ソウル と マカ と パティ の 話
1
「この構図も久しぶりだな」
俺が安っぽい四本脚の椅子に足を組みつつ腰かけて、しゃりしゃりリンゴの皮を剥きながらぽそっと言った。
「ん、ソウルなんか言った?」
窓のほうを向いてた(アラクネの呪いのせいで自分で首を動かすこともできないため、俺が向けたのだが)マカが声でだけ反応した。
「この構図が久しぶりだって言ったんだよ」
「コウズ?」
「お前がベッドに寝てて俺が果物剥いてる、この構図」
「あー、そういやそうねー」
コンビ組み始めてしばらく、マカは本当にたくさん怪我をした。骨を折ったのも二度や三度じゃない。高い場所から落ちたり、斬り合いで負けたり、突っ込みすぎて孤立して袋叩きにあったり。
「でも魂が二桁超えた頃からは保健室も足遠退いてたじゃん」
「まあそうだな」
40個超えるまではそれでも生傷絶えなかったけど。俺はその言葉をぐっと飲み込んで、リンゴの皮をむき続けた。しゃりしゃり、しゃりしゃり。
「……なにションボくれてんの? そんだけ強くなってるってことでしょ」
そうだな、強くはなってるよ俺達。常識的な範囲じゃ負ける気がしねぇ。でもそれだと駄目なんだろ、お前はさ。でもそれじゃ駄目なんだ、俺はよ。
「それとも何、またあの頃みたいに『職人を怪我させたのは武器の責任』とか眠たい議論吹っ掛ける気?」
呆れたような声でマカがため息がてらそんな事を言った。
ちょっと息が詰まる。
「いや」
「……じゃあ何よ?」
手の中に丸裸のリンゴ。途切れない赤色の皮を皿の上に置く。
「あれから結構経つのに、まだそのパジャマ着てるんだなーと思ってさー」
チェックの入院用パジャマ。死武専なんて場所に居ると、よそいきのパジャマってのを皆二・三着持ってて、それぞれロッカーとか倉庫とかに保管してあるのだが。
「しゃーないじゃん。これしかないんだもん」
マカはパジャマを一着しかもっていない。……というか、この一着以外頑なに着ようとしない。
「だから言ってるだろ、せめて洗い替え買えって」
「おーきなお世話だ」
下唇を突き出しながらマカが拗ねた風に話を切り上げようとするので、俺は柄にもないことを言ってみる。
「今度の誕生日にプレゼントしてやろうか」
「いらね」
「ふわふわのフリルがついたネグリジェとかさ。笑えるやつ」
「ブレアにあげて」
「シースルーのベビードールとか頭悪そうでいいんじゃねーの」
「エロ寝巻きで入院してる頭の悪いのがおめーの職人でいーなら買えば。即パートナー解消してやる」
窓の方を向いたままのマカの声は、ちっとも怒ってない。いつもみたくに、怒鳴ったりもしない。
「なーマカ」
「……なによ」
「リンゴ、食うだろ」
2
マカのパジャマは入学するとき、母親が買ってくれたそうだ。もう一着がないのは、多分あの親父が買ったからじゃねーかな、と俺は睨んでいる。洗い替えを買わない理由は、ちょっと分からない。チェックのパジャマを洗濯しているときは、ルームウェアとかジャージとかTシャツで済ませている。
……まぁ、単にそれだけの話なんだけど。
夕暮れ時の保健室。しゃくしゃく響くリンゴをかじる音。肢体がほぼ動かないのに内蔵系は元気いっぱいなので、呪いってのはもしかして精神的な暗示とかそういうもんじゃねーかなと思った。
「……ったく、パートナーって面倒。精神的に同調しすぎてるからバイオリズムみたいなものも同期しちゃうし。あんた生理痛までうつるもんねェ」
はぁぁーっと、ものすごく芝居がかったため息が盛大につかれて俺は思わず片眉が跳ね上がる。
「あぁ?」
「あたしが落ち込んでるからソウルまでションボリしてんでしょ」
俺はその何もかもお見通しという風な台詞にちょいとカチンときて背もたれから背を離した。どーゆー意味だそりゃ。
「俺は落ち込んでなんかねえよ。なに愉快な寝言垂れてんだ」
「『俺がもっと強ければなぁ』って顔してるのに? ……パートナー舐めんなよ」
ぎょろっと目玉が動いて俺を睨む。表情がいつもより硬くて、少しおっかない。ほんとうに、おっかない。
「そ、れは、単なる事実じゃねぇか、そんなもんでいちいち落ち込んでたら身がもたねぇ」
やべ、噛んだ。平静をできるだけ装ってパタパタ目の前で手を振る。
「じゃあなんで怪我したわけでも病気したわけでもない人間の前でそんな暗い顔してんの」
……痛いとこ突くなぁ優等生……俺は頭の後ろを掻く振りをしながらそれとなーくシーツの端っこに目線をずらし、渋い声を引っ張りだしながら同時に唸る。
「…………ビ、ビデオを取り逃して……」
「目ェ見て出来ない言い訳なんか最初からすんな」
ぴしゃりと言い切られて、そらした目をマカの方に戻した。おー、睨んでる睨んでる。
「…………………………あー……ほら、うち帰ってドア開けるだろ」
「うん」
「んでメシ作るじゃん」
「うん」
「一人分だと食う気しなくて、あんま作ってないんだよ」
「ブレア居るじゃない」
「……うん」
「まさか全部ブレアに作らしてんじゃないでしょうね!?」
「……うん……」
「うんてオイ!あんたホントにご飯食べてんの!?」
「昼、食堂あるから……」
「ばばばばばかじゃないの!もう一週間も経つのに!」
もしマカの体が自由に動いてたら、多分ブ厚い辞典かなんかが俺の脳髄に突き刺さっていただろうテンションの叫び声がむなしく部屋に響いた。いつもの癖で頭をかばいそうになる自分が悲しい。
