死神くんの家庭の事情(或いは 林檎と魚と血のスープ)
キッド と クロナ と おうちの人々
1エリザベス
まあ、こんな日はいつか来るだろうことはキッドの素性を知ったあの日からある程度の覚悟はしていたけれど……やっぱリアルに来るとキチぃわ。
「ふうぅん。まあ、あの子も男の子だからしてねぇー」
「……まだ子供ですし……死神様のご子息があんましはしゃぎ過ぎるのもどうかと思うんですが……」
死神様の袖がピラピラしている。アタシは畏れ多くて愉快な仮面は愚か、上半身さえ見る事が出来ない。いくら死神様が砕けた人柄で人格者だと言ったって、そもそも魂の格が違う。いくらアタシでもそんなことくらいは肌身に染みて解る。おまけに今はキッドも居なくてアタシたった一人なのだから。
「んー、まあそーなんだけどねー。……それにしても悪いねぇエリザベスちゃんにスパイ紛いの事させてさー。でもほらやっぱ、男親だけだと行き届かない事もあったり無かったりするワケよコレがー」
死神様の声がションボリし始めて、思わず顔を上げたら生死神様がアタシに手を合わせてゴメンネ? という風に腰を曲げているというすごい光景が見えた。アタシは思い切り恐縮しながらぶんぶん手を振りまくる。
「お、お気になさらずに!? ぜんぜん、平気です!気に病んだりしてません!問題ないですっ!」
か、神様に頭下げさせてどーすんだよアタシ!!
「んー。そんで、今なにしてんの、うちの馬鹿息子は」
「前々回の報告の時に校内でバスケをやっていたので今回もそうだと思います。クロナは……多分、自室かと」
「……バスケ終ったら行っちゃうかなぁ?」
「……行っちゃうんじゃないでしょうか……」
「――――――行っちゃうよネェ〜」
「8割行きます……と、思います」
「パトリシアちゃんが引き止めてくれたりしない〜?」
「……どうでしょう。あいつ抜けてるから……」
「……んー、頭痛いネェ」
「お察しします」
死神様がくねくねくねくねもんどり打ちながら思案に思案を重ねている。難しい唸り声で何度も何度もうーん、と考え込んだ挙句、一つ大きくため息をついた。
「ま、無理に荒立てるのもナンだし保留ってことで!
あの子も馬鹿じゃないし、自分のしてる事の重大さにも今の状況がどんなものだか気付いてるからこそエリザベスちゃんに隠してるんだろうし、その結論を待とうじゃないのよ。……あ、でもヤバそうな方向に転がるようだったらバシッとやっちゃって? その判断と権限は君に委ねるからサ」
「い、いいんですか? ……私、馬鹿ですよ?」
「でも愚かじゃないよ?」
茶目っ気たっぷりに死神様が仮面の向こうでウインクしたような気がした。
「〜〜っ……は、はい。死神様のお心に添えるよう誠心誠意努力します」
「――――――あっはっはっは。そーんな堅っ苦しいこと言いっこナシだよエリザベスちゃん。企み系見守りっ子同盟同士仲良くやろーじゃないのー」
「は、はぁ……」
い、いい人なんだけどな〜……どーもこのノリには付いていけない……。
「あ、そうだ。……あのう、差出がましい事とは思うんですが、たまにはお屋敷に帰ってらっしゃってください。家の者もみんな仕事詰めの死神様の事心配してます」
「――――――それって、エリザベスちゃんも?」
「もちろんです!パティも料理長も執事長も庭師だって、みんなみんな、心配してますよ!……キッドだって……!」
「はっはっはっは。……分かった。近々帰るように調整するよ」
2パトリシア
お姉ちゃんってビビリじゃん。すーぐ顔に出すし、思考回路が乙女だしさ。いい男に弱くてそのくせ束縛されるのは嫌いだったり、一人で居るのが結構平気だったり……つまりデタラメなんだよねあのヒト。
でも結構頼りになるんだよ、普通の時もいざとなった時も。基本的に度胸据わってるから。……オバケ全然ダメだけど。
「……ねえキッドくん」
「なんだ」
「どーせクロナんとこ行くんでしょ」
声も出ないほど驚いたのか、キッドくんが胸を詰まらせたようにつんのめった。
「いいよ、上手く言っといたあげる。……でも、おねーちゃん心配しちゃうからいつもの時間には帰ってきてよ?」
「い、いや、今日は別に……」
オロオロしながらキッドくんがしどろもどろに言い訳を探している。……お姉ちゃんほんと、報われねーなー。
「約束、してんでしょ? どーせ」
「――――――し、してないっ! そ、そもそも! お前に見つかったあれだって、別におかしげな事してた訳じゃないぞ! 断じて、断じて! 違うんだからな!」
「わかったわかった。キッドくんはクロナとなんでもありません。キッドくんがクロナをベッドに押し倒したとこ目撃したけどキッドくんはやましい事何にもしてません。クロナに空け渡したはずの部屋の鍵が今もポッケに入ってるけど何の関係もありませェーん」
「〜〜〜〜〜っ!!」
シュタイン博士の真似でヘラヘラ笑うあたしを、キッドくんが眉をひそめて頬を赤らめ、口を波型にしながら睨み付ける。……ひょっとしてバレてないとでも思ったの? 浅はかだな、ガキ。
「けどさ、いいの。あいつ魔女だよ」
あたしはウキウキ気分で浮つくこの子が急に憎くなって、そんなことを言う。冷や水被ってろよ、ムカつく。
「――――――魔女じゃない。魔女の子ってだけだ」
冷たい声がした。いつもの冷静な彼の声でなくて、突き放すような警戒した声。最初会った時みたいに眉を吊り上げている。
「……分かってるなら、いいけど」
“死神の子”と別れて、あたしは帰り道を歩く。一人で夕暮れの町を歩く。一人は苦手。いつも隣りにお姉ちゃんが居て、さもなくばキッドくんが隣りに居たから。寂しいのも静かなのも嫌い。哀しいのも辛いのも好きじゃない。
「マカはいーなー。ソウルくんが甘やかしてくれるもんねー」
無自覚で横暴に振舞っても、ソウルくんはものスゲー過保護なので絶対マカを一人にしない。どんなに大喧嘩してもいつの間にか仲直りしている。そんなのを見てると、何があってもあの二人はずっと一緒にいるんだろうなぁと思う。……いや、これはあたしの願望かな。
「うちは喧嘩とかしないもんなー。キッドくんお行儀いいから」
例えばお腹がすいててパンが一つしかなかったら、彼は当たり前のようにあたしたち姉妹に渡す。躊躇いも疑問さえも持たずにそうする。それは結局お姉ちゃんが三等分にすることを解ってるからじゃなくてだ。そういうとこ本当にすごいと思う。
「でもアレって、マジでお腹空いて死にそうになった事が無いからできる芸当だよな」
お姉ちゃんは手放しでキッドくんのこと誉めるけど、あたしは眉を顰めてしまう。キッドくんの余裕と冷静は、飢餓とか恐怖とかを知らないから余興でスマートで華麗なんだと思う。言わないけどさ。……だってそんなこと言ったってしょうがない。あたしたちの世界にあるものとは全然違うものを背負ってる彼には彼なりの苦悩もあるんだろうし。
「……お姉ちゃんは本当にキッドくんのデスサイズに成れると思ってんのかなぁ」
あたしら鎌じゃないから退魔効果ってやつ、持ってないのに。
3リズ
屋敷に帰ったパティはやっぱり一人だった。
「……キッドは?」
「んー、ずーっと図書室のデスシティの歴史コーナーから動かないから先帰って来ちゃった」
「……ふうん」
運動の後に図書室、ねぇ……。あ、だめだだめだ、こういうこと考えちゃうとキッドの顔見られなくなる。落ち着け落ち着け。いいじゃないか、あの潔癖気味のキッドが女の子と仲良く出来るなんてそう滅多にあることじゃない。ほかの事は考えるな。
