かみさまはしらない

                ソウル と マカ と その他の人々

                1ソウル

                 オレがどうこう言う話じゃないんだろうということは分かっている。そこんところはちゃんと弁えているつもりだ。あいつはオレのモンじゃねぇし、オレだってあいつのモンじゃねぇ。
                 でも聞いてくれよ。一応あいつはオレと一緒に暮らしてて、パートナーやってて、そんで、あれだ、その、オレはあいつが好きなんだけど……いや、それはいいか。つまり、その、なんだ。
                 うちくんな。
                 そんなことを言いたい。
                 つーかせめて椿連れて来いよ。てめぇのパートナーだろうがよ。
                 なにドア開けたら仲良さそうに飯くってんのお前ら? ここオレん家でもあるよな?
                 「ソウルも食べる? ブラックスターが釣ったんだよコレ」
                 お前魚ダメじゃん。
                 「……ちゃんと焼いてるでしょ? なに怒ってんの」
                 「はっはっはっは!こんだけの大物は俺様じゃなきゃ釣り上げらんねぇからなっ!」
                 お前椿はどうしたよ?
                 「ウチで飯作ってるけど? 今日は炊き込みご飯するからって釣りに来なかったんだよ」
                 じゃあ帰って食えよ。
                 「……マカ、通訳」
                 「いっしょに連れてって貰えなかったから拗ねてんのよ」
                 「お前買い物に行くって言うから遠慮してやったのにその態度はなかろうが」
                 二人で行ったのか?
                 「パティも一緒に行ったよ。キッドとお姉ちゃんと一緒に食べるって先帰ったけど」
                 ふぅん。
                 煮え切らないオレの生返事をそのままに、二人はオレのわけわかんねぇ釣りの話で盛り上がってる。ルアーがどうだとかラインが切れたの切れないの、ショットがきれいで見惚れただの……あー何か無性に腹立つ。
                 「あ、ねぇ、お皿持ってきなよ!一緒に食べよ!美味しいよ!」
                 マカの弾んだ声を遮るように自室のドアを閉めた。
                 ……なんだよ、一緒に買い物行こうって誘ったのに、止めとくって言ったのはなんなんだおめぇは。最初から釣りの約束があったんなら言えよ、知ってりゃそっち行くよそんなん。セールとか別にどうでもいいよ。そりゃ確かに一ヶ月前からしこたまビンテージジャケットの話したけどさ。
                 家帰ってやろうと思ってたファッションショーとかどーでも良くなっちまった。
                 オレは並んでやっとの思いで買ったジャケットを袋のままクローゼットに投げ込んでベッドに突っ伏した。楽しくてウキウキした気分が一瞬で萎えたぜ。ああもうなんか実にチクショーって感じだ。
                 お前、ブラックスターの前だと大口開けてホント楽しそうに笑うのな。
                 ……いや、マカだけじゃねぇ。キッドもクロナも武器連中も、みんなみんなあいつの周りだと楽しそうに笑ってんだ。オレだってブラックスターとツルんでる時は面白くて楽しくて、何も気負うものがなくなって自由な気がする。で、釣りでもスポーツでもなんでも器用にこなしちゃって、それを威張りはするけどちっとも鼻にかけたりしない。あいつはそういう奴なんだ。
                 いいやつなんだ。
                 すごくいいやつなんだ。
                 ……だから、すんげえ胃が痛ェ。あんな奴に勝てるワケねぇじゃん。


                2マカ

                 ごめんねぇ、ブラックスター。あいつ気分屋でさぁ。
                 「いいって別に。お前が謝る事じゃねーだろ」
                 笑うブラックスターが手をパタパタさせながらドアの上の時計を見た。つられてあたしも時計を見る。午後六時半。
                 「さてと、コイツを椿に酒蒸しにでもしてもらうかなっ。皿洗おうぜ」
                 クーラーボックスをぽんと叩いて、ブラックスターがソファから立ち上がった。
                 いいよ、結局魚ご馳走してもらっちゃったんだし。それより明日のお弁当楽しみにしてる! 椿ちゃん和食上手いからそのうち習おっかなー。
                 「弁当に酒蒸しはヤバイだろ、傷むぞさすがに。食いたいならウチ来ればいい」
                 ブラックスターのお誘いを丁重に断って玄関に向かう。
                 「なんで?一緒に料理すれば勉強になるじゃん」
                 うん、でも遅くなるし。それに臍曲げたのを放って外出るわけにも行かないしさ。また今度誘って。
                 「おう。……しかしなんだな、お前も苦労性だな」
                 眉を顰めて小声で囁き、彼が片目で合図をした。なんだなんだ、と片耳をそちらへ向ける。
                 「やっぱさ、俺一人でここに来たの不味かったんじゃね?」
                 済まなさそうに眉を下げる、らしくないブラックスターの表情を笑い飛ばすようにあたしが言った。
                 なんでよ、友達じゃん!変な気ぃ回さないでよねっ!
                 「……そんならいいんだけどよ。喧嘩すんな?」
                 まったくもう、あんたの方こそ気苦労多そうだよ。けたけた笑ってまた明日、とブラックスターがドアを閉めた。足音が階段を下りてゆくのを確認してから鍵を掛ける。
                 ……さてと。お皿洗って明日の用意しなきゃ。
                 くっと伸びをして振り向いたらソウルが突っ立ってた。
                 「もう帰ったのか」
                 あ、うん。椿ちゃんに釣果持って帰らなきゃいけないからね。
                 「チョーカ? ……首に巻くアレ?」
                 それはチョーカー。じゃなっくて、釣果。釣った得物のことだよ。
                 「……なんか妙に釣り用語に詳しいじゃん、お前」
                 最近よくブラックスターが連れてってくれるからね。海釣りの時はキッドも来るよ、水平線ってシンメトリーだから。……そういや、ソウル何だかんだで一度も来たことないよね? 今度いっしょに行こ? 楽しいよ?
                 「――――――オレ、カナヅチだから」
                 いつもの数倍むすっとした顔でソウルがひょい、とバスルームの方へ肩を向ける。あたしはその態度がなんだかカチンと来てベルトをぎゅっと掴んで引き止めた。
                 ねえっ!なんなのちょっと!気分悪いよ? さっきからツンツンしちゃってさぁ!ソウルらしくないじゃん!なんか気に入らない事あったらちゃんと言いなよ!
                 「……別になんもねぇよ」
                 ないわけないじゃん!
                 「……ねぇって」
                 じゃあなんでそんなにむすっとしてんのよ!いっつも買い物行った時はスッゴイ嬉しそうにしてるくせに!
                 「…………欲しいのがなかったんだよ、買えなかったの」
                 苦々しい口調でソウルがそんなことを吐き捨てるように言った。
                 ……なぁんだ。そんな事で拗ねてたの?
                 「4時間並んだんだぞ」
                 バカねぇ、そんな事だってあるわよ。そっかぁ、じゃあ今日は無駄足だったんだ。そりゃご愁傷様だったね。……んじゃ、可哀想だから明日の朝ごはんは手間かかるけどあんたの好きなホットドック作ってあげるから、それで機嫌直せ? な?
                 あたしはポンポン、とソウルの白い髪を撫でて、にっと笑っていると。
                 「……うん」
                 小さい声でソウルが返事をした。


                3ブラックスター

                 ……ごめんねぇ、か。
                 俺はクーラーボックスをぶらぶらさせながら夜道を歩く。三日月が重低音で笑っている。
                 マカにとってソウルはやっぱ特別な奴なんだと改めて思わされた。一緒に暮らしてるから、武器と職人だから、仲のいい友達だから……というのとはちょっと違う。
                 好きなのかね、やっぱし。
                 うっかり声が出た。その絶望的な響きに背筋がゾクッとなった。……言えりゃァいいんだけどな、好きだって。そしたら話は早い。とっとと振られて、そんでご破算、いい気味だ。サッパリすらぁ。
                 でも俺は言わない。たぶん一生言わないと思う。言えない、んじゃなくて。
                 〜〜〜っ……あいつ、ちっこい事すぅぐ気にするタイプだからなァ……何でもかんでも自分で背負おうとするし……これで俺が告ってみろ、椿にもソウルにも俺にも近寄らなくなるぜ、絶対。
                 ――――――ソウルの奴も多分そう思ってやがるんだろうなァ。
                 低血圧の半目で飄々といつもだるそうにしているアイツを思い出し、俺はため息をついた。俺って裏切り者かな? オマエがマカん事スキなの知った後でこーゆーのって、反則かな?
                 石畳に長く長く自分の影が映っている。小さな俺の姿がまるで漆黒の巨人のように伸びて、ウチの方へ早く早くと急いていた。
                 でも止まらんだろ、こういうのは。
                 月が俺の影をブリックロードに落とす。月が月である限り影は出来てしまう。……これと同じだ。俺が俺である限りスキな奴をスキになっちまう。それがみんなを滅多打ちにしかねねぇ事でも……しょうがねぇんだよ、こればっかりは。
                 椿にはバレてると思う。つーか隠そうとも思わねぇし、隠したところで無駄だし、隠したからってどうなる事もねぇしな。椿は別に何も言わない。椿は椿で何か思うところがあるのだと思うけど、そこまで突っ込もうとも思わない。
                 椿には椿の人生があって、俺と椿はどんだけ深く長く共鳴しようとも別物だ。だが俺は椿が俺を必要とする限り何処までも付き合ってやろうと思っている。何故なら俺が俺だからだ。……けど、これはマカにガーッって向かってく頭ん中の感じと違うんだよな。
                 スキだけど、もっとこう、難しく言うと、理性的な感じ。
                 ほら、あいつ意外に心弱いじゃん? そういうとこ、なんか支えてやんなくちゃなーと思う。今んトコ俺にしかそういう意味で心開いてないから。
                 椿が俺をどう思ってるのかは正直よく分からん。スキなのかな?って思うこともあるし、兄貴みたいに慕ってるのかな?って思うこともある。弟みたいに扱う事もあれば、親父みたいに尊敬されてるように感じる事さえある。……俺は親も兄弟も居ないから良くわかんねぇ。
                 ぶらぶら歩いてたらいつの間にか自分ちに着いてた。
                 ただいま。
                 「おかえりなさいブラックスター!」
                 玄関に飛び出してくる割烹着姿の椿が両手を広げてクーラーボックスを催促した。
                 「準備万端、塩焼きでも味噌煮込みでも土瓶蒸しでもおすましでもすぐにできるわ」
                 そりゃ楽しみだな。笑いながら、いつもはしない白粉のニオイをさせた椿の隣りをすり抜ける。
                 「炊き込みご飯もいーっぱい作ったからたくさん食べてね」
                 今日は結構釣ったからな、腸抜いて冷凍しとこうぜ。手伝ってくれ。
                 俺が玄関を上がって台所に行こうとすると、変な顔をした椿がなにやら言いたそうにもじもじしている。
                 あ?どうした椿。
                 「ブラックスター、焼き魚の匂いがする」
                 ……ばれたか、あんまし美味そうだから一匹焼いて食っちゃいましたー。
                 笑う俺を唇を尖らせた椿が非難めいた口調で柔らかく憤った。
                 「ひーどーいー。私ずっとお腹空かせて待ってたのに!」


