平和島静雄 と ヴァローナ と 田中トム
最近、静雄が変だ。
……いや、むしろマトモだ、と表現した方が適切なのかも知れないが。
ともかく今までの状況でないことは確かである。
「だからね、トムさん。俺ァ思うんですよ。ある意味であのミノ蟲野郎と自分はそう変わったものでもねぇんじゃねーかって」
日本国でモンゴロイドして生を受けた社会人にあるまじき愉快な髪の色をした部下の男が、茶のなみなみと注がれた耐熱グラスを両手で握りながら然も深刻そうな口調で言った。
違うだろ。お前には明確な悪意なんか誰かに向けたりしないし、あの情報屋は静かに暮らしたいなんてこれっぽっちも思っちゃいねぇよ。
思いつつも俺は何も言わずビールグラスを傾けるだけ。
「あいつは情報って暴力で身を固めてる。俺は腕力だ。どっちもブン回せば誰かが必ず怪我をする。そんで自分が痛くなる」
だから、それを理解してなんとか引っこめようとしてるお前と、暴力の価値を承知してブン回してるあいつじゃ別モンだって。
思いつつもやっぱり俺は枝豆なんぞ剥いて黙っている。
「俺はこないだチョットしたことがあってですね、情報の暴力をブン回したんですよ」
「……へェ」
ヴァローナが部下に付くか付かないかの頃、静雄がブン回した“情報の暴力”。
(俺自身が社長と一緒にそれに一枚噛んでいるのは誰にも内緒だ)
ソレを経て、静雄がちょっと変化したからこそ“最近静雄がヘン”なのだろう。
「ありゃ、たまんねぇ。本当に、胸が痛くなる。……思い出す度に吐き気がする……」
だろうな。お前はその鋼より強い身体で受け止めらんない衝撃は全部心で吸収しちまう上に、精神的な打たれ弱さって弱点があるもの。そこん所の守りを重点的に固めてきた奴の戦法じゃ自爆すんのが落ちだよ。
頭の中でだけ、そう言う。
「俺はミノ蟲が大っ嫌いっす。全身に震えが来るほど胸糞が悪い。……だけどね、だけどですよトムさん。これが同族嫌悪だとしたらどーでしょうか? あいつは好奇心だとか快楽ってのを我慢できねぇ。俺が怒りや不愉快を収められないのと同じように」
……ムズカシイこと考えるなよ。お前、頭悪いんだから。
「なんだそりゃ。同情か?」
解っていながら解らない振りをするのは多少心が痛んだが、事実をばらす訳にもいかない。ここは敢えて冷や水ぶっ掛けるぜ。
「違いますよ、単純に俺が事実だと思ってるだけっス」
「じゃあ採点してやろう。いいとこ10点だ静雄。もちろん100点満点でだぞ」
「はは、10点あるんスか」
静雄の溜息が混じった笑い声は乾いていて、そこに諦めや落胆に混じって安堵を見て取れた。10点あって良かった、というものと――――――――10点しかなくて良かった、という両方の。
「まず第一に、意識の在り方だ。お前は粗野でバカだが善人だ。そりゃもう笑っちまうくらいにな。第二に、行動そのものだ。情報屋は自分の利益の為以外に動きやしない。第三に、お前にゃお前を肯定してくれる友達が居る。この違いはでかいぞ」
こいつは“褒められることの少ない人生を歩んできたサビシー奴”にしか効かない薬を欲しがっている。簡単で単純な肯定の言葉。……男が欲しがる訳にはいかんと歯を食いしばって我慢した所は偉いよ、尊敬に値する。
それでずいぶんとしなくていい遠回りをした大馬鹿っぷりも含めてな。
「……で、俺とミノ蟲が同類項で括れるってのは否定してくんないんですね」
ふっと息を吐いて頭をかいている仕草が子供っぽくて笑えた。
「お前がそれに囚われてる限りはな。自分からそのワケの分らん妄想をブン投げられるようになったらいくらでも否定してやるよ」
俺は言いつつ、グラスに残った最後の一口を飲み干すと、俺の隣でへたばっていたヴァローナがむくりと起き上がって唐突に声を上げた。
「もう一つです、先輩」
「あ? なんだ、酔い潰れたと思ってた」
「否定です。ウォトカに比べれば日本酒、子供の飲み物です」
「おいヴァローナ、目ェ飛んでるぞお前」
俺を一足飛びにして静雄に睨みを利かせているつもりなのだろうが、紅い顔の美人が半目になってヘロヘロなのは庇護欲と別の欲しか喚起しないぞ、ヴァローナ。
「先輩には攻略するだけの価値があります。征服する事によって生まれる意義が。ですからそのモノムシとやらが絡んでくるのです」
