月が笑う(鬱.Ver)
音成久子と一堂零
その関係は14の時からのもので、すっかり4年も経ってしまった。
「最近機嫌いいわねえ」
「そっそうか?そんなことはないのだ」
小さい頃から、土曜日になるとどちらかがどちらかの布団にもぐりこんでいて、日曜日の朝早くからやってる特撮ものを一緒に見るのが習慣だった。
「何か楽しいことあったんでしょ、白状なさい!」
「こっこらチャコなにするのだ手をはなしぇ!」
「きゃはは『はなしぇ』だって、鈍ちゃんみたい」
けらけら笑ってる自分をどこか遠くで自分が見ていた。
このままこいつが変わっていくのを見続けなきゃなんないのか、と。
小さな頃、暴力を受けた。
その暴力は小さなあたしには受け入れられなかった。
親が離婚して引っ越して、今の家に越してきたのが13歳の頃だ。
学校にはほとんど行かずに、公園や家の前でうずくまって地面に絵を書いていた。
ある日同じ場所に行くと昨日描いた絵に付けたしみたく、へたくそなロボットが描かれていた。そのロボットは言葉を喋り「なにものだ なをなのれ」と言った。
あたしは小さく、チャコ、と書いてその隣に「そういうおまえ 名はなんという」と書いた。遠目で見ると、スカートをはいた女の子の隣にいびつなロボットがいて、話をしていた。
あたしは初めて友達を作った。
地面での文通が一週間もする頃、返事を書いていたあたしの背中から声がした。
「なかなかうまいのだ」
振り返ってみるとくせっ毛の男の子がいた。そいつは白墨を握り締めていて、直感的にコイツだと思った。
「お前、隣に越してきたやつだろ」
あっけに取られるあたしを尻目に、返事も聞かず握り締めた白墨で地面に「学校行かないのか」と書いた。
「がっこうきらい」
「わたしもきらいだ」
「おとこのくせにわたしだなんてへんなの」
「へんじゃないのだ」
「へん」
「へんじゃない」
「へん」
「へんてなんだ?」
あたしは返事を書けなかった。
公園から家に帰る途中、話をした。
「あんたん家、お母さん見ないね」
「5年位前に死んだのだ」
「へぇ…あたしん家は父ちゃん居ないよ。……死んでないけど」
「弟がいるんだろ?」
「あんたん家は妹」
「そっくり逆なのだ」
「あんたは学校行くけどあたし行かないし」
「でもどっちにも友達いないのだ」
「…学校行っても友達居ないの?」
「中学に行ったら出来ることを祈るよ」
「ふうん」
「チャコは学校行かないのか?」
「行かない。友達いないし、勉強きらい」
「わたしも勉強はきらいだけど学校に行くのだ。
学校は面白いのだ、いろんな人がいる。友達になれなくても見てるだけで楽しいのだ」
それに、と彼は続けた。
「友達ならわたしがいるじゃないか」
その日、わたしには友達が二人になった。
へたくそなロボットと、零。
零とはいろんな遊びをした。
声を上げて笑った。
零は強いと思った。あたしは父ちゃんに会えるけど、零はお母さんにもう絶対会えない。
目の前で母ちゃんが死んだら、あたしはきっと泣くだろう。泣いて、ないて、その後が思いつかない。
「ねえ零、あんたお母さん居なくて寂しくない?」
その時あたしには母ちゃんと健一が世界の全てだったから、零がことさら不憫に思えて、平気な顔をしている零が分からなかった。
しばらく返事が返ってこなくて、顔を覗き込むとちょっと困った顔をして「寂しいよ」と言った。
その顔がちゃんと笑っていたので、あたしは零に言った。
「いっつも笑ってて、バカなことばっかやってて、お父さんに怒られてて、そんで、そんで、あんた泣きもしないの?
バカじゃないの?泣きゃいいじゃん、黙っててあげるよ、泣きなよ。」
そう言っても、零はやっぱり困った顔をしながら笑ってた。
本当にバカな奴だと思った。
周りばっかり気にして、自分にやさしくしないバカなヤツだ。
目を覚ますともうすっかり真夜中で、カーテンも閉めずに寝ていたもんだから満月の明かりが眩しかった。
隣で寝ている零がいつものようにあたしの手を握ってイビキをかいている。
この関係の始まりがいつだったか覚えてはいない。ただ、零と寝るようになってあたしは学校へ行くようになった。高校へもなんとか進学した。
自分の後ろにぽっかり空いた空間を、零はあっという間に埋めてしまった。
でもこの空間に零を閉じ込めることは出来ないだろうと、漠然と理解している自分もいた。
零は手を引いてここまで連れてってくれた。あとは自分でなんとかするしかない。
「結局あんた、最後まであたしに泣き顔見せてくんなかったね」
頬を撫でる。にやけた顔。あの女の子の夢でも見てるのだろう。
「……あたしもそろそろ、自立しなきゃねぇー……」
呟いて月を仰ぎ見る。
月がにゃははは、と笑ったような気がした。
朝早くに電話が鳴って、あたしは飛び起きた。電話の主が分かってたからだ。
「どうしたのだチャコ、夜のうちに帰ったのか?」
「別に。なんでもないわよ。ただ夜に目が覚めたらあんたのしまりない顔があったんで呆れて帰っただけ」
寝ぼけたままの声で返す。
「いつもは無理に起こしてでもTV見ようと言うくせに横に居ないから驚いたのだ」
相変わらず面倒見のいいことだ、これがちっとも社交辞令じゃないのだからすごい。
「たまには一人で見るのもいいもんよ。
……あたしもそろそろ零から一人立ちしなきゃね」
そう言うと、電話の向こう側は少し長く黙ってしまった。
「そうか、じゃあわたしもチャコから一人立ちするのだ。」
優しい声が聞こえて、最後にすまない、とあのバカが言った。
「ばか、謝るくらいなら感謝しなさいよ」
あたしはそう言って電話を切った。最後の言葉を聞かずに切った。
外に出るともう日は昇り始めていて、手をかざして太陽を見上げると、まるで太陽より遠くに月が出ていた。
相変わらず月は笑っていた。
次の日曜日、一人で悪の組織に立ち向かう5人のカラフルな戦士を見て、泣いた。
あたしの初めての友達は、5人の力が合わさった時にだけ現れるロボットによく似ていた。
零を想って泣いたのはそれが最初で最後だった。
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