首領パッチ と ビュティ
1
おれは彼女を見ている。
じーっと見ている。
彼女はおれの視線には気付かない。
彼女の視線を追う。
特に特定の人間を追っている様子はない。
……まあ、特定の人間が彼女を目で追ってるのはイヤでも目に入るが。
ガキとバカ。時々ところてん。もっと時々田楽。意識して見ていないのが丸わかりのうんこ。おればっか見てるのが破天荒。で、おれ。
この所ガタガタしてたのも一息ついたので、のーんびり一週間ぱかし静かな村に滞在することになった。おれとしてはとっとと先に進んだ方が話が早いような気もするんだが、まあ女子供がいることもあり、条件付同意。
彼女がデッキチェアに浅く腰掛けて、グリーンティーなどちゅーちゅー吸っている。奮発して借りたコテージのテラスの向こう側の川でところてんとバカがガキをつついて遊んでいる。破天荒は籐の長いすを独り占めして顔に文庫本を広げて眠っている。……なんとまぁ平和な。
「……おいうんこ、お前は遊ばないのか?」
おれの隣で相変わらずむすっとした顔のまま、おれと同じような視線のクセに必死で“彼女を眺めてないフリ”をするうんこに声をかけた。
「このパーティは脳天気だな。毛狩り隊でも襲ってきたらどうする」
「で、お姫様の近衛兵気取りか?」
皮肉ったらしくおれが気楽に言ったら、うんこはにやりとニヒルに笑ってそうだ、と答えた。
「肩凝らない?」
「心配されるほど深刻にやっちゃない。単なる性分だ」
「フーン。そのワリにはえらい真剣だニャー」
「やるなら全力がおれのモットーなんでね」
コップの表面に玉の汗がずらりと並んだアイスティーを一口飲んだうんこがそれはそれはダンディに笑う。うんこなのにかっちょいー!パチ美胸きゅんしそーよ!助けてへっくん!
いい心がけだねー。おれは能天気に笑った。
2
「あ、首領パッチくん。ボーボボ見なかった?」
ビュティがおれと同じオレンジの眩しいパジャマを着て、そんな事を訊ねたのは夜も10時を回った頃だった。
「あ゛ァ? こんな時間になんの用だ、ガキはもうオネンネの時間だぞ」
「……んもう、なんでみんな最近急にあたしのこと子供扱いするのよ」
「お前がガキだからだろ」
取り付く島もなくぴしゃっと言い切ったおれは彼女の視線の動きを見る。……挙動不審ではない。
「だーかーらー、最近、っつってるでしょ。妙に腫れ物に触るよーに丁寧なのよねー」
首領パッチくんは前からだから気にならないけどさ。ため息一つ付いてボーボボの部屋に向かおうとする彼女の手を引いた。
「おいビュティ、おれの部屋で茶でも飲まねーか」
「……めずらしい、首領パッチくんがあたしを誘ってくれるなんて」
「昼間破天荒があんまりクソうるせーから睡眠薬飲ませたのはいいんだけど量間違えてまだ寝てやがってよー」
「……まさかとは思うけど昼間のまま外で寝てるんじゃないでしょうね」
「あたり。部屋に引っ張り込むの手伝って」
「――――――わかったよ」
呆れ顔でビュティはボーボボの部屋に持ってたバカの服を置いて、テラスに面したガラス戸を開けた。
「ナニ、お前洗濯までやってんの?」
「だってしょーがないじゃん、誰もしないんだもん」
「……お前は母ちゃんか」
「でもま、このくらい役に立たなきゃね」
籐の椅子でぐうぐう眠りこける破天荒をおれに背負わせて、ずるずる引きずるわけにも行かない足を持ってビュティがよいしょよいしょとおぼつかない足取りでついてくる。
