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暗い空
『 クロナ と キッド 』
二人分の足跡が付いてくる。
雪を踏む音。
言葉もなく、氷の結晶が潰れる音だけが耳を撫でた。
丘を越えてしばらく道が続いている。自分がさっきつけたはずの足跡は薄くなっていて、ひどく頼りない。
雪は降っておらず、空しく風が吹いている。
コントラストの薄い闇。黒と灰色、そして……
後ろを歩くクロナからは、きっとおれは濃紺の世界に佇む真っ黒な人影にしか見えないのだろうなと思う。
この村に到着してクロナがやってくるまで、半日以上を墓参りに費やした。
あの疫病で死んだ人間の為の記念碑も訪れたから身体がくたくたで、ついウツラウツラとした時……今でも信じられないことだが、窓を揺らす風に紛れてクロナの声が聞こえたのだ。
キッド、と。
おれは部屋の暖炉の木がぱちぱちと燃えている前に居たのに。
思うに、これが霊山の力という奴なのだろう。“人ならざる者”に力を与える、という。
「何故あんなところに居たの?」
夢現で足を進めていたところにクロナが声をかけてきてぎょっとした。まさか声を出していたのだろうか?
「……それはこちらのセリフだ」
動揺を少しでも覆い隠そうと不機嫌な声を出来るだけ絞り、低く唸るように言った。
それにクロナは恐れも抱かず、まだ冷めやらぬ興奮を抑えるかのような風に尋ねる。まるで遠足に来た子供のように。
「僕は、死神様に頼まれてキミを連れ戻しに来たんだよ。一体何をしにこんな所に来たの? それにこのコート……こんな寒い場所で失くすような物でもないし……」
おれのコートを持ったままのクロナが持ち上げたのだろう。規則正しい足音が一瞬ばらばらっと崩れた。
「………………」
おれは言葉に詰まり、しばらく黙るしか仕方がない。コートは目印にと宿の案内看板に引っ掛けさせて貰っていたのが飛ばされたらしいことは分かったのに。
だが言うに事欠いて何をしに? 何をしにだと? 決まっている…………決まっ……
腹立ち紛れに強い調子で言い返そうとしたが、言い返すべき言葉が見つからない。そうだ、おれは一体ここに何をしに来たのだ? 一体何を求めてやってきた?
「……自分でも良く解らん。どうしたいのか、どうすればいいのか……コートは、なんだ、その……吹き飛ばされただけだ」
正直に白状した。お手上げだ、本当に解らない。
「でも、死神様の指令で来たんでしょう?」
「……そうだ」
「そのお使いはもう済んだの?」
クロナが当たり前のことを確認するかのような口調で俺に尋ねる。
お使い? お使い? ああそうだ、これは形式的には父上から課せられた単なるお使いのはずなのだ。お前を拾って予定調和を完成させる、下らなくて出鱈目な単なる建前の儀式でしかないはずなのだ。
「ああ、お使いは済んだ。だが“ついで”がまだ済まないのでな。帰るのが遅れている」
「……ついで?」
クロナの呼吸がいつものリズムに戻っている。落ち着きを取り戻したのを確認して、おれはクロナを振り返って足を止めた。
「……少し、寄り道をするがいいか?」
「それは構わないけれど」
その答えを得、ラグナロクが何の反応もせずクロナの体内に納まっているままなのを少し奇妙に思いつつも、おれは進路を少し南に変えた。
もともとが雪深い場所な上に、人が踏み固めたでもない場所を歩くのは人間ならば随分と億劫だろうが、腐っても死神、弱っても人外。無言で二つの黒いシミが薄墨の世界の新設を漕いで歩く速度はなかなかに早い。
かじかむ指と凍える頬。覚束ない足取りが上手く動かない手に引きずられて、何度となくよろけた。
クロナは何も尋ねない。
おれも何も話さない。
ただ二人でちらつく雪の中を森の中へ吸い込まれるように歩いた。
20分も歩いた頃、ようやく目の前の雑木林が途切れて視界が広がる。もはやその頃には濃紺の空と灰色の雪原だけが辛うじて目に映っていたのだが。
「お墓?」
息の上がったクロナが独り言のように呟く。
「ここに眠ってるうちの17人、おれが刈った最初の魂だ。死神の初仕事さ」
足を緩める意気地がなくて、置き去りにせんばかりのスピードで歩いたつもりだったのに、クロナはさほど苦もなくおれの背を見失わなかった。
「………………」
クロナは唇を真一文字に結び、その薄紫の視線をこちらに向けているのだろう。
雪のちらつく黄昏は不安を掻きたて、なのにどこか安堵する。
「おれにとって死の一番最初は病によって身体から追い出される事だ。それだって理不尽なもんだが、それよりも理不尽な死に方がある」
「――――――――誰かに殺されること」
静かに震える声が細く聞こえた。
「おれは死神だから人を裁くことは定めだ。否が応にもな」
自分でも足が震えているのが解る。これは寒さ故か? それとも虞か? はたまた武者震いか?
