BLUE−STYLE
狙撃手と航海士
おれの母親は小さいときに死んでしまった。ずっと昔のことなんだけど。 おれは他人に、たとえそれが誰からであっても、可哀想だと思われるのがどうも苦手だった。 自分のことを可哀想だと思ったことは一度もないし、不幸だと思ったこともない。 そりゃあ、母ちゃんが死んじまった時はむちゃくちゃ悲しかったけれども、世話になった人もいるし、おれはおれのやり方で今まで生きてきたから、今じゃそれはそれでいいと思っている。 今はまだ会えないけど、おれには誇り高き海賊の父ちゃんも居るしな。 だから結構幸せな奴なんじゃないかって自分では思ってるわけだ、これが。 ……少なくとも、自分ではね。
≡≡≡≡=−=≡≡≡≡ 「邪魔するわよ」 「邪魔すんなら出てけ」 おれはひょいと顔を出したナミに、顔も向けずにそう言った。おれは必殺星シリーズ最新作を制作中で、手元のぶれはいろんな意味で命取りになる。 「…殴るわよ…」 「ウソだ。楽にしてろ」 背中じゅうからナミの殺気を感じ取って、おれは言い直した。でも多分ナミはこのやりとりを楽しんでやがる。『実験中・入るな・爆発物・キケン』と、男部屋のドアに張り紙がしているときに限ってナミはドアをノックする。 「…今日はなに作ってんの」 「おお、聞け。今度のはすごいぞ。必殺閃光星だ。着弾すると中のマグネシウム片に火が付いて、爆発的な光を放つ!」 『星』の外殻を丁寧に紙テープで巻きながらせっせと作っているおれの前に、ナミはちょこんと座った。 「…なるほど。目眩ましか。……あんたらしいわね。」 「……悪かったな、こけおどしで」 「んなこと言ってないでしょ。花火みたいな派手なの、あんたが好きそうと思ったのよ。」 さすがこの船で一番頭の回転の速いナミだ。ちらりと材料を見ただけで大体の効果は解ったらしい。 「結構これでも苦労したんだぜ?火薬の分量と着火薬品の比率がさー… この前の町でニトログリセリンでも買おうかと思ったくらい…」 おれが言い終わる前に、ナミは真っ青な顔をして「ニトロ!?」と叫んだ。 「あんたこの船の連中がどんなに粗忽者か知ってるでしょ!?何考えてんのよ!そんな危ないもん持ち込まないでよ!」 焦って泡食ってるナミに、おれは冷静に物を言う。…ナミがいつもそうするように。 「…最後まで人の話を聞け。買おうと思ったけど、ルフィのことを思い出してやめたんだよ。」 ルフィはよくおれの鞄を枕にして昼寝している。ニトログリセリンなんか入った鞄を枕にして、何かの拍子で船が衝撃を受けたら、多分ルフィの頭はふっとんじまうだろう。 「大体船にそんなモン持ち込むワケねぇじゃねぇかよ。おれだってまだ死にたかねぇや」 それから少したわいのない言葉を交わして、ナミは黙っておれの手捌きをじっと見ていた。 それは大体いつものことで、おれは差して気にもせずに、せっせと試し打ち用の「閃光星」を作っていた。 …ナミがこんな風におれの「内職見学」をするようになったのはいつからだったかな。もう回数なんか数えるのがおっくうなくらいに、ナミはおれの「家内制手工業」を見学している。 それは多分、この船で一番安全なのはおれの側だからだと思う。 サンジはおれがちょっと苦手みたいだ。いつも気楽に構えているときはおれ達は気が合うけど、ナミとルフィが絡むと、おれはかなりお節介になるらしい。だからサンジは、特にナミが側にいるときはおれの顔も見ない。 ルフィは、おれが側にいるとナミがいつもよりずっと強気になるのが苦手らしい。おれがだいたいナミに味方するから、ルフィにとっては小言が二倍に増えるわけだ。だから二人揃っているときは、あまりそばに寄らない。 まぁそんなわけで、おれはナミが気力を消耗しているのがすぐに解るくらいになった。 