my brain is very poor
風 見 天 晴
澄み渡る、現実じゃ南の島のグラビア写真でしかお目に掛かれないよーな青空。あの事故に遭うまではじめじめと薄暗く、霧雨と霙が交互に降って雨垂れがひっきりなしに肩を叩いていた、在るんだか無いんだかも知れなかった空が抜けるよーに晴れている。
きっと人々が心地よいとか爽快とか言う塗ったように底抜けの絶景なのに、オレにはどうしてもわざとらしいポスターにしか見えない。
ただただ青と蒼の交差する宙にアクセサリー然とあしらわれた白い雲。
目が覚めるようなピーカン照りだ。
……いや、照り、と言うのは少し語弊があるかな。
気持ちのスカッとするような青空には、太陽が、無い。
なんとも龍の目を欠いた世界。
―――――それでも、皆殺しだ、なんてのより随分マシだ。
生きる事に意味も理由も見出せず、腐って投げて諦めて自分の心の色など気にも止めたことが無かったのに、近頃は時々この空色の腑抜けた景色もまんざら悪くない、などと見上げる事がある。
『漸くか。うむ。わたしを神と仰ぐ権利を認めよう』
……まぁクソ鬱陶しい、が約9割だけど。
―――――それでも、終わっちまえ、なんてのよりは幾分立派だと思う。
呪って憎んで憤って理不尽に歯軋りし床を踏みにじるよりかは、文化的だ。
『ハッハッハッハ、文化などと背伸びをするな』
で。
さっきから茶々入れてくるウザってぇ正体不明の≪何か≫。
こいつが目下の厄介事。
しょうもない事故で死にかけ、頭の中に正体不明の≪何か≫が突如現れ、住み着いてからというもの……風見天晴の人生が一変した。
なんてちょっと夢見がちな中学生の妄想みたいだろ?
構わねぇよ、存分に笑ってくれ。笑って貰えれば少しは救われる。
笑った? 笑ったか? 今笑ったよな? よしブン殴るからそこに直れ。
『止さないか、天晴。それでは丸っきり名実共にヤクザの所業だ。まぁキミの場合チンピラのそれより随分性質が悪いのだが。
……あ、この場合のそれとは顔の造形や姿・立ち振る舞い総合の事で』
ああもううるせぇ! ちったぁ黙ってらんねぇのかテメェ!
『精神性や性格・行動原理など、所謂【魂】とでも言うべき物はてんで幼稚であり、ストレートに言えばガキのそれだからヤクザの精神にさえ届かない』
完璧に無視して言い切りやがった!?
『昔デビルマンという漫画があってな、その主人公は悪魔の力と正義の心を持っているという設定なのだがキミをそれに準えるならば悪魔の姿と悪魔の力、そして乙女の心だ。やったな天晴、さすが現代っ子。欲が深い』
〜〜〜〜ッ!! 〜〜〜〜ッ!! 〜〜〜〜ッ!!
