※警告※
この話は「バトル・ロワイアル」のダブルパロディものです。
筋や展開は全くの別物ですが
バトル・ロワイアルのシステムを多少拝借して展開します。
バトル・ロワイアルを知らなくてもお楽しみいただけますが
バーレスク・ショウでもかなり珍しい形態になっておりますので
ご注意ください。
相良宗介 と 千鳥かなめ の 物語
1
彼が撃ち抜いた。綺麗に、寸部の狂いもなく、一発で。
彼女は持っていた銃を取り落とし、視線の先にいる同級生と親友に一言だけ言葉を漏らした。
「殺されないでね」
一度だけ微かに呻いて彼女が事切れる。
「……いくぞ、千鳥」
その死体に近場にあった自転車カバーを掛け、少年が顔も見ずに少女の腕を強引に引っ張った。
「…………………………放せ、自分で…」
「……そうか、では走れ」
雨が地面を叩いている。水分吸収の悪い古アスファルトは洪水のようにそこここに水溜りが出来ていた。二人はその水溜りをものともせずに走ってゆく。
Happy−Go−Lucky−Days
「ソースケ。今日ヒマ?ちょっと付き合って欲しいんだけどいいかな」
かなめは帰り支度をしている宗介の横顔に話しかける。
「内容によっては善処しよう」
「恭子の誕生日が近いのよ、プレゼント一緒に選んで欲しいの。お金はあたしが出すからあんまり高いのはダメだし…」
武器弾薬装備品も却下、デザインだってあんたじゃ役に立たないだろーけどアドバイスぐらいは出来るでしょ?くひひひ、と笑いながらかなめがむっとしている宗介の頭をぐりぐり撫でた。
「怒らないでよ事実じゃない」
最近かなめはすこぶる機嫌がいい。それが何故かは宗介には分からなかったが、そんな彼女を見ているのが彼には辛かった。
数ヶ月前、とある事件があった。その内容はここでは省くが、宗介はその件によりひどく精神の均衡を乱し、体調をも崩してしまい入院を余儀なくされた。体調管理に関してはプロフェッショナルの彼らしくもなく、完全に衰弱しきった様子であったこともあり、彼の代わりにクルツが彼女の護衛に当たっていた。
そして回復した彼が戻ってきたのが2週間前。
彼女は彼が帰ってきたのが嬉しくてたまらないのだ。
「だって入院先も教えてもらえないから心配したのよ。クルツくんがいろいろ教えてくれたからちょっとはマシだったけど」そう言って笑う彼女の、なんで入院なんてしたの?日本に居て銃撃戦なんかなかったんだから怪我じゃないでしょ?という問いに彼は黙して決して語らなかった。
「じゃあ、行こう。
生活用品より、アクセサリーの方がいいかな?」
水色のスカートを翻す彼女が笑いながら彼に話しかけた。
宗介はやっと慣れてきた彼女の輝くような笑い顔に…ほんの少しだけ口の端を持ち上げて笑った。
2
「きーてよクルツくーん!」
「ワオ!かなめちゃんかい?どうやってここの番号を!?」
「こないだ来た時に無理矢理渡したじゃない!
それはいいんだけど聞い……と、仕事中?」
「いや、休暇中で日本に居るんだけどね。よかったらそっち行こうか?電話代かかるでしょ」
うん、来て来て!ごはん作っちゃうから一緒に食べよう!少女の明るい声が聞こえて返事をし、電話のパワーボタンを押す。
「…………きてきて…か。」
あのバカ野郎、またくだらないことして怒らせたのか。いつまで経っても女の子の扱いを理解しない奴だ、まったくもって勿体無いことこの上ない。
少し憂鬱な表情をして吸いかけの煙草をホテルの窓から投げ捨てた。
「ダメだよお嬢ちゃん、こんな夜に男に電話掛けて部屋に誘っちゃぁ」
クルツは宗介の居ない間、彼女の護衛をしていた。派手な外見の割りに余り自分が目立たなかったのは多分彼女のおかげだと思う。あの子はいい子だ、頭の回転が速いだけじゃなく、人に気を使えてしかもそれを悟らせないことが出来る。
――――――なのにお前は怒らせてばかりだな。
ちょっとムカつく、とクルツは思った。なにしろ彼女ときたら彼に尋ねることは殆ど全て宗介関連のことばかりで少しも彼自身のことは尋ねてくれはしなかった。嫉妬とは違うのだが、悲しい気持ちになったのは事実だ。
あんな朴念仁なんかほっといておれにしなよ。笑いながらそんな事を言っても彼女は少しも揺れなかった。
「そうしたいのは山々なんだけど……どうもあの戦争バカが好きみたい」
困ったみたいに眉間にしわを寄せながら悔しそうに好きと言った。宗介が好きだと。
――――――わかってんのか、戦争バカ。お前、分かってんのかよ。
たったの2ヵ月半一緒に居たおれがこんなにいい子だと分かるんだからお前だって分かってんだろ、少しは…………いや、あいつも……
ふっとクルツは笑う。彼が彼女と出会って変わったことをよく知っているから。
3
「あームカつく」
ぐったりダイニングテーブルに突っ伏したかなめが手に持っているノンアルコールビール缶をテーブルに叩きつける。
「あのバカはしょーがねーなーもー。……だからあの時おれにしとけって言ったのに」
「……あのね、あたしのことバカだと思ってるでしょクルツくん。」
急に彼女がテーブルに突っ伏したまま固い声でクルツに噛み付いた。
「はぁ?なんで?」
意外も意外、という風にクルツが声を荒げて訊ね返すが、かなめはしばらく押し黙ってから静かに切り出した。
「恋する女を甘く見るのは感心しないわ。
で、これは極一般的な恋する女子高生的見解なんだけど……クルツくんには想い人が居ると見た。
この結論に達した理由は三つ。コナ掛けてもそれ以上は踏み込まない、こんな状態のあたしを押し倒そうとしない、女好きってスタンスにしては恋愛論が実に紳士的。慎重派で正々堂々勝負って信条……あたしそういう自分の恋心に誠実な人、結構好きだよ。……想ってる仲間って意味でだけど。」
ぎくりと固まって声も上げないクルツをむくりと起き上がったかなめが目を見据えて言い切る。
「ほら、動揺してる。案外純情なんだ」
「――――――ノンアルコール、だよな……コレ」