3
「どんだけさびしがり屋だよ!ウサギかお前!ここに毎日通う暇があるなら買い物行ってよ!」
マカの怒鳴り声をビクビクしながら聞いているのがちょっと心地よくてショック。マゾか俺は。
死武専生としての自覚がないとか、小学生じゃあるまいしとか、そんな打たれ弱さでこの先どうするんだとか、私はソウルの親じゃないとか、その手のありがたーい説教をべらべらマカが並べ立てる。
「心配症のくせに執着心が薄いっていうかさ!一つ上手くいかないことあったら全部嫌になっちゃう癖何とかしなよ!そういうのってクールじゃなくて自立してないって言うの!」
ガミガミ怒るマカの顔が、いつもみたいにくるくる表情を変えない。
それがなんだかひどく悲しい。
「ちょっと、聞いてんの!?」
ボーっとしてんじゃないわよ!ご飯食べないからそんなんになるんだからね!まだ続くマカの強い口調。
俺はそいつをうまく飲み込めない。ずーっと飲み込めない。
口に入れる物がうまく飲み込めない。水だって上手にのどの奥に流れてくれない。
マカが
死んだかと思うと。
「…………いやな夢を見る。暗い部屋で一人になる夢で、マカの体がごろんと投げ出されてて、動かない。……悲鳴をあげて飛び起きる。毎日」
喉の奥から絞り出すような声で、ようやく言えた。
「……なに、それ」
「マカが朝おはようって言ってくれりゃすぐ忘れちまうようなくだらねぇ悪夢だけど」
ヘラヘラ笑おうとして、それは結局虚勢でしかないことが考えなくても分かったので眉を下げた。俺は弱い。そいつを認めなければ。
「それなりにキツいんだよ」
だけどそれを認めてしまったら、どうやって息をしたらいいのかさえ考えつかない。
「……いつから?」
「胸の傷手術したろ。あれからずっと」
「…………そ、んな前から……!なんで言ってくれないのよ!」
「言えるかよ、怖い夢見て眠れねぇなんて」
「ばかっ!大事なことじゃない!」
「お前が居るときは別に平気だったんだ」
辛くてもしんどくても、魂が削れても、マカが側にいると思うだけで奮い立つ、いくらでも蘇ってやる。でも、お前がいなくちゃオリジナリティの薄いチンケな悪夢にさえ挫かれる。自立してないって怒るか? 依存的だって笑うか? でもしょうがねぇじゃん。事実なんだから。
「俺、ストーカーの素質があるかも知んない」
「笑えない冗談」
セリフとは裏腹に、声の調子が笑っている。
失笑だけど。
「愛してるぜぇマーカちゃ〜ん」
仕方がないので適当にギャグっぽく茶化してその話は切り上げた。
4
とにかく飯はきちんと食えと説教くらって、部屋からおん出される。あれ、体が動いてたらきっと蹴りでもくれてたな。
ぼりぼり後ろ頭を掻きながら廊下を歩いていたら、待っていたかのようなタイミングで声をかけられた。
「よう。マカの調子はどう?」
「……珍しいな、キッドとリズは別行動か?」
「2人の付録みたく言うなよ、マカのオマケ!」
パティがぼんと背中をドツくので、俺は何となく飯がまだなら食堂に行かないかと尋ねる。……ああやだやだ、ほんとこの性格何とかなんねぇかな。
「奢り?」
「一品だけなら」
二人でよたよた歩きながら特に実のあるでもない話をして食堂へ向かう。
パティがあたしエビピラフね!と早速食券のボタンの前に指を待機させたので、俺はコインを投入する。チャリンチャリンと金属の落下音。
「ソウルは何にすんの?」
彼女が自分の食券を確保した後で尋ねるので、じゃあおれはカレーにでもしようかなとまたコインを入れた。
「んじゃこれ、頼むわ」
「あいよ〜」
ピューっと小動物みたいに金色のショートカットが受取口へ向かったので、俺は人気の少ない窓辺の方へ向かって席を取った。
窓の外はそろそろ日差しが傾いてきている。食堂も課外授業が終わったような生徒が3・4組見られるぐらいでがらんとしてんな。そう言えばここでみんなと飯食ったのっていつが最後だっけ? それともこれからまたあんな日が来るのかな? 取り留めのない予感めいたことが頭を渦巻くので、眉をしかめて無関係な事を口にする。そうすれば思考回路を元に戻せるという俺オリジナルのおまじない。
「……土曜の午後まで食堂が開いてるとは知らなかったぜ」
独り言のつもりでぼそっと呟いたら、左からパティの声がした。
「日曜もやってるよここ」
「んぁあ? は、早いな!」
「学食って“早い・安い・旨い”がモットーっしょ」
「どこの牛丼屋だよ」
皿を受け取り、スプーンから紙ナフキンを外していると、同じようにしてると思ったパティが胸の前で合掌しているのにちょっと驚き、だが何も言わずそれに倣った。
「……うちの坊ちゃんこういうのね、うっさいんだ。フォークとナイフの使い方、特訓しちゃったよ」
祈りから覚めて、パティがスプーンをピラフに差し込みながらまるで言い訳のようにそんな事を言う。
「食いものに感謝するってのはいい事だぜ」
「まぁ、こういう場所に居ると特にね」
「こういう場所って、死武専?」
「うん。エビとお米と卵とケチャップとその他もろもろの魂に感謝」
ふふん、という感じでパティが偉そうにも子供っぽくも見える不思議な笑い方をしてピラフを一口。
俺はその仕草がなんだかおかしくて、同じようにカレーを一掬いして「具の殆ど入ってないカレーにも感謝」と早口で言ってぱくついて笑った。
