夢ヶ路

                空とヤマト

                 「……ったく……太一の野郎」
                 「まーいいじゃない。そろそろ受験でお互い忙しくなるんだからさ」
                 不貞腐れたヤマトの扱いにも慣れたもので、空が財布から年代モノのテレカを引っ張り出しながら笑った。その屈託の感じられない顔を見てしまっては、さすがの臍を曲げたヤマトと言えどゆがめた眉を戻すほかない。
                 「――――――しかし、仲間内で一番理性的な光子郎の逃げ込む場所がDWにしかないとは皮肉な話だ。」
                 ふっと肩の力を抜き、虚ろを仰ぎながら独り言のようなヤマトのセリフ。それに反応した空が、一瞬表情はおろか歩みさえ止めた。
                 「何、それ」
                 「知らないのか?ミミちゃんが日本に帰ってくる、ってな話」
                 「それ私があんたに教えたんじゃない。……そうじゃなくて、逃げ込むって何の話?」
                 ヤマトが自分の背に声を掛ける空に歩みを促すよう少し足を止め、もう一度歩き出した。
                 「……二・三ヶ月前かな。光子郎が俺の通ってる英会話教室に入ってきた」
                 「は?」
                 「留学するんだとさ、イギリスに」
                 ヤマトの視線は虚空に、空の視線は几帳面というより神経質に並べられたブリック・ロードに。
                 「……初耳、だわ」
                 強張った声はそれでも流暢に出た。
                 「――――――俺も初めて訊いた時、そーゆー“いよいよ来るべき時がきたか”って顔したんだろうな。きつく口止めされたぜ。
                 デジタルゲートを誰にでも通れるようにする為の研究を本格的にしたいんだとさ」
                 苦笑いのような、失笑のような、眉を顰めて声無き声でヤマトが笑う。
                 「……デジタルゲート……」
                 空の呟きは最早二人の為の物ではなく、茫然に似た独白にしかなっていない。
                 「あいつはさ、会いたいんだよ。テントモンやゲンナイさんに」
                 「……だ、って……そんな……ゲートを閉じるって提案したのは光子郎くんなのに」
                 失望と予知、憐れみと哀しみが入り混じった意気の無い空の声がヤマトには痛々しく思える。
                 「――――――太一もそうだけど」
                 が、幼馴染の名前を出して自分を叱咤し続けた。
                 「自分のことを理性的に押し留められる奴って苦しいと思うぜ。俺なんか感情殺すフリして垂れ流しじゃん?泣き喚いて激高して失望して大騒ぎ……本当はそっちの方がラクなんだ。
                 でも自分の欲望より先にみんなのこと考えたり、欲望に振り回された後の結果が今この瞬間と重なって見えたりする奴って、やっぱしんどいんだろうと思う。
                 その上、死ぬほど会いたいのを我慢してた女が入れ替わりで日本に帰ってくるってんだから、心中察して余りあるぜ」
                 小さな歩幅を更に小さくして、二人はしばらく黙って歩いた。
                 自分たちの幸福が急に疎ましくさえ感じる。
                 自分たちの不満のなんと愚かで贅沢な事か。
                 「あいつ、我慢しすぎて我慢に復讐されてんだよ」
                 ずっと隠し持っていた切り札を取り出すかのような慎重さでヤマトが言った。はっと顔を上げる空の仕草を意に介せず。
                 「もちろん本心だろ、デジタルゲートを今の人間に開放する事がDWにとってもRWにとってもマイナスにしかならないから閉じたってのは。でもあの世界に行きたいってのも本心だ。
                 ……昔、まだ小学生で……ほら、初めてオメガモンになったあの大騒ぎの後さ、光子郎が言ったんだよ。『良かったですね、DWに行けて』って。あの騒ぎの後に、あの光子郎がそんなこと言ったんだぞ。」
                 晴れ渡る天空には少し雲がかかっていて、蒼一色の空よりは幾分安堵感がある。
                 「……私達の誰よりもDWに心を置いてきちゃったのね」
                 蒼一色の空は不安になる。あの頃のあの世界を思い出すから。
                 「――――――せめてミミちゃんが日本に居れば、また違ったんだろうけど」
                 目が覚めるような蒼。全身がざわめくような、興奮の蒼。飲み込まれそうな一面の蒼。
                 「後輩が出来て、中学のPC部にまた京ちゃんが入って……元気そうだったから気付かなかった……なんて、体のいい言い訳ね」
                 二人は後輩の恋人達の話をしながらも、どこかうわの空だった。ヤマトは蒼に怯え、空は不安に揺らぐヤマトに怯えている。そしてお互いがお互いの不安に溺れ、喘いでいる。
                 「太一も似たようなこと言ってたな、それ。
