サイコビリーはどこへ行った?
サンジとルフィ
「エンドレスエンドだって」 ヘラヘラとナミに微笑み掛けるコックはおれの視線とちらちらと気にしている。 「知らないの?手紙の最後に洒落で書くのよ」 のんびりとした声とは裏腹に視線が次々と移っては、白い紙や、ペンの先や、黒い背表紙の本に落とされた。 サンジは、それを見るのが好きだ。 ナミが忙しそうに書類の整理をしている隣で、ちょっと話しかけてはヘラヘラ笑っているのが好きなんだ。 おれはそれが嫌いだった。 サンジがヘラヘラ笑ってるのが嫌いだった。(いつものヘラヘラとは違うんだ) ナミに笑い掛けてるのが嫌いだった。(ビビにヘラヘラしてるのは気にならないのに) ナミが怒りもせずにもうすっかりこの日常に慣れてしまったのも嫌いだった。 でも、何故嫌いなのか解らない。 おれは何も言わない。 言ったってどうせ無駄だから。 ゾロがおれにもう寝ろと言った。 おれはそれに素直に従い、その場を立ち上がってドアを閉めた。 ナミが怒っていたようなが少し高い声が聞こえた。……サンジが足でも触ったかな。
サンジはおれが見張りの時に限って遅くまで起きている。 いつもいつも、見計らったかのように絶妙のタイミングで差し入れをおれの前に出す。 寒い夜はマグカップに入ったヌードルだった。蒸し暑い日は、甘い梅の封じ込められた冷たい透明ゼリーだった。ちょうどいい気温の時はサンドイッチとか一口で食べられるやつ。 夜にあんまり物を食うと腹を壊すからってほんの少しだけ作って持ってくる。 本当はこいつはおれのことが嫌いなはずなんだ。 何で嫌われてんのか全く理解に苦しむけど、嫌われてるもんは仕方ねぇと思うし、好き嫌いなんてのは他人がどう言ったって仕方のないことだってくれぇは解るしな。 それに、嫌われてるって言ったって命とかこの船の平和にはカンケェねぇし……まぁ別にいいさ。 ウソップに明日と変わってもらった見張り当番。明日は全力で寝るぞー。 ………………………………空気が動く。 自分の感覚全てが逆巻く。それはチューブウエーブのような盛大な感じだ。 「今日は何だよ」 「……つまんねぇの」 隠れていたサンジがひょいと顔を出した。サンジの手に乗っている白い皿には、小さめのホットドックが二本ちょんと座っている。 おれはそれに手を出そうとして、躊躇した。 「…今日はクスリ入れてねェよ…」 上目遣いでちらりと無罪を主張するサンジを見る。サンジの目は何も言ってはいなかった。……いつもの事ながら。 諦めておれは素直に口に放り込んだ。マスタードの味がほんのりした。 「うめぇや」 途端におれはご機嫌になってもぐもぐと口を動かした。 サンジの目がなんにも言わないのか多少不気味だったけど、まぁ気にするのも馬鹿馬鹿しいしな、ウィンナーはうめぇし、挟んである野菜はシャクシャクいい音がするし。 風がひゅうと吹いた。 ばさばさサンジの服がはためく音がする。 「やっぱり音楽家を早く仲間にしねぇとなァ、こういう夜はやっぱ音楽だよ」 「……医者が先だろうが」 「クスリ使いはもう十分なんじゃねぇのか」 即切り返すおれの言葉に、フッとサンジが笑った。 ………………少し間があってサンジが口を開いた。 「おれがおまえをクスリでラリらせていつも何してると思う?」 いつの間に付けたのか、煙草の紫煙の向こうでそう囁いた。 「せっくす」 おれはこともなげにそう言ってやる。……怯むとも思えねぇけど。 「……平気なのかよ」 「んなわけねェだろうがよ、バカ」 「………………なんかオメェにバカって言われるの予想外にショックだ……」 ふうーと長いため息を付いて、煙草の煙が辺りに一気に増えた。…すぐに流れていったけれど。 「腰はイテェし、身体の節々はギチギチだし、髪は煙草クセェし……ったく、ゾロの方がもっと気ィ使ってるぜ」 そうおれが言うとサンジはぎょっとした顔になった。 「……ぞ……ゾロォ!?」 「ウソだアホ」 「…………………………………こ……殺す…」 少し真剣な殺気が漂う。おれはあわててもう一つのホットドックを口に突っ込んだ。下げられちゃたまんねぇ。 「…………ボケ、取りゃしねぇよ」 サンジは呆れたように白い皿を床に置いた。 闇の中で薄く光るオレンジ色の熱が、月の光に照らされてキャンディーのように見える。その光はゆらゆらと揺らめいていて、遠く昔に見た何かによく似ていた。 光がゆらゆら揺れる。 煙が細長く横に流れている。 黒いスーツが音も立てずにはためいている。 おれはサンジから目を逸らせなくなっている自分に気付いた。 ……やっぱ何か入れやがったな…… ふわふわと脳味噌が遠い空を漂うようなイイカンジ。 