きみは笑え、ぼくは戦うU
アグモンとララモン
泣くなよ、なぁ。
ディスプレイの向こう側にそう言った。
泣いてないわよ。
透明の青より向こう側からそう返ってくる。
なにも泣くことないだろ。
忌々しいブラインドは破るに造作もない脆さ。
泣いてないったら。
それでも俺は決して自慢の爪を立てない。
ポーンチェスモンが心配するだろ。
俺は爪を立てる資格がない。
しつこいわよ、アグモン。
なぜなら爪を立てる気がないから。
……だって、ここに来てからずっとグズグズゆってるし。
「――――アグモン、データが乱れるからララモンに話しかけないでって何度言わせるの?」
クロサキがため息混じりにそう言った途端、透明のブラインドに色がつく。
薄い青の箱に閉じ込められた俺は、何故かほっとしている。
「仲間が落ち込んでたら気にするだろフツー」
「それはせめて診断の後、デフラグの時にしてちょうだい。何のためのバグスキャンか分かんないでしょ」
クロサキの声だけが響く青色の箱の中は、まるで海のようだなと思った。
「だいたい、ララモンが泣いてるようには見えないけど」
「へぇ、クロサキはあれが笑ってるように見えるの」
表情の乏しいララモンの顔。怒っているのか笑っているのか、一見しては解らない。
「少なくとも、同情して欲しそうには見えないわ」
「……クロサキは優しいな。アニキみたいだ」
「――――それ、褒めてんの?」
眉を潜めたのが露骨に解る声がして、俺は笑う。
「あ、ひどい」
「とにかく放っといて欲しいってんだから、そっとして置いてあげたら」
「アニキもそうだけどさ」
へっ?と、意外そうな反応が返ってきた。
「人間て言わなきゃいけないこと飲み込むのが好きなのな。
リアルワールド生活長いとそれが普通になるのか?俺、ここで生まれたけどララモンより外出るの遅かったから解んないのかな。言やーいいのに。言いたいこと」
「……呆れた。あんた、物、考えられるんじゃない」
別にいつもバカの振りをしてるわけじゃない。言ったってアニキは理解しないだろうし、だからといって他に喋る奴が居ないから何も言わないだけで。
「クロサキ、俺のことバカだと思ってるだろ」
「い、いや、そんなこと……まぁ、ねぇ」
語尾を濁す人間のやり方。嫌いじゃないけど、上手い方法とも思わない。
「あいつのパートナーデジモンだし。」
あははは、乾いた笑い声。図星の上にさらに墓穴を掘るクロサキ。
「あ、ひどいパートU」
「ん、まぁ、でもさぁ、言って上手くいくことと、そうでない事があると思うのね。
無闇に踏み込んで欲しくないこと、アグモンにもあるでしょう。それは尊重しなきゃ」
人間関係上手くはいかないわ。クロサキの言葉がユラユラと青の地平に広がったのを確かめたのち、俺は目を閉じて考えてみた。
尊重、便利な言葉だよな。
でもその「そっとしとく」って、つまり関わらないことじゃないのか?
放っといて欲しいことなんて他人に比べりゃいくらも無いけど、それでも一人で煮詰まってくよりは怒りでも何でも発散した方が俺は健全だと思うけど。
下手に関わるよりは無関係で居た方がお互い傷付かなくてすむけどさ、そりゃ俺だって赤の他人のウジウジにまで頭突っ込むバカはしないよ。意味ねーしな。
「クロサキ」
「なに、まだ納得いかないの」
「尊重するから関わりたいのって、なんだろう」
顔を上げて訊ねる俺の耳に、しばらく何の音も聞こえなかった。
ずいぶん経ってから恐る恐るといった風に、クロサキが言うことには。
「恋じゃないの」
「……あー?」
「だから。恋じゃないの、って。
気になって仕方ないんでしょ、ララモンが」
俺は思わず吹き出しそうになったが、シラカワと違って真面目な性格のクロサキがふざけてそんなことを言うとは思えなかったので必死で我慢をした。
「俺、デジモンなんですけど」
「あら、デジモンが恋しちゃダメなんて誰が決めたの」
ダメだ、こいつ。いっそ笑い飛ばした方が良かったのかも知れないと思ったが、ふとそれもアリだな、と考え直した。
「……なぁ、パートナーとデジモンのシンクロって感情も含まれるよな。バイオリズムとか」
「――――まぁね。」
二人でピンと来た。
「――――――――シラカワ、知ってるかな」
「――――私たち鈍感組が気付くくらいなんだから……」
知ってるでしょ、当然。
クロサキの声が嫌に青の世界に響いた。
「ずいぶん仲いいのね」
シラカワが黄色のブラインドの向こうでそう言って笑った。
「パートナーと一緒で世話焼きなのよ」
全く失礼しちゃうわ、私のどこが泣いてるって言うの。八つ当たりのようにそこらじゅうに向かってため息を吹きかける私に、シラカワは呆れ顔を変えない。
「あんたもパートナーと一緒でかわいい顔してるのに頑固者ねぇ」
「頑固は余計よ!」
「……んじゃ、何を拗ねてるの」
