私の星、俺の月

                パティ と ブラックスター と 椿 のはなし

                1ブラックスターとパティ

                 「よっ」
                 「おう、釣れるか?」
                 「ぜぇんぜんダメ。やっぱさ、無理くね? 河口に近すぎるよ」
                 パティが持ってた布バケツをひっくり返して俺の隣りに放り投げる。おいおい、それ高かったんだろ? 粗末に扱うなよ。
                 「だよなー。もちっと登らないと川用のえさじゃなー」
                 「だから言ったのに。マカ初心者だから何もわかってねーよって」
                 「糸垂らすの初めてなんだからいいじゃねぇか、気分だけでも」
                 「あんたマカには甘いのなー。いっつも釣れないと男の沽券に関わるっつって喧しい癖に」
                 「……お前こそキッド来ないと機嫌ワリィな」
                 「――――――うっさい」
                 げしっと背中にパティの蹴りが入った。俺は引き攣り笑いをしながらそいつを受ける。
                 「だってしょーが無いじゃん、今日はデートの順番お姉ちゃんなんだもーん」
                 ぷーっと膨れっ面でパティが隣りにしゃがみこんで水面を見つめている。俺はそれに一瞥もくれず釣り糸を垂らし、そよそよ吹く潮風に晒されながら少し離れた場所で竿をぶん回しているマカの声を聞いていた。
                 「別にいいじゃねーかよ、取っちゃえば」
                 「いいのよウチはコレで!……ってことになってんだからしゃーないっしょ」
                 ふうん、と気の無い返事を置きっぱなしにした俺がもう一度パティの顔を見た。……何見てんだよ。
                 「あんたこそ不毛な横恋慕してんじゃないよ」
                 「あっはっはっは!何の話かぜんっぜんワカんねぇ!」
                 我ながら取って付けたみたいな馬耳東風にパティが盛大なため息をついた。
                 「……あたし達ってほんっと、バカっつーかハズレ引きっつーか報われないっつーか……」
                 「はぁ? なにお前、報われたいのかよ? 平和潰して自分だけイイ目みたいの?」
                 「――――――――――――だったらこんなトコで愚痴ってるワケねーだろボケ」
                 「だったら死ぬまで我慢してよーぜ。非成就系片思い同盟なんだろ」
                 「んー……なんかとってもチキショー……!」
                 「完全に同意だ」
                 パティが諦めたように俺の隣りで釣り糸を垂らし、ぼんやりと水面に視線を落としている。俺は自分の竿の先についた鈴がリンとも鳴らないのをじっと見ている。
                 「あたしソウル取っちゃおうかな」
                 「……なんだよ急に」
                 「ソウルって格好つけて斜に構えてる癖にアホみたいな事で凹むっしょ? ああいうとこキッドくんに似てんなーと思ってさ」
                 「――――――そっかぁ? ソウルの凹み癖とキッドの躁鬱は別モンだろ。ソウルは行くとこまで行ったら狂うか死ぬかの二択だけど、キッドはどこまで行っても死にそーにねーぜ。……キッドみてぇのは一番怖い。恐怖感の底がねぇからな、多分どこまでも行ける。そいつが羨ましくもあり恐ろしくもありだ。……何だかんだ言ってもあいつ神様だなぁと思うよ、うん」
                 だらだらそんな感じのツマんない事を言ったら、パティがそれに乗って来た。
                 「……そう……神様に恋する乙女はいつでも孤独なのよん。お姉ちゃんもたまに言うもん、時々自分が透明なんじゃないかって思う時があるって。キッドくんてナチュラル無礼装ってて実はスゲー気ぃ使いなんよねー。どっか一線引いてるっつーかさ。……ま、あんま仲良くなりすぎてもあたしらの方が先死んじゃうんだから当たり前っちゃー当たり前なんだけど」
                 「――――――だから、クロナ?」