「めんどくせえからお前の部屋にブチこもーぜ、ビュティ今日は破天荒の部屋で寝れ」
「えー。だって破天荒さん首領パッチ君の隣がいいって大騒ぎしたんじゃんか。怨まれちゃうよ」
「お前階段上がって一番奥のおれの部屋の隣までこのクソ重い男連れてく元気あるか?」
3
「ナイ」
「じゃあ我慢しろ。一階より広いしいいだろ」
「ブーブーブー!」
「二階の部屋は天窓があるわよ〜よかったわねビュティちゃん〜」
ビュティの部屋のドアを蹴りあけてベッドの上に破天荒を放り投げ、手近のものをポーチに詰めた彼女が部屋を出たのを見計らい、おれは外から鍵を閉めた。
「なんで鍵締めるの?」
「万 が 一 起 き た ら う る せ え か ら な」
何か言いたそうなビュティを抱えて二階へ上がる。足音を大きく立てて、ドアも大きく閉める。
「な、な、なんなの〜いったい〜」
ふわふわのラグのうえにぽんと投げ飛ばされたビュティが目を回してへたり込んだ。
「こっちがききてーよ。なんだアレ」
「はぁ?なにが〜」
まだ目を回したビュティをクイーンサイズのベットに座らせておれもベッドに飛び乗った。
「ここに来てから毎晩毎晩……いーかげんにしろこの色ガキャー!」
「へ?」
「おれに全部言わせるつもりか」
ぎっと睨みを利かせると、ビュティがはっと息を飲んだ。顔が青くなる。
「ここに来て三日連続だ。あとの四日もやり通す気ですか? アンタ休暇の意味わかってんの?」
声をひそめておれは彼女の足を蹴るといたいなぁ、と彼女が足を擦った。
「断れよ! つーか男の部屋に行くな! 部屋にも入れるな! このアホっ!」
やー、はっはっはっはっは。乾いた笑い声であっという間に態勢を立て直した彼女は赤い笑顔を片手で支えながら聞こえてたの、と囁いた。
「聞こえいでか。うんこなんかおめーマジ切れだぞ。……お前の意思を尊重してなんも言わんけど」
「えっちょっと待って、じゃあみんな知ってるの?」
やだやだどーしよう!急に焦った彼女が真っ赤になってどうしようどうしようと繰り返す。
「通路挟んでっから反対側の部屋のヘッポコ丸と田楽マン、天の助は聞こえてねーと思うけど、どうだかね。……アレで結構、天の助鋭いから」
4
「うそやだどーしよう、どんな顔して明日みんなと朝ごはん食べたらいいのよ〜」
ひえーと悲鳴を上げてベッドに突っ伏した彼女がばたばた悶えた。
「ケッ。今までヘーキなツラしてた女のセリフとは思えねぇな」
「そんなこといわれてもー! これでも必死に普通の顔してたのにー」
やーんもうどーしよー。ベッドの上を転げ回る彼女の顔は本当に真っ赤で、思わず比護欲とか出た。なるほど、ドーテーくん共が狂うはずだわこりゃ。
「ふん…まあいい。とにかくおめーは今日からここの隣で寝ろ。破天荒はずっと寝かしとくから」
「さすがの破天荒さんでも死んじゃうよ!」
「んじゃあおれと寝るか? ここはこのコテージ一広いベッドだぜぇ」
ヒヒヒ、と忍び笑いをして両手をわきわきさせて怖い顔。
「どっちみちあたしが破天荒さんに怨まれるんじゃない」
冷静に突っ込む彼女はいたって普通の余裕顔。…バカが無理矢理襲ってんじゃなさそーだなこりゃ。
「黙ってりゃわかんねぇよ」
ゲラゲラ笑うおれの顔をじっと見る彼女の表情は意外に真剣だった。
「……なに睨んでんだコラァ!? 事務所いくか?」
「私のこと心配してくれたんだ。さすがおやびんだね」
にっこり。無敵のヒロインスマイル。憎たらしい全てを許した笑顔。全部受け止める余裕。
「――――――そんなんじゃねえ」