かなめの持っている缶をひょいと持ち上げて表示を確認する。アルコール度0%。当たり前だ自分が購入して彼女に与えたのだから。
「素面よ。……でもちょっと勢い付いてるのも事実かな、こういうこと正直に話せる人って他にいないし。ごめんね、付き合わせちゃって」
いいや、構わないよ。おれ女の子の弱いとこ好きだし。……いつも強気な子なら特にね。にやっと笑いながらクルツが飄々としているので、かなめはそれをありがたいと思った。
「クルツくんのそういうとこ、助かる」
「そりゃ光栄ですエンジェル」
天使。あたしのコードネーム。……彼もまた、仕事であたしと付き合っている。でもそれに過ぎないわけじゃない。かなめは確信に近くそう思っている。誰より強く思っている。
信じていないと、こいつらとは付き合ってられない。
4
むぅ、と宗介は独り言を漏らした。
今すぐ出て行って二人を引き剥がしてやりたいという憎悪にも似た感情を押さえ込めるのに必死なのだ。耳にあてるヘッドフォンから聞こえてくる二人の楽しそうな会話を聞いているだけで気が狂いそうになる。一体なんなんだこの意味不明な精神の乱れは。まるで入院しているときのようじゃないか。
入院先の病院で教えてもらった精神を落ち着けるための丹田呼吸を繰り返してはみたが、一向に効果もなく徒労に終わる。
おかしい、いつもならこれで大抵の事は気が治まるはずだが。
焦りのような嫌悪のようなイライラは宗介の中で次第に膨らんで、彼の呼吸を阻害している。
『あぁ…んっ、やぁだクルツくんったらぁ、どこ触ってんのよぉ』
それはスイッチだった。
あったことさえ知らなかったスイッチ。
彼の顔にはいまや深い影が落ちて、支給品であるヘッドフォンをまるでゴミ屑みたいに投げ捨て、すっくりと立ち上がる。
「クルツ…いい加減にしろよ」
『いいじゃん、あの戦争バカなんかほっといてさー、おれといいことしよーよ』
『……くすくすくすくす、じゃあ、そうしよっかなぁ?』
ぶち、と部屋中に大きな音が響いた。ヘッドフォンの端子が抜けた音ではない。ヘッドフォンのボディそのものが引きちぎられた音だ。
落ち着け、落ち着くんだ、今ここで出てったら間違いなく二人に小突き回されるぞ、落ち着け、落ち着けったら。胸を締め付けるように自分の襟首を掴んで粗い呼吸を何とか鎮めようと足掻く。ピリピリする精神をなんとか丹田呼吸によって宥めようとする。なんて無駄な行為だろうと思うが、そうしなければ大声を出してそこら中の計器に八つ当たりをしそうだったのだ。
「落ち着け、落ち着け、大丈夫、何も心配は無い……かなめがそんなふしだらな真似をするわけが無い。盛るな、怒るな、平静を保て相良宗介。」
大きく息を吸い、細く長く息を吐く。同じリズムで、同じテンポで、頭の中を真っ白にして。
「……大丈夫だ、クルツだって保護対象に手を出すまで愚かな男では――――――あるかな」
宗介は少しだけ上目遣いになってふと過ぎる嫌な予感を憂いた。
5
「なんだと宗介コノヤロウ!」
「まーまーまーまー。
つーかさー、これってどう考えたって職権乱用よねー」
「ついに単なる覗きに成り下がったかあのバカ。ったく乗り込んで殴られたとき用のセリフまで考えてたおれの立場はどーなる」
「……あのね……」
かなめは頬杖つきながらテーブルの上にある使用法の分からない機械を指でつついて呆れ声を出した。
「しっかしまぁ分かりやすいわよねー。盗聴器だって。バカじゃないのあいつ、あたしとクルツ君の間になんかあるとでも思ったのかしら。」
「くっくっくっく、愛されてますねお嬢さん」
「冗談!こんなのプライバシーの侵害よ、犯罪よ、失礼極まりないわ!」
盗聴器に接続されているレコーダーにはつまらない二人の演技が吹き込まれている。酒を飲んだときに悪乗りして録ったバカ会話を切り張りして、宗介をからかう為に作ったテープを流しているのだ。
「だいたい!何で今さらあたしの時計に細工なんかして盗聴器付ける必要があるのよ?
……そりゃ、捨て台詞にクルツ君の方がよっぽどマシだわって……悪かったとは思うけどさ」
ああーダメだぁ、とかなめが再びテーブルに突っ伏す。
「二ヶ月もべったり居たから何かにつけてクルツ君と比較する癖がついてるー
だってしょーがないじゃないのよーあんたより大人なんだもんこの人ー」
がしがしと頭を掻き毟りながら泣き言を言うかなめの頭を、クルツがいい子いい子という風に撫でた。
「うんうん、あんな戦争バカよりなんでもスマートにこなせる大人の魅力に参っちゃったんだよね」
「違・う・わ・よ!…………あ、いや、うん……そうかもね」
重い声になったかなめが憂鬱そうな表情のまま起き上がって続ける。
「あたしあんまり男の人とこんなに深く付き合ったことないから……たしかにあなた本当にいい人だし常識的だし、そりゃちょっと軽いかなぁとは思うけど。
この二ヶ月半の間ほんと楽しかったの。ごたごたもなかったし、誰かさんが大人しく入院しててくれたから心配事も無かったしね。
……でも、やっぱり寂しかったのよ。宗介が居なくて……寂しかったの」
うな垂れるかなめの独白をクルツはビールをちびちびあおりながらじっと黙って聞いている。視線は彼女が話しやすい程度に少しだけずらして。
「なのにあいつ、あたしの顔見るたびに悲しそうな顔しちゃってさ……なんなのよ、もう。
どこ連れてってもうわの空だし、その割には妙に張り切っちゃって騒動は二倍引き起こすわ、あたしに近づく男の人は軒並み攻撃するわ……もう……わかんない」
「……かなめちゃんて…処女?」
クルツが少し物を考える素振りをしてとんでもないことを切り出す。
「なっ!?」
「――――――あー、悪い急に。変な意味じゃなくってさ……男、知らないだろ」
ぐっと黙ったかなめの顔を一瞥してまた彼はビールをあおる。
「そっ…それがなんなのよ!今関係ある!?」
「大有りだね。
アレ、確かに戦争ボケで堅物でバリバリの現実主義者だけど……男なんだよね。だからやっぱあるわけよ、あいつにも男のドリームつうのが。