「この村の仕事で初めて泣き言を言っても始まらんと自分に言い聞かせた。……初心に帰るためにここに留まっているのかも知れん」
「……こんなこと言い訳に聞こえるかもしれないけれど、僕もそうだったよ。喜んで人を殺した事なんかない」
「――――――――解ってる」
重苦しい。度し難い。許されるならば胸を掻き毟りたい。
だけどおれは意気地がなくてクロナに背を向けるくらいしか出来ないものだから、足元の雪を蹴散らすふりをして体をあらぬ方向へ向けて。
「でも僕は弱虫で、他にどうすればいいのかも思いつかなくて、ただ、ただ……」
背後で聞こえたか細い泣き事の後に何かが滴る音がした。ぽたぽたと何かが垂れている。
おれはその気配を知っていたけれど、何を言う気にもなれず黙っている。
「僕が一番最初に殺したのは、白くてふわふわな……兎……震えてた……僕と同じに……」
「……………………」
「その時、苛めてる間は苛められないことを知ったんだ。……弱い魂、呆れるだろ?」
「……」
口の中で舌を打ちそうになった。胸の中に苦い物が広がる。そいつはイガイガと喉を灼き、ねばねばと腹の底に纏わりつく。……まるで古い油のようだ。
「狂気ってね、凄いんだ。触れた人間にしかわからない。自分が全てになっちゃう。何もかも否定して、思いの丈だけが世界になる。それは本当はさびしい事のはずなのに、それさえ気付けない。興奮して、沈静して、自分を忘れてしまうんだ。自分が全てのはずなのに」
「だから人を殺すのか?」
おれはもう堪らなくなってつい振り返って口を動かした。意図せず出た言葉は最低で、出た瞬間に顔を顰める。
果たしてクロナは縮こまるように頭を下げ、顔を伏せていた。
「……狂った心は手当たり次第に否定しまくる。目に付く全てをね。それが例えば物だったり、自分だったり、生活だったりする。人を殺すっていうのは単なる一つの選択肢に過ぎないんだよ」
しかしクロナはおれの最低なセリフにさえ怯まず、流暢なまま続ける。まるで懺悔のように。
「ではお前は何を否定したんだ?」
そのクロナの揺るぎない口調がなんだかおれを窘めているかのような気がして、咄嗟にまた最悪なセリフを続けてしまった。
クロナは少しおれの方を見て、また視線を逸らし、左手を右腕に添えるいつものポーズを取ってから薄く深呼吸をする。
その一連の動作を食い入るように見つめていたおれがふと息を吐き出した時、クロナは鋭く答えたのだ。
「現実を」
細身の剣で心臓を狙い澄まされたような気分。たった一言の小さな言葉に。
「……現実?」
「僕は鬼神になるために育てられた。“狂う為”だけに生まれたんだ。その為に人を殺せと命じられたよ。
毎日考る、どう効率よく殺せばいいのか? いかにしてテンポよく魂を集めるか? 寝る間もなくラグナロクと悲鳴共鳴を重ねたさ。悲鳴や怒号を少しでも短くして、狂わない為に」
肩が薄く震えているのが見えた。痛みを堪えるかのようにギュッと左腕を強く握っている。
「でも、それは同時に僕の世界の全てを作ったメデューサ様を否定するってことだ。狂うために作られた僕が狂わないように心を砕くなんてそれは自己否定じゃないか? そんなことを考えていたらだんだん恐ろしくなってきたよ。狂わないために人を殺す僕はもう既に狂っているんじゃないだろうかって」
どこか遠くでオオカミの遠吠えが聞こえたような気がした。
「そしてもう考えることをやめた。僕は答えを出すのをやめた。……それでも狂いたくなかったから」
悲しい声。仲間を探すような。
「勇気が無くて、怖いばっかりで、逃げてただけなんだ。あの時マカが手を差し伸べてくれなかったら、きっとこの世からも逃げ出してた」
……でも本当は違うのだと思う。
「今この時も死武専に保護観察されてる、マカと友達になる、そんな耳触りのいい言い訳で結局逃げてるだけなんじゃないか? ……そんなこと毎日思ってる」
