梅干と布団
あたるとラム
学校から帰ってきたのが7時前。だらだら寄り道してたからまぁこんなもんだろう。部屋に帰ってドアを開けるとストーブの匂いとあったかい空気。ラムがコタツでうたた寝している。今日は母さんと父さんは出かけて帰ってくるのが遅いらしいので、夕飯は外で済ませてきた。コタツに入るとラムがようやく目を覚ました。
「ダーリン遅かったっちゃねー、うち待ちくたびれたっちゃ…」
「おー、飯食ってきたからな」
「だぁりん遅いっちゃ、うち待ちくたびれたっち…っひっく…」
「……待てラム、お前……」
はた、と気付いてコタツのうえの茶菓子を見る。梅昆布茶の茶うけに梅干。しかも殆ど空。
「……さ、最悪だなおい……」
「うちこんなに梅干食べたの初めてだっちゃ〜しあわせっちゃ〜」
ぬぁにが幸せだ、今からわが身に降りかかる高圧電流を想像すると今すぐ気を失いそうじゃ!……と言いかけて、ラムの様子がどうもおかしいのに気付いた。いつもならおれを見た途端に飛び掛ってきそうなものだが、目がとろんと潤んでいて顔も心なしか赤いような感じで、何より声にいまいち迫力が無い。
「…ラム、ちなみにこの壷に梅干はいくつ入っていた?」
漬物壷を模した小さな入れ物ではあるが、おれのこぶしほどの大きさはある。それがほぼ空にならんばかりなのだ。
「……んーと、半分くらい?わからんちゃ」
そう言ってにーっこりとご機嫌そうにけらけらラムが笑った。
…は、半分てお前…
「梅干の食い過ぎで中毒一歩手前だ」
アルコールも急性中毒というのがある。長いペースでちびちびやってる分にはいいのだが、大量のアルコールを一気に摂ると血中のアルコール濃度が急激に上昇し、場合によっては呼吸困難などを引き起こすこともあるアレだ。そして今まさにラムの状態がそれなのだ。
「……ラム来い、全部吐かせてやる」
「やーだーっちゃあ!離すっちゃぁ!」
コタツから引きずり出しても自分では立てないようで、ますますヤバイ。
「アホか!お前が倒れても地球にゃお前を治せる医者などおらんのだぞ!」
「やーだー、寒いっちゃー、おこたー」
「ええい聞き分けのない!大体酔っとるのにあんなにガンガン部屋暖めるバカがあるか!」
ずるずると引っ張ってトイレに連れて行く。
「吐いたらラクんなるから取り合えず吐け。吐けんのなら喉の奥に指突っ込んででも吐かせるぞ」
そう言うと観念したのか、頷いてドアを閉めた。
おれは風呂場にタオルを取りに行った。ひょいと風呂を覗くと、ちゃんと湯が張られていた。当然出かける前に母さんが沸かしたものではなかろう。だったらもっと冷めてるはずだ。
………………。
おれはタオルを湯船に漬けて固く絞ったものを持ってトイレに戻った。言ったとおりに吐いたらしく、ラムがフラフラしたまま顔を洗っている。
「そんな冷たい水で体冷やすな。ほれ、ぬくいタオル」
タオルを受け取ると無言で顔を拭こうとした形のまま固まって、へにょりとしゃがみこんでしまった。
「…支えててやるから立て。」
そう言ってもその形のままで固まってぴくりとも動かなくなったので、仕方なしに抱きかかえて二階に運んだ。…言っとくけどな、人間て結構重いんだぞ。
「ったく…梅干で酔っ払うのがわかってんのになんで食うかな…」
ぶちぶち文句を言いながら、冷ました白湯をラムに渡して布団を引っ張り出す。いっつもはラムがやるので布団の敷き方が雑だがまぁ贅沢ゆーな。おれが布団敷くこと自体珍しいんだから。
「ほれ、今日は下で寝かしてやるからありがたく思え」
「だーりんは、どこで寝るっちゃ?」
「押入れで寝ちゃるちゅーとんだ」
「………………」
「どーした、はよ布団に入らんか」
「布団、冷たいからやだっちゃ」