                4椿

                 どうして私が釣りに行かなかったか? ……見たくなかったからよ。……何を? ブラックスターを。
                 正確にはマカちゃんの前でいい格好しようと妙に張り切る彼を。
                 「ああ、嫌な奴だな私って」
                 窓に映る自分に向かってぼそりと言い捨てた。ああ本当に嫌な奴。ちっとも素直じゃない。
                 「でも素直になったからってなんになるの? 何にもならないじゃない」
                 窓の外はきれいな夕暮れ、さくらんぼ色の鱗雲が空一面に広がっていて、気の利いた絨毯みたい。
                 「ソウル君がマカちゃんをしっかり握っててくれたらいいのに」
                 ブラックスターはあれですごく毅然とした人だから、二人が恋人同士になったらきっときっぱり諦めちゃうわ。そんで誰にも何も気付かせないまま笑って二人にオメデトウって言うんだろうな。
                 「……だからって私に振り向いてくれる訳じゃないけど」
                 ちゃぶ台に額をゴツ、と当てた。柱時計の音がカチカチカチカチ、規則正しく鳴っている。私はそれに耳を澄ませて浅い深呼吸をしながら、ゆっくり瞼を閉じた。
                 初夏の夕暮れの空気は少し湿っていて、でも窓から差し込んでくる夕日は軽やかで、部屋の空気がぼんやり暖まっている。今日は一日暇だったから、部屋の掃除も洗濯も片付けも、夕食の用意さえぜーんぶ終っちゃってなーんにもすることがない。すごく手持ち無沙汰。
                 「縫い物でもしよっかなぁ……」
                 独り言が多いのは寂しい証拠、って誰の言葉だっけ?
                 待ってるのは苦手。でも走って行くのもなんか違う気がする。何処へ行けばいいのかもわかんない。……だから私、ブラックスターの性格が羨ましいのかも。ずんずん先陣切って走ってって……そりゃ失敗も多いけど、そんなことに捕らわれないで今この瞬間を乗り越える事をいつも一番に考えている。
                 「……ブラックスターかっこいーなー……」
                 ばたん、と畳に寝転んで天井を仰いだ。天井板の節が人の目に見える。それをブラックスターに見立てて、私はきゅっと口角を持ち上げ、思いつく限りの嫌な顔を作って声を上げた。
                 「ブラックスター、あなた分かってると思うけど、マカちゃんと全然似合ってないわ。
                 っていうかそもそも相手にされてないじゃない。マカちゃんにはね、ソウル君ってパートナーがちゃんと居るのよ。あなたなんかお邪魔虫なだけ。
                 そりゃマカちゃんはニブい。どうしょうもなくニブいわ。あんだけソウル君がアピールしてるのに全く何も一切気付いてないわよ。そのくせソウル君の事となったら鬼神もビックリの取り乱しようだし、ソウル君をパートナーだと思って魔女の使い魔もビックリの使役っぷりよ。
                 ……だからね、付け入る隙なんかこれっぽっちも無いの。……いい加減、わかりなさいよ……!」
                 後半、あんまり自分が惨めに思えてきて涙声になっちゃった。
                 ああホント私って嫌な奴!
                 ごしごし涙を拭いて、のそりと起き上がって洗面所に向かう。……なんたる無為な日曜日。
                 「だめ、この顔じゃ帰ってきたブラックスターが心配しちゃう」
                 いつもは使わない鏡台の前に座って、白粉をはたいて紅を差す。夕日の色に気付かずにずいぶん白粉を厚くしすぎた様な気がして、何度も何度も白粉を拭ってははたき、はたいては拭ってみる。……なにやってんだか、もう。
                 「……やっぱやめとこ」
                 普段着に割烹着来てちゃキレイにできた所で似合わないし、と、手ぬぐいでざっくり白粉を落として紅も拭った。長い間顔を弄くってたからか、泣き顔はスッカリ鳴りを潜めていた。
                 「ただいま」
                 玄関でブラックスターの声がして、私は弾かれた弾丸のように玄関へ飛び出していった。
                 彼を出迎えて一番最初に気付いたマカちゃん家の香りに口がへの字になってしまいそうになったけれど、細く息を吐き出して心を落ち着けた。パティちゃんも一緒だったんだし、何もないわよね。……あるはずないわ椿。だって“あの”マカちゃんと“この”ブラックスターよ? 一体何があるって言うの。
                 ……ああ、恋人でもない人にこんな勘繰りをする私はいけないパートナーなんでしょうか死神様!


                5再び、ソウル

                 夜中に冷蔵庫漁ってたらブラックスターが釣ったらしい魚のバター焼きの残りが出てきた。
                 オレはなんだかムカッとしたけれど、魚に当たるのは流石に人間が小さすぎるにも程があるのでグリルで少し炙って食った。……ちきしょー、うめぇじゃねぇか。
                 アレから風呂入ってそのまま不貞寝したもんだから腹へって起きちまった。リビングでカチカチと時計の針の音がする。暗くて見えないけれど、長い針も短い針もきっと2とか3とか、そういう数字を指しているはずだ。窓ガラスの向こう側の世界は月光が照り渡っていて、実に素敵という他にない。
                 「あーうめー。魚うめー」
                 何の魚だろう? 口馴染みな気がするんだけれど、川魚なんてオレあんま食った事ねぇよなぁ?
                 真っ暗なリビングの奥は、まるで自分の心の奥にあるあの部屋みたいでぞっとする。闇がひしめいていて何も見えないそちら側に何とはなしに目を凝らしてみてもちっともなにも見えやしない。
                 ……と、闇の奥で何かが動いたような気がした。……おいおい、やめてくれよ!
                 「んー、いい匂い。それってご相伴に預かってもいいのかにゃ?」
                 きらっと緑色に光るものが二つ現れたかと思ったら、ぐんぐん大きくなったそれが喋った。……おいおい、なんだそのけしからん紫のベビードールは。
                 「……んだよ、ブレアか。おどかすない」
                 「こんな夜中に美味しいもの独り占めなんてズルイにゃぁソウルくん」
                 ブレアの手にはちゃっかりフォークなんぞ握られていて、それがくるくる回ったかと思ったら皿に広がっていたサラダ菜が一枚と魚が一切れ宙に舞って消えた。……おかしな魔法使うんじゃねぇよ、ただでさえ夜中でキショクワルイっつうのに。
                 「ブラックスターの土産だとさ」
                 「あら、丸坊主は回避したのねん」
                 くすくす笑ったブレアがもう一切れ、今度はちゃんとフォークで魚の切り身を掬う。いちいち胸を強調するな。オレにそういうノーパンしゃぶしゃぶ的な食欲と情欲を一気に処理できる高等な器官はない!
                 「……あ?」
                 「マカとキッドのとこのおチビさんと一緒に商店街に居たトコを店に行く前に見かけたにゃ。そん時は魚のニオイ全然しなかったもーん」
                 「……それ、何時くらいの話だよ?」
                 「出勤前だから4時半かにゃー。5時になってたかもー。でもホント美味しい、このスズキ」
                 ……スズキ……ああ、そうだ。コレ、スズキの味だ。……そら美味いわな、うん。
                 「オレはあんま釣りとか良くわかんねえんだけど、スズキっていやぁお前さん、海の魚じゃなかったかい?」
                 「そうだよ。初夏の昼間は接岸部ではあんまし釣れないあのスズキですにゃ」
                 「……海釣りに行く時はキッドが来るって情報をついさっき得たんですが」
                 オレが眉を潜め、でもにやける口元を抑えもせずにちょっと身を乗り出した格好が面白かったのか、ブレアが我慢しきれずに笑い声を上げた。
                 「にゃははははは!じゃあやっぱ丸坊主だったんだにゃー。川魚は水温が高いと釣れにくいって聞くし、その上騒がしいおチビさん連れてっちゃーねー」
                 ぱくぱくスズキのバター焼きを食べる機嫌の良いブレアを見ながら、オレは真夜中にも拘らずなんだか高笑いしたいような気持ちになった。ふふふ、なんだ、妙にいい気分だぜオイ。
                 「ブレア、酒出せよ」
                 「おんやぁ?随分気前がいいのにゃ?いっつも部屋で飲んでるだけでも怒るくせに」
                 そりゃそうだろ。お前酔っ払うとすぐ今みたいに下着同然の格好で廊下出たりオレの部屋入ってきたりするじゃん。そんなのマカに知られたらどんな目に合わされるか分かったモンじゃねぇぜ。
                 「今日はマカも寝てるし、特別、特別」
                 「死武専の生徒が飲酒なんていいのかにゃー? でも出しちゃう〜」
                 ブレアがとたとた走って自分の部屋から深い青の瓶に入っている焼酎とお気に入りらしいブランデーの瓶を抱えるようにして持って帰ってきた。オレは台所から色気のないコップを二つと氷と炭酸水……は無かったのでソーダーを持ってくる。
                 「バカのブラックスターの丸坊主に乾杯」
                 「ソウル君ってほんと捻くれてるにゃー。いっしょに連れてってって言えばいいのに」
                 ニコニコ顔のオレにブレアが呆れた調子でそんなことを言った。
                 「オレ金づちなの。うっかり水落ちたらカッコワリィだろー」
                 そんな皮肉も何処吹く風。オレはなんだかとても楽しくなっちゃって、飲めもしない焼酎のソーダー割を飲み比べなどと称してコップに二杯半も飲んでしまった。
                 次の日の朝、「マカチョップ・スペシャル of 通学鞄」を受けて起きたのは言うまでも無い。


                6再び、マカ

                 「……し、しんっじらんない! なにこれ!」
                 リビングの床でグデエと赤ら顔をしてへしゃげるソウルと、いい気分のまま夢を見ている下着姿のブレアが冷蔵庫中の物をおつまみにして酔いつぶれている。
                 「だあああっ!くさい!おさけくさいっ!」
                 大慌てで部屋中の窓を開けて換気扇を全開にして回した。初夏の薄く濡れた朝の空気が部屋を舐めるように吹き込んでくる。外ではそろそろ起き出した町の喧騒と小鳥の声が賑やかだ。
                 「ばかども!起きなさーい!!」
                 「……んぅぅ……まぁかぁ……ついさっきまでソウルくんと飲み比べしてたのぉ……頭に響くから大声出さないでぇ……」
                 「ぶ、ブレア!なんつー格好してんのよう!そういう格好で部屋から出ないでって何度言ったら分かるの!? 下着丸出しじゃないのよ!」
                 「いちちちちち……これはね、ベビードールっつって、寝間着なのよぅ」
                 「う る さ い ! ほら、立って! 部屋行って寝てちょうだい! ……うわくさっ酒くさっ」
                 あたしは力の全く入っていないブレアの身体を引きずるようにしてブレアの部屋に彼女を連れて行く。ベッドの上に投げ出すようにして座らせ、毛布と布団を頭から掛けた。
                 「もう暖かいからってっても風邪引くわよ、そんな格好じゃ。何かスープ作っといてあげるから起きたら温めて飲みなよね。その後でちゃんとお風呂入ってよ!?」
                 「マカちゃんは何だかんだ言って優しいにゃぁ」
                 胸の前でブレアがくるくるっと円を描いたかと思うと、あたしの胸の前に派手な色の紙袋が現れた。
                 「な、なによ」
                 「猫の恩返しにゃぁ」
                 「はぁ」
                 紙袋を開けると出てきたのは……あたしのぱんつ。
                 「……なにコレ嫌がらせ?」
                 牙を剥いて憤っても、ブレアは既に夢の中の住人。もはやこのデタラメな酔っ払い同居人のすることに腹を立てても仕方が無いことは解り切っているのでため息一つで許しといてあげるわよ。
                 「……さて、問題はこっちよね」
                 つかつかソウルの側に仁王立ちになり、手近にあった通学鞄を彼の頭の上に思いっきり投げ落としてやった。どーだ、てめぇ、こら起きやがれ!
                 「――――――起きる前に死ぬってコレ……」
                 「うるs……くさっ!ソウルくさい!おさけくさい!お風呂入って!今すぐ!
                 そんなので学校行って退学にでもなったらどうすんのよ!? ばかじゃないの!もう!さっさとお風呂入ってきて!ちゃんと歯も磨くのよ!さあホラ立って!もう時間ないんだからッ!!」
                 「うるへーなー……お前はオレのオカンかよ……」
                 「やかましい!とっとと風呂行って顔洗って来いばか!」
                 ソウルを風呂場に突っ込んで、悲惨な事になっているリビングを猛ダッシュで片付けながらスープ作ってたら、いつも家を出る時間にセットしてある置時計のアラームが鳴った。げげーっやばーい!朝ご飯食べてる暇ないじゃん!
                 「ソウルーっ!まだぁ!? もう家出なきゃ間に合わないよ!」
                 しょうがないので適当にウインナーだけ挟んだホットドック(いつもは炒めたカレー味のキャベツだとか、卵とマヨネーズのトッピングだとか挟むんだけど)をウインナーとパンが続く限り作って、ケチャップのパックと一緒にバスケットに突っ込んで玄関に駆け込む。
                 「もう玄関出てるー」
                 玄関で靴を履きながらいつもの格好に着替えているソウルが背中を向けたまま返事をする。
                 「あんたブレアと冷蔵庫のおかずみーんな食べちゃってるくせにウインナーには手ェつけなかったの?」
                 「だって……作ってくれるっつったじゃん、ホットドック」
                 靴を履き終えたソウルがきょとんとした顔をして、不思議がるあたしに当たり前みたいに笑いかけた。


