きみは笑え、ぼくは戦うT

                大×淑乃、とララモン

                1
                 薄暗い部屋に居る。
                 天井は見慣れた壁紙の模様で、その認識がやっとここが自分のマンションでベッドの上だということを私に教えた。
                 ……あれ、いつの間に寝たっけ?
                 ぼんやりした頭で両手を身体に滑らせる。
                 ……あ、あたし寝間着きてないじゃない……
                 私は時々疲れすぎるとパジャマに袖を通すのもそこそこに寝てしまう癖がある。その度に朝起きてぐずぐずいう鼻に辟易し、ララモンの小言をきくのだ。
                 ……明日は深夜勤務なのにしわ取れなくなっちゃう……
                 布団に張り付きたがる身体を無理やり引き起こし、ひんやりとした夜中の空気に肌をさらした。
                 「ララモン、パジャマ取ってくんない?また制服のまま寝ちゃったみたい」
                 あ、やばいガラガラ声だ。もう引いちゃったかな、風邪。憂鬱な後悔を噛み潰しながらふと気づく。いつもなら『んもう、あれだけ起こしたのに!』と文句もそこそこに上がるはずの声が聞こえない。
                 「……寝てんの?」
                 まさか。アグモンじゃあるまいし、寝こけて反応しないデジモンなんか居るもんか。
                 「ララモン?」
                 「……んだよ、布団上げたらさみーじゃねーか」
                 布団の端から伸びてきた腕があっという間に私の身体を布団の中へ引き戻した。
                 「デジヴァイスは本部に置いて来たんだろ、しっかりしろよバーさん」
                 億劫そうに渋い声で言う大が、幸せそうな笑い顔で夢の世界へと元来た道を戻りかけたその時。
                 「あー!?あー!?えーっ!?なななななななんであんたがここに!!」
                 ようやく覚醒した頭が考えるより先に声をあげていた。
                 「てゆーかなんであたしのベッドに!てゆーかあんたなんで裸!?てゆーかなんなのこの状……!」
                 「わーバカバカバカ!今何時だと思ってんだ!近所に迷惑だろうが!!」
                 大きく開いた口に押さえ付けられる手が大慌てで布団を捲り上げて私をまたもや布団の中へ押し込める。
                 「うむわうううあわうあううむいむうまわあまううい!」
                 「わーった!わーったから大声上げるな。言いたいことは大体わかる。だから落ち着け」
                 コレが落ち着いていられるモンですか!何事なの、一体何がどうなってんの!パニックになる私の身体にしがみつく様に、大がずんぐりと体重を掛けて暴れる手足を押さえ込めていた。
                 しばらくじたじたやってると、酸素が足りなくなった頭がぼんやりしてくる代わりに、眠たそうな目でうつらうつらしている大の落ち着きぶりに違和感を覚える程度に平静を取り戻してくる。
                 「ううむうい、おいういあ」
                 「……んあー……」
                 大の手で塞がっていた息苦しさから開放されて。私はようやく一息をついた。
                 「で、なんなのこれは」
                 「……まぁた覚えてねーのかよ……」
                 「またぁ?……ちょっともう、ちゃんと説明しなさいよ!なんなのよこれ!」
                 「……大声出すなっつってんだろうが……頭に響く……」

                2
                 私のお気に入りのスウェット上下を着た大が、私のお気に入りのマグカップで、私のお気に入りの紅茶を飲んでいる。たっぷりミルクを落とし、甘くしろと言うのでめったに入れない砂糖を3杯。
                 「あーあったまるー」
                 「なーにがあったまるー、よ。散々人の布団でぬくぬく寝てたくせに」
                 「あのなー、この季節にパンツ一丁で寝てたらさみーに決まってんだろ」
                 「それよそれ。さー聞かせてもらおーじゃない。なんであんたがあんな格好でウチのベッドで寝てんの!」
                 カップをテーブルにドンと置き、未だベッドの上で紅茶をすすったまま動かない大に、私は耐え切れず先を促した。
                 が。
                 眠たそうなジト目の勝は口を半開きにしたまま、無言の抗議といった表情を変えない。
                 「な、なによその目は」
                 「オマエ、ほんとーに毎回のことだけど、ほんとーに何にも覚えてねーのな」
                 「だから!なんなのよそれは!」
                 「もう5回目だけど、また同じ説明しなきゃなんないの?俺」
                 「んもー、ワケわかんないんですけど!ちゃんと説明してちょうだい!」
                 はぁー。大きなため息をついた大が気だるそうに肩を落とし、静かに切り出した。
                 「金曜日の夜になるとさ、淑乃はいっつも外で飯を食うわけよ。で、俺とトーマを連れてってくれるわけだ。そこまでは別にいいんだ。面白いしな、俺らも結構楽しみにしてる。
                 でも淑乃、お前まだ未成年だよな?何でいっつも酒飲んじゃうの?」
                 酒、という単語を聞いて体が凍りつく。
                 ……うああ、まさか。
                 「しかも酔い方が限りなく素面に近い反則的な酔い方すんだよ。で、だいたいトーマが迎えを寄越してくれて駅まで……あ、思い出したのか」
                 「……うん……思い出した……」
                 うわー。しにたーい。
                 「いつもなら俺もララモンに押し付けて帰っちまうんだけどさ、今日はデジヴァイスメンテナンスの日じゃん。しょーがねーから引きずって来たはいいけどお前鍵も閉めねーで寝るからさ。あぶねーし、電車もねー時間だし、タクシー呼ぶ金なんか当然持ってないし」
                 「……お気遣い痛み入ります……」
                 「でもお前男の服引っぺがすよーな酔い方するまで飲むなよな」
                 あきれた顔で大がもう一口紅茶を飲んだ。
                 「はぃぃ?」
                 「あたしの酒が飲めないの!?とかっつってトーマにガンガン飲ませた覚えねーか?この部屋帰ってきた時に俺の制服引っぺがして洗濯機に放り込んだことも?……いっつもララモンが口うるさくお前の食い物と飲み物の管理してる意味がよーやく解った」
                 お前、酒は本当に気をつけなさいね。大がまるで父親のようにため息混じりにそんなことを言った。
                 私はもう入るための穴を探して縮こまるしかない。

                3
                 酒癖が死ぬほど悪い、というのは自覚がある。思えばあれは中学の卒業式の打ち上げ会。悪さの好きな連中が私に内緒でカルアミルクという、ものすごく甘くて飲みやすいお酒をですね……あ、嫌な記憶が甦って来るからこの話パス。
                 ともかくその頃お酒に味を占めてしまった悪癖が続き、今でもちょくちょくとえらいことをしでかすのだが。
                 ……それにしたってまさかトーマや大にまで絡んでいたとは……
                 「リーダー失格」
                 ぼそりと、背筋に寒気が走りそうなほど甘いミルクティを飲み干した大が追い討ちを掛ける。
                 「ううううるさいわね!人間誰しも欠点はあるものなのよ!」
                 「国家公務員のくせに未成年飲酒。なおかつ飲酒の強要。怒られるだろーなぁ?」
                 うへへへ。大が底意地の悪そうな半目で下世話な笑い声を擦れさせた。
                 「悪かったわよ。だからお願い黙ってて」
                 「俺も飲まされちゃった。しかも口移しで」
                 「う、うそっ!?」
                 戦慄が走る。あまりの衝撃的告白のおかげで頭の中が真っ白け。全ての情報が一気に吹っ飛ぶ。
                 「ほーら何にも覚えてない」
                 あざ笑うかのような声に苛立つ暇もなく身体が動く。
                 「うそうそうそ!あたしそんなことしないわよ!うそ!うそよね!?」
                 真っ青になって灰色のスウェットの襟元に飛びついて揺さぶる私から顔を背け、大がテーブルの上に冷えた甘い香りのするマグカップを置いた。
                 「たようならボクのファーストキッス」
                 芝居くさいショボンとした顔。捩れた浅黒い首。見慣れた茶色く長い髪はいつもの髪留めがない。
                 「だってそんなの……やっぱうそでしょ?うそうそ!あたしだって……」
                 お菓子は好きだけれど、ジュースはそんなに好きじゃない。
                 そりゃ飲まないわけじゃないけどさ。
                 でも紅茶に何杯も砂糖を入れるほど甘いの好きじゃない。
                 だってせっかくの香りが台無しじゃない。
                 缶入りフォションって高いのよ。
                 甘い香りがして、甘い味が口の中に広がる。背筋がぞくぞくいいそう。砂糖のカタマリを口につっこまれたみたいに、甘い、甘い、甘ったるい、ミルクとお気に入りのスイートオレンジのあの味。
                 がががが、と耳がテーブルの足を引きずった音を捉えたけれど、自分の背中がテーブルに当たっていることには気づかない。
                 遠くでどこかの家の柱時計が二度鳴った。
                 午後26時。
                 私は4つも年下の中学生を家に引っ張り込んで、固まったままの右手首を掴まれ、いつの間にか腰を引き寄せられて、そういう格好で居た。
                 寒々とした蛍光灯の光が、さらに暗くなったみたいだ、と思った。

