閉鎖の番人
腕利きコックと大剣豪
夜中、ふと目を覚ました。 唸るような風と雨の音そのものが船を揺すっているようだった。 うちの(病気中の)航海士がいうには、「この程度のシケでこの船が転覆することはまずない」らしい。 「寝不足でいざという時に動けない方が怖いから、余裕のあるうちに休んでいた方が賢明だわ」 航海士は、くれぐれも火の元だけは用心して始末してね、と言い残して気を失うように眠った。 「海の上で火事でもやらかした日にゃ、笑い話にもなりゃしねぇ」 そうコックが笑って、くわえていた煙草の火を消した。その隣で船長が急に笑い出したのを、狙撃手が「言ったそばから笑うなよ」と突っ込みを入れた。 おれは食堂で女王サマとコックが喋っているのに船長が何かしら茶々を入れるのを黙ってみていた。 「どうしたの?ミスターブシドー。 顔色が優れないようだけど・・・」 最初、自分に言われていることに気付かなかったおれは、返事をするタイミングがワンテンポ遅れた。そこに狙撃手・・・ウソップ・・・が合いの手を入れた。 「ゾロの目つきが悪いのは地だよ、ビビ」 何か言い返そうとしたが、いい文句が思い浮かばなかったのでそのまま黙っていることにした。 おれが何も言わずにいると、ウソップが二言三言おれに何か言って食堂から出ていった。それに続くようにして女王サマ・・・ビビ・・も食堂を後にした。 「考え事か?」 ひょいと船長・・・ルフィ・・・がおれの顔をのぞいた。 「・・・いや、眠たくてよ」 肩をすくめて無難な答えを返す。 「ルフィ、大剣豪サマに考えることなんてあるわけねェだろ?」 いつもなら斬りかかるところだが、失敬な口を利くコック・・・サンジ・・・の軽口にも乗らずに、ああそうだなと生返事を返した。 二人が顔を見合わせる。 「・・・熱でもあるんじゃねぇのか?」 「拾い食いしたのか、ゾロ」 おれは二人の表情をちらりと見て、何でもないから心配いらん、それよりさっさと寝ねぇと航海士サマに大目玉を食らうぞと言って、カンテラの火を消して部屋へ帰るように促した。 気味悪そうに変な顔をしたまま、サンジは火を落としてルフィと一緒に部屋に帰っていった・・・のは、ずいぶん前。
真夜中の嵐というのはどうにも慣れない。そもそも夜にあんまりいい思い出ねぇんだよ。 おれは何となくカンテラに明かりをつけて、天井に吊した。油が少なくなっている。 波はずいぶんマシにはなっているようだけれど、未だに風と雨は強いままだ。ガラス窓に打ち付ける雨粒が幾度も砕け散る。 食堂にただ一つの明かりが、船が揺れる度に大きく振り子運動を繰り返して。ランプの油の燃えるにおいは、遠くの故郷の思い出を引き出す。 「・・・・・・」 そのまま、また居眠りを始める。 ずいぶん前に忘れた感覚と、生き続けている小さなくいなの夢を・・・見たかったのかもしれない。 いつも眠るとき、そんなことを考え、考えた自分を嘲って、それでも心の中で何かに祈って・・・居眠りをする。しかし、いつもおれを起こすのは黒髪の少女ではない。 現実でも、夢でも、どこにもくいなが居ない。 なぜこんなに執着するのか、自分でも解らない。もう彼女への想い(・・・と言えるものになる前に彼女もろとも消えてしまったもの)が、自分と同化して体の一部になった感じがする。不意に目の前に浮かぶのは、滅多に見せなかった笑い顔。 深く細く深呼吸をして、おれは脳味噌を切り替える。 考え続けても気が落ち込むだけだ。意味もない。 約束を果たす。 それだけを考えろ。考え込んで立ち止まる暇などない。少しでも早く、少しでも遠く、おれの名前を響かせることだけを考えろ。世界一の剣豪としての、おれの名を。 その先に何があるのか、何かあるのか、解らない。 だが、そうしなければいけないような気がする。そうすれば、何かが救われるような気がすんだ。・・・救われるのはもしかしておれ自身だけかもしれんが・・・それでもおれは「世界一強くなければならない」。 そこまで考えて、おれは薄く閉じた目を力無く開いた。 人の気配がする。 音を殺して動いている。 ・・・サンジが夜這いでもかけてんのか? この嵐の中に部外者が侵入するのは正気の沙汰じゃねぇし、どう考えてもルフィの動きじゃねぇし、ウソップが夜中にごそごそやる理由も思いつかねぇ。 