風の具合でそう聞こえるだけで、生き物の声ではないのだろう。
「………………」
おれはクロナの独白に応えてやることはできず、やっとのことで戻ろうと言うのが精一杯だった。
古い煉瓦の道すがら、黙りこくったおれは考えがまとまらなくて、おまけに失敗したような恥ずかしい気持ばかりだった。掘り返さなくてよいものを徒らに白日の下に晒してしまったのではないだろうか? クロナにもまだ消化できないものを指さすだけの為に吐き出させたのではあるまいか?
つい10年前は行き交う人で彩られていただろうはずの町はすっかり寂れて、今では村と呼ぶに相応しいほどの人間しかいない。明々と灯る街灯がうすら寒い。
煉瓦と煉瓦の間に枯れた草が見える。人が去り朽ちてゆく町。
「……キッド」
背後のクロナが声を上げた。ゆっくり振り向くと背に羽根を生やして空を見上げていた。
「こうして雪が降ってる中で羽を出してると、空に昇ってくみたい」
「よせ、ここはデスシティじゃない」
「この羽のおかげで、よく罵られたよ」
「クロナ」
闇の空に舞う雪がふらふらとクロナの羽にとまり、消える。よく見ると彼女の首にはマフラーが無く、いつの間にか右手に握られている。おれはそれをしばらく見て、すっと目を逸らした。
息が街灯の光で白く光って見えていた。少し呼吸が荒かったような気がする。涙を堪えるとき、そうなるように。
「心配するな」
思わず声に出した。
「お前は狂ってもないし、望まれてここにいる。おれは神だ、保証して欲しいのならいくらでもしてやる」
「保証? 一体なんの?」
嗤うかのようにクロナが少しだけ高い声を出した。
「お前の魂がお前のものだってことをだ。そいつは自由にしていい、おれが許す」
おれはクロナに、このおれによく似た友達に、何かをしてやりたかったはずなのに。マカのように上手に出来ない。己の不器用と武骨さにはほとほと呆れ果てる。
「……自由にして、人を殺したよ、僕は」
「それは自由ではない。お前が望んだこと、そいつが自由だ」
「………………そんなこと、急に言われてもわからないよ…………」
「では考えろ。自由とは幸福ではない。試練だ」
「よく、わからない」
クロナが雪の散らされた石畳に視線を落とし、しばらくしてしゃがみ込んだ。背に生えた蝙蝠を模した黒血の翼とともに。
「お前は生きている。思考停止は死んでいるのと同じだ。考えろ」
おれはその前に立ち、踏み荒らされた雪の上に広がる自分のコートを見つめるしか出来なかったが、決して目を逸らしはしなかった。
「でもいつも同じところに行きついちゃう。そこに行くくらいなら死んだほうがましな場所に」
「お前には優秀な友達がいるだろう、訊ねればいい」
「……訊ねて出る答えなら……」
「そうじゃない。自分で考えるために、教えを乞うのだ。答えを求めてどうする」
おれは出来る限り低く絞った声で、実現可能な限り理性的に模範解答を口にした。
「戦えクロナ。さもなくばおれはお前を殺さねばならん。そんなことは耐えられん。おれにはお前を助けてやることが出来ないんだ。だから、頼む……狂気なんぞに負けるな……」
安易に手を差し伸べられればどんなにか楽だろう。
この胸に掻き抱いてお前を守ってやると言えればどれだけ救われるだろう。
だが、おれはそれをしなかった。
こいつの人生の肩代わりが出来るほど自分が立派な死神ではないことは、身に染みてよく解っていたから。
無闇にそれが悔しく、恨めしい。

『 キッド と クロナ 』
僕はよく知っている。
庇護の一歩外に出れば、冷たい世界が広がっていることを。
たぶんこの死神君と同じくらいに。
たぶんこの人ならぬ身の煩わしさと同じくらいに。
「……随分ありがたいお説教をくれるんだね」
「――――なに?」
しゃがみ込んだ煉瓦道は冷たく、芯から冷える。