                2ブラックスターとパティとマカ

                 「――――――二度同じコト言ったら、アンタでもぶち殺す」
                 自分でも最悪のセリフだったと、言ってから思った。……だからって別の言葉に言い換えればそれで収まるような事を言いたくも無かったから、最悪なのはセリフじゃなくて俺自身だな。
                 「だって事実だろ、お前のこと抱いたのに――――――」
                 「耳イカれてんのか? あたしはお姉ちゃんと違って人殺すこと何とも思っちゃねェぞ」
                 「おお、やれるモンならやってみやがれ。パティの分際で俺様に敵うなんて思い上がってんじゃねーぞブス」
                 側にあった俺のポリバケツが蹴り上げられたかと思ったら、ポケットに入っていたらしい折りたたみナイフが銀腺のように閃いた。なるほど、言うだけの事はあるスピードと身のこなし、咄嗟にバケツの水を目くらましに使うなんて実践的で好みだねぇ。
                 「おいおい、まさかその糸切りナイフで俺様をどうこうしようとしてんじゃねぇよな?」
                 「黙って死んでなクソ野郎!」
                 ものすごいナイフのラッシュ。ピュンピュンと空気が引き裂かれるいい音がする。的確に顔と肩と心臓を捉えようとしている……が、それだけだ。
                 「お前射撃はすげーのにナイフは素人並だな、ピストル買ってきてやろうか?」
                 「や、や、やめてぇえぇぇぇぇ!やめぇえええええ!!」
                 パティがもう一言何か言おうとしたままの口で一時停止している。俺もステップを強制修了させてぐるりと振り向いた。
                 「ようマカ、釣り糸とのダンスはもういいのか?」
                 「な、なにやってんのよあんたら!そ、そんなモンこんな不安定なトコで振り回して大怪我したらどーすんのよ!!」
                 「聞いてよマカ!コイツったらキッドくんの悪口言うの〜!躁鬱とか!根暗とか!神経症とか!」
                 ……うわぉ、すんげぇ変わり身。つーか躁鬱以外は言ってないぞ俺。
                 平気な顔して“いつものパティ”がひとしきり喚いて憤っていたはずのマカに宥められ、決まり手として『んべー』と子供っぽく舌を出した。……んだよ、あの怒涛のナイフもお遊びってか? ……粋ってんなよ、こんクソアマ。
                 「ほら、ブラックスター謝って。ね、仲直り」
                 マカが俺の手を取り、パティと握手をさせる。小学校の先生かお前は。
                 「……悪かった、言い過ぎました。ごめんなさい」
                 「ほら、パティも。許してあげて? ね?」
                 「――――――今度この話題出したらお前の腸で縄跳びしてやるからな、覚えとけ」
                 「……わかったよ」
                 俺は渋々パティの手を握り、ぶんぶん振ってやった。目の奥は全く笑っていないパティがいいよ、と言う。
                 おお、コエェ。椿も怒らせると怖いけどここまでネッチョリしてねぇぞ。
                 「でー、ブラックスターは釣れたの?」
                 空気を変えようとしてか、マカが俺に笑いかける。屈託なく、いつも通りに。……くそう、かわいい。
                 「一匹だけな。さっきバカがひっくり返したけど」
                 マカからできるだけ自然にふいっと視線を外した先にパティが居た。マカに見えないように唇を動かしている。……か、お、あ、け、え、ぞ……でっけぇお世話だバカ女。
                 「まぁそろそろ潮も引いてくるし、今日はこんなトコかな。俺様が魚屋奢ってやっから適当に帳尻合わすぞ」
                 「えー、なんかそれってズルっぽくない?」
                 マカがぶー垂れるように竿を名残惜しそうに見つめている。
                 「時間かければ釣果上がるってもんでもないし、ポイントも時間も外れてるし今日はお開きにした方がいーよマカ」
                 マカの背をポンと叩いて、パティが次はソウルもキッドもお姉ちゃんも椿ちゃんもクロナも全員連れてお弁当持って海釣り行こう、とクーラーボックスのストラップを持ち上げた。