「――――――お姉ちゃん、爪はきれいに塗れた?」
「……あ、ああ。うん。ほれ、見てみ? 今日は死神様の仮面のデザインをあしらってみましたー」
「お姉ちゃんこういう細かいのホント上手だよねぇー」
ブラックラメをベースにホワイトパールで形作られた髑髏の意匠はランプの光を受けてキラキラキラキラ光っている。我ながら会心の出来だ。
「……なんか、幸せだねぇ。お姉ちゃんの爪が綺麗なのって」
「何言ってんだ、アタシ昔からマニキュアは塗ってんだろ?」
「……うん。そーだけどさ」
パティがらしくもなく静かな声を出してそんなことを言った。……なんだ、熱でもあんのかお前。
アタシが妙に思って顔を覗き込むと、パティがにひひひー、といつもの顔で笑っていた。――――――思い過ごしか。
「お腹空いちゃった。ごはんまだかな?」
「キッドが帰ってくるまで待ちな。いっつもキッチリ6時に帰ってくんだからあと一時間、宿題でもしてようぜ」
「およっ!キッドくんノート丸写し魔のお姉ちゃんの口から珍しい発想がっ!……なんか変なモンでも食べた?」
「お前が言うなっ!」
料理長の許可を得てダイニングルームで二人して宿題を広げて唸り声を上げていたら、玄関の方が少し騒がしくなって顔を上げた。時計の針はキッチリ文字盤を真っ二つに分けているジャスト6時。……さすがだ。
「む、いつの間に居なくなったかと思ったら」
「わーいキッドくん歴史の勉強終わりー?」
ダイニングルームのドアが開いた途端に待ち構えていたパティがキッドの首根っこを捕まえた。……お前な、一応そいつこのお屋敷のお坊ちゃんなんだぞ。わかってんのかオイ。
「なんだ、こんな所で」
パティの無礼な振る舞いにも動揺せず、キッドがあたしの悲惨な状況の宿題を見て眉をひそめた。……悪かったよ、馬鹿で。
「部屋で篭ってるより人通りがある方がしなきゃって気分になるからさ。こっちの方がはかどるんだ」
パタンと教科書を閉じて、ノートを払った。消しゴムのクズを丁寧にまとめてパティが折り紙で作ったマトリョーシカ箱の中に入れる。
「それにここ玄関から一番近いからな。お前が帰ってきたらすぐ判んだろ」
ぐしゅぐしゅと彼の頭を撫でると、ムッとしたような顔で何か言いかけたけれど結局何も言わなかった。
「リズもたまにはマカ達と遊んだらどうだ。いつも居ないとそのうち忘れられるぞ」
髪を整えながらキッドが上着を脱いでシャツを開襟する。自室でも稀にしかタイを緩めたりさえしないお前がどういう風の吹き回しだよ?
「だって折角綺麗に塗った爪割れちゃったら悲惨だろぉ? ほれ、見てみ。死神様だぞー」
ずらりと十人並んだ死神様を見せびらかすようにして笑うと、パティがおねーちゃんスゴイでしょ? こういうお金にならないせせこましい事やらせたらブルックリン一だったんだよ!と、褒めてんだか貶してんだか解らない事を胸を張りながら言った。
「……右の人指し指と小指、左の親指と薬指が歪んでてちゃんとシンメトリーじゃない!」
ガッとアタシの手を握って次に言う事は分かっている。
『おれにやり直しをさせてくれ!』
三人の声が重なって、キッドの上着をハンガーに通していたいつもは冷静な執事長が思わず吹き出した。
4パティ
「ねえお姉ちゃん」
「あん?」
熱心に美容体操とやらを自分のベッドの上で繰り広げている変な格好のお姉ちゃんがひょいとこちらを向いた。
「お姉ちゃんってキッドくん好きでしょ?」
「好きだよ、当たり前じゃん。何を急に。……あ、パティも大好きだよ。お姉ちゃんの大事な……」
「じゃなくて。男の子として」
「あははははは。キッドとお姉ちゃんといくつ離れてると思ってんだ。お姉ちゃんは背が高くて精悍な美青年がタイプだぞぅ」
「えー? そうなのー?」
「そうだよ。お前お姉ちゃんの彼氏見たことあったろ」
「えー……まだ彼氏って言い張るかあれをー?」
「ううううううるさい!……とにかく、キッドは好きだけど弟みたいなもんだ。恋愛対象には入らん。せめてアタシより背が高くないとなー」
「……それ結構大変だと思うな……」
お姉ちゃんってほんっと、すぐ顔に出るよね。なにその棒読みのセリフ。きもい。馬鹿じゃねぇの。
前もって考えてた文章を読み上げるみたいに抑揚のない声でお姉ちゃんが生気のない目で答えるので、よっぽどぶちまけてやろうかと思ったけれどやめた。ヘンな美容体操がますます不恰好になっててこれ以上つつくのがかわいそうになったから。
お姉ちゃんは本当に“背が高くてがっしりした顔のいい奴が好み”だと思う。でも、死神様とキッドは別だ。あたしたちを拾ってくれて、生きがいを与えてくれて、家族になってくれた、あの二人は別だ。あたしたちを悪魔から人間にしてくれたあの二人は別格なんだ。
「でもなんだ急にそんなこと言い出すなんて…………あ、そっか、そっか。フフフお姉ちゃんはピンと来てしまったよ明智クン!」
「違うよ」
「なんだよ〜最後まで言わせろよぅー」
「お姉ちゃん単純すぎ。あたしだって背の高い人がいいよ。……死神様とか」
初めてお姉ちゃんがぎくりとした。ほらね、このくらいで動揺するとかお姉ちゃんマジ初心すぐる。
「しっ、死神様はお前、ヤバイだろどう考えても!」
「なんで。お父さんみたいでカッコいいじゃん。キッドがあたしらの弟だったら、死神様はあたしらのお父さんで合ってるでしょ? すげーよね!世界一のお父さんだぜぃ!」
「――――――あ、ああ。そうだ、そうだな。うん。お父さん、そうだよ、お父さんな。あ、あはははは。ナンだよお姉ちゃんビックリしちゃったよ〜」
ほんと、お姉ちゃんって馬鹿だよね。報われないモンばっかり好きになってさ。……………………クソが。
「ソウルが早退したことあったじゃん。あれの話マカに聞いたの。あんま詳しくは教えてくんなかったケド。
話聞いてたら漫才コンビみてぇなことしてっからマカが突っ込みでソウルがボケって考えたら、キッドくんどっちかっつうとボケじゃん。じゃあ突っ込みのお姉ちゃんとバランス取れるかなーって」
あたしは思いつく限り無難で当り障りの無い原因を探して口に出した。こういうの得意。みんなあたしが難しいコト考えないと思ってるから簡単だし。……そんなわけねーのにね。
「へっへっへっへ。それはそれは。……でもなパティ、あの神経質についてけるシンメトリーな女は地上に存在しないから。アタシらだって二人でようやく対なのに。それより何よりお姉ちゃんを一人にしないでくらさ〜い〜」
「大丈夫、見捨てたりしねーって」
「ほんとかー? お姉ちゃん結構お前らがくっついちゃうんじゃないかって心配だぞー」
今度はあたしがギョッとした。なかなか際どい所を突いてくるねお姉ちゃん。でもキッドにあたしの香水の移り香がするのには気付かないんだよねお姉ちゃん。抜けてるのか鋭いんだかハッキリしてお姉ちゃん。
「お前ら本物の兄妹みたいな時あるからなー。でもお姉ちゃんは年頃の娘さんが男の子のベッドで一緒くたに寝るのはどうかと思う。マジで」
「えー、でもお姉ちゃんが眉の手入れとかしてるといつの間にかキッドが足の間座ってたりすんじゃんー」
「そん時はパティだってキッドの腹の上に頭置いて寝たりしてんじゃねえかよ。でなくて、こないだの日曜にキッドの部屋でボードゲームしながら寝てたろ。あれは……」
またお姉ちゃんの小言が始まった。……そんな羨ましいんなら待ってないで自分からキッドんとこ行けばいいのに。
5デス・ザ・キッド
「やだぁ……く、苦しい……!」
