それでもダメな男
サンジのはなし
ゾロが難しそうな顔をしながら刀の手入れをしている。
おれはそれを眺めもせず、つまらなさそうに煙草を吸っている。
「……おい」
おれはゾロの声に全く反応を見せないまま上の空でぼんやりしたまま。
「………おいクソコック」
いつもならこの時点でムッとした顔で何か反応を見せるのだが、今日に限って“サンジ”はちっとも反応しない。
ゾロは眉間にしわを寄せて渋い声で言った。
「煙が不快だ、煙草吸うなら外に行け」
おれは眉をちょっとだけ動かしてじろりとゾロを見る。
「粉が不快だ、刀の手入れなら外出ろ」
ゾロはムッとしながらも、その場から動くことも刀の手入れを止めることもしなかった。
おれはそんなゾロを横目で見て、バカにするように鼻で笑った。
それからずいぶん長い時間おれもゾロも何も喋らずにただ黙っていた。
空気がジリジリと縮んでいくような感覚で呼吸が苦しい。こめかみの辺りがピリピリと電気を持っているように苛立っている。船室は煙草の煙でいっぱい。まるで雲の中にでも居るようだ。
おれはケロリとした顔でどんどん煙草の煙を製造している。
煙が目に染みるのか、ゾロがしきりに目をこすっている。
おれはそんなことお構いなしでぷかりぷかりと煙を噴き上げてはため息を付いている。
狭い部屋を煙草で満たしていると、脳味噌に染みわたった煙草の成分が、おれに奇妙な思い出を思い出させて、脳髄を破壊してくれる。
ж
あのときは自分の部屋をまだ持っていなかった。
ひしめき合う大人達の間を縫うように、おれは身を縮込めて眠っていた。
大人達はおれに気を使いもしなかったし、かといって虐めるようなこともしなかったが、周りの人間と違うおれはいつも一人だった。
時たま寄る港にいる同じくらいの年格好の連中はてんで話にならないくらい幼稚だったから、おれは話しかけるなんて事もしなかった。
客としてくる可愛い洋服を着た女の子は、おれによく話しかけていたけれど、おれはいつも上の空だった。可愛い女の子が気に入りだしたのは14も過ぎた頃くらいだったかな。とにかくそれまでは全ての人間がつまらないと思っていた。
下らない会話
面白くもない談笑
意味のない挨拶
面倒臭い礼儀
おれはそんなことにてんてこ舞いしている大人達をぼんやり見つめながら、ぷかりぷかりと煙草を吸っていた。ばかばかしいね、どうも……なんて事を思いながら。
厨房に一歩足を踏み入れれば、おれのそんな下らない妄想も吹き飛ぶ。おれは包丁を握ったり、冷蔵庫のドアを開けたり、スープの下ごしらえをしているときが、一番脳味噌の中がスッキリする。
バラティエのオーナーだったゼフのジジイが、その頃のおれが3・4人はラクに入りそうな大きな冷蔵庫を買ってきたとき、意味もなくただその冷蔵庫に誘われるように保冷室の中に入ってみたことがある。
知ってるか?冷蔵庫ってのはだなぁ、何の仕掛けかはしらねぇが中からの力では開きにくくなってんだよ。しかも業務用の馬鹿でかい最新式の冷蔵庫だ。その仕掛けも半端じゃねぇ。何よりおれはそのころまだクソガキで力もなきゃなんでそうなったのかの理由もわからねェもんで、もうとにかく鼻水垂らしながら助けを呼んだね。おれはどうも暗いところとか狭いところとかそういうのが苦手なんだよ昔から。
しかしアレがあの馬鹿でかい冷蔵庫で、しかも電源の入ってないときで良かったよな。おりゃー、半日近くその中に居たんだからよ。空気もどんどん悪くなっていくし、音は何にも聞こえねぇし、ヘンにぼんやり暖かくなってくるしよう。
おれはホントによく死にかけるよな、まったく。悪い星でもついてんじゃねェのか?