そんなときは、特に新作考案でもする振りをして器具の掃除などをやり始める。ノートにいろいろ書き込む振りをして人払いをする。 すると、ナミはどこからともなくやってきて、自分の本を広げたり、まだ日が高いのに航海日誌を書き始めたりする。 おれはまぁ、ナミの居場所なわけだ。 ……ホントはこういうことを、ルフィかサンジがやるべきなんだけどな。二人が落ち着くまでは、おれが代わりにやってやるか、ということだ。 「…ナミよぅ、お前さぁ…」 「…ん?」 「……いや、やっぱいい。」 「何よ、気持ち悪いわね。言いかけたなら最後まで言いなさいよ。」 ナミは憮然とした表情でおれの言葉の先を促した。 「…いや、もうちょっとしてからでいいや」 「………サンジのこと?それともルフィ?」 おれが折角わずらわしい言葉を飲み込んで無かったことにしてやろうってのに、ナミはのんびりした口調で二人の名前を出した。 その名前達から逃げてここに来てるのにな……お前は強いよ。 「…ったく、人が気ィ使ってやってんのによ。さらっと言いやがんな、お前」 「はっ、ヘタな気遣いは人間関係の破綻を招くわよ〜」 「…………………………」 …やっぱカワイクねぇわこいつ… 青筋を立てつつ無言の抗議を展開するおれを、ナミは白目で見るなと小突いた。
≡≡≡≡=−=≡≡≡≡ 「さあどうしたもんでしょーね、まったくモテる女はつらいわ」 あははは、とナミは頭の後ろを掻きながら気楽に笑った。 「……………………」 おれは特に反応もせずにナミの顔をじっと見ていた。気楽に笑う彼女の、目の奥の光だけが憂鬱そうに沈んでいる。 「…あの、一応ここ突っ込む所なんだけど」 ナミはぱたぱたと手を振っておれにリアクションを求めた。 「いや…そのまま放っといたらどう完結させるのかと…」 真顔で答えるおれの顔に、ナミのデコピンが一発決まる。 「いてぇな!」 「ボケ殺しはペナルティ1。」 「知るか!せめて事前に言え!」 打たれたおでこをさすりながら、おれはやっぱりナミから目を離さなかった。ナミはまだ笑った顔のまま、瞳だけが笑い辛そうにしている。 「……結局オマエはどうしたいわけ?どっちかに決められねぇの?」 おれの言葉にナミは「い、いきなりの直球ね」と引きつった声を絞り出した。 「そうねェ、あんたには喋っちゃおうかしら。 …実際自分でも良くわかんないのよねー。ルフィが好きなのか、サンジが好きなのか。 どっちも同じように好きってワケじゃなくてさ、どっちも違う風に好きなのよ。」 欲張りかしらね。苦しそうに微笑むナミは次のセリフを考える時の顔になった。 次の耳障りのいいセリフを。 「おいナミ、そういうのはやめようぜ。 誰にも言わねぇよ。だいたい言う人間が居ねェ。……昔話みたいに土に掘った穴にでも叫ぶか?」 おれの言葉にナミは軽くため息を付いて「アンタにゃ負けたわ」と言った。 「でもそれも本当よ。二人とも違う風に好きだわ。 ルフィの全てを好きになるなんて不可能だし、サンジにもわたしが受け入れられないところだってなきゃおかしいもの。 ……どっちが好きとかじゃないのよ。 ただもう、なんかタマンナイの。 …たまんないのよ…」 小さな声でうなだれてゆくナミを視線の端に留めながら、おれは手元の作業を再開した。丸い「閃光星」に紙テープをまいてゆく。 くるくる、くるくる。 くるくる、くるくる。 くるくる、くるくる。 「アンタにだって解るでしょ。 アンタにとってのカヤさんと海賊家業みたいなもんよ。 違う場所で、同じ分量だけ大切なのよ。両方が」 誰にもどうにも出来ないのが解ってるのよ。だから誰かにどうにかして欲しいなんて無責任なことが言えるんだわ。 呟くような独り言を、ナミは口の中で吐き出した。