                7そして、ソウル

                 あー、頭がまだボーっとしてやがる。……なんか昨日ブレアにつまんねぇコト喋ったような気もするし……まじ酒ってこえぇ……
                 ふらふらする足取りを何とか保ちながら、先を歩くマカの足元に焦点を定めててくてく歩く。
                 「んー、やっぱ気持ちいーわね初夏の朝ってぇのは」
                 片腕にいつもの黒いコートを引っ掛けて、目を覆いたくなるような短いチェックのスカートを揺らしながら勇ましく歩くマカは、欲目を抜いてもすごく凛々しくて可愛らしい。……やべ、まだ酒抜けてねぇわオレ……
                 それでもなんだかこのテンションなら、この勢いなら、何か言えそうな気がした。言っちゃあマズイだろうけど、なんとなく、今を逃したらもうチャンスが無いような気がして、言おうと思った。酒の勢いなんて格好悪いけど、しかも唐突で、意味わかんねぇけど、それでも言わないでぐずってるよかずっとマシだろと自分に言い聞かせた。
                 「なぁ、マカ……」
                 声を掛けた瞬間、ビューッと風が吹いた。台風にはまだ早かろうに、とにかく一陣の風が吹いたのだ。
                 目の前の赤いスカートがぶわっとまくれ上がって、その下の白い色気の無い下着が……色気の……え?
                 アレッ?……あれ……えーと、オレの気が確かなら、マカの親父さんがプレゼントで寄越したってぇ、あの、凶悪なスケスケの……アレだよなぁ? さっき見えたの……
                 「うわっとぉ!」
                 マカが慌ててスカートを押え、恥かしそうにこちらを肩越しにちらりと振り向いた。
                 「……見た?」
                 「――――――うわっ目に砂入った!」
                 「……見てないならいい」
                 咄嗟の機転で顔を右下に背けて何度も目を擦る振りをした。……目を心配しろよオメェは。
                 「で、何よ。さっき呼んだの」
                 「オレの目の心配は一切ナシですかぁ〜マカさーん」
                 「あんまり擦らない方がいいよ、眼球傷めるから。で、何」
                 「…………忘れた」
                 言えるかアホ。憮然とするオレを呆れ顔でマカがなんなのよそれは、と言って小突こうとして……
                 「あんた、まだお酒の匂いするじゃん」
                 オレの首筋を掴んですんすんと嗅いだ。
                 ――――――ブチッって音がした。頭のどっかか、耳の後ろか、はたまた胸の奥か。場所はサッパリ分からないけれど、とにかくブチって音がしたんだ。
                 気がついたら鞄もバスケットもぶち落としてマカを抱きしめていた。
                 ……うわぁ、オレってば朝から大胆。
                 頭のどっかにいるもう一人のオレが冷やかすようにそう言ってから、心臓が狂ったようにけたたましく鳴り始める。まるで消防車のサイレンのように、ガス漏れ報知器のアラームのように、テレビで見た戦闘機のエマージェンシーコールのように、もうとにかく頭がガンガンするほど激しく鼓動が暴れ狂う。
                 「……ソウル、朝っぱらから道端で何やってんだお前」
                 そんな緊急事態の最中、背後からキッドの声がした。目の前が真っ白になる。
                 「あ、パティおはよー。どうだった、昨日のお土産の感想は?」
                 「んふふふーやっぱお姉ちゃんに一発でばれちゃった〜」
                 「あはははやっぱり? だよねぇ。うちは誰も気付かなかったみたいだけど」
                 マカが特に何の動揺も見せずオレの腕を解いてキッドたちのほうへ小走りで駆けて行った。入れ替わりでパティがオレのほうへてくてくと歩いてくる。
                 「ねぇソウルくん、何してたのー?」
                 「……昨日酒飲んでたからよろけたんだよ」
                 バカのパティがそっかぁ、告白でもすんのかと思ってドキドキしちゃったよあたしーと、小声で言った。


                8それから、マカ

                 「お前スゲェな、男に抱きつかれてなんでそんなに素なんだよ?」
                 リズがちょっと赤い顔をしてあたしの耳元で囁くように言った。
                 「だってパートナーの身体なんか普段から触ってるでしょ? そんな風に言われたらなんか照れちゃうじゃない」
                 あたしはなんだか居心地が悪くてまだ震えの止らない腕をグリグリ動かして動揺を隠した。
                 「……ふうん、職人ってのはそんなもんかねぇ」
                 背の高いリズが折り曲げた身体を伸ばしてぼりぼりと頭をかいた。あはは、まだ顔赤い。意外にうぶなんだなぁ。
                 「だってそうじゃん。その論法でいくとキッドなんかリズの体ずーっとベタベタ触ってることになっちゃうよ?」
                 何の気なしにあたしがそんなことを言ったら、リズの顔がますます真っ赤になってしまう。……ありゃりゃ、不味いこと言っちゃったかな?
                 「でもほら、キッドって女の子に興味なさそうだもんね。真面目っつーかさ。だから平気なのかも!」
                 自分でも相当トンチンカンなことを言っている自覚はあったけれど、どうフォローしていいやらさっぱり解らなかったので思いつくままの事を口に出した。
                 「――――――そうでもないぜ」
                 低く唸るように硬い表情のリズが零した言葉はそれっきりで、あたしはそれ以上何を尋ねることも出来ずに学校の門まで黙って歩いた。リズの魂の色が淀むように揺らめいていて、彼女が何か暗い想いを抱いていることは解ったけれど……何も言うことは出来なかった。魂があたしのことを拒否しているみたいに小さく縮こまっていたから。
                 あたしは魂の波長を感じ取れるので、初めて魂の色を見たときからリズがキッドを好きなんだろーなーという気はしていた。仲良くなって、パティのキッド好きとリズのキッド好きが決定的に違うことを理解して、それでも魂の波長がずれない三人をずいぶん羨ましく思ったものだ。だってそうでしょ? 純粋に好きな人二人と魂を合わせるなんて、それで最強の職人と武器を目指すなんて、凄くロマンチックじゃない。
                 ……いや、身内にそれで大失敗したのが居たな、そういや。……現実っていつも厳しいわ……
                 パティのキッドくん好き好きは、なんていうか、凄く楽しくなる感じって言えばいいのかな。キッドくんといると、うきうきワクワクどきどきハラハラ!そういうのが全身から吹き出すみたいな気がするのと彼女は言った。うん、なるほど。解るような気もする。
                 その辺まで考えた所で教室に着いた。まだみんながみんな席に着いているわけじゃない。時計を見ると授業開始まで後15分もあった。
                 「ありゃ? バスケットあたしどこやったっけ?」
                 朝ごはんを詰めたバスケットの消失ミステリーにあたしがきょろきょろしていると、後ろ頭に籐籠がボンと押し付けられた。
                 「おら、落としてたぞ」
                 「……あ、ありがと」
                 「後で話がある。ちっと顔貸せ」
                 「……なによ、ここで言えば?」
                 「――――――今言えりゃ言ってるよ。とにかく後で顔貸せ」
                 疲れたような顔のソウルがバスケットを開けてホットドックとケチャップのパックを一つづつ掴んで教室の後ろにふらりと歩いていった。
                 「なんだありゃ」
                 「あ、おはよブラックスター、椿ちゃん」
                 「おはようマカちゃん」
                 椿ちゃんがどえらい大荷物……お弁当の重箱……を持ってあたしの隣の席に座った。むむっ重箱からいい匂い。
                 「ほほう、この匂いからして――――――竹の子の炊き込みご飯ですな?お羨ましーい」
                 「うふふ。あたりー。いっぱい作ってきたからお昼みんなで食べましょう?」
                 「わーい!あたしも朝ごはんの関係上、手抜きホットドックいっぱい持ってるから交換しようよ!」
                 わーいわーい!お昼楽しみー!