「そう言うな、顔が笑ってるぞ」
「だ、だって……!」
頬に流れる汗とも涙ともつかない一筋を舐め取って、おれは部屋の隅で女の子の片足を上げ、その中に深く突き刺さっている。
「ラグナロクがっ……あっ!……毎回、傷口、塞い、じゃうっからっ……全然、痛く、なく、なら、ない、んだ、もん」
「ではおれは毎回処女とやってる事になるな」
「ば、ばかにすんな!僕はもうキミに片手じゃ足りないほど……んっあっあっあっ」
腰を揺する度に過剰に反応するクロナの声が面白くて、刻一刻と変化するクロナの表情が面白くて、両肩を掴んでいるクロナの手の力が面白くて、おれは何度も何度も突き上げる。
「しかしお前身体柔らかいな、足普通こんなに上がんないぞ」
「バカか!苦しいに決まってんだろ!離せよ死神野郎!」
「ふん、急に威勢が良くなったな」
「ひぁああぁぁぁぁ!」
「お、当たりだ」
胸と鎖骨の間の所に顎を埋めてグリグリ刺激しながら足の角度をさらに上げて壁に押し付けるように沈み込むと、クロナが口を大きく開けて悲鳴を上げた。
「クロナ、こっち向け」
「やら、やら、やら……」
「向けというに」
ガブリと噛み付くように唇と舌に歯を当てた。ぬるつく粘膜がとてつもなく心地いい。
「んあ、むぃぃ……っ!」
「黙れ。声を立てるな。人に聞かれたらどうする」
「やだ、やだ、やだぁ……ゆるしてぇ……痛くしないでよォ……!」
「……お前ホントこういうの上手いな……ラグナロクが苛めたくなる気持ちが解る」
「――――――素に戻んなよ。興が殺がれるだろうが」
「…………お前は出てくるな…………」
おれが埋まったままのクロナを持ち上げ、元パティのベッドに彼女を下ろす。部屋の隅の壁に押し付けられて窮屈そうだったクロナがグッと胸を反らして両手をこちらに伸ばした。
「今度は優しくだ。この間見た映画みたいにクサいセリフいっぱい言って息できなく――――――」
最後まで言わせるのが癪で、おれは“クロナ”の望む通りのしつこくて泥臭くて重苦しい口付けをした。吐息がシーツに移る。ドロドロに溶けていくような錯覚が引き返せない恐怖感を程よく煽ってくれて異常な拍動が止まらない。まるでベルゼブブで最高難易度のトリックを決めた時みたいに。
「わがままなことばかりを言うな。教室ではロクに喋りもしないくせに」
「それはお互い様だろ。パートナー姉妹かブラックスター、さもなきゃソウルとくらいしか喋ってるの見たことないぞ」
「うっ……しょ、しょうがないだろう。女の子は苦手なんだ」
「へん、言ってやろ言ってやろ、銃の姉妹に言ってやろ」
「言ったなクロナ。これは仕置きが必要か?」
「ち、ちがうよ!今のはラグナロクが僕に言わせたんだよ!」
「――――――解っている」
6キッドとクロナ
「まさか日曜日まで来てくれるとは思わなかった」
「……む。まあ、約束だからな」
「…………僕が勝手にしたのに」
「おれは何でもキッチリしてないと嫌なんだ。一方的など虫唾が走る!双方的ならば何も問題はない」
入学してたったの2週間も居なかった死武専の特別室。まあ特別室と言っても、父上の書斎の一つにベッドを運び込んだだけでしかないわけだが。
ぐるりと見渡して、本がそれはそれは綺麗にシンメトリーのまま保たれていることを確認してから椅子に腰掛けた。
クロナは目の前の元パティのベッド(その他の二つはお泊り室に戻された)に腰を掛けて、抱きしめたままの枕に顎を埋めてこちらを伺い見ている。……やりにくいな、相変わらず。
「今日は何の話をすればいい? マカの話も、ソウルの話も、ブラックスターや椿、父上とシュタイン博士とデスサイズ様、リズとパティの話もしたかな」
指折り数えて様々な人達の名を上げたおれに、クロナは枕に顔をうずめがちにして篭った声で言った。
「今日はキミの話を聞きたい」
「……おれの? 今まで散々してきたのは、つまるところ全員に関わるおれの話ではないか」
「ううん。そうじゃなくて、キミ自身のはなし」
「……ヘンな奴だな。面白くもなんともないぞ」
「それを決めるのは僕さ」
「――――――ふうん。まあいい、お前が聞きたいなら話してやる」
魔剣士クロナが死武専に来てから早2ヶ月が経っていた。マカだのソウルだのブラックスターだのが異常なほどに構ったのが幸いしたのか、少しずつ打ち解けてきて、死神の子供のおれにさえ普通に声を掛けるまでになったのだから大進歩と言える。……まぁ、相変わらず引っ込み思案と言うかおびえ癖は直らないのだが。
「何が聞きたい?」
「キミ、死神の子なんでしょ」
「……まぁな」
「僕は魔女の子だよ」
「知ってる」
「死神は魔女を殺すんだ。魔女は死神を出し抜こうと虎視眈々と狙っている」
「……ああ、そうだな」
「――――――なんで僕のこと、構ってくれるの」
「さぁな。似てるからじゃないか」
「何が」
「お前とおれが」
「……全然違うよ。僕友達居ないし、人との接し方も分からないし……誰にも求められてない」
「おれもだ」
「……嘘だよ」
眉をひそめて微笑むように言った。同情はよせとでも言いたげに。
「こんな屈辱的な嘘をつくメリットがあるか。おれだって死武専入るまで友達なんか居なかった。リズとパティは家族みたいなもんだ。人とまともな付き合い方を知らんおれを哀れんで構ってくれてるに過ぎん」
「なんで」
「おれは一応死神なんでね、大抵の奴は怖がって近づかないのさ。マカだのブラックスターだの、あいつらはちょっと普通じゃない。なんというか、人に対する差別心ってのかな、それが薄いんだ。恐れ知らずというか」
「分かる気がする」
「腹が決まってる人間は、強いな。尊敬する」
「うん」
7クロナ
暖かい大地に住む人間のキミが触れるだけで、冷たい水に棲む僕は煮えてしまう。
「他には何が聞きたい? 喋れる事ならなんでも喋るぞ」
彼が乗って来たのがわかる。もう二ヶ月もこうしているのだから、そのくらいは解る。二ヶ月……そうか、もう二ヶ月も経つんだな。
「じゃあ……武器の事。武器とどう付き合ったらいい? キミん所は三人だろ? よく喧嘩にならないね。僕なんかお互い身体の一部なのにしょっちゅう苛められてるよ。気が合わないんだ」
「そんなことはなかろう? 現にこうしておれが部屋にいたって邪魔しない。約束は守る律儀な奴だ」
彼の声は優しくて、僕はそれだけで随分助かる。冷たくて突き放すみたいな言われ方には慣れているけど、好きじゃない。
「寝てるだけだよ。キミの話は気分が悪いって約束の時間まで寝ちゃうんだ」
「……ふん、稀に見る性悪にまで嫌われるとはな」
金色の目はいつでも少し寂しそうで、マカの目を見ることもよっぽどのことがないと上手く出来ない僕でさえ、気に掛かる。教室で笑っている時やシンメトリーに輝かせている時みたいに、いつも楽しそうならいいのに。
「ごめん。でも、あんま悪く言わないで。苛められて小突き回されるけど、ラグナロクが居たから僕いつでも独りぼっちにはならないんだ。メデューサ様の企みに過ぎないって言われるかもしれないけど、僕は少し感謝してる」
「……お前のパートナーに失礼な振る舞いだったな。すまない」
彼が頭を下げた。とっても偉い人のはずなのに、こういう事が簡単に出来る。この人みたいな人のことを、高貴な人っていうんだろうな。
「いいよ。ラグナロクが意地悪なのは本当の事だもん。……だから上手くやっていきたいって思うんだけど、いっつも怒らせてるからさ。まぁ理不尽な事ばっか言うラグナロクもラグナロクだけど」
