狂気フィーバー
蛇母さん と パッチワーク博士
1つまらない事をお尋ねになるのね、博士。
「そうですか? 先生だってつまらない事を仰る。たのしーパーチーですよー」
もっと豊かなことを考えましょうよ。男はそう言ってシャンパンのグラスを煽る。意外に小心者なのか、それともこちらとの距離を推し量っているのか。……どちらだってこちらに大した意味は無いけれど。
「豊かなこと? そうね、では進化のお話なんていかが?」
「オウ、エヴォリューション!いいですねぇ。変革ってやつですか、実に華々しい!」
ケラケラへらへら白衣の男が笑う。光る眼鏡は白く天井を映していて向こう側は見えない。
「だがね先生、そいつは諸刃だ。追い求めれば自滅ですよ」
「あらそれは保守だって同じですわ。外に向かうか内に向かうかだけの違いならば、私はベクトルを外に向けますわ。だって知らない世界って素敵じゃないですか」
楽団の楽器は楽しげに鳴り響き、人々は行き交い、子供たちは笑っている。
ダンスをひとしきり付き合った後に、シュタインが手を引いてつれてきた壁際。何故手を振り払わず付いて来たかと言えば、指輪に光る“時の宝石”を試すのもいいかと思ったからだ。
力づくで洗脳するも良し、唆して取り込むも良し、理解を得れればこれ以上ない戦力になる。もしも失敗したところで、この“時の宝石”で時間を巻戻してしまえば、起動から発動までの記憶を失いはするけれど「宝石が失われたことでこの分岐点より先にキャンセルしなければならない事象がある」という事は解る。……魔婆さまの所から盗み出した魔道具の箱の片隅から見つけた時は使い所のない道具だと思ったけれど、鬼神復活に十分の慎重を期したい今ならば保険程度にはなるわ。
「……素敵?」
「ええ、楽しくて豊かな未来」
肩越しにシュタインが低い声で尋ねた。私は保健医の顔で笑う。
「ぼかぁ、背中の開いてるドレスを着てる女性がダンスを踊ってくれる今より幸福を求めるほどゴーマンじゃないんでねぇ。指が肌に触れてるのに貴女は笑っている、これ以上の幸福って何です?」
「……いやですわ、酔ってらっしゃるの? まるでデスサイズ様みたい」
ぎゅっと眉を寄せて嫌そうな顔をする継ぎ接ぎの頬が歪む。
「落ち込むような事を言わんで下さい、セクハラですよ」
シュタインは手近のシャンパングラスを取り、もう一度煽った。なんとも気の弱い行動、まるでハイスクールの少年のようじゃないか。
「秩序があり、法が布かれ、理が生きている。これ以上の幸福ってのは何だ? 信賞必罰で困るのは悪人だけだ」
グラスから離れるか離れないか……つまり他人に唇を読まれない絶妙の角度……でシュタインの低い声が聞こえた。
……フフン、芝居がかった真似をする。
「悪を定めるのが一人だけってのはお粗末な二次元論だとは思わないの?」
「正義を闘わすに値する相手はいつも正義だけだ、主人が変わっても尻尾を振る倫理だの道徳だのに興味は無い」
グラスがテーブルに置かれる。丁寧な仕草は確かな理性を感じさせるのに十分で、この大根役者の腹の底を窺い知るには不十分だった。
「では博士の信じる正義ってなんですの?」
2愛ですよ、センセ。
俺はそう言って笑った。少し飲み過ぎたのかもしれない。ポーズとはいえ、もう4杯目だ。正気を飛ばすほどでないにしろ、視界を浮つかせるに事足りる分量ではある。
「……ますます、デスサイズ様みたいなことを仰るわ」
ころころと鈴の転がるような余所行き声で魔女が笑う。吐き気さえする、その顔の裏側でどれだけの人間を虐げてきたのか。
「だから、それだけは勘弁してくださいよ。僕はね、ナイーブなんだから実際」