                4
                 明日にゃなーんも覚えちゃねーんだもんな。
                 ミルクティの味がする唇が離れて、自嘲気味な中学生が学徒にあるまじき長さの髪を垂らし、昼間の彼にあるまじき憂鬱そうな表情で多分そんなことを言ったのだと思う。
                 「あ、あ、あん、た……!?」
                 上手く言葉が出てこない。こうも立て続けにショックなことが起こってもいいものなんでしょうか神様!
                 『なんてことすんのよ、不意打ちで!』
                 それは綺麗にハモったセリフだった。
                 「……ほーら、また同じこと言うだろ。……酒飲んだらみーんな忘れっちまう、便利なアタマ」
                 さらさらの栗毛がベッドに広がった。軋む音が限りなく細くてまるで悲鳴のよう。
                 「あんた、あんた……自分がなにしてるか……」
                 分かってらぁ!バカ女!
                 手首ががくんと引っ張られて、今そこで大が寝そべっていた筈のベッドに引き倒された。身体がスプリングの伸び縮みにあわせて弾む。いつもの制服、ジャケットの金具の音。
                 「分かってなきゃ、こんなとこに居るわけねーだろ!」
                 くそっ、なんで今日に限ってアグモンの奴いねーんだよ!なんでララモンまでメンテナンスなんだ?うっかり完全体デジモンが出たらトーマとガオモンだけでなんとかなるわきゃねーだろうが!
                 「何で俺は今日に限って……無理やりでも帰んなかったんだ……」
                 ぐたっと力なく身体の上に圧し掛かってきた体重に、思わず悲鳴を上げそうになった。結果的に上げなかったのは、意思の力じゃない。単に声が出なかったに過ぎない。
                 大の髪が痛いほど暴れる胸のビートに合わせて踊っているのが微かに見えた。それが自分の鼓動の末端だと理解するのにずいぶん時間が掛かってしまったが。
                 「もう絶対やんないって決めたのに」
                 その言葉にまた戦慄が走る。全身が緊急信号でも発されたかのように動かない。
                 「……あ、あんた……まさか……!」
                 視線が固まる。
                 「まさか?まさか、なんだよ」
                 視界が揺らぐ。
                 「…………その次、何を聞く気だか当ててやろうか」
                 ゆっくりと胸から顔を起こす大の顔が見たことのないような厳しい表情で、なのにどこか憂鬱で哀れな目をしていて、逸らすことができない。
                 「あんた、あたしを抱いたの?とか聞きたいんだろ」
                 いつも聞いている声なのに、それが誰の声だか分からない。
                 「答えは要るか?」
                 もう一度彼は私の胸にその顔を伏した。
                 「……心臓の音、変わった」
                 目の前がちかちかする。耳の奥がガンガン鳴る。手足が痺れて動けない。頭の神経がズタズタだ。
                 「これなら答えなくていいな」

                5
                 ごそごそと背を向ける大の髪の匂いがひどく男臭くて全身が固まる。
                 ……嘘だ、胸がどきどきする。
                 「そんな固まんな……無理やりやんねェよ」
                 背中越しに再び被せられた布団に吸い込まれてゆくくぐもった呟き声と、少し弾んだ吐息。……震えてんの?あんたが?
                 「む、むっ……むりや、り……とか……!」
                 ひどい吃音。目の前がスパークしているのに言いたいことは山ほどあって、なのに何も言えなくてもどかしい。でも私は一体何を言いたいんだろう?何を言おうとしているんだろう?わからない、解らないのに言葉が喉の奥に詰まって渋滞を起こしている。
                 「……な、なんで……?」
                 自分でも間の抜けたことを聞いているな、と思った。何より主語が無くて意味が解らない。
                 「――――なんだよ、無理やりして欲しいのか?」
                 「――――――――っ!!」
                 そのからかうような口調と同時、背筋に悪寒が走った。気軽に究極体をぶん殴ったりするような男にどう抵抗したって敵うわけがない。私は必死で首を振る。
                 「今日は頼まれたってしねぇ」
                 断言するように大がそれだけ言って、後は黙った。
                 10分?20分?カチカチと薄暗い部屋に響き渡る秒針の音だけが耳について、大の寝息も聞こえない。ただ時折布団が持ち上がったり足を組み替えたりしているのか、大の匂いがする空気が自分と大の体の間を行き来しているだけ。
                 ゆっくり回転数を落とし始めた鼓動が呼吸を楽にしてくれて、頭の中の暴風雨も収まってきた。静かに時間が経つのをボーっと待っているのはどうも性に合わない。だってはっきりさせなきゃこっちの気が治まらないもの。
                 「ねぇ、ほんとに、したの?……その、アレを」
                 「……した。」
                 意を決して出した言葉に、意外にもすぐに返事が来る。
                 「いつ?」
                 「何回目?」
                 疑問に返された短い疑問文に心臓がはねる。
                 「……ぜ…んぶ。」
                 少し時間が空いて、一度目は3ヶ月前、二度目は忘れたけど三度目は二週間前、と擦れた声が返って来た。
                 「……な、なんでそうなったの?」
                 また少し大は黙った。その沈黙が今度は恐ろしくて、早く、早くと気が急いて仕方ない。
                 「最初は……お前がベロベロに酔っ払ってて……服を脱いで、それから………忘れた。二度目は多分俺がしようっつった。三度目はお前が俺のこと押し倒したんだろ」
                 「……ギャー……」
                 「……んだよ、ぎゃーって。」
                 「いいの、こっちの話……じゃあ大は被害者なワケだー……あはは、最ッ悪なんですけど……」

                6
                 ああそうですか、自分で押し倒しましたか。ウフフそうねそういうこともあるかもね。やばい微かに記憶がある。夢じゃなかったのかあの突拍子も無い記憶は。
                 私には時々どう考えてもつながらない記憶、というのがある日突然ふっと脳裏に浮かぶことがある。もし仮にそれが全て事実だったりしたら……懲戒免職じゃすまないかもね……ウフフ。
                 「……最悪じゃねえ。」
                 「は?」
                 「俺は最悪じゃねえって言ってんだよっ」
                 引きつり笑いもそのままに、大の強い口調の単語の意味が頭の中でつながらない。私が間抜けた声で聞き返すと、大はもう一度強く否定した。
                 「……物分りの悪い女だな!
                 俺は!別に!こうなったのは最悪じゃねえつってんだっ」
                 「……はぁ、そりゃ……どうも……?」
                 珍しい、あんたが気ィ使ってんなんて。そんな風に思って、それを口に出そうとしたのを遮られたのは、結果的によかったのか悪かったのか、私には解らない。
                 「お前は……淑乃は、最悪なのかよ。
                 やっぱ金持ちで、歌上手かったりとか、そういう男のほうがいいのかよ」
                 急に、というわけでもないけれど、声の質が変わったことに気付く。アンバランスで振り幅の大きなちぐはぐな調子。まるで大らしくない。
                 「……あんた何言ってんの?」
                 「べべべつに焼きもちとかそういうんじゃねえぞ!勘違いすんな!
                 ……ただ、ほら、歌手のなんとかっての居たじゃねぇか。ホントはあいつが好きだったんなら……結果的には悪ィことしたかなって……」
                 ぶつぶつグダグダ歯切れも悪く、大がいつの間にやら丸まってしまった背中の向こうでそんな風に呟いた。
                 「あははははははは!」
                 ぎょっとした身体が震えて、それでもなお笑い続ける私の態度にムラムラと怒りがこみ上げたのだろう。むきになった顔がようやく振り向いた。……ほんと単純。
                 「な、な、な、何で笑うんだよッ!」
                 「だってあはは、あんたが馬鹿なこと言うからよ、あははははーひーひーおなかいたーい!」
                 「なんだとこの野郎〜人が珍しく気を使ってやってんのに……」
                 あ、デリカシーがない自覚はあるんだ。上等上等。
                 「だって、おかしくって。あはは、悪い。ごめん。でも……ぷはぁははー。やさしーんだーまさるく〜ん」
                 「るせぇ!もう金輪際心配してやるか!」
                 「ヒトシとは卒業以来よ、会ったの。そんなの、あはは、あるわけないじゃん」
                 「…………でも、ああゆうのが好きなんだろ」
                 「……ああゆうの?」
                 「トーマとか、モロああゆうタイプじゃねぇか」
                 なんだそれは。何で急にトーマが出てくんの?
                 「……昨日……あ、もう今日か?…………酒飲ましてただろ、口から」

