倒錯と寛容
ラム×あたる
目が覚めたら目の前におれがいた。
頭痛がした。
眉間に指を当てた。長い爪が眉間に食い込む。
長い髪が背中をすべるのが気色悪い。
とりあえずおれを正座させた。
キッチリ膝をそろえて座るおれがへらへら笑っている。
「で、原因はなんだ。薬品の爆発か、機械の暴走か、亜空間のねじれか」
「ゆめだっちゃ」
………………。
「あははははそりゃいいや、夢か!」
「そう!夢だっちゃ。コレは夢だっちゃよ!」
「……んなわけあるか」
目の前の笑い顔が固まる。たらりと流れる汗ひと筋。
「あんまり深く考えないほうがいいっちゃ。」
「お前はこの状況で考え込まないでいつ物を考えるんだ?」
もう大抵のことでは驚かなくなってきた。自分が不感症になったような気さえしてくるんだからおれも相当のん気なもんだ。
「治るんだろうな?」
「びょ、病気じゃないっちゃ…」
引きつり笑いが乾いているのを見ないフリをする。毎度のことだからもう怒る気も尽きた。この女(今は男か…)と付きあっとると嫌でも根性が座ってくる。不条理なトレーニングといった感じだが。
「…何のためにこんなことせにゃならんのじゃ?」
「えっちするっちゃ。」
ぶ。
「……ぅアホかおまえは!」
「感覚が違ったらきっとおもしろいっちゃ。」
襲い来る男の腕の力。あっという間に押し倒される。
「絶対に敵わないっちゃ、うちがどんなに押し返したってダーリンの力には敵わないっちゃ。だから観念するっちゃ」
男がそういって笑った。
おれは背中がそそけたった。
「まままままて!なんだその、お前それだけのためにこんな大事引き起こしてんのか!?学校はそもそもどうすんだ!?このまま行けとでもいうのか!?」
「一回やったら気が済むっちゃ、だから観念するっちゃよ、ダーリン」
「学校!学校に行かねば!な?遅刻すると温泉マークがまたうるさいぞ?な?早く学校に行こう!それがいい!な!な!?」
ふっと押さえつけられる力が軽くなる。目の前の男がふふんと笑う。
「いいっちゃよ。その体で行けるもんなら行ってみるっちゃ。」
★☆★☆★☆★☆
くそっ、なんでこうセーラー服ってのは動きにくいんじゃ。着るのも一苦労だぜ。脇からチャックがあったり胸のところの三角の布だって肌にあたって痛い。
「ねーダーリン、タイが曲がってるっちゃ」
「ええい触るな!ほかの連中が見たらいらん誤解を招く!」
「ところでなんで地面歩いてるっちゃ?」
「飛び方なんか判らんし、第一!お前を置いていったら何をしでかすか判らんからな。今日は一日おとなしくして、絶対俺の目の届く範囲に居ろよ」
「あーん、ダーリンったら独占欲け!?うち嬉しい!」
「くっつくなっちゅーのに!!」
「でも心配いらないっちゃ。どうせダーリンは今日一日、うちから離れることは不可能だっちゃ。」
「…なんだそりゃ。」
「離れてみればわかるっちゃよ」
ラム…いまは俺だが…がにひっといった顔で笑う。
「試しに離れてみればいいっちゃ」
…あの笑い方が気になるな…なんぞ仕掛けやがったか…
「いきなり電撃が走るとか、そういうんじゃなかろうな?」
俺はそういいながらもじりじりとあとずさる。男の顔は笑ったまま。
「直接危害を加えたりしないっちゃ。そもそもうち今電撃なんかつかえるわけがないっちゃ」
「じゃあ一体……」
ぞく、背中から尻にかけて悪寒が走った。すさまじく鈍い、それでいて抜群に鳥肌の立つ、今まで感じたことのない悪寒。
「な、な、なわー!!?」
腹の中で何かが暴れている。鈍い振動。
「これ、なーんだ」
「やめ!やめ!やめー!やめろこらラム!やめ……ろ……」
「ダーリン、コレ好きだちゃね〜」
「あ、あ、あ、や、やめ…っ……」
「うちの苦しみ、味わうがいいっちゃ」
銀色のスイッチ。俺がいつも握っているスイッチ。表面から電力供給できる、ラムの星特製の、コードレスローター。
「てめ……おいラム!俺はこんなこと……外で…なんか、してな…っ」
