ミミと光子郎
はしたないかしら?
どきどき。
どきどき。
随分久しぶりに会う気がする。
どきどき。
どきどき。
そうでしたっけ、そうかもしれませんね。
どきどき、どきどき。
顔がよく見られない。どんな顔をしたらいいのかも解らない。ただどきどき、どきどき。
がんばって胸元まで視線を上げてみた。
解かれている襟元が、ちょっとくたびれてるシャツが、ひどく心臓を跳ねさせる。
どきどきどきどき。
素知らぬ顔でふっと視線を外したのか、ひねられた首筋があらわになって、どきどき。
どこか喫茶店でも入りませんか。こう暑くちゃ、たまらない。
ぱたぱた風を送るまた少し大きくなった彼の手が、ただの手が、恥ずかしくて見ていられなかった。
……ミミさん、きいてますか?
元に戻された首に滲んでいる汗に視線が釘付けになる。
それを拭う腕。濡れた手の甲。骨張って細い指。
さわりたい。
触れて欲しい。
でも言わず、挙動を監視するようにギラギラした視線で追いかけるだけ。
だって心臓がうるさくて、きっと声に出しても聞こえないわ。
どきどき、どきどき。
いつもなら、私どんな風にしてた?
飛びついてたかしら、それともキッスでも投げてた?とにかくうつむいてもじもじなんて殊勝なことはしてなかったと思うわ。
……ミミさん、ミミさん。
ああこの声。電話じゃない、生よ生。すぐそこに光子郎くんがいるのよ。
なのにああこのもどかしさ!足よ動け!首よ持ち上がれ!
心臓は嬉しさで苦しくて、なのに切なくて、自分でも訳がわからない。自分で自分が理解できない。ああ一刻も早く抱きしめたいのに!
ミミさん!
はい!
飛び上がって持っていた帽子を押しつぶしてしまった。ああなんてこと、やっと見つけたピンクのテンガロンハットなのに。
……やっぱり聞いてない。どっか涼しいとこ行きませんか?
ギョッとして上がった視線が、ようやく彼の顔を視界に入れてくれた。
背筋が伸びる。
それともこれから何か用事でも?
眉をひそめて赤い髪が近づく。石鹸と光子郎くんの汗のにおい。懐かしい彼のにおい。
身体が反応する。全身が緊張する。肌が張り詰めて、頬に熱がともった。
――――やだ、はしたない。
赤い顔で彷徨う焦点がうろうろと空港の天井を舐めているのを不審に思ったのだろう、光子郎くんの手が私の額に触れようとした。
きゃっ!
……キャーって……
呆れ顔で手を引っ込めた光子郎くんが居心地悪そうに、首を引っ込める私に向かって不平を垂らす。
熱でもあるんですか?なんか挙動不審ですよ、さっきから。
ち、ちがうの……
違うって、じゃあなんですか。
……いますっごい発情してるの。だからさわっちゃダメ……!
――――――――は、はつ…じょう……?
……そう。
テンガロンハットの向こう側で真っ赤になった光子郎くんが、やるかたない手をどうしたものかとおろおろさせている。
――――――――ナンデマタ。
ずっと我慢してたから。
――――――――ココ、昼前ノ空港デスヨ。
まだ我慢、しなきゃだめ?
ぽろぽろ涙が出てしまった。もうダメ、我慢できない。体中びりびりする。頭の芯が痺れてきた。恥ずかしくて見られなかった光子郎くんの顔が、身体が、手足が、ひどく私を誘惑しているような気がする。
ああいっそ、いっそここで押し倒してしまおうか!
ぎゅっと閉じた瞼の向こう側で、強く手を引っ張られた。触れた肌に電撃が走る!
ひゃぁ!
……人が朝っぱらから水風呂入ってせっかく鎮めたのに!
ええっ?
責任とってもらいますからね!ええ、もう、たっぷりと取ってもらいます!
あっイヤッ……そんな、引っ張らないで!
引っ張られたくなかったら走ってください。ああもう、ケース貸してください、ぼくが持ちます!
急き立てられるように転がるスーツケースのタイヤが派手な音を立てている。
私はなんだかそれが面白くて面白くて、笑ってしまった。
もう今日は監禁ですよ、監禁!
その言葉に、胸のどきどきがわくわくに変わってしまった。
わくわく。
――――こんなこと考えてるのを知られたら、慎みがありません!なんて叱られちゃうわ。
21:48 2006/09/09
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