                9ソウルとキッドとパティ

                 「お前はバカか。朝っぱらから破廉恥な」
                 「そーだよー。マカいっつも平気な顔してるけど実は恥ずかしがり屋さんなんだからー」
                 キッドとパティが朝の道端で言いたい放題にオレを詰る。……いや、まあ、詰られて当然っちゃー当然なんだケド……でもここ一応天下の往来なんだから弁えようぜ諸君……
                 「う、うううるせぇな!……いいとこ邪魔しやがって」
                 「およっ? 言うねぇソウルくん。いよいよ腹決まったのぉ?」
                 くりっとした大きなパティの目が半分になって、口角が意地悪そうに持ち上げられる。……くそっ、相変わらずお前は無駄に敏いな!
                 「ほっといてくれよもう……お前らは仲良くて平和だろーが、こちとら色々あってもう心が擦り切れてんだヨ」
                 ひっくり返ったバスケットとぶち落とした鞄を拾って埃を払い、もう一度担ぎ直す。その様子をじっと見ていたキッドが珍しく口火を切った。
                 「おれ達が平和かどうかはお前が決めることじゃない。独断独善は感心せんな」
                 「そーだよー。キッド君はキッド君でいますっげー大変な目に遭ってるんだからー。ねー?」
                 同意を得るように首を90度に曲げて、パティが愛らしく言葉尻を持ち上げた。が、当のキッドは青ざめた顔をしている。ますます珍しい。
                 「……いらんことを言うなと言っただろうが。……いいか、絶対に言うなよ。言ったらホントに怒るからな。絶対に怒るからな。場合によっちゃ泣くぞこら」
                 「うん言わないー。絶対誰にも言わないー。お姉ちゃんにも言ってないよー。エラいでしょー?」
                 「……ああ、えらいえらい」
                 キッドの珍しく慌てたやり取りにパティが気付き、キッドより背の高い自分の頭を撫でさせるように少し屈み、やっと気付いたキッドがそれをよしよしと撫でて頷いて体裁を取り繕っている。……ああ、お前らそういうキャラなのね、家では。
                 「どう見てもラブラブですけど何これオレ当て付けされてんの? ムカつく」
                 オレのやっかみとしか言えないような非難に、二人は苦笑いとも含み笑いとも呆れ顔ともつかぬ顔を見合わせて複雑そうに眉を顰めた。
                 「……あたしたちってラブラブに見えるらしーよ、キッドくん」
                 「世間の目なんてのは当てにならんモンだな」
                 しれっとかわすキッドと含み笑いいっぱいのパティが暗号めいたやりとりをしつつ、学校の方へ歩いてゆく。離されたオレもそれに小走りで続いた。
                 「お前らって確か死武専に自分の部屋あったんじゃなかったか? なんでこんなとこ歩いてんだよ」
                 「もうだいぶ前だよ?お屋敷から通ってんの。キッドくんの部屋をクロナが使うことになったからさ」
                 パティがくるくる回りながら無駄な動作のやたら多いアラベクスなど決めている。相変わらず、オレより年上の癖に全然そんな感じしねーよなコイツ。
                 「クロナ?あいつお泊り室にあんだろ、部屋」
                 「……む、いつまでもあんな地下牢みたいな所に女の子を住まわせておく訳にもいくまいという父上の判断でな」
                 咳払いをしてキッドが襟元を少し緩めながら言った。……コイツが自分からシンメトリー崩すなんて……雪でも降るんじゃねぇのか?
                 「――――――いやまて、お前今なんつった?」
                 オレが揺るんだキッドのタイを引っ掴みながら声を荒げると、その気迫に驚いたのか、キッドが目を白黒させながら答えた。
                 「ち、父上の判断で」
                 「違う!その前!」
                 「女の子を地下牢みたいな所に……」
                 「……誰が?」
                 「あはははは!ソウルくんマジで気付いてなかったのぉ!? すげぇ!すげぇ!じゃあお姉ちゃんの勝ちだ!やーん悔しい!」
                 「……なんだそれは」
                 オレの手を払い、キッドが緩んだタイをキッチリカッチリ締め直して一人はしゃぐパティに問い返す。
                 「クロナってマカちゃん居ないと結構一人で居ること多いでしょ。そういうの見たらソウルくん、サッカーとか野球とかガンガン誘うじゃん。あたしソウルくんって懐の広いヒトだなーって思ってたの。でもお姉ちゃんにソウルくんはクロナが女の子だって知らないだけで懐が広いんでも何でもないって言われてさー、さすがにそれはないよーって話をしてたんだけど……あれ、どったの?」
                 首を落としたオレの素振りにのんきなパティの声が降りかかる。ああそう、そうですかそうですか皆様。
                 「ちょ、ちょいまち。……みんな知ってんの? クロナの性別」
                 「……お前、ホントに判らなかったのか? スカート穿いてるじゃないか」
                 「あんなに線の細い男の職人いないよぅ、ふつー。ま、クロナは普通じゃないけどさー」
                 「……マジカヨ……」
                 「男だと思ってたのにあんなにマカの近くに居るの許してたのか。のん気な奴だな」
                 「あはははー。じゃああたしも勝ちだねー。ソウルくん懐深い〜」
                 二人が呆れ顔で高笑いをしながら、オレの背をドンドン叩いた。……ああもうなんだこれ。なんだよこれ。


                10マカとソウルとブラックスター

                 んで、なんなの?
                 体育の授業終わりの15分休憩、ソウルに連れられて図書館裏の水飲み場までやって来た。次の時間は化学の移動教室なのでチャイムギリギリまで粘って話せそうな場所に連れて来るたぁ、穏やかじゃない。
                 「お前、クロナが女だって知ってたか?」
                 ……何を今さら。
                 「――――――あ、そう」
                 ちょ、ちょっと待ってよ!まさかアンタ今まで男だと思ってたんじゃないでしょうね……そういやクロナからラグビーだのバスケだのの話を聞いたことあるけど、まさかあれソウルの仕業!?
                 いくらクロナの身体能力が並外れてるったって、それはあくまでラグナロクのサポートがあっての話。クロナを苛めるのを至上の喜びとしている性悪武器がレクリエーションでクロナを助けるとは到底思えない。多少身が軽いとは言え、所詮は女の子。すぐ調子に乗って全力出す体力馬鹿の武器や職人の男子に混じってスポーツなんて考えるだけでぞっとする。
                 「あ、いや……ブラックスターも一緒だけど……」
                 ありうる……この馬鹿二人ならありうるわ……
                 ハァ、とため息ついて手袋をつけた手で顔を覆った。ああもう、情けない。
                 「うぅわ、じゃあ気付いてないのオレとブラックスターだけかヨ」
                 ソウルがガックリ肩を落として背中を丸めた。その格好が結構傷付いてる風に見えたので、バカバカしいけど一応慰めてやるかという気になった。昨日から凹む事多いみたいだし。
                 しょ、しょーがないよ。クロナってちょっと顔立ちとか中性的だもんね。うん、あたしも最初はどっちかわかんなくてさ。
                 あはは、と取って付けたみたいな乾いた笑い声を上げながらソウルの肩をポンポン叩いた。
                 「………………うそだ。その顔はオレをバカにしている」
                 なにシイタケの断面図みたいな情けない目ェしてんのよアンタは。……ったく、ほんと、ナイーブっつーか打たれ弱いっつーか。
                 おおよしよし、ソウルくんはホント馬鹿な上に失礼でちゅねー。
                 ちょっと天狗になったあたしがソウルのベッコリいっちゃった精神を引っ張り上げてやろうと、ソウルの白い髪を胸に抱いて背中を何度か摩ってやった。い、いつもはこんな事しないんだからね。特別よ!
                 「………………。」
                 ソウルがあたしの胸の中でぐっと黙って身体を硬くした。……なによ、ギャグでしょ、笑うとか嫌がるとか更に泣くとかおもしろリアクションしなさいよ。
                 「マカ」
                 な、なにさ?
                 「キスしよう」
                 ……………………………………はぃ?
                 「マカにキスしたい」
                 ……ナニ、あんたあんまり不幸続きで頭イカれた?
                 「嫌か?」
                 て、てゆうか!なにその唐突な話題転換は!? は、話、終ったんでしょ? 次、移動教室行かなきゃ……
                 「つーか、こっちが本題。クロナの話は、その、なんだ。前振りだ」
                 あんたほんとに失礼な奴ね!性別マジで間違えてて前振りとかいうな!どーゆー神経してんのよ馬鹿ソウル!
                 「朝、し損ねたから」
                 だ、だ、だ、だいたい!なんであたしがソウルとキスしなきゃいけないのよ!? 理由は!?  ああ、やだやだ、顔が赤くなっちゃう。イキナリ何を言い出すの!今までだってあんな事くらい結構あったじゃない!部屋ノックせずに入ってきて着替えてる最中に辞書もってったりさ!そ、それをこんな急に……!
                 あたしはもうなんだかワケが分からなくなって、つい、ソウルをドンと突き放してしまった。ソウルが嫌だった訳じゃない……ト、思う……んだけど……
                 「……おっと、そこまで間抜けじゃねぇぞお前のパートナーは」
                 突き飛ばしてよろめくかと思ったソウルは、微動だにせずあたしの手を掴んで離さない。手袋越しにソウルの手の暖かさが伝わって、それが何故か怖かった。
                 や、やだ、はなせっ
                 「離さない」
                 お、怒るよ!ソウル!
                 「嫌かどうか聞いてない。言え。オレとキスすんの嫌か?」
                 わ、わかんなよ!急にそんなこと言われたって!
                 「急とかそんなんカンケーねーだろ? 嫌かどうか聞いてるだけなんだから」
                 嘘!いいっつったらするんでしょ!?
                 「あったり前じゃん」
                 じゃあ嫌!理由もなくされんのなんかお断り!
                 「理由言えばしていいわけ?」
                 そ、そういう事じゃないー!なんなのよ急に!いやらしいわね!エッチ!
                 「……エッチってお前……何考えてんだ? キスするだけだろ」
                 ば、ばかじゃないの!? キスってぇのは……
                 「好きな奴とするモンだって言うんだろ。じゃあいいじゃん、オレは合ってる」
                 摑まれてた右手ごと引き寄せられて、ソウルの腕が腰に回った。あたしはそんな状況だというのにどこかフワフワと他人事で、ああ、ソウルってあたしのこと好きなんだーそっかーと、又聞きしたような心境だった。
                 「オレ、マカのこと好きだ。キスしたい」
                 ぐっとソウルの顔が近づいてくる。……うわ、近!近い!近いよちょっいとアンタ!
                 ぎゃー!ソウル!ちょっと!タンマタンマタンマー!ストップ!タイム!ちょっとちょっとちょっとぉー!?
                 ジタバタじたばた足掻いても喚いても、ソウルの力はホント凄くてちっとも抜け出せない。おかしいよ!いつも喧嘩はあたしが勝つのに!?
                 『や、やだぁーっ!』
                 思いっきり叫んだらソウルの腕に篭ってた力がフッとゆるくなったので、あたしはもう必死の思いでソウルと距離を取ろうとしたら、何かにドンとぶつかった。
                 わ、わわっ!?
                 不意のことで体のバランスを失って倒れそうになったあたしの手がぎゅっと摑まれて、きちんと立たされる。……ありゃ、この手……
                 顔を上げたら思ったとおりブラックスターの背中があって、肩の星型の刺青がなんともいえない迫力で目の前に迫っている。
                 「……何事だよ?」
                 きょとんとしたような声でブラックスターがソウルに尋ねる。あたしからはブラックスターの顔は見えないけれど、ソウルの顔は見える。顔色を失うってのは多分、こういうことを言うんだろうなって、そういう顔のソウルは見える。
                 い、いや、ちょっとした行き違いがね……
                 あたしは何とか取り繕おうとして、どきどき煩い心臓を無理やりに押さえつけながら震える声を出した。あ、あれ、何であたし震えてんの?
                 「……何事だよ?」
                 もう一度ブラックスターが同じことを同じ声でソウルに尋ねた。ソウルは何も言わずによろけていた体勢を整えて一度深呼吸をしてから低い声で言う。
                 「マカ襲ってた」
                 「そうかい」
                 鈍い音がしたかと思うと、ブラックスターは既にあたしの隣で同じ方向を向いていた。視線をソウルにもう一度向けた時、ソウルは途切れ途切れの呻き声を上げながらお腹を押さえてうずくまっている。……ええっ!? ちょ、ちょっと!? ど、どうなってんのコレ!?
                 「マカ、授業始まるぞ」
                 コートの裾を引っ張られて、あたしは抗議の声を上げる間もなくブラックスターに引きずられてそのまま化学室へ行くことを余儀なくされてしまったのだった。