ムカッとしたが敢えて平静を装い、静かに言い放つ。
「お前に惚れてるからさ」
「ああ、嘘だ」
平気な顔のその奥に、何か得体の知れないものを潜ませた彼女の笑みは禍々しささえ感じる。
「……ちったぁドキンコ☆とかしろよ。張り合いのねー女だな」
「だって顔がちっとも真剣じゃなかったもん。騙したいって風でもなかったし」
全てお見通し、といった感じで彼女が伸びをしてベッドに横たわる。すうっと瞼が閉じられてからゆっくり濃い桜色の唇が動いた。
「他人に好かれるって怖いんだね」
5
「ああん?」
おれが訊き返すと、眠りの国のお姫様気取りで腹の上に組んだ手を置き、目を閉じたままの彼女が震える唇を無理動かして言葉を作る。
「好きって力で何でも叶いそうな気がして怖い。求められるのは嫌じゃないけど、まるで私じゃない人がボーボボの前に居るみたいな時があるんだ」
ボーボボはあたしのどこが好きなんだろ?彼女がそう言って黙ってしまった。規則正しく呼吸をするたびに胸が小さく上下する。
「……全部だろ。たぶん」
「知らないくせに」
「おれらだって知ってる。」
「知らないよ、見せてないもん」
「甘く見んなよガキ」
おれの厳しい声に彼女の身体が一瞬びくん、と震えた。
「他の連中のことは敢えて断言しねーが、少なくともおれはお前が例えナニを隠してよーが“お前の本質”は知ってる。それ以外興味ねー。お前が実は男だろうが、実はおれの母親だろうがそんなこたぁどうでもいい」
おめーがおめーであること、それがあのバカとガキを惚れさせたんだ。言ってからいつの間にか瞼をぎゅっと閉じている彼女の手に触れた。
「ちっとモテたからってイイ気になってんじゃねーぞ」
にやっと笑ったら彼女の瞼がパチッと開いた。長い睫毛、くりくりした大きな瞳、さらさらに輝くショートカット。
「…………ガキって、へっくんのこと?」
「他にお前に惚れてるガキがいるか?」
「な、なんで知ってるのよ!?」
「……マジ救えねぇ三角関係だなオイ。
お前ら二人を知ってる奴で気付いてないバカなんか誰一人として居ねーよッ!軍艦に一発で見抜かれたの忘れたのか」
みんなちょっと鋭すぎるんじゃないの?とビュティが眉をひそめた。
6
「愛してるって言うのよ、あたしのことを」
溜息も深くビュティがそう言った。
「……まあ、そうなんだろ」
おれは出来るだけ軽い返事を返す。
「あたし愛ってなんだかよくわかんない。口に出して確認しなきゃいけないことなの? 胸にしまってても見えるのが愛ってものじゃないの?」
ベッドの上で足の裏でパチパチ音を立てる一人遊びに興じながら彼女の質問に考えをめぐらせる。このお嬢ちゃんに一番相応しい答えを。
「男は……いや、大人ってのはな、そうやって確認してるんだ」
「相手にも自分にも同じことを訊ねるのが確認?」
「違う。自分が愛してるんだって、自分に確認してるんだ。大人は意気地がないからな、形のないものを信じるのがヘタなんだよ。だからそうやって確認する」
「じゃあ一人で壁に向かって喋ってりゃいいじゃん。あたしに向かって言わないで」
怒っているような素振りをしつつも、どこか悲しそうにビュティがきっぱりと言った。
「…………おまえ、なんか神様とか、信じてる?」
「別に。否定しない代わりに信心もないけど、なんで?」
「でも初詣に神社行ったら手を合わすだろ。願い事しないか?」
「あー、まあ、するけど」
「本当に神様が叶えてくれると思うか?」
