遠い国のシトロン
紳士9とお姫様
おれはする事もなくてぶらぶらしてた。 大抵のことは自分で出来たし、別に欲しい物もなかった。 何をする気もなかったし、ただぶらぶらとしていた。 元々おれはぶらぶらしてるのが好きだったし、気ぜわしいのは苦手だった。 ある日おれはとある組織にスカウトされた。それはなんだか犯罪組織らしい。おれは特にすることもなかったので入ってみた。 そこでは自分の名前を捨てろと言われた。 自分の名前は使ってはいけないらしい。 おれは「ミスターナイン」と呼ばれることになった。 「9」という数字があまり好きではなかったが、めたくちゃ嫌いでもなかったので放っておいた。何度も呼ばれていればそのうち慣れるだろうと思った。 でもあまりしっくりこなかった。 何度呼ばれても、自分には合わないような気がした。 でも、回りの人間がおれのことを「ミスターナイン」と呼ぶので、他の人間にとってはたぶん似合っているのだろう。そう思うことにした。だだをこねても変わらないのは知っていたから。 おれが「ミスターナイン」になってしばらくした頃、相棒が出来た。 スゲェきれいな女の人だった。 蒼くて長いストレートの髪を背中に流した美女だった。 「よろしく、ミスターナイン」 彼女は「ミスウェンズデー」といった。 夜の闇に紛れて、組織の用意したおれの家へやってきた。 満月の光に照らされた彼女の顔は、厳しく冷たそうで……おれの苦手なタイプだった。 「よろしく、ミスウェンズデー」 おれの差し出した手を、彼女の冷たい手が握った。 それが、おれが彼女と出会った最初の記憶。 今思えば笑い話でしかないけど、そのときはずっと仲良くなれないんじゃねぇかなっておもってた。 でもおれは人に合わせるのが下手じゃなかったし、結構誰とでもうち解けるのが早かった。おれが話すと、たいていの人は笑った。…たぶん、おれはそういうのが得意みたいだ。 あんまり自覚無いけど。 でも「ミスウェンズデー」は長いことおれにうち解けようとしなかった。 おれが気の利いたことを言うと、くすくす笑ったりするけど、いつもどこか淋しそうで、上の空だった。 そのうち、おれは暇なときも「ミスウェンズデー」の側にいるようにした。 普通の連中は休暇中、ペアがべったりっそばに居ることは少ない。あんまり側に居すぎると、組織について探っている海軍とかに目を付けられちまうかららしい。 でもおれはずっと「ミスウェンズデー」の側にいた。 それは、少しずつ彼女が笑うようになってきたからだと思う。 彼女は笑うと冷たい感じも厳しい感じもしなかった。普通の女の子になった。 でも、一番おれが嬉しかったのは、彼女が髪を結んだときだと思う。 彼女は髪が長くて、上司に再三切るように言われていた。でも彼女は切らなかった。 女の髪は命の次に大事だって聞いたことがあるおれは、上司の説教を聞けば彼女が髪を切るのが少し伸びるのならと、彼女の変わりに何度か上司に小言を聞きに行ってやった。 そのたびに彼女は「いいのよ、私が行くから」と言った。 おれはその度に「おれは怒られてるのが好きなのさ」と、彼女を制して代わりに行った。 あのきれいな髪が助かるなら、小言を聞かされるくらい何でもないさ。 でも上司はいつまで経っても髪を切らない彼女に業を煮やしたようだった。 「今度事例が来たときまでに改善されないのなら、私が直々に切るからな!」 だいたい邪魔になるだろう、もみ合いになったときに髪で視界が利かなくなったら、死ぬのは「ミスウェンズデー」だぞ、解ってるのか「ミスターナイン」。きみも有能なパートナーを無くしたくはないだろう?…上司もそのまた上司にせっつかれているのだろうか。なだめてすかして、おれから言うようにと何度も頼んだ。 「あのう、どうしても切らなきゃならないんですか?あんなにきれいな髪なのに」 上司に反論は御法度だったが、おれはついそう言ってしまった。 「命令だからな。私にはどうしようもない。」 おれの反論に、少しだけ意外な顔をした上司は、別に気分を害したようには見えなかった。何度も顔を合わせているから、おれがボスに逆らってどうのこうのという気がないのは解ってくれていたらしい。 「切らなくて済む方法はないですか?なにか、そう、例えば括るとか。」 上司はそんなに言うのなら聞いてやるよと、呆れた顔でおれに約束してくれた。 …ただ、ダメでも恨むなよと言って、わがままな部下を持つと苦労するなと笑った。 結局、動きやすければ特例で許して貰えることになった。 彼女はポニーテールになって、細くて白い首筋がよく見えるようになった。 おれは少しだけ、目のやり場に困った。 彼女は何度もありがとうと言って、おれの手を握った。 …彼女の国では、感謝の表現はそういう風にするらしい。 おれは、彼女がとても嬉しそうにしているのを見るのが好きだった。 