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暗い空
『 死神くん家の、家庭の事情。 』
「ありゃりゃ、こんな時間にずいぶんいいにおいだねぇ」
キッチンの椅子に腰かけたままウトウトとしていたら、いつの間にか隣にお姉ちゃんの代わりに死神様が立っていて鍋をお玉でかき混ぜていた。
「うお、死神様だ……こんなトコにどーしたのぉ?」
「そりゃこっちのセリフだよパトリシアちゃん」
未だ覚醒しない頭を振りながら、しぱしぱする目を擦って身体に神経を行き渡らせる。
なんだかいい夢を見てたよーな。
具体的に何がどういう風にいい夢なのか説明は出来ないけれど、でもいい夢だったんだと思う。
だって、覚めるのが惜しいって感覚が残ってるから。
「2人とも部屋に居ないしキッチンには明かりがついてるし。どったの、こんなトコで」
「……あー、えっとぉ、なんか、暇だなーって。する事ないから昼寝しすぎて夜寝れないしィ」
ほほほほ。死神様が含み笑いをしてコンロの火を小さく絞った。おー、死神様の癖にこのめんどくさいコンロの使い方を一発で見抜くとは。ふつーはいっぱい並んだツマミのどれが何か分かんないのに。あたしだって覚えるのに結構かかったんだぞー。
「これはポトフ?」
「あーたーりー。ほんとはね、トマト入れるとおいしいんだよ。でもホールトマト缶は料理長ちゃんと数えてるからパクったらゴミ捨てとかやらされちゃうの」
「うーん、彼は怖いからねぇ。ワタシもブロッコリー残したら窓ふきやらされたよ〜」
「キャハハハハ!世界最強すぎぃ〜!」
「『いけません!死神様ともあろう方がお残しになるなど!お坊ちゃんに示しがつきませんよ!』」
「うひゃひゃひゃ!似てる!似てるゥ!」
「おかげで今じゃドレッシングなしでブロッコリー食べられるようになっちゃった」
「あたしもあたしも!ルッコラめちゃくちゃ食べさせられた!いやだって言ってるのに何にでも混ぜてくるんだもん!たまんないよぉ!」
「好き嫌い多いと地獄だよね、ここの料理」
「意地でも食べさせようとするもんねぇ、料理長。こまったもんだ」
くたくた鍋が煮える音がするキッチン。月桂樹の葉の香りが蔓延するコンロの前で、あたしは“お父さん”とお喋りをする。あたしは“お父さん”と同じで好き嫌いが実は多い。苦い野菜は嫌いで、甘い果物が好き。
そんな話をしていたら、なんだか本当にここにずっと昔からいるような気がしてきて嬉しい。
本当も嘘も、みんな鍋の中でぐつぐつ煮ちゃって、どろどろのスープにしちゃえばいいんだ。形が分らなくなるまでぐちゅぐちゅに潰しちゃって、もう二度と別けられなくなるほどグルグルかき混ぜちゃえばいい。
そうすれば、あたしはホントに“お父さん”の娘になれると思う。
……何よりも強く、思えば。
「話は変わるけど……パトリシアちゃんはどー思う?」
「何がぁ?」
「キッドとクロナのこと」
いい気分で妄想に耽ってまどろんでいた脳味噌がビックリして飛び起きた。
「きゃはははは!死神様チョー直球!」
「エリザベスちゃんは心配し過ぎて夜もまともに寝てないみたいだし……我が息子ながらホント困っちゃう」
ため息をふうとついて、ぐっと腰を伸ばした死神様が天井を見上げる。
あたしはその仕草がなんだかすごくわざとらしく思えて、少し悲しい。あたしの無敵の“お父さん”が、息子のことになるとちょっと気弱で心配症になるのが、ちょっとだけ切ない。