5
「なぁ、なんでキッドとコンビ組もうと思ったの?」
彼女のピラフが半分くらい皿から駆逐されたころ、俺はなんとなくそんな話を振ってみた。好きな音楽の話をちょっとして意外に趣味が合ったので、気が緩んでたのかも知れない。
するとパティは、二・三秒考えてからキッドくんにお姉ちゃんとのコンビネーションと武器化した時の形状に惚れられたからと言ってまたスプーンにピラフをいっぱい掬った。
「ソウルんとこは?」
ピラフを口に含む前にパティが短くそう尋ね返す。
「……んー、一応マカから声掛けて来たんだけど、なんだろうな。
マカは『ちょっと変わってるなーと思って、目についた』って言ってた。ほら、俺この風体だろ。あっちは鎌にヤなイメージしかなかったらしいんだけど……まぁ、なんか合ってるみたい」
いつも他人に言うお決まりのセリフを口に出すと、パティは口をもごもご言わせながらふーんとだけ言って、それ以上は喋るのをやめたのに。
「キッドって家でどんなの?」
これ以上続けたところで意味もない話を、俺は何故か間が持たないことを恐れて続けた。
「あんなのだよ。死武専いるときみたいに、シンメトリーシンメトリー言ってる」
「……キツいな……」
「最初の頃は人の寝室まで来て枕がシンメトリーじゃないとか言い出すから蹴ってやろうかと思った」
「―――――心中お察しします」
「あとはねぇ、テーブルマナーとかうっさいよ。ドレスの着付けとかさ、お茶の淹れ方とか、なんかいろいろ押し付けられてすんげームカつく」
照れたようにも嫌味な風にも聞こえるおかしなイントネーションのパティがそう言ってエビをスプーンでつついている。
「……の割には、嬉しそうな」
「構われるの嬉しいもん。ソウルだってマカに叱られてるとき笑ってんじゃん」
うひひひひ、とパティが人の悪そうな顔で声を上げるので、正直ドキっとした。
「わ、笑ってねぇよ」
「うそつけ、マカが他の人にマカチョップしてんの見ると不機嫌になるくせに」
「バァカ、同情してんの」
「わざとマカ怒らせるようなことばっかすんのに?」
いつの間にやらパティのペースにハメられて、俺は嫌な感じに心臓が踊り出す。あ、やべ、汗かいてきた。
「ぶ、武器ってそーゆー性癖になるんじゃねーカナ? 椿もリズもジャッキーもそーゆーとこあるし」
冷静な台詞を噛まないよう懸命に思い描いて、必死に流暢に口から出すというのがこんなに疲れる事だったっけと頭のどこかが笑っている。
そんなしどろもどろの俺をパティが声を出さずに笑って、なに、やっぱマカにまたイジられたんだと言った。
「あんたがあたしを誘うなんておっかしいと思った。
ブレアに聞いてるよ、メシ食ってないんだって? ほんと繊細すぎて笑う。マカ居なくなったら死ぬんじゃねーのお前」
けらけらけらけら、空っぽになった皿にきちんと食べ終わった後の置き方でスプーンを寝かせたパティが笑った。
6
「……でっけーお世話だ」
フンといじけるのも無様な気がして、素直に認めて降参した。女という奴は本当に容赦がなくておっかない。
「お前だってキッド居なくなったらキツいだろ」
でもせめてもの抵抗に、俺は最後のカレーの一掬いを口に含む前に早口でやり返す。
「そうね、泣き狂うかもね」
「……………………」
口に入っているカレーをもぐもぐとやりながら、述べるべきセリフを探す俺。
「でも多分、あたしとお姉ちゃんの方が先に死ぬと思うよ絶対」
あはは、という感じで気がどこにあるのか悟らせないパティがサラリと恐ろしい事を言った。俺はやっぱり次のセリフが出てこないものだから、もぐもぐもぐもぐ、冷めたカレーを噛んでいる。
「あんたマカのことどれだけ知ってる? お父さんがデスサイズで、お母さんがその職人で、ちょっと不器用で、成績優秀で、頑固で、綺麗好きで、ほんとは寂しがり屋で、本が好きで、ゴキブリが嫌いで、音楽の趣味が悪くて、努力家で。
あたしだってキッドくんのこといっぱい知ってるつもりだよ。みみっちくてすぐ挫けて甘え太で、正義感がやたら強くて一本気で、こうと思ったら曲げなくて、潔癖症でたまに馬鹿で、くそ真面目でむっつりスケベなの。
でもそんだけ。
それ以上は聞かない死神様との約束だからさ、死神の仕事のこととか、全然知らない」
長い長いセリフを言ってしまって、いつの間にか肘をついていたパティが窓の外に視線をやる。
その横顔がなんだかこいつらしくもなく神妙なもんだから、不思議な気持ちになった。
「そんだけ死神の秘密を知ってりゃ十分だろ、なんだよむっつりスケベって。はじめて聞いたぜ」
「なんでぇ? よく3馬鹿でツルんでエロDVDとか見てんじゃない」
「……なんでバレてんだオイ……」
血の気の引いた顔で目線を机の端っこに落とさざるを得ない。
「月一で男が大荷物持って三人合宿とか不審すぎんだよ馬鹿」
「……いや……親睦を深めるためにですね……?」
自分でも何だそりゃと思った言い訳が止まらないんですが。
「お前ら目の前に生の女が居るってのに二次元ってなんだよ、押し倒せよヘタレ」
「……お前がそーゆーこと言うからキッドが尻込みすんだと思うな……男の子ってデリケートだから……あとホラ、ボク達まだ学生ですし……」
目線がどんどんあらぬ方向へふらふら彷徨って、自分でもどこを見ているのかサッパリ解らない。いやな汗がとまらねぇよ!なにこの拷問!
