物は壊れる 人は死ぬ 三つ数えて 目を瞑れ
クロナ と キッド と ラグナロク と 世界
原案: hbrQ・kamima_iruka 様
夢もよく見る
One
ラグナロクの独り言
ラグナロクは相棒とも主人とも友達とも呼ばぬ、“奇妙な同居人”がフラフラと目を覚ます少し前の頃合いにそのギョロとした……まるで縫い付けられたボタンのような……目を片方だけ開きました。
今日もまたうんざりする様な一日が明けてしまった、と残念がるかのように。
ラグナロクは高い高い壁の上にポツンと小さな採光用の窓があるばかりのこの部屋へ連れて来られて、はて何日経ったのかと考えてみましたが、どうしてもどうしても思い出せません。ただ不定期に小窓から投げ入れられる袋に入った携帯食と、ブリックパックの飲み物だけがこの部屋にある刺激でした。
「便所くらい独立した部屋に作れよ。収容所だってもうちょっと愛想があるぜ」
彼はたいそう聡明で同時にとても意地悪な性質でしたが、何故かここのところ、つまり彼の“阿呆な同居人”と共にここへ連れてこられてからというもの、あまり物を考える事も悪ふざけも止していました。
その理由はとても複雑で謎と陰謀に満ち満ちておりましたが、ラグナロクはそんな事をおくびにも出しません。ただ彼の“不運な同居人”が日に日に言動を狂わせ、時に激高し、或いはぐったりと身じろぎを止め、そして微笑み方を教わった人々の事や、奇怪で窮屈ではあったものの、それなりに穏やかで賑やかだった夢の様な日々の事を思い出すことを苦痛に感じるばっかりに、懸命に忘れようと努力する“陰気な同居人”を黙って見ているだけでした。
ラグナロクは実際、自分と“不振な同居人”がどこに居るのかを詳しくは知りませんでした。顔見知りの魔女達や大男、自分達の真の主たる蛇の魔女が呪文とも説明ともつかぬ物を垂れ流した事を覚えているだけです。
彼はもしかすれば、蛇の魔女が“散々な同居人”と自分に何か物覚えが悪くなる魔法を掛けたのかも知れないと思いました。
“間抜けな同居人”……名をクロナと言いますが……と違い、自分がここまで記憶を混乱させることが今までなかったのだから、それは無理からぬことです。
ぐったりと動かない、ただ息をしているだけのクロナに向かってではなく、それでもラグナロクは時々言葉を喋りました。
クロナはそれを聞いているのか聞いていないのか、いつも黙って身じろぎしません。
「死神小僧の病気じゃあるまいし、何だって部屋のど真ん中にありやがんだこの便器は。
嫌がらせか? それともこの部屋はもともと便所なのか?」
ラグナロクが言うのも尤もでした。クロナの倒れ込んでいる粗末なソファともベッドとも付かぬ朽ちたスポンジの塊とともに、何故か便器が部屋のど真ん中に設置されており、それは見るからにちぐはぐでおかしな配置なのです。
壁は一面茶色のレンガで、その一部だけうす灰色の鉄のドアがありましたが、そこにはのぞき窓すらなく、そこが開いて中に入れられたのかもラグナロクは知りませんでした。
「まったく、このクソッタレな風景は死武専でげっぷが出るほど見たってのに……メデューサの慎重さときたら筋金入りだな」
彼は誰ともなく独り言をつぶやいて、高い高い壁の上にポツンとある小さな採光用の窓から射す短い陽を見ました。
「あの胸糞の悪い『お泊り室』の方が余程人道的だぜ」
彼の言う『お泊り室』とは、彼らがここに連れてこられる前に住んでいた場所の名前です。
そこは愉快そうな名を付けられていましたが、ラグナロクに言わせれば全くもって牢屋と違うところなど見い出せない、粗末で寒々しい小さな石造りの部屋でした。古臭い机と椅子が一揃い、そしてベッドがあるばかりで、少しも楽しいことなどありません。