『おい止せ、止せと言うに。そんなに自分の顔面をお仕置きするな』
何だか分らない。
なんだか一切解らないが、とにかくこいつはオレの頭の中に確かに存在する。
――――――――オレが無駄に考え込まない明快明朗な性格で良かったぜ。
『明快明朗(笑)』
繊細でぐちぐち悩むタイプだったら早々に発狂してるか線が切れてる。
そうだ。
頭がオカシクなってる。
死に掛けて、殺されかけて、人が目の前で息を止めるなんてことが立て続けに起こっている。それはものすごい異常な世界。
オレは割と悲惨な境遇の人間だけど、それは平和で豊かな日本の中の小さく些細なありふれた【過酷】だ。そのくらいは解ってる。気に食わないし納得いかない、絶対許せないけれど世界で一番不憫だとは自惚れてない。
だけどこいつが連れてきた世界は物語の中の現実。
デタラメで荒唐無稽で笑っちまうぐらい真実味が無いのに、血が出る。
くにゃくにゃ頼りないのに骨と爪が軋んで、筋が切れる。
喧嘩に明け暮れてリアル格ゲーキャラ等というフザけた二つ名を付けられ、バットを振り回して足の骨を折ってもそれは死に直結していなかった。社会やシステムや心情が【死】というものを許さない世界に居たからだ。
だが今はそこから確実に自分が抜け落ちてしまっている。
そう、あの、家族の死体を嬉しそうに見つめるクソッタレの世界みてぇに。
……ああ嫌な事を思い出しちまった。
「そんで、なんだよ」
『うん?』
「だから、なんだよ! 理由があって出て来たんだろうが!」
名をスカイブルーという全体的に水色の正体不明の≪何か≫が笑ったのか、いつものように見下したのか微妙な顔になって言った。
『特に理由などない。それに厳密に言うならばキミがここに来たのだ』
激しい回転性のめまいと耳が無理に閉じられたような鼓膜の圧迫。
それか、長い長い距離を止め処もなく落下していく焦燥。
水平線が見えるプールに浮かんでいるのに似た。
『むしろこちらが聞きたいな。
部屋で一人、煤汚れた天井を見ながら一体何を考えてここに来た?』
オレには家族が居ない。
居なくなってしまった。
原因不明の事故で。
引き取られた先の親戚とも折り合いが悪く、高校生ながら独り暮らしだ。
『……ははぁん。なるほど、そうか。キミも年頃だった事を失念していた』
ニヤニヤ笑いのアホがその場でくるりと回転すると、蒼の混じった白い三つ編みが瞬く間に透き通るような輝く金色のロングヘアーになる。
『憧れのマドンナを手淫のネタにしようなどとは豪胆だな。その勇気に免じ肖像権の侵害を手伝って遣わそう』
クラスメイトの学級委員長が仁王立ちで品の無い馬鹿な事を口にした。
「なんだその新技は!? とにかくヤメロ! 殺すぞ!」
『大振りで直線的過ぎるぞ。もっと脇を閉めろ抉り込むように打て』
「丹下左善かテメェ! 避けるなぁぁぁぁぁ!」
一頻り大暴れするが、当然のようにスカイブルーが変身(!)した灰岡には全てのパンチが掠りすらしない。
『息が上がってるぞ風見天晴! 貴様それでも日本一の喧嘩番長か!』
「〜〜〜どーゆーネタだそりゃぁぁぁぁぁぁぁーッ!」
渾身の全てを込めて放った右ストレートも、難なく軽いステップでかわされてつんのめってその場に突っ伏した。……その場と言っても空中で、俺はやっぱり偽物の灰岡アンネと一緒にずーっと落ちている訳だが。
『知っているぞ』
「何をだぁぁぁ!」
『知っている』
「だから! 何をぉぉぉ!」
高い空から地面に向かって真っ逆さま。
それは眩暈のするような光景。
金髪の美少女はその日の光で輝く長い睫を下げ、空気抵抗の薄いヘンテコな感覚の中を二人で墜ちていく。
はためく制服の襟、自分の額を擦る前髪、奈落へ向かって。
『この姿、この形を見ると天晴の心臓が跳ねる』
「ぐぎっ……!」
『この声、この匂いを感じると天晴は落ち着かなくなる』
小鳥がさえずる様な甘く優しい声でクラス委員……じゃねぇ、スカイブルーの迫真の演技が続く。
『あっぱれくん』
喉が渇いて張り付く。金の糸束が白く細い指に絡んでいるのだけが見えた。
欲しかった物だ、きっと、多分、夢にまで見た。
遠巻きに見るでなくて、ただ純真に、好意でなくとも、敵意じゃないそれを……優しい誰かに手渡される日をずっと待っていたんだ。俺は、恐らく。
ふと白昼夢に誑かされ眉を下げた俺の耳に届くは―――――――あの男だか女だか分らない不思議な声。
『どうした? 愛されモテかわ上目使いだぞ、存分に励め』
〜〜〜〜ッ!! 〜〜〜〜ッ!! 〜〜〜〜ッ!!