「・・・ここに来る」 おれは自然に組んでいた腕をほどき、頭の後ろで交差させる。 ・・・この方が刀を抜くときにアクションが少なくてすむ・・・こんなことを体が勝手に覚えるまで、幾分と時間はかからなかった。・・・そんな自分が居ることを幼稚なおれが素直に喜んでいる。 気配はそうっと食堂のドアの前で止まった。ゆっくりと音もさせずドアが開く。 「誰だ?盗み食いならよそでやんな。」 おれの予想は見事に当たっていて、驚いた顔をした金髪のコックはきょとんとした目でおれを見た。 「・・・よう、クソ剣士」 失敬な挨拶を無粋な言葉で返す。 「こんな夜中に食堂で用事か?」 おれは頭の後ろにやっていた手を下ろしてポケットに突っ込んだ。ポケットの中にはずいぶん前にビビがおれに向けたチップ状の刃物(確か「クジャッキースラッシャー」とか言ったかな)が入っていた。 「・・・・別に用事と言うほど大層なこっちゃねぇよ。 ・・・ランプが・・・きちんと消えたかなと思っただけさ。海の上で焼け死ぬなんざごめん被るからな。」 そういいながらランプを見上げ、油が少なくなって勢いがずいぶん小さくなっている炎を一瞥した。ランプの芯に乗っかっている火は、部屋を明るくするだけの力を既に失って、ただぼんやり光っていた。 サンジの顔はよく見えない。時々光る雷光に照らされて、フラッシュの度に数瞬だけ見えるくらいだ。 その瞬間に見えるサンジの顔は、ずいぶんと・・・面白いくらいに焦燥していて、おれは笑いそうになった。なにせいつもは威勢が服着て歩いてるみてぇに態度のでけぇ男が、情けねぇツラ引っさげて分かりやすい嘘付いてるんだ。これで笑わねぇ奴が居たら、そいつは聖人君主か、うちのキャプテンか、どっちかだ。 「『辛い恋は/やっかいごと/夜中に浮かぶ君の笑顔が/僕の命を削ってく』・・・か?」 おれが言った言葉がよほど意外だったのか、サンジはまたもびっくりしたツラのまま固まった。 「・・・・・へぇ、てめぇが流行歌なんぞ知ってるなんてどういうこった。」 珍しく煙草をくわえていないサンジは、ギシギシと揺れる船室のドアを閉め、キッチンのテーブルに腰掛けた。 「ローグタウンのどこだったかで聞いた。変なメロディだったんで覚えが良くてね」 サンジは頬杖を付いて、さもつまらなさそうに「へぇ」とだけ言った。 おれはその場から急に出ていくのもヘンだし、かといって喋り続ける気にもならず(決してボキャブラリーが貧困だからじゃないぞ)、黙ってポケットの刃物をいじっていた。案外よく研がれていて鋭かった。 「・・・・・・・・・・・」 サンジは何かを深く考えるように黙って目を閉じていた。おれは何も言わずにポケットの中の小さな刃をもてあそんでいる。 「・・・死にゃしねぇよ。憎まれっ子は世にはばかるんだぜ。」 呆れ顔でつい出た言葉に自分自身が一番驚いた。なにが悲しゅうて野郎を慰めてんだか。・・・おれもだいぶん甘ぇな、オイ。 ゆっくりと顔を上げたサンジは、いつものように何か食ってかかってくるのかと思えば、ぐるぐる眉毛がおもしれぇ程下がったやたら情けねぇツラをしていた。 「医者でもねぇくせに適当なこと言うんじゃねーよ。」 はっきり言ってたまげたね。いつもなら『ナミさんは憎まれっ子じゃねえこのクソ剣士!!』とか何とか事実に即さない世迷い言の一つでも吹くんだが、こう調子悪くちゃからかう気すら萎えちまう。幽霊みてぇな声でボソボソ呟くんじゃねぇよ気色悪ぃ!! 「・・・しっかし、てめぇの口から『恋』だの『笑顔』だの出てくるとは思わなかったぜ。 なははははは、長生きはするもんだなオイ。」 身を翻すように、器用な軽口でサンジはおれの話をはぐらかす。こういう(話)芸の細かい奴に限って、てめぇのことを言うのが苦手と来ている。面白おかしい世の中だぜ、ったく。 「うるせぇエロコック。とっとと部屋に帰ってハンモックで女の夢でも見て来やがれ」 おれは獣を追い払うように手でシッシとサンジを追い払う仕草をした。奴はそれをひどく冷めた目で見ている。 ふと、波が大分収まってきているのに気付いた。代わりに大粒の雨が甲板を叩いている。 風が思い出したようにガラスを揺らした。 