ミミと光子郎
SUPPLEMENT
目を閉じたのが悪かったんだと思う。
どう考えても。
どうしてあの時、せめて光子郎くんを起こさなかったんだろう。
そう後悔したのは昼の12時を過ぎた頃だったかしら。
「光子郎、どなたかお客様?」
背筋が凍る、というのはこう言うことを言うに違いない。
ドアにされたノックの音に二人ともで悲鳴を上げそうになった。
だってそうでしょう?光子郎くんはまだ私の上(!)で寝てたんだし、そのうえ二人の身体はいろんな液体が乾いてそりゃーもうすごい事になってるし、髪もぐちゃぐちゃ、おまけに私の服や荷物はリビングに置きっぱなし。
「おっおかあさん!?……いつの間に帰ってきてたんですか!?」
条件反射なのか、丸めてた背中をピンと伸ばしてまるで敬礼のように声を上げた。
「ついさっきよ。デパートによってお弁当買って来たの、お友達も一緒にいかが?」
頭が上手に動かない。私知ってる。こういうの恐慌状態っていうのを。
うちのママならノックもせずにいきなりバーンてドア開けてるだろうな。そんで悲鳴上げてパニックになってる。その光景がまざまざと瞼の裏に浮かぶのを止まったままの頭で見ていた。
「えっ…ええ、いただきます!でもちょっと、えーっと…あとで、後で取りに行きますから!」
さあそれからが大騒ぎだった。大慌てで光子郎くんは服を着替えてわたしの荷物を取りに行き、タオルやらなんやらで必死に身体中を拭いて身なりを整え、窓全開、エアコン最大風速にして空気の入れ替えをたった10分でやったんだから。
さすがにリビングで一緒にご飯を食べるなんて根性はない。なんのかんのと両親を言いくるめたのだろう、部屋に光子郎くんはお弁当を二つ持って現れた。
「……おとうさんが…………いえ、いいです……」
脱力して尚且つ引きつったややこしい顔の光子郎くんがもにょもにょと言葉尻を濁す。
「ばれちゃった……かなぁ、やっぱり……」
お泊りしたこと、ではない。その後のことだ。
「観念して叱られます」
肩を落とした情けない笑顔で彼が溜息をつきながら割り箸を割った。
「……やっぱ、まずい事してるんだよねぇ、私たちって……」
もそもそとごはんを食べながら恥かしいやら申し訳ないやら、複雑な気持ち。
「僕は後悔してません。誰がなんと言おうと、僕はミミさんと結ばれたかったし、結ばれて嬉しかった。
……でも結局はわがままですよね。もし本当に子供が出来たりしたって、ぼくにはまだ責任は取れない――――――ぼく達は無責任で馬鹿な事をしているんでしょうか」
顔をつき合わせて食べるデパートのお弁当は、できたてほやほやでごはんもお魚も煮物も、お漬物さえ全部上等な味付けでとってもおいしい。……なのにちっとも味がわからない。
「……それは私だって一緒だよ、いくら好きでも、ううん、好きだからこそ、こういうことはちゃんと考えなくちゃ。
だから……ちゃんと避妊はしよーね。それが今出来る責任の取り方だよ。たぶん。」
そう自分でもっともらしいことを言っても気分がすっきりする事はない。教科書通りの模範解答。失敗を知らない私たちの傲慢。
「はい。そう思います」
気のせいか光子郎くんの声もどんより沈んでいる。
「……でも、お互い一言も“じゃあセックスすんのやめよう”って言わないあたり、どうなのって気もする……」
本当はしちゃいけないんだと思う。まだ私の頭は止まったままなのだろうか?何でそう思うのか、自分でも良くわからない。大人にそう言われるからとか、そう決まっているからとか、そういう理由でなく。
「言ってたら、どうせ烈火の如く怒ったでしょう?ぼくも同じです。
快楽を享受するには義務と責任、節度が付き物です。出来る限り守りましょう。」
その言葉に眉をひそめ顔を上げた。光子郎くんは子供の諦め顔じゃない、意思を定めた大人の顔をしていた。
……あ、私に足りないの、これだ。
直感するように理解できた。何故しちゃいけないと思ったのか?