「や、あれは自分の一年の誓いに行くっていうか、神様に宣言するんだって教わったけど」
「……同じだ。バカも宣言してる。お前に、愛してる大切にする守るって、誓ってるんだ」
おれがそう言い終ったあとじっと様子を窺ってたら、頬がぽっと赤くなった。
「……やー……はっはっはっは」
ぽりぽり頭の後ろなどを掻いて少女が照れた様子でうつむく。その姿はお世辞抜きに可愛らしい。
……くそったれ、独り占めかよ。
「愛してるぜ、ビュティ」
少女が驚いた顔ではっとおれの方を振り向く。
7
「や、やだ、急に何を言うのよ」
照れというより明らかな疑問と不安が蔓延した半笑いの表情。
「おれのこと嫌い?」
そんなことはとっくに予想していたはずなのに、体の端々がむずむずと騒がしい。
「ちょっと、首領パッチくん、へんだよ、どうしたの」
じりじりとそばに寄るおれの目に違和感と少しの恐れを抱いているのだろう。それとなく視線は逸れている。
「……別に変じゃねぇよ……ボーボボと同じことしてるだけじゃねぇか。
ボーボボとは毎晩こういう事するんだろ? なんでヘッポコ丸やおれとじゃヘンなことなんだ?
愛って何だかわからねえんだろう? じゃあ、これの意味もわかんねえんだろうな」
ぐっと背を伸ばして、ビュティの唇に自分の舌を這わして、口づけた。
「っ!!」
びくんと大きく震えるように痙攣したのはたった一度きりで、後はされるがままにおれの動かす舌に倣うように唇を動かしている。……慣れてるね、お嬢ちゃん。
くちゅくちゅ蠢く唾液に溺れた粘膜が擦れて滑って熱を共有している。おれは所在無さげな彼女の手を握り、力を入れたり抜いたりを繰り返しながら、反応する彼女の呼吸を数えていた。
視線を走らせると薄い胸が上下に動いている。そしてジャケットが鼓動にあわせてドキドキドキドキと脈打っているのを見て、押し倒すように覆い被さった。
思いのほか少ない力で倒れたビュティは嫌がる様子を見せることなく瞼を閉じる。
ジーンズのおなかの所に隙間が出来ていて(こいつまた痩せたのか?)そろりそろりと手を滑り込ませて中指を沿わせる。……おれも腕が落ちたな、昔はキス一発でイカせたもんだが。
「……やっぱ好きな男じゃないと濡れない?」
ニヤニヤ笑いで下世話な台詞を吐く。睫毛が結ばれるようにぎゅっと瞼が閉じられて、ビュティが声を上げた。
「いや、あの、その、えっと」
オロオロあたふた、少女が小さく縮こまる。……可愛いかもしんない……
8
「……いーよべつに」
ちょっと拗ねたかのような口ぶりでまた命の色をした小さな唇に舌を這わせた。
「んぅっ……んくぅ……!」
子犬が興味を乞うような鳴き声を上げながら、ビュティがシーツを掴んでいる。それに視線を出来るだけやらずに一心不乱の二歩手前くらいの熱心さで舌を這わせ、唾液を供給し続ける。
「ん……ふっ! …………ぅやぁっ!」
くちゅくちゅくちゅ、中指が入り口を何度もゆっくり旋回するたび、彼女のまぶたがひくひく痙攣して声を上げた。おれはそれをじっと見ていて、少し悲しいと思った。
「どした、痛いか?」
「……やっ…だって…あっ…!…こんなのっヘンだよ…やぁっ…!」
「――――――お前が好きな男としかしたくない、おれにこうされると吐き気がするって言えば、今すぐ止める。でもお前の口からそんなことは聞いた覚えはねえ。
なんで男が自分にこんなことするのかわかんねえんだろ? じゃあなんでヘンなんだ? 何がヘンなんだよ?」
「そ、そんなの……わかんないよ…っ!