ただ時々、ところどころ錆びたドアが鳴ると、クロナは身体をびくりと震わせて飛び起きるのです。大抵朝は教員と名乗る大柄の顔色が悪い男や小柄で片目が悪いと思われる女でしたが、昼や夕方になれば髪を二つ括りにした子供と、白い髪の目つきの悪い子供が連れ立ってやって来る事もありました。クロナはそれを心待ちにしていて、ラグナロクも子供たちが持ってくるバスケットの中身には興味がありましたので、ドアが鳴る事について、さほど吝かではありませんでした。
しかし。
ラグナロクが一日にドアが鳴るのを嫌がる時間があります。
それは闇の深い深い深夜です。
そんな頃に鉄のドアが遠慮がちに鳴ると、クロナは決まってラグナロクに話しかけました。
<ねぇラグナロク、ドアが鳴っているよ>
彼はそんな事をいちいち自分に確かめるクロナに腹を立てますので、決まってこう返します。
≪気のせいだ、つまらん幻聴など忘れて寝ろ≫
しばらくするとまたドアが鳴ります。今度は確かめるように。
<ねぇラグナロク、やっぱり聞こえるよ>
もちろん彼にも聞こえておりますが、頑としてそれを認めません。
≪いいや俺様には何も聞こえん。きっと夢を見たのだ≫
そして最後には、堪りかねるようにドアが鳴ります。
こうなってしまえば最早ラグナロクに話しかけることに焦れったくなったクロナはベッドを飛び出してドアに飛びつきました。
こんな時間に友達の部屋を訪ねる不躾け者はたった一人と決まっています。
ラグナロクはその無法者が大嫌いでした。
真っ黒の頭に真っ黒の服、金の目と髪に少しの混じり気もない白い線が三本、つんと澄ました鋭い眼光と潔癖そうな面構えが癪に障るその男の子は死神の息子で、本人も未熟ではありましたが死神でした。
ラグナロクは最初、死神の秩序を壊すためには死神と真っ向勝負するよりも、息子を人質にとって死神を脅そうと考えておりましたが、クロナの力では息子を自由にするには万全でないのに気付き、少し趣向を変えました。
つまり、死神の息子と魔女の子を離れがたく結びつけることでした。力や魂で敵わないのならば、心、特に情で自由にしてやろうと考えたのです。
それは果たして上手くゆきました。
死神の息子は魔女の子クロナに心を許し、魔女の子は死神キッドに心を打ち明け、互いに魂を委ねたのです。
ラグナロクはその企みが思いの通りに滞りなく運び、ひどく面白がって二人がどんどん親密に心を通い合わせることの手伝いをしましたので、万事好都合にゆきました。
いえ、ゆき過ぎました。
二人はラグナロクが口を差し挟まなくとも互いの身の上を語り、少しの隙間もなくぴったりと身体を寄せる日もありました。そしてこう話すのです。いつか世界が穏やかになるように力を合わせようではないかと。
こうなって来るとラグナロクの思惑からは少し違う方向に話が進んでしまいます。彼はクロナに魔女の子の本分であるところの『波乱をもたらす使命』を忘れてはならぬと説きましたが、最早クロナはこの街の人間や死神の虜のようになっておりましたのでラグナロクの言葉など聞きません。
ラグナロクは生まれたその日から決して離れることのない同居人の心がはっきりと自分から離れる瞬間を感じました。
それは怒りと妬みと癇癪と僻みと不信と裏切りと憤慨と恨めしさに朦朧とするような気持ちの他に、彼には言い表せない“えも言えぬ感情”でラグナロクを打ちのめしました。
ですが彼は良し悪しさておき、立派な信念で自らの感情をそう易々と外に出しません。ですから如何に同居人のクロナと言えど、ラグナロクが何を思い、何を考えているのかを窺い知ることはできませんでした。
そしてあの運命の日の深夜!