「外に出たことはないっちゃ。でも昨日の夜からずーっと入れっぱなしだし、そもそも無理に外に出たのはダーリンだっちゃ。うち悪くないもーん」
「と、とにかく……止…止めろ…!…気分が悪くてかなわん……」
次第に振動が小さくなっていく。
「…………ぜー、ぜー、ぜー……」
「辛抱が足りないっちゃ。うちダーリンが我慢しろってゆーからずーっと朝まで入れっぱなして我慢してたのに」
腹の中にまだ振動が残っている感じ。気持ちが悪い。自分にあるはずのない内臓を揺さぶられる不快感。ちっとも気持ちよくなんかない。
「わ、悪かった、もう二度としない。だからそのスイッチよこせ」
「い・や・だよーん」
「このやろてめ!」
「そーれスイッチON!」
「あああ!あー…あー…くぅー……」
腹を抱えてうずくまりたくなる。蜂の羽音。内臓が内側から揺らされている感覚と脳がぶれる感覚が重なってはずれ、ずれては重なって発狂しそうだ。
「……そんなにキモチワルイっちゃ?うちでもそんなに気分悪くは……
あ、そーか。ダーリンもしかしてローター初めてけ?」
「あ、当たり前だろーが!経験あったらコワいわ!」
「じゃあ良くなくって当然だっちゃ。
……ねぇ、気持ちよくして欲しいっちゃ?」
目の前の男の目がすうっと細くなる。口の端を少し持ち上げて、にやり笑む。
「い、いらん!それよりスイッチをよこせ!」
「そんな口利いていいと思ってるっちゃ?」
ビィーン。蜂の羽音が内臓と脳髄を鈍く重くかき回す。
「ぎゃア、ア、ア、ア、ア…!」
「そんなに苦しいなら気持ちよくしてやるっちゃ、ダーリン」
ラムがあっという間に俺を抱えて、そのまま走り出した。
「わー!お前っ下ろせ!スイッチ切れ!どっちか一方にしろ!」
「さっすがダーリンの体だっちゃ!軽い!早い!」
俺の叫びなどお構いなしでラムがどんどんスピードをあげる。おれはもう仕方なくしがみついているしかなく、流れていくいろんな生徒の視線を避けるように自分の体に顔をうずめるしか動きようが無かった。
★☆★☆★☆★☆
廊下の下の掃除道具入れ。めったに人などこない上に、近くに音楽室がある関係で防音壁がこの中まで張り巡らされている。目の前には薄暗くてよく見えないが俺の体。自分の呼吸と鼓動が他人事(実際そうなんだが)のようだ。
ずっしりとラムの体に覆い被さる俺の体。内容が違っていればこんなにも感じ方が違うものだろうか。なんと男くさい。
するりと、閉じた足の間に“ラムの体”の足が割り入ってくる。
「な、な、な…」
ひざ小僧がゆっくりと“俺の体”の股間にあてがわれ、少し強く何度か揺すられた。
「ひぇっ…!?」
「そーゆーときは…あんって囁くっちゃ、ダーリン」
「お前、一体何する気だ?まままさかこんなところでやる気じゃあるまいな?だとしたらお前、相当狂ってるぞ!」
「…どうして?」
ちょっとからかうようにラムが笑う。ラムらしくない余裕のある笑み。その余裕さが逆に怖い。
「今日これからホームルームを経て、ずいぶん長い時間をこの学校で過ごさねばならんというのに、こんなところでお前にやられてたまるか!体力がどうとかこうとか、それ以前に今日はゴムも持ってねーし、それに、それに、それに!俺の初めてがこんな狭暗い掃除用具入れなんて!」
自分の口走った言葉に一番自分が驚く。
「フフ…ダーリンったらまるで女の子みたいなことを言うっちゃね…
大丈夫、時間もないしこんなところでダーリンの初めてを切る気はないっちゃ。
でも…ダーリンの口からそんなセリフが聞けるなんて感動だっちゃ…」
まるで囁くように耳元でかすかに元の自分の声が聞こえる。それだけで、この聞き分けのない体が、ぞくぞくと緊張する。
「あ、いやだ…やめろ、そんなこと…」
「そんなことって、どんな…?」
まるでくすくす笑っているかのよう。耳元で空気が振動する。…なんてこった、体中の血液が駆け巡る。頬が赤くなるのがわかる、まるでいつもなら急降下する血液が行き場所を無くして体中を旋回するかのようじゃないか!