「マカのこと好き?」
唐突にパティが俺の目を覗き込んでいた。いつの間に立ちあがったんだお前!
「ああぁ!? なななんだよ!急に!」
「キッドくんエロいことしないって約束であたしたち囲ってるんだって言ったら笑う?」
パティの顔はいつも通り笑っていて、声のテンションもいつも通り明るくて、普通だったら笑って済ましただろうに。
だけど俺は出来るだけ体の力を抜いて「そのおっぱい持ち腐れだな」と言った。
「キャハハハハハ!そうだ!男の夢なのにね!」
パティがけたたましく笑い声を上げたので、キッドは焦らしとかチラリズムとか好きだから、エロい下着とかよりフツーのパンチラとかの方がオチるぜ、と教えてやった。
7
それからずいぶん構っていたパティと別れて、おれはまたマカの居る病室に戻る。
「はれ? どったのソウル。なんか忘れもん?」
ドアを開けるとさっきの剣幕はどこへやら、ブックスタンドに新聞を立てかけて何やらニュースに目を通しているらしかった。
「ああ、忘れもん」
俺はドアを閉めて、マカのベッドの横に置いてあるスツールの前まで足を進める。
「なに? 財布とか?」
きょろきょろするわけにもいかないマカが目だけしきりに動かして忘れ物を探しているらしかった。
「いいや」
「見たとこ鞄とかじゃないよね? ベッドの下とか見てみなよ」
マカが俺の方へ視線をやったので
俺はしっかと彼女の目を見て
背筋をぴんと伸ばし
足を気をつけにし
指先まで心を配って
全身に力を込めて
思いっきり腹をぐっと引きしめた。
「そのパジャマこれ以上すり切れさせねぇからっ!」
決死の覚悟で言う割には、我ながら締まらないセリフだなと思った。
「………………………………はァ?」
案の定、キツネにつままれたような顔でマカがぽかんと口をあけている。
「もう二度とお前を家のベッド以外に寝かさねぇつってんだよ!」
自分の職人のこと俺はどれだけ知ってるのだろう? あれだけ一緒に居るパティがキッドのことを解らないと言うのだから、俺はきっとそれよりもっとマカのことを何も知らない。
マカは世界一の父親のことを、大して話さない。母親のことなんてなおさら話さない。それはお互い様だけど、それでも時間をかけて、少しでも知りたいと思う。……いつかマカに、自分のことを話せる日が来ればいいと思う。間抜けで下らなくて、恥ずかしい小さなことだけれど。
だからせめて、これが今の俺に出来ること。
弱い俺が強いマカにしてやれること。
武器が職人と共に往くこと。
「……うん。それでこそ世界一の職人の武器に相応しいわ」
にやっとマカが男前に笑って、満足そうに頷いた。
「……あ、ちょっと動いた!見た? いま首動いたよね!」
パッとマカの表情が嬉しそうに動き、また少しマカの首が上下に揺すられ。
「わ!わ!うごく!やったー!動くよソウル!ナイグス先生!」
嬉しそうに表情がくるくる動くマカが声を上げる。
………な…ナイグス……せんせい?
「おー、良かったなぁマカ。随分解けてきてるじゃないか」
カーテンの向こうから何とも言えないニヤニヤ顔で俺を見る白衣のナイグス先生が現れたので。
俺はウワァァァァア!と奇声を上げながら頭を抱えて保健室を飛び出して黄昏のデスシティに消えていくしかなかったのだった。
13:54 2009/08/05
パティ と ソウル と ナイグス先生 の 話
1
あたしは左右対称の部屋に忍び込んでいる。観音開きの扉を開けて、二つあるベッドピローの真中で眠るガキの耳元でささやく。
「ねぇ、おねーさんと遊ばない?」
「お前たちはいつもこんな事をしているのか」
ふっと金色の瞳が二つ苦もなく現れて、お坊ちゃんのタヌキ寝入りを知った。
「あたしはね」
「そうか、では金輪際もうよせ」
「何言ってんだガキの癖に。エロいことしたいんだろ? あたしがさせてやっからお姉ちゃんには触るな」
「……武器に触るなと?」
「お姉ちゃんは単純だからすぐ騙される。お前だっていい顔するのは最初のうちだけだよ、すぐに身体を差し出せって言ってくるに決まってんだ。だから取り引き、あたしだったらいくらでも突っ込んでいい。でもお姉ちゃんには触るな」
あたしはなんだか必死になっている。……へんなの、なんでそんなに焦ってんだ……
「お姉ちゃんはあんたのこと信じたがってる」
「お前は?」
「あん?」
「パティはどうだと聞いている。俺を信じてはくれないのか」
「あんた面白いこと言うね、一週間程度の付き合いで」
「時間など関係ない。信頼に足らぬと思われているということか?」
「あんたちょっといいセン行ってるよ、でも男って奴の手のひらの返し方はこちとら骨身に染みてんだ」
「言葉では伝わらんか」
「そうだよ。だから契約しな。破いたらあたし達は消える」
「では契約だ。お前はもう二度とこういうことをするな。誰に対してもだ。それが守られている間、俺はお前たちに不埒な真似は一切しない」