「……うちの場合は、リズ……俺がいつも右手に持ってる銃、背の高い方な……あいつがバランサーになってる。パティもおれも羽目を外しやすいから、リズが引っ張って元に戻すんだ。妹の方のパティは……おれとリズが根暗だろう? そういうところをうまい事調整してくれる。おれ達は人間として結構色々欠けてるからな。3人居て丁度半人前ってとこだ」
いつも彼はパートナー姉妹の事を話すとき、得意げに喋る。自慢の姉たちを誇るように、声の調子も変わる。……僕はそれがちょっと鬱陶しい。
「そう? 僕から見ればキミは立派で完璧な人格者だけどね」
「世辞など言わなくともいい。自分の足りない場所は自覚している」
ほら、ね。自分のことを喋る時はめんどくさそうに、自信なさげになるでしょ。なんだよそれ。キミはすごい人なのに。
「でも僕とラグナロクは似通ったところが全然ないよ。僕は超根暗だし、ラグナロクはキツイ性格じゃん。何でも溜め込む方の僕、全部その場で発散しなきゃ気が済まないラグナロク。どう接すればいいのか分からないよ」
「今までどう接してきたんだ?」
思えばこんな何でもない尋ね方もずっと柔らかくなったような気がする。最初は見下すみたいにして僕を睨んでいた。……後から、僕がおっかなかったって聞いたけど。
「……別に。ただそこにいるだけさ。身体の中にラグナロクが居て、僕の身体を支配している。接するとか接しないとか以前の話だよ。僕は彼で、彼は僕。近くて遠い体の一部さ」
「……なら今までと一緒でいいんじゃないか? 何もしなければ今までと同じだ」
笑いながら少し冷たいことを言う。皮肉とはちょっと違ってて、何かどこかへ導くみたいな言い方で。
「やなんだ、そんなの。マカだってソウルとずっと仲いい訳じゃないって言ってたし、椿って子も喧しい……名前忘れたけど……あの子と上手く行かない事あるって言ってたよ。
みんな同じなんだ。だったら僕だけ武器と特別なんてやだよ。みんなと同じがいい」
「……そうか。なら、喧嘩でもしてみちゃどうだ? 苛められて切れるんじゃなくて、話し合ってみろよ。自分の意見をキッチリ主張して、ラグナロクに突きつければいい。最初は上手く行かなくとも、幸いお前たちにはたっぷり時間があるだろう?」
でも導こうとするキミの暖かい手が僕に触れる度、僕は火傷でもしたみたいにヒリヒリ痛むんだ。……肌も、心も、魂でさえも。
8キッド
「接し方の第一歩としては荒事だが、一つの手段だと思うぞ。特にお前たちみたいな素直じゃない奴らにはな」
「……キミも、あの姉妹と喧嘩するの?」
「いや。エキサイトすればリズが宥めるし、拗ねるとパティに蹴っ飛ばされるから喧嘩になりようがない。一度くらい、くだらないことで掴み合いの喧嘩をしてみたいとは思うがな、あいつら一応女だからそういう訳にもいかん」
「紳士だねぇ」
「笑わせる、こんな紳士があってたまるか。ただガキなだけだ」
「そう」
長い長い会話。普通の会話。何でもない会話。最初会った時、こんな風に話せる日が来るなんて思ってもみなかった。
少し沈黙になって、お互い手持ち無沙汰に枕にもたれて床に視線をやったり、椅子の背にもたれて天井を見上げたりした。そうだ。元々おれたちは喜んで会話するタイプの性格じゃない。だが喋りでもしないと気が狂いそうになる。
「――――――ラグナロクが来るよ」
「……そうか」
憂鬱だ、まったく、憂鬱極まる。
「ようクソガキども、湿っぽいデートはもうおしまいかい?」
「まだ約束まであと2分ある。時間キッチリまで引っ込んでいろ」
「へん、毎回毎回一時間のお喋りタイムなんてクソ面倒臭い条件つけやがって。しかも辛気クセぇ話しばっかでよ。こっちの気が滅入るわ!もっと面白おかしい話しろよ!お前らにだってあるだろ? 魂をぶん取った時の話とか、気に食わない奴をぶっ殺した話とか、気分の高揚するトークがよぅ」
ラグナロクがゲラゲラ高笑いをしながら身体を揺するとクロナの身体がびくんと震えた。
「失せろ下衆」
「……フン」
黒い人形が鼻を鳴らし、クロナの身体の中に溶け消える。その異様な光景は何度見てもいい気分はしない。
「ごめんね。キミを巻き込んじゃって」
「気にするなと何度も言っているだろう。悪いのはお前じゃない」
「でも、僕がここに居るだけでキミに迷惑をかけている。胃がトケそうだよ」
「人は大なり小なり人に迷惑をかけなくちゃ生きていけない生き物だ。おれだってお前に迷惑をかけている。おれが死神じゃなければ、おれがこの部屋に住んでなければ、おれが男でなければ、お前はこんな目に合わずに済んだ」
「そんなの、それこそキミの責任じゃないじゃないか」
「だが現実だろう」
クロナが口を噤む。そうだ、これがおれ達の現実だ。お前が魔女の子で、おれが死神の子で、そいつはどうにもならない現実だ。
「さて、時間だ。もういいだろう? クロナ、身体の主導権を寄越せ。無理矢理引っ張られる痛いのが好みじゃないのならな」
「うじゅぅ……」
唸るクロナの身体に急に力が漲ってゆく。目に力が入って、唇もきゅっと持ち上げられ、いつもの無気力な眉がビッと真っ直ぐだ。
「そらみろ、俺が操ってる方が美人じゃないかよ、クロナ」
「こういう元気オーラ出しっぱなしの人とどう接していいかわかんないよォ」
外に暗幕の引かれたガラス窓に向かったクロナが、まるで一人芝居のようにポーズを取りながらスカートをたくし上げる。タイトなスカートから白く細い足が見えて、その痛々しさにおれは思わず目をそらした。
「おっと死神。ちゃんと見ろよ、滅多に無いクロナのストリップショーだぞ」
忌々しい声がクロナの唇から漏れる。わざとクロナの声を使っているのだ。まったく、腹立たしくて自分の無力に虫唾が走る。
『ねぇキッドくん、アタシ綺麗?』
馬鹿なセリフと共にパティの香水の匂いがかすかに香るクロナの、冷たく潤んだ唇がおれの唇に重ねられた。
9クロナ・ゴーゴン
「あうぅぅ……苦……苦しいよぉ……」
「ではこっちに腕を置け、体重を掛けて構わん」
「動かないんだもん〜……ねぇラグナロク、もういいでしょ? 主導権返してよぉ」
「バカか、お前が気持ちよくなってどーすんだ。……だいたい、痛いばっかりなんて言わせねぇぞ。なんだこんなに濡らしやがって。変態かお前は」
「それはラグナロクが操作してるからだろぉ〜」
「何度も言うが俺はあくまで血であってこの野郎の親父じゃねえんだよ!そんな器用な真似できるかアホ!」
「父上だってそんなことできない」
「言葉のあやだバーカ!」
「あひ、あひ、あひ……!」
僕の身体は僕の思う通りには決して動かない。いつだってそうだ。メデューサ様、ラグナロク、ユラケタな自分。みんなに取り囲まれて磔にされている。でも本当に僕は何がしたいのかなんてちっとも解んない。この磔から解き放たれたって、どこで何をしたらいいのか考えも付かない。
「やだ、やだ、恥かしいよォ……そんなとこ見たら、見たらダメぇぇぇー」
ようやく動くのは口と、目だけ。悲鳴と涙しか出ない穴なんて自由になったって何の意味も無い。だからラグナロクはそこだけ支配しない。時々声を操ったりするけれど、僕の口はちゃんと自分の意志で動かせる。まあ、泣き言しか出ないけど。
「クロナ、どうして欲しい? きちんと言わないと分からない」
「そうだ、言えよクロナ。気持ちよくしてくださいって、口で言ってみろ。そしたら主導権返してやる」
二人して僕に何をさせたいのさ? もう十分好き勝手にやってるじゃないか。これ以上どうしろって言うんだよ?