“ラムの体”のひざ小僧が何度もねっとりとした動きで股間を上下に揺する。服と下着のかすかな凹凸がこすれ合って微妙な振動を作り出す。布ずれの音が必要以上に大きく聞こえてくる。
どきどきどきどき、鼓動が聞こえる。自分の鼓動が飛び出して世界を揺さぶっている…ああ気が狂いそう!
「ダーリンのここ…すごく熱いっちゃ…うちの足が燃えちゃいそう…」
無骨な遠慮の無い男の手が下着の上からゆっくりとなぞる。ぞくぞくぞく。
「ああぁ!?」
「んふふ…湿ってるっちゃ…ダーリンったら…」
「や、やめろぉ!触るな!やっめ…っ!」
指がゆっくり、ゆっくりと下着の上から丁寧になぞる。腰が砕けそうだ、なんという快感。女はいつもこんな快感を感じているというのか。なんちゅう不公平!レディファーストなんかくそ食らえだ!
「どうして?ダーリンのここなんか、制服の上からでもわかるくらい尖ってるっちゃよ?気持ちいいからこうなるっちゃ?」
きゅ、と音がするくらい胸の先端を摘まれた。あんまりに距離の離れた位置からの攻撃に声も出ない。のどの奥で空気が爆発する。
「なんかこうやってダーリン苛めるのって楽しいっちゃ…新しい悦びだっちゃ。」
そんなのんきな“俺の声”。
俺は既に声も出ない。体に巣食っている快感を感じる中枢に絡まる二匹の蛇が暴れまわって言うことを聞かない。
「お、お前だってガチガチになってんじゃねぇのか!?もうやめろよ!」
やっとのことで搾り出した平静のセリフ。伸ばした手が“ラムの体”の股間をまさぐる…が。
「な、な、なんだと!?」
この怒涛の攻撃を仕掛けといて自分は平静だと!?そんな馬鹿な!!
「ふっ…ダーリン甘いっちゃ!うちは今までぜんぜん気持ちよくなかったっちゃ!しかも触ってるのが自分の体だから興奮なんかしないっちゃ。うちはぜーんぜん平気だっちゃよー?」
「し、しまったぁ!!」
頭を抱えたと同時にチャイムが鳴る。ホームルーム前の予鈴。
た、助かった…
ほっと胸をなでおろす俺とは対照的に、ちっという顔の“ラムの体”。
「まぁ目的は達成したからここまでで勘弁してやるっちゃ」
★☆★☆★☆★☆
「おい諸星!!朝っぱらからどこいっとったんじゃい!」
「ラムに聞いてくれ…」
「?…どうしたラム、顔が赤いぞ」
温泉マークが怪訝そうな顔で俺を覗き込む。
「あはははは!ラムが気分悪いていうから保健室で休んでたっちゃ!」
ラムが俺の口を慌てて押さえて、そう返事をした。
『ダーリン、もし入れ替わってるのがバレたら大事になるっちゃ!』
小声でラムが耳打ちをする。
「あ…そ、そうか。
いやーそーなんだっちゃよ!朝から気分がすぐれなくってっちゃ!」
『ダーリン!なんだっちゃその変な言葉づかい!』
『ええいやかましい!耳元で怒鳴るな!』
「ん…むぅ、た、確かに調子が悪そうだな。
ラム、この時間は保健室で休んでてもかまわんぞ」
めずらしく温泉マークが気を使う。ちっ女生徒には甘いエロ教師め!