ボーボボにこんな事される前は、みんなただしたいから、そこにあたしが居たからする人ばっかりだったもん!あたしじゃなくてもいい人としかしたことないんだもん!
でも……ボーボボも、首領パッチくんも、あたしだから、するんでしょ?
そんなの、意味わかんないよ!わかんないよ!」
半ばヒステリーのように喚くビュティが、大きな目からぽろぽろとその瞳と同じように透き通った涙を零す。おれにはそれがどうしても綺麗だとは思えない。そして、涙を零す彼女を見ても後味や胸糞が悪くなることもない。
ただ悟りにも似た、凶暴と言うには醒めてて、熱病と言うには冷たい感想だけがやけにはっきりとした輪郭で自分の頭の中に浮かんでいる。
嘘つくなよ、分かってるくせに。
お前がわかんないのは
おれや、ヘッポコ丸を
傷付けないよう
当り障りなく
――――――フる方法だろ。
9
「おれは、お前とこうしてたいからお前を抱くんだ。
それ以上に意味なんかねえよ」
「だからそれがヘンだって!何であたしなの!?」
なあビュティ、お前は何をそんなに確かめたいんだ? 結局そんなもの確かめたって今のお前に意味なんて無いくせに、おれの口から一体何を聞きたいんだ?
幼い駆け引きを無視して、おれはビュティに差し込んだ中指を少しだけ曲げて小刻みに揺らす。
「キャ…ぁっ!」
ぎゅっと音が聞こえそうなくらいに太ももを強く閉じ、ハリガネみたいに細いおれの腕を掴む。
「あっあっあっあっ!やだっ……あアッ!」
こいういう風に、自分の意思ですることに慣れてない女の方がよく濡れる。身体が自分を守ろうとして必死なのだろうし、そうして悦んだふりさえして居ればなんとか生き延びられることを、彼女自身が身を持って会得したのだろう。
……なんかこういうの……しんどいよな……
手を伸ばして助けようとしても、相手が手を掴んでくれないのって、やるせねえから。
「……ビュティ、殴れよ。殴らないと、本当に最後までやるぞ」
「さ、さいご?」
「おれ様のビッグマグナムここに打ち込むぞっつってんだバカ!」
「……“ビッグマグナム”って、どこにあるの」
「ここ」
ぽっきり端折った頭のトゲトゲを股間につけるとあら不思議。見る見るうちにトランスフォーム。
「ギャー!!やだなんかすごいやだ!人間の男の人のより数倍ヤダ!!
何でこんなファンシーな形状の首領パッチくんにそんなリアルなものがー!!」
「うははははははー!どうせちんこねーから大丈夫だろうと思って油断してたんだろうがそーはいかねえ!フレキシブルなおれ様の肉体に恐れ入ったか!」
「もはや恐れとかそういうレベルじゃないよ!なんてでたらめな身体!!」
「お望みと在れば触手プレイなどのご要望にも添えますが」
「やめてー!!」
10
「じゃあ、やめる」
ふっと身体の力を抜いてビュティの身体の上から降りる。
「えぇ?」
「やめてーって、いったじゃん」
ぬるつく中指と薬指が鈍く光っていて、でも不思議に欲情はしなかった。鼓動の速度は平常なのに何故か痛む。肌がいやにビリビリと電気を持っていることが更に居心地を悪くする。
ああ我ながら馬鹿なことをしたものだ。
それは押し倒したことじゃなくて、止めたこと。言い訳する気は無いにしろ、突き通せない親切なんか意気揚揚と振りかざすもんじゃない。これじゃあまるで、からかい半分でビュティを襲ったみてぇじゃねえか。
一人悶々と言葉にならぬ妄言渦巻く脳味噌をフル回転させて、気の利いた皮肉でもと探っても何も出てこない。ただ黙ってむず痒い沈黙に耐えている。
ふと手が、彼女の手が、動く。
パチン
ベッドサイドのランプの光だけを残し、さっと部屋が闇色に占められた。