「はぁ?」
「悲しくなる。やめろ」
「それじゃお前に何のメリットもないじゃん」
「シンメトリーのお前たち以上は別に何もいらん」
「あはははは!カッコいいこと言ってんじゃねぇや」
「本心だ。お前たちの自由意思で俺を信じてくれるまで待つ」
「やめな、腹が捩じ切れそうだ」
「本気だ」
「こんなに気分を害したジョークは初めてだよ。
あたしたちはね、使えるもんは何でも使って生き延びてきた。ストアなんか盗んでナンボの場所だよ、自分が殺されるくらいなら迷わず人を殺すんだよ、そうやってあたしとお姉ちゃんは今まで……」
神妙にあたしの話を聞くキッドの顔をちらりと見て、その表情に同情の色が見えなくて、自分の企みがこいつに通用しないことにおかしな焦燥感を覚えた。なんだ、お前。マジかよ。
「……てな身の上話をすれば大抵『慰めて』くれるよ、みんな」
「人を試すような真似もやめろ。不愉快だ」
キッドはそう言って鼻の頭にしわを寄せてふいっと視線を外した。……まるで、出来の悪い妹を叱る兄貴のように。
2
「……久し振りに見たな、あん時の夢……」
お姉ちゃんとキッドくんのデートの日、あたしはいつもブラックスターと釣りに行く。
文句も言わず付き合ってくれるもんだから、あたしとしたことがつい甘えちゃっててサ。あたしあいつと親友にはなれないけどいい友達にはなれる……と、思ってたんだけど。
あの馬鹿、いきなりキスかまして来やがった。
ぶん殴っといたけど。
――――――――てなわけで、友情の破滅と共に行く場所を失って、死武専で昼寝を敢行してた。さすがに意味もなくデスルームに行けない引っ込み思案のあたしは寝ざめの悪い昼寝が済むと、もうする事がない。
フラフラどこへ行くともなしに廊下を歩いていたら、待っていたかのようなタイミングで角から出てくるソウルを見つけた。こりゃ渡りに舟だね、サンキュー神様!
「よう。マカの調子はどう?」
いつもの調子で満面の笑みを浮かべて声をかける。
「……珍しいな、キッドとリズは別行動か?」
「2人の付録みたく言うなよ、マカのオマケ!」
いちいち人の勘に触るセリフの上手い馬鹿だねチキショー。あたしはムカつき半分ツッコミ半分でソウルの背中を殴った。マゾ野郎がなんだか嬉しそうな顔をして飯がまだなら食堂に行かないかと尋ねる。……ふん、空気は読めるんだ。
「奢り?」
「一品だけなら」
ちょっ、ケチだな。食堂へ向かう道すがらにそんな事を言ったらソウルが渋面で、お前メッチャ食うもんと肩をすくめた。
ソウルの気が変わらないうちにエビピラフの食券とカレーの食券をせしめて受取口へ飛んでいくと、食堂のおばちゃんが「あれ、今日の彼氏は黒髪じゃないんだね」と笑ったもんだから「うへへへ、あたし実はモテるんだよ!」と言葉を返す。
死武専の教員はともかく、職員にはあんまりキッドくんの身元が割れてない。もしかしたら、あるレベル以下の生徒にも知られてないかも知んない。……あ、でも、あいつ目立つからな……
死神様がキッドくんを率先して晒さないのは、つまり彼がまだ自分の後継者として不完全だって認識があるということだ。あたしとお姉ちゃんはつまり、キッドくんの期限付きのお守りなのかもしれない。
そんな事をふと思った。……考えすぎかな。
ぼんやりしてたら食堂のおばさんがトレイにピラフとカレーをドンと置いた音で正気にかえる。
やべー、お腹空き過ぎて意識トんでた!と笑って白髪を食堂に探したら、アホの魔鎌も同じようにぼんやりと窓の外を見たまま固まっている。……やな同類だなオイ。
「……土曜の午後まで食堂が開いてるとは知らなかったぜ」
側に立ったら気障なんだか間抜けなんだか判断に困る事を言ってるので、吹きそうになった。
皿を渡して、いつも通りに食前のお祈り。デスルームにまします我らの父よ、今日の糧に感謝いたします。
「……うちの坊ちゃんこういうのね、うっさいんだ。フォークとナイフの使い方、特訓しちゃったよ」
祈りから覚めて、ソウルが慣れたように胸の前で合掌しているのを見て、なんだか気恥かしい。こいつ、なんつーかこういう気障ったらしいこと自然に出来ちゃう奴なんだよな。
まるでうちの坊ちゃんみたい。
3
「なぁ、なんでキッドとコンビ組もうと思ったの?」
つい今さっきまでナーズがどうとかPOPがどうとか講釈垂れてたソウルが急にそんなことを言い出したので、あたしはさらりと正解を教えてやるのが妙に癪で、二・三秒考えてからキッドくんにお姉ちゃんとのコンビネーションと武器化した時の形状に惚れられたからと言ってまたスプーンにピラフをいっぱい掬った。
……なんだよ、そう言うこと聞く為にあたしの好きな種類の音楽の話で距離計ってたってわけか。
「ソウルんとこは?」
それとも、それを訊いて欲しかったのか?