「だーいじょうぶだっ…よ!もしなんかあったら俺が抱えていくから!」
ヒュー!途端に教室中から声があがる。
「おい諸星!朝みたいにラムちゃん抱えて全速力で保健室連れてくのか?」
「なにぃ!?お前そんな破廉恥なことを朝っぱらから!!?」
「あ、あたしラムが下ろせって喚いてるの見たわ!」
教室中がざわざわさざめく。いろんな声がどんどん大きくなっていく。
ち、ちくしょう…こっちの状況も知らんと好き勝手いいやがって…
俺がたまりかねて怒鳴ろうとした数瞬前に、ラムが怒鳴った。
「俺たちは夫婦だぞ!ラムは俺のもんだ!抱きかかえて何が悪い!」
クラス全部が一瞬にして静まり返った。あまりのことに俺は呆けた。
「あ、あたるくんが…夫婦だなんて…」
しのぶが口火を切ってポロリとこぼした言葉でクラス全員(含む、俺)が、一気に正気に戻った。
「あ、あ…あーたーるー…お前ーーーーー」
メガネの目がギラリと獣のそれになったのを見て、とっさに俺はラムの口をふさいで大声を張り上げた。
「あー!あー!あー!
だ、ダーリンも実は調子が悪いっちゃ!!だから今言ったのは単なる寝言だっちゃ!!ぜーんぜんホントなんでもないっちゃ!!ちょっと頭がオカシイだけだっちゃ!いいちゃね!!今のは全然関係ないっちゃ!!誰も何も聞かなかったっちゃ!!」
一気に大声でまくし立てる。手のひらの向こうでラムが何かをもごもごと言っているがこの際無視!
「し、しかしラムさん…」
「終太郎も!いいちゃね!!?」
「は、はぁ…」
俺はその後はもう全く無言でラムを引っ張って無理やり席に着かせた。
「さー先生!とっととホームルームを始めるっちゃ!」
最初は怪訝そうな表情で俺とラムを見比べていたが、やがてため息一つ付いて何事も無かったかのようにホームルームを始めた。このときばかりは温泉マークの多少のことでは物怖じしない教育方針に感謝した。
★☆★☆★☆★☆
一時間目の数学。ざっと教科書に目を通す。なんということだ、大体のことが理解できる。教科書の縁に書いてある鬼族の文字まで読めてしまう。…こ、これはつまりラムの身体能力が全て手に入ったってことじゃないのか?ふっふっふ…こんどの期末はもらったな…
そんなバカなことを考えていると、隣から小さな紙片が飛んできた。開くと俺の字で何か書いてあった。相変わらずミミズののたくったような汚い字……あれ?
字だと認識は出来るのに、さっぱり読めない。確かに汚くて普通の人間には読めないだろうが、元は自分の字なんだ、読めないはずがないというのに何が書かれているのか理解できない。どういうことだ?
『もっときれいに書いて寄越せ!』
数分して、また紙片が飛んできた。今度はちゃんとした日本語だ。
“ダーリンのばか、もっと勉強するっちゃ、ぜんぜん理解できないっちゃ!”
ラムと俺と、脳みそごと取り替えたのか?身体能力はともかく、脳の構造まで全てそっくり取り替えたらしい。…待てよ、じゃあ一体何を取り替えたんだ?まさか魂だなんていうんじゃなかろうな。
『俺はほとんど完全に理解できるぞ!なんだこりゃ!』
『だって人格コピー機の故障でこうなったっちゃ』
『…こうってなんだよ。』
『だから、人格コピー機が壊れて人格入れ替え機になったっちゃ。』
『わかるように説明せい!』
『人格コピー機でダーリンをコピーしてコピーから本音を訊きだそーと思ったんだけど、どこをどーしたかうちまで巻き込まれたあげくにダーリンとうちの人格が入れ替わったっちゃ。不慮の事故だっちゃ。悪気はないっちゃ。』
『おい、待てこら』
『だ、大丈夫!今テンちゃんに頼んで修理に持ってってもらって…』
『どのくらいかかるんだ』
『…………………………早くて…二週間?』
「だー!!」
ざわっ
教室中が一気に俺のほうを向いた。
「ど、どうしたのかね、ラムくん」
数学教師が怯えるように俺に尋ねた。
「あはははははははははははは!