覚悟が無かったからだ。責任の在り処が分からなかったからだ。私の責任者は私なのに。
「――――――えっち」
わかった。わかっちゃった。
「ミミさんこそ」
しれっとした顔で煮物のレンコンを食べる光子郎くんが、少し大きく見えた。
「光子郎くんってやっぱすごいね」
「……なんですか急に」
気味悪げ表情で彼が少し身を引く。
「負けないわよ」
笑って私は白身魚の塩焼きを口に放り込んだ。
それから二人で光子郎くんのお父さんの部屋に呼ばれて、凄く丁寧に叱られた。
おじさんは光子郎くんに良く似てて、感情的に怒鳴ったりせず、私たちに分かりやすい言葉で丁寧に、丁寧に、何故しちゃいけないのかを説明してくれた。
叱られた筈なのに悲しくも恥かしくもなかったのよ。不思議でしょう?でも頭の中にたくさん言葉が残る、そういう叱り方だった。
2時間も正座してたから足がすっごく痛かったけど、おじさんの言ってる事はちゃんと理解できたし、自分の思ってる事も大体みんな言えた。
「本当に相手のことを思ってるなら、責任を取れるようになるまで待ちなさい。それも恋愛だよ」
そう諭されている光子郎くんはどこか嬉しそうで、おじさんもなんだか嬉しそうだった。
へんなの。
……でも、ちゃんと話を聞いてもらったその上で叱られるのって確かにちょっと嬉しいかも。
夕暮れのちょっと手前に、手を繋いでホテルまでおじさんと一緒に送ってもらった。
「二人のことはミミちゃんのご両親は知ってるの?」
「はい。付き合ってる事は知ってます……その先は、おじさんだけだけけど」
「今回限りにしてくれよ。じゃないと今度はおじさんがご両親に顔向けできない」
ははは、と笑って、でも少し硬い表情のおじさんが光子郎くんを見た。
「光子郎」
「はい」
「お前も男だったら人に心配かけるような事はしちゃいかん」
「……はい。」
光子郎くんの返事に浅く頷いて、おじさんはハッとした顔でズボンのポケットを探り始めた。
「あっしまった、煙草を切らしてたんだ。
さっきの角にコンビニあったな……ミミちゃん、すまないけどおじさんはここで失礼させてもらうよ。
光子郎、ちゃんとホテルまで送って来るんだぞ。お父さんコンビニに居るから」
「いいです、そんなに時間遅くなっ……えー!?」
つないでた手が急に引っ張られて、おじさんの背中が遠くなっていく。
「ちょ、ちょっと光子郎くん、見送りいいってば、駅のすぐそばなんだから!」
強い力で引っ張られる。
「ぼくのお父さん、煙草吸わないんですよ」
だから必死で腕を引き付ける。
「はぁ?」
速い速度で引っ張れられる。
「でも漫画を読むのがすきなんです」
それに必死で歩調を合わせる。
「ちょ、ちょっと、なんなのよぉ!?」
引っ張る、引っ張る。
「こんな道端じゃ、キスだって出来ないでしょう」
光子郎くんが、私を引っ張る。
「名残を惜しませてください、また長く離れるために」
光子郎くんの顔は見えない。
繋いだ手がどちらともなく軋んだ音を立てたのは気のせいだったのかそうでないのか、考える間もなく私は引っ張られ続けた。
ホテルの部屋でたくさんキスをする。
名残を惜しむように胸におそろいのキスマークをつけて、私は少し泣いた。
私は明日の夜、アメリカへ帰る。それを初めて「寂しい」と心から思ったけど、声には出さなかった。
だって声に出したら今日、この部屋で眠れなくなりそうだったんだもん。
「あしたのお見送り、もう飛行機故障しないかな、なんて言わないでよね」
言いませんよ、と襟を正しながら光子郎くんが肩越しに私の顔を見て破顔した。
「離れるのはイヤだけど、明日は笑って見送りが出来るような気がします」
その顔がひどく大人びていて、ああこの人はどんどんイイ男になっていくのね、と思った。
……負けないわよ。
負けないんだから。
Supplement:補足、付録、追加、補遺、補完、追補
17:18 2006/09/22
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