                7
                 あ、嫌だ。
                 頭痛。
                 耳鳴りもしちゃう。
                 あーあーなんにも聞こえなーい。
                 「うそぉ!?」
                 「……うるせぇ……」
                 抱きかかえて居酒屋でブッチューって。身振り手振りをしながら、向かい合った大が鬱陶しそうにそう言った。
                 ……公共の場で……私ってやつぁ……
                 立て続けて襲い来るちょっぴりショッキングな事実の数々に早くもグロッキー。身動き一つ取りたくない。
                 「ああゆう鼻持ちならねーインテリっぽいのが好きなんだろ?」
                 ふいっと視線を逸らしながら忌々しげに口を尖らせる大がもう一度同じ事を訊いたので、おねーさんはピンと来てしまいましたよ。亀の甲より年の功ってか。
                 「……なに拗ねてんの?」
                 「すっ拗ねるか!ていうか何で俺が拗ねなきゃなんねぇんだよ!?」
                 単純にもまた噛み付いてくるその仕草も、マウントポジションを取ってしまえばかわいいもんよね。
                 「はっはァ〜ん、おねーさん取られてやきもち焼いちゃったんだ」
                 「アアアアホか!なんで俺が!焼くか!自意識過剰!」
                 「いーのいーの、照れなくて。ちゃんと片手間に相手してあげるからね」
                 ほほほ、と小指も立てつつ口元に手の甲を当てて笑う私の顔を、今にも怒鳴りつけかねない表情で大が歯軋りをしていた。やだ、まだお酒残ってるのかしらね。
                 「片手間かよ!」
                 はっと自分の言葉に正気に戻ったのか、大があからさまにしまったと言う顔をした。
                 私はきょとんと、その言葉を飲み込めないまま変わらないポーズ。
                 「〜〜〜っ……!」
                 苦虫を噛み潰した、というのに相応しい面構えの少年が、心底納得がいっていない風に吐き捨てた言葉を私は本当はどうすればよかったんだろう。どれが正しい職場の先輩としての態度だったんだろう。
                 ……そうだ、私とこいつは職場の先輩後輩の間柄のはずだ。仲間で戦友で、それだけのはずだ。
                 「お前は明日になったら全部忘れるかもしんねーけど俺は全部覚えてんだ!
                 だから忘れる前くらいちゃんと俺の相手しろ!」
                 ――――――私には時々どう考えてもつながらない記憶、というのがある日突然ふっと脳裏に浮かぶことがある。もし仮にそれが全て事実だったりしたら――――――
                 私は何度記憶を失ったんだろう。そんで、どうしてそれはきちんと蘇らないんだろう。
                 もしかして、私は彼にひどい事をしているんじゃないだろうか?ひどい事をした事も忘れてしまう、というひどい事を。
                 「……淑乃は酒飲んでる時しか俺を相手にしねーんだ。……いーよそれでも」
                 大のかさつく手が伸びて私の頬にそっと触れる。顎のラインを人差し指が辿って、それは普段の大からは想像もつかない繊細さで、私はなんだか罪悪感に囚われて仕方なかった。

                8
                 人に好かれるのって照れくさくてちょっと苦手。嬉しい反面どこか怖くて居心地が悪い。
                 なんだかあんた別人みたい。いつものガサツで大雑把で押せ押せな傍若無人が服着て歩いてるような大はどこ行ったのよ。
                 そういや私は大のことあんまよく知らない。ワケわかんない大事件に巻き込まれたカワイソーな子な筈なのに湿っぽいとこが欠片もない。得意技は力でごり押しというおバカのワリに過保護だったり、半面喧嘩に明け暮れてたり。
                 ……なんなんだこいつは。
                 「――――――なんで?」
                 「……慣れた」
                 意思なく垂れ流れた呟き声に短い返事が返ってきて、ただ漠然とああそうか、と思った。……何を納得したのか自分でもよく分からない。でもその時私は大の声の調子に何か重要な事を悟ったんだろう。
                 単なる熱血馬鹿かと思うとそうでなく、勢いだけの脳筋野郎かというとそうでもなく。なんか考えているようで何にも考えてなく、優しいようで冷血にも見え、シスコンかと思うと父親のように突き放したりもする。
                 「……こんな大をアグモンが見たらなんて言うかしら」
                 くっと短く言葉を詰まらせて“アニキ”がのそのそと近付きながら降参するように口を割った。
                 「さぁな」
                 ジャケットについている金具がかすかにチャリ、と一度だけ鳴って。
                 長い髪が首元を擽る。胸元に埋められた大の表情はよく分からないけれど、跳ねた私の鼓動を嘲うつもりはなさそうだ。
                 「淑乃、おっぱいねェようで実はあるよな」
                 「……なっ!」
                 「制服のままやるのってなんかスゲーイケナイ感じ」
                 「ちょっ、ちょっとぉ!?」
                 嫌な心臓の動悸。背筋がゾクゾク、こめかみがビリビリ。もぞもぞ動く大のぎこちない手の動きがそれに拍車を掛けてますます気持ち悪い!
                 「どっくんどっくんしてる」
                 満足げな大がもう一度胸に耳を当てて殊更嬉しそうな声でそんな事を言った。……なによ可愛い顔して笑っちゃっ……いやいや!気持ち悪いんだってば!……こいつが可愛く見えるなんてよっぽど飲みすぎたかな――――――いーやメンドクサイ、お酒のせいにしちゃえ。
                 いーじゃんいーじゃん。かわいーじゃん大。うん。かわいいよ。かわいいかわいい。自己欺瞞ってこういうのを言うのよね。勉強になるわ。私は一人で自棄になったり納得したりして意識を逸らす。
                 「大はもう4回目だからドキドキしないの?」
                 だってそうでもしなきゃこんな台詞、14歳にしちゃしっかりした胸板に手を這わせながら言うなんてはしたない真似出来ないもの。
                 「あっ凄いドキドキしてきた」
                 掌を叩く振動につい頬が緩んでしまう。
                 「ち、ちゅーがくせーを弄ぶな!」
                 いつもは括ってある髪が落ちていて幼く見える年下の男の子が、うろたえて赤くなった顔を腕で隠しながらくぐもった声で悲鳴を上げた。

                9
                 犯罪かなー。犯罪かもねー。
                 胸に顔を埋めている仕草が熱心で猫みたいだな、と思う。サラサラ流れる髪を梳きながら、指の腹で大の地肌を擽る。頭を触られるのが好きなのか、大はときどきぴくぴくと痙攣して首をすくめる。
                 ……やばいなー。マジかわいいんですけど。 
                 「頭触られるの好き?」
                 短く訊ねる私に閉じた目を開くことなく、夢うつつといった塩梅でぼんやりした声がヘナヘナと砕けた。
                 「淑乃の指、つめたくていーきもち」
                 半分だけ私の上にある大の身体は体温が高くて妙に落ち着く。ほんとに猫みたい。
                 「俺ばっか気持ちよくてもワリィから」
                 大の左手がそんな言葉と共にそろりそろりと動いた。
                 「ぎゃ!」
                 膝の輪郭を確かめるように温かい違和感が登ってくる。ちょうどスパッツと地肌の境界線、太ももの始まりあたりでその指が止まる。
                 「俺らの制服と生地違うんだな」
                 つるつるの布肌を擦るように二本の指が境界線を滑った。
                 「あっ……やだぁ…その触り方、なんか痴漢っぽい!」
                 抗議に聞く耳持たず熱もつ指はゆっくり太ももの裏側へたどり着いて、触れるか触れないかの掠れる様な微妙なタッチを繰り返し、繰り返し、繰り返し……!
                 「あっぃあっあっ」
                 やだ、声が出ちゃう。必死で食いしばろうとするのに、鼻に掛かったみたいなどっから出てんだか分かんない様な声が止まらない。
                 「くび、しまる」
                 忍び笑いがしてくらくら頭の私は素直に掴んでいる灰色のスウェットの襟元を放す。たったそれだけの事なのに急にどこか遠くへ放り出されたような錯覚。うろうろ取っ手を探す私の手が片方だけ掴まれて、急激に現実へ引き戻された。
                 潤いの少ない熱い手。ところどころタコが出来てて硬く遠慮のない手。
                 「右手貸してやるよ」
                 左手の悪さは続いているのが信じられないくらいイイ顔でいつもの大が笑った。
                 「利き手を塞いで大丈夫なの?」
                 負けじとニヤリ笑ってそれに応えてやる。
                 「――――――見てやがれ」
                 きゅっと眉を吊り上げた大が吠えると同時に明確に意思を持った左手がスパッツの中に進入を始めて、悲鳴もあげられなかった。あまりに急だったからではない。掴んだままの大の右手が私の口を塞いだのだ。
                 「……ゆっとくけどこれ、マンションで声が響くからってお前が発案したんだからな」
                 敏感になった唇に大の掌がかぶさって、なんだか変な気分。酸素が少なくて頭がぼーっとする。
                 ハッキリしない頭のせいにしてしまおう。アルコールのせいにしてしまおう。今この胸打つ刹那的な動悸はみんなみんな自分のものじゃない……それが今、たまらなく疎ましかった。