眼鏡を押し上げてそれとなく周りを見回す。とりあえずは誰もこちらを注視している様子はなく、右側には開け放されたままの扉、左手の近くにはメデューサの腕。我ながらナイス配置と言える。
「あらだって。子供たちに解体するぞなんて本気で言う人間が愛などと……笑ってしまう」
「……バレてましたか」
「私たちみたいな希少種の生き物は同種を見抜く力には優れているんですもの」
ギラリと蛇女の目が光る……おお、怖い。
「私と一緒にいらっしゃい、見せてあげるわ。あなたの望む世界を」
「……俺の望みがお前に解るか」
「自分と同じなら。」
汚い笑い方をする女だと思った。粘着質で居丈高で演じることに罪悪感など欠片も持たない、屑に類する気味と胸糞の悪い自分と同じ笑い方をするから。
俺は息を少し吐き、吸い、整えるようにあ、あ、と声を出した。
「死神さまぁ、僕ちょっとメデューサ先生と風に当たってきますんでぇ〜」
脳天気な大声を出して距離にして10メートルも離れてないところに立っていた死神様の視界をこちらに向けた。仮面の向こうで眉を顰めたのだろう、一拍置いてからゆるゆると近づいてくる。
「ちょっとちょっとシュタインくぅん、初っ端からトばし過ぎじゃな〜いのぉ?」
既にへろへろじゃないさ〜。相変わらずのひょうきんな口調を携えて、それでもメデューサの射程距離内からは外れ、いつでも反撃できるだけの間合いは取りながら死神様が近づいた。
「いやー、美人が隣に居ると照れちゃって照れちゃって、間が持たなくて飲みすぎちゃいましてぇ」
「とかなんとか言っちゃってェ、美人に介抱されようって魂胆じゃな〜い〜?」
「付きましては、この下の書斎、お貸しいただきたいんですけど、いいですかねェ」
「あー、いいよォ。キッドがベッド運んでそのままにしてるハズだから横になってくればぁ?」
「やだなぁ死神様、夜風に当たってくるだけですよォ」
「バルコニーじゃ出来ない会話を楽しんでくれば〜。でもぉ、いちおーココ学校だからぁ、保健の実践授業はカンベンねぇ〜」
はっはっはっはっはっは。……素面なら絶対出来ない会話だなコレ。死神様ももしかして結構飲んでんのか? 妙に明るすぎるぞ。
「えっ、いや、ちょっと……!」
断る隙など与えずにメデューサの腕を掴んで引きずった。ダンスを踊るときと同じように。
「こ、困りますわ博士!わ、私にもいろいろと都合が……!」
「まぁまぁいいじゃありませんかセンセ、大人の会話というやつをしましょうよ」
3殺されたいの?
ドアが閉まると同時に演技をやめた。自ら人目を遮るなどと、愚かなことを。
「舐めるなよクソ魔女が、どんな質問もするのは俺だ。お前はただ俺の質問に馬鹿みたいに答えていればいい」
「馬鹿に質問の意図がわかるかしら」
私は髪を手櫛で梳かして彼から少し間を取る。ソウルプロテクトを解除するわけにはいかないけれど、それでも最悪のシナリオに目を通さないわけには行くまい。
「12年前の話だ。いや、13年前かな。お前、髪が長かったろう」
「………………。」
「そしてそのさらに6年前、前で捻ってる髪が無かったはずだ」
「………………。」
「13年前は確かサラと名乗ったかな」
「………………。」
「19年前はイブと名乗った」
「……何の話だかさっぱり。なぁにそれ、夢でも見たの」
自分の胸が嫌な音を立てて鳴り出した。血管が泡立っている。居心地が悪いのに、どこかわくわくしていた。人間というやつはこれだから面白い。
「夢? そうだな、夢を見たのだろう。
イブは美しい女でな、ただ普通の少年だったその子は魔女に呪いでもかけられたのか、イブを永遠に追い求めるようになったよ。怪しげな薬の満載されてる棚が立ち並ぶ薄暗い部屋を今でも思い出す」