『おい前ページのコピペは止せ』
今回は感覚を共有しているクソッタレに痛み分けという以外の動機で自分の顔面を殴り飛ばした。
「あーもう! 去れ! 居ね!」
『自分から来ておいて随分な言い草だな自慰魔人』
「その顔と声でおかしなこと言うんじゃねぇぇぇぇぇぇ!」
『そんなに叫んで喉は疲れないのか? カルシウムを採れ、色々と捗るぞ』
「うるせぇ! 失せろッ! 消えろォォォォ!」
言った瞬間。
ぱ、と。
陽炎や蜃気楼が消える様に融けて、そこに何も居なくなった。
「!?」
出し抜けに耳の拾う音が自分のアロハシャツの裾や襟がはためく衣ずれだけになった。俺は依然たった一人で何処かへ向かって落ちている。
「お……おい……?」
一応声に出して訊ねてみたが、返事をするものなどない。
上から下へ、天から地へ、雲から泥へ。
「…………んだよ……ったく……」
髪が視線の先で揺れている風景は、緩い緩い重力と空気抵抗に従って、青空海に浮かんで、頼りなく、不安で、甘く、どこか物悲しい。
ああ、そうだ
これが、そうだ
ひとりぼっちって、こんなだった
「………………」
静かで、何もない、たったこんだけの世界。たったそれだけの世界。
これが嫌で、ムカついて、人を殴った。殴った奴は多分俺の癇に障るような事をしたか言ったかもう忘れたけれど、腹の底がからっぽで吐いても胃液さえ出ないような空虚を飼ってなかったら……いや、仮定なんか意味がねぇや。
俺は屑でチンピラだから、頭が悪くて粗暴だから、殴った。
もうそいつは取り返せない。
自分で捨てた。
「………………何にもねぇなぁ……本当に……」
口に出して、嫌になる。
口を勝手に出て、嫌になる。
目を閉じたら淡い色のカーテンは破り去られ、宇宙が見えた。
真っ黒で地獄みたいな、それよりももっと恐ろしい暗闇はいつだってこちらに手を伸ばして俺のちっぽけな心臓を握りつぶそうと待ち構えている。
『あっぱれくん』
その名前で呼ぶなっつうの、胸糞悪ィ。
『天晴』
何だってんだよ、もう、うるさいな。
瞼をゆっくり開くと、そこは相も変わらず真っ青な世界。俺はまだとことも知れぬ終点に向かって落ちている。
晴天、薄雲、相変わらず太陽は見当たらない。
「………………母さん、父さん、舞花……」
祈りの文言のように家族を呼んだら、世界が歪んだ。
散る、零れる、落ちる、崩れる。光の粒が浮き上がる度に視界が歪む。
コレが正解だった、解らなくても、腹立たしくても、不条理に混乱しても。
こうすれば、こうすれば良かったのに。簡単なことだった筈なのに。
顔を手で覆い、背を丸め、大声を上げて、クソガキらしく。
悲しいと、寂しいと、恨めしいと、恋しいと。
「死にかけてやっと思い出した……俺は……俺は……」
女々しいかね? 情けないだろうか? それともしょうもない?
自分でもそう思うよ。ああ本当に、無駄にした。間違った。5年も。
「灰岡や、スカイブルーが……人が居なきゃ何にも出来なかった……」
『イヤそれは違うな、風見天晴。キミを変えたのは私ではない。灰岡アンネでもない。私が唆し灰岡アンネが手を差し伸べ命の危機というミラクルが三つ重なった奇跡中の奇蹟というボーナスステージではあったが、それを振り切らずにキミは手を伸ばした。
それは勇気でド根性で未練だ』
…………………………………………………………………………出たな妖怪。
『立ち上がる理由なんてどうだっていい。風見天晴、キミは喉の奥に仕舞い込んでた言葉を吐き出した。それは自分で考えているよりも立派な事だぞ』
いつもの不思議な和服に、薄い水色のような白でも銀でもない髪の色。
『なんたって、それは意志だ。ふんわりぼんやり浮かんでいる私にはない』
隙間だらけでからっぽで、何にもなかった。
殴って、暴れて、不満ばかり積み重ねて、先を考えるのが面倒なんて誤魔化して、結局逃げていた。
死んでしまった家族から。
失くしてしまった自分の心から。
「……お前……ほんともう、何なんだよ……」
捨てて諦めてしまおうとしたがらんどうに宿った、妙に癪に障るヘンテコな正体不明の≪何か≫。もしかしたらこいつは俺の――――――――
『その意思の根拠がスケベでも泣き事でもいいじゃないか(笑)』
ようしブン殴る。
〜〜〜〜ッ!! 〜〜〜〜ッ!! 〜〜〜〜ッ!!