立ち上がる気力さえ奪ってしまうほど。
「祝福されて望まれてあんなにいいお父さんがいて。だからそんな偉そうなことが言えるんだ」
「どういう意味だ」
人の通らない薄暗い路地。街灯は弱々しく輝き、風も出てきた。
早く部屋に帰りたい。
死武専の誰も来ないあの部屋に帰りたい。
誰も傷つけずに済む牢獄へ逃げ込みたい。
「だってそうだろ? 悲しい時はリズやパティがいてくれるんだろ? 困った時は死神様が助けてくれるんだろ? 辛いことがあった時は潜り込める暖かいベッドがあるんだろ?」
体が冷たい。
首から外したマフラーをまだ未練がましく離さないでいる自分がみっともないと思うのに、死神様の優しさが胸を突いて離れない。僕を気遣ってくれるあの人の温かさが離れない。
「施して満足かい!憐れんでいい気分かい!気紛れに優しくしないでよ!」
情けなくて惨めで恥ずかしかった。
こんな八つ当たりして一体何になるんだろう。もっと情けなくて惨めで恥ずかしくなるだけなのに。
そんなの自分が一番解ってるはずなのに。
憐れみでも施しでも気まぐれでもなく、目の前の死神は本当に僕を救おうとしている。
だけど僕の口は止まらない。
理由さえ解ってる。
でもどうにもならない。
「逃げる場所もなく、ただ狂うために生きなきゃならない僕に、キミのお説教が効果的とはどうしても思えないんだけどね!」
キミの救済なんて僕はちっとも欲しくない。
キミの優しさなんて僕は全然必要じゃない。
ただ僕は……!
「挫けた時にリズはあの身体でどうやって慰めてくれる? 寂しい時にパティはどんな風に君の腰を元気付けてくれるんだい?」
「下劣な事を言うな!」
「皆言ってるよ!死武専のみんなが、孤児を拾って囲ってるってさ!」
「あの二人を愚弄する気ならば許さん!」
「許さない? 許してもらわなきゃダメなんだ!僕は君の許しがなけりゃここに居る事も出来ない!」
ああもうめちゃくちゃだ。
でも本当はめちゃくちゃにしたい。
涼しい顔して暖かな部屋で家族に囲まれ何不自由なく、幸せにしている、こいつが憎い。
上から抜け抜けと『魂を強くしろ』だなんて言う、何も知らないお坊ちゃんのはらわたを食いちぎってやりたい!あの時僕を助けられもしなかった、助けてもくれなかった神さまの代わりに、この死神を冷たい地面に転がして誰にも知られないまま……!
ぐっと息が詰まる。
胸が塞がる。
強く強く恨んで憎んで罵るほど、僕の魂は崩れてゆく。
想像でさえ僕は人を殺せない。
僕が殺すのはいつでも「カボチャ」や「ジャガイモ」や「タマネギ」ばかりさ。
でもキミはもう僕にとって「死神」ですらなく――――――
「……お前一体どうしたというのだ」
あれだけの暴言を吐いたというのに、「キッド」は細く長くため息をついただけで精神の均衡を立て直したらしく、いつもの口調に戻っていた。
僕はそれに倣うように努めて細かく息を吐き、吸い、心臓の鼓動を鎮めた。
「――――――――ここに初心を取り戻しに来たと言ったね。僕は取り戻すものさえない。恵まれて望まれて、キミはそれ以上何が欲しいって言うんだい」
上手く頭の中で整理できない言葉を、やっとのことで口に出した。
もしも感情のままに唇を開いていたら、僕に関わらないで、と言っていたかもしれない。……あの日のように。
「……文脈がよくわからんが、おれが欲するのは要はバランスだ。
プラスがあればマイナスがあっても問題はない。……ま、想定範囲内であれば、という注釈は要るがな」
眉を顰め、何も応えない僕に向かったキッドが少し逡巡し、もう一度口を開く。
「例えばお前で言えば、ラグナロクに苛められるというのをマイナスとする。マイナスが溜まり過ぎると鬱々としてくるだろう。だがそこにマカとショッピングにでも行くというプラスがあれば、マイナスがあっても耐えれるだろう?