                10
                 「あぅぅ……いっあっ…あっ……くぅぅ」
                 さっきから聞こえるのは自分の吐息が崩れる音ばかり。しがみ付いてる大の右肩の所だけ汗でしっとり皺になってて、どれほど自分が強く掴んでいるのかよく分かる。
                 「あっいや…っいやぁ……」
                 律儀に勤勉に熱っぽくスパッツの上から擦られている場所の変化もバレてんだろうな。厚い生地と下着を挟んで踊る大の指は最初こそたどたどしかったものの、今となっては焦らす事まで覚えてしまっているのだ。
                 「…いやぁ…」
                 中指が下着を巻き込んだまま緩く埋没する。まるでその言葉を私自身に否定させるかのように。
                 「アァ…っ…!」
                 顎が上がり背筋が仰け反る。顎先にぬるい舌が這った。ぴちゃぴちゃわざと音を立てて啜られる唾液の音が、ますます熱を上げる。
                 「っく……ぁぅぅ……っ」
                 本当によく耳を澄ますと聞こえる小さな小さな、ほんの小さな大の息の上がった気配を知って、不思議だけれど確かに安心した。
                 「……中、触って欲しい?」
                 ――――――前言撤回。このクソガキ。
                 「生意気言ってんじゃないわ…よ」
                 ビリビリ痺れる身体、とろとろ蕩ける神経、フラフラ歪む視界。そのどれもがすっごく惜しかったけれど、こちとら伊達にDATS隊員やってんじゃない、あんたらとは基礎が違うのよ基礎が。
                 「ガキの癖に」
                 大の指が離れた途端ジンジンうるさいスパッツの食い込みを出来るだけさり気なく直して、今まで掴んでいた右肩を押し、腰を支点に逆に左肩を少し強く引いてやる。
                 「うわっ」
                 「返せるもんなら返してごらん」
                 簡単に力点を譲るってことはやっぱり武道なんかやった事ないんじゃない。それであの強さなんて反則なんですけどー。私は体重移動もろくに知らない大を組み敷き、急の事できょとんとしているその唇を塞いだ。
                 「!!?」
                 目を白黒させる、というのはきっとこういう事を言うのね。唇の向こう側で爆発不全な暴れる空気を舐め上げて、用心深くもう一度角度を改めた。熱っぽい唇にはまるで力が篭ってなくて、口角が薄く痙攣しているのが分かる。顔の全ての筋肉が緊張と驚愕でガチガチに固まっているのがなんだかおかしい。
                 ゆっくり唇をはがすと、だらしなく垂れた唾液がすうっと透明な橋になって音もなく途切れた。
                 「うぶなのね、あ・に・き」
                 ささやき声に少し頭の悪い嘲笑を振りかけて、耳元で出来る限りの重低音。くすくす笑い声が混じらないように。
                 ……ありゃ、顔真っ赤。
                 怒って反撃してくるか、さもなければ火が付いて襲われるかだと思っていた私の意に反して、誰が見ても丸分かりのうろたえぶりで大は言葉を失っていた。
                 何気なくすこし唇を尖らせてそっとスウェットの上から掌を押し当てると、破裂せんばかりの勢いで心臓が暴れている。

                11
                 「ひゃー。すんごいドキドキ」
                 声を上げている自分までドキドキしちゃいそー。まだ真っ赤な顔して固まったまま声も出ない大がパクパク唇だけをぎこちなく動かしている。あはは金魚かアンタは。
                 「ち、ち、ちゅーした!ちゅーしたっ!!今!ちゅーしたぁあぁあぁ!!」
                 掠れてひっくり返ってもう無茶苦茶な声が大爆発する。
                 「よ、淑乃が!今!」
                 「うっさぁい!何よ今さらキスくらいで。アンタ今まで人の胸とか足とかもっとヤバいとことか散々触りまくってたじゃないのよッ」
                 「だって今まであんだけ嫌がってたくせに!」
                 ……なんですと?
                 「だ、だって居酒屋で誰彼構わずって」
                 「だから!それは酒飲んでる最中だろ!?今お前酔って……」
                 ……あれれー?
                 「ベロンベロンになってる時だってこんな……こんなちゅー……し、しなかった…っ…」
                 震えている指が今まで私の唇が深く絡んでいた場所を辿っているのだろう。声が少しブレていた。
                 「淑乃、も、もしかしてお前、今……正気なんじゃ……」
                 目に見える事もない声が手に取るように引きつって青ざめるのがわかった気がする。
                 「やー、酔ってますよ?酔ってますとも」
                 えへへ。照れ笑いも白々しく硬い笑い顔で頬を掻く。
                 「うっ……うわあぁあぁー!!」
                 叫び声とほぼ同時にものすごいスピードで布団の中へ逃げ込む大。あはは、多分また真っ赤だなこりゃ。
                 「わっ忘れろーっ!忘れろー!」
                 「ちょ、ちょっとなんなのよー、布団返しなさいよサムいじゃないの!」
                 「うわーうわーうわー!」
                 じたばたじたばた転げ周りながら大が七転八倒を繰り返してのた打ち回る。彼にしてみればきっと余程の事なのだろうが、それにしてもいっそスガスガシーくらいの大アクション。ここまで恥かしがってくれると余は満足だわ。
                 「『淑乃は酒飲んでる時しか俺を相手にしねーんだ』」
                 「ぎゃーぎゃーぎゃー!!」
                 布団に向かってセリフを反芻すると、また布団がドタバタ捩れて転がる。
                 「私の瞳の奥を見てごらん〜きっとあなたは離れられなくなる〜」
                 「俺が生まれる前のアニメのEDを歌うなッ!ジャスラックが来る!!」
                 「相手にして欲しいならそう言いなさいよね」
                 おほほほ。ずいぶんいい気分で高飛車に高々と足を組換え、布団に肘を掛けながらそんなセリフ。
                 ふっと布団の高さが変わってもそもそ裾から茶色い後ろ頭が覗いた。肩に引っ掛かったままのぐちゃぐちゃタオルケットもそのままに、大が呆然とした声を上げる。
                 「俺、酔っ払って自分の居る場所もわかんない女抱いたんだぞ」
                 見慣れてるはずの猫背が妙に小さく見えた。

