貴方が夢から帰るなら
賢と京
「まったく、全員のデジヴァイスを一時間で解析しろだなんて無茶言ってくれちゃうわ」
京は指先で奏でるタイプ音がまるで旋律にも似た物を帯びてきたところで、ようやく一言そういった。今まで黙っていたのは“演奏”のためであったかとでもいう様に。
「こっちの設定早く終らせて手伝うから進めてて」
賢はそれが手に取るように分かったので、出来るだけ素っ気なく応える。いちいち腹を立てるのもそろそろ違うなと思い始めたのだろう。
「マイクとスピーカーも探さなきゃいけないのよ」
「ご心配なく、抜かりはないよ」
カタカタカタカタ、キーが沈んでは浮き上がる音。
京のタイプは少し独特で、たたん・たたんと電車が線路の上を走る様な音がした。
「さすがの天才少年。ソフトは何を使うの?」
「ミミさん確かホットメールアドレス持ってたはずだから、メッセンジャーを考えてる」
「ばっかねぇ、音声チャットと言えば今時はスカイプよぉ? 雑音だって少ないしー」
如何に音声でのやり取りが効果的且つ実際的であるかのメリットを並べ立てるので、賢はでも音声通信って確実に時間取られちゃうし、精神的負担度は圧倒的に高いし、なにより機械に対する負荷が多過ぎるよねというデメリットを全ては返せず、一つしか言えなかった。
「ミミさんの手間を少しでも省こうとしたんだけど」
「いいのよ、スカイプで。こっちで遠隔操作しちゃえばすぐ! 恩は売れる時に売るものなの」
にこやかに微笑む自分の顔はおかしくはないだろうか? 京は頭のどこかでそんな事を考える。
「――――――光子郎さんにアドレス渡すつもりなんだ」
一拍置いて賢の声。
「ビンゴ。喜ぶわよきっと」
間髪入れぬ京の声。
「ミミさんもうすぐ日本に帰ってくるんだろ? 何も今さら」
賢は気付いた。
京もそれに気付いた。
「んー、わかってないわね。例えひと時でも離れていられない恋人たちの為にあるのよ、スカイプは」
そして賢は“それ”にさえ気づく。
「――――――もしかして、京さんも持ってる?」
少しの不審と普通の不安。それから大部分の悪意、に似た脅え。
部屋の空気の温度が下がってゆく。
「もちろんよ」
「僕、知らない」
「教えてないもの」
にっこり。
音さえしそうなわざとらしい笑み。京と長く付き合いのある人間にだけ解る符丁。或いは癖。
「教えてはもらえないのかな。光子郎さんは知ってるのに」
「……侮れない推理力よね」
「元天才少年ですから」
言い捨てるようにして、なんだい、早く気付いてって顔してるくせにさと、賢は呆れ半分・にやけ半分で返した。
「別に隠してたわけじゃないのよ、実際使い出したの一ヶ月くらい前だし。それにあんまり使い勝手良くないの、ログインすると割りにメモリ食うし」
得意の早口でまたも、今度はスカイプのデメリットを滔々と並べ立てようとするので、賢はそうわさせじと毅然とした態度で口を挟んだ。
「話を逸らしてまで僕にアドレス教えたくないわけだ。よーっぽど楽しいんだろうね、光子郎さんと話すのは」
京はそのどうだ、とでも言わんばかりの得意顔をしばらく唖然と見つめ、半目でにやと笑う。
「……賢くんって結構ヤキモチ焼きよね」
「普通の男にはヤキモキしない。光子郎さんだから危機感があるだけ」
ありゃ、いつもの調子で上手く躱せると思ったのに。京はちょっと意外に思ったが、それでも彼女の自信は揺らがず平気な顔を許した。
「あら、彼女もちの男性に惚れるほどフシダラじゃないつもりだけど」
「その前からの癖に」
息が詰まる。
何故そんなことを。
……誰にも言ったことないのに。
「――――――ミミおねーさまと張り合って勝てるとは思ってないわ」
京は自分の顔が歪むのを苦々しく思いながら、それでも精一杯の虚勢を張って平気な顔を続けた。それは意地だったのかもしれないし、彼女なりの節度だったのかも知れない。
だがそんなものを許せるほど、賢は優しくなどなかった。……こと、彼女に関しては。
「だから僕の告白を受けた。自棄で」
「あ、その解釈きもちいー。」
けらけらと口元に手をあてて京が笑う。馬鹿にした訳ではない。ただ本当に可笑しかったのだ。
どうやら本当にこの男の子は自分の事が好きらしい。
こんな自分の事を、本当に好きでいてくれているらしい。
それが、愉快だった。
それが、嬉しかった。
「おかしいと思うんだよね。君が何も知らない訳ないじゃないか。二代目選ばれし子ども達の電脳担当がデジタルゲートのパスワードも知らないなんて不自然すぎる。考えられるのは二人がグルって事。
もっと言えば実行に移す事にしたのはスカイプを導入した一ヶ月前。両手がフリーになる音声通信はゲートの向こうに行く予行演習にはもってこいの手段だ。連絡を取り合いながら何度か予行演習してるんだろう?