で、こっからは単なるおれの予想なんだけども――――――多分、あいつかなめちゃんの事をようやく意識し始めたんだと思うんだ。自分で認めたんだろ、君の事をすきだって。入院中に心境の変化でもあったかな?ま、ともかく男のドリームを成就せんとするいじらしい少年の恋愛衝動なワケよ、これも。」
「……と…い、言われてもぉ……」
ぽっと赤くなったかなめの顔にニヤリとしながらクルツは続ける。
「でもあのバカの暴走する恋愛衝動を経験の少ないかなめちゃんは上手く流せないわけ。そんで衝突する。いいねぇ青春だー。
こればっかりは自分たちで頭打って痛い目みなきゃなんないことだから、まぁ精々のたうち回りな。」
ひひひひ、と引き笑いをしてクルツは缶に残っている最後の一口を飲み干した。
「そんなのあたしばっかりのたうってて不公平じゃない」
「今の音声聞いてただろ、あの無表情むっつり男がとんでもねぇ取り乱し方してたじゃねぇか。ヘッドフォンに八つ当たりなんかしちゃってさ、カワイイー」
両手をグーにして口元に当て、古い女子高生ぶりっ子の格好でクルツがキャーと言う。かなめはそれを冷めたジト目で見ていたが、しばらくしてふっと笑った。
「そう単純な話でもないと思うけど」
彼女のその言葉にぴくりと眉を動かして、まるで先生のような表情でクルツが返す。
「――――――へぇ、侮れない発言」
やっぱり彼はあたしを頭が悪い女だと思っているな、とかなめは眉をしかめた。
「……あいつの闇は深いよ、きっと君の知る他の誰よりも。
君の人生で初めて出会う種類の闇。そんで多分永遠に君には分からない。理由を聞いても、君には理解できない。何故なら――――――」
クルツが言葉を続けようと思った次のタイミングに声が聞こえる。
「何故なら、あたしは彼じゃないから」
でしょ?とウインクひとつ決め、かなめが笑う。気楽に、当たり前みたく。
「あたしが平和しか知らない、彼が戦争しか知らない、そんなことじゃないわ。そんなどうでもいいことじゃない。
過去は怖い。ソースケがどんなことをしてきたかあたしは知らないからこうやって付き合ってられるってのも分かってる。
偶に思うの、この人笑ってるけど…どっか泣いてるみたいって。クルツ君が言うように多分一生理解出来ない。でも……理解しようとすることは出来るんじゃないかな」
楽観的過ぎる?失笑気味にかなめがテーブルに視線を落とす仕草を、彼は言葉も掛けずにじっと見ている。
「怖い…けど、そんなのに負けたくないんだ、あたし。
この先一緒に居て多分いろんなことあると思う。ひどい後悔もするでしょうね……でも……信じてたいの、ソースケのこと」
それだけは止めちゃいけないと思うの、あたしのこと信じてくれる彼の為に。彼のこと信じてるあたし自身の為に。
「……その強さが不幸を呼び寄せないように祈るよ。」
クルツは柄にもなく目を閉じ黙祷するがごとく天を仰いだ。天井の向こう側、天上の向こう側に祈るように。願うように。
6
目覚めたときは隣に宗介がいた。クルツに抱きかかえられている状況を認識した途端、彼女はギョッとする。
「なー!?」
「黙って」
厳しい声でクルツがかなめの口を塞ぐ。目をキョロキョロさせながらもそれに従い、彼女は頷いた。
「な、なんなのこの所業は」
「場所は市営地下鉄の整備用通路、現状は君の部屋の換気口から攻撃され何者かに追われてる。宗介の機転で脱出、以上。おっと追加、声が響くからお口にチャックな」
ぼそぼそ低い声で耳元にそれだけ置き去りにしたクルツが人差し指を唇に当ててウインクする。
『大丈夫、大したことじゃない』
声を出さずに彼がそう言うのでかなめは呆れ顔で溜息だけ吐き出した。まったくこいつらときたらこんな事になってるのに、まるでコンビニにでも出かけるみたいに落ち着いてる。頼もしさよりも深く鈍く頭の隅が痛む。
ちらりと宗介の顔を覗き込むと、少し目が合った後でふいっと視線を逸らされた。……ああなんて憂鬱な土曜日なんだろ……あ、もう日曜日か。
『下ろして、自分で走る』
『君は神経麻痺ガスを思い切り吸い込んでる。体動かせないはずだ、試しにそこにいる宗介でも殴ってみな』
確かに頭の中にある命令と自分の身体が全く連動しない。いらだつより先に不安に駆られる。
『宗介が一人分しか解毒装備持ってなくてな、悪いけどもうちょっと辛抱しててよ』
『亜酸化窒素、セボフルラン、イソフルラン…どれも麻痺系の薬品としては毒性が弱い部類のものばかりだ。時間が経てば勝手に解毒されるし致死の危険はない』
宗介は恐らく安心させようと思ってそんな事を言ったのだろうが、かなめにしてみればこの程度のことでうろたえるなと言っている様にさえ聞こえた。
くそう、慣れたつもりでも腹立つことには変わりないわこのデリカシー無しぶり。
更にむっとした顔でかなめが宗介から顔を逸らした。そんな二人のやり取りを背中越しに感じたクルツは苦笑いを噛み潰す。
――――――そうゆうイチャイチャは時と場所を考えてやってくんねぇかなぁ……。
7
いまだに違和感は残るが飛んだり走ったりするのに不自由しなくなったかなめが、ようやくクルツの背中から降りたのはそれから40分ほどしてからだった。
「ん、まぁ、なんとかなりそう」
両手を握ったり開いたりして感覚のフィードバックを確かめるように彼女が闇の中で静かに声を出す。
「そうか、じゃあウルズ7がエンジェルのバックアップ、おれがディフェンス。さっきの手はず通りに例の場所に集合。おれが5分でも遅れたらそのまま身を隠して連絡あるまで待機。分かったな」
「――――――やはりここはおれがディフェンスを」
「るせぇ、じゃんけんで負けたんだからとっとと行け。捕まったら敵より先におれに殺されると思えよ」
ハンドガンを携えてクルツが呼吸を整えて、叫ぶ。
「こっちにゃ幸運の女神が二人もついてんだ、これでヘマこいたらバカだぜ」
ガンガンガン!銀色の鋭い音が三回弾け飛ぶ。それに応えるかのように銃声が追いかけてくる。爆音に追い立てられるかのように二人は走り出した。
