キッド と クロナ と ラグナロク
とにかくこの場から逃げなくちゃ!……窓から逃げる
6
そうだ、僕が意識を取り戻して失神してないって事の説明をどうしよう!?
ああもうパニックになってきてただ筋肉が本能の命じるままに動くことさえ止められなかった。むんずと窓の鍵を掴んで一気に押し開ける。
バン!
吹き荒ぶ雪粒が容赦なく顔に当たって修道服がバサバサ靡く。逃げよう、逃げよう、とにかく逃げなくちゃ!
何を考えて逃げなくてはいけないと思ったのか、自分でもよくわからない。
それでも混乱してた頭の導きを信じて、僕は窓から飛び降りる。幸いにも二階の窓の下には頑丈な一階の庇があって、屋根伝いにするすると宿屋を後にした。
走る、走る、走る。僕はもう必死で走った。どこを目指しているのか、何を求めているのか、サッパリ解らないまま、もうすっかり吹雪といった様相を呈している雪道をがんがん走る。
降ったばかりの雪は柔らかく、しかも気温が低いのでサラサラの粉雪は僕の足を絡め捕る。ちっとも前に進みやしない。
それでも僕は焦燥感に駆られ、ただただ狂った魂の命じるまま走り続けた。
びゅうびゅうとうるさい、氷を含んだ風が耳を斬らんばかりに鳴いている。
闇の世界には音と、寒さと、雪の感覚しかない。
時々濃淡の加減で山のような、林のような、谷のような、よく解らないものが僕の視界を掠めたけれど。
自分の心が掻き乱されてる事を冷ましてはくれない。
僕は気付いた。
そうか、そうなのか。
僕は、僕は………………彼が好きなのか!
マカより!ラグナロクより!メデューサ様よりも!!
本当は嬉しかった!僕の手を取ってくれて!
嘘じゃなく楽しかった!生意気な説教魔の話が!
心の底では心配だった!雪山で消息不明だと聞いて!
死神様がキミを心配していることに嫉妬していたと思ってた。“キミに”嫉妬していると思ってた……でも違う、ほんとは……僕よりキミを心配してる“死神様に”嫉妬してたんだ!
「……なんだい……魔女の子のくせに!」
リズやパティの話をするキミが嫌いだった。シンメトリーを自慢するキミが嫌いだった。僕の目の前に居るのに僕よりラグナロクと話をするキミが嫌いだった!
「人殺しの癖に!」
僕の殺した内の誰かも、きっとこんな風に恋い焦がれる人の居る人間だったろう。
なのに、僕が、そんなものすべて薙ぎ倒してきた僕が……魂の管理者に恋することを許されるはずがない!
「……うぅ……うヴぁあぁっぁぁぁあぁぁぁーーーーー!」
気温がマイナス10度を下回ると、息さえ凍るのだそうだ。ではマイナス20度を下回れば、涙も凍るのだろうか。マイナス30度ならば心が凍って、マイナス40度ならば魂が――――――――
『お前が報われる日、地上に生きているものなんかねーぜ』
7
遠い昔、ラグナロクがそう言った。確かあれは、手をつないで離さないまま死んだ若い夫婦の死体を見下ろしている僕に向かって。
「ラグナロク!じゃあどうして!どうして僕は誰かに魅かれるように出来てるの!?」
「どうしてメデューサ様は人を好きになれるように僕を作ったの!?」
「どうしてラグナロクは……死神と仲良くさせるようになんかするの……!!」
知っている。
知っている。
つまり、メデューサ様も、ラグナロクも、僕を狂わせたいのだ。結局、そうなのだ。
僕は鬼神になるためだけにこの世界に生まれたのだから。
マカを好きになっても、みんなと仲良くなっても……キッドを愛しても……それを裏切ることでしか僕は僕で居られない。僕の役目は、それまでだ。
「許して……もう……許して……!」
戦って、償って、ここに居られると思っていた。でもそんなの誤魔化しだ。僕にはそんな権利なんかない。
人を殺すってことはそういう事だ。どんなに挽回しても、どんなに贖っても、決して自分の魂に許されることはない。たとえどんな理由にせよ、人を殺した瞬間、人は自分を“人でなくする”のだから。
解らなかった、なんて言わない。あの兎を殺した瞬間、僕は人をやめたのだ。殺すことがどういうことなのか、僕は知っていた。殴られる痛みを、無視される悲しみを、捨てられる恐怖を、僕は知っていんだもの。
「……ゆるして……ゆる……っ!」
ゲホ、ゲホ、ゲホ!喉に氷の粒が巻き込まれたのだろう。ひどくえずいてその場に崩れた。もう一歩だって歩けない。せき込む身体が異常なほど痙攣している。まずい、低体温で皮膚が引き攣ってるんだ。
よく考えれば今日ほどのオーバーワークもない。東海岸近くから西海岸近くまでの長距離飛行、かてて加えてこの恐ろしい寒さ。精神状態だってとても正常とは言えず、おまけに……
「気付いた途端に失恋とはね……はは、僕らしいや……」
嬉しかったことがすべて刃になる。
楽しかった思い出が重りに変化し。