……このアマ……
「んなビキニでうろちょろしとる分際でなにをゆーか!おれのパジャマ着せちゃるからはよ布団に入れ!」
「……ダーリンどこいくっちゃ?」
「風呂入るんだよ!このまま冷やしたらガス代勿体無いからな!」
後ろ手にドアを閉めてしまってから、ドアの向こう側で小さくうふふ、と笑い声がした。……ふんっ
★☆★☆★☆★☆
ドアを開けてぎょっとする。だぶだぶの寝間着を着たまま、ラムがコタツでうたた寝をしていた。
「……ラぁームぅー……
おれのゆー事が聞けないのか?体を冷やすなと何べん言ったらわかるんじゃアホ!」
「…冷たい布団はキライだっちゃ」
ぼんやりぼんやり口を動かしてそんな事を言う。
「入って寝てりゃすぐあったまる!コタツの電源抜くからな!ほれ!とっとと出んかい!」
「ダーリンぬくいっちゃー」
タコみたくぐにゃぐにゃと体のどこにも力が入っていない、全くの弛緩状態のラムはいつもより重い。寝た子供を背負うといつもより重く感じるアレと一緒だ。
「いーから布団に入れ!おれは髪の毛乾かさにゃいかんの!」
「ダーリンも一緒に布団はいるっちゃ。じゃなきゃ布団行かないっちゃー」
またもぎょっとする。とろとろに酔ったラムの目はいまだに潤んでいて、おそらくいー気持ちなんだろう。
「ばっバカか!…母さん達今日帰ってくるんだぞ!」
「どーして?一緒に寝るだけだちゃ。お母様だってお父様と一緒に寝てるっちゃ」
「アレは夫婦だから当然なの!」
「うちらだって夫婦だっちゃ、変わらんちゃ」
「全っ然違うだろが!!大体夫婦じゃないと何べん…!」
「じゃあうちってなに?ダーリンの妻じゃなかったら…
うちって何なんだっちゃ?」
「お前はラムだろが。それ以外の何なんだ?」
「そーじゃなくってぇー!」
……くっそぉ、女って何でいちいちこういうことを男に…いや、“ラム”はなんで“俺”に“こういうこと”を訊くんだろう。その質問よりその質問をする意図や思惑に腹が立つ。
だから俺は絶対に答えたりしない。もう半ば意地になってきた。拒絶?いいや、これは示威運動だ。英訳するとdemonstration。
「……そーじゃなくて、なんだよ?」
ふっと意地の悪い思い付きをした。直接口から言わせてやろう。そしたら“そんな事”を口に出すのがどんだけ恥ずかしいか分るだろう。
「うちがなんでこんなに酔っ払ってなきゃなんないのか分んないのけ!?」
言葉に詰まった。……もちろん顔にはおくびにも出さないが。
「ダーリンがうちの料理口に合わないのは分ってるっちゃ!でもせめて一言くらい言ってから外に食べに行くべきだと思わないのけ?」
例えば。
家に帰ってきたら当たり前のように部屋があったかくて、風呂が沸いてて、風呂から出たら布団が敷いてあって……
…そういうのに慣れすぎてると忘れるんだよなぁ…
例えばこの部屋にラムがいてジャリテンがいて、毎日やかましくしてる。すると忘れる。自分が一人っ子だったこと、この家が広かったこと、この部屋が広かったこと。
「うちら夫婦だっちゃ!だから一緒に寝るのにどこが不自然だっちゃ!」
毎日やかましくがなりたてるラムを忘れる。こいつがたった一人で地球に来てること。
「大体ダーリンは自分勝手だっちゃ!あと大人気ないしついでに不器用過ぎるっちゃ!」
……でもなぁ。
「その自分勝手で大人気なくてついでに不器用な男がよくてここにいるのは誰?」
言葉に詰まった。キッチリと顔に出しまくって。
「もーいーから寝なさい。髪の毛乾かさんとおれ風邪引いちゃうでしょーが」
おれはそれでも答えたりしなかった。……これはデモではなかったが。
★☆★☆★☆★☆
髪を乾かし終わって振り向くと、おれの布団がちょうど人間一人分膨らんでいる。諦めて寝たようだ。