「……価値、ねぇ。俺ァ単なる力自慢で頭の悪いチンピラサラリーマンだ」
「ですが無敵です」
「おいおい、持ち上げ過ぎだ」
俺もそー思う。言ったら怖いから言わないけど。
「では問いますがこの街であなた以上に名を売っている者、居ますか? 私はここに来てまだ日が浅く、ですが先輩以上派手な人物、黒バイク以外見た事ありません」
「…………否定はしねぇよ」
「自分の意志に関わらず他人に影響を与えてしまうという意味でも先輩は価値があるのです」
「クソみてぇな値段だな」
「訂正を求めます。それは価値観の違いです。誰かにとって金魚はただの慰み物ですが、他の誰かにとっては研究成果です。先輩にエッシャーの絵の前で3時間正座を要求します。想像力、足りてません」
面白いのでやり合いをほったらかしにして観客に徹していたが、いつもより饒舌なヴァローナの目がだんだん据わり始めている。……こりゃ相当酔ってんな……。
「トムさん、えっしゃーってなんですか?」
おい、こっちにハナシ振るな。とばっちり食いたくねェから黙ってるのに。
「あー? 確か……騙し絵描いてる画家がそんな名前だったような気がする。図工の時間に見たことないか? 階段を上ってる兵士を目で追ってたらいつの間にか階段を降りてた、みたいなやつ。あれだろ多分」
「……それの前でなんで正座?」
――――――――駄目だこいつ。
「怒ってるんだろ」
「???」
「わっかんねぇかな。こいつはこいつなりにお前を褒めてんだよ。それを否定されてムッときたのさ」
「ほ、ほめ……? なんで?」
「お前だって好きな女を貶されりゃ怒るだろ。その逆だよ」
「……す……………………っ!?」
なんだまだ気付いてなかったのか、勿体ない。こいつ多分今までこーやって数々のフラグをブチ折ってきたんだろうな、人生で。
たまには回収してやれよ。
「あの小学生の女の子といい、モテ期だな静雄。お羨ましーい」
「トムさん……酔ってんスか? おいヴァローナ、お前も怖い顔して黙ってないで何とか言えよ!」
「……まだ、その、彼氏がいる女に未練あんのか?」
あんなに酷い目に遭わされたのに(一枚噛んでる俺に言えた義理ではないけれど)、それでもまだ引きずってるなんてお前、意外に粘着質だなぁ。
「酔ってるっスね、絶対」
「あんのかよ?」
「……さぁ。どうでしょう」
視線を空とぼけた風に虚空にやり、温くなっているだろう冷酒を煽る静雄はいつもの勢いや威圧感なんかからっきし見当たらない。
ただのチンケなしょーもないヘタレ男だ。
……多分これが平和島静雄という男の本性なんだろうなとロマンチックな事を思った。
「――――――――そっか。そりゃ、茨道だな。
人生の先輩として、男の道ってのを教えてやるよ静雄。女を泣かせる男はクソだ。お前の仇よりクソだ。覚えとけ」
言ったら突いてた肩肘からぐたっと頭を落としてカウンターに額をぶつける。おお、今日一番鈍い音だな静雄。
「今一生懸命忘れよーとしてんだから、追い打ち掛けないで下さいよ……」
静雄、お前の運命ってヤツは多分、お前の望みの有象無象を簡単には許しちゃくれねぇよ。高望みは戦わなきゃ手に入らない。“どうしても戦うのが嫌ならば”諦めなくちゃいけねぇんだ。
「おいヴァローナ、ガンガン押せ。押して押して押しまくれ。その無敵のオッパイでこの不倫男を籠絡しろ。なぁに、こいつはこう見えて母性に飢えてる。その辺りで攻略だ」
言ったら額を摩りながら冷酒を口に含んでた静雄が思いっきり噎せた。うんうん、酒が粘膜に入り込むとモノスゲー痛いよなぁ。解るよ静雄クン。
「それは重畳。私の無駄にでかい胸、ようやく日の目を見ます」
ヴァローナが真顔に近くそう言って納得したら、追いかけるように静雄がまた大きく咳き込んだ。
「……もうやだこの会社……」
期せずして缶コーヒーの復讐を果たした俺は、机に突っ伏してしまった部下のへこみ具合を肴に大いに笑ったのだった。
09:56 2010/05/31(加筆修正 12:03 2010/08/10・17:07 2010/11/17)
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