まるで弟にお父さんを取られたみたいに。
「えぇー。友達ほったらかすのが平気な奴よか、ソンケーできるよ!」
「……友達、ねぇ……」
「あー、キッドくんがクロナに構い過ぎって死神様も言うの? おねーちゃんみたいに」
「パトリシアちゃんは違う意見?」
「あれは構い過ぎなんじゃなくってェ……」
あたしの言葉を思いっきり溜めて、ぐぐーっと首をひっこめる仕草に死神様が興味深そうに覗き込む。
「構い過ぎじゃなくて?」
「死神としてのケジメをつけよ〜としてるんだよ」
「?」
狙い通り、死神様の頭の上に浮かぶでっかいはてなマークに気分を良くしたあたしはちょっと胸を張り、訳知り顔で声高らかに注釈を口にする。
「だってクロナって、悪人でしょ。死神様のリストに載るような」
「……まぁね」
「だからね、更生させたいんだよ多分。善人にはなれなくても、悪人じゃないよーな、誰かに裁かれなくていい、そういうフツーの人にしてあげたいんだよ」
自分で言ってて、はっとした。
今まで自分の中で形に出来なかったものが、突然影を落とす。
あたしの胸の中に、突然大きく遮りが現れる。
――――――――そうか。そうだったのか。あたしは、彼は、そしてこの人は。
「……自分が普通じゃないから?」
「さぁ。そこまではよく分かんない。
あたし、おねーちゃんの爪がキレーだとすっごい嬉しいの。ひび割れたり欠けたり手入れされてない爪ばっか見てたから。あたし暴発させて怪我してた頃は、ほんと生きることばっか必死で……パンのことばっか考えてて……だからね、おねーちゃんが爪のこと考えてられるぐらい暇で、ほんと嬉しいの。
キッドくんも多分、そういう気持ちなんだと思うよ。クロナが爪をキレーにするぐらい暇になって欲しくて、だからあんなに頑張ってるんだと思う」
「なるほどね」
納得したようにフムフムと頷く死神様のお面が、あのかわいいお面が、あのいつものお面が、急に憎くなってきた。
何も解ってないくせに、何も知らないくせに……何もバレてないと思ってんの?
「恋とか、あの子たちは出来ないよ。
そんな暇ないもん。
生きることに必死で、前を向くことに懸命で、お互いを見ることにも気付けない。……昔のおねーちゃんみたいに男にずぶずぶハマって甘えて盲目になれるほど、あの子たちの人生って暇じゃないもんね」
こう言えば死神様はきっと安心するんだろう。お姉ちゃんならきっとここで口を閉じる。でもあたしはお姉ちゃんじゃない。
ニッコリ笑って心にもない事を言うのは得意。その場に合わせて上手に知らんふりをするのも平気。でも死神様、あたしそれが好きだなんて一度も言ったことはないんだよ。
「だから死神様が恐れるようなことは、何も起こらないよ」
とぼけてキュートな白いお面が、確かに凍ったように見える。絶対、凍っている。確証はないけれど、根拠はある。それを言葉にはできないだけで。
「死神様、怖いんでしょ? 魔女の子と死神の子が好き合っちゃうのが怖いんでしょ? よかったね、そんな事にはならないよ。キッドくんには死神様の呪いが掛かってて、クロナにはあの性悪蛇女の呪いが掛かってる。だから絶対あの聞き分けのいい子たちは口が裂けてもお互いを好きだなんて言わない」
「パトリシアちゃん……」
掠れるみたいな死神様の声。ねえそれって、怖いの? 怒ってるの? 信じられないの? それとももしかしてあたしを憐れんでるの?