「い、痛くしないで、早く終らせてください〜」
「この馬鹿!ちっげぇだろ!気持ちよくしてください、だ!ほれ、もう一回!」
「やだやだやだ〜そんな事いいたくないよぉ〜」
ぐずぐず泣き喚いていたら、ふっと身体が重たくなった。ラグナロクの支配が消えたのだと思う。一気に身体が弛緩する。
「ふぇぇぇぇ……し、しんどかったぁ……」
呼吸が随分楽になって、強張っていた身体に温かい血がたっぷり通う感覚が戻ってきた。
「……どういう風の吹き回しだラグナロク」
「クロナのグダグダ振りに飽きたから寝る。……ただし!ちゃんと中に出せよ。考えただけでも笑えるよな、死神と魔女の子の子供なんてよ」
ゲラゲラ笑い声を残し、ラグナロクが身体の中に全て帰っていった。完全に全身の主導権が戻っているということは、ラグナロクは本当に寝ちゃう気か。……そんなことしたら死神くんの精子がどうなったか分かんないじゃん。たまにラグナロクが何考えてんだかわかんないよ。
「……本当に寝たみたい……」
「――――――そうか。では今日はもうやめておこう。本当に子供が出来たりしたら目も当てられん」
彼がしっかり抱いていた僕の肩を放す。ずっとくっついていたから汗でベトベトになった肌に冷たい空気が触れるのが新鮮だ。
「……うん。でも、僕の身体で赤ちゃんできるとは思えないけどね。ラグナロクが僕の生理周期めちゃめちゃに操っちゃうし……保健の先生に成長不良って言われたよ。身長はともかく、体重が全然足りないからもっと食べろってさ」
僕が笑いながら彼の手から離れようとした瞬間、強い力で手首をつかまれてしまった。
「……おれの気のせいだろうか。続けろと聞こえるのだが」
「うじゅぅ……面白くないだろ? む、胸も全然ないし……」
なんだよ。なに笑ってるんだよ。……あれっおかしいな、頬が元に戻らない……
「おれの願望のせいかな、やはりもっとしろと聞こえる」
「言ってない!言ってないけど……そう聞こえるなら、しょうがないね……」
「……うむ。しょうがないな、実にしょうがない」
僕の身体は僕の思う通りには決して動かない。いつだってそうだ。――――――今だってそうさ。
10クロナとキッド@
ラグナロクが眠ってしまうことは昔から時々ある。眠ってしまうと次に起きる時までは僕の自由だ。でもそれはつまり僕が一人ぼっちになるってことで、嬉しいはずなのに絶望的な気持ちになる。いつもはそうだった。……でも今は胸がドキドキする。一人なのだと思うと、心臓がラグナロクを起こしてしまうんじゃないかと思うほど大きな音を立てるんだ。
「クロナ」
名前を呼ばれることがこんなに嬉しいなんて。
「こちらを向け」
金色の目が眩しいみたいだ。肩を抱かれて、腰に手が回されて、胸の先端に舌が滑る。あばら骨を辿るように指が行き来して、とても、とても、言葉が出てこない。
「やだよ、恥ずかしいよ」
「ラグナロクは見ていない」
「ちがうよ、キミの顔見るのが恥ずかしいんだよ」
「キッド、だ」
「ふぁ?」
「キッド、言ってみろ」
「き、きっど……」
「そう。ここにはそいつとお前しか居ない。恥ずかしいことなどあるまい」
「い、いや、そうじゃなくって……どう言えばいいのか分からないけど、つまり、キミに見られるのが恥ずかしいんだ」
「……キッドだ。……そこまで言えるのに、何が恥ずかしい?」
「き、きっどが、こっち見て笑うのが恥ずかしいんだよ!!わかれよそんくらい!!」
「ふ、ふ、ふ……ふははははは!お前は実に虐め甲斐がある!それともおれにいじめっ子の素質があるのかな!」
「笑うなクソ死神!ぶちころすぞぉ!!あと尻を撫で回すな!気持ちいいじゃねぇかコノヤロー!」
僕の血は人を狂わせる毒。彼の身体は毒物をみんな弾き返してしまうそうだ。だから僕は彼を殺すこともなく、安心して触れていられる。それがこんなに嬉しいなんて初めて知った。人に触れられるのが、触れているのが……こんなに幸せなことだなんて知らなかった。
「……もう5時を回ったか……そろそろ帰らないと家に着くのが6時を過ぎてしまう」
Yシャツを持ち上げてするりと腕を通した。彼の立ち振る舞いはいちいち綺麗で僕はいつも見とれてしまうのだけれども。
「……どうした。裾を放さんか」
「また来る?」
「ああ、ラグナロクに『誰かに喋ったり逃げたりしたらクロナを犯して遊んでいるとチクる、するってぇとクロナは殺されてお前は後味の悪いことになるし、あの姉妹にも死神にも見捨てられるぞ』と脅されているからな」
「僕は『死神の息子さえ人質に取っておけば殺されることはないし、居たければ死武専にいつまでも居られる、死神の息子の子供を作れたら一生ここに居られるぞ』って言われたよ」
そう言うと、彼は声を殺して笑った。
「どうやらあいつなりにお前に友達を作りたいみたいだな。起きたら伝えておけ、そんなことせずともおれはクロナの友達だとな」
「……うん!」
「……いや、友達ではないな」
少し間をおいて、彼が何かを思案する時の癖、つまり顎に曲げた右手の人差し指を掛けて、視線を僕から逸らした。
「恋人だ。それがおれたちの場合一番適したした名称だろう」
彼の視線はまだ天井から動かない。
「こ、こいびと……」
「不満か?」
「……って、なに?」
「――――――つまり、こういうことをすることをお互いに同意した男女のことを言う」
眉を顰めて口をへの字にしながらキッドが僕の顎を指で持ち上げて、口付けをした。
「う、う、う…………っ」
「……ど、どうした?」
「か、かえるまえに、もういっかいしたい」
「――――――――――――よかろう。キッチリかっちり10分でいかせてやる」
11クロナとキッドA
とろとろ降り落ちてくる蜜を舐めるみたいに精一杯舌を伸ばしていると、細く切れ長な流し目がちらりちらりとこちらを見ている。ほ、ホントに恥ずかしいんだぞコレ……!
「も、もうちゃんと大きくなってるよう……まだ、しなきゃダメ?」
「随分と急かすんだな」
「き、キッドが10分で終わらせるって言ったんだろ!」
「違う。10分でいかせてやる、と言ったんだ」
「〜〜〜〜〜〜〜〜!」
声が出ない。音は出ているのに言葉にならない。なんだろうこの感覚、悲しいのと嬉しいのと不安と幸福が綯い交ぜになって把握できないよォ!