                12
                 言えるわけねぇじゃん。ある種の毅然ささえ覚える口調で大が壁に向かってそう言う。私はその言葉に潜む迫力に気おされて言葉を続ける事が出来ない。
                 「ヒキョーモンだと笑わば笑え」
                 ……あんたときどきヘンな言葉使いするわよね。妙に古臭い言い回しとか。
                 「誰も被害者を笑ったりしないわよ」
                 一回ならそれで通ったかもな。機嫌を取ろうとした滑稽さを一蹴する冷たい声。
                 「で、でもホラ酒の勢いとかあるじゃん」
                 俺未成年。木で鼻を括ったような物言いには取り付く島もない。
                 「……じゃあアンタ、ただエッチなことしたいだけでここに居るわけだ」
                 「なわけ…!………っ……………いや、そう…だな…」
                 深いため息をやっとのことで噛み殺しながらの言葉に、まともに顔色を変えるのにそれをまた健気にも隠そうとする大。ああもう、これだからお子様ってぇのは。
                 「――――――――ほんと、あんたってガキね」
                 「…なぁっ!?」
                 引きつった驚きと急に突き落とされた驚愕に、またも単純にも食いつく中学生。
                 「あんたあたしのこと好きなんでしょ?だから酔ったのを口実にこんなことしてんでしょ?
                 一体それのどこにあんたが気負いする要素があんのよ。いーじゃない別に」
                 ヘラヘラ笑いながらぽすぽす肩を叩く。珍しく落ち込んでいるかわいいいつもは生意気な後輩。
                 「……いいワケあるかぁ!
                 お前、明日酔い醒めてこの事実知ってみろ、DATS辞めるかもしんねーんだぞ!
                 俺は淑乃のプライベートなんか全然知らねぇ、もし好きな人とか彼氏とか、そんな奴が居たらどうする?……俺は……俺は、とんでもねーことやっちまったんだ……っ!」
                 ベッコリ凹んだこいつを、私は初めて見たかもしんない。無闇矢鱈に元気で押せ押せで闇雲に突っ込んでって大暴れして計画性もなくどんどん進んでっちゃって後先考えずにとにかく行動行動行動、そういう奴が私の事でボコボコになっている。
                 ………………ヤッバ…………マジかわいーんですけど………………
                 肩を落とし、丸まった背中にぺったり引っ付きたい。
                 でもせっかくこんなに可愛いんだからもうちょっと見てたいのが人情ってモンじゃない?
                 「……私にそんな人がもし居たらどう責任を取るの?」
                 びくりと背中が目に見えて震えた。
                 「……俺が出来ること、なんでも……して、謝るしか……できねぇよ」
                 「それで取り返しがつく?」
                 「――――つかねぇ――――」
                 擦れた声が哀れでこれ以上無いほど心が痛んだ。たまらない気持ち、というのはきっとこれのこと。
                 「百回謝られるより『俺は淑乃が好きだから抱いた』って素直な一言が欲しいとこだわね。」
                 言えるわけない、なんてヤッた後で言わないで。やられたこっちの身になってみても罰は当たんないでしょうに。……と、これは言わないでおく。っていうか、最初に押し倒した(はずの)人間の台詞じゃないな。
                 人間なんて一皮向けば野蛮なもん。愛だの恋だのはるか以前、ワケわかんなくたってセックス出来るんだから……とは言っても、中学生にそんな達観を求めても無理なハナシよねー。

                13
                 だからお姉さん、ここは一肌脱いじゃいます。
                 ……別にカワイーからって手篭めにしようとしてるんじゃないわよ。
                 「だから、言えねぇっつってんだろ」
                 「……言えるようにしてあげるわ」
                 硬い背中。力が変な風に入っているから、熱を持っているのにがちがちに凍っている。いつもムカつくくらい自然体の大が緊張している。……おもしろい……
                 するすると淀みなく動く自分の腕と手のひらが慣れた肌触りのスウェットを滑り、大の顎を捉えた。まだ男特有のひげの感触なんかはないけれど、シャープな顎のラインと引き締まった細い首周りに指先が発情してしまいそう。
                 何とか必死に声を上げようとしているのが喉の動きで分かったけれど、それを許すほどお人よしじゃないわ。
                 そのまま一気に肩に圧し掛かるように顔をまわし、唇を奪う。
                 震えている。まるで初めてキスされた女の子のように。
                 唇を少し割り、舌で身動きの取れない大の唇を丁寧に舐めあげると、ほんの少し力が緩んで開かずの門に髪の毛ほどの隙間が生まれたその時。ついに力尽きたのか大の上半身のどこからにも力の在り処を認められなくなり、当然の結実として私が彼を押し倒す格好になってベッドに倒れこむ。
                 ぎぎぎっ。パイプベッドのスプリングが大きくしなって軋んだ。さすが安物、二人の身体が跳ねるほどの強度は無い。
                 「……やめろ」
                 「やめない」
                 うんざりした顔で渋い声でそっぽを向く夢見る青少年には悪いけど。
                 「そんなことしたら……!」
                 「したら?」
                 「――――お前が困るだけだぞ」
                 ねえ恋も知らないボクチャンよう、大人の世界もいいものよ。
                 「困らせてみてよ、お姉さんを」
                 熱っぽくささやく。ああこんな声を使うのはいつぶりだろう?静かに大きくなる胸の振動に伴奏がついていて、とてもとても居心地がいい。絡む鼓動を手繰り寄せては何度もキスをする。
                 そのうち体温が高い手と指が髪を梳くようにゆっくり首の裏を旋回して、時々地肌に触る。……あ、きもちいい。
                 「頭触られるの好き?」
                 短く訊ねる大に閉じた目を開くことなく、夢うつつといった塩梅でぼんやりした声がヘナヘナと砕けた。
                 「……うん……」
                 悔しいけど、ホントに気持ちいいんだこれが。
                 少しでも離れる唇が惜しくてキスを続けている。まるでこの気持ちよさを初めて知ったかのように。
                 時々唾液の交換が途切れる合間に呼吸をする大の息切れがどんどん大きくなっていくのが面白い。歯も当てずに器用なキスをするけれど、肝心の息の仕方も知らないなんてまだまだね。……それとも、鼻で息をするのも忘れてるのかしら?
                 そんなことを考えると、なんだか微笑ましすぎて笑えた。

                14
                 ジッパーを下ろす音を悩ましいと思ったことは一度も無い。何故ならそんな音に耳を済ませたことなどないからだ。人はそこに自分の意識が介在していると、感情を大きく取り乱すものらしい。
                 ……なーんつってな。
                 プラスチックの弾ける小さな音がして、大の匂いが微かに香るのが面白い。
                 ほんの少し緊張して汗ばんでいる肌に手のひらを当て、その熱いくらいの体温に指が反応する。
                 「つ…めた……」
                 4本の指を小指から順番に軽く折り曲げながらオトコノコのわき腹をまさぐる。オトコノコったらオトコノコのくせに鼻に掛かった吐息を吐き出しそうになるものだから、それはそれは必死に食いしばっていて、その仕草に凄く興奮する。
                 こそこそと降りてゆくと、所々に引き攣ったような肌の凹凸があって、指先の感覚でああ傷なのだなと解るとその部分を執拗に擦った。
                 ちらりと垣間見た大の表情が顰めっ面だったので、私は更にそこに力を込める。
                 「っ……!」
                 「痛い?」
                 「……そこ昔縫ったとこ……」
                 こめかみを引き攣らせた大の表情の艶っぽさときたらどうだ。まるで誘ってるようじゃないか。
                 「見せて」
                 腰骨の少し上に、なるほど小さな縫い跡が残っている。
                 「なに、盲腸?」
                 「いや詳しくは知らねぇけど、子供ん時に怪我したって話だけ」
                 その声が消えるか消えないかの頃、私はそこへ舌を這わす。ケロイド状に艶やかな薄皮に、自分の舌がこんなにもザラザラしていたのかと思った。
                 「っ!!」
                 引き攣る声。吃音。そして無言。
                 最初は腹、続いてわき腹、更に腰、ついに傷。たっぷり唾液を含ませた舌で辿る大の身体。引き締まっていて余分な肉など無く、今時の子供にしちゃ珍しく日に焼けている薄い褐色の肌は汗の味がした。
                 「傷って感じるでしょ?」
                 感覚が鋭敏になって痛みを感じるのだから、鈍い感触は快楽になることは道理とはいえ……ここまで反応してもらえるとこのナメ次郎、力が入るってモンよ。誰がナメ次郎だ。
                 「〜〜っ!ぃッ!!」
                 チラチラと視線をやると、それはもう必死で両手で口をふさぐ事に専念してこの必殺「男殺しの睨め上げる上目遣い」を観賞する暇も無いようだ。……まったく、お子様なんだから。
                 と、甘く見てたのは自分の方だと思い知らされる。
                 バッチリ目が合いどうするかとニヤニヤ薄笑いで舌を休めず眺めていると、その真っ赤な顔が何とか手を伸ばして私の左手を取り、おもむろに中指と薬指の間の側面に舌を滑らせたのだ。
                 「〜〜ッ〜!?」
                 そりゃ引っ込めますよ舌も。
                 バッチリ目が合ったまま、真っ赤な顔の大が健気なカオして指舐めてるのよ?

