convertible
航海士とコックのおはなし
わたしの脳味噌には、銃声と血の匂いが響いてこびり付いていた。
愛するあなたが居なくなった日。
不条理な暴力に戦慄した日。
「大切な人を亡くしたの。」
ああ、分かっているよ。キミの大切な人だ。キミはとても傷付いた。
だから、その100倍幸せになる権利がある。
「大丈夫。心配しなくても必ず送り届けるから、キミと母さんの故郷へ」
彼はゆっくりと言って、優しくキスをした。
キスをしてくれた。
「ごめんなさい」
「……謝んなよ、傷付くだろ」
忍び笑いをして、彼は私の頭を軽く小突いた。
「ありがとう」
「…良くできました」
金色の月を背にして、彼は潮に吹かれながら私に微笑んだ。
「ねぇサンジ、どうしてわたしがここにいるって分かったの?」
遠くの方で微かに歓声が聞こえる。
まだ宴は続いているらしく、時折大きな笑い声と自由を叫んだ人間の声が聞こえる。
「愛の呼び声。」
口にワインを含んで、機嫌の良さそうなコックがのんびり答える。
「愛のよびごえ?」
「愛の呼び声!それは恋する心と心が互いに引き合うLOVE・POWER!お互いがお互いを求めるLOVE・SOUL!そして無限のLOVE・BOOSTER!」
盛大な台詞を張り上げ、酔ったような声で、にこにこ笑いながらサンジはそう言った。
「……わたしがどんな人間だかほとんど知らないくせに、愛だの恋だの、よく言えるわね」
呆れ顔でぽそっと呟いた声が、まさか聞こえたのだろうか?サンジは急に真剣な顔をしてわたしの方につかつかと歩み寄ってきた。
「そういう自分を粗末にするような発言は止めな。お母さんの前だぜ」
どこから出したのか、料理用の銀色のコップにワインを注いで、ひょいと差し出した。
「色気のない入れ物で許して欲しい。でも入れ物は粗末でもボクのキミを愛する心は誰にも負けない自信がある!それは確信しても安心ですお母様!」
空を見上げて、上機嫌のコックはそう言った。
「お嬢さんはこのコックめにお任せ下さい!
今より3倍、いや5倍は健康になったお嬢さんと共にここに帰ってくることをお約束します!」
「なんであんたも帰ってくんのよ」
「そりゃ、子供がおばあちゃんに会いたいって駄々をこねるからに決まってるじゃないか!」
にこにこと頬を赤らめて、ひどく幸せそうな顔をしている。
わたしはその笑顔を見て脳天気さに呆れ、デコピンを一発。
びし!
「いてっ………なーんちゃって!
酒が回ってるから痛くないよーだ」
言いながら、片手に持ったワイン瓶から器用に口が当たらないようにワインをあおった。
「酒が回るとおれ記憶無くなるんだよ。
だからさ、今がチャンスだぜ。
全部言っちゃえよ。全部聞いて、全部忘れてやるから」
そういって、ベルメールさんの十字架の前に座りながら、またワインを飲んだ。
「…………………わ…わたしっ……ベルメールさんにもっと生きてて欲しかった!
自分が死ぬよりずっと辛かった!お葬式にも行けなかった!最後の挨拶もできなかった!わたしの頭の中に、まだっ…染みついてるの……あのときの銃声も、血のにおいも…悔しさも全部……」
叫びながら涙が溢れる。
しゃくり上げる声が震えててみっともない。
鼻水も出てきてて滅茶苦茶な顔。
髪を振り乱してまるで狂ったみたいにわたしは長い間泣いていた。
自分でもそれ以上何を言ったのかまるで覚えていない。
長い間、サンジはずっとわたしに背を向けていた。
その背中が、もう大丈夫だよ、と言っているような気がした。
わたしはこれからこの背中と一緒に旅をするのだ。
大丈夫、もう大丈夫。
……もう、私の脳裏には死の匂いはしない。
香るのは
夕餉の匂い
これから悩むのは、不条理な彼の「愛の呼び声」。
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