ちょっと気分が…発作、そう!発作なんですよ先生!気にしないでください、俺ちょっと保健室に連れて行きます!」
ラムがおれを隠すように大慌てで教室を飛び出した。
「すげぇ、抱っこじゃなくて小脇に抱えてったぞ…」
★☆★☆★☆★☆
「いかん。」
「そんなー。ほんとに気分悪いん…」
「いかんといったらいかん。」
「なんでだよ!ベッド空いてるんだろ!?」
「おぬしに貸すとベッドが淫水やけする」
ぶ。
「な、なななな……!?
なんちゅうことをゆーんじゃサクラさん!!」
「お主、諸星じゃろ?」
ぎくり。
「魂の色が腐りきっとる。ラムの魂の色ではないわ。何があったのかは知らぬが学生は勉強が本分。とっとと教室に戻るがよい」
鼻を木でくくったような物言いで、サクラさんは保健室のドアをビシャっと音を立てて強く閉めてしまった。
「な、何でバレたんだ?」
「バカでも分かるっちゃ」
物陰に隠れていたラムが顔を出し、呆れた声でそう言った。
「どーせうちの身体だからサクラが油断して触り放題!…とか思ってたんだっちゃ。ほんとーにその発想が情けないっちゃよ、うちは。」
「おまーが保健室に連れてきたんじゃろが!」
「あーくーまーでー、うちはあの場を取り繕う方便で保健室と言っただけで実際保健室まで来たのはダーリンだっちゃ。
バカやってないでとっとと教室に帰るっちゃ」
ぎゅ、と首根っこを捕まれてずるずると引っ張られる。
「しかしなんでバレたんだろ?変装なんか目じゃねーぞ、完全に入れ替わってんだからな。」
「当たり前だっちゃ。そのいやらしー目つきする魂なんてダーリンしか居ないっちゃ。レイでも見抜くっちゃ。」
「教室の連中はわからんかったぞ」
「サクラは霊感が強いから、あれだけダーリンの人格が露出してれば見抜けるに決まってるっちゃ。大人しくしてればバレなかったのに!」
「なんじゃ、お前いやに物事を穏便に進めようとしよるな?」
「ダーリンの為だっちゃ!」
「……俺?」
くるりとラムが振り向いて、鬼のような顔をして(いや実際鬼か)俺におどろおどろしい声で言った。
「今ダーリンはうちの身体に慣れてないっちゃ。電撃も出せなきゃ空も飛べない、フツーのただのかよわい女の子だっちゃ」
……かよわい…か…?
「そんなことがみんなにバレたらどーなるっちゃ?うちはダーリンみたいにハンマー振り回して終太郎やレイからダーリンを守るなんて出来ないっちゃ。
いま厄介ごとに巻き込まれるのは極力避けないと取り返しがつかないことになるっちゃ。ただでさえ人格が安定してない状態で強力なショックでも受けたりしたら……うう、かんがえたくないっちゃ……」
ゾー、という表情で胸を押さえるラムに、俺は恐る恐る訊いた。
「…ど、どうなるんだ……?」
「良くて誰かとまた人格が入れ替わりかねないっちゃ。……悪くて人格が崩壊するっちゃ。因みに人格が崩壊したらもう打つ手が……」
「……ない、の、か…?」
引きつり声で訊いた俺に返って来たのは、あっけらかんとした答えだった。
「ないっちゃ。万が一もとの肉体に人格が戻っても正常じゃないっちゃ。」
せ、正常じゃ…ない……?
「いわゆるくるくるぱー。になるっちゃ。」
…………………………く、くるくる……………………ギャワー!
「ちょっ、ちょ、ちょ、ちょ…」
「ちょ?……ちょっと待て?」
「ルァァムゥー!なんでそんな危ない機械をー!!