鼻から入ってくる空気の全てがソーダー水みたいに弾けるんだ。 ぱちぱちパチパチ。 パチパチはちぱち。 目の前には悪そうなコックがおれが倒れるのを手をこまねいて見ている。 「おや、どうしたんだルフィ」 ことさら意外そうにわざとらしくおれに聞いた。 おれは吐き気が襲ってくると思っていたけどそんなことは全然なくて、何かに集中している時みたいに耳には波の音すら入ってこない。サンジの声だけが心地よい音楽のように頭の中にハウリング(乱反響)して、夢心地になってきた。……毎度の事ながらこの「幸せのリプレイ」には吐き気がするぜ。 「はは、何だオマエ勃ってんのか」 くらくらしてて焦点の定まらないおれの身体を見て、嘲るようにわざと人を怒らせる言い方でサンジが言った。 だからおれは怒ってやらない。 『なに言ってやがる、オメェのおかしなクスリのせいじゃねぇか』なんて 言ってやらねぇんだ。 サンジの姿は視界がぼやけてさっぱりわからねぇけど、サンジがおれの肩をちょいとつついて、おれの腰が抜けてしまった事だけは解る。 「ホラ、ヨルハ危ネェンダゼ、きゃぷてん」 サンジの声もブッ壊れてきた。いよいよ身体に薬の成分が回り終わったらしい。これでヘンに抵抗しなきゃ明日の朝には目が覚めるさ。 「オマエの匂いを全部おれの匂いにすれば、ナミさんもおれの匂いになるかなぁ」 確か、最後に聞いたのはそんな調子外れの言葉だったと思う。 その声が少し哀れだった。 同情しそうになったおれは、自分からきつく目を閉じた。 背中に近い首筋に、かさっとした唇が滑る感覚がした。 取り敢えず、おれの覚えてるのはそこまでだ。
次の日の朝は来なかった。 サンジがおれを殺しちまったらしい。 おれはバラバラに切り刻まれて(野菜みたいに?)海に投げ捨てられた。 ナミが泣いていた。 ウソップが叫んでいた。 ゾロが眉間に深いしわを寄せていた。 サンジは……薄く笑っていた。その顔は、どこか寂しそうで、おれはサンジを可哀想だと思った。 あの寂しい魂に寄り添う誰かが早く見つかればいいですねと、柄にもなく敬語でそう呟いておれは海に降りた。 …… ………… ……………… そんな夢を見たんだ。 真っ暗な部屋の中でサンジが差し出した果汁で薄く割った安いラム酒の入ったコップを傾けながら、そう言った。 「……ったく、なんちゅう夢見やがんだ」 サンジはおれの頭をちょんと叩いてコップを取り上げた。 「いつものクスリじゃねぇからもうちょっと身体休めとけ。朝にたたるぞ。」 「……なぁ、なんであんな事するんだ?」 背を向けたサンジにこう言うことは残酷だっておれは知ってる。でもおれは聞く。 「…お前がキライだからだよ」 サンジはそう言ってキッチンに向かう。おれは止めもせずドアが完全に閉まるのを見ていた。 ドアが閉まる…… ドアが閉まる…… ドアが……閉ま…… 閉まった。 ばたんと音がした。 足音が遠ざかっていく。サンジの足音が遠ざかっていく。その足跡が遠い昔に聞いたシャンクスの足音に少し似ていた。おれはひどく不安になって泣きたくなった。 目が潤んできて、じんわりとのどの奥から水っぽい声がせり上がってきた。 サンジはシャンクスによく似ている。 でも決定的に違うところも知ってる。 サンジはいつでも不安で、寂しいんだ。シャンクスはいつでも安定していて、誰かを信用している。 そこが違うんだ。 臆病者と、根拠持ち。 それでも彼らはよく似ている。どんなに楽しそうに笑っていても、瞳の奥の、奥の方は、決して暖かくなったりしない。いつもどこかを見据えている。そこには誰であろうとも絶対受け入れたり招き入れたりしない。 それがおれには決して溶かせない氷のように、春が来ても崩れない雪山のように映る。 サンジは雪。 消して溶けない雪。 ナミでも溶かせない。 ウソップでも無理だ。 ゾロも、おれも、ビビも、触らせてももらえない。 寂しい魂が目に見えるのに、目の前にあるのに、近寄るなって言われるんだ。 おれはそんな風にするサンジを見ると無性に欲情する。 今度はおれがサンジを押し倒してやろう。 サンジはどんな顔をするだろうか。 楽しみが出来て、おれは機嫌良くハンモックの住人になった。 明日になったらウソップが起こしてくれるさ。 サンジが包丁でおれの首を切り落としたりしない限り。 じんわりと襲ってくる睡魔がおれを眠りの縁へ突き落とす最後の瞬間に、遠くから近づいてくる足音が聞こえたような気がした。 …………あ…シャンクスが帰ってきた…………
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