「ギャー耳が割れるー」
「喋るな、舌を噛む」
「うるさいわねわぁってるわよ!」
ぎゃあぎゃあ叫びまわる二人の声がどんどん遠ざかっていくのを聞きながら、クルツはそんなに派手に痴話喧嘩してたら二手に分かれた意味ねぇだろアホウ、と唇の中で苦々しく呟いていた。
弾け飛ぶ銃声、カラカラ鳴る薬莢の落下音。悪い空気と腹に残る電車の振動音。……クソッタレ、なんて人数だよ…とても闇討ちとは思えん。
クルツははっとして試しに兆弾を利用して何発か撃ってみた。手応えは――――――ない。
「……ワングループじゃねぇ……こりゃ、分かれて不正解だったかね」
身を隠していた壁から無造作に身を躍らせ、今まで弾の飛び交っていた空間に歩み出る。当然のように銃弾は襲ってこない。
「――――――まるでこうなることを予想してたみてぇじゃねぇか、ええ?そこのお前……名前は……なんて言ったかな」
物陰に隠れ、ぶるぶる震えているメガネの少年に銃を突きつけながら身体ごと軽々と引っ張り上げて聞く。
「怖がるなよ、一緒に風呂を覗いた仲だろ」
「お願い殺さないで!」
「仲間はどこへ行った?答えな」
「知らない!本当なんだ、見つけたらこの無線で知らせたらいいって」
「誰が」
「学校を制圧した奴だよ!知らない!本当!千鳥さんと相良くんを捕まえなきゃ鍵がもらえないんだ!」
「――――――鍵?」
「ほらっ、これ!」
少年が示す首には黒光りする金属の首輪ががっちりはめられていて、一際太くなっている部分には液晶面があり、5桁のカウンターがちかちか瞬いている。
「カウンターがあるだろ、コレがゼロになったら」
「……爆発するわけだ。なんつー古い手。破壊……は、無理か…」
「でも僕ら逃げてって言うつもりで」
「のワリにゃガンガン撃ってきやがっ…………フン、葉っぱの匂いがする……キマってんなボウヤ」
クルツは言うが早いかみぞおちに膝蹴りを加えてあっという間に少年を黙らせる。ぶくぶく泡を吐く少年のメガネは床に落ちて無残にも半分に割れた。
「学校……制圧……ウチに喧嘩売るなんざどこのボンクラ組織だ?」
8
「ねぇ…もう、ちょっと……ワケわかんないんだけど!」
ずきずき頭痛が酷くなる一方だ。さっきから見知った顔の人間がどんどん現れては宗介の銃弾に倒れている。ああなんてこと、こんな、ほんと、悪夢!
かなめを庇うようにして立ちはだかる宗介の向ける銃口はきっちりと彼女に向けられていたが、僅かにぶれている。彼も信じられないといった表情だった。
「いいの、分からなくて。大丈夫、この銃で死んだりしない、ただ麻痺するだけ。行きましょう、怖くないわ、注射くらい、平気よ」
目は虚ろ、言葉の内容はちぐはぐで、唇の端からは透明の粘液が細長く垂れている。
「…薬物…」
「ううううるさいわね!わあってるわよっ!頭が付いていかないんだから黙ってて!」
ぼそりと呟いただけの宗介に向って必要以上にかなめが怒鳴り散らした。どこにも出て行かない苛立ちに息が出来ない。それは宗介も同じだったが、彼は口に出そうになる言葉をぐっと飲み込んだ。
ぱあん。もう何発目かも分からない銃声。焦点の定まらない目をした少女の肩に鮮血が爆ぜる。
「ぎゃあああああぁあぁ」
「見るな、行くぞ」
「………………ごめん」
「稲葉の生命について問題は無い」
「………………………っ…」
短くそう言う宗介に対して、視線も顔も向けずにかなめはぎりっと奥歯をかみ締めた。
なんてひどい悪夢なんだろ、早く目が覚めないかな……全くこれは一体どういう深層心理なのよ。
いっそ気が狂ってしまえば楽なのに。かなめはそんな事を思ったりもしたが、甘い妄想に耽る前に次々とクラスメイトや知り合いが武器を鼻先に突きつけては宗介に倒されていく。
なんなの、なんで、なにがあったの、もう許して!
彼女達に分かる事といえば、同窓生や先生達は皆一様に薬物に侵されており、ステンレス製のカウンターが付いた首輪を付け、それぞれに様々な武器を持ち、自分達を拘束・又は殺傷しようと向ってくるということだけだった。
かなめは空気を求めて喘ぐように地下通路からようやく地上に出る。血と油と埃のにおいで吐き気が止まらない。げぇげぇと激しくえずく彼女の背を何度かさすった宗介は、かなめの凍りついた目を見ることになる。
「触らないで、平気」
それでもいまだフェンスにしがみ付きながらげほげほと咳を繰り返している。眼光はまるで捕食者に牙を剥く動物のようだ。
「……俺に失望したか」
「いいえ」
「では嫌か、それとも憎んでいるのか」
「いいえ」
「なら何故睨む」
「睨んでないわ、軍曹殿」
咳がいつの間にか止んでいた。
ぴんと張り詰めた声が、霧雨の音の隙間を縫って宗介に突き刺さる。
「あたし、あんたのこと勘違いしてたみたい。
平気で撃てるのね。友達じゃない、みんな、友達でしょ?なんでそんな、躊躇いもなく撃てるの?あたしのこと守るため?殺されないため?そんなに簡単に割り切れるもの?アンタにとっての学校ってたかがそんなもの?」
フェンスから手を離して彼女が雨に濡れる髪を振り乱して怒鳴るように続ける。
「ごめんね!今が非常事態だってことは分かってる!みんながあたし達を殺そうとしてるらしいってことも!でもダメ!相良君、あたしあんたが怖いわ!怖くてたまらない!
敵に回れば友達撃つ様な人よ!いつあたしが殺されるか分かったもんじゃないわ!」
最早かなめの精神の箍は完全に外れていた。思いつく限りの本音をまるで包み隠さずに高ぶる感情のまま吐き出しては彼にぶつける。
彼女と同じ状態の、彼に。
「……千鳥、俺が怖いか?」
静かに彼は問う。
「怖いよ!怖い!」
「――――――信じてはもらえないのか」
「何を!?今のあたしにあんたの何を信じろって言うのよ!あたしを殺さない事!?」
「俺が君を守ろうとしている事をだ」
「守る!?あんたあたしを守るために人殺ししてくれるの!?ハッ大きなお世話!こんな事続けるくらいなら捕まった方がよっぽどマシだわ!