要するに、辛い時は楽しい事を思い、楽しい時に辛い事を忘れるなということだ。
お前が何を思い患っていようと究極的には誰にもどうすることも出来ん。が、お前の魂を見知らぬものに触れさせてくれるだろう。そいつを楽しいと思えるようになれば狂気なんぞに負けはせん。
人に押し付けられた運命なんぞにかかずらってる暇はないぞ、なんたってお前は死武専生になったのだからな」
なおも押し黙る僕に一気に言ってしまったキッドはふうと息をつき、僕の腕を引っ張って立たせた。
「立ち上がる気力がないのなら、こうやって引っ張ってやろう」
眉を下げ、震える僕の口に何か言葉が浮かびそうになった瞬間、キッドはぐっと眉を吊り上げたかと思ったら強い口調で続けるのだ。
「だが歩くのはお前しかない」
強く握った腕から力を抜いたキッドが僕を放す。まるでここまでだ、と言わんばかりに。
「与えられなかったものを羨んでも詮無いぞ。……とまぁ、これはリズの受け売りだが」
「……せんない、ってなに?」
「仕方がないとか、下らないとか、無意味という意味だ。どこかの方言だったか」
何の気なしに彼は僕に背を向けた。
僕はその仕草が腹立たしくて、それ以上に悲しくて、つい悲鳴を上げてしまった。
今まで誰にも、自分にも、聞かせたことのない悲鳴を。
「……メデューサ様に、お母さんに……抱きしめて欲しかっただけのことが、しかたないの? 下らないの? 僕、そんなに大それたことを望んでるの?」
黒い背中。
雪の町。
風の吹く道。
その全部が僕を責め立てる。
もっと優しくなれば救われるの? もっと強くなれば平気になるの? もっと、もっと……一体どうすればこの魂に巣食う空虚を追い出せるの?
あとからあとから湧き出してくる疑問のどれもが意味がなくて唐突で、おまけに間が抜けていた。
結局僕は自分がどうしたいかなんて崇高な意思も目標もないのだ。
ただただ、逃げたくて消したくて否定したくて、ただそれだけなんだということが嫌というほど解ったから。解ってしまったから。
「……おれは納得がいくまで世界中を巡ってリズとパティを探し出した。
おれとあの二人がいつまで一緒に居られるかなんて誰にも判らない。あいつらは人間だ、必ずおれより先に死ぬ。……だから必死なんだ。毎日を必死でこの魂に刻んでいる。
この世に当たり前に与えられるものなどない。大なり小なりみな勝ち取るのだ」
キッドはすっと僕の先に足を進め、大げさな仕草で振り返る。
僕はその金色の目に吸い込まれるように視線を合わせた。
同じ高さになってはじめて解る。
この死神の視線が少し震えていることに。
「メデューサがお前から取り上げたものは、お前自身で取り返さねばならん。
確かに与えられなかったものは多かろう。その憧れと悔しさを解るとは言わん。だから証明して見せろ、お前の覚悟を、執着を、思いの強さを。
お前が命懸けで取り返すほど重大なものだったのだと、この裕福で贅沢なおれに証明して見せろ」
その声は意志が強く、正しいことばかりがキッチリと並べ立てられ、はっきりと発音されているのに。
僕はなぜか、彼が泣いているように見えた。
まるで
母親に人を殺せと命じられた
僕のように。
「羨んで指をくわえていてもどうにもならん。戦えクロナ。そして奪い戻せ」
言い終えたらしいキッドは歩き出し、僕を振り返ることはなかったけれど。
僕が彼を見失わないよう、ゆっくりとした歩調で暗い空に靴音を高く鳴らして歩いていた。
つづく
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