                3再び、ブラックスターとパティ

                 「マカは?」
                 「ついでに今日の夕ご飯の材料買ってくるってさ」
                 「主婦は大変だねぇ」
                 「うちはコックさんいるし、そっちは椿ちゃん担当でしょ?」
                 「いや、基本交代。でも大体椿がやっちまうからさ、今日くらいは魚捌いてやろうと思ってる」
                 商店街の入り口の自販機で買ったアップルジュースの紙パックをちゅうちゅうやりながら、クーラーボックスに腰を下ろしているパティがあたしはあんたらくらいの年の頃まで火の通ったモンはご馳走だったなーと口の中で呟いたのが聞こえた。……珍しく喋りてぇみたいだし、乗ってやるか。
                 「いいじゃん、いつも側に家族居るんだから」
                 「でも時々ウゼエよ、自分犠牲にしてまであたしに物食わせたりするし。……一度洞窟に3人で一週間くらい閉じ込められた事あったのね、四日目くらいに食べ物尽きて、五日目にキッドが非常用ビスケットのパックを落っことしてたの見つけてさ、おれは死神だから食わなくても平気とか言い出してあたしら姉妹に食えっつうのよ。でね、お姉ちゃんはあんたら年下なんだから食べないとだめっつうでしょ。で、険悪になってさ、あたしが結局全部食わされたワケ。味しねぇしねぇ」
                 ……へぇ、そりゃご愁傷様。俺が苦笑いを噛み殺しながら、思い切り眉を下げつつ平気な顔しながらビスケットを頬張るパティを思い描いた。
                 「三等分すりゃいいのに、あの二人と来たら自分よりまず相手なんだよなー。重いっつーの」
                 「お前もお前で気ィ使ってんだな。意外」
                 「何言ってんだよ、アンタだってあたしと同じ人種じゃん。椿ちゃんが柔軟だから助かってるだけっしょ?」
                 「椿の誠実をお前ん家の連中の頑固と比べんな。それに俺様は底抜けにデカイ男だからなっ!重さなんて微塵も感じない!」
                 むん、と胸を張って威嚇する。……威嚇、か。自嘲気味に笑うと、パティが目聡くその笑い顔に反応して声をひそめた。
                 「マカやめときなよ。椿ちゃん可哀想じゃん」
                 「……カンケーねーだろ椿は」
                 「アンタほんとは自分で解ってんでしょ? 自分が椿ちゃん居なきゃ全然ダメっての。……気付いてるのに波長ブレないとか椿ちゃんマジ懐広すぎ。あたしだったらもうほんと無理。共鳴中にゲロ吐いちゃう」
                 ぐたっと腕の間に頭を落とし、パティが他の誰にも(恐らくリズにさえ)見せたことの無い格好で落ち込んで見せた。
                 「…………だったら、言えばいい。クロナじゃなくてあたしを見てって、そう言えばいい」
                 「お前がソウルからマカ取ったら言うよ。……つまりそういう事だよ、一生ない。そんなことゼッテェに無いってこった」
                 ゆっくり持ち上げるパティの顔は厳しく真面目で、そのくせ泣きそうな目をしている。唯でさえ大きな目が一層大きくなっていた。
                 「あたしはキッドの大好きなシンメトリーな武器で家族で姉で妹なんだ。それでキッドが一番安心するんなら、死ぬまでそうする。多分お姉ちゃんもそうするよ。……それに、これが恋とは思えないし」
                 ずぞぞぞぞぞぞ。アップルジュースがはしたなくも啜り上げられて耳障りな濁音を撒き散らす。
                 「懐いてるだけなの。構って優しくされて、懐いてるだけなんだよ」
                 あんたもそうだよ、あたしと一緒だ。パティが今まで口に含んでいたストローで俺を指しながら助けを乞うように憐れっぽく言った。
                 「マカが笑って元気でちょっかい掛けるとすぐ反応する“普通の子”だから好きかもって思ってるだけだ。
                 本当に見せられるか? 好き合ってるソウルから引き剥がしてマカをぐちゃぐちゃにしてぇなんて汚いこと考える本心なんか。見せらんねぇだろ、見せたくねぇだろ。……そういう事だよ、あたしもそうだ。キッドがあたしら姉妹の事で思い悩む姿なんか死んだって見たかねぇや」
                 「……今日は随分お喋りだな。キッドとなんかあったか」
                 「――――――なんも。ただちょっと、お姉ちゃんが一人で死神様の部屋に行くの、見ただけ」
                 「――――――そっか」


                4ブラックスターと椿

                 腹が膨れて洗い物も済み、ひとっ風呂浴びて夕涼みの八時半。椿が風呂に入っている間、TVを見る気も起きず(もともとうちは二人ともTVが好きではないのでニュースぐらいしか見ないけど)に窓からぼんやり月を見ていた。
                 部屋の明かりを消すとレース・カーテンのたなびく影が畳に映っている。三日月なのに随分綺麗な影だ。街灯で夜も明るいデスシティ、小さな時から俺はずっとここに居る。
                 「普通の子、か」
                 存在自体はずっと知ってた。だってあいつはデスサイズの娘で、俺は死武専に引き取られてた子供で、だから何度か一緒に遊んだ事もあったはずだ。ちゃんと友達になったのは死武専入ってからだけど。
                 何故好きなのかとか、この好きはどういう意味なのかとか、パティみたくにややこしいことは考えた事がない。視界に入ったら嬉しくて、ちょっかい掛けたら楽しくて、話をしたら照れくさい。……そんだけだ。
                 それのどこがいけないんだ? 俺には難しくてわからねぇ。ソウルと仲がいい? 俺のものにはならない? だからどうした、いいじゃん別に。そんなの、俺がマカを好きなのと何の関係もない。
                 『ソウルから引き剥がしてマカをぐちゃぐちゃにしてぇ』
                 パティの声が頭に響いた。地獄の響き、狂気の響き、悪魔の響き。でも俺バカだからそんなの全然怖くねぇ。
                 してぇよ、してぇ。マカに触ってみたい。……だからってマカの気持ち踏みにじってまでそうする意味は俺に全く見出せない。
                 ……多分ソウルもそう思ってると思う。泣かせて、力でねじ伏せて、それに何の意味があるんだ? 俺達は笑ってるマカが好きなんだぞ?
                 「ブラックスター」
                 頭の上から椿の声が聞こえた。囁くような静かな声。
                 「寝てねぇよ。月見てた」
                 きっと毛布を持っているだろうな、と思って視線をそっちにやると、案の定手にタオルケットを持っている寝間着の椿が襖に手を掛けて立っていた。
                 「今日は綺麗な三日月ね」
                 「こっちくるか? 一緒に見ようぜ」
                 「うん」
                 タオルケットを受け取って(段取りのいい椿は二枚用意していた)腹に掛け、ベランダの桟にもたれかかる三日月を二人で見ている。
                 「今日、元気ないね」
                 「そっかぁ? こんなもんじゃね?」
                 「釣れなかったからションボリ?」
                 「……やっぱ分かってたか」
                 「だって海の魚ばっかなんだもん」
                 「一匹釣ったんだけどな、パティがひっくり返しちまってよ」
                 「…………マカちゃんは?」
                 「釣り糸ダンス。キャストんトキ襟に引っ掛けたらしくてさ。面白いから放っといた」
                 「ひ、ひどい……」
                 「――――――椿、お前さ……」
                 「……? なぁに?」
                 「……………………………………いい匂いすんなぁ」
                 俺は意外と意気地がないので、マカの名前を出すときに躊躇する椿にその事を訊ねることはついに出来なかった。