近寄らないで!怖いって言ってるでしょ!」
錯乱している、と冷静な心のどこかがそう言ったが、そう分析できたところで何の意味もないことを彼はよく分かっていた。だがどこかあさってな方向に目線を振り向けていないとどうにかなってしまいそうだった。
冷静に、冷静になれ。ここで俺まで取り乱してどうする。
雨と埃と返り血でドロドロになったYシャツの襟元をぐっと銃を持たない左手で掴み、必死で丹田呼吸を繰り返した。しかし精神は落ち着きそうもない。
「わかった……近寄らない……だからどうか……行動は共にしてくれ……学友の上に……君まで失ったら……狂ってしまう」
頼む、俺と一緒に来てくれ、どうか、お願いだ。
ぎりぎり締まる自分の首をさらに圧迫させ、まさに絞り出した声でようやく彼がそう言い終った。ひゅうひゅうと吃音が耳に付いて離れない。お互いの、耳に付いて離れない。
かなめは何度も何度も深呼吸をする。ぼろぼろ流れる涙も無視して、何度も深く浅く大きく小さく深呼吸を繰り返す。
「……ごめんなさい、あたし…ひどいことを」
「……構わない……いや……すこし、効いた……すまん、涙が止まらん」
雨が降る。水滴は彼のシャツに付いた血をゆっくり溶かして長い長い赤のストライプを作る。血の川だ、とかなめはぼんやりした頭の隅で思った。
この川を渡れるんだろうか……私に。
9
もう時間を7分も過ぎている。彼は現れない。だが二人はその場を動こうとはしなかった。
身体はずいぶん冷えて動きも思考も鈍くなっている。もう二・三分ここで蹲っていれば動く気力もなくなるだろう。
「……行こう」
「――――――また、切り捨てるの?学校の人と同じように」
「クルツは薬物に汚染されている学校の人間とは違う、状況判断にかけてはプロだ」
「……言うと思ったけど……やっぱあんたの声でそれ言われると……ダメだわ、あたし」
怖いよ、あんた。
砕けた調子でかなめが呟く。苦々しい顔で宗介がかなめを引っ張って立たせる。
「嫌われてもいい。生きてさえ居てくれたらそれでいい。
頼む、もう喋るな。これ以上は俺も我慢できそうもない。君に手を上げたくない、が、正直限界だ」
かなめには分かっている。宗介の精神が決して強くない事も、自分と同じようにズタズタになっていることも。だからこそ許せない、何故自分に当り散らさないのか。何故自分と同じように『切れ』てしまわないのか。
「ねえ軍曹殿、ここまで言ってるんだから殴っていいのよ?
それともまだ足りない?どんな風に言って欲しい?役立たず、クソッタレ、大嫌い、何でも言ってあげるわ、だから、殴りなさいよ……ほら、すっきりするわよ」
握られている手を振り弾いてかなめが笑い声を上げる。
「こんなの不公平じゃない!なんであんたばっか我慢しなきゃなんないのよ!」
お願いだから怒って、叱って、ちゃんと殴ってよぉ!しっかりしろって言ってよぉ……
飛行機が離陸するときの音のように高く耳をつんざくひいぃぃぃん、という声でかなめが鳴き声を上げた。力尽きて蹲る少女を宗介は無理から引っ張って立たせる。
「ここで俺まで君と同じように泣き喚いて事態が好転するか?
そんな暇や体力があるなら走れ、一歩でも遠くに逃げるんだ。落ち着きさえすれば何発でも殴ってやる。……いいか、俺は君を生かすためだったら例え風間でも射殺する。それが嫌なら誰も居ない場所まで逃げろ、分かったか」
手が震えている。自分の手を掴んで無理矢理引っ張り上げている宗介の手が震えている。
「……わかった……」
その声にふっと手を放され、悲しそうな目でじっと見つめる宗介にかなめが言った。
「でも出来れば殺さないで」
「時と場合による。追い詰められた手負いのジャンキーは何をするか分からない。一番確実なのは息の根を止めることだ」
ジャクッと音をさせてマガジンラックを交換しながら宗介が彼女に背を向ける。
「だが俺もクラスメイトを手に掛けることは極力避けたい。善処はする」
10
トレードマークのメガネと二つに括った髪の毛。しかし今や人懐っこかった女の子の面影はなく、ぼろぼろになったぐちゃぐちゃの頭髪と、ヒビの入ったメガネの向こうにあるのは今まで見てきたクラスメイトと同じように虚ろな鈍く光る瞳だった。
「……うそ……」
「かなちゃぁん…ひどいじゃない……風間君泡吹いてたよ……」
…ゆらあり、ゆらり…おぼつかない足元に靴などなく、泥で汚れてめちゃくちゃな靴下があるだけだ。
「下がれ、見るな」
「やめて宗介!撃たないで!」
必死で食い下がるかなめを宗介は力づくで押さえ込み、目の前の少女を睨みつける。
「……やだ、怖い……相良くん、怖いよ……」
クラスメイトの声に片眉をぴくりと持ち上げて、彼が細く長く呼吸をする。少女の一挙一動を見逃さないように、牽制するように。
「…怖い目、人を殺すの?……かなちゃん守るために、みんな殺すの?」
悲しいみたいな細い声だった。だがそれは宗介を激昂させるには十分すぎる威力を持っていた。
彼が銃口を向ける。少女は構えない。手に持っているレンチが振り上げられる事もない。
「やめて!見て、手に持ってるの!こんなに間合いがあったら殺されたりしないわ!だからお願い!お願いします!殺さないで!撃たないで!」
かなめが必死に捻り上げられていない右手をばたつかせながら、宗介の向ける銃口の位置をずらそうともがいている。宗介は何も言わない。
「逃げて恭子!こいつ本当に撃つわ!お願いだからあっち行って!」
雨か涙かわからない。顔が嫌な冷たさに冷えている。それなのに頬が焼けるみたいに熱い。
「だめよ、かなちゃん……かなちゃん捕まえないと、この首輪、爆発して死んじゃうの、みんな、死んじゃうのよ。
見たの、爆発するとこ。怖いよ、首、飛ぶんだから」
カタカタ揺れている少女は、恐怖に震えているのではなく、虚ろな目のまま口元だけが笑っていた。
宗介はそれを苦々しく睨みつけながら、はっと気付く。少女の背にある三叉路の中央に立つ道路ミラーに単発銃を構え、自分に銃口を向けた腕まくりした制服の少年が映っていることに。
――――――囮か!