で、毎回二人同時にログインして、話し掛けても反応できない不自然を誰にも知られたくなかったから僕にスカイプ持ってることを黙ってた。……違うかい?」
「――――――ビンゴ」
そこまで解っているのに何故私を裏切り者と言わないの? 何故好きなままでいられるの? 京はきっとそう訊ねたかったのだろう。だが彼女はそれをしなかった。それを己に禁じてさえ居た。
「……ったく、困ったコンビだこと」
賢は呆れ、ようやく打ち込みの終わった画面をスリープ表示に切り替え、京の座っている席の隣に腰を下ろす。ぎしりと軋むOAチェアの音に都が少し姿勢を正すのを見ながら。
「素直に浮気だって勘違いしてくれると思ったのに」
「その前提が既にこの作戦に置いて致命的欠陥」
机に肩肘を突いて、賢は京の長い髪を見た。サラサラ流れるロングヘアからは清潔な匂いがする。綺麗だ、触ってみたい、頬ずりしてみたい、唇にあててみたい。衝動的にそう思った。
やったらぶっ飛ばされるんだろうか?
そうすれば彼女は僕を見てくれるだろうか?
しばらく考えて、賢は自分の思考回路の危なさに頬を染めた。……破廉恥な。
「ほー、信じてくれてるんだ。あー愛されてるわワタシー」
言いながら京は思う。その愛ではやく私を葬って、と。
「きっ……君は浮気できるほど器用な性格じゃない、よ」
言いながら賢は思う。はやく目を覚まして僕を見て、と。
「……そうよ。常に本気なの。うかうかしてたら知らないんだから」
「うかうか、ねぇ。浮気より本気の方がタチ悪いよな」
「……どういう意味?」
「横恋慕はほどほどに、という意味」
だが二人の願いは共に叶えられず、通じ合う事もなく、その思念は霧散した。それは何度も何度も二人が飽きることなく繰り返してきた通過儀礼。そしてこれからも続く。さながら、呪いの様に。
「――――――ほんっと、性格悪くなったわよね。執念深いっつーかさぁ」
「3年も4年も彼氏が出来てからもずーっと道ならぬ恋をしてる人よりはマシ」
「そんな女でもいいって言ったのは誰だったかしらねーっ」
けたけたけた、と彼女が笑った。彼はその笑顔を許すつもりはなかったけれど、怒る気もなかった。それも含めて、彼女が丸ごと好きなんだから……もうしょうがない。
「どこがそんなにいいわけ?人の道を踏み外してまでの恋は」
「……ほっとけないのよ、泉先輩って。不安定ってんじゃないんだけど、危ういってーかさ。注意深く見てないとぽさーっと穴に落ちてそうで。あんなにいざと言う時頼りになるしっかりした人なのに、本当はすごく脆いの。
偶にミミおねーさまとの事をぽろっと愚痴ったりするんだけどさ、その内容が結構キツいのよ。グロいっていうか。
例えば『恋人が浮気をしていました、恋人はあなたが知っている事を知りません、どういう風に聞き質しますか?』って、良くあるネットの心理テストあるでしょ?答えがスゴいの。“聞き質しません。相手を調べて話をして別れて頂きます”だって。どしぇーと思ったわよあたしゃ。その場は根っからの裏方体質なんですねーとか笑って見せたけど、ミミおねーさましか目に入ってないってのが比喩でも何でもないって事実に恐怖したわ」
ペラペラと口の軽い彼女。お喋りな彼女。賢はそのよく動く口をじっと見るのが少しだけ好きだった。……もちろん、光子郎の話題でなければ大好きと言っても過言ではないのだが。
「そのアブナい先輩が好きなんだ」
