かの海に浮かびながら、ギラギラと照り渡る月の光に貫かれ、煙草の煙を巻き上げる。
                 ゆっくり進む船の舳先に輝く北斗七星。紫煙が潮の流れに沿いながら置いてゆかれる。
                 いつもおれを置いて往く彼女。
                 いつも彼女に捨てられて残されるおれ。
                 おれはある日そんなおれを捨てた。
                 だからおれは一人になった。
                 『ああ愛しい恋人よ。ああ恋しい他人よ。埋めても足りぬこの胸の空白よ。この胸にはぽっかりと君と同じ形に穴が開いていて、誰の言葉を埋めても虚しいものさ。ただ君をこの胸に抱ければそれで事足りる。どうかこの哀れな囚われの忠犬めを君の庭に放してはくれまいか』
                 空には位置を失わぬ深夜に輝く一つ星。
                 漆黒の海を照り渡すは静かの惑い星。
                 空気の底でそれらを見上げる屑星。
                 さてここで問題です。
                 おれが好きなのは誰でしょう。
                 1、ナミさん
                 2、おれ
                 3、オールブルーに棲む人魚
                 正解は

                 教えてあげないよ、ジャン。

                10:48 2006/10/16

                 


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