                11ソウルとスピリット

                 「……実にいい気味だ」
                 横隔膜だかなんだかが揺さぶられて、息が出来なくて悶えるオレの頭の上から無慈悲なおっさんの声が降ってきた。
                 「やっぱブラックスターが本気出すとコエーな? ……おい、大丈夫か」
                 背中をバンバン力任せに叩かれたのが功を奏したのか、ぜひゅーぜひゅーとおかしな音を立てつつもオレはようやく呼吸が出来るようになった。あんまり辛くてよだれと涙が滝のように出ている。……もちろん脂汗も。
                 「げほっげほっげほっげほげほ」
                 「お前、うちのつるぺったんには興味なかったんじゃなかったっけ?」
                 「げほげほげほげほげひげひげひ」
                 「まあ何にしても無理やりはおじさん感心せんよ、うん。今俺がおとーさんモードでなくて良かったな、ブラックスターに感謝しとけ?」
                 「がひがひげひげへげへげへげへ」
                 「……おいソウル、最高にかっこ悪いのは解るけどそんな長いこと咳き込む程でもねぇだろ? 次の時間デスサイズ様の特別授業聞いてけよ」
                 「………………ごほっ」
                 オレは半分ほんとで半分うそっこの大げさな咳を鎮めてゆっくり顔を上げた。濡れたところが空気に晒されてひどく痛む時に似た感じで冷たくなっている。よだれだの涙だの拭い、精神を落ち着ける呼吸を繰り返して何とか平静を保つ。
                 ようやく立ち上がってみんなでバスケやったハーフコートのある中庭の隅にあるベンチに座っているデスサイズ、つまりマカの元親父の隣に一人分空けて座った。
                 よく考えたらこのおっさんと二人で喋ったことなかったな。……何言われるのやら。
                 いつもの超過保護言動を思い出して肝の冷える思いだったが、それを無視して一人になる勇気もなかったし、もちろん遅刻してまで化学室に向かう厚顔無恥さも持ってないオレは、しぶしぶと着席する。
                 「はーい、デスサイズ様のー恋愛講義ーわーパチパチー」
                 ……うっわ、虫唾ダッシュ。
                 「明日のためにその@〜。うちに帰ったらマカに土下座ー。もうしません悪いことしませんごめんなさいって間髪入れず土下座ー」
                 ――――――うん、マカ。お前の苦悩ちょっと解ったような気がするぜ。
                 「明日のためにそのA〜。今日の夕食はお前が作るー。マカの好物をたくさん作るー。もちろん洗い物も後片付けも全部するー」
                 男のプライドとかねーんかこのおっさんは。
                 「明日のためにそのB〜。なんか理由つけて魂の共鳴をするー。ちょっとでもずれてたら何度でも復習ー。完全に合致するまで徹夜でも復習ー」
                 ……ちったぁ死武専の先生らしいことも言うんだな、おっさん。
                 「この三つは絶対やれー。やらねーと、俺みたいになんぞー。以上、デスサイズ様の仲直り講座でしたー」
                 最初とタイトル変わってんじゃねぇか。
                 「――――――俺みたいになんぞーって、オレは別にマカとはなんでもねぇよ。ただの武器と職人だ。……ま、それも解消になるかもしんねぇケドさ」
                 「解消だぁ?」
                 マカと同じ緑色の目がぎろりとオレを睨んだ。三白眼気味の目は薄気味の悪い迫力があってオレは二の句も次げない。まるで蛇に睨まれた蛙だ。全身に嫌な汗がじわりと押し寄せて、プレッシャーで胸が潰れそうな気さえする。
                 「俺の可愛いマカがこの程度で喧嘩別れするよーなテキトーな奴を武器に選ぶわけねーだろ。あの石橋を叩いて渡る性格はな、俺の嫁さ……いや“元”嫁さんゆずりなんだよ。
                 言いたかねーがお前は相当信用されてんだ。マカはな、更に言いたかねーけど俺の所為でちょっと男性嫌悪入っててパパは随分心配したワケよ。それが、ちょい潔癖症気味のあの子が、男にパートナーを定めたって聞いた日にゃ、俺はもう喜んでいいやら泣き叫んでいいやら複雑な気持ちだったさ。つーか泣いたさ。
                 それを、涙を飲んで俺はテメェがパートナーやって、あまつさえ同じアパートで同棲してるのも目を瞑ってきたんだよ!
                 ……わかるか? 俺が何言いたいか解るか? ええっ!?」
                 ずずいっと怒りマークを顔全部に貼り付けた世界一強い魔武器、デスサイズ様が取るに足らない子供に向かって殺気を全方位一斉照射する。特に『同棲』って所にものすごく重い怒気を孕みつつ。
                 「…………マカ、泣かしたら、殺す?」
                 恐る恐る片言で答えた。つーか今すでに殺されかねない状況なんですが。
                 「よーし理解しているようだなクソガキ。いいか。これだけは言っとく。俺でも“後5年我慢した”んだ。
                 マカを一ミリでも不幸にするような真似してみろ、お前の身体を古今東西誰も見たことがないほど綺麗に5センチ角で賽の目状にしてやるからな、覚えておきやがれ」


                12そして、マカ

                 アパートの部屋のドアを開けたら、ソウルが土下座していた。……ウチの玄関っていつからお白州になったのかしら……
                 「な、なんの真似?」
                 「ごめんなさい。もうしません。許してください」
                 「ちょ、ちょっと、やだ、やめなよ!もういいってば、こらソウル!」
                 「許してくれるまでやめらんねぇ」
                 「もう!今度は脅迫!? もういい!許す!許すから顔上げてよ!いくら玄関でも土足で上がるんだから汚いでしょ!?」
                 ぱっと顔を上げて、ほぅ、と胸を撫で下ろすちょっぴし涙目のソウルがのろのろ立ち上がってよろめいた。……まさか、あたしが帰ってくるまでずっと土下座してたんじゃないでしょうね!?
                 「……あの」
                 「なに?」
                 「ほんと、ごめん。……ちょっとなんか、おかしかったオレ。本当にマジで、ごめん」
                 ……ソウルがそんなしおらしいなんて、珍しいわね。何よ? ヘンなモンでも食った?
                 内心でそんなことを思ったのに、口から出た言葉は全然違っていた。
                 「――――――実を言うと、すっげぇ怖かった。なんかソウルが違うヒトみたいですっごく怖かった。
                 あれからさ、ブラックスターがまた何かあったらすぐ言えって、ぶっ飛ばしてやるって、あはは、なかなか、なかなか……あは、洒落たこと言う、から……」
                 それから先は言葉にならない。二人が仲いいのが好きだったのに。二人でバカやってしょうもないことでゲラゲラ笑ってるのが好きだったのに。……何でこんなことになったんだろう。もうやだ、あんな怖い顔で怒るブラックスター見たくない。
                 平気な顔をするつもりで、頭の中をCOOLに保ったはずなのに、ぼろぼろ涙が出てきてたまらなくなってしまった。ああちくしょう、やだよこんなの。かっこ悪い。
                 「……あの、何もしない。下心なし。いいな? 悪さじゃねえぞ、これは」
                 顔を覆っている両手ごと抱きしめられて、朝みたいにそれは怖くなくて、でもちょっとビクってなっちゃった。
                 「う……ごめん。……怖い?」
                 「――――――こわいよう……朝怖かったんだからぁ……!こ、こんなんじゃなかったもん!いつもみたいに、こんなんじゃなかったもん!」
                 だだあーっと、更に涙が出てきた。優しくていい奴の、いつものソウルが帰ってきたような気がしてなんか良くわかんないけど涙がどんどん溢れてくる。あたしは必死にソウルにしがみ付いて、ソウルのお気に入りのパーカーの肩に思いっきり涙と鼻水をこすりつけてやった。
                 「……わり。わりかったよ。もうしねぇって。許せ」
                 「うううううー。絶対だよ、もうやだからね、ああゆうの、やだからね!?」
                 「〜〜〜っ……わ、わかったよ。だからもう泣くな。お前、オレをキューブ状にしたいのか?」
                 良くわかんないことを言いながら、ソウルがあたしの背中越しにドアを閉めた。鉄のドアがガガン、といつもの音を立てて閉まる。……そうだ、床に鞄もバスケットも置きっぱなしだ。
                 ゆっくりソウルから離れて、袖で涙を拭いつつあたしは鞄とバスケットを取り上げ……。
                 「……なに鼻血吹いてんのよソウル」
                 「……らんれもらい……」
                 どたどた慌しくソウルが風呂場に駆け込んで、あたしはふぅーッと大きなため息をついた。ああ、なんか元通りだ。よかった。本当に良かった。
                 「ね、ねぇソウル!晩御飯さ、ホットドックしたあげる!朝も昼もほとんど食べてないでしょ? 帰りにパンとウィンナー買ってきたから、スープ温めなおしてさ、サラダ作ってチキンでも焼くから!ちょっと待ってて!」
                 あたしはコートと鞄を部屋にぶち込んで、エプロンに頭を突っ込む。冷蔵庫にバスケットの中に突っ込んでた買い物袋の中身を並べて、スープ鍋を確認した。ブレアは随分堪能したみたいで、作った三分の一くらい減っていた。……んー、ちょっと牛乳入れてのばしちゃおっかな。
                 「洗いかごに全然お皿ないけどこれソウルが片付けてくれたのぉ?」


                13そうして、ソウル

                 「あんのばか、あんな下着でミニなんか穿くんじゃねぇよ!」
                 鞄を取ろうと屈んだ太ももの奥に、あの凶悪なぱんつ(とすら呼べない代物)。……い、いや。別に太ももに注視してたわけじゃねぇよ? 単にオレの位置からたまたま見え……いえすんません死神様……見てました……すっげェ注目してました……
                 「やば……反省全然してねえじゃん、オレ」
                 いや、反省っつのはチョト違うんだけど、いやでも、うん……なんかもう、つまり、えーと、なんだこりゃ。なんかの修行? あんなの見てどうにかなるななんて無理に決まってんだろ!マカは胸ねーけど太ももとかケツとか腰とかすんげー色っぽいんだぞ!? ――――――や、そういう問題じゃねぇな。
                 自分に自分で突っ込み入れて、洗面所の鏡に自分の顔を映す。びしょびしょのくせにニヤニヤ笑いで締まりがないことこの上ない間抜け面。ため息がでちゃうぜ、全く。
                 「……お前パンツヘンだぞとか言ったら……マカチョップじゃ済まねーんだろーなー……」
                 いいや、もうこの際知らん振りしとこう。マカなりの親父さんとの繋がり方なのかも知んないし……しかしあすこン家の奴は全員どっかネジ外れてんのか?
                 タオルで顔を拭いて、まだ痺れる足(なんせマカ帰ってくるまで二時間土下座してたしな)を慎重に動かしながらリビングのソファに倒れこんだ。キッチンからかぼちゃのスープのいい匂いがする。
                 「冷蔵庫に張ってあるブレアの手紙、読んだか? 今日は遅番で帰ってくるのが朝……ッ!?」
                 何の気なしにだらりと振り返ったら、そのう、マカさんのスカートがですね、エプロンの紐に引っかかって……こう、なんつーか……全開?
                 ……やべ、また鼻血出る……
                 「うん、ブレア月曜日いっつも遅番じゃん。知ってるよ」
                 のん気な声が台所から返ってきて、オレはもうそれ以上そっちを向けなかった。深く静かな呼吸を繰り返して、頭の中をCOOLに保つ。落ち着け、落ち着け、落ち着けソウル。お前は出来る子だ。大丈夫、オレは変態じゃない。変態じゃない。仮に変態だとしても変態と言う名の紳士だよ。ジェントルメンは動揺しない。大丈夫。COOLだ。
                 ふーっと呼吸を整えるように息を細く吐き出し、ソファの前に置いてあるテレビでも見て気を紛らわせようと、暗いブラウン管に目をやった。
                 ――――――あはははは!!電源入れてないのに『新妻すけパンクッキング中継』が大絶賛放映中なんですケドうちのTV。
                 思わず吹いたオレを誰が責められようか!もうなにこれ!死神様オレそんな悪いことした!? ねぇ!なんなのこの罰の嵐は!?
                 「……あーもう……いっそ殺してくれ……」
                 ぐったり項垂れるオレがジタバタしてるのを不審に思ったのだろう。マカが食卓にオレを呼んで、すぐ出来るからお皿とかコップとか並べてぇ〜と、いつもの調子で言った。尻出しながら。
                 「お腹空いてるでしょ? 先に食べてていいよ。手羽先じきに焼きあがるからね。ホットドックはちょっと待ってくれる?」
                 フライパンでキャベツの千切りを炒めながら、片手間でマッシュポテトにマスタードを絡ませるマカ。……相変わらず手際はいいんだよなこいつ。ケツ出てるけど。
                 「いいよ、手伝う。一緒に食おうぜ。レタス皿に敷けばいいのか?」
                 「あ、うん。じゃオニオンサラダ作るからピクルスの瓶と粉チーズ出して」
                 それから10分もしないうちに結構豪勢な晩飯が出来て、二人で貪るように食った。お前にしては随分食うな? と尋ねたら、あんたとブラックスターのせいでせっかくの椿ちゃんの炊き込みご飯さえロクに喉を通らなかったと皮肉を言われた。……ごめんなさい。
                 「あとアンタ帰った後に数学小テストあったよ、明日来たら追試だって」
                 「うげぇ。だりぃ」
                 「朝二時間やって帰るなんていい度胸よね、ったく。体の調子悪かったってフォロー入れといたんだから話し合わせといてよ?」
                 いつもの調子。
                 いつもの会話。
                 いつものマカ。
                 いつものオレ。
                 ……平和っていいなぁ。日常ってサイコー。こういう普通をぶっ壊すよーな奴はホントマジロクでもねーよ。