でもその冷蔵庫の中は、奇妙な平和さに満ちていた。
空気が悪くて息苦しいのに、脳味噌の中は妙に冷静でさ。頭はぼんやりしてるのに何だか、本当に、妙に、不安がどんどん薄れていくような気がしたんだ。
自分が今まで料理してきた食材に、今度はおれ自身がなったような気がしてさ、恐怖と隣り合わせの平安ってのもおかしな話だが、全くそんな感じだったね。
この先自分がどうなるんだろうかなんて考えても、どの思考も先に進まないんだよ。難しいことが考えらんなくて、ぼんやり息苦しさと居心地のいい暖かさの中で丸まってさ、こう、考える訳よ。『最初に包丁で切ったのは鶏肉だった、鶏肉はタタキで、生の部分と皮の部分がとても自分の皮膚に似ていると思ったっけなぁ』とかまぁ、取り留めのないことを。
刃物をまだ持ちなれない頃は、よく包丁で自分の指なんか切ったもんで、その時流れた血が、牛肉やら豚肉から流れるのと同じ色なのがずいぶん不思議だった気がする。そんなことをただぼんやり考える訳よ。
ああ次はおれの番か、なんてね。
鋭い、おれの毎日研いでいる肉切り包丁がこう腕に食い込む所なんか想像しちゃってさ、涙目になったりなんかして。
ああおれは命食ってたんだなぁって。
命喰って生きてたんだから、今度は命に喰われて当たり前かぁなんて。
そう考えると妙に心が静まってくるわけ。
今でも飯作ってるとき、あのときの感覚を思い出すんだ。懐かしいような、ぼんやりした恐怖と安心を。
まぁその後ようやく出られた時は、ジジイに「食材を保存する場所に土足で入るたぁ何事だ」とか言って100ぺんぐらい蹴られたっけな。
今考えてみりゃ、ありゃ初めての麻薬だな。
冷蔵庫の中には物を冷やすために、えと、何だったかな、まぁいいや、脳味噌を軽くいい感じに撹拌しちまう薬みたいなのが使われてんだよ。今の冷蔵庫はどうだかしらねぇけどよ、昔の冷蔵庫は使ってたんだよ。その薬に酔っちまってさ、脳味噌大混乱よ。
何かの本でだか何だかで後から知ったんだがよ、ガキが狭い所に潜り込むのは寂しさを癒すためなんだってな。おれの場合母親なんてェのは知らねェからよっぽどその手の欲求が強かったんだろうとよ。
おれは、つまり、寂しいから麻薬やら煙草やら吸ってンだよ。
分かったか、ゾロ。
分かったらテメェもつきあえよ。
楽しいぜぇ、脳味噌が崩れて腐っていくのを見るのはよう。
なぁ、どうだよ
アハハハハハハハハ!
ж
「っごほっ」
ついに辛抱できなくなったのか、ゾロが何度か噎せた。
おれはえずいているゾロを見て意味不明の優越感に浸りながら、窓を片手でちょいと開けてやった。なまぬるい船室の煙を切り裂くように潮風が一気に吹き込む。
「うわっ!なによ一体!!」
その声に驚いてドアの方を見ると、ナミさんがしかめっ面で煙りだらけの風を受けながら立ちつくしていた。
「もう!船がタバコ臭くなるからあれほど煙草は窓を開けて吸ってって言ったじゃないのサンジ!」
少し涙目になりながらナミさんはおれを叱りつける。
「はいナミさん!」
「ハイって…窓開けろっつってんのよ!」
「開けました!全開であります!」
「今じゃない!」
そのやり取りを見ていて、ゾロはまた何度か噎せて咳き込んだ。
おれはその格好を見ていて
『やっぱりオメェもヨイコちゃんだな』
と、侮蔑に似た幻滅を感じていた。
今度ナミさんにトリトマの花を贈ろう。
煙草を吸いながら。
ゾロには……そうだな、ムスカリってとこだ。
18:26 01/03/21
トリトマの花言葉:あなたを想って心が痛む
たばこの花言葉:ふれあい
ムスカリの花言葉:失望
| |