クロナは小さく縮んだ蛇の魔女に再び出会いました。そして思い出さねばならぬことを思い出したのです。
ラグナロク自身が何度もクロナに言い聞かせたことを。
『運命は足が速い。息を止めぬ限り、いつでも鎌首をもたげて襲いかかって来る』
「いつだったかな。ああ、死武専の部屋に一日中閉じこもってた日だ」
ラグナロクがさも今思い出したかのようにそう言うと、ここへ来てから初めてクロナが自分から動きました。動いたと言っても、体をびくっと震わせただけですが。
「さすがのお節介な鎌コンビも来なかったなぁ」
それを見て、彼は少し何かを考え、また素知らぬ風にして“独り言”を続けます。
「確か異常気象の大雨で、デスシティ全体に外出禁止令が出るくらいだった」
彼らの居る“部屋”は円筒形をしていましたので、ラグナロクの声はよく響きました。
「で、そんな大雨の中を馬鹿がレインコートの中身もずぶ濡れにしてやって来た」
乱反響する音は、まるで映画の演出のようにゆらゆらと歪んでクロナの鼓膜を震わせます。
「間抜けな話だ、そんじょそこいらの建物なんか目じゃねぇくらい頑丈で高台にある死武専にいる奴が心配だと抜かして自分が濡れ鼠になってりゃ世話ねぇぜ」
ラグナロクは全く動かないクロナを無視したまま、口を動かし続けました。何故だかはラグナロクにも解りません。
「拭く物も着替える服もない部屋の前に佇んで……ありゃ立派なストーカーになる逸材だ」
暇つぶしや嫌がらせならば彼はもっと上手くやったに違いないのですが。
「ベッドに誘わせるテクニックだったってなら、立派なジゴロになる」
二人で毛布と布団を頭から被って、昔は鉄格子でも嵌っていそうな形の窓を打つ雨の音を聞いていた。
キッドは微かにふんわりと甘い香水の匂いがして、それは体温に暖められて布団の中に充満した。
クロナはその匂いに覚えがあったものだから、あえてその話題には触れずに居た。
布団には自分の匂いと、甘い香水の匂い、それから微かにそれ以外の匂い。それこそがキッドの匂いに違いなかったけれど、クロナはそれを確証できない。
クロナが身を捩ると、皮膚のどこかがキッドに触れた。触れたキッドの身体は芯から冷たく、身震いするほどだったけれど、クロナはそのことにも触れない。
ただ二人で布団を共有し、暖かさを共有し、ただそれだけ。
寒さから逃れて、二人で雨宿りでもするかのように。
「へっくしゅん!」
唐突にキッドがくしゃみをした。短く失礼、とそれだけ言ってまたキッドが黙った。
クロナは何故かもう少し寄れば? と言うことを躊躇した。隣にいるのがマカだったのならば、何もためらわなかったろうに。
「……あの時、もしも僕が寄ればって言えたら……何か変わってたかな」
クロナがようやく口を開き、焦点の合わない半分閉じたような揺れる瞳と掠れて引っ掛かったような低い声で誰ともなくそう言いました。
疑問形の体を成してはいたが、おそらく尋ねたのではないでしょう。何故ならば尋ねたところで何の意味もないことはクロナが一番よく知っているのですから。
ですが、その疑問に応える者がありました。
この“部屋”の唯一の同居人です。
「死神小僧の出席日数が三日減らない程度にはな。
それだけだ、それ以上は何も変わらん。希望を持ちたいのなら夢みたいなことじゃなく、実際的に頭を回せ。たとえばこの胸糞の悪い部屋を出る算段とかよ」
「………………」
クロナはまたそれ以上動かなくなりました。痺れたように唇を微かに動かし、ただそれだけです。
「………………」
しばらくその様子を見るでもなく視界に入れていたラグナロクも“独り言”に飽きてしまったのか、口を噤んでクロナのからだの中へと還っていきました。
あとはじっとりと蒸し暑く、薄暗いだけで便器と朽ちたスポンジの塊以外何もない部屋に無為な時間が降り積もるだけです。
終わったので消しました
Tow
マリー=ミョルニルの日常
愛の戦士は愛のためにしか戦わない
「お、おいおいマリー姉ちゃん、こんなとこで誘惑されても困るぞ」
「バカ言ってないで足元よく見てなさい」