やれやれと押入れを開ける。……ビックリした。
「……何やってんのお前」
「一緒に寝るっちゃ。」
布団が全然無い押入れに正座してるラムが言った。
「…布団は。」
「あっち」
……そーかあの膨らみは布団か…アジな真似を……
「何、お前まだ酔っとんのか?」
「もうシラフだっちゃ。夫婦の危機に酔ってる場合じゃないっちゃ」
うそつけ、顔は赤いし妙に言葉に呂律がまわってねーぞこら。
もう無言でくるっと踵を返して布団を取り出す。そうはさせるかと後ろから羽交い絞めにされた。
「いーっしょーにーねーるーっちゃー」
妖怪子泣きジジイかおまいは。
「おれは!お前がお前じゃない時にすんのはヤなの!お前が自分で嫌だって言えないときにすんのは嫌なの!でも今一緒に布団に入ったら押さえ利きそうもないの!今も背中に胸が当たってて気色いいの!だから布団に入んないの!わぁった!?分ったら寝ろ!」
ぴたっと、止まって力が抜けて、背中からラムが離れた。
「……ダーリン、もしかしておんなし布団で寝るつもりなのけ?」
「………………は?」
ラムの声に間抜けな声で思わず振り返る。
「うち『一緒に寝る』って、お父様やお母様と同じように『布団を並べて一緒に寝る』って言ってるっちゃよ?」
「おっおまっ……布団が冷たいっつったじゃねぇか!」
「布団冷たいのは単なる事実だっちゃ。」
「…ぐっ」
「ねーダーリン、一緒に布団に入るつもりだったっちゃ?ねぇ?ねぇってば」
「ええいうるさぁーい!」
「ダーリンがそのつもりだったらうちの布団しまっちゃおっかな〜」
「おーまーなぁー」
「う・そ」
首筋にラムの唇が降って来て背筋がぞぞーっとそそけ立った。
「今日のところは勘弁してあげるっちゃ」
ウインク一つ、長い髪がさぁっと流れて布団の中に消えた。
……こっこの…鬼!
★☆★☆★☆★☆
布団に入って電気を消して、瞼を閉じてしばらく経った時、ラムの声が聞こえた。
「ダーリンもう寝たっちゃ?」
おれは嘘寝で返事をしない。
「……そっち行っていい?」
今日何回目ぎょっとしたろう。その中で一番ギョッとした。あんまりぎょっとしたので声が出なかった。
「ホントに寝てるっちゃ…
……ねぇダーリン…うちね、別にダーリンを試してるわけじゃないっちゃ。
ただダーリンがなぁんにも言ってくれないからちょっとつまんないだけ。
…だから…さっきは嬉しかったっちゃ」
それだけ言ったら気が済んだのか、静かになった。
…………おれは誰かの敷いた布団の上でぬくぬく寝てるの知ってる。本当にその本質を解ってるわけじゃあないと思う程度には。
でも、おれは改心しようとか自分のことは自分でしようとか別に思わない。それは別に必要ない。そうしなきゃならなくなる日が絶対来るから。その日は来る。必ず来る。だからその日が来るまで、必要が無い。
このおれの重さはきっと必要な重さだ。だからまだやってもらってる。それはおれが誰かの重さを背負ってるのと同じこと。
ラムが背負うおれの重さ。
おれが背負うラムの重さ。
ラムが素直に何でも話すのとちょうどおれが逆なだけ。
だからこれでいい。
おれがお前のことで悩まんと思ってんなよ。言わんけど。
「……いつもは追っかけまわして電撃食らわせるくせになんだって今日に限って『ヤケ梅干』なんぞ…不必要に色っぽい顔しやがって…
こんどやったらホントに寝込み襲うぞ」
ああもうムカつく。何なんだお前は。布団の中でぶちぶち文句を垂れる。そしたらいつの間にか寝てた。
★☆★☆★☆★☆
次の日学校から帰ってきたら机の上に空の梅干壷が転がってた。
………………………………………………
「…かーさん……おれ今日下で寝たいんだけど…」
| |