だから酒の席で自分の顔に、9の文字を書いて彼女が大ウケした時も嬉しくて、それからずっと顔に9の文字が書いてある。 おれは、この組織に入ってあんまりいい思いをしたことはないけど、取り敢えず、彼女に会えて良かったと思う。 そう、心の底から思ったのは、おれのトレードマークの王冠を彼女が被せてくれた時だ。 おれはこういう小道具が大好きで、よくステッキとか蝶ネクタイとかを持っていた。武器が「仕込みバット」と、ちょっと風変わりなのも自分では気に入っていた。 彼女は笑っていたけど。 ある日の買い物袋の中に、おれは王冠を見つけた。あまり買い物に行きたがらない彼女が、その日だけは自分から行くと言ったのだ。 「コレどうしたんだ?ミスウェンズデー」 「そういうの、好きでしょ」 「…買ってくれたのか?」 ええ、髪のお礼にね。そういう風に笑って、もうそのときでもずいぶん前の話をまだ彼女は覚えていた。 「別にいいのに、気ぃつかうなよ。おれたち仲間だろ?」 「気を使ったんじゃないわ。ミスターナインに似合いそうだから買ってきたのよ」 彼女にそう言われて、おれは嬉しかった。仕事だけの付き合いだと、彼女は割り切っていそうだったから。 おれは彼女に王冠を被せて貰った。 「…なんか、戴冠式みてぇ。」 なんとなく照れたおれは沈黙が恥ずかしかったのでそう言った。 彼女からのリアクションは帰ってこなかった。 不思議に思って顔を上げると、ぽろぽろと涙をこぼしていた。 「あわわ、えと、おれ、なんかまずいことした? どっか痛い?えと、なんか嫌だった?」 おろおろして、おれは何とか彼女をなだめようとした。でも、彼女の大きな瞳からは何度も大粒の涙がこぼれ落ちた。 「…なんでもないのよ…」 ごめんなさいね、昔のことを思い出したの。何でもないのよ。そう少し早口で言って、彼女はあわてて涙を拭いた。 「さ、戴冠式の仕切り直ししましょ。」 「ああ、うん……」 彼女はどこで覚えたのか、王様が王子様の戴冠式に使うような文句をおれに使って、おれの頭に軽い王冠を乗せた。 「何に誓って、この王冠をかぶるの?」 王冠を被るとき、普通は何かに誓いを立てる物らしい。例えば平和な国になるようにつとめるとか、外交に力を注ぎますとか。おれは王子様じゃないから、そんな立派な誓いは立てられないなぁと口を尖らせた。 「個人的なことでもいいのよ、エンゲージリングみたいに、誰かを愛しますかとかでもいいの」 「…そうか……じゃあ、『ミスターナイン』は『ミスウェンスデー』を王女として迎えます。」 なんちゃって、と笑って顔を上げた。 「……どうして……」 とてもびっくりした顔をした彼女は、心なしか顔が青ざめている。 「……はは、あの、嫌だった? いや、おれが王様だったら、そのパートナーは王女様だからさ。 …あの、そんな、別に変な意味じゃないんだぜ?」 そのときおれは、すごく気まずい空気を感じていた。明らかに言っちゃまずいことを言ってしまったと確信したからだ。 結構軽く言ったつもりだったのに、なんか嫌みたいだ………かなりショック… 「だめよ」 「いや、あの………………ゴメンナサイ。」 「王様のパートナーは王妃様よ。」 彼女は萎縮するおれに向かって、にっこり笑ってそう言った。 ……ああ…あのときもう惚れちゃってたのかなァ。 彼女の笑い顔は、シトロンの花にも勝る。 とても可愛らしくて、すごく魅力的だ。 そう言えば、彼女の髪はとてもいい匂いがする。シトロンの花を思わせるような、シトラスの匂いが微かにする。 ……そしゃそうだよな、何たって香水の町「ナノハナ」のあるアラバスタの王女様だもんな…… おれは、彼女が逃げていった方向に、ミスターファイブ達が海賊達を追いかけていくのを、遠くなる視界の中で何とか見ていた。 神様、おれは今までアンタにお願い事をしたことなんか一度もねぇよな。 だから一度くらい聞いてやってくれよ。 どうか、どうか、彼女だけは無事に逃げられますように。 そう願って、おれは目を閉じた。 目をもう一度開いたときには、彼女の姿も、海賊共の姿もなかった。 多分、上手く逃げたんだと思う。 ため息を付いて、ズタズタになった服のほこりを払った。 どこかに吹き飛ばされたのか、あの王冠も無くなっていた。 おれは王冠とバットを探すのを諦めて、見る影もなくなった酒と音楽の町・ウィスキーピークを後にした。 ……今度は、もっといいのを授けてもらいに行かなくちゃな。『ミスウェンズデー』に。 ……さてと、今度は何に誓おうかなァ……………よし、まずおれの名前を教えてやるか。誓うときに困るから。 …でも、ミスターナインってコードネームも、結構気に入ってるんだぜ。……なんたって君が呼んでくれたからさ。
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