                5男子の。

                 一時間目から体育の授業でタイム測定とかマジだりぃ。本気でだりぃ。……だりぃ顔とか一切外出さないけど、やっぱだりぃことはだりぃので花壇の後ろに隠れて寝転んでエスケェプ。
                 どーせ俺様の測定は男子の後半だしな、そっちの方が目立つしイイや。
                 瞼を閉じてじっとしてたら、よく知った声が聞こえてきた。多分花壇の前にある水のみ場に腰掛けて話してるんだろう。
                 「パティと違ってマカ走ってもちっとも面白くない……いいなぁキッドは……」
                 「……いいかどうかはともかく、別にアレはおれのじゃないぞ」
                 「でも近くにあるのはいいもんだろ? 見てみ、リズが走る……うわぁすんげぇー……」
                 「いいかソウル。女の胸というのはな、心臓がある関係で左右非対称なんだ」
                 「じゃナニか、クロナの平原で大満足か? ちがうだろ? 男の子だもんなぁ?」
                 「……いいもんだぞ、ぺったんこは。なにしろシンメトリーだからな」
                 「――――――師匠と呼ばせてくれ」
                 俺にはよくわからん話題で、盛り上がってるのか盛り下がっているのかも判断がつかない。……つーか女子の測定なんかガン見してんじゃねぇよソウル。てめぇクールはどうしたクールは。
                 「そういや、クロナどうよ。まだ慣れない?」
                 「――――――何故おれに聞く。お前らコンビの方がクロナとは仲がいいだろう」
                 「…………師匠、首筋、跡ついてますぜ? ここ、ここんとこ」
                 ばしっと肌を叩く音がした。趣味わりぃな、ソウル。今日は朝からおかしいケド……なんかあったかな。
                 「う・そ」
                 「……は、謀ったなっ!」
                 「で、師匠。……クロナ、どうよ?」
                 「〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
                 キッドの声にならない声が聞こえてしばらく静かになった。おれはそろそろ居心地が悪くなってきたので退散しようかと肩を浮かせる。
                 「〜〜〜。〜〜〜? 〜〜〜……」
                 不鮮明で小さな声が聞こえて、それに意識もせず腰を上げようとした時にソウルの言葉がくっきり耳に入ってきた。
                 「女の子が自分のこと好きかどうか確かめたいぃ? 今さらぁ?
                 ……そうだな、じゃあ『スカートじゃなくてズボン穿け』っつってみ。ズボン穿いてきたら多分お前のこと好きだよ。
                 ……オレ? ……マカが運動する以外で一度でもズボン穿いて死武専来た事あったか?」
                 けらけら軽快に笑うソウルの声が、何故だかひどく乾いているような気がした。なげやりでどうでもいいみたいな、みっともないおどけ方。ちっとも『らしく』ねぇ、無理が見え見えで痛々しい。
                 おれは座位から腕の反動だけで一気に立ち上がり、素知らぬ顔で二人に声を掛けた。
                 「おいエロコンビ、女子の乳ばっか見てんじゃねぇよ」
                 「ようブラックスター。なんだどこ行ってた? 男子の測定もうじき終るぞ?」
                 片手を上げるソウルの表情をよく観察したけれど、いつもと変わらず目つきの悪い半目でギザギザ口で平気な顔をしている。……俺こういう細かい観察ってぇのニガテなんだよな……いつも椿に任してるツケか……
                 「ばぁっか、真打ってのは最後に出てくんだよ!」