「……んー、一応マカから声掛けて来たんだけど、なんだろうな。
マカは『ちょっと変わってるなーと思って、目についた』って言ってた。ほら、俺この風体だろ。あっちは鎌にヤなイメージしかなかったらしいんだけど……まぁ、なんか合ってるみたい」
面白くもなんともない定型文みたいなことをソウルが垂れ流すので、ああ、結局こいつは聞きたいのでも訊かれたいのでもなくてただ単に確認したいだけなのだなと思った。
自分に言い聞かせてるのだ。自分はマカに選ばれたのだと。
「キッドって家でどんなの?」
これ以上続けたところで意味もない話を、ソウルが苦し紛れに続ける。そら、やっぱりあたしを独り言で自爆しないための壁にしやがったな。
そこまで持ってた反感がふっと霧散する。結局ソウルと自分の違いなど人に胸張るほど見つけられないのだと自嘲気味に思って、付き合ってやることにした。……こんなのじっと聞いてたんだからブラックスター、おめーはほんとエラいよ。
「あんなのだよ。死武専いるときみたいに、シンメトリーシンメトリー言ってる。最初の頃は人の寝室まで来て枕がシンメトリーじゃないとか言い出すから蹴ってやろうかと思った。
あとはねぇ、テーブルマナーとかうっさいよ。ドレスの着付けとかさ、お茶の淹れ方とか、なんかいろいろ押し付けられてすんげームカつく」
長々と訊いて欲しい事を喋ってたら、なんだか楽しくなってきた。
「……の割には、嬉しそうな」
案の定ソウルから突っ込みが入ったので、いちいち失うことに怯えてるお前なんかと同列にすんなと鼻を鳴らす。
「構われるの嬉しいもん。ソウルだってマカに叱られてるとき笑ってんじゃん」
「わ、笑ってねぇよ」
「うそつけ、マカが他の人にマカチョップしてんの見ると不機嫌になるくせに」
「バァカ、同情してんの」
「わざとマカ怒らせるようなことばっかすんのに?」
そら、吐き出せよ。言っちまえよ。知らん振りで腹に溜めてんの、もういい加減飽きたんだろう?
「ぶ、武器ってそーゆー性癖になるんじゃねーカナ? 椿もリズもジャッキーもそーゆーとこあるし」
しどろもどろのソウルの顔があまりに可笑しい。なに、やっぱマカにまたイジられたんだ。
「あんたがあたしを誘うなんておっかしいと思った。
ブレアに聞いてるよ、メシ食ってないんだって? ほんと繊細すぎて笑う。マカ居なくなったら死ぬんじゃねーのお前」
けらけらけらけら、笑いながらソウルとはブラックスターと別の意味で親友にはなれないと思った。
4
「……でっけーお世話だ。お前だってキッド居なくなったらキツいだろ」
卑屈に拗ねた可愛げのないソウルの顔が年相応のプライドと共に歪んでくのを見てると楽しい。ははは、バーカ。
「そうね、泣き狂うかもね」
あたしはただ素直にそんな事を口にした。馬鹿にすんな、行儀のいいお前なんかと……こちとら捻くれ度合と年季が違うんだ。
「でも多分、あたしとお姉ちゃんの方が先に死ぬと思うよ絶対」
あはは、と笑い飛ばす物の意味は、本当はよくわからない。見栄を張っているのか、恐れ知らずをアピールしたいのか、滑稽なパフォーマンスなのか。でも、強がりだけは違うと思う。……それだけは違うはずだ。
「あんたマカのことどれだけ知ってる? お父さんがデスサイズで、お母さんがその職人で、ちょっと不器用で、成績優秀で、頑固で、綺麗好きで、ほんとは寂しがり屋で、本が好きで、ゴキブリが嫌いで、音楽の趣味が悪くて、努力家で」
あたしマカのことあんまり知らない。知ろうとしないから。必要なことは知ってるから。マカがいい奴だってことはもう知ってるから。
「あたしだってキッドくんのこといっぱい知ってるつもりだよ。みみっちくてすぐ挫けて甘え太で、正義感がやたら強くて一本気で、こうと思ったら曲げなくて、潔癖症でたまに馬鹿で、くそ真面目でむっつりスケベなの」
あたしキッドくんのことあんまり知らない。知ろうとしないから。必要なこと以外知っちゃいけないから。キッドくんの運命がこの先どうなるのか、知ったらきっと生きていけない。
「でもそんだけ。
それ以上は聞かない死神様との約束だからさ、死神の仕事のこととか、全然知らない」
なんとなくソウルの目を見るのが怖くなってきて、窓の外に視線をやる。……本当は、笑い以外が自分の顔に出てるのが不安なのかもしれない。
「そんだけ死神の秘密を知ってりゃ十分だろ、なんだよむっつりスケベって。はじめて聞いたぜ」
ソウルが少し声を明るくして、馬鹿な事を言う。……フンいいよ乗ってやる。お前もほんと、お人よしだね。
「なんでぇ? よく3馬鹿でツルんでエロDVDとか見てんじゃない」
「……なんでバレてんだオイ……」
「月一で男が大荷物持って三人合宿とか不審すぎんだよ馬鹿」
「……いや……親睦を深めるためにですね……?」
「お前ら目の前に生の女が居るってのに二次元ってなんだよ、押し倒せよヘタレ」
「……お前がそーゆーこと言うからキッドが尻込みすんだと思うな……男の子ってデリケートだから……あとホラ、ボク達まだ学生ですし……」
バカが目を白黒させて訳の分らない言い訳だか何だかを矢継ぎ早に口にしているのがさすがに哀れになってきた。じゃ、解放してやっか。ストレスも解消できたし。あたしは満足げに席を立ってトレイに食器を載せる。
「マカのこと好き?」
唐突にそんな事を訊いたら、ソウルが目に見えて取り乱した。
「ああぁ!? なななんだよ!急に!」
「キッドくんエロいことしないって約束であたしたち囲ってるんだって言ったら笑う?」
自分でも良く解らないことを尋ねているなと思った。このお子様がまともに取り合うとも思わないけれど、なんとなく、そんな事を尋ねたい気持ちになった。……理由は、よくわからない。