げぇ、と堪らなくなったのかシュタインが嘔吐く。記憶操作魔法で封じている記憶にアクセスするのは相当の苦痛と吐き気をもたらすというのに、ご苦労なことだ。
「はぁ、はぁ……失礼。イブは俺が8つの時に家の隣に越してきた下宿人でね。良くしてくれたよ、読みたい本があればなんでも手に入れてくれた、知りたいことがあれば事細かに説明してくれた。俺の性格の一端をイブが作り上げた。たった2年やそこらでね」
袖口で顎に伝う汗などを拭い、シュタインは呼吸を整えながら続ける。
「ある日イブが俺を自分の部屋へ招いた。故郷へ帰らなくてはいけないから、最後のお話しをしましょうとね。10や11の男の子が大人の力に敵うわけはないだろう?」
げ、げふ、げぇ。今にも吐瀉せんばかりに激しく胃を痙攣をさせて、シュタインが身体を折り曲げる。こういうのを人間は痛ましいと表現するのかしら。私にはちっとも解らないけれど。
「……退屈な話だわ。博士の幼少期のトラウマの話をどうして私に?」
「質問をするのは俺だ、黙って阿呆みたいに突っ立ってやがれ!」
ようやく身体を伸ばして深い隈が出来て窪んだように見える見開かれた瞳がこちらを見据えた。
「それからさ、イブに恋焦がれる少年はイブを思い出すたびにこうして堪らない吐き気に襲われるようになった。20年近くたった今もね。それはいいさ、べつにいい」
何度も何度も呼吸を整え、汗だくになりながら粘着質の唾液を袖口で拭う格好が、獲物を前に舌なめずりする恐竜のようにも見える。……フフ、可愛らしいこと。
4俺が訊きたいのはサラの意図だ。
「単刀直入にいこう。13年前、何故再び俺の前に現れた」
落ち着け、落ち着け……こんなチャンスは千載一遇だ、ここで取り乱してどうする。俺は必死に自分の身体に言い聞かせて精神を鎮めた。
「さぁ」
にやにやと笑う眼前の女にともすれば飛び掛って解体してやりたい欲求が全身から吹き出す。目をえぐって口に手を突っ込み、食道を引きずり出したい。だが落ち着け、俺の目的はそれじゃないはずだ。
「町でたまたま見かけた知り合いの青年が、ようやく懐いた人のいいパートナーに逃げられて全身を切り刻んでる傷跡を見て哀れにでも思ったんじゃないの」
「ふざけるな!魔女が!」
「あら、魔女にもいろいろ居てよ。研究熱心なのもいれば放蕩三昧なのもいる。人に情けをかける魔女だって居るかもよ?」
解っている。こいつは俺の魂のバランスを崩そうとしているだけなんだ。優しい言葉を掛け、緩んだ隙を突いて俺を取り殺そうとしている。そんなことは百も承知なのだ。
「情け? 情けだと? お前記憶力がないのか? サラが俺したことを知らぬ存ぜぬが通るとでも思っているのか!!」
「17だったかしら、16だったかしら。うふふふ……美味しかったわよ、若い内臓」
ズク、と脇腹に痛みが走ったような気がした。幻肢痛というやつだ。そもそも内臓に痛点はないのだから、痛むというのはおかしな話のはずなのだが。アンチ・ファントムペインとでも名づけようか。
「何故殺さなかった」
「放っておいても死ぬと思ったのよ」
「何故俺の両腕を潰さなかった」
「ばたばた間抜けに暴れまわるいい格好が見たかったのよ」
「何故俺だったんだ」
「人間にしては随分頑丈で頭が良かったからね。魂もいい色をしていたわ。それに」
「……それに?」
一拍置いて青いドレスが夢のようにゆらりと揺れた。
「好みの顔だったから」
ほほほほほほほほほ!魔女が高笑いをする。見開いた縦長の瞳孔がひゅっと糸のようになった。俺はそれを認めた瞬間には既にメデューサに飛び掛っていた。やつの後ろは分厚い壁。万が一破られたとしても足止めには十分だ。
