STANDALONE OF LIAR
コック+狙撃手
めまいが、した。
うとうととでもしていたのだろうか?冗談ではない。 見張り台なんかでうっかり居眠りなんぞしてみろ、今日の日が高く昇り切るころには、美貌の氷像が一体出来上がってしまう。 氷のように冷えて固まった身体を無理矢理に動かすと、鈍い痛みが体中を駆け回った。 顔を上げると、東の空がうっすらと白み始めていた。随分うたた寝してしまっていたらしい。 「凍死しなくて良かった、やはりおれは運がいい」 大きく伸びをして、ポケットからかじかむ手で煙草を取りだし、慎重に一服。 「はーー…、まったくとんでもなく冷えるな。熱いココアの一杯でも作って来るか」 子羊の皮で作られた少し値の張る手袋の上から、はぁと息を吐く。白い息がきらきら光りながら生地にぶつかって弾けた。くちびるから一気に熱が抜けていくような感覚が、漠然とした。 波は静かで風も緩やかに吹いている。気温はともかく御機嫌な航海だ。 航海だけならな。 おれが見張り台で居眠りしなきゃならんのには理由がある。 ナミさんの病気は知っているだろうけど、病室になっている女部屋でチョイと騒いじまったんだよ。 即ビビちゃんに退室命令が下されて、おれが夜中の見張り、ゾロが船中の掃除、ルフィが船の修理の手伝いを命じられた。……もちろん罰として。 …んな事はどうだっていいさ。ただナミさんが元気になってくれさえすれば、それ以上におれが望む事なんて無ぇ。……そりゃこの船に乗ってる連中全てが同じように思っているだろうけどよ。……あ、ビビちゃんは別か。国のことがあるもんな。 おれは長く大きく溜息をつく。煙と水蒸気で真白く薄い雲が一瞬浮かんですぐに消えた。 「でけーため息だな、オイ」 声に驚いて振り向くと、コートの帽子を真深く被ったウソップがひょいと見張り台に昇り切ったところだった。 「よう、こんな朝早くにどうしたよ?朝メシなら……」 おれは鼻をすすり上げながら上擦った声で、鼻の長い「狙撃手」に断りを入れる。途端にウソップの表情が呆れ顔になった。 「なんでお前はおれらの顔を見るなりメシの話をするのかねぇ。そんなに飢えた顔してっか?」 「……お前らがおれの顔見るなりメシメシつってやかましいからじゃねぇのか? 全く……おれは音声認識の自動販売機じゃねぇぞ。」 ふうと、軽いため息混じりに煙を吐きだした。 「……それはお前がコックだからじゃねぇのか?」 白目をむいて不服そうにウソップは言う。 「だったら昼飯の次の瞬間に夕食を要求するんじゃねェよ」 「それは……ルフィに言ってくれよ……」 言いながら、ウソップは肩に掛けていた水筒のひもを外して、投げて寄こした。 「おい、何だよ」 冷たい手は思うように動かず、危うく取り落としそうになる。 「紅茶で悪いけどよ、熱ぅーいのをリクエストだろ?」 きょとんとして話を聞いていたのは束の間で、すぐに水筒を開け、湯気のもうもうと立ち昇る水筒に頬摺りしながら何度も「あああったけぇー…」と呟いた。 「サンジよう、お前……」 熱いストレートを、ふうふう言いながら懸命に飲んでいたおれは、急に名前を呼ばれて顔を上げた。 「ん?何だよ」 顔を上げると、ウソップはおれのおっとこ前な顔を見て笑いそうになりやがった。すんでの所でこらえるようにして、まじめな顔で言う。 「ナミの部屋で何やらかしたんだ?昼間ゾロは部屋の掃除なんかやってたし、ルフィはブーブー言いながら修理の邪魔しに来たし、お前はお前で今日の見張り替わってやるなんつって。 ビビがあれ程怒るんだ、とんでもねェ事やったんだろ?」 からかいながら、おれの表情が硬くなるのをこいつは見逃さない。全くお節介なヤローだぜ。 「別に何だって事じゃねぇさ。ルフィが熱を下げるのにつって、馬鹿でけぇ雪だるまをナミさんの頭の上に乗せやがったから部屋から蹴り出してやっただけで。」 事も無げに言い、三杯目の紅茶を啜る。いつも通りということを少し不自然にアピールし過ぎたかねぇ。 「ゾロは?ゾロは別にルフィに付き合って馬鹿やってた訳じゃねぇんだろ?」 視線は外さずに表情だけをくるくる変えて言う。多分こいつがこうするのは、おれが淋しそうに見えたんだろう。 