ANAPHYLAXIE
船長と剣豪
夜空を見ていた。
夜空を見ていた。
遠くに輝く名も知らぬ星々が、今にも降らんばかりに空に連なっている。
ゾロはそれをずっと見ていた。
ぼんやりと耳を澄まし、潮騒と船の軋む音を聞きながら星を見ていた。
幼い頃、誰かに聞いた。
人は死んだら星になるらしい。空に昇っていって、夜を飾るらしい。
……あの友人も、居るのだろうか、この星空の中に。
自分の殺めた連中も、居るのだろうか、あの星の中に。
ぼんやりとそんなことを考えて、クダラネェ、と呟く自分の声もわずらわしい。
「死んだら土になるんだ」
生きとし生けるものは皆全て平等に、骨になって土に還る。
悪人も善人も、男も女も、老人も赤子も、剣士も、皆全て。
あんなに越えられなかった強大な壁も、あっけなく、土に還った。
死んじまえば、皆同じさ。
ゾロはごろりと横になってから、一つ大きな欠伸をして目を閉じた。
そら、目を閉じれば星も土も、皆すべて闇。黒。無。
叩き壊すことしかしなかった。
それが一番の近道だと思っていた。
何も
何も
何も
話さない。話す相手も居なかったし、話す理由がなかった。
だからゾロは無口だった。
無口は誤解を生み、誤解は嫌悪を放ち、嫌悪は恐怖を孕んだ。
それでもゾロは無口だった。
どうする術も持っていなかったし、どうしようとも思わなかった。
「……よお」
ゾロがふと目を開けると、サンダル履きの足が目の前に二本並んでいた。ゾロは大して気にせずに、返事もしないまま、またゆっくり目を閉じた。
「なあ、ゾロ」
サンダル履きの足がゆっくり屈んで、穿き込んだハーフジーンズが現れた。
「見張り、替わってやろうか」
「いらん」
「んなとこで寝たらカラダ冷えるぞ」
「いらん」
「遠慮すんなよ」
「くどい」
「ハンモックで寝てェだろ、無理すんな」
ハーフジーンズはゾロの身体をぐいと引っ張って、乱暴に起こした。
「おれァ今日機嫌がいいんだ、替わってやる」
声がずいぶん緊張している。ゾロはその様子に違和感を感じて、めんどくさそうに目を開いた。
「なぁ、替わってやるよ」
目の前にいたのは、満月にも似た異様な目をした少年だった。
「……なんだ、酒でも飲んだか」
眠たそうな声のままゾロは、ギラギラと輝いた目をした少年に言った。
帽子はどうした、さっきまで寝てたんじゃねェのか。ゾロは少年の手を振り払って、ことさら面倒臭そうな口調でそう言う。
「今日はすてきな気分なのさ」
満月目の少年はいつもの小さな瞳とは違い、大きく瞳孔の開いた目のままゾロにもう一度「替わってやるよ」と言った。
「…………なんでだ、なんで替わる気になってる。」
ゾロは目を半分閉じたやる気のない顔で、ギラギラした目の少年に訊いた。
「言っただろ
今夜はすてきな気分なんだよ、眠れねェほど。」
その言葉を聞いて、ゾロはまるで偏頭痛を感じた老人のようにこめかみに指を当てた。
『こいつ、アレ見たな』
すてきな夜?何がだ、そんな物騒な目つきしやがって。
まるで獲物をかみ砕く猛獣のような目をしている。怒り泣き叫ぶ女のような目をしている。悲しみと嫉妬に狂う男のような目をしている。……嘘だと思うのなら洗面所に行って鏡を見てこい。
ゾロは顔の筋肉だけが異常に笑っている少年の首根っこを掴んで言った。
「ああ同感だ。今すぐ酒でもくすねてこい。星見酒といこうじゃねぇか」
朝起きたらみかんが一つ残らず無くなってたり、キッチンがメチャメチャに汚されてたりするより、酒でも飲ませて記憶を吹き飛ばした方がいいと、ゾロは考えたらしい。
……彼にしては素晴らしい思い付きだ。