じゃり、と足裏のコンクリート・タイルが鳴る。
今月に入ってもう3回目の決闘の審判。彼の勝負に立ち会うのはもう片手では足りなくなっていた。
「キミは元々の力が強いから力の流れに無頓着な所があるわ。ロスが生じてるの。一番重要なのは足で大地を掴むこと。足の裏から腰までの力を上半身に無駄なく送ったり戻したり出来れば上々」
私は電気信号や神経の操作が出来るとはいえ、それを他人に伝えるには理論が必要だ。
「背筋や脊椎を意識して、そこを力が伝わるよう意識しながら型の練習をするといいわ。私は本式に武道を習ったことはないけれど、これでも学生時代体育の組手じゃ負け知らずだったのよ」
かかとと足先の捌き方を何度か見せ、その後で腿を上げた瞬間に拳を振り下ろすように一歩進む。
ばしん、とコンクリート・タイルがたった一回ビリビリと震え四角く砂埃が舞った。
ふむふむ、昔取った杵柄はまだ錆びついてはいないようね。
「…………そんなもん」
ブラックスターが踵を振り下ろすと、ボコッと大きな音を立ててタイルが割れ、砂煙が立つ。
「……観察眼がないわねー。もう一度よく見なさいよ?」
ばしん、もう一度コンクリート・タイルに足を滑らせ上半身の反動だけで力を込めると、踏んだタイルと隣接するタイルの隙間から、溶けたアイスクリームみたいにもうもうと砂埃が噴き出す。
「無駄な力が入ってるからタイルが割れるの。もっとタイル全体に行き渡らせる様に力を制御しなさい」
ぽかんとした顔がおかしくて笑いそうになったけど、我慢ガマン。
「……………………マリー姉ちゃんって魔武器じゃ力強い方?」
「ビリから数えた方が早い」
「……チッ、デスサイズってのは化け物揃いだな……」
ふいと顔を逸らしてしまった後だから彼の表情は解らないけれど、あからさまに唇をとんがらかした声。
素直な性格で大変よろしい。
もはや上級生のそこそこ戦える程度の職人では全く歯が立たないほど、彼は強い。決闘相手に事欠くものだから、ほとんど言い掛かりに近い喧嘩を売ってまで格上の相手を挑発するので職員の中で少々話題を集めている。死神様から“なんとな〜く波長に親和性がありそうだから〜それとな〜く担当者っぽいポジションで見守ってて〜”と私が仰せつかったのは……多分、シュタインと同じ理屈だろう。
「慣れないウチは裸足で。そのうち靴下履いても靴履いても出来るし、鍛練すればこんなヒールの高いブーツでも出来るかもよ」
ブーツを拾い、足の砂を払ってスカートを下すと、ブラックスターは口の中でぶつぶつと言いながら靴を履いたままコンクリート・タイルを何度か渾身の力で踏みつけているようだったが、もちろん煙はおろかタイルが振動さえしない。
「足裏を浮かせちゃだめよ。上からの圧力だけ」
「……マリー姉ちゃんの特技でやったんじゃねーの、これ?」
注意を遮るようにブラックスターが上半身を振り子のように揺らしながらタイルを踏む。
「上半身にだけ力を入れてはだめよ。下半身の力も効率よく全身に流してそれを使うの。ポイントは中心線と腰」
くいくいと二度ほど腰を振っておどけてみせる。ふと顔を上げると遠くに赤紫色の雲が煌々と輝いていて、埃っぽい風が髪を二度ほど揺らした。
「……で?」
「はい?」
鼻の頭に少ししわを寄せてブラックスターが嫌そうに尋ねてきたので、急な空気の変化に間の抜けた声が出る。
「いいもの見せてやったからって、お駄賃ねだるんだろ?」
ぎょっとして思わず唇を噛んでしまった。
「キッドにもトンプソン姉妹にも上級職人の監視がいーっぱいついてる。マカコンビにはブレアが居る。クロナにはウンザリするほど行動制限がある。……俺様と、椿に御付きが居ない訳ねぇよ」
なんだ知っているのか。
ポンと、その言葉だけが頭に浮かんだ。
死神様やデスサイズス、死武専の教員たちが必死で隠していることを。
何だ、哂っているのか。
子供を守ろうと足掻き、不安にさせまいと浅ましく広げたシーツを意気揚々と自慢げにしゃくり取って高く掲げる無神経。
ああくそっ子供なんて嫌いだわ。
何たる無知か、なんたる無礼か、なんたる――――――――無様!