ホントにでっけえお世話というか何というか…… 「ルフィが壁にぶつかった拍子に腹巻ッキーの上に吊るしてあった棚からビンが奴の頭めがけて落ちたんだよ」 「……うわぉ……」 「よけられんのはテメーの所為だっつーのにイキナリ斬り掛かって来やがるんだぜ……ったくマッキーはよう」 ぶつぶつと文句を垂れながら4杯目の紅茶をコップに注ぐ。 「よく飲むなお前……あんま飲みすぎると逆に身体冷えるぞ。」 「交代まであと4時間もないしな。それより便所の方がおれは怖い。 ウソップ、お前それより寝なくていいのか?まだ修理あるんだろうがよ」 おれがそう言っても、ウソップは首をすくめてすとんとその場に座った。 「目が冴えちまって。 まぁまぁ、ここに居ても邪魔にはなんねぇだろ?」 水筒が随分軽くなったので、一杯半くらい残して蓋を閉めた。身体は程良く温まって指先に力が戻ってきた。少し強く閉める。 「……好きにしな」 軽くなった水筒を投げて返し、コートの襟を正してウソップとは反対の方を向いた。あいつにはそっぽを向いたように見えたかもしれん。 「………………」
「………………」 おれは思案顔でサンジの後ろ姿を見ていた。 決して他人を拒絶しない背中。文句を言いながらも、きっと決定的に突き放したりはしない優しい人間。 『損な性格だよ』 絶対に他人を歓迎しない背中。心良く話しながらも、多分自分の心の奥は誰にも喋れない、淋しい人間。 『そうだ……こいつは淋しいんだ』 自分で付けた傷でしか自分を騙せない。そうして寂しさを紛らわせるしか術を知らないのだろうか。 『まるでナミだ』 いつの間に火を付けたのか、新しい煙草の煙が立ち昇って、早朝の潮風にさらって行かれる。 おれはこいつが甲板で笑っているとき、ゾロやルフィとやり合っているとき、それは本当に楽しそうだけれども、少しだけ、淋しそうな雰囲気がするのを知っている。 こいつはこの船の中の誰とも、自分がどこか決定的に違うことを知っているような気がする。 線を引いているというか、壁を作っているというか。 おれはそれについて別段どうこう言うつもりは更々無いし、言ったってどうにも仕様のないことだって事ぐらいは見当も付く。 だけどもよう、おれはお節介焼きなんだよ。 ああやってどっか寂しさとかそういうのを引きずってる奴を見ると、何とかしてやりたくて仕方ねぇんだ。そういう性癖なんだよ。解るか?ホラ、おれって優しいから。 『ナミに似てる』 どうしてそう思うのか自分でも良く解らねぇ。 でも、漠然とそう思うんだ。 おれは、出来れば仲間を理解してやりたい。少しでも理解できれば、その分そいつに近付けると思うから。そいつの考えに、そいつのこころに、そいつの涙に。 全てが解るとか、解ってやれるとか、そんな事を思ってるわけじゃねえ。 もしかしたら自己満足かも知れないし、人間によっちゃあただの覗き趣味だとか言うかもしれん。 でも、「誰にも解ってもらえない」と思い込んでる人間を少しでも解ってやろうとする事が悪いことだとは、おれにはどうしても思えんからこうしてるんだがね。 ナミの事は、ナミの義姉妹のノジコに聞いた事くらいしか知らねぇし、サンジに至ってはルフィも本人も何も言わなねぇから殆ど何も知らん。けど、何だか二人の雰囲気は少し似ている。 二人の背負っている寂しさの分だけ、二人は共通している。 哀しい。 自分と同じ部分の欠けを、ナミが持っているからこそ、サンジはナミにあんなにもモーションをかけるんじゃねぇだろうか? ……ま、単に女好きなのかも知れんが…… おれの視線を知ってか知らずか、サンジは大きな欠伸をしてまた煙草の煙を大きく吹いた。金髪か少し揺らめいて薄い朝日の光線に光った。 「なぁサンジ、お前ナミのことどう思う?」 頬杖を付きながら、出来るだけつまらなく質問を投げ掛ける。そうした方がサンジが答えやすいような気がした。 「…………………ああ?」 「だから、ナミだよ」 「…………………………………………………………」 重苦しくため息を付いて、サンジは煙草を指で強く弾いた。煙が軌跡になって水面に吸い込まれていく煙草を追ってゆく。 「早く元気になって欲しいさ、おれの料理を旨そうに食ってるナミさんの顔が一番美しいからな。」 サンジは首をすくめて、くだらねぇこと聞くんじゃねぇヨ、とおれを軽く蹴った。 