「ラグナロクが黙ってることなんて滅多にない。存分に可愛がってやろう」
「キミこそほんとは魔女か鬼神じゃないの? 意地が悪すぎる!」
「……また“キミ”と言ったな。――――――仕置きだ、クロナ」
笑ってる。笑ってる。キミが笑ってる。金色の目から寂しそうな光が消えている。僕はそれがどんなに嬉しいかどうやってキミに伝えればいい? どうしたら分かってもらえる?
キミの手は優しくて、暖かくて、ラグナロクに身動き取れなくされてる時でさえ気遣ってくれている。……ラグナロクがワザと身体を捻ったり角度を変えたりするから僕は結局身体は痛いんだけど……胸がね、痛くない。辛くないんだ。
『深入りするなよ。お前は魔女の子で、あいつは死神だ。800年続いた理をぶっ潰せる自信がなきゃ、割り切れ。これはただの策略だ』
僕の頬が緩むたびに、ラグナロクの声が聞こえる。冷たい声が聞こえる。でも本当はラグナロクの声じゃない。これは僕自身の声だ。何にも出来なくてうずくまってる、泣き言しか言わない自分の声だ。
へんちくりんな声が途切れない口、甘く痺れる頭の裏っ側、ぞくぞく総毛立つ背筋。それはとても幸せなのに、どこか他人事で、どこか間抜けで、真剣になれない。
キミが笑っているのかこんなに嬉しいのに、自分が泣いていることが君に伝わらないよう……僕は口を閉じる。
伝えたい言葉にくっついてくる絶望的な影がこの幸福の息の根を止めるような気がして、ただ、ただ、悲鳴じゃない共鳴をキミとする。
僕にはそれしか出来ない。……だってじゃあ、僕はどうすればいい?
キッドに助けてと言えばいいの? マカに全てを話せばいいの? みんなに自分を曝け出せば何かが変わるの?
『相変わらずバカだなお前は。だから言ってるだろ、策略さ。死神野郎を誑し込んで死武専を乗っ取るんだ。そしたらメデューサ様が誉めてくれる。きっとお前を誉めてくださる。そしてお前は鬼神となって、気に食わない奴は皆殺しにすればいい。死神野郎がお気に入りなら部屋にでも閉じ込めてしまえ。そうすればあの姉妹だって誰だって、死神野郎には近付けない。お前だけのものになるぞ!』
やめろ。やめろ。ラグナロクの姿を借りてそんなこと言うな!ラグナロクは嫌な奴だけど、好きになれないけど、接し方がわからないけど、そんなこと言いやしない!
『そうさ。俺はお前の本心さ。破壊衝動を愛し、他人を虐げることが大好きな、大嘘つきで卑怯者。血だらけになって握手してくれた友達よりも、誰にも抱きしめられたことのない身体も心も抱いてくれた恋人よりも、お前をゴミのように捨てて一度も省みなかったメデューサに認められたい、捨てられたくないってことが一番大事な――――――裏切りが得意技のクロナ・ゴーゴン様だぁぁあぁぁ!』
「いやだ!」
にやあと笑う僕と同じ顔の奴の口元に見えたギラリと光る牙が怖ろしくて思わず叫び声を上げた。はっと気付くと、金色の目が丸くなって僕を見ている。
「……どうした。何事だ?」
「――――――な、なんでも……ない」
涙がこぼれそうになって、慌てて彼の肩に顎を置いた。顔を見られたくないし、顔を見たくない。でも離れてなんて居られない。
「もっと、強くして」
「――――――ラグナロクがまた何かしたのか?」
「何もないよ。僕は平和で幸福さ……キッドにこうして抱きしめられている限りはね……」
12キッドとラグナロク
自分で言うのもなんだが、体力に自信はあるほうだ。だが、やはり三連戦と言うのはいかがなものかと思う。我ながら。
「歩きで帰ったら確実に6時過ぎるな……ボードで帰ると汗をかくから嫌なんだがこの際仕方あるまい」
40分を過ぎた時計を一瞥し、上着のボタンを留め終えたおれの背に声が掛かった。もちろん疲れて眠る細身にも程がある彼女の声ではない。
「お前シンメトリーが好きだったなぁ? こいつの前髪“キッチリカッチリ”切らせてやろうか? 寝てるから暴れないぞ」
「ふざけるなよ、たかが黒血如きが調子に乗るな」
振り向くとクロナの腰の辺りから白と黒の人形が生えていた。せっかくおれが苦労してキッチリいつもの装いに着替えさせたと言うのに……ぶん殴ってやろうか。
「おおこわ。……お前ちょっとクロナに肩入れしすぎじゃねえか? こいつはいつか必ずお前の前から消える女だぞ」
「フン、なんだ、忠告か? 余計なお世話だ」
ラグナロクがゲラゲラと下品な声を立ててわざとらしく笑った。その手には力ないクロナの腕が握られている。
「忠告じゃねえさ、現実を言ってるんだ俺は。お前らは絶対に上手くいきっこねえ。何があったってお前らは引き裂かれる運命なんだよ。これはもうどーしょーもねー事実なんだ。だからあれだ、あんまクロナに優しくすんじゃねえ。夢見させることすんな」
「……お前は一体どうしたいんだ? おれやクロナを脅したと思ったらおれに忠告したりクロナを気遣ったり……」
「俺は俺が一秒でも長生きできりゃそれでいいのさ。そのためだったら死神を手玉にだって取るし、必要ならクロナを手駒にだってする。俺はそういう武器さ」
……手駒にだって、だと? ……それはつまり、いつもはそう思っていないと言うことか?
「……そうか、お前、クロナのこと好きなんだな?」
「お前らのヌクイ脳みそにはホント吐き気がするぜ!壮絶に頭悪ィな死神野郎。好きとか嫌いとかそう言う問題じゃねえんだよ!ひとつなんだから!」
「……なるほど。だからクロナを男に抱かせた訳か。いつ終るか解らない平和のうちに女の喜びを教えるために」
「あほか!俺様がそんな殊勝な事考えるワケねーだろ!俺様は稀代の冷血魔女メデューサ様の作った武器だぞ!勝手にトリップしてんじゃねぇ!病気かお前!」
「なんだ、案外いい奴だなお前」
「聞けよクソ死神!耳どこやったんだよボンクラ!」
「いい奴ついでに、いい加減クロナを小突くのをやめてやれよ」
おれが冗談交じりにそう言うと、すう、と小さく息を吸ったラグナロクの纏う空気が冷えたような気がした。
「……あれか、お前はクロナを救ってやれるとでも思ってんのか? じゃあクロナを逃がしてやっておくんな、母親と住んでた家に帰してやってくれろ、いつもクロナに付いてる監視野郎をひっぺがしてくんろ。……何一つ出来ねぇただのガキが解ったような口叩いてんじゃねえよダボ」
冷静な物言いだった。まるでずっと年上の大人のような、理路整然とした感情の踏み入る余地のない言葉。
「クロナはここで人間として生きるんだ。……魔女の子だろうが、そんなものはここでは関係ない」
おれはその言葉に何故かひどく心を揺さぶられて、自分は正しいことを言っているはずなのに、その確信があるはずなのに、どうしても強く言い切ることが出来ない。
「テメェの頭はムカツクくらい極端に晴れ上がってんな。いっぺん死んでこい。
マカだのブラックスターだのみてぇのは普通じゃねえってお前が言ったんだろ。自分たちの味方である死神のお前でさえ迫害するような人間の何を信じろって言うんだ? クロナは魔女の子だ、おまけに鬼神になる為に育てられてたっていうお前らにとって最悪のキャラだぞ? そんなモン人間の中で生活できるわきゃねえだろ。それとも何か、お前がどんな状態になったクロナでも365日24時間休み無く死神からも人間からも魔女からも守り切ってくれるとでも言うのか?」
ラグナロクの視線がおれの身体を貫く。おれは一歩だって動けやしない。
「こいつは俺が小突いてるから反抗心で精神のバランス取ってんだよ。優等生顔で踏み荒らすな、ケタクソの悪い」
黒と白しかない人形。女の子の腰から生えている憎まれ口しか言わない人形。
「こいつはどっちに転んだって一人で生きてかなきゃなんねんだ、そういう星の元に生まれちまったんだ。……お前が人間の隙間で生きていけない死神に生まれついた様にな」
だけどこの人形は女の子を守っている。何よりも強固に、誰にも出来ないくらい、いつでも、どこでも。
「だがこいつには俺がついてる。そんでお前にはあの姉妹がついてる。それ以上は何も望むな、望んだって何も変わりはしねぇ。……もうクロナに関わるな、お前はお役御免だ。
さぁもう自由だぜ、屋敷に帰りなお坊ちゃん。大好きなお姉ちゃんたちが温かいスープを用意して待ってんだろ?」
13キッドとパティとリズ
「――――――ちょっち、いい? キッドくん」
部屋のドアがノックと共に開かれて、おれは慌てて近場にあった本を手に取り、読んでいる振りをする。
「こんな夜更けになんだ。またリズにどやされるぞ」
顔を見もせずに直ちに部屋を出て行くことを願った。今日はできるならば誰もおれに触れずにいて欲しかった。誰にも気に掛けられたくなかった。久しぶりに屋敷に帰ってきた父上にさえ。
「今日、クロナんとこで何かあったね?」
だがパティは気にしない。おれの近寄るなオーラをものともしない。いつもはその無遠慮がありがたいが、今日は最悪だ。
「……なにも。いつも通り普通に話をして、それで帰ってきた」
「あたし馬鹿だけど間抜けじゃねぇぞ。お前の表情くらい読めんだよ」
「何も無いというのに」
「脅されてんだな」
びく、と自分の肩が震えたような気がした。……いや、大丈夫だ。おれのポーカーフェイスは自慢じゃないが結構なものだぞ。
「何言われたのか言いなよ、あたし達パートナーでしょ? お姉ちゃんに内緒にしたいならしてあげるから」
「ない。なにもない」
「おい、こっち見ろ。目ェ見て喋れや」
無理矢理逸らす胸倉を掴み上げて、パティがおれの額に自分の額を少し強く打ちつけた。……なんてやつだ、不躾にも程がある!