「いやだシュタイン博士ったら、乱暴はおよしになって」
「貴様、貴様っ!貴様ぁぁ!」
「どうした小僧。いたぶられて逆上したか? そう言えば私が部屋を出る時叫んでいたわね。行かないでくれ、愛してるとかなんとか……フフフ、あれ、本気か?」
「黙れ!殺すぞ!」
「面白い、やってみせろ」
19年間、一度だって夢に見ない日はなかった薄く知性的で冷たそうなそれが自分にもたらされていた。その、想像よりは少しばかり暖かくて潤んだ口紅の味がする唇は……もう一度俺を地獄の淵から突き落とす。
5女の髪と男の内臓を混ぜ合わせて
ホムンクルスを作ろうと思った。人の子を浚ってきて教育するのは2年間の観察実験で非効率的だと判断したからだ。人間の理というのは例え一時期でも魂が受け入れれば再教育には困難を極めるだろう。私はもっと根本から、本物の、誰もが影響を受けざるを得ない、完璧な狂気を持つ鬼神を作りたいのだ。何者も付け入る隙のない、完全な発狂。それには人間の影響を一切遮断した状態で教育するしかないと考えた。
「シャンパンを飲み過ぎたのね。思考がめちゃくちゃだわ」
それには自分で作るしかない。だがロートルのホムンクルス製造は穴だらけで全く実際的ではない。ならば新しいホムンクルス生成技術を確立するしかないと、様々に実験を重ね、やはり人間の細胞が必要という仮説が立った。性染色体は数種類あったほうがいい。
「初恋の女があの時と同じ姿で目の前に現れた白昼夢に惑っているの?」
実際にシュタインが何を考えているのか、私には解らない。解ろうとも思わない。
「ねぇシュタイン、私と一緒に行きましょう? 魂の開放を願っているはずよ」
このまま身体で篭絡できるのならこんな手軽なこともない。時間の猶予はまだ残っている。全て取りこぼさず浚って行くのもいいか。
「出来ればあなたの意思を尊重した」
そこまで言って終わった。
私の言葉が。
絹を裂く音。悲鳴のような。見上げる男に顔に深い影。そして肩に筋力、瞳に理力、唇に魔力。
ヒュプノ・ボイスとでも言えばいいのか。シュタインの声が私の脳を揺らした。まずい、と思った時には既に術中に嵌っていたのかも知れない。
「……ひどいわ博士。このドレス高かったんですのよ? もうパーティに戻れないじゃありませんか」
シルクのドレスの胸元に無骨な男の手が滑った。たかだか人間風情が魔女の肌に触れるとは。
「パーティ? く、き、貴様の求めはそんなものじゃない……」
魔力の宿る声はまだ聞こえている。魂を揺さぶるシュタインの低い声。痺れるような呻き声。
そうだ。この声が好きだった。この引きつるような苦しげで押しつぶされそうに震える声。少年の頃に聞いた甲高くあえぐそれもいいけれど、声変わりしてしわがれた潤いのない声もいい。
年甲斐もなく少し興奮していた。わくわくと胸が躍っている。
ねぇシュタイン、私が何故ここに来たか解る? 解るわけはないわね。そう、解らなくていいのよ。一生解らなくていいの。ねぇシュタイン、私が何故16のあなたの前に現れたか解る? 解らないでしょう? 当たり前だわ、それでいいのよ。
たった一度の賭けだった。
そして私は賭けに勝ち、子を生んだ。
生まれた子を色々いじくって貴方の外見的特性を一切排除した。髪も染めて、顔や体型が似ないよう食事も制限した。唯一、垂れ目だけはどうしようもなかったけれど。
「ねぇシュタイン……楽しませてくれなくちゃイヤよ……!」
あの時自分の髪とお前の内臓で作ったホムンクルスを完成させていればもう鬼神は出来ていたのかしらね?