恥ずかしかったものは皆嘘偽りだ。
もういっそ、このままここで死んでしまおうか。雪山に取り殺されて、自意識に押しつぶされて、もう目を閉じてしまおうか。
何度も考えた。
死んでしまおうと。
そのたびにラグナロクが宥め賺して僕をぶん殴ってはこの世界に繋ぎ止めてくれた。
けれどここに彼は居ない。
僕を生かすために、ただ血としての使命を全うしている。心臓を動かして、全身に酸素を送り続けている。
「……もうやだ……もう、やだよ……!」
ただただ、雪を握って吹雪に体を曝す。
そうすればやっと楽になれる気がして。
そうすれば、何かに許される気がして。
8
「たわけがっ!」
怒鳴り声に思わずビクッと身体が震える。
――――――まさか、まさか、そんな、まさか。
「このクソ寒いのにピクニックか!この真夜中にランニングか!それともおれと同衾するのがそんなに嫌か!」
寒さと驚愕で身体がうまく動かせない。
「窓を開け放しおって!おかげでベッドが氷漬けではないか!貴様一体今夜どこで眠る気だ!?」
「ぐえっ!」
「こんな野っ原でよくもまあ迷わず狂気ポイントに来れるものだ!そんなことだからお前は目が離せん!」
後ろから襟首を引っ掴まれて、乱暴に持ち上げられた。まるで子猫を路地から引っ張り出すみたいに。
「どうせ父上からここがおれの反応が消えた場所だとでも言われたんだろう!まったく、父上の用意周到さには呆れ返る!」
「な、なんで、ここに、キミが……!」
ブツブツ何かに腹を立てながら怒鳴り散らす言葉の意味はよく解らないけれど、彼が何者かは嫌というほど解った。
「おれは死神だぞ!魂感知など必須能力だ!
……この場所はおれが初めて鬼神になりかかった奴を殺した場所で……勢いあまって魂を粉砕してしまったおかげで此処はおかしな磁場が出来て、俗に言う自縛霊という奴が引っ切り無しに集まる狂気ポイントになってしまったのだ」
……なるほど、それで。僕が黒血でマークしたもんだから余計に狂気が増して無意識に引っ張られたんだ。マトモに感情回路が作動していないのか、サッパリあさっての方向へ思考がずれる。
「夜遊びする悪いヤツには似合いの仕置きを考えてある!とっとと来い!」
もう一度首根っこを掴み直して、プンスカピーと怒るキッドがどすどす元来た道を僕を引きずって戻ってゆく。
「あ、あふぇぇ〜ん! ちょ、ちょっとォ! もう死武専に帰りたくないんだよォ!」
「連れ戻して欲しくなくばもっとこっそり逃げろ!虚けめ!」
「………………違うよ……ホントに、逃げたかったんだ……」
「いいわけは部屋でとっくりと聞く!まずは風呂だ!ええいくそ、足場が……おいコラ!いい加減自分の足で歩かんか!」
パッとつかまれていた襟首を離されて、雪の中に放り出された。服の中に氷の粒がバラバラ入ってくる。
「歩けクロナ。休んでも迷っても構わん。だが自分の足で歩け。自分の意思で歩け。それがお前を人にする。……きっと、人にしてくれる」
粉雪まみれで地に伏す僕に、寝巻きのままのキッドが見下ろしながらそう言った。悲しそうな、泣きそうな、祈るような声で。
「逃げるなクロナ。逃げても何も解決しない。……お前だって解ってるだろう、クソッタレな運命はドコまでだって追いかけて来やがる。戦うしかないんだ、おれたちみたいなのは、戦って勝つしかないんだ。
だから――――――頼む……」
ドサッと音がして、すっかり白く雪化粧したキッドが跪いた瞬間、僕をぎゅっと抱きしめた。
「幸福を恐れないでくれ。失うことに囚われないでくれ。帰る場所を否定しないでくれ」
死神は一千度の火の玉を操れるのだそうだ。
……そうか、なら、この凍った血が流れ出すのも納得できるよ。
9
「来い」
「――――――やだ」
「……来い」
「――――――エッチ」
「ではこちらから行く」
「………………」
ああもうウンザリする。まったく、ほんとうに、辟易する。頬の筋肉がちっとも元に戻らない。だらしなくて本当にもうたくさんだ。一体どうなってるんだ僕の頭は。
ちりちりぱちぱち爆ぜる木片の音。暖炉の前には毛布を広げた新しい寝間着のキッド。後ろの方ではヒチヒチうるさい切れ掛かった蛍光灯。僕は毛羽立った古い掛け布団のシーツに顔をうずめる。
「やめてよ、鬱陶しい」
「……なら押し返せ」
いつかこんな夢を見たような。それとも妄想だったか、ブラックスターの家で見たDVDだったか。
ドキドキする。胸がどうにかなってしまいそう。なのに神経全部がキッドと触れてる場所に集中している。
「まだ随分冷たいな」
言いながらキッドが僕の首筋に触れる。
「……ぁひぇっ!」
「声は出すな……ラグナロクが起きる……」
「〜〜〜〜〜〜〜っ!」
とっさに眉を顰めて唇を必死に結んだ。……なんで僕は言うことを聞いてるんだ?