________Anaphylaxi__
「ケケケケケケケ」
少年はギラギラした目のまま、安いラム酒を大瓶ごと飲んでいる。
時々思い出したようにおかしな笑い声を上げて、その合間にあの女は、と呟いている。
ゾロはそれを見ながら、ちびちびとサンジ秘蔵の吟醸酒を飲っていた。
「さっきからあの女、あの女って、どの女だよ」
「ケケケケケ、イーおんらさ」
少年は決して酔わない目のまま、顔だけがもうすっかり赤くなって呂律も回っていない。
「ほぉ、お前にいい女が居たのか」
「ぉあ…いいオンラだゆ、そのへんや、いねぃ。
さいこーだァー。うラギルしー、ゆうこちょきかにゃーしー、おまけにばうりょクふルウ〜
すぐ泣くしー、気ィつえーしー、その上おれもサンジも好きなんだってよー」
ケケケケケケケケ、とけたたましく調子外れの声で笑いながら少年は又酒をあおった。
「……ほぉ」
「けっサクだーぜェ〜
ふっ風呂場でー……ケケケケケケケケケケ!」
まるでしゃっくりのような声。どこかの器官が引きつった異常な声。
「……共同スペースではやめて欲しいよな」
「そーダそーだァ!テメェら人の船でサルみたくやりまくってンじゃねェっつーんらよォ!」
ゾロはちびちび飲んでいた猪口をうっかり取り落としそうになってしまった。少年のいつもの言動からは考えられないような意外な言葉に驚いたらしい。
「…お、お前なっ……デケェ声で叫んでんじゃねぇよ!」
慌ててゾロは少年の口を塞いだ。
「酒盗んだのがバレたらどうすんだ、甲板掃除じゃすまねーぞ」
ゾロはつい思い切り少年の頭を殴った。
ゴムのタイヤを殴るような独特の手応え。反作用。ゾロは跳ね返ってくる自分の衝撃に驚いた。
「…ああ、そだな」
少年はその衝撃を気にするでもなく、半分の目をして(でも瞳孔は開いたまま)空を見上げている。
ゾロはその空を同じく見上げて、溜め息を付いた。
風がゆっくり流れている。潮が緩慢な渦を巻いている。空が狂ったように光を湛えている。
ゾロはふととなりを見た。
少年がつまらなさそうな顔をしていた。
ソロはその顔のすぐ脇に
白柄の刀を突き立て
「死ぬか?」と訊いた。
貸してやるぜ、おれの一張羅だ。
少年は目を見開いて笑いながら「何故」と訊き返した。
狂気の少年。狂わない少年。狂えない少年。怒れない少年。奪えない少年。逃げられない少年。
術を持たない見開いた目。その目で何もかもを取り入れ続けるしかない。吐き出す術を知らない。
……強い少年。
ゾロは刀を引き、器用に片手だけで鞘に収めた。
「目が死んでるからな、野望を諦めたのかと思った」
約束だろう、そういう。言いながらゾロはまた猪口で吟醸酒を少し飲んだ。
「……ああそうだ
約束だったな。海賊王を諦めることがあったら、死ねってな」
おれは死なねぇし、ヤメねぇさ。……殺されはするかも知れねぇけど。
…少年はブツブツと口の中でそんなようなことを言った。ゾロはその言葉に嫌な予告をされているような悪寒を感じる。
「気味悪ィこと言うな、途中で勝手に殺されるのも契約違反だぞ」
ゾロがそう言うと少年は引きつった声でケケケケケと笑った。
「風車のおっさんかな、次の次の海賊王は」
少年はそう言って目をゆっくり閉じた。
ゾロが少年を揺さぶっても
少年は起きなかった。
呆れた顔をして
男は自分たちの部屋に引っ込んだ。
……少年は、まだ起きない。
12:08 01/07/18
Anaphylaxie=無防備。アレルギーの一種。
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