                15
                 「ななななな!」
                 「つ、続けろ…よ…」
                 ひび割れた低音ボイスが直接指に振動を込めるもんだから、唇の震えも相まって……ビリビリくる。
                 自分の指に大の熱い舌が蠢くたびに、身体中がビクビクと痙攣するのがわかる。
                 今まで大袈裟なほど跳ねていた大の腰辺りの筋肉に力が込められて、より一層ガッチリとした身体にフォースが漲っているよう……立場上、デジソウル、と言った方がいいのかしら?
                 「あっ……!」
                 馬鹿な事を考えた。意識がズレたその瞬間に甘く犬歯が突き立てられて、私は思わず声を上げてしまう。
                 それを期としたのだろう。やはり大の行動力、そして攻撃センスは油断できたものではない。
                 あっという間にその指が肩を伝い腰に到りスパッツの中へ進入する。
                 「んあぁっ!」
                 「……すげえ……ぐしょぐしょ」
                 わざとなのか偶然なのかは知りたくもないけど、大はスパッツと下着の間に手を入れて指を動かしている。その動きの緩慢さと執拗さにひどく背筋がわなないた。
                 「ばっ……!」
                 「うるせぇっつの」
                 馬鹿、と私は叫ぶ予定だったというのに。いつの間にそこへやったのかも解らない大の左手が大きく私の口を塞ぎ、まるでそれを予想済みだったかのような余裕綽々の表情で笑う。……あんた顔真っ赤にして大人ぶってもオモロイだけよ。
                 左手は口。
                 右手は足の間。
                 いつの間にか体勢を変えられて、ベッドに半分押さえつけられるように右手を動かされる。私は出来る限りの力でその両手を掴み、少しでもその力を緩和しようともがく。
                 息が苦しい、恥かしい。そんなことを言いたかった。……本当は言いたくなかったのか。
                 だんだんただ添えているだけになってゆく自分の両手が、大の挙動を急かしているかのような気がしてきて、私は慌てて力を込める。
                 下着の線を辿るように、爪で引っかいてゆく振動。指の腹で緩く円を書き、時々ほんの小さな力で微かに与えられる圧力。下着の境界線に触れたかと思うとまた元に戻り、今度は逆がわに向かってゆく折り曲げられた指。
                 そのどれもに明らかな意図の存在する、取って付けたかのように不慣れでたどたどしい動きで、心臓は勝手にどんどん動悸を早めた。
                 嫌だと言いたいのか、言いたくないのか。
                 答えは言えない。
                 口を塞がれているから。
                 ……ではもし塞がれていなかったら?自由な呼吸で私はなんと言うのだろう?
                 酸素が足りなくて回らない頭で私はそんなことを考えていた。
                 14歳とは思えない気の使い方で押さえつけている力が、大とは思えないほど弱々しく繊細なことも。

                16
                 ああお願い、どうか一思いに……!
                 呼吸が乱れている。
                 たまらない。
                 酸欠だ。
                 いや恋だ。
                 それとも違う何かなのか、どうなのか。
                 足りない酸素と廻り回る二酸化炭素の強い麻薬作用。そんなものがあるのか知らないが、ともかく私は酔っている。アルコールや肥大した憐憫ではなくこの状況に。それともこの子に酔っているのか。
                 ノイズの走る眼前で、目を逸らさずに大は私の指に舌を沿わせ続ける。
                 フェラチオ好きの男が多い理由はこの支配感が理由だと言うけれど全く同感ね。足でも舐められた日にゃ調伏にかまけてしまうかも。
                 指の快楽に溺れる自分の体と、のんびりと擬似的なシックスナインを評する頭が乖離してゆく。
                 ……いけないいけない、真面目にやんないと。
                 ふらつく頭で反射的に口を押さえている大の手を掴んでいた右手を離し、自分のよだれが冷たく残っている腰の傷を伝ってズボンの中へ腕を差し込む。
                 ――――――――さすが。
                 若さっていいわね、馬鹿で。
                 ぎらぎらする熱持つロッドは張り詰めていて硬い。
                 「!!」
                 何か言いたそうな顔に、無理やり指を口に突っ込んで言葉を奪う。
                 ダメよ、そういうルールなの今から。
                 私の言いたいそれが分かったのか、指を口からそっと抜いても大は言葉を発しなかった。
                 指の間から指の股、ゆっくりと手のひら、そして指先、爪の間、指の腹、第二間接。濡れた唇とぬるつく粘膜、サラサラ蠢く舌が縦横無尽に私の左手を偏執的に陵辱する。まるで性器を愛撫するかのような丁寧で獰猛なストローク。
                 ……どこでこんなこと覚えて来んのよこの喧嘩番長は。
                 頭の中は飽きれた感想が出るほど冷静なのに、口から出るのは卑猥なあえぎ声。とても自分の内から出ていることが信じられないような。
                 「んぁあぅ…!うっうっう……!」
                 いつの間に涙が出たのだろう、濡れた目じりや頬から体温が逃げてゆく。それでも休めない自分の右手。唾液でぬかるむ左手を支える腕が痺れている。
                 擦る淫らは元気を無くす気配などなく、さらに肥大する熱膨張。
                 ……と、赤いお顔がひどく歪み、腰が引かれて口を押さえていた重みが消えた。
                 「ハァッ!ハァッ!ハァ……ッ!」
                 「……っぁ、はぁ、はぁぁ……」
                 お互いやっとのことで自由に新鮮な酸素を吸い込み、光合成に感謝する。……いや、私だけ。
                 荒い息を殺したドロドロにふやけた唇が、私の呼吸を阻害するような距離で。
                 「……そこまでするなら最後までやるからな」

                17
                 「あら、今日は頼まれたってしないんじゃなかったの?」
                 息を切らせながら笑う。
                 「…………気が変わった」
                 平常の呼吸のまま笑わない。
                 「……持ってるの?避妊具」
                 呼吸と同じに表情が固まる。
                 「持ってる、と言ったら?」
                 ギリギリの挑戦。またはドキドキの嘲笑。
                 「……ドコで買ってきたのよ中学生」
                 生意気な顔が気に食わない。
                 「グーで殴るな!萎えるだろうが!」
                 とりあえず大人としてもう一発教育的指導。下品禁止。……いや、言えた義理じゃないか。
                 「服、洗濯機にぶち込んだんじゃなかったっけ」
                 話題を変える。こういうのは得意。
                 「財布くらい抜いたわい」
                 それに乗ってくる大。……へたくそ、顔が引きつったままよ。
                 「げ、財布なんかに入れてんの?おやじくさー」
                 笑う。
                 「なんかお金が溜まるおまじないーなんつってクラスの女子が……」
                 それを真似る。
                 「どひー最近の中学生ってやつはススんでんのねぇ」
                 まるお遊戯。
                 「バぁーバクサいセーリフぅ」
                 ぽん、と投げ寄越された銀の正方形パッケージは角が擦り切れていることもなく、真ん中に針が通った様子もない。
                 「なんで私に寄越すのよ?」
                 「毎回奪い取って付けられっからもう先に渡しとこうと思って」
                 ……うっわ死にたい新情報。なにやってんのアタシ。でも避妊はしてるようだし、そこんところは偉いぞ淑乃。さすが大人だ淑乃。
                 「よぅし、んじゃ特別にお姉さんの大技を見せてあげましょー」
                 乗りかかった船を逃さないのか大人の行動力。銀のパッケージを破き、取り出しましたるはブルーのコンドーム。これをお口に入れまして……いや、せっかくなんだから……
                 おもむろにパッケージの中へブルーの輪っかを仕舞い込む私の挙動を、さも不思議そうに眺める大を尻目に胸ポケットに投入。
                 「なんだよ?おお……わ……」
                 今日何度目だったっけ、大と唇を合わせたの。広がる甘い体温と匂い。もうほとんど感じないほど麻痺したミルクティの残り香が鼻孔を擽る。ぬるぬる素直に絡んでくる舌が主人とは違って従順で、まるで犬のようだ。