ぱあん、ぱあん。軽い音が二回。一度目は彼の手に収まる拳銃から、二度目は彼が背を向けた少女の手に収まる小銃から。
「武器、一人一つなんて言ってないよ?」
少女が掠れた声で諦めたみたいに、笑う。彼女が茫然自失の顔面蒼白になり、叫ぶ。
「きゃああああああ!!」
銃を構えていた長髪のメガネ少年が塀の向こう側にどさっと力尽きて落下する音が聞こえる前に、宗介は次の行動を起こしていた。撃たれた左のわき腹を庇いもせずに少女に向って撃つ。
パン。
彼女は持っていた銃を取り落とし、視線の先にいる同級生と親友に一言だけ言葉を漏らした。
「殺されないでね」
一度だけ微かに呻いて彼女が事切れる。
「……いくぞ、千鳥」
その死体に近場にあった自転車カバーを掛け、少年が顔も見ずに彼女の腕を強引に引っ張った。
「…………………………放せ、自分で…」
「……そうか、では走れ」
雨が地面を叩いている。水分吸収の悪い古アスファルトは洪水のようにそこここに水溜りが出来ていた。二人はその水溜りをものともせずに走ってゆく。
11
血の匂いがする。
地面には泥。
荒い呼吸で息が詰まりそう。
「撃たれたとこ見せて」
「――――――大したことじゃない」
「どうしよう……あたし、止血の方法なんてわかんない」
「濡れてるから大袈裟に見えるだけだ」
「…痛いんでしょ」
「痛いが……行動に差し支えるほどではない。君の方こそ怪我は無いか」
「ない。あんたが、かばってくれたから、怪我ない」
「そうか、それは……安心した」
深く濃いため息を吐いて宗介がぐったりともたれ掛かるコンクリートの壁に身体を預けた。
「側に寄らなくていい、だがくれぐれも目の届くところに居てくれ」
目を閉じて、トタン屋根に降り落ちている雨音に耳を傾けるようにそれだけ言って彼は動かなくなる。
「……すこし、眠る。君も休むといい。とても疲れた」
かなめは彼がぴくりとも動かなくなったことを確認して、その場を立ち上がった。
すす汚れた廃工場のスリガラスの向こう側に幾筋も流れている雨粒の川をぼんやり見る。自分の街にこんな場所があるなんて知らなかった。いつも歩く整備された道がこんなところに繋がっていただなんて。
ぐっしょり濡れた服と髪の毛がようやく重く冷たいことを思い出す。
「……寒い……拭くものないかな……」
重い足取りでふらふらと打ち捨てられた工場の中を彷徨い、出入り口の陰に錆びた水道の蛇口と、従業員室にダンボールの中に詰め込まれている『粗品』と書かれた未使用タオルの束を見つけた。
丁寧に髪を洗い、服を脱いで水にさらして洗った。血の染みは薄くなるが消えることは無い。
水は冷たかったが、かなめは身体と共に何度も何度も髪をすすぐ。
涙が止まらなかったのだ。
今何時だっけ。宗介は何人殺したんだろう。あたしは何やってるんだろう。
声が出ないまま蛇口から流れる水に逆らうようにまぶたを焼くような熱い雫をどんどん流していた。
いやだ、こんなのいやだ、なんなの、何が起こってるの、恭子、瑞樹、みんな、どうしちゃったのよ……
「クルツくん……助けて……」
12
ぱちぱちと爆ぜる湿気の多い廃材。匂いはお世辞にもかぐわしいものではない。
ぼんやりと何を考えるでなくその炎をみつめながら生乾きの服に身を包んで、かなめは宗介の向かいがわに座っていた。
宗介はよほど疲れていたのか、無理に服を脱がしても傷の手当をしても起きなかった。かなめはいくら疲れていても宗介がここまでして起きないのは気を失っているからでは、と不安になり、気道を確保するように身体を横向きにして寝かせている。
従業員室にライターと一緒に救急箱に入っていた化膿止めは少々古そうだったが、意を決して処方し、包帯を巻いた。血は止まってはいなかった。何度も血が滲んで緩む包帯を替えてようやく一息ついた頃には辺りが闇に覆われていた。
「……そういえば…宗介、薬飲んでたっけ……」
白いの、二つ。退院してからも寝る前に飲むタブレットは、睡眠導入剤と睡眠持続剤と聞いた覚えがある。おそらく昨日もそれを飲んでいたのだろう。逃げおおせて気が抜け、一気に効果が出たのかもしれない。
宗介が入院している間、かなめはクルツと行動を共にしていた。
クルツは宗介とは違い、器用にかなめの日常に溶け込んで見えなくなった。誰にも怪しまれずにスマートに彼女のそばに居た。女性の気遣いにも長けていたし、何より長身で見栄えがしたので疑われる要素も少なかった。
かなめは最初、クルツの軽い調子にたいそう辟易していたが、割とすぐに打ち解けて心を許した。それは顔見知りだったこともあるし、クルツが逐一宗介の情報を彼女にもたらしたからでもある。
元気とはいかねぇけど、それなりにしてるよ。
早く君に会いたいって口では言わねぇ、だが目が言ってる。
もう点滴外したみたい。食事も食べてた。
毎日学校に迎えに来る長身のかなめの彼氏が、クラス中で話題になるのに時間は要らなかった。
が、かなめの様子が少し沈んでいたために、誰もはやし立てたりはしなかった。
いつも彼女の隣にべったり居た宗介が居ないことを、みんな分かっていたから。
かなめは無理をして笑ったりしなかった。クルツにたまには他人に気を使うのやめたら、なんて言われたから。
「……そう、見える?」
「見えるってか、宣伝してるみたい。あたしは平気よーって」
学校の帰り道、彼の居ない帰り道、彼でない彼と二人で歩く通学路。
「平気じゃないときは平気にしなくていいんだよ。悲しいときは泣いたっていーの」
「あたしだって泣くよ。……でも今回は…なんか違う感じで」
苦しい、とかなめが言った。クルツは夕焼け空を仰ぎながらつまんねぇ、と言う。
「いいな宗介ーこんなに心配してもらってー。
つまりかなめちゃんは宗介が居なくて寂しいんだ。――――――あー、おれすっげぇショック」
いじけるみたいなセリフの癖に、いじめるみたいな調子のクルツ。
「ちょっとは脈があるのかなって期待してたのに」
頭を撫でる。彼女のうな垂れた肩を抱く。
「ごめんね。あたし宗介が居なくて寂しいの」
「――――――いいよ、いいよ。
お兄さんが慰めてあげよう。かわいそうに、こんなかわいい女の子放っといて宗介のバカは何をちんたら入院してるんでしょうねー。
退院してきたら二人で思いっきり殴ってやろーねー」
ぐりぐり乱暴に抱きしめられて、かなめは嬉しかった。宗介に抱きしめられる高揚と違う、安楽が身体を支配する。
「……うん、グーで、殴ってやるんだ」