「――――――どんなに誘導尋問しようと、認めるような決定的セリフは出ないわよ」
「知ってる。だから安心して責めてるんだ。僕はこう見えてナイーブだから君の口から泉センパイが好きなの、なぁんて聞いたら暗黒の種が発芽しかねない」
にやりと笑って皮肉ると、嫌そうな顔の京が賢から身体を離す。
「うわ、今度は自分を人質に取るか」
「卑怯は悪役のアイデンティティーでしょ」
くっくっく、と自分の中の悪意を衒うようにして賢は笑った。もう大丈夫、こうすることだって怖くはない。だってもう、僕は一人ではないのだから。
「……泉先輩、どうしてDWに行っちゃったのかしら。すぐに帰ってきますよっていつも通りに出かけただけなのに」
賢の顔を見、何かを知ったのだろうか。京は軽い溜息をついて話題を変えた。
その仕草を賢は少しだけくすぐったく思い、その話題に乗っかることにする。
「……知らないの? 理由」
「言ってくれないもの、あたしにはなーんにも」
「光子郎さんはミミさんにも何も言ってなかったよね」
電話の向こうの気のいい先輩は、いつも通り華やかで愛嬌たっぷりだった。あれが演技などとは思えない。
「泉先輩は誰であろうと人に迷惑かけたり煩わせたりする人じゃないもの」
京の言葉を賢は反芻する。
迷惑を一切掛けない。それは異様に注意して意識しないと維持できるものじゃない。ミミさんという、ほぼ絶対的信用を置いている人間にすら、彼はずっとそうしている。それは壁ではないのだろうか。これ以上先に人を入れないための。
―――――――拒絶。賢が光子郎の行動から引っ張り出した単語はそれだった。
「京さん、例えば僕が光子郎さんみたいにDWへ行っちゃったとするじゃない」
できるだけ軽く彼は訊いた。頬杖を突き、背を丸めたままで。
「何よ。こんな時にする冗談にしてはヒドいわよ」
「その前に気付ける?」
もしかしたら自分は泉先輩をダシにして、随分ひどい事を彼女に訊いているのかも知れないなと賢は自己嫌悪する。ああ結局僕は卑怯者という鎖から逃れることは出来ないのだ。
「……わかんないけど、何か言いたい事があるなら賢は言うでしょ。言わないで行くってことは、言えない事なんだろうから、帰ってきたら拳で訊くわよ」
気楽に顔の隣数センチの場所に握りこぶしが近づけられて。
「――――――ぷははは。やっぱりね、京は光子郎さんとは合わないよ」
賢は笑った。
失笑でなく、安楽に。
「なによそれ」
「体育会系は理系とは相容れないってことさ」
「はぁ?」
京がまた突飛な事を言い出した、と呆れ顔で賢を見る。彼の論点の飛躍はいつものことだったから。
「それで多分、ミミさんもそう言うだろうね。帰ってきたらって。……帰ってくると思う?」
背を延ばす。ああもう大丈夫。キミが解らなくても、大丈夫。きっと解って見せるから、大丈夫。
「あったりまえじゃないのっ! 帰ってこないなんて言ったって首に縄掛けたって引っ張って帰って来させるわ!!」
自信たっぷりに拳を振り上げる京を見て、ほんとに頼もしいなぁと言ってから。
「信じてるんだね」
「泉先輩は脆くたって弱い人じゃない。……帰ってくるわ、自分で」
強い瞳で唇を結んだ人を、賢は「綺麗な子だな」と羨む様に眺め……その陰で思う。
……でも、彼が詰まってるのはきっとその“人を信じる”前の――――――――
15:26 2010/09/24
| |