                 あいつ一番重要で一番重たいもんばっか選んで背負い込む癖がある」
                 「そうね、ヤマトに少し似てるわ」
                 ふと空が笑い、釣られる様にヤマトも表情を緩めた。緊張感を高めるのは大抵ヤマトの仕事。そしてそれを解くのは大体が空の仕事。二人はいつもそうやって来た。病める時も、健やかなる時も。
                 「……丈にも言ってないらしいからなぁ……あいつ年上に気ィ使いすぎなんだよ」
                 「年下には絶大な発言力なのにねー。あと、ミミちゃんとか」
                 空を支え、ヤマトを引っ張り、そういう役割分担が自然に決まっている自分たちの関係を、誰かが大人だと評した。……弟だったかもしれない、とヤマトは思った。その時は多分、空が二人とも負けず嫌いなだけよと笑って真剣に取り合わなかった。
                 「確かにあの告白劇は凄かった。他人事ながら動機がしばらく止まんなかったぞ」
                 今ならどう返事をするかな?
                 「女の子の憧れよ、あんな強引で派手に告白されるって」
                 自分たちのこの関係を、彼女はどう表現するのだろう?
                 「――――――素直な顔も出来る奴が、なんで今さらDWになんか」
                 ヤマトはそれを訊ねようと頭の隅で思って、やめた。自分たちの関係を計算式に当てはめようなんて、柄でもないし窮屈で退屈な答えが弾き出されるだけに決まっている。
                 「ヤマトは我慢のしすぎではちきれちゃったって言うけど、私は違うと思うな」
                 空はヤマトより二・三歩先んじて、言った。
                   「光子郎くんは名残を惜しみに行ったのよ。イギリスじゃDWにこっそり行くなんてズル、出来なくなっちゃうでしょ?」
                 「お、おい」
                 自分の予想通りに彼がうろたえたので、空は少しだけ得意になって続ける。
                 「知ってるんだー、光子郎くんがずるい事できる子ってこと」
                 愛情を疑った事のある自分、その自分に少しだけ似ているあの子。目先に捕らわれやすい性格が似てるなら、先回りしてモノを考える癖だって似ている。
                 「光子郎くんは弱い子じゃないわ。弱気にもなるけどちゃんと帰ってくる。自力でそれが出来る強い子よ。だから実はそれほど心配じゃないの、私」
                 あの世界ででもふてぶてしく生きていた自分たちは、真面目や正解だけに捕らわれて身動きできない不器用じゃない。空の中に、人には説明できない確信があった。
                 「……お前……いい母親になれるよ」
                 唐突に、降参したかのような表情でヤマトが唸りを上げた。
                 「あらん、それプロポーズ?」
                 考え付く限りの思いっきりカワイコぶって、唇に指を当てて空が振り返る。
                 「――――――俺はダメかもな……自分の父親像に自信がない」
                 溜息をつくみたいに肩と眉を顰め、はぐらかしにならないはぐらかしをするヤマトの表情を一笑に伏した空が少し声を張っていった。
                 「いーのよ!そんな心配なってからすれば。その前に色々する事、あるんでしょ」
                 「……まぁな」
                 「俺は宇宙飛行士になる!なぁんてバカな小学生じゃあるまいし、と最初は思ったけど。英会話一年続けるほど固い意思とはねぇ……」
                 溜息、呆れ声、それから敬服。
                 「――――――怒ってる?」
                 「別に。あんたの夢なら仕方ないわよ。
                 ……旅立つあなたの心を知っているから、遠く離れてしまえば愛は終る、なんて言わないわ」
                 古い歌謡曲の歌詞をもじって空が歌うように言う。ヤマトの隣りに立ち、彼の腕を捕まえて。
                 「……もしも許されるなら、遠い目をするお前をポケットに詰め込んでそのまま連れ去りたいぜ」
                 囁くようにその歌を受けたヤマトが、気の利いた風にその歌を続けて彼女の手を握った。

                 「ミミちゃんになんて言うんだ?」
                 「本当のこと」
                 「……本当?」
                 「光子郎くんがイギリスへ留学する事になって、DWでヘコんでるから引っ張り出して来てちょうだいって」
                 「恨まれるぞ」
                 「……私の紋章を何だと思ってんの?――――――そんなの、慣れてるわ」

                9:31 2008/05/16

                 


                広告 [PR] 花 小説 ブックマーケット お見合い 無料レンタルサーバー ブログ blog