「……周りが見えて違和感を言葉で伝えられるようになったら学生卒業なんていうけ」
「ごまかすなよマリー姉ちゃん」
それでもマニュアルに従ってニコリと笑い、逸らすための褒め言葉を垂れ流そうとした鼻を木で括るような牽制。
「………………そうね、悪かったわ。
別に監視員というわけじゃないけど死神様からあなたを見守るように言われてる。……けど、罪滅ぼしにコレを教えたんじゃないのよ。いち教師として当然のことをしたまで」
渋い顔をして、別にマリー姉ちゃんの仕事を責めてんじゃねぇ……とブラックスターが珍しく語尾を濁した。
「ただ、友達を売るような奴だと思われたのが癪なだけ」
死武専の大人たち、少なくとも彼らに直接接する人々は、キッドとクロナの動向に異常なほど過敏だ。
波瀾を望み仕掛ける魔女メデューサの実子であり、鬼神の卵であるクロナ。
規律を敷き世界を統治する死神様の息子であり、次代を担う死神であるキッド。
水と油、ニトロと衝撃、犬と猿……二人の立場はシェイクスピアの戯曲より性質が悪い。なんたってこの世界は子供二人が毒とナイフで命を断てば、蛇の魔女の目論見通り確実に混沌に沈む脆さなのだから!
そんな世界をたった一人抱え込んでいる死神様はそれでも笑い……決して不安を撒きはしない。アレが大人だ。目指すべきものだ。確固たる標だ。
死武専に教師として赴任してきて、自分の驕りを幾度挫かれたか知れない。子供に立ち向かうということはなんて恐ろしいのだろう。まるで自分の正義を、信念を借問されているよう。
だけど、だからこそ私は自分の信じるものを信じる。
これが正義と言い切ってやる。
大人の都合で子供を監視し、大人の都合で世界を動かし、傷付いた子供に我慢しろ堪えろとしか言えない醜さ、そうしてしか守ってやれない無力に嘆き苦しむ死神様の手となり足となるためのデスサイズス。
私は死神の槌、マリー・ミョルニル。
「死神様はキッドの事もクロナの事も私の事もブラックスターの事も、同じように心を砕いて下さるわ。私たち……いえ、私はそれに殉じたいだけ。
スパイと思えば思っても構わないけれど、思い出して。死神様が一度でも死武専生の不利になることをしたかしら」
強い調子でもなければ大きくもない普通の声に、何故かブラックスターは眉を緩めて呼吸を整える。背筋を伸ばしてきちんとした何かの武術だろうものの型を執った。
線を引いたのか。
身を正したのか。
気を張ったのか。
理由は解らなかったけれど、彼は表情を変える。
「クロナの詳しい話ならマカかソウルのが知ってるし、キッドの深い話ならリズかパティに教えて貰えばいい」
ブラックスターは熱心に体中の力を練り、細く息を吐き、心を細く編み上げてゆく。
「俺が解ってるのはあの二人が今幸せだってことだけだ」
力の流れは筋肉に漲り、表情を厳しくさせ、眼差しを鋭く研いだ。まるで一つの刃のように、全身から引き潮のように無駄なものが削ぎ落とされてゆく、ブラックスターの言葉無き雄弁は、どこか、切ない。
「…………幸せ、なのかしら」
髪が靡く。静かな世界。空が淡く曇り染まっている。
「新しく友達が出来る、こんな幸せな事があるもんか」
素早く言い切って、あなたはそれで納得しているのか、と問おうとした。それよりも先に彼が再び斬り込んでそれは叶わなかったけれど。
「泣くの後悔もあいつらのもんだ」
真っ当な正論は氷点下の冷たさで、甘くふにゃふにゃとした他人事を吐く私の薄皮を裂く。
……痛い。
「私は出来るなら、あの二人に……これから先長くこの世に在り続けるキッドとクロナの未来から小石を取り除いてあげたい――――――――って、生徒に向かって何言ってん」
痛みにおどけて笑ってうやむやにしようとして、ブラックスターの方を向くと。
彼は怒ったように私の目を見ている。
「の、かし、ら……」
出そこなったおちゃらけが粉々に砕かれて弾かれて、みっともなく自分の前に散らばった。
「マリー姉ちゃん」
少し孕んでいた怒気を払い落とすように深呼吸で言葉を切り。
「集中したい。あっち行って」
「………………はい……すいません……」
きっぱり突き放された私はすごすごと下駄箱やロッカーのある入り口のドア付近まで歩く。
ああなんと己の無力な事よ。
ああ呪わしきは無知な自分。
ああ穴があったら入りたい!