                6ブラックスター

                 なんで見ちまったんだろうな。なんで付いて行っちまったんだろうな。なんで手ェ出しちまったんだろうな。
                 本当は自分でも良くわかんねぇんだ。
                 ただ、ただ、もうなんか、わかんなくなった。全部、全部、わかんなくなった。
                 「何事だよ?」
                 俺様ともあろうものが頼むから適当に言い逃れてくれ、うまい事言い訳してくれって思ってたよ。お願いだソウル、ただの冗談、いつものじゃれ合い、普通のケンカだって、どんな面でもいいからそう言ってくれってな。
                 でもソウルは逃げなかった。……なんでこんな無意味なトコで立ち向かうんだよ。お前バカか。俺以上のバカなんてそう見ないぞ。
                 「マカ襲ってた」
                 なにガン飛ばしてんだカス。睨める立場かよ。粋がれるセリフかよ、それが。
                 「そうかい」
                 俺はバカだ。本当にバカだ。
                 俺は必死だったよ、お前も必死であってくれって祈るように思うくらい必死だったさ。
                 昏い血の記憶。人を殺すことで生きてきた人間の血。おれはそういうものを背負っていることを辛いだなんて思った事は一度だってない。だけど、だから、そいつに反逆する。俺は違う。人とは違う。あいつらとは違うことを、証明するために。
                 マカを、椿を、大切な奴を泣かすなんて死んだって嫌だ。そんなことは、何があったって嫌だ。それは俺にとってマカや椿を殺すことと同じことだ。
                 だから同じ奴を……マカを好きなソウルもきっと俺と同じ気持ちだと思ってた。泣かすくらいなら死んだほうがマシだって、そういう風に思ってるんだと……信じていたかった。
                 ただの妄想野郎のパンチなんかちっとも効かないだろ? な、そうだろ? 立ち上がれよ、そんで俺を殴ってくれよ。
                 マカのコートの裾を掴んで引っ張って歩く。
                 マカは何も言わないし
                 ソウルは俺たちを追っかけては来ない
                 俺はマカのコートを引っ張って
                 マカは俺の後ろを黙って歩いている
                 「……マカ」
                 名前を呼んだ。この名前を想う時、俺はいつでもマトモになれる。思いっきり沈んでいても、最高にハイになっていても、何もしたくない日でも、テンションが上手く掴めない時でも、この魔法の名前さえ想えば、お前の笑顔さえ思い出せば、マトモになれる。
                 でも今日ばかりは、今この時ばかりは、鉛みたいに重たくて口幅ったい。
                 「もしまたこんな事があったらすぐ言え。すっ飛んでってソウルぶん殴ってやる」
                 ビクッとマカが震えたのが分かった。
                 「俺に言いにくかったら椿でもいい。パティでもリズでもいい。誰かに言え。絶対に我慢するな」
                 ――――――違う、こんな事が言いたいんじゃない。
                 「……うん……」
                 「授業、出られるか。ダメだったら保健室でも屋上でも居ろ、教室には上手く言っといてやる」
                 「だ、大丈夫……、そんな、大したことじゃないし」
                 あはははは。声の震えた変な笑い声。マカの変な笑い声。
                 ――――――死神様、死神様。もしも俺に勇気があったら震えて強がる彼女を抱きしめる事が出来たかな。泣けと胸に掻き抱く事は出来たんだろうか。
                 「ちょっとね、行き違い。ソウルお酒飲んで酔っ払ってたし。だから大した事じゃないんだよ」
                 俺は本当に意気地がないので、マカの震える手を握ってやる事さえついに出来なかった。