「お前は一人で耐えるタイプだな。俺達はせっかく仲間なのに」 冗談めかして、せめて彼がおれの言葉に傷つかないように、滑らかに言う。もしかしたら重すぎるかも知れない言葉を。多分、彼に必要な言葉を。 「怖いのか?自分だけ取り残されるのが」 言ってしまって、おれはサンジの目を見続けた。絶対に目を逸らさない。こんな話の時に目を逸らしたら、おれの言葉の意味が抜けて、ただ悪意のカタマリのセリフになっちまう。 「……お前…………この船の連中は……全く、お人好しばっかりだよ。 ゾロといい、お前といい。 おれ、そんなに情けないカオしてるか? ナミさんが病気になったからって、そんなに気の抜けたカオしてるかよ?」 悲しそうで、皮肉たっぷりで、呆れ顔のまま、笑いながらいつもの“サンジ”の顔をして言った。 「……………………………………」 おれは何も言わなかった。 何か言ってやるのが優しいことだとは思った。多分どんな事であれ、サンジは返事を期待していただろう。 でもおれは何も言わなかった。 何か言ってしまうと、何か返事をしてしまうと、どうしてもサンジを「不幸な人間」と認定してしまうような奇妙な感覚に捕らわれたから。 “サンジ”は“サンジ”の顔を作りながら「何か言えよ馬鹿」と笑った。 おれはそれでも何も言わずにサンジから目を逸らさなかった。 今は、目を逸らすのが怖い。 おれは気を取り直して、小さく深呼吸して、瞬きを数回する。 「もう少ししたら島が見付かって、医者が見付かって、ナミが元気になる。 そしたらどんどんこの海を制覇していって、お前は世界一のコックになって、オールブルーを見付けるんだろ? もう少しの辛抱だ。 もう少しだけ我慢してろ、きっと全部うまく行くから。 おれが保証する。きっと、何もかも上手く行くから……」 自分の言葉がひどく残酷なことを指していることは解った。それでもサンジは黙っておれの言うことを聞いていた。白い息を吹いて、微かな笑い顔を変えないまま。
おれはウソップの話を聞く。 親切なためらい傷と解っていながら、それでもおれに何か言わなければならないと思うらしい。 本当に……この船の連中はお人好しばっかりだ。こんな馬鹿共がグランドラインを順調に辿っていけるもんか。 ……おれや……ナミさんみたいなリアリスト(現実主義者)が居なけりゃ、あっという間に海の藻屑だ。 長っパナは言う。 『きっと、何もかも上手く行くから』 行くわきゃねぇだろ、馬鹿。何もかも上手く行く?……じゃあ何か、ナミさんはルフィのことを嫌いになって、おれ無しじゃ居られなくなるのか? ルフィはナミさんの気持ちに器用に応えて、ナミさんはやっと安住の地を手に入れるのか? おれはルフィの影を振り切って、ナミさんの側で安らかに煙草を吹かせる日々を暮らすのか? どうやっても どうやっても どうやっても どうやっても どうやっても どうやっても どうやっても どうやっても 叶わない夢を見る。誰にも叶えられない夢を見る。 ワガママで残酷な自分勝手すぎる夢を見る。 夢が夢のままでもいいと思えるほど、おれは強くなんかない。目の前で二人が男と女として笑い合うのを見ていても平気なほど、おれの心は広くない。 叶わない夢を見る。 一人で。 「てめぇはお節介焼きだなぁ」 おれは笑いながら言って、ウソップの頭を強く掻き撫でた。 奴は立ち上がって「水筒の中身、冷めちまったから入れ直してくる」と見張り台から降りていった。 おれは煙草を取り出す。 マッチで火を付ける。 軽く吸い込んで 煙を肺の中に誘導する。 その煙を 吹き出す 吹き出す 吹き出す 吹き出す 吹き出す…… 朝日が少し高く昇っている。水面に反射して、眩しい日の光がおれを照らす。 光線はおれの目を灼き、少しだけ暖かな潮風を連れてきた。 「麗しき生まれたての太陽と、親切で優しいうそつきに乾杯!」 おれじゃ駄目かも知れんが ナミさんが元気で居てくれれば おれは十分幸せだ だから だから 今日の太陽がナミさんを連れて沈みませんように。
2000/4/27 STANDALONE=他の機械に接続しない独立型の機械
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