                14そんなわけで、マカ

                 「ひゃあああああああ!」
                 思わず声が出た。かなり間抜けな悲鳴が。
                 「な、なんだなんだ!? どうしたマカ!!」
                 「なっ!なんでもないっ!ご、ゴキブリ!ゴキブリが出た!もう大丈夫!ま、窓から出てった!!」
                 「……そ、そうか……夜だからあんまでかい声出すなよ、近所迷惑だろ」
                 「うん、うん、わかてる。大丈夫、もう平気」
                 ドア越しにソウルの声がそれっきり聞こえなくなって、片言気味のあたしはスカートを掴んだまま鏡の前で呆然と立ち尽くしている。
                 「な、なにこれ!? 何であたしこんなの穿いてンのよ!?」
                 朝着替えたときは普通の、白のコットンで青のリボンが腰んとこに付いた……あれ……それどっかで見たことある……
                 あたしは朝放りっぱなしにしておいたブレアの“猫の恩返し”袋をもう一度開いた。……あはははは、これだ。
                 「あんのクソ猫〜〜〜〜!!」
                 今日は朝からほとんど何にも口にしてない上にややこしい事があった混乱からか、トイレもろくに行かなかったのが災いしていたようだ。あああ〜……あたしコレで一日学校に居たの〜? さ、最悪なんですけどぉ〜……
                 「もう何なの今日は……厄日?」
                 ぐったり全身の力が抜けてベッドに倒れこんだ。小説とかでよく使われてる“もう立ち上がる気力もない”ってこんな感じかしら……
                 ノックの音がする。
                 「うぇい」
                 「風呂沸かしたから入れ……ってお前!何つーカッコしてんだよ!?」
                 さっきはドアの前でやり取りしてたソウルが何の気なし、いつもの調子でドアを開けた。……ってええええ!?
                 「や、やだぁ!だ、だ、だ、め!!み、見るなぁ!!つーか何回言ったらわかんの!? ドア開けるときは開けるって言いなさいよバカ!」
                 慌てて毛布とか布団で下半身を隠して部屋のスミスに匿ってもらう。……う、クロナの癖がなんか解った気がする……
                 「の、ノックしただろちゃんと!」
                 「もう、最悪!ばか!エッチ!」
                 「――――――あのなぁ……」
                 ぼりぼり頭をかいてソウルが部屋に入ってくる。ドアがソウルの後ろ手にばたんと閉じられた。……ちょ、ちょっと?
                 「そういう格好でエッチとかいわれるとね、オレもほら一応男じゃん? やっぱドキッとするわけよ」
                 ベッドにソウルが足を掛け、端っこがぎぎいっと音を立てた。やだ、アンタ普段あたしの部屋なんか入らないくせに……なによ、なんなのよ。
                 左端のスプリングが悲鳴を上げているその上でうんこ座りをするソウルの顔には、明かりの加減で深い影が落ちている。その見たこともないソウルの姿に背筋がぞぞーッと総毛立って、胸が痛いほどひどくドキドキドキドキした。
                 「でもお前泣かすのやだからソウル君は必死に我慢してるわけ。わかる? だから無邪気に煽るな。お前のパートナーは元々結構エッチなんだから」
                 ぎひひひ。滅多にしない底意地の悪い脅すような声で笑って、ソウルがベッドから降りた。顔はもう、いつものソウルだ。
                 「あんまし悪い子にはソウル君チューの刑だぞ」
                 片手をひらひらさせてソウルが部屋から出て行く。あたしはその閉じられたドアを呆然と見つめながら、なんだかすごくいっぱい失敗したような気分になってしまった。
                 ……あたしソウルにひどい事してる?


                15そんなわけで、ソウル

                 あービビった。オレの心臓止める気かアイツは。
                 胸に置いた手が細かく振動している。エイトビートでドキドキドキドキ。うー、内臓に悪いこの家。
                 時計を見上げてため息をついた。8時前……今から風呂入ればTV間に合うな……
                 「マカぁ!オレ先に風呂はいんぞー」
                 『いいよー、あたし宿題やってから入るからー』
                 ドア越しに篭った声が聞こえたのでオレは風呂に向かう。いつもは先にマカが入る。……いや、残り湯がどうとかそーゆんでなくてな……単にオレが長湯なんでそうなっただけ。
                 風呂場のドアを開けて洗濯機に服をばんばん投げ込む。……最初のうちは服を別けて洗ってたからこういう事すると怒られたんだけど、最早マカもめんどくさくなってきたのか慣れたのか、何も言わなくなった。……あ、一応言っとくけどさすがに下着は別々に個人で洗ってんぞ。
                 「……そーいやこないだリズが間違えてキッドのTシャツ着てたなー」
                 あんだけおっぱいでけーと服伸びんだろーなー。……オレんとこは一切そういう危惧がないけど。
                 一緒に暮らしてるとどうしてもそういうダレた部分はどこでも出るらしくて、あのキッチリ屋のキッドでさえ時々、本当に時々、パティの甘い香水の匂いをさせてたりする。つーか自分のオーデコロンと女の化粧品を一緒んとこ置くなよな。お前んチ広いんだから。
                 そういう意味ではブラックスターんところは本当にキッチリしている。……まぁ、アイツの服と椿の服は全然種類も趣味も違うし、化粧品だのなんだのめんどくさい事は二人とも嫌いだしで、取り違えようないんだけど……
                 「……忘れてた……ブラックスターんこと……」
                 あー明日学校行くの気ィ重い。がしがし頭を掻きながらバンダナをぽんと洗面台の端っこに置こうとして先約を見つけた。……マカの手袋だ。
                 「チト汚れてんなぁ……ついでに洗っといてやっか」
                 頭を洗って身体を洗って、湯船に浸かって鼻歌交じりに天井を見上げる。オレん家の風呂の窓は大抵の日に月が見えるほど大きくて、人一人が通れるくらいだ。さして広くもない2LDKには過ぎたるほどの立派なバスルーム。オレもマカもブレアもこの部屋で一番好きな場所は風呂場ってぇ意見が合致するほど、ここの風呂は居心地がいい。
                 「あー、ブレアん部屋に酒返しとかなきゃなー」
                 ここは2LDKなので厳密に言うとブレアの部屋ってのは存在しない。ただ、リビングに3畳ほどのクローゼットルームがあって、一応そこがブレアの部屋ってことになってた。……んだけど、どこをどうしたのかさっぱりわかんねぇが、いつの間にかクローセットルームが8畳はあろうかという立派な部屋に様変わりしてて、さすが腐っても魔法使いだねぇとマカと二人で驚いた。窓まであるんだぜ、笑かすだろ。どーやってクローゼットルームに窓なんか出したんだよ?
                 「……今日は長湯してらんねぇんだっけか」
                 湯船でうとうとし始めた意識を覚醒させて、下着と靴下(お気に入りだから洗濯機では洗わない。マカは細かいって呆れるけど放っといてくれ趣味なんだから)を洗って絞り、マカの手袋に手をつけた。
                 「――――――手袋ってどうやって洗うんだっけ? なーんか本で見たことあんだけどなー……」
                 何の気なしに両手にはめて石鹸を泡立てた。……うん、なんかこんな感じだったよーな気ぃする。要は手を洗うみたいに洗えば型崩れもしないし布を傷めも……
                 「……うっ……!?」
                 泡だらけの白い手袋。木綿のいい生地でさらさら心地いい。きっと結構高いんだろうなぁ。いつもマカがはめてるトレードマークの白い手袋。変身したオレをがっちり掴んでいるあの華奢な指……が、目の前に……!
                 「お、おちつけソウル。さすがにそれは不味かろうよ。ああ不味かろう。まずは確認、ドア閉めよし、窓鍵よし、人影なし……ってチッガウ!!」
                 ひー、と首筋を押さえた手が泡でぬるりと滑って肌に手袋が擦れ、ぞくっとした。……ひぃぃぃきもちいいぃぃぃ!
                 「う、う、う、う……死神様……どうか許してください、一回だけ、一回だけ……っ!」
                 風呂場のドアの前に椅子を置き、急に開けられたりしないように背中をべったりドアに張り付けて……石鹸の細かい泡で非常にいい具合に滑る手袋で太ももを触ってみた。……くっ……こ、これは……クる……すんげぇクる……!!
                 この手袋の感触を肌が覚えている。そうだ、これだ。いっつも、この手にオレはぶん回されたり、弾かれたり、叩かれたり、摩られたり……
                 「……やべ……癖になりそぉ……」