クルツの胸の中で笑ったのがもう何十年も前のことのようだ、とかなめは思った。
呼吸の乱れていない、炎に照らされた宗介は苦悩に満ちたようなしかめっ面。まだ痛むのだろう。鎮静剤は生憎見つからなかった。
「…………なんでだろ…病院から帰って……変わったね宗介」
ぼそりと自分に口に載るその言葉について彼女は深く考えをめぐらせる。いつから彼が変わったのだろう。
入院する前、酷く取り乱しててまるで彼でない人のようだった。近くに寄ることも触れる事も急に拒まれ、挙句に激昂したと思ったらぼろぼろと涙を零した。お願いだから、俺に声を掛けないでくれ。
何かを恐れているようにも見えたし、悔やんで怯えて身動きが取れずに苦しんでいるようにさえ思えた。追い詰められて逃げ場を失い、自虐と内罰的なセリフばかりを吐き、牙を無くした動物のようになっていた。そして徹底的にかなめを避けた。目を逸らす、その場から逃げるなど日常茶飯事になった。
ある日それを何かで察知したマオが現れ、宗介の替わりにクルツを寄越した。宗介をどうするのか、というかなめの問いに、マオは苦笑い一つ浮かべずに言った。
『人間じゃないヤツに用はないの。』
それから二ヶ月半の間、直接的なコンタクトは全く取れずに過ごす。
ようやく帰ってきた宗介は少しやつれてはいたが、ただいま、とかなめに笑い掛けるまで回復していた。だが、かなめは宗介の様子に違和感を拭えなかった。まだ。まだこいつはあたしに何かを隠している。
何を隠しているのかは分からない。何故そう思うのかと問われれば“女の感”という漠然とした答えしか返せない。
だがかなめには確信にも似たものがあった。
こいつはあたしに何かを隠している。
13
「おはよ。どう、おなか」
宗介の瞼がおずおずと開き、薄暗い世界にリンクした途端に見えたものは、ぐったりとした目の体育座りをしたかなめだった。
「……手当を?」
身体中に走る痛みをかみしめるように手をあちらこちらへ滑らせて包帯の感覚を確かめ、宗介は鼻を微かに突く化膿止めの匂いに顔を顰めた。
「そうよ、よく寝てた。」
「痛みはあるが楽になっている。すまん手間を掛けさせた」
ゆっくり身体を起こそうとする宗介を制して、かなめが毛布を掛けなおす。その仕草はいつもの様にぞんざいなようで慎重だったが、どこかぎこちない。
「寝ててちょうだい。こっちが落ち着かないから」
「しかし千鳥の分の毛布が」
「…………じゃあ、もうちょっとそっち寄って。半分入らせてよ」
かなめの言葉に宗介の身体が引きつった。自分のごくりと息を呑む音が大音量で聞こえる。起き抜けに与えられる刺激にしては豪華すぎやしないだろうか?
「その、婚前に男と同衾するのは……問題だ」
「――――――それだけ?」
冷たく吐き捨てる声。かなめの視線は宗介の口元に固定されたまま。苦々しく曲がる口元に。
「……それ以上の禁忌があるか?」
昔、重い鉄板入りの安全靴でうっかり泥沼にハマってしまった時の事が一瞬のうちに宗介の脳裏を掠めたが、彼はその情報を無視した。何故今こんなイメージが? などという事にかかずらっている場合ではない。
「じゃあ、いいわよ、そういうことをしても。いま、してもいいわよ。しようよ、あたしと」
上着に手を掛ける。彼女は服を脱ごうとするも、視線は口元から動かさなかった。
下着だけになり、固まったまま視線さえ動かせない宗介にかなめは同じ調子で言葉を掛ける。
「抱いて」
遠くで早朝を告げるようにすずめが鳴いている。雨はもう上がったのだろうか? 全くこの場にそぐわない思考がかなめの頭の中を占めている。
「……その、今そのような場合では……」
宗助は慌てたのか怯えたのか怒ったのか判断のつかないような低く震える声で、咄嗟に下を向いて応える。
かなめはその仕草にムッとした顔をし、無理やりに宗助の肩を掴んで顔を上げさせ、出来る限り静かな……しかし一切の迷いも抽象も許さないと云った声で……彼の目をこちらへ向ける。
「あたしあんたを嘘だけは付かないヤツだと思ってたわ。
ねえ、宗助がなんで入院してたか教えて貰えないの? 精神的に辛くなったの? それってあたしのせい? それとも何か別に悪い事が起きたの? ……聞いたこと誰にも言わないからさぁ、もう、やめようよこうゆうの……ちゃんと言って、ダメなとこ直すから」
彼女は泣きはしなかった。怒りもしなかった。ただ、許しもしなかった。戦う者の決心を秘めた瞳に宗介は息を飲む。
言えだと? 言える訳が無かろう、大体君に言った所で信じてもらえないに決まっているし、そんなことを事細かに説明などおれに出来るわけが無い。君を裏切り、大佐を傷付けた俺に。
宗介は混濁し嵐のように荒れ狂う思考を何とか押し留めようとするが、眼前で逸らさずに見つめる彼女の視線がそれを阻害する。まるで後ろめたくてもがく彼を嘲笑うかのごとく。
「……すまん。詳しくは事情があって説明できないが……その、様々な問題が交錯しているのだ。
その問題は誰かに許しを乞う事でも何かに罰される事でも解決できない、俺の内面そのものに対する命題なのだ。それによって俺は平静を大きく逸脱した精神状態になった。それが入院の原因だ。
そして退院は、クルツが君の言葉を毎日のように俺の元に届けたことによる。だから君の元へ帰って来られた。
とても……助かった。ありがとう」
言い終わり、宗介は捨てられたかなめの上着を拾って彼女の肩にかけた。そのような格好は感心しない、実に目の毒だ。
「どうしても……言えないこと?その、精神の均衡を阻害した内面的なことってのは」
「そうだ。それはとある人物からの命令でもあるし、俺の意思でもある。一生誰にも話す気はない……どうか理解してくれると嬉しい」
「……わかった。納得はしないけど理解はする。」
服に再び袖を通し、かなめは聞き分けよくその場に座る。本当は理解さえしていない。だがこれ以上彼を追い詰めた所で何も変わりはしないことだけは分かったのだ。
「そうか、助かる」
「じゃあもう一つ聞いていい?」
「分かる範囲でなら」
「……学校、どうなっちゃってるの? ………………みんな……どうなっちゃってるの……?」
「…それはこちらが聞きたい。椿も銃を持っていた……何かの組織的犯行だとは思うが情報が足りなさ過ぎる。今千鳥の問いに適確な回答を提供することは出来ない。
――――――くそったれ、誰が何のために」
ぎりぎり、微かに聞こえた歯軋りの音がかなめをほんの少しだけ安堵させた。よかった、彼は彼だ。喜んで人を傷つけたりなどしない、自分の知っている相良宗介だ。