そんな疑問をよく吟味する前に、キッドの唇が僕の頬を伝う。
「あへェぃ〜〜!!?」
「黙れというに。これは仕置きだぞ……反省しているならじっと我慢しておれ……」
チュッチュッと短い音がして、ああ、ああ、蕩ける感覚がして、それから、ああ、ああ。解らない。何もかも解らない。魂の境界線がなくなってゆく。どんどん僕が僕でなくなってゆく。
なんて夢心地な調べ。なんたる恍惚、なんたる陶酔。甘ったるい多幸感が肌の上を這う。
キッドの暖かい指が僕の寝間着の隙間からするすると侵入してきて、いとも容易く寝間着のボタンを外している。かと思えば反対の手が襟足から髪を掻き分けて僕の後ろ頭をゆっくり撫でた。
「あ、あ、あ……!」
喉の奥から擦れた声。少し顔をしかめたキッドがそれを奪うように唇を重ねる。
ぬめる舌と唾液の中の泡がぷつぷつ音を上げるので、僕は目玉がぐるんと上を向いてしまった。情報のオーバーフロー。もうこれ以上の快感を受け取るメモリはない。
ないっつってんのに、キッドの唇がゆるゆる顎先を伝って胸元に落ちる。もちろん首筋にはヨダレの軌跡。
「やだ、やだぁ……こ、こわい……!」
「案ずるな。痛くなどしない」
「でも、でも、でも……!」
「恐ろしいのであれば、背中を貸してやる。しっかり掴まっておけ」
10
そこは問題じゃないだろうと頭のどこかが言うのに、僕は必死にキッドの肩に顔を埋めて背中に精一杯両手の指を広げてしがみついた。
「何か変な気持ちになってきたよ? こ、これ、どうなっちゃうの? なにする気なの?」
「――――――仕置きだ」
ついに襟が開かれて、胸がはだける。嫌だ、恥ずかしい、やめてよ!
ふるふる震えていた肌にキッドのぬるい舌が触れた。一番敏感な場所に、無遠慮な舌が――――――
「あふぇあぁぁあ〜!?」
変な声、でた。
いつの間にズボンの中に入ってたキッドの手が同時にお尻の肉を掴んで引っ張って……!指輪がひどく冷たくてやな感じ!あと全身の毛穴が開いちゃうみたいにドッと汗が出た。
「やだっ!やだぁ!」
ゾクゾクする。やっと理解できた。彼は、キッドは、僕を……
「お尻触んないでぇ!パンツ引っ張らないでよぉ!?」
本気で犯す気なのだ!