ソウルがしばらく眉を寄せた後、またさっきの明るい声で「そのおっぱい持ち腐れだな」と言ったので。
「キャハハハハハ!そうだ!男の夢なのにね!」
あたしは大いに笑ったのだった。
5
「ねえ、あんたこの後ヒマ?」
ソウルがかばんを持ちなおしている間にあたしはトレイを返却口に置いてきて戻ってきた。
「あん? なんで?」
「あんた料理得意だったじゃん。ホントは椿ちんに教えてもらう約束だったんだけどさ、いまブラックスターと雰囲気悪くて。シュークリーム上手く膨らまないんだよね」
「おー、パティって菓子も作んのか」
「パティシエ・パティになんつーこというんだよ」
「―――――いいぜ。教えてやるよ、チョコケーキでも、チョコシュークリームでも」
「……こないだキッドくんがくれたやたら硬いチョコシフォンって、やっぱあんたの差し金か」
「うひひひひ。クロナって不器用なのな!ありゃマカを上回る逸材だぜ」
ご機嫌なソウルが調理実習室に向かって足取りも軽やかに跳ねまわる。
「おいおい、今から材料集めるのダリーっしょ!コツメモってよ!」
「生地だけ作ってやっから後はお屋敷のオーブンで焼け!卵と小麦粉と牛乳とチョコレートぐらいそこのコンビニで買えんだよ!」
あっという間にソウルが廊下から消えたので、職員室に調理実習室のカギを借りにゆくことにした。
「ちーす。調理実習室のカギ貸してくらはい〜」
職員室のドアを開けると包帯女のナイグス先生がいて、コーヒーを片手にこちらを見ている。……げっ……あたしこの先生苦手なんだよな……
「どうしたパティ。今日はキッドとリズは一緒じゃないのか?」
「―――――いや、そのう、えーっと、二人は特別の任務でぇ〜……」
「……なんだ、置いてけ掘りを食ったのか。で、調理実習室は何に使うんだ?」
「やー、その、ソウルがシュークリームの作り方教えてくれるっつーんで……」
「……つまり私用だな?」
「あー、まあ、そうだけど……ダメ?」
両手を合わせて片目だけでそうっと包帯女を見上げていると、褐色の頬が少しだけ緩んだ。
「―――――取引するのなら今回だけは目を瞑ってやるぞ。……ソウルがちょっとヘコんでる、元気付けてやって欲しいんだ」
「あいつが元気満タンのとこって見たことねーよ?」
あたしのセリフに先生が苦笑いをして、前回ずいぶん強くやられたみたいでな……食事もまともに食べてないらしいし、どうにか発破掛けてやってくれと言って調理実習室のカギをくれた。
「戸じまりとガスの元栓はしっかり。終わったら私の机の上にでも置いといてくれればいい」
「ほーい」
「……まったく、あの年頃の子は男も女も面倒だよ。武器と職人なんて関係だと特に」
ナイグス先生がそう独り言のように言ってコーヒーを一口飲んだ。
「なんで?」
「――――――――人間関係を武器と職人の信頼関係の中だけで完結させちまうからさ。恋も友情も未来さえ、全部そいつとだけで賄えると勘違いする。……世界を閉じるにはまだ早い歳なのにね」
お前も気をつけなさい、キッドと自分が溶け合ってしまわないように。包帯女はそれだけ言って、ふっとその場から立ち去ってしまった。
6
「――――――――な、わかったか? あんまり混ぜ過ぎると生地がヘタんだよ。な、こう。やってみ」
「切るように、っしょ」
「うん、そう。……やっぱ上手い奴に教えんの楽だわ」
コンビニの袋にホットケーキミックスの空袋と玉子の殻をばんばん放り込みながら、にこにこソウルが心の底からご機嫌マックスで後片付けを開始する。「家だとバンダナがあるんだけど、ないから髪留めるのに買ってきた」といたずらっぽく笑うソウルの頭に輝く黒いカチューシャが白い毛に馴染まなくて可愛いったらありゃしないものだから、ジャンパーにカチューシャは似合わないと笑ってごまかした。
「氷で冷やしながら持って帰れば劣化しねぇから、ちょっと冷蔵庫で休めて焼いてみ。ふっくら出来るから。あ、でもホットケーキミックスで作ったからカスタード甘くするとしつこいぞ」
「あんたホントこういうせせこましいの好きだね、お姉ちゃんみたい」
「“料理は計量と経験”が俺のモットーだからな」
「キャハハハハ!鉄鍋のジャンには出られそうもない信条だね!」
「あんな超人オリンピックなんざ御免被るっつーの。俺はフツーの人ですよーだ」
ピーっとラップを引っ張り出して、バターをくるくる巻きながら箱に仕舞うソウル。
「んじゃこれ半分こでブレアに作ってやんなよ。ココアクリームなんか入れたら美味そう」
「ブー。猫はカカオ食うと血がトケるんだぜ。……あれ、下痢するんだっけ?」
「えー、それって犬が玉ねぎ食うとってヤツじゃないの? そもそもあいつ魔法猫でしょ?」
「猫の致死量に何が相当するか分かんねえからな。ブレアの食うものはブレアが調達するのがうちの決まり。……ま、最近迷惑掛けてっし、今日の夕飯ぐらいは何か作ってやるか」
溜息も嬉しそうで、なんかむずがゆい感じ。はいはいごちそうさまですよ。
ボウルの中の生地をサクサク混ぜ込みながらムクムクと頭を擡げるあたしの中のサディステック。
「あんた、マカの嫁になればいーじゃん。んで、マカが主人。……今もか」
「――――――――無理。俺あの舅と上手くやってく自信ナイ」
およっ、マカの嫁にはなる気あるんだ。そんな事を突っ込む暇もなく、ソウルがこっちを向いた。
「そっちのお父さんはどうよ。……いや、義理のお兄さんかね?」
「……なななな、なに、それェ?」
「俺、見ちゃったんだよね。死神様とリズがデスルームで見つめ合ってんの。マカは連絡事項の最終確認っての鵜呑みにしたけど、あいつほらそういうの鈍いから」
うううう、スルドイ……てか死神様、隙あり過ぎだよォ〜……死武専生にソッコーでバレてんじゃんっ!