あの時この宝石があれば、きっと使っていたに違いないのに。
6薄暗い研究室は俺の原風景だ
何故この研究者の道を選んだのか。何故解体欲が他の何よりも突出しているのか。何故追求せずに居られない性格なのか。自分でも良くはわからない。元々そういう性質だったのだろう。それをわざわざ選別し育てたのは間違いなくこの目の前の女なのだが。
16の頃、つまりスピリット先輩が結婚した日の深夜、自棄の祝杯で気持ち良くなっていた俺の前に一人の女がふらりと現れた。女の髪は長くて少しばかり険のある美人だった。化粧と髪型で印象が全く違ったけれど、イブだということはすぐに解った。なにしろ夢にまで見るほどの熱の入れようだったから。
だが彼女はサラと名乗り、行く当てがないので一晩泊めて欲しいと俺に懇願した。
「私に出来ることなら何でもいたします」
正気か? と思った。深夜徘徊する酔った未成年にいい年の成人が掛ける言葉とは思えない。
「お姉さんチェリーボーイキラー? だったら残念、俺新品じゃないの」
アハハハハハ!笑って取り合わない俺にサラと名乗ったイブはそれでも食いついて離れない。俺は彼女が本当にイブかどうか確かめたくなって(何しろ本当に全然印象が違ったから、顔のそっくりな別人かもしれないと思ったぐらいだ)部屋に招いた。今思えば我ながら怖いもの知らずにも程がある。
それから後は……16の男のすることだから、まあそのう、あれだ。アレ一本しかねぇよな。
したさ。
ああしたさ。
玄関で押し倒して逃げようともがく女の口に引き出物のハンドタオル突っ込んで、完全に強姦状態。生のまま突っ込んださ。酒に酔うと上手く勃たないって話を聞くけど、ありゃ嘘だなと思ったぐらいにギンギンだったよ。……ああ、思い出しただけで吐き気がする。こいつは魔女で最悪の人間性だけれども、無条件で土下座したい。すいませんすいません若気の至りです。
「……覚えてるかメデューサ……いや、サラ。
俺がアンタに始めて声を掛けられた時、逃げようとしたことを。俺はね、イブが大好きだった。それが操作されたものかどうかは知らない。だけどとっても好きだったんだ。――――――なのに何だあの化粧は!チークが濃すぎるし、口紅ももっと年を考えて色を選べ!アイシャドウなんか特にひどい!あれじゃオカマだ!」
「……はあ?」
「俺は化粧っ気のないシンプルな女が好きなんだよ!イブみたいな知性溢れるちょっと冷たい女が!」
「……シュタイン、お前、酔ってるな?」
「酔ってない!あの時をトレースしたみたいなこの状況になど断じて酔ってなどいない!」
叫んでもう一度キスをした。小さな形だ。あの時見上げた女はこんなに細く小さかったのか。
俺の頭の螺子は少し調子がおかしいようだ。酒の所為でもなく、状況の類似でもなく、過去を取り返そうとしているのでもない今のこの自分が何をしたいのかちっともわからない。
ただ青いドレスが俺の手によって引き裂かれ、毟り取ったブラジャーからまろび出る小ぶりな乳房の突起が硬くなっていて、だから、どうにかなってしまっているのだろうか。白い肌。あの時と同じように。……笑える、女の胸を見て勃起できるほど自分に性欲があったとは。
「この前口に突っ込まれたハンドタオルは無理に拭われた化粧の味がしてどうにもかなわなかった。今日は」
それ以上何を言わせる気もなかったので、俺は更にもう一度唇でくだらない文言の出る穴を塞いだ。
7いやよシュタイン、こんな格好!
このセリフを口に出すのはそう言えば二度目だったような気がする。右足を高々と上げられ、まるでフレンチカンカンでも踊るように無体な格好。
「そうですか、その割にここは随分びしょぬれですが」
「ちょっとやめて!馬鹿じゃないの!ドレスだけじゃ飽き足らず下着まで破る気!?」
「うはははー。いいですねぇ、パンティ・ストッキングが破れる音って」
腿の裏側にほお擦りしながら人差し指が膝裏を辿っている。ビリビリナイロン糸が切れる音。背中に冷たいデスク。ああ、視線を向こうに向けたら柔らかそうなベッドが見えるのに!