「下着を切られたいか? 嫌なら大人しく足を上げろ」
「なにそれ、やだよ!なんだよそれェ!」
「……やだよ、か。笑わせるな、掴まれてる背中が引きつる」
「あっあっあっ!」
「見てみろ、尻までびしょびしょではないか。……はしたないな」
「ぅくぅぅ〜〜〜!」
顔が真っ赤になる。自分の身体がこれ以上ない程に歓喜していることなど、ばれてしまっては。ピクッピクッと規則正しく動くキッドの首の脈を数えながら、もう吐息と涙と唾液しか吐くものがない。
「……入れるぞ」
「あやはぁひゃかふぇえぇぇ!?」
膝がもっと大きく開く。重心が持っていかれて、ぐらりと世界が傾いだ。
「ひゃあぁぁぁ!ナニす……っ……やめてよっ!やっ……!」
ひっ、ひっ、ひっと、断続する自分のしゃっくりに重なるように、キッドの荒い息が聞こえる。はぁはぁ、はぁはぁ。
「……っく……きついな……」
汗で肌が滑る。股が痛い。あと、キッドの肩を握り締めてる手が蒼白になっていた。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」
頬を涙が伝う。……汗かもしれない。もしかしたら鼻水かな。いや、或いは涎ってセンもある。
「力を入れるな、入らないじゃないか」
「いやあぁぁぁ!いやあ!いや!いたい!いたいぃぃぃ!」
「……いや、だからソレはお前が力んでるからで――――――」
「裂ける!壊れる!殺す気かぁあぁぁぁ!?」
「…………よかろう。最終手段といこうじゃないか」
僕の腰を握っていたキッドの両手がふっと放され、彼の剛直が僕から離れた。
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「う、うううぅぅ……おまた、壊れるかと思ったぁ……」
ひんひん泣く僕を尻目に、キッドがテーブルに置いてあったブランデーグラスに左手の中指を突っ込んでもう一度僕の腰を引っ張り込む。
「……な、何する気……?」
「なに、尻にちょっと刺激を」
「ひっ……!へ、へ、変態だ――――――ッ!?」
「人聞きの悪い。こんなもの単なるお茶目に過ぎん」
「聞き捨てなんねーなコンチクショー!!」
そしてまたキッドが僕にあてがう性器の温かさが僕の口を縫い付けた。もう動けない。観念しなけりゃ楽しめない。……楽しむ? 何を言ってるんだ僕は!?
混乱のさなかにソレは僕の入り口を押し開けて、やはりある一定のところで止まる。痛い。引っかかってて、全然滑らない。眉をさらに顰めているところに、キッドの左手の中指が僕の、僕の、僕の……
「あひぃぃぇぇぇ!? なにこれ!? 熱っ……!……あぐぇ!」
「おー入る入る。気付け用のスコッチは効果抜群だな」
熱い指がグリグリ動いているのが判る。“出口”をまさぐるように指の腹で……ひぃぃぃー!
いつの間にか浮いていた腰がしっかりとキッドの膝の上に着地しているし、戻しそうな胃がむかむかする感じと、喉が焼けるような痛みが股間を直撃していた。もちろん、お尻はひどく熱いまま。
「やめへぇ!め、めぇ……!」
「お前本当に色が白いのだな。オマケに胸がないから……なんだか相当悪いことをしているような気分だ……」
「わ。わるかっらへぇ!そんな女犯すのは悪人じゃないのかぁぁぁ!」
「犯すなどとは異なことを。……少なくとも、おれはこれをそんな風に思ってはおらん」
口から涎がトロトロ落ちている。キッドが吸った先端に黒い跡。がくんがくんと揺れる眼下では、微動だにしない自分の胸。膝が笑う。じとじとしてる太ももが熱い。伸び切った下着が見える。シミのついたズボン。
「えっ、えっ、えっ……!? やだぁ……きゃぁあぁ!や、やらしいよこの格好!?」
あれよあれよという間に必死で噛り付いてた背中から引き剥がされて、ベッドに背中をついた。冷たいシーツのところどころに暖かい場所があって、何かヘンな気……
「ただの正常位だろう?」
「どどどどどこの世界の正常位が足をV字に開くんだよっ!? 足首放してぇえぇぇ〜!」
「注文の多い奴だな」
あっあっぁあっ!あん!あいっ!あひぇっ!間抜けな声。いやらしい声。止まらない。
はっはっはっはっ!はぁはぁはぁはぁ。っぅっく、っぅ……絶え間なく聞こえる吐息、弾ける呟き。
ああ、ぼく、どうしよう。してる。ほんとにしてる。死神と……ううん、キッドと、ホントに、セックスしてる……
肩に手を置かれただけで、僕は十分嬉しかったのに。それで事足りるほど満足だったのに。
こんなことされたら、こんなこと知ったら、もう、もう、僕は……僕は……僕は……!
「もう、死ねないじゃないかぁ〜……!」
涙声でそんな事を言ったら、キッドがビックリしたような、それで居て納得したような顔で返した。
「お前に呪いをかけてやる。解けない鎖をかけてやる。魂に楔を打ってやる。……もう二度と不埒なことを考えぬようにな」
涙散る泣き顔にキスの雨が降ってきたので、僕はどんな顔で死武専に帰ればいいのか本気で悩むのだった。
14:44 2009/08/22
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