『はっはっは! まさかの3ページ連続コピペとは恐れ入る』
スカイブルーが鼻血を垂らした無様な面の俺を立たせ(?)ポンと肩を叩いた。
『頭のおかしい厨二病のうわ言みたいな世界にキミの欲しい物はない』
最後のセリフは確かそんなものだったと思う。
それを機に俺はスカイブルーを置き去りにして、今までの3倍のスピードで急速落下を始めた。それはそれは凄い轟音と共に。
「なぁあぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁ!」
目が回る。胸の内がガリガリ音を立てて削られてゆくみたいに。
絶望感というのだろう、これを。
『これでも私は君に敬意を表している。敬服に値する』
だから忘れろというのか、死んだ家族を、無くなった家を、肋骨を開いて心臓を掻き毟るような怨恨と後悔の時間を。
『灰岡アンネの世界に君は帰るべきだ』
灰岡? 灰岡アンネ? なんで今あいつの名前を出すんだ?
惚れたなんて言ったな?
あんなのお前の憶測で、脅しで、言い逃げだろう。
俺は人を好きになった事なんてない。なり方が解らない。自分が好きじゃない。
――――――――からっぽなんだ。
『だから今から生きて、埋めるんだろう。その空虚は余白と思え。
年相応にエロい事を考えたり、友達とバカやったり、先生に怒られたり、惚れた女に思いを伝えたり……そういう思い出を書き込む為に人生はあるんだ』
事故車のフロントガラスを内側、つまり乗車位置から見た事はあるか?
『さあ目を凝らせ天晴、悲観の上書き……今ならまだ間に合うぞ』
青空に白いヒビ。蜘蛛の巣に捕まった虫の視点。
「お、い……おいっ!」
風圧が不意にきつくなる。地面が近いのだろう。動かないモノが近くにあると、スピード感が変わってくると聞いた事がある。
……動かないもの? 地面? 何でそんなものが……!
ビグッと、大きな音をさせて自分の身体が痙攣したのが解った。
落ちる夢を見たときに誰しもがそうなるみてぇにな。
「……ど、どうしたの?」
少し驚いた顔の灰岡アンネが教科書片手にオレを怪訝な顔で見ている。チャイムが鳴った、休憩時間か何かが終わりを告げたのだろう。
「……いや……ちょっと変な夢を見た……」
胸が高鳴る。
無 い は ず の 心 臓 が 、 高 鳴 る 。
一度呼吸が止まり、或いは心臓も止まったのかも知れなかった。
ゾワゾワと背筋が総毛立って自分の持てる全ての違和感を総動員して自分の襟元を恐る恐ると引っ張ってその中を確かめる。
何もない。
何も、だ。
汗がどっと噴き出して顔から血の気が引くのがハッキリと解った。
「…………あ、天晴くん……か、顔が真っ青だよ……」
おろおろと取り乱す灰岡アンネのか細い声が上手く耳に届かない。
片手で顔を覆った。
「どこか痛いの? 苦しいの?」
慌ててこちらへ近づいて、ともすれば喉元を毟り取らんばかりに力を込めてシャツを握っている俺の手に灰岡の冷たくて細い指がそっと触れた途端、世界が歪んで、また元に戻った。
「…………………………」
灰岡は自分の指を不意に伝った一滴をどう思ったろう。
そんな事をぼんやり思い、俺は瞼を閉じた。
もう一度瞼を開いても、もう、あの鬱陶しいまでに晴れた蒼を見る事はないのだろうと確信しながら。
13:03 2013/01/25
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