幸福って慣れてないと怖くてたまんないよね
サンジのおはなし
嫌だなぁなんて。
派手な服を着て飛び回っている彼女を見ていると。
もちろん地味な女が好きなわけじゃないし、彼女がおとなしくなる事を望んでいるわけじゃないけれど、露
出の多い服を着て男の間を縫って走ってるのを見てると、時々思ったりもするのだ。
守りたいとか、独り占めしたいとかいうんじゃなくて。もちろんそれがひとかけらも無いかなんて尋ねられ
る機会があったとしたらきっと言葉に詰まるんだろう。だって無いんじゃなくて諦めただけなんだから。
おれにはそういう殊勝な態度があんまりにも似合わない気がする。心の奥ではそれが欲しいと思ってるくせ
に、真っ先に態度に出るのは興味の無い表情。おれは平気だよ、鼻にも引っ掛けてないよなんてふりをする。
手に入らなくてみっともないことを何度か経験したし、かといってみっともなさに慣れてしまえるほど度量も
広くないからさ。だから知らないふりをするけど、本当はちっとも平気じゃない。平気なんて似合わない。本
気になれるほど強くない。忘れられるほどノン気じゃない。走り出さないと落ち着かないほど短気でもない。
どっちつかずでみっともなくて、指をくわえて嘆いてるだけのおれに彼女について嫌だと思う権利なんて多
分ないと思うんだけれども。
それでも嫌だなぁなんて、思うんだよ。
ヒラヒラゆらゆら薄布のスカート。一枚目は透けていて彼女の大好きなオレンジ。その下は淡い青で薄くて
透けてない。まるでオーロラ。ヒラヒラ風に揺られては年相応の女の子よりは幾分細めの太もものきわどい場
所まで浮き上がる。おれはそれをぼんやりと見てる。そういや、いつだったか寄った島で仲良くなったやつが
ああゆうヒラヒラした服を作ってる奴だったな。
そいつはおれとは違う脆さを持ってた。
「サンジはいいよな、色白くて細くて」
「なんだそれ」
「こうゆうの、似合うじゃん」
「……女物だろ」
「女物だよ」
「……いいよなって意味がわかんねぇんだけど」
「おれは自分が着たいような服しか作んないんだ」
手に持ってるのは少女趣味な花柄の裾のワンピース。さぞ14歳の黒髪のしっとりした少女に似合う事だろ
う。でも目の前に居るのは黒髪でもがっしりした体格の17歳の男だった。頼りがいのある肩幅と人懐っこい
顔の褐色の肌をした青年。
「そゆうの、着たいんだ」
「…………変だろ」
変だと思った。事実そういう風に顔も歪んだ。同時に諦めたような自虐的な微笑みに近親感も感じた。
「おれの働いてる船のコック長は鼻毛を三つ編みにしてリボンで結んでるぜ」
そんでコック帽なんかこんなに長いんだ。おかげで厨房で邪魔になって仕方ねぇ。そうおれが身振り手振り
を大げさに言うとそいつは大笑いをした。
一度もチャコペンシルを走らされてない17歳の体格のいい男用のスカートの型紙が切られずに棚の上に隠
すように積み上げられていたのでそうじゃないかなーとは思っていたが。
でも自分の居る世界に受け入れられないことを胸の奥に仕舞って自分の着られないサイズの自分の憧れる服
を作ってるってどんな気持ちだろ。
あいつが自分の店を持てるようになったらブランドの名前はきっと復讐だな。
「今日も元気だね」
物思いに耽るより先に脳みそが勝手に引っ張り出してきた記憶をイジって遊んでいた俺が、不意に呟いた言
葉にナミさんが返事をする。その返事にようやくはっと正気を取り戻す。
「あらサンジ、どうしたのいつもに増して目じりが下がってる」
いかんいかん……どーも気を抜くと脳みそが勝手にトリップする癖がついた。フラッシュバックによる二次
的恐怖症か?