「!?」
顔をあげ、抗議の声を上げようとした瞬間、唇に、なにか、柔らかくて熱いものが触れた。
心臓が跳ね上がる。ドキンドキンドキン。瞼が鼓動に呼応するようにズキズキ猛る。頭が状態を把握するよりも先に全身が緊張感を持った。
「優しく触ってね、強くされると怖いから」
手か導かれるままに柔らかい胸に触れた。ドキドキドキ。心臓が胸を叩いている。
「お、お前」
「いいよ。あたしはいいよ」
さらさらのショートカットの髪が流れるようにシーツに落ち、微かな音をさせた。おれはと言えば動悸と頭痛で目の前がスパークしているのに、頭の隅っこは静かでひどく醒めていた。
こいつはおれがただ遊びの為に押し倒したと、だから遊びに付き合ってやろうと、そういう結論を出したのだ。自分が行きずりの強姦と同列に置かれたと思った瞬間、怒んパッチ化しそうになった。
11
「おいクソ女、お前もしかして、へっぽこ丸にもこうやって身体投げ出してんじゃねえだろうな。
だったらおれはお前を殴るぞ、殴って、お望みどおりにズタボロに犯してやる。ボーボボの目の前でやってやる、答えろ、どうなんだ」
闇の中で半笑いのビュティの顔は半端じゃなく胸糞が悪くて、思わず目をそむける。
「しないよ。何いってんの、首領パッチ君。
するわけ無いじゃん、へっくんはこんなこと絶対にしないもん。
へっくんは優しいから、絶対こんなことしないもん」
だからあたしはへっくんの前では普通で居られるんだよ。女とかそんなの、考えずに居られるんだよ。
少女が微笑みを含んだ声で念じるように言った。呟きながら、諳んじるように。
おれはその言葉にどうしようもないほど吐き気と同情をかき混ぜられて気分が悪かった。こんな複雑奇怪な生き物に会ったのは初めてで、自分でもどうリアクションを取ったらいいのか分からない。
殴ってヘッポコ丸の純情をいたぶるなと怒鳴るのも筋違いな気がしたし、諭してボーボボの真摯を説き伏せるのも自分の役目ではないと思う。かといって冷静を気取って己の行動の理由を事細かに説明出来るほどおれは人間出来てない。
おれは……ただ、自分を粗末にするなと言いたかっただけなんだ。
バカもガキも、あいつらに出来る限り(やり方はともかく)お前に真っ向勝負を挑んでるってのに、何でお前は自分を腐して目を背けるんだ?いつもは反吐が出るほどのいい子ちゃんが、何故こと色事に関しちゃそこまで頑ななんだ?
お前のその頑なさを、二人は許すと言ってるのに。
「……バカな女だな。
世の中で一体何が一番バカか知ってるか?バカの第一人者が教えてやるよ。
パンチが痛いからって目ぇ閉じて殴られ続ける奴がバカのグランドチャンピオンだ」
おれの言葉にもビュティはあの胸糞の悪い半笑いを収めない。ただ深い影の中に身を潜めて、大魔王サマよろしく静かに微笑んでいる。
「目を開けたってどうせやな現実しかないじゃない。苦しくて辛いものしか見えない。なのに目を開けろなんてただの耳障りのいいお説教以外の何?」
それとも首領パッチ君が素晴らしい世界でも見せてくれるって言うの?
12
「甘えんじゃねえよ」
ああ、全くバカにしている。おれをじゃない、自分を。ここまで自分を粗末に出来る人間初めてお目にかかった。ああ全く、完全に、バカにしている。
「生きて、歩いてんだろうがよ。お前が!形はどうあれ!戦うことを選んだんだろうが!……だったら最後まで責任持ってやり遂げやがれってんだ!」
挑戦的な半笑いが崩れた。冷水をかぶったかのように肢体が音が立ちそうなほど緊張している。
「ついて来るのはなんか理由があるって言ってたな?