おれは耳障りなその音を上手くキャッチする。 ああこいつは、誰にも頼れないんだ。 雷に打たれたように、そのことだけを漠然と理解した。 誰かに頼ることで自分が傷付くのと同じように、他人の手を煩わせるのが怖いんだ。 一人でしか生きていけない奴なんだろうか。おれは急にナミがサンジのよく似ていると感じた理由を見つけだした。 二人とも、誰かに握って貰う手を、差し出すのを怖がっている。そして、多分二人ともそのまま「大人」になってしまった。もうルフィのように「強引に、引っ込めた誰かの手を掴む」なんて事が出来ない。 多分、それがおれの感じた「哀しさ」の正体だ。 急速に同情心で溢れてくる自分の「安易な親切」が嫌だった。 おれはナミに同情したくて話を聞いてやったんじゃない。 「…お前、おれと一緒にいれば安全だと思ってるだろ。」 ふと、おれの口から自分でも予想だにしない言葉が飛び出した。 「おれがサンジやお前を不憫に思って二人が傷つかないようにしてくれると思ってるだろ」 ……ああウソだ。おれは腹が立っている。 ナミに腹が立っている。 誰にも何も言わずに、毎日ナニゴトもないように笑っていたナミに腹が立っている。 「ルフィより緊張しないで、サンジより罪悪感に悩まされないで、ビビより内情知ってて、ゾロより淋しくないもんな、おれと一緒にいると。」 ナミは微笑みを変えずに、いつもと同じ表情でおれの言葉を聞いている。 ほんの少しだけ眉をひそめ、困ったように微笑んでいる。 「お前がしてる事ってのは、結構最低だぜ、ナミ」 知ってるわ。いつもと同じ口調で、ちっとも動揺せずにそう言った。 多分、こいつはホントウに自覚してる。 「……嘘だよ」 呆れたようにおれはフウと息を付いて、持っていた「閃光星」を床に転がした。 コロコロと転がって、「閃光星」はナミの膝に当たって止まった。 「おれにはお前を助けられないから、お前がおれに助けてって言わないから、ちぃと意地悪しただけさ」 ふっと笑ったナミは「それも知ってるわ」と言った。 「…………お前達は可哀想な奴だよ。」 物わかりが良すぎて、解らなくていいこともわかっちまうから。 …例えばルフィがオマエの望むようにお前を見ていないこと。それから、サンジが自分の手に入らないことを知っていてもお前を欲しがっていること。 そんな事は解らなくたっていい。 ただ解ればいいのは自分のココロだけだ。 「結構あなたも可哀想な奴よ、この船のキングストン弁さん」 ナミは立ち上がって「閃光星」をおれに手渡した。おれの手のひらで、黒い玉がころりと転がる。 「…知ってるさ。」 おれはナミが部屋を出ていくまで、それ以上なにも言わなかった。 多分、今のおれにはそれしかできそうになかったんだ。 おれはそれがとても悔しかった。 自分が無力だと言うことをおれはこの船に乗って何度も思い知らされてきたけど、今回のはまた格別だ。 …くそっ!
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00/10/29
マグネシウム:金属の一。燃えるとすげぇ眩しい。昔はカメラのフラッシュとして使われてた。燃えかすはとても臭い。燃焼の様子がごっつ派手なので科学の燃焼実験などでよく使う。
ニトログリセリン:化学薬品。ショックを与えると爆発する物騒な薬。F1で使ったらみんなから怒られるらしい。
キングストン弁:船の浮沈を調節する機構。海水を取り入れていつも大体同じ分だけ船が沈んでいる状態にする事が出来る。戦争時などで敵に捕まりそうになったときは全開にして船を自沈させることも可能。
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