「い、今更そんなこと言っても始まらないっちゃよ!」
「…そ、そうだな……っておい!」
危うく納得しかけたところにふと重要なことを思い出す。
「お前、何でこんなことはじめたんだっけ?」
「ダーリンとえっちするためだっちゃ。」
「へぇ、お前、いっつもやってんのはえっちじゃないんか。」
「たまには趣を変えてダーリンを責めてみたかったっちゃ。」
「全部お前の責任じゃねぇか」
「……うふ。」
「…いい加減にィ――――――」
カチ。
「ぎゃ、ギャワー!」
★☆★☆★☆★☆
あいつの手にあのスイッチがある限り、俺は籠の中の鳥以下だ。ギリギリと歯軋りしたところで事態が好転するわけも無い。
なんとかあのスイッチを取り戻せないものか。あのスイッチ、あのスイッチ、あのスイッチだ…アレさえなんとかなれば………スイッチ?
スイッチ[switch]
(名詞)電流を通したり止めたり、切り替えたりする装置。開閉器。点滅器。
………………………………ふっ……この俺としたことが……
スイッチ!すなわち機械のオンオフを司るポイント!任意の機械が効力を発揮できない状況下に置いてはその存在は無力!
……ふっふっふっふっ…さすが脳を操る人格が冴えとると違うな…発想が…
あの忌まわしいコードレスローターさえ我が体内から排斥すれば勝ったも同然!何に!?あの憎く輝く太陽に!わははははー!
……いざ往かん、禁断の花園へと!
「ダーリン。何をそんなにギラギラした目をしてるっちゃ」
いつの間にやら俺の机の前で顔を半分だけ出し、じろりとラムが睨んでいた。
「え、やだーダーリンったらー!そんな目でうちを見ないでー!恥ずかしくってラムったら照れちゃうー」
「ダァリン。」
「……なんじゃい。」
「なに考えてるかうちはお見通しだっちゃよ。」
ぎくり。でも顔には出さない。こっちも必死だ。
「ほほぉ。では俺が何を考えとるか当ててみぃ。」
「女子トイレにいくつもりだっちゃ」
ぎょぎょぎょ。大当たり。身体は男でも女の感ってコワい。
「しかしこの格好で男子トイレにゃ入れまい。俺は小便がしたいんだよ。女はこんなにトイレが近いもんなのか?ちっとも我慢がきかん」
俺は急にそわそわと、まるで本当にトイレに行きたいような格好をする。咄嗟の言い訳とはいえ自分でもこの数枚舌には感心する。
「……ほんとーにトイレに行くだけ?その格好でノゾキなんかしよーもんなら……ノンストップでコレもんだっちゃよ」
キラリ、と銀のスイッチが袖元から顔をのぞかせる。あんな所に隠してやがったのか…まあそれもあと数分の寿命だがな、わはは。
「そんな余裕もスカトロ趣味もないわい。」
しばらく黙ってジーッと俺の表情を伺っていたラムが、重々しく言った。
「じ、実はうちもトイレに行きたいっちゃ……でもあの時以外に触ったことなんかないし、どーしよーか迷ってるっちゃ…」
うっすら青くなっている“元自分の顔”を見て、結構我慢してたな、というのは見当がついた。ここまで切羽詰ってりゃ俺の行動も見抜けまいて。
「よかろう、連れションと洒落込もうじゃねぇか」
★☆★☆★☆★☆
いいちゃ、くれぐれもくだらない事するんじゃないっちゃよ!
ああわかっとる。普通にいつもどーり個室ですりゃいいから。“いつも”みたくバキバキになっとらんからフツーに素直にすりゃ間違いないからな。
便所の前で手を振って、そそくさと男子トイレに消えてゆく自分の身体を見送り、にんまりと(いろんな意味で)笑み、くるりと向きを変える。
ふっふっふっふ……いざ桃源郷!