「・・・んなに心配すんな、もうしばらく進めば島に着くんだぜ」 ・・・まァもっとも、島に着いたからって素直に医者が見つかって治る・・・なァーんて思えるほど、おれの心はピュアじゃないがね・・・と言う言葉が歯の裏まで出かかったが、そこは心意気で飲み込んだ。 サンジが薄く息をのむ音が聞こえたような気がした。 雨音が少し強くなった。 風の音が連続して聞こえる。・・・天候がまた急激に変わるときの前触れだ。 「あァ・・・・ああ、そうだな。もうすぐしたら医者に連れていけるな。」 まるで感情のこもっていねぇ台詞を吐き垂れ、サンジは長椅子の上にごろんと横になった。おれは言葉に詰まって、ただ「そうだ、心配すんな」と呟くしかなかった。 「ゾロ」 急に名前を呼ばれ、おれは一瞬顔を上げた。・・・驚いたのだ。 「あぁ?」 「おめぇ、さっきの歌の続き覚えてるか?」 「・・・いや。知らねぇ」 また話を変えたサンジの意図が全く分からずただ返事だけを返す。 そうしていないと、どこかから決定的に切り離されちまうような【予感】がした。・・・【予感】が。 「『削り取られた/僕の命が/君と共に在り続けるなら/僕は命なんかいらない/命なんかいらないんだ/辛い恋は/やっかいごと/まるでそれは使命のようで/まるでそれは罰のようで』」 サンジはボソボソと歌う。流行り歌は砕け散る風と雨の音にかき消される寸前で、詩の内容とはまるでかみ合っていない陽気なメロディが、よけいに詩のなかに居る男の孤独と焦燥感を掻き立てた。 ・・・・・・・・なるほど。 おれが流行り歌なんぞ覚えてるから、自分でもおかしいと思ったんだよ。 なるほどな。 こりゃおれの歌か。 こりゃサンジの歌か。 なるほど。 サンジはそのままのボソボソした声で歌い続ける。長椅子に横になったまま。おれに表情を全く見せない格好のまま。 「『これは恋か/それとも悪意か/解らないまま想いは募り/ついに形もなくしてしまった/君の姿さえ消えていく/この想いに名を付けるなら/“偽れぬ無謀”/或いは/“勇気の翻弄”』」 サンジは音痴ではなかった。 別に上手いわけでもなかったが。 ありふれた流行り歌だ。思わせぶりな単語の連発で難しく聞こえるような気がする、ただの流行り歌だ。 普通に、酒場にいる吟遊詩人が歌っている、実にも種にもならねぇ流行り歌だ。 ただもう、何かがたまらない。 おれは短く「やめろ音痴」と言った。もちろん聞くに耐えない歌じゃなかったが、ムカムカと気が立ってくるような詩の内容に、漠然と怒りすらわき上がってくる。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 長い沈黙の後に、奴はむくりと起きあがっておれの方を見た。中途半端な闇に慣れた目でも、サンジの視線の方向までは解らない。 「ナミさんは治るよな」 気合いの抜けきっただらしのない声が雨のにおいの中に広がる。 おれは呆れていいのか馬鹿にしていいのか、同情してやればいいのかハッパをかけてやればいいのか解らなかった。 だから自分の一番得意な選択肢を選んだ。 「・・・しつけぇな、治るっつってんだろアホコック。同じことなんべん聞きゃ気が済むんだよ」 漆黒の食堂で サンジが 泣きそうな 笑い顔を作った。 おれは、こいつは素直な反応ができるんだと、この時初めて知った。 自分と決定的に違う人間は「邪魔した」とひとこと言って食堂を後にした。 取り残されたおれは ひとりで 腕を組んで眠ったふりをした。 こうしていると、楽だから。
耳に雨の音が痛い。 まだ雨は降り続いている。 東の空が少しづつ明るくなっている。降ってくる雨の軌跡が光っていた。 窓の外を眺めながら呆然と、闇色の空間で泣き笑い顔を作った男のことを考えた。 ああ、あの色ぼけコックはおれよりは素直で おれよりは器用なんだ。 ずいぶん残酷じゃねぇかよ、この世界は。 おれからくいなを取り上げて、生きることも不自由にしやがって。その上あのぐるぐる眉毛より意固地ってか?洒落になんねぇじゃねぇかよ。 「・・・ったく悪ぃ冗談だ。」 呟いて、キッチンにおいてあったラム酒の蝋封を開け、ラッパ飲みした。 ・・・・・・・・・く〜、染みるねどうも。
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