                7再び、ブラックスターと椿

                 椿が繕い物をしている。暗いちゃぶ台の向こう側に目を凝らすと、刺し子を作っているみたいだった。鍋つかみを焦がしてしまったとか言ってたので、多分その代わりを縫っているのだろう。
                 「……なぁに、ブラックスター」
                 不意に椿が俺に問い掛けた。あまりにも思いがけないことだったので素早く反応できない。
                 「――――――なんだよ急に」
                 「だってずっとこっち見てるから。何か聞いて欲しい? 何か言いたい? まさかお腹が空いたんじゃないでしょう?」
                 お前は俺の母親か。内心で突っ込んだ。時々椿のこういうお節介な所が鬱陶しいと思う。お前はそんなに人のこと気に出来るくらい強いのかよ、と罰当たりな事を思う。椿のこういう性格にどれだけ救われてるか知れないくせに。
                 「……ソウル、殴っちまった」
                 「……そう」
                 「マカと……ケンカしてて……つか、ケンカじゃねぇけど、あのコンビじゃ考えらんねぇやり合いしてて、頭に血が上った」
                 「じゃあ、明日謝らなきゃね」
                 「――――――謝る? 俺がか?」
                 「だって話も聞かずに殴ったんでしょう? その事は謝らなきゃ」
                 「そうか……そうだな」
                 「……どうして二人がケンカしてるって思ったの? ケンカしてると思ったから、ついて行ったんでしょ?」
                 椿がまた訊ねる。上手に俺から事の顛末を引き出す腹積もりらしい。こんな話をすればそうなる事くらい分かってはいたけれど、そうされるとやっぱり、悲しい。……本当は分かってなかったのかね。
                 「……朝、何かヘンだったろソウル。口数が妙に少ないと思ったら急にハイになったりさ。なんかあるなと思って見てたら、マカ連れて校舎裏行くから何かと思ったんだよ」
                 嘘じゃない。……でも本当でもない。だからって他に上手い手立ても思いつかない。
                 「ブラックスター」
                 名前を呼ばれる。この名前はあまり好きじゃない。
                 「……なんだよ」
                 「ブラックスターって、マカちゃん好きなの?」
                 心臓が
                 止るかと思った。
                 一瞬マジで止ったかもしれない。
                 なんとなく椿はそんなことを口に出して言わないような気がしていたから。……聞かないで居てくれるような気がしていたから。
                 「――――――――――――」
                 「そう。なら――――――」
                 「な、何も言ってねぇよ!……つーかハァ? なにそれ? 意味わかんねぇ。なんだよそりゃ。マジ意味わかんね!何で急にそうなんだよ!?」
                 畳の目に向かって、俺は必死に怒鳴り散らす。怖かったんじゃない。恥ずかしかったわけでもない。でもなにか、失敗したような、致命的なミスをしたような、取り返しの付かない怪我をしたような、そんな気分だった。
                 「何もしないで諦めるなんて、ブラックスターらしくないと思うわ」
                 静かに言葉を続け、終わらせた椿がちゃぶ台に半分くらい出来上がった刺し子を置いた。俺はまだ畳の目とにらめっこをしている振りをしている。焦点を椿に合わせることが出来ない。……なんだこれ、なんだこれ、なんだこれ!
                 「でもマカちゃんを傷つけたくないからずっと黙ってるブラックスターも男らしくって素敵よ」


                8ブラックスターと椿の物語

                 「私はそんなあなたが好き。あなたが誰を好きでもいいの。私は私が世界で一番ブラックスターを好きだってことをちゃんと知ってるわ。……だからいいの。それでいいって……思ってた、けど」
                 背筋が寒い、のに、顔がスゲー熱い。どばって汗が出てくる。ホントに頭ン中ワヤクチャだ。意味不明の叫び声をあげそうになる。
                 「な、な、な」
                 「……やっぱり無理……ブラックスターが私以外の女の子好きなのやだぁ……私じゃない子の事考えてるのやだぁ〜……!」
                 だめだ、やめろ、泣くな!頼む、泣くな!俺のせいで泣くなよ、おい!
                 弾けるように身体が動く。全身鍛えて、狂ったみたいにトレーニングして、どこにあるかも知れない極みを探している自分の理由を見つけたような気がした。俺はバカなのでそれを言葉にすることは出来ないけれど、このためにそうしているんだなと悟った気がした。
                 足を崩した背の高い椿が、背が小さくて立ったままの俺の胸の中で泣いている。ほんとはね、死ぬまで黙ってるつもりだったの。でも、でも、でも……。言葉にならないすすり泣きが濁って聞こえる。俺はその小さな言い訳みたいな声が切なくて、胸が痛くて、もうたまらない。
                 「ごめんなざい〜こんなのうざいよねぇ〜でも、でも、とまらないんでずぅ〜」
                 でもなんだか椿のダミ声がだんだん面白くなってきた。だって良く考えてみろよ、あの椿だぞ。あの椿が鼻水たらして泣いてんだぞ。……ちょっと笑うよな。普通におかしいよな。
                 「椿ちゃん」
                 そういやいつだったか、一度だけ零したことがある。椿も自分の名前があんま好きじゃないって。綺麗な名前なのに。
                 「ぶ、ぶらっくすたぁ〜」
                 「泣くな。美人がダイナシだぞう」
                 「び、美人じゃないもん〜背ぇ高くてブラックスターと並んでも全然似合わないもん〜」
                 「美人だ。俺が見た中で一番美人。絶対。保障する」
                 笑い顔がちゃんと作れてるかどうかなんかどうでもいい。俺は俺の顔で勝負する。マズイ造詣なんざ知ったことか。せこせこ顔色伺うなんて柄じゃねぇ。
                 「うううう〜ほ、ほんとう〜?」
                 「背が高くてナイスバディだ。俺の自慢のパートナーだ、世界で一番のいい女だよ」
                 わざと言った。椿の汚いものを誘う為に。俺の汚いものを衒う為に。
                 「……ま、まかちゃんよりも?」
                 はい、よく言えました。エラいエラい。
                 「おう」
                 だから俺も自分の汚さと戦うぞ。よくその目をかっ開いて見てやがれ。
                 「マカも椿も俺は大好きだ。二人が同時に助けてって西と東の端っこで叫んでもどっちも助けに行く。どっちも死なせない。絶対にな」
                 「じゃあ、どっちを先に助けに行くの〜」
                 ――――――ほう、そう来たか。
                 「マカ。理由はアイツがどんくせぇから。でもそれは椿を信用してるからでもある。……だってお前、絶対俺の傍から離れたりしないだろ?」
                 ぐっと椿の肩を抱く腕に力を入れる。祈りの代わりがこういうのでスマン、死神様。
                 「離れない〜離れない〜」
                 死神様に無事俺の祈りが届けられて、俺は大層満足した。
                 「でも〜……私、自分がこんなに嫉妬深いだなんて知らなかった〜……」
                 椿がそんなことをぼろぼろになっている声で言った。鈴が転がるような綺麗な声が見る影もない。
                 「俺だって知らなかったさ」
                 女の子の抱きしめ方なんて。