アグモンは表情を見るのがへたっぴよね。これは泣いてるんじゃなくてふて腐れてるのよねー、ララモン。ニヤニヤしながらシラカワ。
私はその笑い顔が苦手だった。からかってる訳でも馬鹿にしてるでもなくて、自分の幼稚さを自覚しないわけにはいかないように仕向ける“みんなお見通しよ”という表情だから。
「拗ねてなんかないわ」
それでも私は素直になれない。降参してしまえば楽にはなれるけれど、それと引き換えに今までの態度を売り渡せるほど私は“デジモンが出来ていない”もの。
「……大?」
「うっうるさいわね!」
「ま、別にいいけどねー。でも程々にしなさいよ、記憶消去は」
ギョッとしたというのが本音で、普段してもいない呼吸が止まりそうになった。
「消去、なんつってるけど、アレ、実際消してるわけじゃないのよ。魔の7サイクル光線みたいなもんでさ、吹き飛ばすっつーか封印するっつーか……まあ、リスクのない22世紀のひみつ道具じゃないってことは覚えといてね」
「……また若い子ドコロか一部のマニアにしか解らない空想理論ネタを……」
「まだ連載続いてるし文庫本も出てるし、わかるわよ……たぶん」
「――――いつ持ち出したって気付いたの」
「今」
「……は?」
「だって備品管理、あたしじゃないもん。
もひとつ言うなら淑乃がたまーに朝フラフラしてるからさー。カマ掛けてみた」
あははー。シラカワは軽い声を恥らう事も無く気楽そうに重大規律違反を笑った。
「淑乃は悪くないわ、悪いのは大よ!」
「んー。……性別のないあんたらには解んないかも知んないケド、特にあの年頃の男の子ってのはそーゆー事でアタマん中ミッチリなのよ。それを我慢しろってのは酷な事よ〜。」
それに、記憶を消した所で解決はしないわ。
いつの間にか白川のニヤニヤ笑いは鳴りを潜めて、目も合わさずに調整用のプログラムを走らせていた。素早いキータッチと目まぐるしい眼球の動きが厳しさを増す。
私はそれ以上何も言えずに、ただ黙って黄色い箱の中でうなだれるしかない。
わかっている。自分がどんなに馬鹿なことをしているのかも、納得がいかないのは大が原因でないことも。
それでもそれを受け入れる事がどうしても、どうしても出来ない。
本当に信用していないのは大じゃなくて、淑乃だなんて。
大好きな淑乃が私をいつか見捨てるんじゃないかなんて、考えるだけで恐ろしくて、恐ろしくて。そんな不安を具体化する原因になった大は単なる手頃なサンドバッグだっただけで、多分私は殴れる立場じゃない。
それでも!
それでも!
殴らずには居られなかった。
淑乃が自分から離れていくなんて思ってもみなかったから。
淑乃が恋をする日が来るなんて、思ってもみなかったから。
「……そうよね、癇癪起こした所で解決しないわよね……」
重く静かなヒステリー。嫉妬という名前がついてる感情。
「こういうのも失恋って言うのかしら」
「じゃ、私たち休憩入るから。」
「何かあったら内線4番ね」
二人が足取りも軽やかに圧縮ドアを開いて、閉じた。
デジタル処理施設の三つの電子フロアの一番と三番にアグモンとララモンはぼんやり座っていた。因みに二番はガオモンの席であるが、トーマの出張にくっ付いて行った為、ここには居ない。
「デフラグはきもちいーよなー」
「そーねー、人間がお風呂に入る時きっとこんな気持ちよねー」
「なんかアタマん中のごちゃごちゃしてるモンがさー、ちゃんと整理されるってかさー」
アグモンがそんな風に考えなく言ったセリフがフックになったのか、ララモンののんびりとした気持ちが一気に覚めてしまった。
「……アグモンも考えなしよね。大みたい」
「えー。アニキも物考えたりするけどなー、多分」
「考えないわよ」
「……他人が何考えてるかなんて解る訳ないんだから、別にいいじゃんそんなこと」
「よくない!」
アグモンが息を飲むような仕草をした。それに気付いたララモンが、いかに自分が大きな声で怒鳴ったかをようやく知った。
「……ごめんなさい、どうかしてるわ、わたし」
うなだれるララモンに向かって、アグモンはガオモンならどうやってララモンを慰めるだろうかと考えたけれど、なんだかその思考が癪に障ったので思考を止めた。
「アニキ、あれで一応、淑乃を大事にしてると思うぜ」
空の電子フロアを一つ挟んだ向こう側の、ピンク色の電子フロアからは返事はない。
アグモンは燃えるようなオレンジの電子フロアの輝く色が、妙に寒々しく感じた。まるで檻だ、と。
彼は自分がララモンやガオモンのようなデジタルワールド生まれの「ナチュラル種」ではなく、人間界生まれの「アート種」なことを改めて思い知る。
自分が人の手に拠って作られたからこそ、人にここまでの親和性があるのではないか?過剰に大を慕うのもそれが原因なのではないか?この信頼の根拠はどこに在るのか?