「あたしクロナきらい!キッドくん独り占めにするんだもん!でもかわいそうだよ!……誰にも言えなくて、本人にすら気付かせられなくて……
キッドくんだって今は自分の気持ちに気付いてないけど、いつかは分かっちゃう……そしたら……今以上に苦しむに決まってんじゃん……お、おねーちゃんはそれでいいって言うけど、あたしには分かんない」
死神様がいつの間にかうずくまってたあたしの体を抱き上げて、ぎゅっとだっこしてくれた。あたしは訳がわかんなくて、その腕を振り払おうともがいた。
もがいたのに、死神様は腕の力を緩めない。
「やだもう放せよ!どうせ離しちゃうなら最初からこんなことすんなァ!」
あたしはもう必死で何とか逃げようと全身の力を振り絞ろうとするのに、どんどん力が逃げていく。目に見えて魂が震える。勝手に瞼が熱くなる。そうするといつの間にか心が緩んでたことを思い知る。
「……キッドのこと、好いてくれてるんだね」
あたし、このヒトがニガテだ。
あたしの必殺パンチも悶絶キックも爆裂タックルも、なにも通用しないから。
「信じたって……いつもろくなことがない……」
あたしは死神様のコートに顔をうずめて、自分でさえ聞き取り辛いボリュームのセリフを叩きつけた。八つ当たりみたいに。
ろくな事がない。ろくな事にならない。あたしたちは親に捨てられて、お姉ちゃんの“彼氏”はお姉ちゃんを捨てて、ブルックリンでは信じられる奴さえ居なかった。それでも信じたいと思ってもいつも裏切られた。
だからキッドくんにあたしは何も言わなかった。
今度こそ裏切られるのは嫌だったから。
「よくあることだよ。でも信じなきゃ。それが勇気ってやつ」
だけど死神様はそんな放り投げた言葉でさえ掬い取ってくれて、ますますあたしは惨めになってくる。どうしてこんなに上手くいかないの。自分のちっぽけな魂ですらうまく扱えない!
「裏切られて平気なことが!?」
「善意が裏切られることを知って、なお善意で生きていくことが」
半分怒鳴ったようなあたしの声に、死神様が静かに優しく、でも絶対に曲げないといった強い調子で仮面の虚ろな空洞をこちらに向けた。
「……あたしはウルトラマンエースにはなれないよ」
その眼差しの見えない真っ黒な小さな二つの穴が怖くて(でも何もないことが怖かったんじゃないと思う。何も見えないのに見透かされてる感じが怖かったのだという言葉をずいぶん後になって見つけた)、バツが悪くパッと浮かんだテレビのヒーローの名前を出した。あたしが小さい頃、日本のTV番組ブームがあったらしくて、仲間の誰かがパクッてきたTVに映ってた“正義の味方”がお気に入りだった。
もしかするとあたしはキッドくんにエースを重ねてるのかも知んない。“何度裏切られても優しさを失わないでくれ”と願って消えたあたしの人生初めての英雄に。
……だから、そういう人に裏切られちゃうと、ほんと、ちょっと……辛い。
「優しさを失うなってのも、なかなか厳しいけどね。そういう奇麗事も必要だとワタシは思うな」
死神様があたしの頭をゆっくり撫ぜて、涙腺を揺さぶる。ちょっと、ちょっと、そんなことしたら……!
「……生きてくのってめんどくせぇ……」
瞼の奥から熱い水がドビドビ流れ出て、ほんともう堪らない。やめてよ、やめてったら……!
「死んでるより簡単さ」
「だって、死んだら、死神様、ちゃんと、管理して、くれる、んでしょ?」
三つや四つの子供みたいに、しゃくりあげるもんだから言葉が途切れてちょーダセェ。……ちょーダセェのに、なんでこんなに気持ちいいのかな。ほんともう、やんなっちゃうぜ。
「その代わり行きたい場所にも行けない、会いたい人にも会えない。ずっと一人ぼっちでずっと棚の中だよ」
あたしの頭を肩に挟むようにぎゅっと抱きしめて、死神様が真面目な声を出している。
あたしは死神様のお説教が、ちょっと好きだ。
すっごいレアだから。
「魂を磨きなさいパトリシア。自分で好きな場所へいけるように。そしたらワタシの迷子棚に入ることもなく、キミの魂は永遠にキミのものだ」
「……ふうん。そんなものなの?」
「そんなものさ」
ぐずぐずいう鼻を鎮めるまで死神様はずっとあたしを抱いていてくれて、すごく助かった。だってさすがにこの年になって鼻水たらして泣いてるとこ男の人に見せる訳にはいかないじゃん?