                9男子の、

                 教室に入って一番最初に探した。うろうろ視線を彷徨わせて、一番最初に探した。
                 そしたら向こうも同じだったようで、バッチリ目が合った。無言で提げてた鞄を下ろして机に投げ込む。あっちも席から立ってまだ人も疎らな教卓の前に立つ。
                 「一発は一発だ。殴れ」
                 「……おう。だが同じ強さでオレも殴れ。理由なんてどうでもいい、実に今お前に殴られたい気分なんだ」
                 音高く肉のぶつかる、あの感触。頬の中身ごと持っていかれるあの衝撃。
                 拳に熱いモンが流れる。血じゃない。痛さじゃない。もっともっと、センセーショナルなもんがこの拳に流れ込んでくる。
                 オレは教卓にしがみ付き、ソウルは教室の端っこまでぶっ飛んで行った。
                 ……ああ、清々する。最高にユカイだ。
                 「……ぷ、プアハハハハハハハハハハ!あはははははは!あははははははは!!!」
                 「いひひひひひひひひ!うははははははは!ぎゃはははははははーーー!!」
                 二人でめたくそなツラをぶら下げて、目を丸くする教室中の観衆の中で笑い転げまくった。最高、最高だよソウル!お前はほんと、最高のバカ野郎だ!!
                 「な、何がクールだよ!ゲラゲラゲラゲラ!笑わせんじゃねぇやクソが!歯が折れるかと思ったぞボケ!」
                 「ぎゃははははは!テメェこそなんだ!殺す気かよ!首が三周くらいしやがった!筋肉バカが!ちったぁ手加減ってのを覚えやがれ!」
                 ああもう、腹がひっくり返りそうに面白い。もうなんだかどうでもいい。なにもかもどうだっていいや。俺はその時本気でそう思っていた。何もかも、もう終わったのだと。
                 だから俺はひっくり返ったソウルの手を取って拳を合わせた。ご破算の合図。悔恨ゼロ、終止の儀式。
                 「ソウル、泣かすなよ。譲ってやるんじゃねぇ、貸してやるだけだ。お前が一度でも腑抜けた事をしたら地獄の底からでも取り返しに来る。忘れるな」
                 「……死んだって返すもんかよ」
                 そうだ、その目だ。一生その狼の目で居ろ、一瞬でも犬の目になったその時は……必ずお前をぶっ殺しに行く。
                 大きく深いため息をついて周りを見ると、泡食ったマリー先生だの涙目のマカと椿だのがおろおろしながら人垣の一番前にいた。……ありゃ、やばくない? コレ。
                 「け、決闘は必ず職員の見届け人が必要だって知ってるはずでしょう〜!!!」
                 「い……いや、コレは決闘じゃなくて……」
                 「いいえ!そんな言い訳は私には通用しないわ!二人とも来なさい!お説教よ!」
                 「いや、ほんとに、違うんだよ!な、おい!何とか言えよブラックスター!」
                 「センセー、俺ソウル君のイジメにあってますー」
                 「あっクソ!選りにも選ってこんな時に何てこと言いやがるんだ馬鹿!違う!違うから!これ嘘だから!!」
                 二人同時に襟首を?まれて、ずるずる教室から退散することと相成りました。うーん、経験則からするってぇと、こりゃ一時間じゃ済まないコースだなー。
                 何でこんなバカなこと言ったか? 普通に、マカの顔見たくなかったから。椿の隣でマカの後ろ頭見たくなかったから。ソウルをマカの隣に座らせたくなかったから。……我ながら寒気がするほど子供っぽい発想だな。
                 マリー先生のありがたいお説教を聴きながら、俺はぼんやりどこかを見ていた。自分でもドコを見ているのかはよく分からない。頭の先から足の爪までスッキリしたはずなのに、頭の中には霞が掛かっていてどうにもならない。上手く物が考えられない。
                 教室に戻ったソウルはいつもと同じようにハーバーと昨日のTVのこと喋ってた。そうだ、ああやればいい。なんで俺は今日に限って切り替えられないんだ?
                 「ソウルも見てたろ、ミュージック・ナイン」
                 「……あ〜……昨日見てないんだよ、宿題やってて忘れててさー」
                 毎週レアなPVや音源を流しているソウルお気に入りの音楽番組の話らしい。声は聞こえてくるのに内容が良く解らない。あれ、なんだこれ。なんだこれ。