こんな世の中だ、絶望して自分から首吊る人間なんてごまんといる。なのにお前はこのちっころこい身体で生きてくことを選択したんだろうが。バケモンみてぇに強い連中に囲まれてそんな事まで忘れたか?
自分で決めたんなら最後まで全うしやがれボケナス。
このおれ様がちっとは感心してやってたってのに、全く、女って奴はすぐに翻しやがる。この世で一番信用ならねぇ」
おいヘッポコ丸、この女はヤメとけ。神聖な女神サマでも守るべきか弱い少女でもねえ。おいボーボボ、この女はヤメとけ。濁りなき清楚でも哀れなる純真でもねぇ。こいつはしたたかで、ずるくて、頭の回る残忍な女狐だよ。ホントに、女そのものだ。
弱さをひけらかして悦に入ってる、おれの一番嫌いなタイプ。
「おやびんって」
籠った声が聞こえる。
「ロマンチストだね」
小さな声。
「みんな、なんでそんなに優しいの」
ああ、震えてるのか。
「あたしにそんな価値なんてないのに」
食いしばってる唇が痛々しい。
「行きずりで簡単に捨ててくれれば」
それに同情なんてしないけど。
「変な期待も希望も持たずに済むのに」
ダムが決壊する。悲鳴、力尽きる顔、崩れる自制心、それから先はもう見ていられない。人間が潰れていく。必死で組み立てていたそれが轟音と共に吹き散らかされて、ビュティって奴は居なくなってしまった。
居るのはただベッドの上に、おれと、泣く子供。
13
おれは本当にバカなので、こういう事しか出来ない。
おれは本当にバカなので、好きな子に意地悪ばっかりする。
おれは本当にバカなので、友達の好きな女にちょっかいを掛けた。
優しくするのは苦手だけど優しい振りをするのは上手なつもりな程度に親切で傲岸で物知らず。それを恥とも誉れとも思わなかった。……今までは。
ビュティは多分ボーボボが好きなんだろう。そんなのは最初から知っていた。でもそいつを諦めきれないヘッポコ丸は、自分の心の思うとおり正直に彼女を困らせる。ビュティはこれで結構自己犠牲的なところが無駄に在るので、ずいぶん気に病んだに違いない。
でも本質はそこじゃない。
「あたし、いい子じゃないの! みんなが思ってるほどいい子なんかじゃないのに!」
うん、知ってンよ。お前普通に嫌な奴で、普通に汚い事も考える、普通の女なのにな。
窮屈かい? それとも怖い? 心を預けた人間が自分の張りぼてを祭り上げてるのを側で見てるって一体どんな気分?