「しししししぃらなぁ〜い……」
「お前嘘つくの下手だなぁ。そんなんだからクロナがイマイチ積極的になれねーんだろうな」
ソウルはまるでさっきのナイグス先生みたいに、何もかもお見通しですよと言う胸糞の悪い言い方をした。あたしはそれが癇に障って……胸の奥がキューっと痛む。それがあんまり苦しいから、言葉が出ない。
「おれはクロナの味方はしねぇよ、別に。どっちかっつーと、お前の味方だ」
それをじっと見てたソウルがゆっくり静かに口を開いた。あたしはからくも喉から空気を押し出す。
「なんで。お前、マカの奴隷じゃないの?」
「違うわ!…………なんかな。なんでだろうな。クロナは悪い奴じゃねえし、仲間だよ。でも、キッドは多分、お前と居た方がいいと思う。―――――少なくとも、俺はそう思うね」
「――――――――ソウルが思っても、そんなの、意味ないじゃん」
「ないけど。俺はそう思うんだもん。しょうがねえだろ」
蛇口をひねって器具を洗う音がする。じゃぶじゃぶ、じゃぶじゃぶ、水滴の跳ねる音。ソウル、水出し過ぎだよ。そんなことしたら服がびしょ濡れになるだろバカ。
あたしは自分の蛇口が緩まないように、水をこぼさないようにするのに必死で、そんな軽口も叩けない。
「でも、もし本当にこれでいいって思うなら、そうすればいいよ。魂に嘘を吐き続けるのは、辛いけど」
最後にソウルが主語のないセリフでこの話を終わらせた。
7
屋敷に帰ってシャワーを浴びた後にぼんやりしてたら、お姉ちゃんがぐったりした顔で・キッドくんがホクホク顔で帰って来た。どうやら今日はキッドくんがデートコースを決めたらしく、両手にいっぱいの見るからにシンメトリーグッズの入った袋。
うわぁ、お姉ちゃんマジお疲れ……
「ずいぶん遅かったね、料理長もう帰っちゃったよ」
「む、7時に帰宅するのが癇に障ったのでな!一時間ほど屋敷の庭を散歩していたのだ」
「……ホントたまらんよ……今日一体どんだけ歩いたと思ってんだ……」
お姉ちゃんがヨレヨレになった声でテーブルの上にくたばったまま唸ってる。
「ん、まあ先にシャワー浴びといでよ。その間スープ温めるからさ」
んあーと疲れた体を引きずるお姉ちゃんを横目にあたしは読んでた雑誌を脇に置いて、我関せずとプレゼントの包みをバリバリ開けてるキッドの頭を小突いた。
「ほーら、キッドくんも。シンメトリーはあとあと!とっととシャワーいっといで!」
「いやしかしパティ、このカトラリーセットは……」
「あーもうまたプラスチックの買ってきて!すぐ折れたとか言って泣くんだから安いの買うなよォ」
その辺にあった紙袋をさっと取り上げてケツを蹴りあげる。……もちろん、優しく。
「おらっ!風呂行け風呂!サッサとしないとご飯食べらんないだろーがっ!」
ぶつぶつ文句を言いながら、あたしの手の中の紙袋を名残惜しそうにしてキッドくんが部屋を出る。
――――――――ん、やっぱここはこーでないとねぇ。
あたしはなんだかウキウキしてきて、スキップでキッチンに飛び込み、スープを温めて冷蔵庫から盛り付け終わったサラダのお皿の上に軽く焙り直したチキンの手羽先を並べ、レモンとサワークリームを載せる。
パンとバターを出して、さっき作った例のデザートを確認。オードブルにタコのカルパッチョを盛り付けてゴンドラに乗せる。
食堂の三面にきちんとキッドくんがさっき買ってきたカトラリー(4セットだったけど今日は死神様が遅くなるから3セットだけ出す)を並べて……シンメトリーに並べ直して……完成!
レモンを絞った冷たい水をグラスに注いでたら、ちょっとだらしない恰好のお姉ちゃんと、ビシッと決まった部屋着のキッドくんが登場する。……ん、2人ともシトラスとミントのいーにおい。
お祈りをして、やっと夕食。あたしはもうキッドくんとお姉ちゃんと喋れるのがうれしくてうれしくて、話題を頭の中に猛烈な勢いで並べ立てる。
「今日ソウルとお昼一緒に食べてさ、なんでキッドくんとコンビ組んだのって聞かれた」
「なんと答えた」
「キッドくんに惚れられたから」
「あながち間違いじゃないな」
お姉ちゃんがくっくっくと笑ったから、あたしもなんだか面白いような気がして口角を上げた。
「キッドくんエロいことしないって約束であたしたち囲ってるんだよぉって言ったらソウルお茶吹いてさ」
ぶはっと二人が同時に噴き出したので、けらけら笑って続ける。
「このおっぱい持ち腐れでしょって言ったらすんげーウケてた」
「お、お前はソウルに一体なんの話をしたんだ!?」
うひゃひゃひゃひゃ、と笑って、あたしは満面の笑みで返すのだ。
「武器と職人は二人で一つだけど、二つで一人じゃないんだよってこと!」
14:29 2009/08/19
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