「クロナに脅されてるね? そうだね?」
ぶつけようとしたそれより大きな憤りに直面すると、人というものは強く出られないものだな。……まぁおれは死神だが。
「……違う。クロナはそんな奴じゃない。パティだって知ってるだろう。あいつはいい奴だ、臆病で辛気臭いけど、いい奴だ!」
それでもおれはなけなしの勇気と言う奴を振り絞って声を上げた。震えるなよ、頼むから震えてくれるな、声。
「誓うか? 死神様に誓えるか? よく考えて返事しろよ。お前は今、仲間はおろか人間全部を裏切ろうとしてんだぞ?」
「誓う。脅されてなどいない。クロナはいい奴だ、不憫で憐れな、ただの女の子だ」
「………………デス・ザ・キッドの名に賭けてそう言い切るなら、あたしとしては信じるしかないわなー」
「納得してくれて……助かる」
少し長い睨みと沈黙の後、パティがおれの胸倉を放していつもの当たり障りのない顔に戻った。
「で、詳しく話してくれる気はない?」
「……話せないけど、おれは大丈夫だ。家に帰ったらリズが居て、パティが居て……だから、大丈夫だ……大丈っ…………」
それから先は声にならない。涙が溢れて出てくる。情けない。たまらない。……夕食の時だって、必死に我慢して笑っていたのに。
「うぉーいキッドー。リズだけどパティどこ行ったかしんね――――――っておい!なんだこりゃ!」
「うわ、最悪のタイミング」
「ど、ど、どうしたよキッド!? パティ、お前何泣かしてんだよ!」
「違うよー勝手に泣いたのー」
「キッドが勝手に泣くわけないだろ!何言った? 小突いたのか? まさか押し倒したんじゃないだろうな?」
「……お姉ちゃんがあたしをどーゆー目で見てんのかよーく解ったよ……」
「どうしたキッド? 痛いのか? しんどいのか? なんか心配事か? お姉ちゃん相談乗るぞ?」
「お姉ちゃんきもい。ソウル並みに構い過ぎー。5歳の子じゃないんだからさー」
「だ、だ、だってキッドが泣くなんてよっぽどの事だぞ。虫歯になっても幽霊見ても泣かない強い子が」
「……あー、あれだよ、ほら、部屋の時計曲がってんでしょ? 何回も見直したのにやっぱ曲がるからあたしに直せって言ったんだけどさ、1_2_の事でガタガタゆうから思いっきりひん曲げてやったら泣いたんだよ」
「……お前なァ、夜寝る前にそういう精神的にきついことしてやんなよ。コイツ神経質なんだから」
「だってーあたしも寝る前なのにうぜぇんだもんー」
「わかったわかった。お姉ちゃんがあっち持ってってやっからもう寝ろ? な?」
「あいよー。じゃあねキッドお休みー」
「気を落とすなよ、な。……じゃ、また明日」
電気が消えてドアが閉められ部屋が静かになる。深く深く闇が訪れる。クロナはいつもこの闇の中、一人蹲っている。お休みと言って部屋の電気を消してくれる人も無く、また明日と言ってドアを閉めてくれる人も無く、たった一人で闇の中に取り残されている。
「……クソ……お坊ちゃんで悪かったな……恵まれてて悪かったな…………この幸福をお前に押し付けようとして、悪かったな……」
おれとリズが使わなくなったベッドはシド先生が運んでくれた。シーツも枕もパティが自分のお古でよかったらと渡してくれた。あの部屋の鍵は父上が貸してくださった。クロナはおれの傲慢にさえ笑ってくれた。……なのに、おれは何もしてやれない。――――――側に寄り添うことでさえ。
14リズと死神
「……なに、これ」
「特別室っていうか、例の書斎の鍵です」
「いや、それは解ってるけど」
「キッドとクロナから別々に渡されました。……もしかしたら、私の役目も知られているのかもしれません」
「――――――まさか」
「私もそう信じたいです」
金色と銀色の鍵が手のひらで輝いている。金色のマスターキーはクロナから。銀色のスペアキーはキッドから。二人の言い分を伝えるべきなのだろうか。……愚問だな。
「クロナには『この部屋は自分には豪華すぎる』という理由で、キッドには『返し忘れていたスペアキーをたまたま机の引き出しから見つけた』という理由でそれぞれ死神様に返してくださいと。……クロナは元のお泊り室へ戻りました」
「――――――そっかぁ……それがあの子達の出した結論なんだね」
「……死神様、私は死神様を尊敬していますし、この役目に誇りを持っています。ですが……ですが……あの子達はまだ子供です、子供なのに、子供が、なんで……なんで好きな人といられないのか、わ、わた、私には解りません……!」
涙が出てくる。涙が出てくる。いじらしい二人の暗く落ち込んだ目の光がアタシを責めもしないのが、辛くて悲しくてたまらない。
「……エリザベスちゃん……」
「私は、死神様がいて、パティがいて、キッドがいて、お屋敷のみんなが居て、幸せです。親に捨てられたのを恨んでひどいことをしました、許されないこともしました。そんなアタシがこんなに幸せなのに、なんで、なんであんなちっこいガキが、言いたい事の一つも言えずに我慢して歯を食いしばって作り笑顔しなきゃなんねぇんですか!わかりません!わかりません!アタシ馬鹿だからわかりませぇ〜ん〜!」
ああ、もう止らない。死神様の前なのに、アタシ仕事中なのに、もうおっきいお姉ちゃんなのに。
「――――――エリザベスは優しい子だね。キッドやクロナのために泣いてくれるのかい」
「わかりません〜無力な自分が悔しくて、何にもしてあげらんない自分がムカついて、ただそんだけで泣いてるのかもしれません〜」
びー、とみっともなく泣き喚いているアタシの視界がフッと暗くなった。
「ごめんね、エリザベス。キッドはほら、男の子だからさ。こうしたりすると嫌がっちゃうんだよね。……だからちょっと抱っこしてていいかな?」
「ひ、ひ、ひぃ〜ん……どうぞ〜お気の済むまでだっこしてくださいぃぃ〜」
記憶もない父親に抱かれた感覚が蘇ってくる奇妙さえ幸福で、でもそのミラクルに構っている暇なんか欠片もなかった。暖かくて優しい死神様の身体は、大きくて頼りがいがあって、最高に心地いい。一生こうしていたいのに胸が潰れそうになるくらいすごく後ろめたかった。
「し、し、死神さまぁ〜……もう死んでもいいですぅ〜……死んでもいいから、いっこわがまま言っていいですかぁ〜」
「なんだい、エリザベス」
「お、お、お父さんて呼んでいいですかぁ〜」