でも人を撃った。クラスメイトを、常盤恭子を殺した。
背筋が凍る。弛緩した身体に冷水を浴びせ掛けられたようにかなめはぞっとする。ぞっとして……涙が止まらない。
「……恭子……ごめんねぇ……」
「――――――――――――。」
少年は何も言わなかった。
14
あれから一体何時間経ったのだろう。
他にすることはなかったし、二人の体力も体調もお世辞にも万全とは言いがたく、おまけに小雨まで降っているのだから、先に情報を収集すべきだという宗介の提案でもう何時間もそうしている。
いつもならば会話の一つでもありそうなものなのに、二人はじっと黙ってラジオを聞いていた。緊急事態宣言を読み上げるキャスターの口調は淡々としていて、あんな目に合ったのでなければ作りの悪いラジオドラマだと一笑しただろう。
『―――行方不明者は以上です。なお、数人の生徒の死傷は既に確認されており―――』
そこまで聞こえてキャスターの声が急に小さくなり、入れ替わるように英語の教材テープが流れてくる。かなめはふっと顔を上げた。
『Dear angel and wolf. How is the situation of a date? Preparation of a party is completed. Waiting in the sweet home.』
流れてくる英文は中学生程度のつたないものだというのに、余りにも発音がネイティブで違和感を感じる。そしてこの声は聞き覚えがあった。忘れようとしても、忘れられない程。
「……これって……」
「クルツだな。……しかしスイートホームとは何のことだ?」
神妙に首を捻る宗介を尻目にかなめはすっくりと立ち上がってつぶやいた。
「……映画を見たの。あんたが居ない時に、二人で。
意外に涙腺が弱いよあの人。お涙頂戴なのに笑えない。あたしも泣いたわ。オペラがステキだった」
かなめはふらつく足を踏ん張りながら立ち上がって出口を指差した。外は雨が降っている。日が落ちるまでにまだ何時間もありそうだ。負傷した人間が出歩いて賢い時間でも天候でもない。
「千鳥待つんだ、作戦の概要を説明してから行動を」
「ごめん、本当に悪いと思ってる。
でも今出来ればあんたと二人きりで居たくない。気が狂いそうなのよ、また酷いことあんたに言いそうで怖い。お願いだから黙って付いて来て」
背中越しに投げ掛けられた言葉は彼にとって身体をえぐられるような痛みを伴ったが、宗介はその痛みを無視して同意だけを伝え、後は黙った。
かなめが自分を信じてくれなくとも、自分は彼女を信じている。それだけが宗介の心の拠り所であったのだろう。立ち上がり、彼女よりは確かな足取りでかなめの背後に立つ。
「大通りは危険だ。視界の悪い場所が多い方がいい。到達地点だけでも教えてくれないか、最善のルートを割り出す」
静かに宗介がそう言うと、かなめは何度か深呼吸をしてシーソーのある公園があるでしょう、あの裏にこの辺りじゃ一軒しかない老人ホームがあるの。そこ。スイートホームって映画は老人ホームの話でね、帰れたらノンアルコールビールでも買って一緒に見よう。と一気に言って、あとは黙った。
「そうか、ではクルツも呼んで奴の泣き顔でも肴にするとしよう」
15
「やあ、遅かったじゃねェか勇者様」
ガラスの割れた大きなガラス窓の向こう側で…つまりささやかな中庭でラベンダーの植わっている花壇に腰をかけていた…クルツが疲れた声でそう言った。武器は携えておらず、別れた時とおなじ長袖のTシャツと破けたジーンズという格好で。
「女王様には連絡済。予定では5時間後に救援が来る。
……どうした、しけた面しやがって。天使様に悪さしなかっただろうな?」
かなめはクルツの相変わらずの口調にほっとして全身の力が抜けそうになったが、眩暈で崩れそうになるひざを何とか保ちながら歩き出した。
一歩一歩進める足をまるで引きずるようにして、花の咲いていないラベンダーを背にしたクルツの元に駆け寄るかなめを宗介は無表情で見ている。
「よかった、無事で、ほんとに良かった」
「んーかなめちゃんも元気で何より。宗介に変な事されなかったかー?」
「平気だから腰さわるのやめてくんないかしら」
喜ぶ二人を遠巻きに眺めていた宗介は黙って踵を返し、入り口の方へ戻っていった。
「どこへ? 勇者様」
クルツの声に振り向きもせずに背中越しで宗介が言い捨てるようにして入り口の向こうへ消えた。
「……警戒にあたる。まともに戦えそうなのは俺だけだからな」
「ちょっ…あんた一番重症でしょうが!! 何を馬鹿な」
言って振り返ろうとした矢先に、クルツの体重がかなめに掛かった。状況を認識する前にかなめは植物を踏み潰すようにして花壇に倒れ込む。
「えっちょっな、なによ一体!」
抗議の声を上げてクルツの身体を持ち上げようと右手を戻したとき、腕の内側にずるっとした生暖かいものを感じた。彼の背中を押さえていた右腕に。
そこに目をやったかなめは絶句した。赤黒く染まっていたのだ。雨が気化するときに引き連れていくラベンダーの葉の匂いに押されて気付かなかった血の匂いが、視界に認められた途端に充満するような気がした。
「…こ……こんな…に…」
「たいしたことない。止血剤も効いてるし。
俺たちはこういうことが多い世界で生きてっから、慣れてる。
……でもね、慣れても、やっぱ痛いし傷は付くんだ。どこまでいっても平気にはなんない。
俺たちは生きてる人間だから平気なふりをしたりはするけど。」
身体を起こしてゆっくりクルツはかなめに支えられながら壁に背を預けた。血だらけの背を。
「今苦しいだろ、怖いだろ、嫌で逃げたいだろ。
でもこんな時でも逃げずに戦うって、宗介を信じるって言ったかなめちゃん、君が決めたんだ」
掠れる視界を叱咤しながらクルツは真っ直ぐかなめを見る。
「逃げるなよ。君は頭のいい子だ、肝も据わってる。今はちょっと弱気なだけだから」
何もかもを知っているかのように、クルツは非常に精度だけが高く具体性に掛けた主語のない文章をだらだらと口にした。
かなめはクルツの真意はわからなかったが、自分の中に今渦巻いている混乱と不安と怒りに似た絶望とをぴたりと言い当てられたかのように、震える唇をそのままに悲鳴を上げる。
「……違うの、怖いの!
彼が怖いのよ!…………あたしの友達、撃ったの、殺したのよ!目の前で!」
かなめの慟哭にクルツは少し自嘲気味に顔をゆがめ、呟くように言った。
「俺たちの仕事は、そういうものなんだ」
つづく。
| |