「センセーはシルクがお好きなんですねぇ〜今度プレゼントしますよーアンサンブルの下着セット」
下着の上から性器を擦られて思わず声が出た。それを聞き逃さなかったシュタインが嬉しそうな顔をしてビクビク動くそこを執拗に指でこねくり回す。
「凄いですねセンセ、いやらしい匂いがしますよ。13年前より芳醇な香りだ」
「そんなわけあるかぁ!」
「いえいえ。センセの身体に関して実地・妄想・言及、あらゆる分野で俺はトップレベルの研究者ですよ」
「……へ、変態……!」
「んー。なんともココチイイ呼称!」
さあ片手を自由にして差し上げます。俺のエクスカリバーの封印といてください。弾んだ声が馬鹿なセリフを形作って私に突きつけられた。……死武専のノリ大キライ……
ベルトを片手で外すのは骨が折れる。幸いにもシュタインは細身なのでさほど労することなくバックルが浮いてベルトを何度か揺らす。……ズボンのテントがスゴクいや。なにを隆々とおっ勃ててんのよこの解体バカ!
かしゃんとバックルが音を立てて落ちたと同時に古風な水色と白の縦じまの下着(今の子は知らないかしらね、昔は猿股なんて言ったのよ)が現れて、もう目を覆いたい。ああ頭痛がする……
「心配ないですよ、ちゃーんとシャワー浴びてきてますから」
のん気な声。テイルスネークでぶっ飛ばしてやろうか。
「舐めるのお好きでしたね。貴方の喉奥の粘膜を思い出すたびに腰が疼きますよ」
顎の間接を強く捻るようにこじ開けられて歯も立てられない。自分でも間抜けだと思う。酷い顔をしているのだろうな、今。
「うごぇ!」
「ははは、たまりませんその顔芸。素敵なカンバセが台無しだ。……あれぇ、泣いてるんですか? 何か悲しいことでもありました? それとも歓喜の涙ですかぁ?」
喉に思い切り突っ込まれているから、鼻で呼吸することさえかなわない。馬鹿みたいな硬度のディックはあの頃と変わらぬ乱暴さでくっちゅくっちゅと小刻みに揺れている。この私にここまで傍若無人に振舞えるコイツの根性はある意味で賞賛に値するな、全く。
ぼーっと具体性が崩壊してきた頭に構っていると、喉の下り坂がぐっと膨らんだのが分った。顎がぴりぴり痛みを感じている。……ああ、そういうことか。なんてヤツだ、本当にこんなのが教職員やってていいのか。
そこまで考えた時。喉の奥が爆発した。
8首を振ってください、激しくしてもいいですよ
「げはっ、ゲホ、ゲホげほげほうぇぇ……!」
唾液と精液とがぐちゃぐちゃに混ざったヨダレが白く泡立って女の口から垂れている。ひどく咳き込んでいるのを眺めていると自分の下半身をズーンと走る快感が増すような気がした。
「いい格好だセンセ。生徒が見たらどんな顔をするかねぇ」
俺はまだ女の足を高々と上げたままだ。くるくるデスクの周りを回りつつ、様々に彼女の身体のそこここに指を突っ込んではねじくり倒した。いやらしく糸を引く下着は破らず、布を押し込むようにかき混ぜる。
「はぁっ、はぁっ、はぅぅ……!」
「何期待した顔してんですかセンセ、やーらしいね」
指を動かすたびに熱いそこの音が鳴る。ああなんてはしたない。俺の夢にまで出た女がまんこグチュグチュにしてるなんて絶望するね。何勝手によがってるんだ。ブチ殺してやろうか。
「……下着、破いちゃ駄目なんでしょ?」
耳元でささやいてやったらゴクリ唾を飲む音がした。ひひひひひ!だらしない!みっともない!お前も所詮唯の肉塊だ!つまらないタンパク質の集合体でしかない!