「でも棚に入れてもらえなくても、あたしはここに居る」
ひょいと死神様の腕から逃れて、トンと地面に降りた。……ン、やっぱこっちのがあたしには似合いだ。
こうやって背の高いあなたを見上げてる、この方がずっといい。
「なんで?」
それがちょっと惜しいみたいな声を出して、死神様が手持無沙汰な手をワキワキ動かしているのが可笑しい。
死神様は甘やかしたがりなんだねぇ。……そりゃ、キッドくんが苦手がるわけだよ。
「寂しがりの死神様のお守りに通うのダルい。だったらここに居た方がラクじゃん!」
「は、はは……こりゃまた……」
「イヒヒヒ!」
なんだか死神様と共犯者になった気分。困ったみたいに笑う死神様の背中をバンバンと叩く。
「……お、おいおいパティ、死神様に何やってんだお前は」
声に振り向くと、調理場の入口で両手に毛布と雑誌と飲み物を持ったお姉ちゃんが立っていた。
「どーこ行ってたのお姉ちゃん!急に居なくなるからウッカリ死神様と親交を深めちゃったよ!」
「や、お前が寝ちゃうからさぁ、こっちは暇だし火があるから寝ちゃう訳にもいかないし、シャワーついでに暇つぶしを取りに……それはそうと、どしたんですか死神様こんなトコで」
「ほほほほ。ちょっと、ねー?」
「ねー?」
死神様が首を傾げて同意を求めるので、同じ格好をしてあたしも言葉尻を真似る。
「……何か企んでんじゃないだろうなぁ……」
調理台の端っこに毛布と雑誌を置いたお姉ちゃんが眉をひそめて苦笑い。
あたしはそれに一言何か言おうとしたけれど、そんな事が頭といわず身体全部から一気に吹き飛ぶ。
解る。
分っちゃう。
この感じ、この懐かしさ!
「お姉ちゃん!キッドくんが帰ってきたよ!」
「へっ? なに、お前、いつの間に魂感知なんて出来るようになったんだ?」
「出来ないよ!でも分かるもん!ねぇ死神様、もうすぐだねぇ!」
振り返った死神様のお面はいつもの形のままだったけど、なんだか笑っているように見えて。
「じゃあ、玄関まで迎えに行こうか」
「えっうそっ私だけわからないの!?」
ゆるゆる歩き始めた死神様の背中を追って、あたしはお姉ちゃんの腕を強引に引っ張った。
「お姉ちゃん最近死神様のことばっか考えてるからキッドくんレーダーが弱くなってる!」
「ちょ!? ななななんだよそれェ!?」
「ねー、死神様、お姉ちゃんよろしくねー」
「えええええっ!そ、それはちょっと、まーずいんじゃないのォパトリシアちゃ〜ん!」
「ほらほら、早く。二人がただいまって言うより先におかえりって言わなきゃ!」
玄関を飛び出して、あたしは両腕を大きく天空に向かって広げた。
薄暗い空に、ポツンと黒いシミ。
それが見る見る間に大きく膨らんで、二つの影になる。
「ねえ死神様!受け止めてね!」
濃紺の世界に頼りない黒がふらふらと揺れていて、あたしはそう叫んでから全身全霊の力でジャンプし、身体を銃に変化させた。
このちっぽけな魂の光を、あの子達はこの暗い地上にきっと見つけてくれるはずだから。
ねえ料理長。
何となく解ってきたよ。
あたし、死神様やキッドくんやお姉ちゃんと一緒に食卓を囲んで笑うだけで救われるの。
それであたしの料理が完成するんだと思う。
それであたしの家族が完成するんだと思う。
そこにクロナとラグナロクがどーしても入って来たいて言うのなら。
素直にそう言うのなら。
あたしは2人分のお皿をテーブルの下から取り出すタイミングに恵まれるんだけどな。
おわり
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