ばっと女子トイレのドアを開ける。おおっタイルがピンク色しとる!男子トイレの数倍きれいだなー…うっ…このニオイは一体……
なんとも言いがたい生臭いニオイ。香水の入り乱れたような、そこに生魚かなんかをぶち込んだような……う、う、う……鼻が曲がる……
俺は鼻を押さえながらあわてて個室に逃げ込んだ。が、逃げ込んだところでニオイから逃げられるわけも無く、口で息をするしかなかった。
「じょ、女子トイレはもっといーにおいがするもんだと思っていたが……現実って厳しいもんだな」
しかし女は良くこんなところで平気な顔して化粧なんか出来るもんだ、気分悪くなんないのか。
俺はそんな悪態をつきながらも、無意識にチャックを下ろそうとする手がすかっと空を切るのにはっと気づき、ゆっくりとスカートの中に手を差し込んだ。
ごくり。……な、なにを気遣うことがある、毎回やってることじゃないか。
まるで言い訳のようにそんなことを頭の中で自分に言い聞かせ、下着の両端をつまんで、するりと下にずらした。
「なっ……!」
下着はべったりとしており、透明で細い糸が緑の茂みから伸びていた。
どくん、どくん、どくん、どくん……!
自分の身体が言うことをきかない。一気に鼓動が激しくなった。ゆるりと茂みに指を持っていく。……ぬちゃり…
「ひぃ……っ」
い、いかん、声が……っ!
「…うっ……んぁ…」
声が出ちまう……!
「……いゃ…あ…ぁ……」
……にゅっちゅ、ぬゅっちゅ、ちゅ、くちゅ、にゅち……
やばい、やばい、指が止まらない。足に生暖かい筋が一本、つぅ、と流れた。自分の指紋さえ分かるほど敏感になっている。気持ちよくて止まらない。
「あぁ……く、くぅぅ……」
のどの奥から鼻先へ逃げてゆく自分の声が本当にラムの声なので、それにさえ興奮してしまう。ラムが必死で喘ぐのを我慢しているときの声。
こんなのまるで変態だ、女子トイレで、女の格好して、弄ってて、その上自分の声に興奮してるだなんて、重度の救いようが無い変態だ。
やめねば、やめねば、はやく止めねば……!
しかし指は一向に止まらない。じりじりスピードを上げながら、頂点を探している。さっきラムにつねられた右の胸のさきっちょがぐんぐん内側からブラを押し上げていてひどく痛痒い。……ああ、手がべたべただ……
そこでふと正気に戻る。指に、何か硬いものが当たったのだ。
「……!こ、これか!!?」
中指の先に、何か硬くて丸い物が触れ、するりと奥に入っていってしまった。
「!!!!」
ソレをつかんで取り出す前に、さらに奥の方に入っていってしまった。おれは顔面蒼白になって、あわててトイレットペーパーで太ももを拭き、手を拭き、下着を拭いて個室から飛び出した。
「〜っ〜〜〜〜!!」
★☆★☆★☆★☆
教室に飛び込んで辺りを見回したがラムが見当たらん。俺はますます顔面蒼白になって半泣きの顔をしながらラムのあの色の髪を探した。
「誰さがしてんだ、ラム」
ひょっこりと俺の後ろから頭一個分背の高い男が顔を出した。
「ぎょ、ぎょえー!お、俺が、俺が…俺……」
俺は半ばパニックになった自分の頭がその顔を見てようやく落ち着いてきた。
「ど、どうし…」
「ラムーもう俺の身体はダメだーとにかくだめなんだよー」
うわーんとそのまま泣き出した俺を、ラムは慌てて口をふさぎながら抱えて、猛ダッシュで教室から逃げ出した。
「ダーリン、一体何事だっちゃ急にトイレから飛び出してったかと思ったら泣き出してー」
ようやく人気のない階段最上階の踊り場で俺を壁に押し付けるようにしながらラムが俺を問い詰めようとした。
「うわーんもーダメだーあーんあーん」
俺はもう何がなんだかわからないまま泣き続けるしかない。
「泣いてちゃわかんないっちゃ!」
ラムががくがくと俺の体をゆすった。その振動にようやっと声を絞り出す。
「ト、トイレで、アレが、指に当たったから、と、取ろうとしたら、奥に」
俺はもう自分がどうなってしまうのか恐ろしくて、ラムの顔もろくに見られない。そういえばずきずきと痛むような気もしてきた。もし取れなくなって手術なんてことになったら……!そんなことばかりが頭をよぎる。