「…………ああ。いいとも」
「う、う、ううううう〜おとーさぁん……おとおさー……!」
涙がいっぱい出てくる。どこから湧き出したのか解らないほど、たくさん、たくさん、湧き出ては零れていく。泣けないあの二人の分まで全部泣いてしまいたい。あんたらのことを大好きなお父さんに抱かれて、あたしが全部泣いてやりたい。辛いこと全部泣いてしまいたい。
「……大人のくせに子供にばかり背負わせて……本当に悪い神様だね」
呟くように死神様がそう言って、あたしの身体を強く抱きしめた。胸いっぱいの満足で苦しくて息が出来ない。幸せが喉に詰まって言葉にならない。
死神様、ねえ死神様。アタシはホント馬鹿だから解らない事たくさんあって、上手く出来ないこと山みたいにあって、それで泣いてるんですよ。
死神様は神様で、魂だってすごいし、頭なんかアタシが想像もつかないくらい良くて、鬼神さえやっつけられるくらい強いのに、どうして震えていらっしゃるんですか。
どうして泣いてるんですか。
もちろんアタシはそんなことを尋ねる酸素の余裕なんかなくて、ただもう死神様に何かしてあげたい一身で死神様の身体に抱きついた。背中に回った自分の両手が全然くっつかなくて、大岩にへばりついてるみたいな格好になったけれど、アタシにはそれしか出来ない。
こんなに泣いてる死神様にさえ、なにもしてあげられない自分が悔しくて、また泣いた。どこか遠くで金属片が二つ落ちる音を聞いた様な気がしたけれど、よく覚えていない。
15パティとリズ
「な、なに。どーしたのおねーちゃん」
「ううう〜パティ〜おねーちゃんは出来の悪いお姉ちゃんだぁ〜役立たずのバカやろうだぁぁぁ〜」
部屋に入って一歩目でなにこの惨状。……新しいギャグ?
「なんなの、どうしたのよぅ!なに、誰かに苛められたの? また小テストで0点だったとか? まさか誘惑に負けて万引……」
「ちがわぁぁぁぁ……違うけどぉ……ちがうけどぉぉ〜とにかくダメなんだよ〜なんかとってもだめだめなんだよぉぉぉ〜」
あ、一応突っ込みはするんだ。なんだ、じゃあ単に強烈に凹んでるだけか。ホントに潰れちゃったらもう何でもうんうん言うモンなこの人。
「なに、なにやったの。言ったんさい? 罪を告白するのじゃ〜。神は迷える子羊を救ってくれるんだよぅ?」
「んじゃぁさ、んじゃぁさぁ〜神様が迷った時は誰が助けてくれんだよぉぉぅ〜神様ばっかかわいそうじゃん〜なんでだよ〜何で神様いっつも一人なのぉ〜? ねえちゃんわかんねぇよぉ〜だって馬鹿なんだもん〜」
……だめだこりゃ。なんだか良くわかんねぇケド完全にぶっ壊れとる。何で急に神様の話になってんのコイツ。新しい宗教にでも目覚めたの?
ベッドに力なく蹲ってわんわん泣くお姉ちゃんを、ドアのところで立ち尽くしてずーっと眺めてるわけにもいかないから、あたしはドレッサーの椅子に前後反対に座って背もたれに顎を置く。あんまし真剣にやり合っても姉ちゃん凹むばっかで話進まねぇからなぁ……
「んで、どうしたのよ。なにがあったん? とりあえず一番最初は何があったのー?」
「うううう〜言えないんだよぉ〜……言えないんだよォ〜……いかにお姉ちゃんとパティの仲でもこれだけは言えないんだよぅぅぅぅ〜」
……またか。
「キッドもそんなこと言って泣いてたなー。なに、あんたら二人なんかあったの?」
「ねぇよそんなん〜あるわけねぇだろ〜バカかお前〜」
「――――――お姉ちゃんがキッドのTシャツ間違えて着て胸んトコのプリント伸ばしちゃって喧嘩したとか?」
「それはちゃんと買って返した〜」
ヘンなトコで律儀だなあんた。
「んじゃあなによ? 泣いてたって何も解決しないって教えてくれたのお姉ちゃんじゃん。今持ってるもんで勝負しなきゃなんないんでしょ? ほら、嘆いたからってパンが降ってくるワケじゃねーですぞ〜」
ちっちゃい頃のあたしに呪文みたいに言い聞かせた言葉をそっくりそのまま返してやるよ。何度も何度も言い聞かせた子守唄代わりのあたしらの家訓でしょ? しっかりしてよお姉ちゃん。
「ううううう〜そ、そぉだけどぉ〜……なんでだろうなぁパティ〜世の中にはどうにもなんねーことが多すぎやしないか〜? いくらなんでも理不尽なことが多すぎやしねぇか〜? この世界を作った神様は幸福と不幸の目盛りを読み違えたんじゃねぇだろうか〜」
……また神様の話か。……マジどこのどいつだこの棒みたいに単純な思考回路のお姉ちゃんにろくでもないこと吹き込んだクソは。
「ん〜……よくわかんないけど、神様は大丈夫だよ。だって神様だよ? 悩んだまんまの神様なんて聞いたことないよ。神様はちゃんと正しい答えを知ってるんだよ。時々間違えるけど大丈夫、だって神様なんだから」
「……ほ、ほんとぉ? 神様ってちゃんと正しいこと選べるの? 人のことばっか気に掛けてしんどくないの?」
「あたりまえじゃん。だって神様だもん。あたしらが心配するよーなレベルの魂なわけないじゃん。神様はね、そんなちっこい器じゃないの。海よりでかーい器であたしたちのこと守ってくれてんだからさぁ。心配する方がしつれーだよ」
「…………そ、そっかなぁ」
「そうだよ。あたしらなんかゴハンツブよりちっこいんだから」
「……うん、そうか、そうだな……海よりでっかいんなら、アタシらがグリンピースくらいの大きさだって平気だよな」
例えが良くわかんねーケド、なんか納得したみたいなのでよしとしよう。
「当たり前じゃん。平気だよ。神様なんだから」
「――――――でも、でもな、キッドが大きくなっていつか神様になったとき、あんなに神経質で器ちっこいのに、大丈夫か? みんな落ちちゃうんじゃねーか?」
……またこの人はワケのわからんことを……キッドは死神であって神様じゃねーっつーの……とか言ったらまたクソめんどくさい繰り返しなんだろうなぁ……
「〜〜〜いいんだよ!その落っこちたの拾う為にあたしらが居るんだから!あたしら3人で神様やればいいじゃん!」
自分でもメチャクソなこと言ってるの自覚があるのに、お姉ちゃんは目を丸くして、そうか、そうだな、と悟りを開いた坊さんみたいな顔で言った。
2:16 2008/10/26
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