                18
                 ベッドに寝そべる大の首筋、胸、鳩尾……と順々にキスで軌跡を作る。
                 両手を腰にそっと当て、そのまま手のひらを下にずらす要領でスウェットのズボンごと下着を下ろすと、ジャケットの生地を押し上げるように胸に大の自己主張が漲る。
                 そのまま素知らぬ素振りでキスを下ろし、ベッドの縁に掛けるように垂れている大のふくらはぎの間に陣取って大袈裟に慌てる大の両手をものともせずに、唾液を垂らした。
                 昔見たビデオの“中学生の女の子を誑かす悪いサラリーマン”という不埒なシチュエーションが何故かふと頭を過ぎった。そういえばあのビデオ、確かこうやって唾液を垂らす所からフェラチオが始まっていた。
                 薄闇に光る唾液の筋がどういうわけだか卑猥に見えない。自分のよだれにまみれている大の“元気くん”が美味そーなんだか愛おしーんだか、多分その両方なんだと思うんだけど、なんかとにかく苛めてやりたいというヘンなスイッチが入っちゃって。
                 舌ではなく、親指を鈴口に押し付けた。
                 「!?っ!!」
                 声ならぬ声が部屋に響き渡る。それもそうだろう、張り詰めた敏感に急激に降って来た強い衝撃。そしてそれは今も続き、グリグリと押し広げん勢いで怒涛の指紋擦りが行なわれているのだから。
                 「声出しちゃダメ……出来るだけ痛い目には遭いたくないでしょ?」
                 吊り上げた口角が自尊心を偽る。その醜ささえ今は心地いい。
                 「さっきからなに?この生意気は。そんなにキモチイーのかしらアニキ」
                 滑らす指はその触覚から外さずに声を飾る、表情を飾る。目を尖らせて薄く嘲ける。
                 「いやらしい。こんなにしちゃって」
                 逃げたくて堪らないのに私の視線の行方が気になって仕方がない。必死で逸らそうとする目を離さない私の罠に掛かって、もがく大の必死さが嗜虐欲を高みへ押し上げた。
                 ぞくぞくぞく。
                 背筋に違和感が走る。静かな興奮。止まらない指先。
                 「……どうして欲しい?特別に一言だけ許してあげる」
                 「…はな…せ…!」
                 擦れる低い声が蕩けるように闇に消えた。
                 「ずいぶん勿体ないこと言うのね、大」
                 何の気なしにそう言った。
                 ただそう言っただけ。
                 途端、手のひらの中に緊張が鋭く痙攣して、大の腰が跳ね上がったと同時に上体が体に覆いかぶさってきた。
                 「あっ!?やっ!!ちょ…っとぉ!!」
                 びくびくびくと、断続的な引きつる振動。流れる体液。弾ける体温。
                 「……から離せ……ったの……ばかや…ろ……」
                 「…制服…どうしてくれんのよ……」
                 つんけんな言葉尻が浮ついているのが自分でも分かる。胸に押し付けられている大の緩やかな硬直に、みっともなく動揺しているのがわかる。
                 「……っせぇ……急に名前なんか呼びやがって……!」

                19
                 「あーちんこイテェ」
                 「やぁだ、染さないでよ」
                 「病気じゃねえ!誰のせいだコラァ!」
                 「気持ちよかったでしょ?痛いあとに来る快感は格別ってねー」
                 「俺はマゾじゃねぇよサド淑乃!!」
                 「……思いっきりイッといてよく言うわよ」
                 ねぇ、気持ちよかった?してやったり、取って置きの笑顔で嗤う。嗤う、嗤う、嗤う。
                 「――――――――。」
                 その笑顔に、大は決して乗らなかった。興が殺がれる、とため息を混ぜて真顔にも戻れない。
                 「な、なによ……言いたいことがあるなら言いなさいよ」
                 「……ねぇよ」
                 疲れたような目。諦めきったような表情。まるでそれが鏡のようで大層私を激昂させた。何をどうしたいかなど、自分自身にも分からない。
                 「恨みがましい顔しちゃってさ。喉の奥にたっぷり言葉溜めてますってカオじゃない。解って下さいって素振りとか自分の言葉を他人に言わせようとする女々しいヤツとかって大ッキライ。
                 言いたいことがあるなら自分で言えばいいんだわ、口が無いんじゃないんだし」
                 アンタらしくないわよ、と続けようとして口を閉ざした。自分がこの子の一体何を知っているというのか。……何も知らない。何も覚えちゃいない。大の中にこんな大が居たことさえ分からなかった。
                 「言ったってどうせ忘れるくせに」
                 布団の中は暖かい。二人の体温で楽園のようだ。ジャケットを脱いでアンダーウエアとスパッツの私、ズボンも脱がせて裸の大。
                 「淑乃はいつも何か隠している。全部言わない。なのに全部忘れる。俺に全部言わせようとする。ずりぃ。」
                 胸に顔をうずめる大の声がくぐもって不鮮明になった。
                 「少しくらい覚えてたっていいじゃねぇか」
                 それから大は黙ってしまった。私は何も答えないで大の長い髪に腕を回す。下ろされた髪に指を這わせる。
                 何故何も覚えていないのか、今ならその理由が分かる気がした。
                 「――――忘れられないくらいキツイのしてよ」
                 大人ってずるいわね。逸らすことばっかり覚えて痛い事から逃げようとして。まっすぐな目すら時々怖いのよ。……でもそれって子供も同じってこと、解ってる?
                 唇に噛み付くように重なる粘膜。息が切れる。胸が苦しい。
                 「さっきの大技っての、見せてくれよ」
                 いつの間に手にしていたのか、露出したコンドームを手に、大はしかし笑わない。
                 口の中にブルーのゴムを放り込み、ごそごそと布団の海へ沈んで探り出した剛直を飲み込む。まだ唾液で濡れた跡が残る直立に手ではきっと難儀したに違いない。歯を立てないように、舌を滑らせリングを下ろす。
                 「……っ!?」 
                 「ほら、一発装着……って、見えないか」
                 子供もずるい。見て見ぬ振りして素知らぬ素振り。

                20
                 中途半端にアンダーウエアを巻くり上げ、搾り出されるようにまろび出ている胸が揉みしだかれた。当然のようにスパッツにはもう片方の腕が侵入していて、だが今度は下着越しの余裕も無いと見える。
                 「なんだよ、淑乃だって」
                 なによ、悪い?それとも私が興奮してちゃいけないの?あんたに欲情してちゃおかしいわけ?
                 もちろんそんな無粋は言わない。言えない訳じゃないのよ、決して。大の指と舌が気持ち良過ぎて歯を食いしばるので精一杯とかそんなんじゃないのよ、念のため。
                 「……アっ!」
                 中指が埋るのが分かった。ずぶずぶ強引に沈んでゆく大の中指。指の腹でごりごり擦る内壁が心ならず収縮する。
                 「いやっ…!…めて……」
                 ああ、顔が赤いのがばれちゃう。肩につかまってる指に力が入っちゃう。鼻に掛かる声。……いやらしい!
                 「……やめて……やめて……」
                 恥ずかしくて堪らないけど、本当はこんなことが言いたいんじゃない、本当は……
                 はっと目を見開くとドアップで大の顔があった。思わず心臓が跳ねる。
                 「なっ……!?」
                 「淑乃ってさ、きもちいいとき、かわいい顔するよな」
                 ぐっと強い力で唇を奪われた。
                 もう何もいえない。とろんと目に入れていた力が溶けたのが解る。
                 「ううぅ!うう…っ…!」
                 離せ、と言ったつもりだった。……いや、言い訳かな。離せという言葉にならないからこそ言ったのかもしれない。
                 「かわいい。かわいいよ、淑乃」
                 「ば、馬鹿いってんじゃないわよ、年下の癖に!」
                 「淑乃」
                 「し、下の名前で呼ぶな!」
                 「照れてんのか?ヨ・シ・ノ」
                 「〜〜っ!」
                 殺す、と思った。嘘偽りなく。それを言葉にしなかったのは倫理観からでも自制心からでもない。
                 スパッツと下着が無理やりに引き摺り下ろされて左足首に絡まり残るだけになり、大が右ひざを持ち上げて……あとはもう各自想像にお任せする。言いたくない。
                 「うぁあぁ……っ」
                 一気に入ってしまった。指でほんの少し弄られただけなのに、やすやすと埋りこんでしまった。……不覚。
                 「色気ねぇ声」
                 「あ、あ、ァ……!!」
                 「うわ、すごいびくびくなってんぞ淑乃ん中」
                 「あ・あ・あ」
                 「……わり、気持ちよすぎた?」