「ナミさんのスカートがふわふわ浮き上がったりするのに見とれてたのさ」
いつもの軽口。大丈夫?おれちゃんと“サンジ”になってる?喉から出そうになった言葉を懸命に飲み込む
と、彼女はそれに気付きもせずに太陽みたいな笑顔で笑った。
やぁだ、スカートの下のその奥だって知ってる男が何を言うの。
アラマ!ナミちゃんったらハレンチな。母さん悲しいわよ。
くすくすくすくす忍び笑い。二人で買出しデート、なんて素晴らしい罰ゲーム。
空は青く晴れ渡り、潮風は太陽とラフテルの香り。ご機嫌な湿度、ウキウキする気圧。天使とデート楽しい
デート。
おれはようやく薬をやめた。まだチョッパー特製の乖離薬を飲んではいるけど、今までむやみやたらに飲ん
でた向精神薬も怪しげな薬品も、不健全な草を仕込んだ噛み煙草もみんな捨てた。やばくなりそうな時は出来
るだけ彼女が一緒にいてくれるようになった。彼女がやばい時は、何を捨て置いても(それはプライドとか火
にかけっぱなしの鍋とか)隣にいることにした。
最初はもうとんでもなく苦痛でひどく哀しくて寂しくてたまらなかったけれども、一応おれは仮にも父親に
なったんだし、天国にいる自分の娘を思うとなんとか耐えようと思えた。
真夜中になるとこんなのは嘘だクソッタレの夢だと耳元で囁くフラッシュバックに苛まれることには慣れそ
うもないけれど、なんとかやっている。
「ねえナミさん」
「なあに」
「……いや、その、いい天気だねえ」
「そうねいい天気」
「…………だから、その、うん……気持ちいいね」
「……なんか言いたい事あるなら聞くけど?」
「や、そんなんじゃないんだけど」
「なら何よ?……んもう、じれったいわねェ」
「……こうやって二人で歩いてて、幸せだっていま思ったから……」
「はぁ?」
「手、つないでいい?」
「……なァに恥かしいこと言ってんのよアンタは」
あははは、軽く笑って彼女が俺の前を歩いた。かつかつかつ、踵の高い靴にシンクロしてスカートが揺れる
。ふわふわまい上がり、さらさら流れまるでその細い太ももと挑発的なふくらはぎを舐めるように、陵辱する
ように、いいやもしかしたら愛撫しているのかもしれない、そしてそれはきっと俺のゴッドハンドでも与えら
れない快感をあのきめ細やかの肌の奥に与…………クソッタレ、またフラッシュバックだ……
おれは頭を振って目の前に現れる幻覚を打ち消す。鮮明に(まるっきりそこに存在するとしか思えないほど)
見える蠱惑的に微笑む夜の彼女の顔から目を逸らそうと瞼を閉じて俯いた。
おれが呼吸を整えながらつま先を見つめるほど猫背気味の背を更に曲げて彼女の後を追う様子が、しょぼく
れた様に見えたのだろうか?
ナミさんがくるりと振り返って呆れ声を出した。
「ばかね」
「?」
「そーゆう時は黙って手ェ繋ぐのよ」
差し出された傷だらけの白い手を握ると、ちょっと冷たくて気持ちが良かった。
「……なぁんか、改めて手ぇ触るのって気恥かしいな」
おれが微笑むとナミさんが指を絡ませて腕にもたれながら歩き出した。
「じゃ、こうすれば見えないからいいでしょ」
天使天使、天使とデート。
天使がまとう輝くドレスの襟元に隠れたタグに目をやると、そこにはあの日あの時型紙に書いてあった同じ
字のロゴがプリントされていた。
『Frightening happiness』
俺は顔に手を当てて声も無く笑う。
そうか、お前は今そうなのか。
俺も今だいたいそんな感じだぜ。
12:06 2005/05/18
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