「ハハハハハハハ!いいザマだなクソ魔女!何故今誘う!何故あの時連れて行ってくれなかった!」
濡れた布を無理やり引きちぎる音が乾いているのはどうしたことか。
「20年前ならお前の役には立たなかったろう!なら13年前は!? あの日お前にしがみつく俺の身体を刺しさえしたのに!何故俺を殺さない!俺はあんたが居なけりゃ何を解体したって足りやしないんだ!」
乾いている。心が乾いている。もうずっと前から。
「俺の脳をいじったのか!? 俺のどこかを壊していったのか!? 何故こんなにアンタが恋しいんだ!?」
孤独などもう慣れた。一人ぼっちでも構わない。そう本気で思えた頃、アンタは俺の目の前に現れる。
「……ふ、ふ、ふふふ、ふはははは!シュタイン!貴方本当に面白いわ!」
両肘をデスクに突き立てることででようやく体制を保っている濡れた股全開の女が大笑いした。
「いいわ、許してあげる!どうぞ、好きなだけ犯してくださいシュタイン博士!この身体をご自由に!お気の済みますように!あははは!最高よ貴方!ここまで予想を裏切らない男は初めてだわ!」
……涙?
「離れられなくしてあげる。そういう魔法をかけてあげる」
私が博士に掛けられたのと同じ魔法を。そう言って魔女が俺の腰をひきつけた。すると飲み込まれる剛直が柔らかく血の通う肉に埋もれてゆく。
「あ、あ、あっ!」
「何を驚いているのシュタイン? 貴方これを望んでいたんでしょう!」
さあねじ込んで!あの時みたいに子宮に沢山キスをして頂戴!あの後、三日三晩頭がおかしくなったわ!膣をかき回して貴方の精子を啜って何度もオナニーしたのよ!さあ、力一杯私を犯して!
半狂乱に腰を動かす彼女の足を掴んでいた手から力が抜けた。身体がぶるぶる震えている。
吐き気がするなんて初めてだ。
狂喜で。
「は、は、ははははは!ついに正体を現したなこの淫乱魔女め!お前は汚らしいサキュバスだ!リリスだ!メフィストフェレスだ!」
9魔法の指輪
身体がぽかぽかと暖かい。否。灼熱に焦がされるよう。涙が溢れる。自分だけが世界の全てのはずだった。何もかも思い通りにいかなければならない。この身体の隅々でさえも。
「あぅあうぃあぅあぃあぃぃぃ〜っ」
答えが一つしかない幾何学の問題集が一番好きだった。いつも必ず同じことが起きる化学実験が好きだった。予測範囲から外れない物理法則が好きだった。笑うのは思い通り事が運んだ時だけと決めていた。
「うふっあヒィ……!ん、んんん〜んんーッ!」
小さな子供に懐かれたのはあれが最初で最後。物静かで引っ込み思案の本の虫だった。白い髪は柔らかで柄にもなく接触欲が沸いた。頭が良く少し大人びたことを考える……普通の人間の子供だったのに。
「だめよ、だめ、だめシュタイン、もっと、もっと強くして!狂うくらいに!もっと!」
涙が汗の粒を巻き込んで流れる。ドレスに染み込み損ねたよだれの飛沫がデスクに飛んでいる。そういえばここは死神の書斎だとか言っていたな。こういう時は人間風ならばご愁傷様といえばいいのかしら?
「魔女が狂うと!何になるんだ? 鬼神? 大魔女? それとも」
あの頃のおちびちゃんの舌が顎下を嘗め回す。ずるずる煩わしい音を立てて何度も強く吸う。跡をつけたいらしかった。まるで乳飲み子のようじゃないか。あの解体至上主義者が!
「魔女が狂うと天使になる。破壊を悔やみ再生を願い、そして天に昇るのよ」
熱に浮かされそんなことを口走った。本当に狂っているらしい。
「では」
身体に痛いほど吸い付いて離れなかった男がふっと私のわきの下へ手を差し込み、身体を持ち上げて言う。
「あんたはずっと魔女で居てくれ」
天に昇らず、地上に居てくれ。男がそう言う。私は唯呆然とそれを聞き、体液でまみれ火照って臭気を巻き上げる身体をそのままに顔を手で覆って慟哭した。この苦痛から逃れたくて、狂った自分が恐ろしくて、シュタインの全身から吹き出す愛が怖くて、私は必死で継ぎ接ぎだらけの身体に捕まった。苦しくて初めて泣いた。いとおしくて初めて泣いた。
「魔女にも色々居る。破壊欲に支配されない者も、再生を司る者も、人間の理で動く者さえ居る。私にはそいつらの葛藤など下らない物だと常々思っていた。……いや、思い込もうとしていた……シュタイン、貴方のせいで!」
壊れてしまう。自分の理由が壊れてしまう。愛など理解してしまったら。
「狂わせて!魔女でなんかなければよかった!」
「狂うな!あんたが魔女でなけりゃ会えもしなかった!」
抱きしめられて身が焦げそう。全身に水ぶくれが出来てゆくみたい。痛い!痛い!痛い!