「俺は武神だ! 幸せを壊そうとする理不尽をぶっ飛ばす戦いの神だ! 俺様が友達なんだから泣こうが喚こうが、そいつは幸せなんだ!」
曲げた背の向こう側で、慰めのような怒鳴り声が聞こえた。
かなしみのしみかな
スピリット先輩がブラックスターの事を評した。
『迷って歪んでも構わずにどこまでも突き進んでしまう怖さがある』
彼の恐ろしさは、私が昔ジャスティンに感じたものによく似ていた。
例えるならばリーチも貫通力もある代わりに刃が限られた場所にしかない槍のような不安。
彼らは必ず距離を置く。
人当たりのいい笑顔を張り付けながら、どこか誰にも開けない門を持ったお屋敷を思わせる。
一途でまっすぐで真摯で彼らは彼ら以外の何者であろうともしない。
ブラックスターを例にとれば、彼は物理的な“力”以外、特殊能力(例えば魂感知や変則波長、武器を選ばない柔軟性、平均以上の特異知識、或いは種族的優位性)は何も持っていない。
言い方は悪いが、単なる人間だ。
……確かに出身が少々変わってると言えなくもないが、そんなもの遺伝子に書いてる訳じゃない。
普通だ。
何の変哲もない、我々と同じ物のはずなのに。
「――――――――寂しくないのね」
具体的に彼のことで知っているのは数枚のレジュメに書かれていた出生のことと、死武専に赴任した後に提出された反省文を読んだくらい。どういう性格で何を考えているかなんてさっぱりわからないものだから、観察して理解して仲良くなるしかない!……と、決闘に可能な限り付き合ったり、こうして自主トレの監督などしている。
パートナーの中務椿に性格や資質がちょっと似てるからと、どっかの煙草くさい誰かや子煩悩などちら様かが推薦したとかしないとか小耳に挟んだけれど、この際気にしないことにした。
「……マリー先生」
ハッとして顔を上げると、そこには銀髪で目つきの悪い少年がいた。片手に何やら重そうなバッグを下げてぼんやり立っている。
「椿がこれブラックスターに持ってけって」
聞いてもないのに彼はそう言って何故か私の隣に腰を下ろす。
「………………」
「………………」
夕日のオレンジとブラックスターの影の藤色がブリック・ロードに七転八倒するのを二人で見ている。乾いた風が時々埃を巻き上げては視界を細くした。
「胸の傷、ラグナロクで斬り付けられたんでしょう……殺す気で」
我ながらなんちゅう最悪な話の切り出し方か、とウンザリしちゃうわ。数枚のレジュメに書かれている情報だけでヒト一人を理解しろってんだから教師という職業に対する世間の無茶振りっぷりに歯噛みする。
「………………まぁね」
ほら、苦虫を噛み潰したような渋〜い顔。
「怨んでないの?」
ここで教師として働き出して早一ヶ月。もちろんこの銀髪の少年――――ソウル=イーター――――とも多少の面識と会話くらいある。でもそれは仲のいい友人や近所付き合いで親しくしている隣人としてではない。教師と生徒としてだ。
自分なら先生に『お前、友達に怪我させられてなんでヘラヘラ笑ってんだ?』とか唐突に訊かれたら確実に敵認定するなぁ……ほんと、自分の教師としてのスキルの低さに死にたくなるわ……
恐ろしくて顔も見れず、意味もなくブラックスターの演武を凝視している私を哀れに思ったのか。ソウルが本当に嫌そーに一拍置いて深〜い溜息ついて。
「変身した瞬間から俺は相手を殺すつもりで挑んでた。クロナやラグナロクだって同じように命を賭けてた。むしろ負けたのに結局死んでなくてラッキー」
と、言った。
……なんて素晴らしい感情の付け入る隙を排した模範解答!