                21
                 苦しい。苦しい。圧迫感と衝撃で息が出来ない。
                 ガンガン突き上げる。揺さぶりなんて穏やかなものじゃない。叩きつけるように繰り返す。
                 「やだ、やだ、ゆっくり、いた…い…」
                 「うっるぅ、せっ……ゆっくりして欲しかったら…もっと緩めろ」
                 頭をパイプの枕止めに打ち付けるのが癪で、両腕でパイプを掴んで身体を反発させる。まるでつながれているように身動きが取れなくて、アンダーウエアでことさらに強調されている胸が上下に揺れていた。
                 ギリギリギリギリ。ベッドが悲鳴を上げている。……しまった、ベッドの下にもラグ敷いとくんだった。床、傷付いてないといいんだけど。ぎっしぎっしぎっしぎっし。マットレスが絶叫している。スプリングが馬鹿にならないかしら。
                 自分の膝小僧が二つ見える。その間で苦しそうで恥ずかしそうでやらしー顔の大が見える。顔、耳まで真っ赤。
                 「よし、の」
                 視線に気付いた大がひどく枯れた声で私の名前を呼んだ。切ない風に。
                 「あっあっ……なに、よ」
                 「よ、しの」
                 「…あっ…なに?マサル……っ」
                 「よしの」
                 強さの変わらない激しさは今も続いている。耳を澄ませばきっとはしたない泥を踏むような音も聞こえるはず。
                 「よしの」
                 何度も苦しそうに名前を呼ぶ大が苦悩の相を擁してきた。……あ、そうか……
                 引絞られた弓が弾ける様に、大の体が私を抱き込むように弧を描いた。ぐぐぐっと全身の力が込められて、何百分の一秒づつその力が抜けてゆく。
                 「……あ”っあっあっ……」
                 力を込める。思いっきり、それを絞り切るように渾身で。鈍い痙攣と鋭い痙攣が同時に身体の中で起こっている。それがなんだかよく解らないが、不思議に楽しかった。
                 「……悪い。気持ちよすぎた?」
                 笑ってやると、恨みがましそうな顔が引きつって「くそっ」と短く吐き捨てた。
                 グラインドは続いている。ビクビク断続的に震える汗ばんだ背中で指が滑らかに落ちてゆくことにも気付かないまま。
                 ぜぇぜぇというひどい息切れの音が部屋に響く。ぼんやり見上げて、大の匂いに巻かれながら見る天井を不思議だなと思った。
                 「……………………。」
                 ぐっと抱きしめる大の身体は、決して大きくはないけれど締まってて、重くて、頼りがいが……悔しいけれどあって、懐かしい父に背負われた日を思い出した。なのに何故か庇護欲を感じている自分も居て、そのちぐはぐさがこの居心地の悪さの正体なんだろうなと思う。
                 「苦しい」
                 「うるさい、黙れ」
                 「……なんだよ、一体」
                 「うるさい」

                22
                 「ア゛ニ゛キ゛〜」
                 「おー久しぶりだなアグモン。元気してたかー」
                 「何言ってるのよ、たった一日じゃない」
                 「それは違うぞヨシノ、オレとアニキは片時も離れてはいけない一心同体なんだ」
                 はいはい、仲のお宜しい事で。修復から帰ってきたデジヴァイスから即リアライズしたアグモンがする力説を聞き流して、ララモンをリアライズさせる。
                 「お疲れさま、ララモン」
                 「ヨシノこそどうだったの?一人っきりの週末は」
                 司令室は休憩時間で、デジヴァイスを持って来てくれた白川さんとポーンチェスモンが居るだけだ。
                 「んーまぁまぁ、かな?」
                 その返事を受けたララモンが私の顔を底の知れないいつものあの目でじっと見据えた……様な気がしたのは後ろめたい自分の勘違いか、それとも。
                 「じゃあ大を送った後そのまま夜勤に入るから、後よろしくお願いします。」
                 大に続いて受け取りの書類にサインをして、白川さんに渡しながらそう言った。
                 「ええ、ゆっくりしてきてね」
                 「……は?」
                 当たり前のように白川さんが笑って私の耳の側に言葉を残す。
                 「……髪くらい、洗ってきた方がいいわよ。淑乃」
                 微笑みながらドアの向こうに消える白川さんが何を言っているのかさっぱり解らない。頭を疑問符でいっぱいにしていると、ポーンチェスモンがじっと私を見上げて首を指差し、無言のままドアに向かう。
                 「なんなのよ」
                 呆然と二人を見送り、振り返ると真っ赤な顔の大が居た。
                 「ど、どうしたのよ」
                 「変なんだ、アニキ。シラカワがヨシノの匂いがするって言ってから。当たり前だよな、ここにヨシノ居るんだから。ほらアニキ、どうしたんだよ」
                 「〜〜〜〜っかっ帰るぞアグモン!」
                 「えっど、どうして、ヨシノが送ってくれるって」
                 「いいから来い!」
                 「えーっ!?なんでー!?」
                 エア圧縮のドアが閉まる音がして、しばらく大の声が小さく響いて、後は静かになった。
                 「……最悪なんですけど……」
                 なるほどね。なるほどなるほど。ようやく解った。壁に掛かっている鏡を見ると、刷毛で掃いたような赤い痕が首筋にひとつ。つまんないコト覚えちゃってあのバカ。
                 ため息ひとつついて、振り返ると無表情なララモンが静かに漂っている。
                 「もうわかっちゃったみたいね」
                 「おかしいと思ったのよ。そりゃ酒癖が悪いのは自覚してるけど、毎回記憶喪失になるなんて事はありえないわよね」
                 白と青のカバーの機械を片手に持っているララモンが、ふと空気を漏らした。笑ったのだろうか。
                 「どうして?バカな事をしたから?それとも後悔で立ち上がれないとでも思われてる?」
                 「最初は気が動転していたの、わたし。だから記憶を消して、なかったことにしたわ」

                23
                 ララモンは続ける。闇色の目と口で。
                 「二度目は悲しかった。三度目は嫉妬。……今日は、もう消さない」
                 ララモンの小さな緑の手から、記憶消去装置が落ちてフロアに高い金属音が響いた。
                 「……どうして?」
                 「心境の変化があったの。只それだけ。マサルを許したわけじゃないわ」
                 「……仕掛けたのは私なのよ?」
                 ララモンはどこまで知っているのだろうか。それとも全部知っているのだろうか。私は一瞬それを問い質そうかと思ったけれど、何故かやめてしまった。
                 「マサルは何も忘れていないもの!全部覚えてるはずだもの!なのにヨシノに何も言わないなんて、そんなのヒドイじゃない!
                 まるでヨシノが忘れてしまって嬉しいみたい!そんなの許せないわ!」
                 ぼろぼろ涙をこぼす闇色の目が光る。……そっか、ごめんね。
                 「ごめんね、ララモンにまで秘密にしてたんだ、私」
                 「いいの、ヨシノが言いたくないことまで聞かないわ」
                 「……ううん、やっぱ、ずるかったんだよ。」
                 抱きしめるララモンはまだ少し手に余る大きさで、そういえば小さい頃、ララモンを抱きしめられなくて悔しい思いをしたことを思い出した。
                 「もう、私だけのヨシノじゃないの、わかってるのよ」
                 デジモンは友達で、パートナーで、戦友で、大切な家族で、相棒で……身体の一部。私の一部になっていた。だから、何も言わなくても解ってくれると思い上がっていた。ララモンにもちゃんと感情があって、自我があって、物を考えて感じる。……なんて事を忘れてたの、私は。
                 「ごめんねぇ、ララモン……」
                 「わたしこそ意地悪してごめんなさい」
                 ぽろぽろ涙がこぼれる。
                 こんなに私を大切に思ってくれるのに。
                 「でもわたしはいつもヨシノの味方よ。いつまでも、そうよ」
                 うん、うん、うん。私は何度も何度もうなずく。ありがとうと呟いて、何度も。
                 「だけどこれだけは言わせて貰うわ」
                 すっくりと宙に立った(というのかしら?)ララモンが、まるで娘を叱る母親のようにへたり込んだ私を見下ろして声を細くした。
                 「ヨシノはまだ未成年なんだからお酒飲んじゃダメって何度言わせるのよ!!マサルもトーマも14歳なのよ!ちょっとは社会人としての自覚を持ったらどう!それでもDATSのリーダーなの!?
                 大体ヨシノは隙がありすぎるわ!まだマサルだったから良かったようなものの、全然知らない人だったらどうするのよ……ってちょっとヨシノどこへ逃げるの!聞きなさいヨシノ!!」
                 これは堪らない。ドアを開けて出て行こうとした背中に響くララモンの声からこそこそ逃げ出す。
                 記憶を無くす前の私がなんでララモンに黙ってようと思ったのか、今ならわかる。
                 「ヨシノ!まだ話は終わってないわヨシノ!」
                 「ま、また今度にして!今日はホントに疲れてんのよ!」
                 「コレで部屋がまたぐちゃぐちゃになってたら許さないんだからね!!」
                 どひー。ここ本部なんですけどー!そんなでっかい声で何を言うかなー!
                 「ヨシノ!待ちなさいヨシノ!」
                 勘弁してよ〜!

                20:16 2006/11/19

                 


                広告 [PR] 花 小説 ブックマーケット お見合い 無料レンタルサーバー ブログ blog