なだらかに曲がる背中も、汗でぬるぬるになった首筋も、強く打ちつけられる骨盤も、時々不浄に押し込まれる中指も、何もかもがぬくもりで溢れていて。
私は怖くなった。
もうこの人なしで生きてゆけない。
そう思ったから、指輪を使った。
何もかもなくなってしまえ、そう思いと魔力を込めて。
10パーティ会場ですよ
はっとしたメデューサ先生に俺は声を掛けた。グラスを取り落とそうとさえしている。
「えっ? ……あ、はい。そ、そうでしたわね」
改めて彼女は呼吸を整え、ふうとため息をついてこちらに笑いかけた。相変わらず抜け目のない女だ。
「ごめんなさい、少し飲みすぎたみたいですわ」
ふっと手を頬に添えた彼女の顔から一瞬血の気が引いたのを俺は見逃さなかった。
「……どうかなさいました? センセ」
「ゆ、指輪が……」
「……ああ、そういえばドレスと同じ色の指輪をなさっておいででしたね」
どこかに落としたのかな? 俺はさほど興味もなくきょろきょろと義理で辺りを見回してみた。もちろんその時でさえ彼女を視界から完全に外すことはしない。一瞬の隙を付いて何をするかもしれない女だからな。
「ちょっと失礼、お化粧を整えてきた時に置き忘れたのかも……探してまいりますわ」
そそくさと会場から青いドレスが消えて、俺はまたシャンパングラスを煽った。今日は随分酒が進むな。メデューサが化粧臭いからかな。
「……魔女のやることはよー解らん」
金色のスパークリングワインのグラスへ手を伸ばして、何故か少し可笑しくなった。また古いことを思い出したものだ。
「ありゃ。もう帰ってきたのシュタインくん」
「やあ死神様。……帰ってきたって、なんです?」
「いや、さっき……あれ? メデューサ先生は? 二人で風に当たってくるって、引っ張ってったんじゃなかったっけ?」
「やだなぁ死神様、もう出来上がっちゃってるんですかぁ? いくらなんでも早すぎますよォ」
はっはっはっは。俺はいい機嫌になってワイングラスを死神様に手渡した。
「私はアルコールなんかソッコー分解しちゃう体質だからあんま飲んでも変わんないんだけどねー」
でも折角だからカンパーイ。死神様がワインをこちらに傾ける。チン、とグラスが鳴った。
「――――――あ」
「んー? どーしたのシュタインくん」
「あ、いえ。なんか、思い出しそうな気がして。今……なんだろ」
「乾杯で思い出す思い出なんてロマンチックだねぇ。どこの美人さんとの思い出?」
「あ、いや、そういうの、あんま得意じゃなくて。……ここだけの話、女の人とまともに付き合ったことないんですから俺」
「……うっそだぁ。学生の頃のモテモテぶり、バレてないとは思ってないでしょー?」
「いえいえホント。女の子ってどーもニガテで」
「あらあら意外だねぇ。……忘れられないヒトでもいるわけェ? 酒の席の話じゃん、ざっくばらんにいこーよぉ?」
死神様がけらけら楽しそうに笑いながらちょんちょん肩を叩くので、俺は笑って応えるしかない。
「忘れられない名前は二つばかりありますよ。……ま、そのうち一人に腹部刺されたりしましたけどね」
グラスをぐーっと煽ってぷはーと一息付いたら、死神様の仮面の裏が絶句しているのに気付いた。
「……うわー……や、やるぅ……」
……話振っといてそうあからさまに引かないで下さいよ、死神様。
23:55 2008/12/31
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