「おまえらナチュラルにはわかんないかも知んないけど」
信じていたい。彼を、人間を。しかしその飢えるココロの拠り所をどこに求めればいいのか、アグモンには解らない。そのココロさえ確かでない。
「人工孵化だからっていい気にならないで!」
「……な、なんだそれ」
「アートだから人の心が解る?自惚れないでよ、解るわけないって言ったのはアグモンでしょ!」
「心がわかるなんて言ってねぇよ!」
「言ったじゃない!」
「俺はアニキが淑乃のことちゃんと考えてるって言ったんだ!」
「なんで解るのよそんなこと!」
「見てりゃ解るだろ、健気に知らん振りしてんじゃねぇか!」
日曜の朝に起きる。眠たそうで目の下に隈をつけて、それでも彼はじゃれ付くアグモンを邪険には扱わなかった。心配させぬように元気で明るく振舞う。それは本部ででも。
大丈夫?とたずねるアグモンに弱気なセリフなど聞かせた事はない。
シャツに、髪に、プレートのぶら下がったネックレスに、淑乃の匂いをさせている大が時々らしくなく物思いにふけるのを、アグモンは知っている。
「淑乃を困らせないよう、馬鹿なりに考えてんだよ」
ピンクのデジタルフロアからは相変わらず返事はない。
「アニキ不器用だからララモンんとこまで手が回らないんだ。勘弁してやってよ」
「みんな大を庇うのね」
ララモンの声が短く響いた。
「いいわね大は。味方がいっぱい、みんなが大好き。失敗してもちゃんとフォローしてもらえる。羨ましいわ、まるで王子様みたい」
その声がまるで聞き分けのない子供のように震えていて、アグモンはなんだか自分が泣かせたような気分になった。女ってずるいよな、泣きゃー済むんだから。
「甘やかされてて誰も叱らない。そういう子供はきっといつか痛い目に合うわ。わたしはそれがザマァミロって思う。でもそれに淑乃を巻き込まないで欲しいの」
アグモンは黙っている。
「大のフォローばっかでさ、かわいそうじゃない」
ララモンの声はもう震えなど通り越して、カンペキに涙声になっていた。
その声が胸に迫ってくる一方で、アグモンはただ真っ直ぐにパートナーを好きだという自分に揺らぎのないララモンを羨ましいな、と思った。迷いも疑いもなく、ララモンは淑乃を好きな自分を信じている。
「わたしは世界全部、例え淑乃さえ敵に回したって、淑乃の味方よ。わたしだけは、味方よ」
俺も、アニキの味方だ。アニキがどうなっても、地獄の底まで。……なのに、何故自分の心を底から信じられないのだろう。ララモンみたいにただ一心に泣けないのか。アグモンは滂沱するララモンの声を聞きながら、目を伏せた。
「ララモン、アニキが羨ましいんだよな。
俺も、みんなにここに居ていいって言われてるアニキが羨ましいよ。
でも隣にいて時々あの無根拠な勢い主義がさ、痛々しく見えること、あるんだ。
だから俺は守るよ、アニキのこと」
揺れるのは、そこに確かに在るからだ。心が在るから、揺らぐ。
「だから俺達は俺達に出来ることをしよう」
例えそれが、見守り寄り添うだけだとしても。
グズグズとしゃくり上げるララモンの声を聞きながら、なに大丈夫、ララモンは賢い奴だからちゃんとわかっているんだ、ただ吐き出せば楽になる。アグモンは唱えるようにそう思った。
そして頭のどこかで俺も吐き出せる場所を見つけなくちゃなぁと考えて、あとは眠くなったのかアグモンは伏せた目を開くことなく眠りに付いた。
17:03 2006/12/13
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