(というか、模範解答しか答えてくれない……と言った方が正しいか、コレは)
胸の中でそれだけ呟く。
「痛かったし、学校やマカや友達に迷惑も心配もかけて申し訳なかったけど、それをあいつらに背負わせるのは卑怯だろ。俺が死にかけたのは自分のチームの未熟さのせいなのに」
続けられた補足は、頭の中を見抜かれたかのように欠落していた情報を埋めるものだった。
(この子、結構頭の回転速いわ)
嫌味とは違うにしても、冷淡な感想が頭の中を支配する。この年恰好で自分自身の置かれている空間と状況をかなり立体的に捉えている。冷静さと分析力は、さすが超筆記試験第一位職人のパートナーの貫録と言った所か。
「ゲーム感覚ね」
そのあまりの優等生ぶりが少し癪に障ったものだから、意地の悪いことを言ってみた。ガキの癖に達観した振りなんかするもんじゃないわよ。
「違う。これが俺なりの正々堂々なんだ」
「死ぬのは怖かったでしょう? クロナの立ち位置がほんの少し違っていたらあなたはマカごと重ねて4つになってたのよ」
「当たり前だ、もっぺん同じコトしろって言われても多分出来ない……」
砂の陵に火の玉が食われてゆくのを見ている。互いに顔など見ず。
戦闘員クラスに在籍している限り、死とはいつだって隣り合わせのはずだ。
だけどEATクラスは何故か雰囲気がフワフワと頼りなく明るい。まるで自分達が死ぬだなんてこれっぽっちも思っていないかのよう。
“死神が殺してもいいとレッテルを貼り付けた悪人”と言えど、自分が人を殺しているという現実から目を背けているのかも知れない。
「でもだから必死でそうならないように考える。本当に必死に考えるようになった。命を刈るって事を真剣に考えるようになった。……だから、クロナに八当たりするのはやめたんだ」
――――――――私が学生だった頃は……きっともっと不真面目だったわね。
魔女の数と被害は今より多かったけれど、鬼神も狂気爆発も夢物語だった。魔道具も、死神様の世代交代も、世界の終わりも……。
そこまで思って胸が締め付けられる。この子たちが直面しているこんな現実を作ったのはもしかしたら自分なのかも知れない。
「職人どもははっきり言って人間の限界異常。本当にめちゃくちゃな集中力や強さを持ってる。
だけど……いや“だから”一度でもバランスを崩したら終わりなんだ。他人を信じられなくなったらそこで死んでしまう」
“魔武器”としての苦悩、なんてちょっと頭のいい奴なら気取ってレポートのタイトルに書いちゃうソレがリアルに感じられる人間が今この世界に如何ほど居るのだろうか? 武器と職人は2人で一つ、そんな風に教科書には書いてある。だけどそれがどれだけ恐ろしいことか、身をもって知っているコンビがどれだけいるんだろう?
少なくとも、この子は知っている。
死神様のリストに載ってる名前と、自分と、パートナー。それは全部等価値なのだと。
「俺はマカみたくカワイソウとか救ってやりたいとかは思ってない。
……ブラックスターなんてもっとハッキリしてるぜ。クロナの嫌いなところは自分から行動しない所だとさ」
レジュメに記載のない彼についての項目が一つあることを私は知っている。
『ソウル=イーターの身体にはクロナによって付けられた傷によって入り込んだ魔女の呪いが存在していて、その狂気を呼ぶ黒い血はいつか彼を食い破るかもしれない』
「……あなたは何故クロナを助けたいと思うの?」
先の台詞を聞いた上で私は訊ねた。
まっすぐに赤い目を見て、何も逸らさず、直球で。
「――――――――」
絶句した白い髪の少年が白いまつげを少し下ろそうかと逡巡しているのを見る。答え以外、言わせないぞと強くにらみを利かせて。
本当はきっと怨んでいる。本心ではクロナを、ラグナロクを憎んでいる。それがどんだけ小さな物であったとしても、彼の胸には何かが閊えているはずだ。そうでなければ何故“可哀想”“救ってやりたい”なんて言葉を使うのか。何故ソレをわざわざ否定していると私に言うのか。
どうでもいいなら、ブラックスターのスタンスまで引き合いに出して強調する訳がない。