                10三度、ブラックスターとパティ

                 「どったの。顔、青いよ」
                 「うるせえブス。こっちくんな」
                 「珍しいじゃん、あんたが逃げ出すなんて。嫁が心配してたよ」
                 「ホントぶっ殺すぞお前」
                 死武専の屋上の屋上の一番天辺。誰も来ることが出来ない一番頂点。誰にも見られない俺だけの隠れ場所。誰も寄り付かせないための俺だけの場所。
                 パティが雨樋に掴まった手をどこかの縁に掛けてぐるりと体全部を回転させる大技でこちらへ登りきった。その顔は面白くもないのに微笑んでいるみたいでちょっと薄気味悪い。
                 「ねぇブラックスター。ストリートにはあたしらみたいなバカガキが腐るほど捨てられてて、半分が冬の寒さで死んで、その半分が夏の暑さで死んで、もう半分が飢えで死んで、また半分がボコられて死んで、最後の半分が薬で死ぬの。それでも生き残ったら女は娼婦になって、男はマフィアの下っ端になるの。そんで全員くだらなく死ぬよ。あたしはそういうのイヤというほど見てきた。
                 あたしはお姉ちゃんに捨てられなかったから生きてんの。キッドに拾ってもらえたからここに居られるの」
                 この場所をパティに教えたのは何故だったか思い出せない。でも多分、なんか似た匂いがしたからだろうな。無力な自分がイヤで、守ってもらってる自分が情けなくて、でも笑ってるしか出来なくて、でも上手く笑えなくて、どうしたらいいのかたまにわかんなくなる。……今のパティみたいにな。
                 「あたし腹決めたんだ。もう揺れない。死ぬまで家族だ、それでいい。恋でなくてもいい。傍に居られたらそれだけで十分」
                 だからあんたも腹決めなよ。あんたがブラックスターらしくないと、みんな戸惑っちゃうからサ。
                 パティがそんなこと言ってふらりとその場に座った。俺はそちらを向くのさえ億劫で、おっかなくて、女の強さにぞっとさえする。
                 「クロナがキッドの嫁になっても、お姉ちゃんが死神様の愛人になっても、あたしは死ぬまでキッドの傍に居る。そのために死に物狂いでデスサイズになる。あたしの幸せはあたしが決める」
                 俺もこいつも最初から何も持ってなかった。誰かが哀れに思って分け与えてくれる物をただ受け取るだけ。それが腹立たしいから俺たちは意地を張る。意味なんかどーでもいい。そんなもんさえ俺たちは持って生まれてない。
                 「パティ」
                 「あん?」
                 「わりぃ、心配掛けた。もういい。平気だ」
                 「うそつけ、椿ちゃん強いからあの子の前で泣けないんだろ。……同じ弱い者同士でマカと泣きたかったのか?」
                 「うるせーよクソブタ。お前だってキッドの前で泣けないだろ。いっつもヘンなツラで笑ってんじゃん」
                 ギヒヒヒヒ。二人で共犯者みたくに笑った。こいつの前では泣きたくない。だからお互い笑う。強がってるわけじゃなくて、泣いたら終わっちまう気がするから。
                 今まで意地張ってきたものが、たった十数年必死こいて積み上げてきたものが、崩れそうな気がするから。
                 「後ろから見てんの辛かったら言いな。シュタイン先生以外の授業なら席変わってやっから」
                 「へん、そりゃ単にお前がキッドの隣に座ってたくねぇんだろ? 姉ちゃんがいっつも隣譲ってくれるのがしんどいくせに」
                 「――――――やっぱダメだわ、あんたとはホント、絶対親友になれない」
                 「お互い様だ。ヘンな気遣いすんな。もう平気なんだよ」
                 「あ、そ」
                 パティのあきれたような笑い顔。それだけ覚えてる。多分きっと忘れない。


                 昼からの授業が始まって宿題の提出に教卓に近づくと、スプラッターバカに向かってソウルが言い訳をしていた。
                 「早退したので宿題出たの知りませんでしたー」
                 俺は半目になってアイコンタクトを送ってくるパティに向かってちょっと肩をすくめて笑う。
                 ……うるせぇですね。平気だっつってんだろバカ女。



                15:26 2008/11/05

                 


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