「……おれと寝れば、それが証明されるとでも思ったか?」
卑怯なセリフと分かってて言う。優しくもなんともない、憂さ晴らし。意地悪、悪戯、虐めの一種。
「――――――――ごめんなさい……ごめんなさい……!」
お前を信じてるよ。
それでもお前を信じてるよ。
多分みんなが、お前を信じている。
「……ビュティ、愛してるぜ」
なんと空虚な言葉。びっくりするほど意味がない。救えもしない無力な命綱。
ごめんなさい
ごめんなさい
ごめんなさい
謝る声がずっと部屋に響いている。ごめんよ、悪かったよ、泣くなよ。胸の中で何度も繰り返した。口に出すことはできなかったけれど、おれは何度も何度もそんな風なことを言って、ベッドに泣き伏す彼女の髪に触れようとする自分の手を制した。
こうするのは自分の役目じゃない。
そうしてしまったら自分の全部を否定するような気がした。
「目を開けたら嫌なものばかり見る、なんてのは鍛練が足りねーんだよ」
14
涙を含んだ重いまつげが小刻みに揺れている。その奥にある青い瞳、鈍く光る緑のイヤリング、まだ乾き切っていない柔らかな髪。そして小さな体と、うすっぺらい胸。細い腕には力がなく、白い指は動きもしない。
「企みでおれをハメようってのが気にいらねぇ」
ああそうだとも、こんな小娘に、誰が。
「偽善より偽悪のが性質ワリィ」
星屑の光が天窓から降り注いでいる。ぼんやりと自分の影が彼女に射して、それ以上何も考えられなくなった。いつもみたいにハジけて、全部ウッソーとちゃぶ台ひっくり返すなんて簡単なことなのに。
「無力で哀れなヒロインらしく、弱いの儚いの守ってくださいって唱え続けてろ」
そうしててくれよ。
そうしててくれるなら俺達はヒーローにでもサタンにでも路傍の石ころにでもなってやれるのに。
なれるのに。
泣く女とベッドの上、最悪。こんなに萎えるシチュエーションはなかなかない。
最早、何を言うのも無為と悟って、いろいろ無視をする事にした。自意識だとか良心だとか友情・状況・相手の心情なんてのはぜーんぶ頭の底の奥深くにある鍵付きBOXの中に沈みこませてしまって。
ドンパッチエキスをアレに塗る。ぺたぺたぬるぬる。
そいで、泣いてる彼女を無理やり起こして、声を出す前にズボンを引っぺがした。
「ぎゃああ!」
頭の上でぽかぽか握り拳と訳の分らない言葉が躍ってるが、完全に無視。つるんと凹凸の少ない足を開かせて、オレンジ色のエキスをぬり、ぬり、ぬり。
「いやーバカになっちゃう!」
一層激しさを増すパンチの応酬に、思わず眉を顰めて声を出した。
「失礼な奴だなコノヤロウ。注入じゃなくて塗るだけだったらローションと同じだ。おれの体液なんだから害ねーよ」
「だってだって」
泣き声だか何だか分らない猛々しくも震える声でビュティが頭のトゲを掴んでいる。
「だいたいおれのを突っ込もうってのに体液ダメってどーすんだヨ」
もう一度唇を奪う。柔らかくて熱い少しだけ力の入った唇。もう震えは収まっているのに、どこか判らない部分が、場所が……ぎこちない。
瞼はきつく閉じられていて、まるで何かに耐えるようだとガラにもなく頭の奥の方が痛んだ。
うつらうつらとし始めた頃、一階の部屋のドアがノックされる音を聞いた。きっと誰かがビュティの部屋をノックしているのだろう。ボーボボかも知れない。ヘッポコ丸かもしれない。他の誰かかも知れない。
おれが外から鍵をかけた、何の返事もないビュティの部屋のドアのノック音は続く。
あいつらはあの部屋に彼女が居ると思っている。
そしてあいつらがそう思っている間は、ビュティはおれの部屋に居さえすれば安全なのだ。
「……行くな」
片目だけを開いて、ドアの方を見やる彼女を制した。制してどうなると思ったのか、自分でもよく解らないけれど。
すると彼女はうっすら笑って、毛布を退ける。その下にはすでに服がきちんと着けられていた。
殺し気味の足音がさらさらして、ドアが閉じられる。
抜き足差し足で階段を降り切った頃合いに、ビュティのワザとらしい朝の挨拶が聞こえて、それを待っていたかのようにどこかの部屋のドアが開く。
さんざめくようにいろんな部屋のドアが開いたり、物音が続く。
「おはよう、ビュティ」
「おはよう、みんな!」
明るい彼女の声を遠くに聞きながら、おれは初めて自分が嫉妬してたことに気が付く。
誰に? なんてつまんねぇ質問はもういい。
「……とんでもねぇ悪女だなあのガキ」
捨て台詞みたいに吐き捨てて、目を閉じて眠った。
おれにはふさぐ耳が無いから。
・おしまい・
16:58 2010/01/25
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