「……ああ、だいじょーぶだっちゃ」
ラムが気楽に笑って言った。
「女の体はそんなにヤワく出来てないっちゃ。あそこは感覚のある部分の方が少ないんだっちゃ。奥の方は感覚が薄くなってるから、ものすごい奥に入ったような感じがするけど大したことないっちゃ。ちゃーんと取り方だってあるからそんなに心配する必要ないっちゃよダーリン」
ぽんぽんと俺の頭をなでて、ラムがくいっと俺のあごを上げた。
「脳味噌まで女になった気分はどうだっちゃ?」
「さ、サイアクじゃい。き、急に女になったからったって、知識や経験がついてこなんだら、た、楽しむ暇もないわい」
「ふふ、うちは脳まで男になっていい気分だっちゃ。ダーリンがカワイくってたまらないっちゃよ」
いいながらラムが俺にキスをする。上から降ってくるキス。俺の初めてするキス。なんとも言いがたい不思議な感覚。大きな体に包まれてされるキスがこんなにも気持ちのいいものか。ぼんやりそんなことを考えて――――――
「ぐぐぐぐぐぐ……!」
「どうしたっちゃ?」
「腰が痛い!身体が反り返るまですんなお前は!」
「あは、ごめんちゃ。加減がわかんなくて…」
「……ん、まぁ、次から気ぃつけろ……」
ごほ、とひとつ咳払いをして背を向ける。いつものポーズが決まらない。
「ダーリン」
「あ……あんだよ」
「次って、また学校でしていいっちゃ?」
「……ぅあー!!?」
★☆★☆★☆★☆
俺…元の身体に戻ったら狂い死ぬんじゃないだろか…女の脳ってこわい……男だったら恥とか外聞とか気にしてストップかける所で平気でアクセル踏めるんだな……すごいけどすごくない……
一人でぶちぶちと机に突っ伏してふて腐れながら、それでも頭の中にラムの肩を掴んだ手の強さとか、かさっとしたくちびるとか、弾む鼓動とか、そんな記録がぐるぐるリピート再生される。う、う、う…人格がもたんぞこりゃ……
「ラムさん今日は一体どうしたというんです?」
ぐったりした顔の俺に向かって、本来の俺には絶対向けないようなそれはそれは上等の笑顔を少し歪ませて、心配そうに面堂が俺に話し掛けた。
「いつものラムさんらしくない、まるで別人のようだ」
ぎくり。嫌な汗が伝う。
「なななに馬鹿なこと言ってるっちゃ。そんなわけないっちゃ、単に調子が悪いだけだっちゃ」
「…可愛そうに…あのアホの諸星のせいで可憐な貴女のような方が怒鳴ったり泣いたりしなければならないなんて……
そんな貴女を見るのは男として心苦しい。僕に出来ることがあったらいつでもご相談ください。この面堂終太郎、命に代えてもあなたを守ってみせます」
男に口説かれるとゆーのは、はっきり言って恥ずかしい。男の立場として言わせて貰えればよくもまぁこんだけ恥ずかしげもなく真顔でそんな言葉が出てくるもんだと感心もするが、頭が女になってる今は……
びくん!
「ど、どうされました!?」
体が大きく跳ね上がった俺の肩を面堂が驚いて触れようとした。
「さっさわるな!
あっ、い…いや、触っちゃ、だめだっちゃ」
そう言い直してにっこり笑う。それでも自分の腰が椅子に落とせない。
「う、うちもしかしたら病気かもしれないし!また赤と緑のストライプなんて嫌でしょ?」
「え゛っ……!」
面堂が露骨に顔をしかめて、はっとしてその表情を平静に保つ。
「だ、だからっ、あんまり至近距離に近づかな…ぁぁ…っ」
もう面堂の表情になんか構ってられない。とにかく腹を抱えてうずくまりながら机に突っ伏している。
「ラムさん!?」
「しゅ、終太郎…お願いだから近づかないで…うち、うち…放ってて…」
もう半分涙目になりながらそう訴えると、面堂はしばらく訝しげに俺を見ていたが、急にはっとした表情になりそそくさと離れていった。
「す、すみません気を利かせませんで…どうかご自愛を」
机の上に真っ白のハンカチを置いて去っていく面堂を、危うくなんていい奴なんだと思いかけた。よく考えたらあいつが寄ってきたからこんなことになったんじゃねぇか!
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