                17そんでもって、マカ

                 部屋着に着替えて宿題を始めてもう一時間になる。一通りのテキストの空欄を埋め終えたのでお風呂でも入ろうかなーとパジャマと下着を持ってリビングに出た。……およ、月曜のこの時間はソウルいつもTVの前に座ってるのに。
                 「ソウルーTV始まっちゃうよー?」
                 バスルームの方に向かって声をかけるも返事なし。……あのばか、また湯船で寝てるんじゃないでしょうね?
                 ソウルが湯船に使ったまま寝ることはたまにあって、それ自体に驚きはしないんだけど……風邪引くじゃん。早退の言い訳をマジにしてどうすんのよ!大体男の癖に長湯すぎんのよアイツは。あと風呂場で歌うのもやめて、恥ずかしい!
                 「ソ…………ッ」
                 脱衣室のドアをそっと開けバスルームに足を踏み込もうとして、呼んだ名前も途中でとまった。
                 低く響くハウリングしたソウルの声が、あたしの名前を呼んでいる。苦しそうにも聞こえるし、何かに耐えているようにも聞こえるその声に宿る艶めかしさは、いくらあたしでも理解できる。
                 『……まぁか…………マカっ……』
                 汗が出る。どっと汗が出る。背筋がぞーっとして全身が凍りつくみたい。一瞬で喉がからからになって顔が引きつった。
                 「……ぃっ」
                 へんな声が出る。やだ、やだ、怖い、怖い、怖い!やめて、やめてよソウル!あ、あたしの名前なんて呼ばないでよ!!
                 とにかく逃げ出そうとして踵を返した。慌ててランドリーケースを引っ掴んでしまったけれど、もうそんなことに気を回している余裕なんて全然なかった。一刻も早く部屋に、ベッドに潜り込んで部屋のスミスに匿ってもらわなきゃ。そんなことばかり考えていたから。
                 ――――――それからどのくらい経ったのか、ぼんやりしてた頭が急に覚醒する。……あれ、泣いてんの、あたし。
                 「……マカ……、ちょい、顔出せよ。話がある」
                 遠慮がちに部屋のドアがノックされて、あたしは声も出ない。
                 「……まだ寝てねぇだろ。なぁ、マカ」
                 いつものソウルの声のはずなのに。なんでこんな怖いの? なんで?
                 「――――――入るぞ」
                 「や、やだぁ!!」
                 「――――――起きてんじゃねぇか」
                 「やだ!やだ!入ってこないで!話もしたくない!あっち行ってよ!」
                 「……やっぱ見たか……。バスタオル落としていったろ、お前」
                 ガチャ、とドアが開く音がした。ばかばかばかばかあたしのばか!何でドアに鍵掛けてないのよ!
                 毛布と布団をかぶって部屋のスミスの超部屋のスミスに縮こまり、精一杯の怖い顔で威嚇してやるけれど、薄暗い部屋に差し込むリビングの明かりの逆光でソウルの顔は見えない。
                 「は、入って来んなって言ったでしょー!?」
                 「……うん。言われたけどさ――――――ドアの前でするわけにもいかねぇじゃん? こういう話」
                 なによ、なによ、なによ!いっつも来るなって言ったら来ないくせに!こんなときばっか、何でそんな男っぽいのよ!!
                 「したくない!話なんかしたくない!」
                 「マカ。聞け。そのままでいいから聞け」
                 痺れるような重低音。まるで大人の人みたいに、威厳とか威圧感とか、そういうものがある重々しくて立派なソウルの声がした。バスっていうんだっけ? こういう感じ。
                 「〜〜〜〜っ、あ、あのな。その……あぁあぁ〜〜ナニ言えばいいんだよもう!
                 でも!悪いけど!オレは男で!お前は女で!こういう風になっちまうんだ男ってのは!だってお前今日ヘンなパンツはいてるし!その癖なんか妙にベタベタするし!我慢の限界だったの!いっそ誘ってんのかと思ったぜ!」
                 だってしょーがねーだろ!? オレお前のこと好きなんだもん!!
                 ソウルがそんなことを、罪を告白するみたいにして小さく叫んだ。


                17ソウル

                 ああもういいや、全部言っちまえ、これで嫌われたってしょうがない。だってホントの事なんだから。もう腹ン中でぐじぐじすんのはヤメだ。男らしく度胸決めるぜ!
                 「キスもしたいさ!抱きしめたいさ!もっとエッチなこともそりゃしてぇさ!
                 でも!マカに泣かれんのが一番やなんだよオレは!だから今まで一生懸命我慢してたんだよ!それをお前っ……飯作ってる時ぱんつ全開だわ、部屋でスカート穿かずに寝転がってるわ……無理だよ!我慢できねぇよそんなん見せられたら!」
                 「な、なによぱんつ全開って!?」
                 「あーあーあー聞こえなーい!……もうなんもかんも全部言うぞ!言わせて貰う!お前は隙が多すぎるッ!そもそも何だあのミニスカは!職人はただでさえ動きが大きいのに普通にしてても見えそうな短いの穿きやがって!ズボン穿け!あとオレが変身した後だからって男を気軽にまたぐな!見えるんだよボケ!どんだけオレが必死で見ないようにしてるかわかるか? ええっ? オレの苦悩がわかんのかよお前に!!」
                 「な、な、な……!」
                 「それから!オレの言うことにはすぐ反論するくせに何でブラックスターの言うことは素直に聞くんだよ!職人同士だからか?よく助けてもらうからか?
                 マカのパートナーはオレじゃん!オレの言うこと聞けよ!オレだって、そりゃ強かねぇけどお前のことこれでも必死で守ってるんだ!死ぬ気で守ってる!なぁ!」
                 気がついたらマカの布団引っぺがして両肩を掴んで揺すってた。マカは恐慌状態のままぼろぼろ涙を零してて、一言も口を利かない。
                 「あっ……!」
                 しまった、まずった……全然COOLじゃねぇじゃん、オレ……最悪だ……なにビビらせてんだよ!バカが!
                 「……ご、ごめん……」
                 掠れた声に重なるように、マカの錆びた機械が擦れるような耳障りな高音の泣き声が響いた。
                 「ひぃぃぃん…………ごめんなさぁい……ごめんなさぁい……あたし、知らなくて、判んなくて……ソウルがそんなに悩んでるって知らなくてぇぇぇー……!」
                 崩れ落ちるようにベッドに伏したマカは本当に本当に小さな女の子で、自分がどれだけただの子供で愚かなクソガキかを心底思い知らせてくれる。ああもう出来ることなら逃げ出したい。腹の奥から湧き出してくる恐怖と暗黒がひしめき合う様にオレの全身に噛み付きまくる。
                 「でも、でも、でもぉ……わかんないよぉ……そんなこと急に言われたってわかんないもん〜!ソウルのこと大事だけど、そんなの急に言われたってわかんないようぅぅ〜」
                 げほ、げほ、げほ。マカが咳き込みながら一生懸命になってオレに伝えようとする。自分の浅はかと、親愛を。
                 「……うん、ごめんな……オレも急に……すまん」
                 「ずっと我慢してたんでしょ? ごめんね……ごめんね……!でも、でも、ごめん、怖いんだもん……ソウル、怖いんだもん〜……いつものソウルじゃないよぉー……
                 パパみたいに怒んないでぇ……怖いよぉ……ソウルあたしの味方だよね? 絶対あたしの味方だよねぇ? ブラックスターも怖いんだもん……怒っちゃやだぁ……!」
                 げほげほげほげほ。マカの呼吸が変になっていた。オレは背中を摩ったり叩いたりしながら、呼吸を調整してやる。任せろ、お前のサポートならオレが世界で一番上手い。
                 「……マカ、共鳴やろう」
                 「ほへぇ?」
                 「言葉でどうこう言うより、オレたちにはお似合いだろ?」
                 「――――――うん、いいよぅ……やろぉ……」
                 震えの止らないマカの身体を支えながら、ベッドから降りた。……やろう。魂を一つに重ね合わせる、オレたちの儀式を。そんで、感じたい。マカの魂を。お前の魂に宿る、歪みも照れもない親愛を。
                 自分の体が溶けてゆく。凶悪な刃を携えた大鎌に変化してゆく。いつもの白い手袋の上でなく、マカの素手の中で。
                 『魂の、共鳴……っ』
                 ああ、そうだ。お前はいつもそうだ。オレのつまんない拘りとか小さな棘とか取るに足らないコンプレックスをみーんな綺麗に溶かしてしまう。お前の笑顔一発で、あんなにへこんで醜悪だった脳みその中が綺麗に普通のオレに戻る。
                 「……不思議……頭ン中こんなごちゃごちゃなのに、なんか、魔女狩りでも撃てそう……」
                 涙と鼻水で、オレのお世辞でも綺麗とは言えないなさけない笑顔でマカが笑った。……うん、お前はやっぱり泣いてるより笑ってる方が似合ってる。


                18マカ

                 「そりゃそうだ。お前の精神の調整は世界広しと言えどオレしか出来ない……だろ?」
                 「だってあたし、こんなに波長乱れてるのに」
                 「……お前、自分のパートナー信じろよ。マカがどんなにワケ解んなくなっても、どこにでも助けに行ってやる。……それが例え、狂気の世界でも」
                 「……うん……!」
                 力強いソウルの言葉に、あたしは涙が全部吹き飛ぶような気がした。凄く嬉しい。すごくすごく、うれしい。
                 「ありがと、ソウル」
                 鎌の柄にキスをした。コレはおまじない。あたしとソウルのおまじない。願うことは一つ。一緒に強くなろう。誰よりも誰よりも、強く、強く!世界最強の武器と職人に!
                 鎌がギラリと輝いて、ソウルの形が変化する。白い髪にだるそうな目、ちょっと猫背で大きな手。
                 「〜〜〜っ!……だから、そういうことすんなって!」
                 紅い顔のソウルがつまらなさそうな振りをしてジャージのポケットに両手を突っ込んだ。……うふふ。その癖って、恥ずかしい時の癖だよね。知ってるよ。
                 「んじゃあ、もっかい」
                 ちゅっと思ったより大きな音がしちゃった。……へへ。
                 「〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっ!?」
                 右の頬っぺたを押さえながら、ソウルがこの世のものとは思えないような凄い形相でこっちを見た。あはは、真っ赤だ。真っ赤だよソウル。
                 「さっきのは感謝のキス。……これは、親愛のキス。 いまはこんくらいで我慢しといて? もうちょっと、なんつーか、あたしが大人になったら……」
                 そこまで言ったと思ったら、体が浮いた。ひょいって、何の苦労もなくソウルがあたしの身体を抱き上げたのだ。
                 「えええええええええ!?」
                 抗議の声を上げた時にはベッドに押し倒されて、あたしの身体にソウルが覆いかぶさっている。……あの、えと、ちょっとソウルさん!?
                 「お前は男を舐めている。つーかオレを甘く見ている」
                 そんなことないわよ!全然そんなことないわよ!……という言葉がソウルの謎の迫力に押されて口から出ない。
                 「マカを好きにするなんてオレには簡単なことなんだぞ? 何だよこんな細い手首。どんな凄腕だって女は本気出した男には敵わないんだよ。悔しかったら押し返して跳ね飛ばしてみ? 出来ねぇだろ? そういう風に出来てんだよ。わかるか? コレが現実なの。
                 だからオレの欲望をみだりに煽るのマジ禁止。普通にしろ。いつもどおり元気で脳天気なマカちゃんで居ろ。あと、ちょっとでいいからオレに対して危機感持て。オレを男だときちんと認識しろ。そういうのから逃げるな。そいから、ミニはやめろ。ズボン穿け」
                 どんどん早口になっていくソウルの目の奥に、怖がりのソウルを見た気がした。こいつは怖いんだ。欲望は狂気を産むから……暗い波長に囚われるみたいで、怖いんだ。
                 「やだねっ」
                 ソウルがぎょっとしたみたいに目を大きく見開いた。そう、それよ。見開いて、自分の目で見て。見たいものだけじゃなくて、目の前にあるものをちゃんと見て。
                 「あたしアンタのモンじゃないわ!いいじゃん、カワイイからミニ好きなんだもん」
                 「〜〜〜っ!……ほらな、オレの言うことちっとも聞きゃしねぇ」
                 眉を思いっきり顰めたソウルが苦々しい声を絞り出す。……うん、それ、その顔。それがいつものソウル。
                 「聞いてるわよ。ちゃんと、ソウルのこと男だと思ってる。……自分のことあんま女だと思ってないけどさ、それもちゃんと改めるようにするよ。
                 だから一応三人で暮らしてる共同スペースでああいう事は止めて。今後一切止めて。自分の部屋で鍵掛けてみんな寝静まってから人知れずして頂戴。……いいわね?」
                 「うっ……はい、自重します……」
                 「あと!」
                 「あん?」
                 「……は、はやくあたしの上からどいて。さ、さっきからお腹んとこになんか当たってて……気持ち悪い!」
                 ようやく自分のペースに巻き込めて、ソウルが正気に戻ったのを確認したら……やっぱ我慢できなくなっちゃった。やっぱやだよこれ、気持ち悪い!