白い髪の中にある葛藤が透けて見える。
相棒のこと、世界の状況、自分の立場、それから……
「……生まれた時から理不尽と不条理は誰でも持ってるけど、あいつの背負ってるもんがあまりにも重たそうで不憫だから手を貸してやりたい。
……そんだけ」
誰かを煩わせるくらいなら自分が我慢することを選んじゃうのか、この子は。
「――――――――きみは優しいんだねぇ……」
頭をガシガシ髪まわすように撫でてやると、一瞬だけされるがままに撫で繰りまわされていたのに、ひずんだ変な声でヤメロ!と叫んだ。
「あんた生徒にそんなこと聞いて回ってんの? ブレアでももうちょっと気を使って探るぜ」
今更そんな風に気取って見せたって二倍間が抜けるだけだわ! と笑ってしまいそうになるけれど、彼のプライドに免じてぐっと堪える。
「ブラックスターにも同じこと言われた。こういう仕事向いてないのよ致命的に」
「……ちょっとは話してもいい。但し、もう俺たちの誰ともそんな話をしないことが条件だけど」
フン、と彼が鼻をひとつ鳴らす。
ありゃ……ちょっと心を許してくれたのかしら。
「あんたそうやっていつも盾やってるの? 潰れちゃうわよ」
「食えない女」
悪かったなこの野郎。
「いいわ、マカにもパティにも誰にもこの話題は振りません。……これでいい?」
「……何故その二人を強調する……」
「さて、何故かしら? 不思議だわ!」
ケラケラケラーと笑うと、彼が更に苦虫を噛み潰した顔を酷くした。
「ぶっちゃけると、キッドとクロナが最近妙に仲いいのをね、死武専内にチクチク言う嫌な大人が居るの。そんで二人の微妙な立場を死神様が心配なさってるから、私が嗅ぎ回ってるわけ」
犬と呼んで頂戴。おどけてそんな風に茶化したけれど、何故かソウルは神妙な顔つき。
「………………俺も特別何か知ってるわけじゃない。時々ブラックスターと二人でからかう程度さ。
いつキスしたとか、どうやって告白したとか、そういうしょーもない事を根掘り葉掘り聞いてキッドが嫌そうな顔をするのを楽しんでるだけだ」
……おお、協力してくれるのか……
少し驚いたけれど、すぐに理解した。この子は頭の回転が速い。下手に隠して小出しにするより、目当ての大物をさっさと出して探られたくない腹を庇うつもりなのだ。
――――――――ふぅん……いい戦略ね、可愛くない。
「じゃあかなり確信的な事を聞いていい?」
「……どうぞ」
「あの二人避妊してるのかしら」
ブホェァ!
盛大に吹き出したな、また。
「あ、な、……きょ、教師の言葉かっそれがっ!!」
「大切な事よ。というか最重要項目だわ」
頭を抱えながら唸って悶えるソウルを横目で見ながら、視線をまたブラックスターの方に向けると、彼もまたなんだなんだという表情でこっちを見ている。わはは、愉快愉快。
「――――――――し、してるんじゃねぇの。3人呼び出されてデスサイズに、コ……ひ、避妊具を貰ったことあるし……っつーか筒抜けかよ!?」
ああもう最悪だぁ! 小声で絶望満載の絶叫。うんうん解る解る。その年で学校の先生にオノレの色恋沙汰や性生活が丸裸とか死にたくなるわよね。ざまぁ!
ヒヒヒ、と特別悪い顔をして笑った。おねーさんだって酔狂で歳食ってるワケじゃないのよ、ボクぅ。
「あっ……も、もしかして釣られた?」
「心配ないわ。疑惑に具体的裏付けが取れただけだから」
「――――――――キッドに殺されるかも俺……」
憂鬱そうな顔でワザとらしく凹んで見せる余裕があるってんだから、ホントこいついい性格してるわ。
「内部通告者の情報は守るから安心してちょうだい。……で、もう一ついいかしら」
「……どうぞ」
ぶすっとふくれっ面のソウルに、私が本当に聞きたいことをぶつける。
死武専の教師ではなく、デスサイズスではなく、マリー=ミョルニルが知りたい事を。
「あの二人は幸せかしら」
「そんなの決まってる」
永遠を錯覚させる一呼吸の後、ソウルは赤い目を閉じて諳んじた。
「今際の際にしか解らない」
つづく。
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