オーバーフロー
万辞苑の憂鬱
トランスしてるとき、どんな物見るんだ?
……馬鹿ね、トランスしてんだから覚えてるわけないじゃない。
ウェッヘッヘッへ、素っ気ないな。
悪いけどアンタの相手してる暇ないの、あっち行っててくんない。
たまには息抜きしねぇと頭割れちまうぞー
「息入れ」した事もないくせにわかったふうな口利くんじゃないの!
……こェえな。そんなおこんなよー
「……変な夢……」
僕は布団から這い出して、鏡を見た。髪はボサボサでどんよりと曇った顔をしている。朝はいつもこうだ。別に低血圧ってんでもないんだけどな。
髪を梳かしながら次第に覚めてくる意識がまだ沈んでいる。
こんなのいつもじゃないか。
鏡に映る自分の顔がしかめっ面になっている。
「……アンナさんは強いよな」
僕なんてもう一週間経つっていうのに、朝日に吸い込まれて見えなくなった葉君の後ろ姿がまだ忘れられないよ。
学校でもアンナさんはいつも通りに、普通に授業を受けている。
それを見る度に僕はしっかりしなくては、と自分を叱咤するけれども、なかなか上手くはいかない。
朝起きると、つい最近まで感じていた学校に行く事が楽しかった感じが、束になって僕にのし掛かってくる。ぼんやりと風景を見ていても、振り返ったら葉君が後ろにいそうな気がして振り返って。……でも当然居るわけなくてさ。…その度に付くため息に疲れるよ。
『バカね、あの薄らぼんやりした葉が聞いたら笑われるわよ』
アンナさんはそんな風に僕のことを笑ったけど、アンナさんはどうなんだろ?
葉君が居なくなって淋しくないはずがないのに。
……多分僕より淋しいと思う
誰より長い時間一緒にいたんだから
あの日、アンナさんは葉君の見送りには来なかった。
葉君は「朝早くに起こすと怒られるから書き置きだけしてきた」って言ってた。僕はアンナさんは多分起きられなかったんだと思うよ、と言った。
葉君は照れたように「疲れてんだろ」と口ごもりながら笑ってた。
そうだ。多分あの日、アンナさんは起きられなかった。
起きて、見送るのが怖かったんだ。
殴ってでも止めてしまいそうな自分が怖かったんだ。
だから起きることが出来なかったんだと思う。
あの日、僕はもう諦めてしまっていたけれど(葉君が決めたことだし、僕にはどうしようもない事だからね)、アンナさんはあきらめが心の底でつかなかったんじゃないかな。
頭では解ってても心が付いていかないって言うか。
……その気持ちはよく分かる。
僕がもっと脳天気でいつもギャグを飛ばしてるような性格だったら、アンナさんに「大丈夫、アンナさん口寄せできるじゃん」とか……言ったら殺されるなこれ……
自分の性格を恨むよ。
時計を見たら7:30。もうそろそろ家を出なくちゃ間に合わない。
一週間ほど前までは7:30には学校に着いていたのに。
制服を着込んで朝食も食べずに僕は家を出る。
嫌でも行かないわけには行かない学校。
永遠に続くような日常。
彼の居ない毎日。
目が覚めて、彼の居ない空気を吸い込まなくてはいけないアンナさんはどんな気持ちなんだろう。
葉君を追いかけてこのふんばりヶ丘に来た同級生。
葉君の許嫁。イタコのシャーマン。強くてしっかりしてて揺るがない信念の象徴みたいな人。
おまけに手が早くて口が悪くて自分にも他人にも厳しくて気が強くて誰より……誰より葉君のことが好きな女の子。
『葉を信じて待ってる。』
『あたしは葉のこと愛してる』
……………………………………………僕だって
葉君のこと信じてるよ
…愛してないけど。
……でもアンナさんみたいに物事を無条件に受け入れられるほど僕は強くない。
友達の生死も判らない時間を長く耐えていられるほど我慢強くない。
だから待てない。
僕は追いかけていく。
どこまでも食い付いて離れない。
……葉君はあんな調子のフワフワした人だから、いつか僕の目の前からフッと消えそうだ。
だからずっと見てないと不安だよ。
……アンナさんも、だから追いかけてきたんだろ?
信じてるけど、不安なんだろ?
僕は知ってるよ。葉君がいなくなって、君はよく薄くて小さな溜め息を付くようになった。ぼんやりと外を眺めている時間も多くなったし、なによりあまり喋らなくなった。
ぼくはそんなアンナさんをみてると切なくなるよ。
葉君が居ないことを嫌でも再確認してしまうから。
……ぼんやりフワフワしたユルイ奴なのに、こんなにみんなの中に居るんだ。
すごいヤツだよ。
少し悔しい。君と出会う前の僕はまるで抜け殻だった。中身の入っていないぬいぐるみだった。辛くても嫌でも黙っていた。言われたことを言われた通りにしてた。そうしてりゃ安心だったからね。
でも君と会って不安を知ったよ。
不安だって付き合いようによっちゃ楽しいことを思い出したよ。
だから悔しい。じゃあいままでの僕に何の意味があったんだ?
足を止めると、自分の教室に着いていた。習慣というのは恐ろしい。考え事をしていてもちゃんと自分の席までこれるんだから。
「アンナさん、おはよう」
僕は挨拶をする。ぼんやりと窓の外の空を眺める女の子に挨拶をする。
「おはようまん太」
女の子は挨拶をする。ぼんやりと窓の外の空を眺めたまま挨拶をする。
「…元気ないね。」
「……元気よ」
素っ気なく返ってくる言葉が僕の身体をすり抜けたみたいだった。
僕は肩を落として自分の席に着く。ぼんやりと教科書を出してのろのろと1時間目の用意をした。
……葉君に出会う前の僕は……抜け殻だった。
葉君に会えないアンナさんも僕も、抜け殻みたいだよ。
0:05 01/05/11
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