                19ソウルと、マカ

                 ドキドキ、ドキドキ。そりゃするよ、せいでか。
                 口先で怒ってるマカの顔が赤くてスゲー色っぽい。二つくくりの髪が乱れて肌に何房か張り付いている。マカの汗の匂いがして、なんともいえないむずがゆい気持ち。
                 「ご、ごめん」
                 「謝るのはいいからはやくどけっつってんのよ!」
                 「い、いや、そういう意味でなく……なぁ、マカ……ヤダとか言うなよ、頼むから言うなよ……」
                 マカの手を片方だけ押さえて口をつけた。……もちろんマカの唇に。やわらかくて熱くて、甘い味がした。マカの好きなミルク飴の味。いつも宿題しながら食べてるあの飴の甘ったるい味。
                 離すのが惜しくて惜しくて、何度も何度も角度を変えて滑るように唇をこすりつける。舌で緊張するマカの唇を押し広げて歯や舌を幾度も舐めた。
                 「んぷっ……んあぁっ……!!」
                 唇が開くとマカの間延びした間抜けな抗議の吃音が聞こえて、何故だかオレは非常にエレクトする。……んだ、オレ、実はサドだったのか。知らんかった。
                 プルプル小刻みに震えるマカの肩をぐっと抱き寄せて、襟の後ろに手を回す。ああ、ドキドキ、ドキドキ。なんたる至福。なんたる満足。
                 ちゅくちゅくちゅくちゅく小鳥が餌を啄ばむみたいにマカの唇を堪能して、そうっと顔を離した。マカの口とオレの口によだれの釣り糸が架かっていて、途切れない。
                 ぞわぞわぞわぁ〜と背筋に意味不明の悪寒だか快感だかなんだかが走った。実に心地よいそれは、悪魔の呪文みたいにオレを離さないでおかしくする。
                 「っはぁ、はぁ、はぁ、はぁ……!」
                 マカの息切れさえもすげえエロく思えちゃって、イヤ実際エロいんだけど、畜生なんかワケわかんなくなってきた!
                 「マカ、もうゴメン止まんねぇ。悪い、ごめん、早く逃げろ。オレを殴れ、このままじっとしてるともうなんか……全部すんぞ!?」
                 みっともない逆切れだ。でも言いたかないけどそんな気分。何されるがままになってんだよ、お前そんなキャラじゃないだろうが。
                 「……いいよもう、一回しちゃったら二度も三度も変わんないじゃん」
                 「き、キスだけじゃないぞ? 全部だぞ? 意味わかって返事しろよ?」
                 「やれるもんならやってみれば。どーせソウルにそんな度胸あるわけないし」
                 フン、と鼻を鳴らしたいつにも増して生意気さ満点のマカが嘯いた。
                 「あっ、テメェ、こういう場で言っちゃいけない事を言っちまいやがったな、よーし覚悟しろよ、すんげえことしてやるからな」
                 「いいよ。やってみ。ただし、パパはもちろんクラス中に言い触らすから。ソウルにエッチなことされたってみーんなに言い触らすっ!! そしたらアンタは死武専に居る間中ずーッと女子から村八分よ!それでもいいって言うならおやりなさいな。おら、どうしたの? やったんさいよスンゲェことってのを」
                 …………神よ……神よ……死神さまよ……弱いね、弱いね、オレって弱いね…………!
                 のろのろマカの体の暖かさと柔らかさに後ろ髪引かれながら退いて、すごすごベッドの端に腰掛けた。
                 「……ほら。意気地なし」
                 「だああぁぁーっ!お前はどうしたいんだよ!煽ったり拒否したり!」
                 「アンタこそどっちなのよ!無理やりでもしたいの!? あたしがイヤって言えばずーっと我慢してんの!? なんなのワケわかんない!」
                 マカが怒鳴る。あーお前、そういう態度に出るかフツー!? あんだよその上から目線!ムカつく!!
                 「してるよ!ずーっと我慢してる!今までだってそうしてきただろ!? 今日だってオレが行動起こして初めてお前気付いたんじゃねぇか!」
                 もうこうなったらブチマケてやる!もう知るか!ああもう知るか知るか知るかぁぁぁ!!!
                 「舐めてんなよ!知ってたわよ!伊達にあんたの職人やってんじゃない!エロいこと考えてんのも知ってたよ!知ってたけど!……ソウルが隠してるから、知らん振りしとかないと……アンタが可哀想じゃん……!」
                 驚愕の事実。うひゃあもうなんか目も当てらんねぇってこういうこと言うんだな。もうなんだこりゃなんだこりゃ。氷水を頭からぶっ掛けられたみたいにヤケクソになってた頭の中の熱がスーッと引いて、急にゾクゾク寒気がしてきた。上から目線はオレの方でしたー!
                 「アンタつまんないことですぐ凹むし……ソウルがあたしが泣くのヤなのと一緒だよ。あたしだって、ソウルが凹むのヤだ」
                 魂の共鳴は頭の中を見ることじゃない。心を通わすだけの、特別だけど単なる手段でしかない。人の心は解らない。自分の考えがそのまま伝わることなんかない。
                 「今、勢いでエッチしたらソウル絶対死ぬほど凹むよ。わかるもん。
                 でもね、へんなの。あたし、それでもソウルにちょっとでも触られるだけで動けなくなるくらいすっごいドキドキすんの……でもそんなの……ひどい……」
                 だから、やっぱり地道にこつこつ言葉を捜して、単語を選んで、自分で考えて、伝えるしかない。下手でも、惨めでも、失敗しても。


                20マカと、ソウル

                 あたしワガママだ。あたし馬鹿だ。あたし意味わかんない。あたしどうすればいいの?
                 「――――――――――――死ぬほど凹んでもいい。でもマカが泣いてもいいなんてオレはどうしても思えない。
                 そんなの全然気持ちよくねーし、意味ねェ。オレの事なんかどうでもいい。一生我慢しろって言うなら、我慢する。デスサイズになるまで我慢しろって言うなら我慢する。大人になるまで我慢しろって言うなら、我慢するから…………嫌いになったりしないでくれたら、嬉しい……」
                 ソウルがやっとのことで長い長い言葉を言い終えた。それはあたしにとってとても重たくて、苦しくて、痛々しいことだった。
                 「我慢より、一言、言ってくれればいいの。オレはこうしたい、って、意思を伝えてくれなきゃ、わかんないよ……」
                 だってそうでしょう。あんた一人の我慢で世界が上手く行くわけない。そんなの思いあがりだわ。あたしのこと大切にしてるつもりで、結局無視してるんじゃん。
                 「……マカのこと大事にしたい。……でもマカにも触りたくて……自分でもどーしたらいいのか全然わかんねぇよ……」
                 泣いてるみたいなしわがれ声が覆われた口元から篭って聞こえる。ねぇソウル、あたし達ってほんと子供だよね。こんな簡単な事だって七転八倒しなきゃ乗り越えられない。自分の身体と心が上手く繋がらなくて、ずっと一人ぼっちみたいで寂しいんだよね。だからあたしのこと引き寄せたりしたんでしょう? あたしのこと放したくないんでしょう?
                 「……じゃあね、こうしよう。今日一緒に寝るの。ちゃんとパジャマ着て、キスも抱きしめたりもしないで、普通に、手をつないで一緒のベッドで寝るの。
                 このアパート来てすぐ、まだパートナーになりたてだった頃にあたしホームシックですっごい泣いてさ、そん時ソウルが添い寝してくれたじゃん。あれみたいに。
                 ……寂しくない、一緒にいるよって、そんだけで……だめかな?」
                 精一杯、精一杯。これが今の精一杯。ホントにコレがベストなのかどうなのか、あたしにはちっとも解らない。ソウルはもっとエッチな気持ちになっちゃうのかもしれないし、それですごく苦しむのかもしれない。……でも、今ソウルが一人になったらきっと……崩れ落ちちゃう気がする。自己嫌悪で焼け焦げちゃう気がする。
                 「ダメだ、そんなことしたら、オレ、ホントにお前のこと……!」
                 「大丈夫!絶対大丈夫!信じてるもん」
                 「か、軽々しく信じてるなんて言うな!オレは男なんだぞ!さっきだってお前のこと押し倒して証明したじゃねぇか!!」
                 「でも今してない。あたしソウルに犯されてない!……軽々しくなんて言ってないよ。あたしはソウルを信じてる。アンタは人を傷付けたりしない」
                 「……でもしたいんだよ!」
                 「負けるなよっ!欲に負けるな!そんなのあんたの本心じゃない!絶対に違う!戦え!あたしがついてる!」
                 「苦しくて……やなんだ……」
                 「だから一緒にいるんでしょ。あたしだってソウルが居なくて一人ぼっちなんてヤだよ。苦しくて悲しいよ。だから、頑張ってよ……」
                 心の奥に大雑把に詰め込んで無視する我慢じゃなくて、ちゃんと整理して理性で制御する形で自制して欲しい。そうじゃなきゃきっといつか綻びがやってくる。あたしは知っている。パパとママが上手く行かなくなったのはそういうことだって、嫌と言うほど知っている。
                 「上手くいかないことは一緒に考えよう。一人で溜め込んだりしないで……何のために一緒にいるのかわかんないじゃない」
                 「…………ぜったい、手ぇ、離さない?」
                 「あたし寝相ひどくて蹴っちゃうかも知んないけど……離さない。努力する」
                 「………………そういうの普通、男が言うもんだよな」
                 「いいじゃん別に。他人の形なんてどうだっていいでしょ。大切なのは――――――」
                 「自分の魂……です」

                 朝起きたら隣にマカが寝ててとんでもなく驚いた。一瞬何がなんだかわからなくてパニクったけど、自分の左手が温かくて妙に思って引っ張り上げたら思い出した。オレの手には力が篭ってないのに、マカの手はきちんとオレに繋がっている。
                 「……すげえ根性」
                 くすぐったくて照れくさくて、オレはもう一度ベッドに伏した。マカの匂いがする。暖かくていい気持ち。不安も恐怖も何も感じない。ただただ、幸福。
                 でも、もう多分今までのオレたちには戻れない。バカやって知らん顔して我慢してたあの「普通」はもう取り返せない。昨日まで普通を潰すやつは馬鹿だと思ってた。いつまでも今までと同じことが続くことこそ平和なんだと思ってた。今は違う。普通って、今までをぶっ潰して新しいもんをどんどん重ねていくことで作られていくって実感したから。
                 普通って、結構意外なモンで出来ていたんだなぁ。
                 「――――――オレ、頑張ってデスサイズになるからさ、そしたら……」
                 そしたら、その時こそしようぜ。とびっきりCOOLで最高の……神様も知らないような、オレたちの普通を。



                23:02 2008/10/19 改編17:25 2008/10/21

                 


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